4-134 死人の森の父③


 あらゆる音が無く、熱も無い。

 時の止まった世界で、サリアは落ち着き払って氷の弓に矢を番えた。

 両肘によって体を中心から分かつように弦を引き、限界まで達したところで静止する。止まった時の中で動ける使徒が迫る。サリアの肉体は容易く引き裂かれるが、既にエネルギーを蓄えた矢が過去へと飛翔して使徒を貫く。攻撃の事実が消滅し、サリアは無傷のまま次の敵に狙いを定めた。

 残りは十二、使徒とオルヴァ。


(おいおいおい、まぁーた同じ展開じゃねえか。つらいねー繰り返し繰り返し。コルセスカちゃんのやってるゲームみてえに既読スキップとかできねえもんなこれ)


 サリアの視線が一瞬だけ揺れる。視界の隅に、奇妙な生き物が浮遊しているのだ。尖った牙のコウモリがベースだが、背後から煙突が伸びて黒々とした煙を出しているのが特徴的だった。デフォルメされたマスコットキャラクターにも似てどこかユーモラスな顔つきをしている。


「ゼール、減らず口はいいから装甲を展開しろ」


(へいへい。ご主人サマの仰せのままにっと)


 背後から強襲。人類には反応不可能な加速呪術を使用しての突撃。

 しかし無駄なこと。どのタイミングで襲ってくるのかがわかっていれば、罠を仕掛けておけば事足りる。突如としてサリアの足元から立ち上ったのは血まじりの赤黒い煙。使徒はあっけなく黒煙に飲み込まれて生きながら消化吸収されていく。

 生命吸収――吸血鬼が最も得手とする呪術だ。残りは十一。


 霧とも煙ともつかない闇の塊はサリアの全身を覆い尽くしたかと思うと、鋭角のシルエットを持つ鎧となった。疑似細菌が構築する強化繊維が人工筋肉となり、大量の呪詛を含有した血液が各部に送り込まれる。ポンプが血液を送り出し、生命エネルギーと流体が入力するエネルギーが油圧式アクチュエータによって出力されて腕力を増幅。呪動装甲が速度を持ち、単純な打撃が減速呪術が発動するより先に使徒の顔面を打ち抜いた。残り十人。


 自在に伸びる影の牙、吸血鬼の触手が床面を、壁面を、天井を疾走。

 逃げても無駄。逃走ルートは記憶済みだった。影が先回りしていく。

 一人、二人と捕縛して一息に全ての生命力を奪い尽くす。残り八人。

 呪動装甲が血を啜り、生命を味わえるという喜びに打ち震える。

 黒を基調とした装甲の肩や腕、目にあたる部分が鮮血に染まったかと思うと、急速な変形が始まる。腰が大きく展開して菱形のパーツが幾つも垂れ下がり、肩から腕、脚から踵にかけて灰色のチューブが伸びて緩い接合部から汚染液を垂れ流す。背中からせり出してくるのは鉄錆色の煙突で、大量の煤煙を吐き出していた。


 『杖』らしい変貌を遂げた鎧は最小規模の歩く工場。腰のスカート状パーツから次々と前装式の小銃を排出し、背中から飛び出してくるコウモリモチーフのドローンがそれらを保持していく。弾丸は既に装填済み。

 銃声が響き、空間に穴を空けて逃れようとしていた使徒が蜂の巣に。残りは七人。銃を使った代償として銃とドローンがことごとく粉々になるが、それらは幾らでも生産が可能。次から次へと出現する使い捨ての銃士たちがカシュラムを追い立て、制圧射撃で高速機動を妨害する。


 大量生産の使い魔による工業製品の運用。

 漠然とした『杖』のイメージが死の恐怖となって具現化した邪視。

 サリアの視座であり、同時にサリアの視座ではないもの。これは鎧が見ている夢だ。サリアはそれを恐れ、現世に呼び込んでいるに過ぎない。

 サリアは狩人だ。遠いミアスカから中原に渡ってきた祖父から教わったのは弓の扱いと獣の追いかけ方、自然の中での生存術だけ。

 幼いころから山野を駆け巡り、森を友とした。

 ――だから彼女は、都市が怖い。


(サーリアちゃーん、あっそびーっましょぉぉぉおお!!! ギャハハハ!!)


 鎧が笑う。耳障りな声。ゼール・コゼーヌがサリアの精神に残した呪い。

 これは幻聴だ。

 怖い始祖がサリアとコルセスカを脅かすことはもう二度とない。

 エルネトモラン最悪の始祖吸血鬼は既に封印されたのだから。

 強制隷属の呪詛が鎖となって復活しようとする怪物を拘束。

 きぐるみ妖精ドーラーヴィーラ製の第一世代型、レトロなスタイルというラベルが神秘を工業製品に貶める。

 旧式の呪動装甲として生まれ変わった『これ』はただの服でしかない。

 

「カシュラム人もそこの始祖も、六王は黙ってコアに従え。さもなくば消えろ」


「そうか、君はそういう存在か」


 カーティスがサリアを見て何かに気付き、無造作に手を差し出そうとする。

 それが何を求めた行為なのかが明らかになることは無かった。

 サリアの無慈悲な一瞥が全てを切って捨てる。

 大量の黒い煙――吸血鬼の操る瘴気がリールエルバの姿をしたカーティスを飲み込んでいく。生命吸収によって始祖を取り込み、支配を試みる。サリアにとってはこの場のすべてが油断ならぬ敵だった。


 ――生まれ育った森は死の坩堝。だからこそ私は生きている。


 逆説的な推論で生を確かめてきた。そこに嘘はない。サリアにとって世界の原風景は死に満ちた森に他ならない。

 だから都市を初めて見たとき、彼女はそこを異界だと感じた。

 そこでは生と死が反転していた。命に満ち溢れた世界。整然とした街並み。

 本当は森こそが異界で、サリアは捩れた異界の中で生きていたのだけれど、そんなことは知らなかった。


 ――だからこそ、都市の中で私は死んでいる。

 サリアの錯誤は都市を恐怖の化身へと変質させ、市民たちの無意識の底に眠っていた怪物を呼び起こした。

 それは都市の悪性を凝縮した悪夢。

 大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、悪臭、地盤沈下、外部不経済の黙認、呪波汚染――近代以降、都市が併発した九つの病。


 都市の怪物が笑う――女になったら喰ってやるよ。

 怪物は美食家で、恋を知るようになったばかりの乙女を何よりも好んだ。

 『生贄』として気に入られてしまったサリア。

 以来、いずれ必ず訪れる死の影に追われ続けてきた。

 始祖を殺すために積み重ねた修練は彼女を裏切らない。強化外骨格が極限まで研ぎ澄まされた身体能力を超人の域へと押し上げる。空間断層の連撃を片端から回避していき、反撃の五指が心臓を抉り取って生命力を吸い尽くす。残り六人。


 地面を滑るように疾走、大腿部から飛び出した短刀を逆手に持って使徒の一人を切り裂く。カシュラム人の時間が逆流して負傷が高速再生。構わずに斬撃を繰り出し続け、破壊速度が再生速度を上回る。塵となって使徒が消滅。残り五人。


 たった一人にかまけている隙を突いて他の使徒がサリアへと攻撃を集中。ドローンを盾にしながら危なげなく回避。全て体が覚えている。死ぬようなルートにはもう逸れない。それよりも先ほどから最も危険なオルヴァの姿が見えないのが気がかりだ。既に未来に跳躍ジャンプしているのか。いつもより早い。


 真後ろに短刀を突き入れると肉を裂く手ごたえが返る。見るまでもない。全てを朽ち果てさせる呪いも当たらなければ無意味だ。残り四人。

 並行宇宙の自分を呼び出そうとした一人が空間に開いた穴に手を突っ込むが、握りしめた腕の肩から先が無いことに気付いて愕然としている。隙だらけの身体に千切れた腕ごと銃撃を浴びせた。残り三人。


 時間が吹き飛ばされた。戦闘の過程ごと時空が消失し、結果だけが残される。

 勝利を確信して結果へと跳んだ使徒は、自分が到着地点に追いつけないことに気付いて恐怖した。原因から結果までの跳躍は永遠となり、時計を抱えた蝿が矢のように飛び去っていくのを横目で見ながら、速さと遅さの存在しない永劫の平面上に取り残された使徒はやがて自死を選んだ。残り二人。


 最後の使徒に斬りかかると、相手は攻撃の軌道をあらかじめ知っていたかのように難なく躱して見せた。二度、三度、四度と繰り返すが当たらない。弾幕も瘴気も、触手も蹴りも完璧に対応される。


「ここまで『覚える』のに、何度死んだことか」


 使徒が小さく呟く。声に滲む疲労と苦痛を、サリアは良く知っていた。

 相手が踏込む。こちらの間合いに差し出した前の足は誘いで、遅延発動する呪詛がこちらを狙っていることは既に知っている。だがサリアも絶え間ない攻防の流れで重心が前に移動してしまっていた。

 ここしかないというタイミングで未来へと跳躍していたオルヴァが背後から仕掛ける。瘴気を集中させて防御するが衝撃で前に突き飛ばされる。最後の使徒による掌底と空間圧搾の呪詛がサリアを死の運命に引き寄せた。


「お前――」


 静かな呟き。死を目の前にしてもサリアに焦りは無い。

 死とは生の実感だ。


「――時間遡行戦は初めてか?」


 サリアと同じループ能力を有する最後の使徒は、口を開こうとしてそのまま絶命した。掌底を抱え込んで体ごと空間圧搾呪詛に突っ込む。使徒を巻き添えにしてサリアの右半身が黒い装甲ごと潰れて肉塊となった。致命傷がもたらす激痛の中、サリアは割れた兜の中で獰猛に笑う。残るは一人。


 互いにこの戦場の全てを知り尽くし、最善の行動を選ぶ特権を持つ者同士。

 両者の違いは一つ。

 サリアは最善の行動を選ばないことで相手の計算を狂わせた。

 ループ能力の優位性は突き詰めれば情報の格差だ。

 時間遡行者が対決すれば、自然と情報の隠匿やブラフ合戦といった心理性に発展する。読み合いに勝つために必要なのは不合理を恐れないことだ。リスクを踏んでセオリーを破壊する。


「下の下だな。手札を隠すことも知らない」


 半死体のサリアを強制的に生存させようとする始祖の鎧。

 瘴気が傷口に集い、血が肉を作る。疑似細菌の生体組織化。

 既に大半が置き換えられたサリアの肉体はほとんど吸血鬼のそれに等しい。

 それでも彼女は霊長類だ。マロゾロンドの加護を拒絶する信仰がサリアの存在を規定している。鉄の願いが身体性を強固に定め、傑出した自己を保ち続ける。


「お前はどうだ、未来を見る獣。あとどれほどの牙を隠している?」


あかの底と記憶あおの奥、人類ロマンカインドの全てが我が紫の奥義に他ならぬ」


 オルヴァの双掌に色号の輝き。

 満身創痍のサリアを前にしても油断は微塵も無い。

 十字の瞳が強い視線で半死体を睨む。


「見える――死が見える。そうか、お前が我が女神キシャルの最果てか」


「違う。私は終わりじゃない」


「お前は死だ。死の母が冬の魔女ならば、森の父こそ彼女に仕える狩人であろう」


「――コアのつがいって所だけ肯定しておいてやる」


 時空を支配するオルヴァの周囲、その何もかもが歪んでいく。

 そこには夢があった。滅びたカシュラムの全て。その栄華と衰退の光と闇。

 一変した世界の風景。ここは既にスキリシアであってスキリシアでない。

 カシュラムの大草原。そこに展開されたカシュラム最盛期の大軍勢だ。

 そして記憶があった。死と苦闘の歴史。

 カシュラムが鍛えた鉄、戦と狩りの技術、人々を統べる法。

 練り上げた神秘と呪術が幻想となって結実する。

 その、全てを。


「邪魔だ」


 サリアはただの一言で否定し殲滅した。

 狩人は背後に異界を背負っていた。

 彼女は『死』そのもの。

 存在しているだけでカシュラムを殺し尽くす。


「異形の娘。森の狩人よ。お前は死を追い立て、死に挑むのか。死人の森を恐れぬお前は、我らが母とは相容れぬ」


「山出しの田舎者で悪かったな。どうせ学は無いし文字も読めないよ――あとな、コアが誰を選ぶかはコアが決めることだ。お前も赦されたのなら大人しく従え」


 狩人は天然の異言者グロソラリアと称される。

 いかに強い力を持つとはいえ、それだけでは運命の本流に足を踏み入れ、破格の力を有する王たちと渡り合うことはできない。


 だが彼女は山で育った。

 森で生きてきた。

 それだけの事実。

 それゆえの異形。


 恐るべき超越者は、果たしてどちらなのか。

 十字の瞳が放つ光が微かに揺れる。

 二人は時を見ていた。

 既にこの交戦は始まりも終わりもわからないほどに繰り返されている。

 十二の使徒は幾度となく屍を積み上げ、オルヴァとサリアの激突はスキリシアの大地を蹂躙したのち地上のドラトリアを焼くに至っていた。互いが互いを殺し、そこで見せた切り札を罠として次の周回で奇襲を仕掛ける。

 繰り返す円環。どこともいつとも知れぬ中で、言葉だけが乱舞していった。


「愚かな娘よ、お前は理解しているはずだ。真なる永劫の果て、大いなるブレイスヴァには誰も抗えぬ」


「抗えるさ。火竜は私が殺す。私と、コアが」


「その愚かさこそが死人の森を生み出したと?」


「お前たちは道具でしかない。戦力増強のための。過去から力を引き出すのはコアの得意技。森は私の力をどこまでも引き上げる」


「私はお前たちが不思議でならない。お前たちはマシュラム人ではない。『あれ』を見ることすらできずにいるカシュラム人よりも、お前たちの方がよほどカシュラム人らしいとすら言えるだろう。だというのに、どうして諦めずにいられるのか」


「――楽しいから」


 狂ったように、サリアが笑う。

 勝算など無くていい。称賛などあるわけがない。

 欲しいのは、彼女と歩む永劫の道。

 致命傷を負い、首をねじ切られ、空間ごと圧壊し、掌底が心臓を破裂させても、時蝿が光よりも速く時間を巻き戻す。何巡も何回も迷って惑って繰り返す。


(やっほー生きてるぅ? サリアちゃんたのしーい?)


「ああ、最高だ。なんたって戦う度にコアに近付いてる」


 心からの喜びを感じて、死にながらサリアは笑う。

 視界の隅にへばりついた幻影。

 目を閉じてもそこにいる異物は慣れを許さない不快感を発し続ける。

 それはサリアの恐怖と死、その具現だからだ。

 常人ならとうに発狂しているほどのストレス。

 

 幾度となく怪物に挑み、数え切れないほど殺し合いを繰り広げた結果として、サリアはこの始祖の全てを理解した。それは文字通り『全て』だ。性質、弱点、言動や癖、個人史の全て。戦いの果てにサリアが心の内に飼い慣らすようになった狂気は形を持ち、動き出す。幻影は再現された始祖そのものだ。


(サリアちゃんどうするぅぅぅ? コルセスカちゃんがいないからこのまま行けば発狂コースだぜー? 俺様としちゃあ涎ダバー頭アビャーな挽肉サリアちゃんを美味しくいただくってのもアリだけど――)


「ゼール、『加工』を急げ」


(へーい。今やってまーす)


 つまらない、とふて腐れるゼール・コゼーヌ。こんな振る舞いもサリアの妄想に過ぎない。彼女は理性的に狂っていた。

 狂っているように見えるだけで理性を保ち続けているオルヴァとはそこが違う。むしろ、カシュラム人であり誰よりもはっきりと『あれ』を直視していながら理性を保ち続けているオルヴァは狂気から最も遠い所にいる。


「キャカラノートに仕えた初代十二賢者、その筆頭。『紫』のオルヴァ――果たしてお前の始まりは『そこ』だったのか? あるいはもっと後のカシュラムか。もしかすると今この瞬間、いや更なる未来でお前という存在は発生したのか――」


「お前という異形が、それを言うのか」


 サリアとオルヴァの激突が時空に亀裂を走らせる。

 もはや闘争は人知の及ぶところではない。

 竜たちが摂理の崩壊に怒りの咆哮を轟かせるが、天地を揺るがす衝撃に眉一つ動かさず、両者は互角に渡り合った。


 未来転生――どのような因果か、彼らが執着する『女王』もまた未来より来たりて過去に神話を刻んだという運命の捩れと歪みを持つ存在であった。未だ訪れていない先の出来事を回想する十字の瞳、そして時空を操る恐るべき神秘の業。オルヴァが歴史改変者であるとするならば、彼の異常性にも一定の説明がつく。


「オルヴァ、オリヴィア、Olva――『オリーブ』ね。男性形ならオリヴィエとかオリヴァーってとこ? あえて『オルヴァ』にしてるのはどんな含みがあるのやら」


「王子は流れ着いた方舟に触れ、猫の叡智を授かることで獅子王となった。彼が私に与えた賢者としての秘儀の中に、油を注ぐ儀礼があったというだけのことだ」


「権力の授与、地位の確定。叙任権の呪術は『猫の国』由来か。道理で教会が圧倒的に強いわけだ。お前らのせいで地上は今日もお綺麗で住みよい楽園だよ」


「それは結構なことだ」


「皮肉だ死ね!」


 会話と戦闘を並行して行う二人の間から次第に緊張感が消え始める。

 死闘が日常へと変化し始めている。

 馴れ合いとなった戦争の先に、惰性化した死があった。

 下らない結末に唾吐くように、サリアが言い放つ。


「甦ったオルクス=ハイどもと戦ってわかった。お前が六王で一番ヤバい。だからこそ、ここで私が無力化する」


 ――それでも抑えきれるかどうか微妙な所だけど。

 小さくそう呟いて、苛立たしげに顔をしかめる。


「魔教、聖マローズ教団、杖を許さない労働者の集い、ワルシューラシスターズ、ゼド盗賊団、公社、木霊地底妖精エコーノーム武装商会――カシュラム人はどこにでも現れる。お前たちは言語でも血統でも無く、『理解』の上に生まれる民族だからだ。『あれ』を僅かでも分かってしまった連中はカシュラム人になる」


 ゆえにカシュラムは不滅だ。

 何度でも蘇り、不可避の破滅が訪れる。

 必ず滅びる定めを背負うが故に、必ず甦る王国。

 それがカシュラムの不死性の正体だった。


「歴史に直接楔を打ち込んで、カシュラム復活の可能性を根刮ぎ破壊する!」


「できると思うか、この『紫』――人類すべての『歴史』を超えて!」


 『夢』と『記憶』――二色の幻想が絡まり、オルヴァの絶大な呪力の根幹とも言える膨大な時空圧がサリアを襲う。

 夥しい量の呪力を前に、サリアは変わらぬ笑みを浮かべた。

 彼女は危地でこそ笑う。その先に最愛がいると信じているからだ。


「なら、歴史ごと人類を引き裂いてやる!」


(ギャハハハハ! 殺せ殺せぶっ殺せぇぇっ!! そうらこっからが本番よ、六王には六王、始祖喰らいカーティスのお出ましだあ!!)


 サリアの鎧が変形し、捕縛して影の中にある工場で加工していたカーティスの成れの果てが姿を現す。

 それは黒金。複数の銃身を回転させながら連続射撃を行う機関銃。

 人が保持して射撃することなど到底不可能。

 だが強化外骨格が与える出力はそれを可能に変える。

 片腕と一体化した『カーティス砲』を構えてサリアが叫んだ。


「私とコアの幸せな未来の邪魔になるなら、人類なんざ滅びろ!!」


 カーティスという名の銃身が高速で回転し、内包する無数のカーティスたちを射出していく。それは病であり災害であり死であり差別であり不吉であり恐怖を具現化する瘴気という名の闇の弾丸だった。


 カーティスは長い時の中で様々な存在を取り込み、自らの眷族と変えてきた。

 その全てが『死』となってオルヴァが展開する歴史を破綻させる。

 沢山の吸血鬼たちがある村落に流行病をもたらして。

 吸血鬼の貴族たちがある地域を支配下に置き。

 最も古き王たちがカシュラムを、人類史を蹂躙する。


 歴代のカシュラム王たちは【頭痛メグリム】のザッハークに苦しめられ、【黒死プレイグ】のカズキスによってカシュラムは近隣諸国もろとも滅びに瀕した。【毒花】がヘレゼクシュかぜを運んでくるとそれは東方諸国の歴史と文明に致命的な打撃を与え、半減した人口と共に多くの知識と技術が失われた。【悪疫ポックス】のブイオ・ガルッピによる破壊は生き延びた人々にも重い爪痕を残し、呪われた民として迫害された生存者は仮面を被ってひっそりと生きることを強いられた。


 カーティスが内包する破滅的な病魔の数々は、人類の歴史を破壊するだけの呪詛を蓄えていた。しかし反動でサリアの腕は一瞬で炭化していき、更にカーティス砲にも亀裂が入り始める。押さえ込んできた自分と同格の始祖たちを完全な状態で解放したため、カーティス自身がその力によって自壊しつつあるのだ。


 オルヴァとカーティスは互いが互いの天敵だった。ただし、カーティスが全力でオルヴァを倒そうと思えば、自らも滅びる覚悟が必要になる。

 紫色の呪力ごと削り殺されていくオルヴァは必死の形相で抵抗した。


「大量死でカシュラム発生を抑制すると? 傲慢な狂人がっ!!」


「乱数調整は得意なんだ――『混沌蝶流バタフライエフェクト』ッ!!」


 破滅の渦が、破滅に魅せられたカシュラム人すらも消し飛ばしていく。

 時空の狭間、歴史の断片が砕けて消える無限の闇で、二人は死の舞踏を踊る。

 速く、速く、もっと速く。

 死が紫色の歴史を砕き、カーティスがオルヴァを貫いて永劫の果てに放逐した。


 オルヴァが、カーティスが、死にながら人類を虐殺する狂人に殺意を向ける。

 『これ』は人の世にあってはならないものだ。

 森という異界の摂理を内側に飼う、死の申し子。

 この異世界人こそは冥府の太母を六王たちから奪う最悪の敵に他ならない。

 異界の悪魔は心底から愉快そうに嗤った。


「ママを取られて悔しいのか? ボクちゃんたちっ!」


(寝取られ王と幼女誘拐王はパパが恐いこわーい! てめえらがねんねしてる間にパパとママはファックしてんだよチンポ擦って寝てろクソガキどもが!)


 憎悪を蹴り飛ばしてサリアが世界を笑い飛ばす。

 無限の悪意が二人の王を引き裂いて、時空の狭間に追放した。

 サリアもまた無限の虚無へと落ちていく。

 時空の断裂は『竜』が勝手に直すだろう。それよりも、サリアは王たちが戻ってこないよう、念入りに叩きのめさなくてはならない。


 もう父親に反抗することが無いように――『ほう』を刻み込む。

 わがままな王様こどもたちを律することが出来るのは、かみの勅命だけであるからだ。

 ゼオーティアが遠ざかっていくのを感じる。

 それでもサリアの目に絶望は無かった。

 冬の魔女の傍。それが彼女の居場所。

 それ以外の未来など、彼女は見えていない。


「――まあ、第五階層は放置になっちゃうけど。リールエルバはあっちに移されてるだろうし、助けるのは黒百合に任せればいいか」


(ひゃは、つーか誰を助けに来たんだかわかんねーな! 六王シバいただけじゃねーかよ! まじつかえねーご主人様だぜ!)


「やかましい」


 虚空を漂いながら、サリアは激痛の中で思考を重ねる。

 並行して、カーティスの残骸を駆逐しながら、だ。


「アルマと一緒にラクルラールども締め上げたルートでは、戦乱によってトリアイナを誕生させるとかいう設定だった――問題は分岐で設定が書き換わる場合だ。第五階層にはアルマが向かってるだろうし、心配は無いと思うけど」


 仲間への信頼は揺るぎない。

 サリアにとって最も優先されるのはコルセスカだが、その次がアルマだった。

 何しろ付き合い自体はコルセスカよりずっと古い。

 二人が揃っていて乗り越えられない難局などそうそうあるものではない。

 始祖ゼール・コゼーヌとの戦いも、相棒である幼馴染みと引き離されて『何故かアルマと親しげにしているいけすかない女』と永劫の環に放り込まれたからこそ苦戦を強いられることになったのだ。


「ヴァージルじゃアルマに勝てないし、アルトやパーンの正攻法でも十分対応できる。マラードは試してないけど、あの感じだと一番楽そうだし大丈夫でしょう」


 自分の力が万能ではないことをサリアは良く知っている。

 様々なルートを周回して時空と運命の全てを知った気になっていても、自分が向かわなかった場合の展開を知るためにはその先の破局を経験する必要があった。

 つまり、完全な情報を知るまでに遅れがあるのだ。

 時にそれは致命傷に繋がる。


「あとはお願いね。終わったらちゃんと戻るから、一緒にコアを迎えに行こう」


 暢気にそんなことを呟いて、サリアは戦線から離脱した。

 オルヴァとカーティスを異次元の彼方へと道連れにして。




 スキリシアの地下で人類史を破壊する凄絶な戦いが繰り広げられたあと。

 遙かなアルセミットとジャッフハリムの狭間、世界槍の第五階層にて。

 『彼ら』はそれに気付いた。


「なんたることか、予言王がお隠れになったとは」


「全ての生あるものよ、呪われてあれ! ブレイスヴァの貪りから逃れることなどかの偉大なる王にすら叶わぬということだ!」


 嘆きとも喜びともつかぬ声。

 彼らは『サイバーカラテ道場』にアーカイブされた古流武術――ブレイスヴァカラテの伝承者たち。六王たちが第五階層を争乱の渦に巻き込んで以来、破竹の勢いでランキングを駆け上がっている手練れたちだった。


「だが我らは未だ大いなるブレイスヴァへの畏れに戸惑う修行者に過ぎぬ」


「王の知恵が必要だ。真に最果てを見据えることができる王の導きが」


「救い主を復活させねばならぬ」


「ならば駆け上がるか、きざはしを」


「序列が」「階段が」「階級が」「『地位』こそが」


「定められるべき地位があれば、オリーブ油オルヴァはそこに注がれる」


 サイバーカラテランキング。

 彼らは導きを求めてラダーを登っていく。

 強さを求めたその先に、虚無しか無いと知っていても。

 彼らは拳を交え、ブレイスヴァの口の中へと突き進むのだ。

 闘争が闘争を呼び、求道の果てに魂の階梯を駆け上がる。


 サイバーカラテは今やアストラルネットを通じて世界中に広がっている。

 地上の各地から、地獄の全土から、腕に覚えのある者が第五階層に集い始めていた。彼らはみな、一様にある人物の名を唱える。

 それは神格化された個人名。

 そこに至ることを目標として、ランキングの頂点を目指すのだ。

 久しく変動が無かったランキングが大きく塗り替えられる。

 外界から集った達人たちが上位に名を連ねては次の瞬間に敗北して消えていった。激しい競争の中、存在感を示した十二人がいた。

 彼らは口々にこう名乗った。


「我こそは賢王」「我こそは拳王」「我こそは未来王」


 発勁用意、と口にしながら。

 個人ではなく、称号として。

 偉人の再来として自らに名を付ける。


「我こそはカシュラムの王シナモリアキラ! 嗚呼! 大いなるブレイスヴァよ、畏れられてあれ!!」





 闇の中、次元の彼方。

 漂う『尊敬』の書がありとあらゆる出来事を書き連ねていく。

 その場にいる全ての者の心を綴り、大切に項の中に仕舞い込む。

 あまねく意思すべてを『私』として記述していく。

 無差別に自動的に、意思の全てが尊いと。


 心で溢れそうな『断章』は、永劫の闇の中で静かに項を増やし続けた。

 文字列は無尽蔵に無制限に増えて漆黒の塊へと変貌する。

 自然界に無限に存在する暗黒の泥という数列を掬い取り、名前という魔術を対応させて事象として分節化する。


 それは原初の混沌を翻訳して『魔』と呼ぶ行為。

 もっとも古いまじないにおいては、かつて全ては一つであり、一つは全てでもあったとされる。ことばがそれを切り裂き、世界を形作ったのだと。

 世界を説明すること。それは神話という視座。

 最古の神話を紡ぐものたちは、自らを言語魔術師と名付けた。

 魔という理を体現するかのごとく。

 『われわれ』もまた同じである。




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