4-136 オルヴァ王と十二人のシナモリアキラ②



 幼い頃の記憶はいつだって美しく、抱いた夢は宝石のように煌めいている。

 素敵なものは、きっと思い出と期待のどこかにあるのだろう。


 庭園に涼やかな風が訪れると、さっそく客人の足音を聞きつけた太陽が木々の隙間から顔を出した。青々とした葉が喜びに揺れ、宮廷の柱廊に差し込む日差したちもまた浮かれ始める。いつもはひっそりとおとなしい影たちだってつられて踊りだす。それはうららかな春のこと。もしかしたら夏のこと。ひょっとしたら秋かもしれず、ことによっては冬かもしれない。

 一つだけ確かなことは、それが輝かしい時代だったということ。


 厚みの無い影の絨毯が揺れ動く。

 その上を不思議な足取りで飛び跳ねていく小さな姿があった。

 踏める場所と踏めない場所を見極めて軽やかに進むのは年端もいかない少年だ。

 子供には光と影の秩序が理解できていた。

 大人に言われずとも、彼らは自らで定めた法を順守しようとする。

 少年は無邪気に笑い、思い切りさわやかな空気を吸い込んだ。

 象牙の柱が立ち並ぶそこは鳥たちの歌声がとてもよく響く特等席で、少年のお気に入りの場所だった。駆け回るのに不自由は無いとはいえ、彼にとって音は何よりも確かなものだったから。

 まだあどけない年頃の少年は、その両目を布で覆い隠していた。

 きつくきつく、決してとれないように。

 

 ――お前はあまりに何もかもが見えすぎてしまうのね。いいこと? 大人になるまでは、決してその覆いをとってはいけませんよ。


 少年は大人たち、とくに母の言いつけを良く守った。

 いったい何の意味があるのだろうと疑問に思いながら。

 もちろん彼は、光が像を結ばない世界の中であっても色々なものが見えていた。

 光と影の秩序は木々の葉が揺れる音で手に取るようにわかったし、自分がどこに足を置けばいいのかも最初から最後まできちんと知っていた。どうすれば転ぶのか、どうすれば思った通りに跳べるのか。

 過去も、未来も。

 生まれ消えていく、己が生の全てを。


 世界は美しいと少年は思う。

 こんなにも素晴らしいものたちがやがて貪り喰われてしまうという事実にはひどい悲しみを覚える。そのことを思うだけで胸が張り裂けそうになり、あどけない少年の頬をひとりでに涙が零れ落ちていく。

 けれど、ああ、それでも。

 滅び行くさだめの美しさ。

 砕けていく、燃えていく、灰となり虚無の彼方へと消えていく、そのあまりに残酷な光景に、言いようのない感動を覚える自分もまた存在したのだ。

 少年は廃墟が好きだった。墓が好きだった。戦場跡が好きだった。遺跡が好きだった。ミイラが好きだった。焼跡が好きだった。滅びを想起させるものが好きで好きでたまらなかった。その先に――。


「ああ」


 少年はその名を知らない。大人たちが隠していたから。

 母は恐れた。「早すぎる」と。彼はこの世で最も恐るべき真理に誰よりも早く到達してしまうだろう。

 しかし、そんな配慮は無意味だった。

 少年は既にして誰よりも、


「――おわりのはじっこが、たべられちゃってるよ?」


 カシュラム人であったのだから。

 彼が生まれる、ずっと前から。

 それはオルヴァという名に刻まれたさだめであったのだ。




 破滅の連鎖は終わりを見失っていた。

 血が流れ、絶叫が響き、憎しみが広がっていく。

 この混乱をどうにか出来る者が、果たして第五階層に残っているのだろうか。

 不安と緊張、混乱と恐怖。

 揺らぐ感情が救いを求め、希望を探した。

 そして人々は英雄の訪れを期待しはじめる。


 かつてこの第五階層を脅かしたキロン、そしてグレンデルヒ。

 人々は思い出す。それらを撃退した男がいたはずだと。

 苦境に陥った者たちは一縷の望みに縋るようにしてその名を呼んだ。

 悪魔を呼び出す呪文を唱えるように、神に祈りを捧げるように。

 それに答える声があった。

 

「待たせたな。後は任せろ。俺が本当のサイバーカラテを教えてやる」


 たなびく真紅の鉢巻き、白い道着、不似合いな黒いマント。

 真っ白な仮面をつけた男は自らをシナモリアキラと名乗り、同じくシナモリアキラを名乗る暴漢に襲いかかった。そして今日も始まるシナモリアキラ同士の戦い。

 広くもない居酒屋兼定食屋の一階が、たちまち罵声で埋め尽くされる。


「ふざけんな」「待ってねえし呼んでもいねえよ」「死ねクソ狂犬が」「道場だけでいいっつってんだろ」「師範アピールやめろうぜえ」「何が本当だ、サイバーカラテに本当があってたまるかこのにわかが」


 非難の声が吹き荒れ、ものが投げつけられていく。

 表で『シナモリアキラお断り』の看板が乱闘のあおりを受けて倒れた。

 マント姿の男は快活に笑いながら平然としている。


「安心しろ、お前たちの希望など聞いていない。俺は勝手に英雄的行動を行い、勝手に満足を得るだけだ。ヒーローは周囲を顧みない。サイバーカラテマンの正義は『殴って良さそうなものを気持ちよく鉄拳制裁』だ! ヒーローに文句を言う恩知らず連中も含む!」


 独善的なルールを主張しつつ、ひたすらに暴力を振るい続ける仮面のシナモリアキラ。双掌を上下に構えたブレイスヴァカラテの崩拳が放たれていく。

 一見して細身に見えるが、仮面の男の身体能力は極めて高い。

 無貌の民――吸血鬼の末裔ともカシュラム人とも言われる隠遁者たち。

 表社会に姿を現すことは稀である。そんな男が、何故このような真似を。

 餌食となった人々はそのような疑問を抱きながら昏倒していく。

 しかし第五階層の住人とて負けてはいない。サイバーカラテユーザーたちは男の動きを分析、連携しながら反撃を試みる。ついに一撃が男の仮面に命中、砕けた破片が地面に落ちた。しかし。


「ヒーローの正体は、トップシークレットだ!」


 その顔が、捉えられない。

 見えているはずなのに認識ができない。

 何らかの呪術がはたらいているのか、その男の正体は一切が不明だった。


 ――対象の分析に失敗。脅威度は不明、暫定で中程度に設定。現在ランキング八位。対象識別コード『ぬえ』の追跡調査を継続する。


 また、別のある区画では。


「死ね、死ね死ね死ね死ね死ねゴミのように無価値に死ね」


 巨躯の男が長大な槍を振るうと、『下』出身の者たちが次々と引き裂かれて無残な屍を晒す。屍は男が唱えた祈祷の文言により即座に炎上、灰となって再生者になる余地すら残さない。反撃の呪詛に無言で抵抗し、睨み返す視線のみで相手を吹き飛ばす。殺し慣れた手つき。表情は変わらず、しかし瞳に熱狂が燃える。聖別された槍は燐光を纏い炎を、風を、そして雨と霰をまき散らす。


「神罰執行。槍神の裁きあれ。悪徳に耽る異獣どもに災いあれ」


 神父だった。豊かな髪と髭は雲を思わせ、纏う祭服は清浄な白。

 血まみれの槍は信仰の証。両腕は神働装甲の聖銀に鎧われており、刻まれた呪文が左腕に炎、右腕に冷気を纏わせる。浮遊しながら移動するその両足は曖昧に融けてひとつになり、まるで雲の上に乗っているかのようだった。


「我こそはシナモリアキラ。神の意思に従い、呪われし邪悪どもを駆除すべく使わされた神のしもべ」 


 男が天を仰ぐと、いつの間にか頭上に出現していた暗雲から雨が降り注ぐ。

 ただの雨ではない。人々の絶叫が断末魔に変わる。

 それは大小の石。礫の雨は次々と人の群れを打ち、容赦なく続く自由落下の打撃は神罰の対象となった者に凄まじい苦痛を与えながら命を奪っていく。


「異端と異教徒は死ね。神の教えに背く咎人、進化論を唱える愚者、堕胎肯定の不埒者、摂理を否定する異常性欲者、唾棄すべき数秘悪魔オッキュテスバの信奉者ども、ことごとく死すべし」 


 神父は神への信仰に酔いしれながら殺戮を繰り返す。

 礫の雨が巨躯をすり抜けて大地を穿つ。

 大気中の微細な水分や氷片によって構成された肉体。

 空の民の邪視者が到達する一つの極致。

 雲の巨人ネフィリムが朗々と声を響かせた。


「今参ります、総団長殿! 我らが麗しの炎天使よ、松明のピュクティエトに愛されし聖絶の乙女よ! 遠きあの日のように、異端どもを浄化しましょうぞ!」


 ――百科事典検索。二件の該当有り。脅威度は極めて大。現在ランキング二位。対象識別コード『大入道おおにゅうどう』の追跡調査を継続する。


 恐るべき大量殺戮の裏では、ささやかな死が進行していた。

 薄暗い路地裏に転がる探索者の遺体。

 筋骨隆々の巨漢だが、首を正確に一刺しされて絶命している。

 凶手を睨み付け、探索者の片割れは槍を捨てて短刀を構えた。槍を振り回すには路地裏は狭い。だが、同じ得物で相対するには目の前の男は危険に過ぎた。


「シナモリアキラで~っす。カジュアル殺人鬼やってまーす」


 レザー系の服装、音を鳴らすシルバーアクセサリ、耳の上下と唇の端、眉尻と頬にいくつものピアス、短めの髭に金と黒に染め上げられた頭髪、そして禍々しい装飾に彩られた巨大なナイフ。

 

「シナモリアキラっつーか、その劣化コピー的な? オリジナルちゃんマジリスペクトしてるわけよ。ま、コピーはコピーで真似することで学ぶっつーか、自分を成長させたい系? やっべ、俺すげー真面目じゃね? 意識たっけー!」


 軽薄に笑いながら無造作に踏み込み、素人丸出しの所作でナイフを振り回す。『道場』の指導を順守する気が無い、そして示される選択肢に振り回されている。我を通し過ぎてサイバーカラテの運用が中途半端。同じくユーザーであった探索者は男の欠点が山ほど見えていた。

 だというのに。


「いえーい、ポイントゲット~」


 禍々しい刃が意識と呼吸の間隙に正確に潜り込む。

 反応すら許さない一刺しがいつの間にか探索者の胸を貫いていた。

 横向きに押し込んだ刃に力を込めて、殺人鬼が死にかけの相手を蹴り飛ばす。


 ――出入国記録検索。該当有り。眷属種第九位、鉄願の民と断定。脅威度は小。現在ランキング九位。対象識別コード『鎌鼬かまいたち』の追跡調査を継続する。


「さーって、オリジナルちゃんはどこにいるのかな~っと。はやく会って殺してぇ~、つか、俺以外に殺らせるとかありえねーっしょ。どいつもこいつもオリジナルちゃんへのリスペクトが足りてねえっての。もっとさくさくっと楽しく気軽にぶっ殺してけよ。殺しもバトルもエンタメなんだからよ」


「そこの男。武器を捨て、速やかに投降しろ」


 殺人鬼はゆっくりと背後を振り向く。

 敵意の視線が殺人鬼に集中する。舌なめずり。目の前に居並んでいるのは彼にとって格好の獲物たちだった。

 十数人からなる集団は、種族も人種も性別も年齢もバラバラではあったが、奇妙な統一感によってあたかも一個の生命のように見えた。

 揃いの制服に身を包み、袖をまくって左右の腕を剥き出しにしている。

 完全な徒手空拳。集団とはいえ、何の武器も帯びずに危険な殺人鬼と相対しながら彼らの視線には迷いが無い。戦闘の男が声を張り上げる。


「サイバーカラテを悪事に利用し、その崇高な理念を自己の正当化に用いる悪漢め。その所業、神と法無きこの天地が許そうと我らが決して許しはしない。精神修養コースから修行のやり直しだ、未熟者め!」


「はぁぁ?! マジ意味わかんねえし。てかお前、何様?」


 侮蔑を隠そうともしない殺人鬼だが、集団は意にも介さない。

 腰を低く落とし、半身に構えて真っ直ぐに敵を見据える。

 合図の一つも無かった。一糸乱れぬ集団の動きは完全に同期している。


「我らはサイバーカラテの理念を体現する者。我らはシナモリアキラの意思の代行者。我らはこの第五階層の治安を守る自警団である。もう一度だけ警告する。武器を捨て、投降しろ。貴様を拘束する」


「ごちゃごちゃうるせえよ死ね」


 手始めにリーダー格の男。無造作に、そして意識の隙間に捻じ込むようにして突き出された見事な一撃が標的の胸を貫いた。肋骨を避けて心臓を一突き。

 完璧に絶命していた。あとは頭を失い混乱する集団を蹂躙していくだけだ。

 そう高をくくっていた殺人鬼は一切の動揺無しに実行された他の自警団員たちからの猛攻にたじろがされてしまう。

 一人目の拳打を片腕で受け、側面から回り込んだ二人目の手刀を躱し、跳躍して飛びかかってきた三人目の首を掻き切った。倒れ込んでくる死体に隠れて身を低くした四人目、死体ごと蹴り飛ばそうとする五人目、捕縛用の投網を後方で振り回す六人目。

 

 凌ぎきれない。地面に押し倒され、投網で動きを封じられ、縄と手錠で拘束される。

 死を厭わず戦闘を続行し続ける自警団。勇敢と言うにはあまりにも非人間的なありように、さしもの殺人鬼も言葉を失う。

 身動きを封じられた殺人鬼はその場に更なる集団が近付いて来ていることに気付いた。

 一目見てわかる揃いの制服。別々に動いていた数人の自警団員が合流したのだ。彼らは殺人鬼と同じような雰囲気の男を捕縛していた。乱暴なことに頭を鷲掴みにされている。


「二斑の損失は三名か。勇敢な殉職者に敬意を」


「しかし秩序は守られた。この男たちが改心し、社会に貢献するようになれば彼らの死も報われることだろう」


 殺人鬼にとって自警団員たちの会話は寝言に等しかったが、それよりも気になるのが目の前の同類だった。捕縛された犯罪者は白目を剥き、痙攣しながら声とも吐息ともつかない呼気を漏らし続けている。

 良く見れば、この男は自警団員に鷲掴みにされているわけではない。自警団員の手は頭髪に接触しておらず、その手のひらから伸びた半透明のなにかにいじり回されている。

 それが夥しい数の触手だと気付いた時、殺人鬼は自分の頭の上にも手のひらがかざされていることに気が付いた。


 『サイバーカラテ道場』のカスタムナビことギャルシューラがセキュリティ警告を発していた。侵入されている。何に? 思考が途絶し、かき乱されていく。自分の内側を暴かれていく不快感に絶叫する。周囲を邪悪な妖精たちが取り囲んでいる。濃いアイラインのワルシューラたちがけらけらと笑う。


「精神修養コースを開始。社会奉仕プログラムへの貢献によって貴様の罪は濯がれる。これから貴様は地域の安全を守る良き人々に生まれ変わるのだ」


 目の前で白目を剥いていた犯罪者が立ち上がる。きびきびとした動きで支給された制服を身に着け、完全に周囲と一体化した動きで敬礼する。

 新たなメンバーを迎えた自警団員たちの腕に浮かび上がるのは目を模した紋様。

 見張りをイメージしているのだろう。その目が監視するのは眼前で悪事を働く犯罪者と、犯罪者から生まれ変わった自警団員たち自身である。


「秩序は誰かが守らねばならない。シナモリアキラがもたらした力は自律的に制御されなければならない。サイバーカラテによる暴力は我々が独占的に管理執行する」


 ――警告。『夜警団』の自動管理システム内で脅威を検出。重大な障害が発生。脅威度は大。備考:汚染された自律思考体の存在を多数確認。優先的な対処を要する。現在ランキング六位。対象識別コード『百々目鬼どどめき』の追跡調査を継続する。


 跋扈するシナモリアキラとそれを取り締まるシナモリアキラ。闘争が続く中、第五階層の北ブロック、ティリビナ人たちが避難している真竜王国領内で異変が起きていた。

 植樹された木々が次々と切り倒されて轟音が響き渡る。

 そして、異様な声も。


「伐採、伐倒、樹木切断! 【リーエルノーレス】絶好調!」


 頑丈なヘルメット、メッシュ製の顔面保護具、防塵眼鏡、騒音を遮断するイヤーマフ、対刃特殊繊維入りのジャケット、ズボン、ブーツ。腰に伐採用の手斧がぶら下がっている。

 そして唸りを上げるチェーンソー。左腕が丸ごとチェーンソーとなって呪文を纏いながら木々と引き裂き、右腕もまたチェーンソーとなって高周波を撒き散らしながら逃げ惑うティリビナ人を襲う。更に義肢の男の周囲を亡霊のように浮遊する『再生者』。屍化した両腕のみ、おそらくは本人の腕であったものがチェーンソーを保持して自由自在に暴れまわる。血行不良の為か生身の両腕は白蝋のようなありさまだったが、その動きは信じがたいほどに素早い。


 男にティリビナ人たちが反撃を加え、警護を担当する人形の兵士が稲妻と炎を纏いながら飛び掛かる。更に地中に潜んでいた人形が伐採者の両足を掴んで動きを止める。致命的な攻撃が襲撃者の全身を貫き、砕き、背骨と首をあらぬ方向に曲げて吹き飛ばした。本体に引きずられていくように飛んでいく浮遊腕。

 

「ティリビナ人は、皆殺しっ」


 即座に飛び起きる。即死するだけの攻撃が直撃しているというのに歯牙にもかけていない。再び襲い掛かってきた人形たち。だが今度の攻撃は通用しなかった。誰もが瞠目するほどの反応速度で容易く人形を解体、チェーンソーを唸らせる。ティリビナ人たち、特に壮年から老齢の者たちに戦慄が走った。


「まさか、あの『きこり』なのか――? おい、誰か緑竜騎士団を、ハタラドゥール殿をお呼びしろっ! ここは私が食い止める、お前たちは逃げろ!」


 大樹のような男が樵と呼ばれた怪人の前に立ちふさがった。

 精霊に呼びかける亜大陸出身者特有の呪術。

 地面を突き破って現れた蔦植物が蛇のように樵に襲い掛かる。


「伐採ぃぃっ!!」


 理不尽な暴力が全てを伐採し、惨劇は木屑と鮮血に彩られていく。

 樵はその名、その職業名の通りに己が役割を全うするのみ。

 ティリビナ人を生きたまま『伐採』し、労働の喜びに全身を震わせて、調子外れな木挽き歌を鼻で歌い始める。あらゆる条理を無慈悲に駆逐して笑う。

 天から垂れる青い髪の毛すら切り裂いて、支配先をティリビナ人たちの遺骸へと誘導。誰にも制御不能な歩く暴力が第五階層を震撼させていく。


 ――認定請負人名簿を検索・・・・・・該当一名。備考:第五階層黎明期から死人の森に定住していたと見られ、詳細な来歴は不明。番付上の位置は今回の混乱でも変動無し。蠍尾マラコーダ牙猪チリアットらとの交戦記録有り。いずれも撃退されており、軽率な接触は避けることを推奨。脅威度は極めて大。現在ランキング三位。対象識別コード『絡新婦じょろうぐも』の追跡調査を継続する。


 一方その頃、第五階層東ブロックでは。

 聞こえるのはうめき声。苦痛が奏でる音楽の作曲者はうず高く積み上げられた人体の山、その頂点に腰かけていた。壮年に差し掛かる年代だが、その肉体に漲る活力は溢れんばかりである。


「また、生き残ってしまった」


 くたびれた野戦服。軍人と思しき外見で、顔の大部分を火傷のあとが痛々しく覆っている。両目は色のついたガラス玉で、光を失っていることは明らか。

 だというのに、その男から匂い立つ強者の圧力は隠しようもない。


「足りぬな。ズタークスタークとの決戦で失われたあの屍の山にはまだ到底届いておらぬ。武の頂は遥か天の彼方、か。シナモリアキラの名を借りて上積みしても先は長いようだ」


 独りごちる男の胸に輝く徽章こそ、アルセミット国防軍第二歩兵連隊に所属していたことを示す証だった――過去形。その部隊は大魔将との戦いで壊滅したのだ。

 

 ――アルセミット国防軍のサーバ侵入を実行・・・・・・失敗。推定種族は鉄願の民。備考:対象の体温と周囲の気温変動から推測される闘気量はパーンに匹敵。脅威度は大。現在ランキング四位。対象識別コード『おに』の追跡調査を継続する。


 そんな元軍人を敗残者の山の麓から見上げる者がいた。

 腰巻一つを身に着けただけの、巌の肌を露わにした巨漢。見上げるような体躯も、石を寄せ集めたような顔面も、典型的な岩肌種トロルの特徴を備えながらも異相と呼べる域に達していた。落石のような轟きが声となって響く。


「おらはシナモリアキラってもんだ。武のてっぺんさ目指してる」


 単純な動機。拳を握る理由が複雑である必要は何もない。

 むしろ戦いに理由など不要なのだと、相対する両者は理解していた。

 生や死など、力に付随する余分でしかない。


 ――出入国記録検索。該当有り。『下』の認定種、岩肌種と断定。脅威度は小。現在ランキング七位。対象識別コード『塗壁ぬりかべ』の追跡調査を継続する。


 ひりつく様な空気が密度を増していき、見下ろす者と見上げる者の視線が火花を散らす。元軍人の男はためらいもなく山から飛び降りると、着地した姿勢のまま膝を曲げ半身になった。岩肌の大男も拳を握り、両手を前にして顔を守るようにして構える。二人の間に余計なやり取りは不要だった。


「いざ」


「尋常に」


 発勁用意、と力強い叫びが轟き、両者が激突した。

 そして、元軍人が宙を舞う。

 更に敗残者の山が、大地が、家屋が、木々が、ありとあらゆる形あるものが砕けて陥没。衝撃波によって一帯が抉り取られて、地形そのものが変化していく。

 岩肌の男は背中から伸ばした不可視の左腕――戦略級マジックミサイルにもたとえられる神の巨腕を振るって第五階層を激震させた。


「もひとつの方も名乗っとくべ。『ラウス=ベフォニス』――跡目は兄貴に譲ったんだげども、おっ死んだっつーんだからなぁ。しかたね。山で修業ばりしてたから、不調法あっかもしんねーけど許してけらいん」


 宙を舞う元軍人は見た。岩肌の背後に聳えたつ巨大な峰を。

 純然たるエネルギーを凝縮させた腕、肩、山を背負った胴体とそれを支える両足、そして岩壁を削りだしたかのような顔。右腕だけが欠落した巨人の威容。軍人であった頃に屈服するしかなかった圧倒的な力。神の雷への畏敬を思い出し、屈強な男が震える。


「――面白い! それでこそ、踏破する甲斐があるというもの!」


 挑戦者となった元軍人の男が獰猛な笑みを浮かべた。

 ちっぽけな身ひとつで、天を衝く巨人に挑む。


 ――『塗壁ぬりかべ』の脅威度を『極めて大』に修正。魔将級の戦力と推定、警戒を要する。

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