4-133 死人の森の父②
「予定通り、疑似餌にかかったな」
闇の中、神殿の地下深く。
そこには広大な空間があった。ドーム状の半球、壁の奥はへこんで収納となっており、防腐処置をした遺体がその中に安置されている。
火葬が法で禁じられているドラトリアにおいて、蘇生能力の低い者たちが一時的に死亡状態となった際、体を預かっておく死体安置所。神殿の下に眠っているのは『加護』の力を高めて蘇生を促進させる為であり、各地の宗教施設の地下は納骨堂や地下墓所となっており、半ば病院の寝台として機能していた。
そんな場所に隠れ潜んでいたのは、当然と言うべきか吸血鬼たち。
集団の中心に立っている黒衣の内側から次々と影の触手が伸びていく。
平坦な漆黒の手足は長く虚空に伸びると黒衣の近くでぶちりと千切れ、蛇かナメクジのように独立して動き出した。
触手が厚みを増し、粘土をこねるようにして人の形へと変化していった。
燐光と熱が生まれ、影の人形は次第に色づいていく。
その数は十二。
「さあ目覚めの時だ、『
ドラトリア国内においても異端とされるカルト教団の教えは、きわめて古い形のマロゾロンド信仰を基盤としている。
彼らは自分たちの始祖とされる聖マローズを崇拝する祖霊崇拝者たちであり、同時に竜神信教系の分派でもあった。
かれらは世界そのものである紀竜の一体とマロゾロンドを同一視しており、その竜が司る摂理と一体化して自然のままに身を任せることを最高の美徳としている。
すなわち、天変地異、悪疫病魔、不作、戦争、虐殺、人心の荒廃、炎上、ネットバトル、なりすまし、ソーシャルエンジニアリング、情報漏洩、デマゴギー、サーバーダウン、マテリアル界とアストラル界の転倒――。
あるいは害虫、細菌、ウィルス、あわせて瘴気と呼ばれる悪しき空気。
人の世に災いをもたらす全てを聖なるものとして讃え、自然のままに死と絶望が蔓延することこそが神の望みであるとする教義。
人はありのままで生きて死ぬが定めとして、『杖』という摂理に反する悪魔崇拝者たちを憎み、徹底的に排斥する過激派集団。
文明は堕落。発展は邪悪。機械による統治など以ての外。
――都市全域に蔓延する『自分』たちが集めてきた情報によれば。
狂信者たちを率いる者の名を、ラリスキャニアといった。
聖マローズ教団の教主にしてマロゾロンドの霊媒。
出身は『影側の』ドラトリア首都、カーティスリーグ。
両親は片方が
遠縁ながら王家に連なる血統の生まれ――貴族である。ただし、当然リールエルバやセリアック=ニアらよりは家格は落ちる。
幼少より恵まれた環境で英才教育を受けてきた。
長じては遥か西方にある『星見の塔』に留学、世界最高最古の叡智に触れて呪術の秘奥を学んだ俊英。
望みさえすれば何不自由の無い人生を送ることも可能だったはずだ。
しかし、その声から迸るのは泥のように粘ついた鬱屈と強迫観念。
「ようやく、ようやくここまで来た。これでボクは、本物になれる。あいつ、あいつを蹴落として、今度こそボクが選ばれるんだ」
震える声、憎しみと嫉妬、そして溢れそうな期待と歓喜。
野望の達成を目前としているがゆえの緊張と興奮。
ラリスキャニアの黒衣の内側はうかがい知れないが、その感情を推し量ることはあまりにも容易い。
「ボクは『影の姫』では終わらない。リールエルバを追い落とし、真の王権を我が身に取り込めば、もう誰もボクを無視できない。ボクを彩石の魔獣にすら選ばなかった『塔』の馬鹿どもだって見返してやれる。リールエルバだけじゃない、あの忌々しいアズーリアも貪り尽くしてボクこそが呪文の候補に――いや、最後の女神になってやるんだ」
教主の前に並ぶ十二人の使徒たちに自らの劣等感と野蛮な大望を捲し立てるラリスキャニア。自らの創造主が感情を昂ぶらせることに応じて被造物たちも興奮し、賛意を示す。そのことに満足した教主はうなずき、十二人とは別に背後に控えていた教団員に問いかける。
「王を誘い出すことには成功した。ここからの詰めを誤らなければ完璧だ――おい、『あれ』の護送はもう終わったんだろうな」
「はっ。既に教団の各支部員は『扉』を経由して本命の隠匿と護衛に取り掛かっております。あとは『蝕』を待つだけです」
と、先ほどようやく支配下に置いた『自分』が答える。記憶を探ると、厳重に封鎖されていた。念の入ったことだと感心する。だからと言って見逃しはしないが。ともあれ居場所は見つかった。せっかく招待されていることだし、急いで馳せ参じることにしよう――と好戦的な『自分』たちが逸る。
「選定序盤でリールエルバに敗れたあと――ラクルラール先生に拾われなければ今のボクは無かった。ボクが成功すれば、先生も『塔』の愚かな長老たちを追い落として真の頂点に登りつめることができる」
ぶつぶつと呟くラリスキャニアの足元はがら空きだった。
続々と小さな鼠が集まっていることに気づきもしない。
ざわざわと暗がりが騒ぎ出し、影の下から無数の実体が出現しつつあるというのに、対処することすらできていなかった。
一斉に現れたカーティス、カーティス、カーティス。
それは偏在し、密集し、分散し、溢れ出して止まらない。
鼠の大群、蝙蝠の群れ、濃い霧、鼻をつく異臭、流れ落ちる血の雫。
夜の王による包囲網が完成する。
しかし。
「馬鹿め、かかったな! お前の腕の中にいるリールエルバはボクの触手が模倣した疑似餌だ! 『影』として育てられたボクの模倣は完璧――始祖王であっても見破ることはできなかったというわけだ!」
得意げに笑い、十二の触手が追従して嘲る。
敵陣の真ん中に誘い出されたカーティスたちは平然とそれを眺めていた。
その中の一人であるリールエルバ、かつてラリスキャニアの一部であったものがつまらなさそうに口を開く。実際、彼女は退屈を感じている。
「どちらでもいいじゃないか。そんなことは」
「何?」
そこでようやく、ラリスキャニアは目の前の『端末』が自らの制御を離れていることに気付いた。
リールエルバに続いて、彼女の信奉者たちが口々に言葉を連ねる。
「真似を本物と区別しない」「それが私たちの流儀」「クローンでも」「疑似餌でも」「演じられた役でも」「リールエルバであることに変わりはないよ」「どの彼女も尊重してやりたい」「
総体としてのカーティスは、どうやら大量の信奉者とリールエルバを人格ごと複製した疑似餌を取り込んだことにより、すっかりリールエルバのファンになってしまったらしい。
孫を溺愛する祖父母の気持ちというのは、こういうものなのだろう。
「君を倒して」「リールエルバを助ける」「それで全てが恙なく終わる」
平坦な口調で言ってから、影を伸ばしていく。
工夫は要らない。攻撃は単純でいい。
こちらには、圧倒的な数の力があるのだから。
「そ、そんな――まさかここまで力の差があるなんて」
震える声でへたり込む哀れなラリスキャニア。背後で操っていた者から正確な情報を与えられていなかったのだろう。無論、カーティスについて真に正しいと言える知識などあったためしはないのだが。
無数の影が生贄の鼠に殺到する。
ラリスキャニアは
絶望の悲鳴が響く。
「こ、ここで終わり――? ここが終点、ここがボクの終端、馬鹿な、ヴァカな、ヴぁッ、ヴぁヴァあヴぁあああああ――嗚呼、見よ、天頂の月に陰りあり! あれなるはこの世の終焉、万象を貪り尽くすブレイスヴァに他ならぬ!」
フードの内側で紫色の十字が輝いたかと思うと、目に見えない『何か』がカーティスの触手を上下から強引に挟み、千切り潰した。
まるで巨大な顎だ。
錯乱してわけのわからぬことを喚き始めたラリスキャニア。
闇色の衣が清廉な白に染まり、紫色のオーラが周囲一帯に漂い始める。
夜の民であったはずのラリスキャニアは「呪われよ、おおブレイスヴァ!」と叫んで獣が口を開くかのような構えをとった。
左手を上に、右手を下に構え、広げた五指は牙の如し。
前後に開いた足は左側が前で右側が後ろ。
柔らかく屈曲した膝の下、体重はおよそ七対三で後ろ脚にかかり気味。
膝のばねに蓄えた力を解放すれば踏み込み一歩で絶大な掌力を生み、受けに回れば鉤手が相手の突きを掴んで手痛い反撃をお見舞いできるというわけだ。
一歩の踏み込みからは神速の突き、十字手からは必倒の返し。
カーティスという総体は、それをよく知っていた。
『彼』が今更なにをしようと不思議では無いが――。
それでも少しばかりの驚きがある。
「こんな所にまで現れるとは。裏で糸を引いているラクルラールとやらは、ここで
異界と未来から伝来し過去の術理と融合を果たし、奇形の進化を遂げたカシュラムの古流武術ブレイスヴァカラテ。そのルーツはカシュラムの古武術とサイバーカラテ道場のデータベースに蓄積されていた形意拳と呼ばれる武術まで遡れるという。同じものから違う成果を得ていたカーティスはそれを知っていた。
「陽が翳り、月が大顎に追いつかれ、万雷の拍手と共に再演の幕が引かれていく――かくして未来と過去は消え去った、おおブレイスヴァよ恐れられてあれ!」
復活したオルヴァが十字の瞳で見るのは破滅の未来。
具現化した終末の光景――それすら貪り尽くす圧倒的な虚無が全てを飲み込んでいく。カーティスという群れも例外なく掻き消されていった。
それだけではない。
ラリスキャニアだったものが従えていた十二人。
彼らもまた身体のどこかにカシュラム十字の紋章を浮かび上がらせて、オルヴァには及ばないまでも圧倒的な力を振るい始めたのだった。
すなわち、時空を操る灰と紫の力を。
「聖マローズ教団とカシュラム人の共通点――広義の終末思想か」
人種としては夜の民でも、終末思想に近付けばカシュラム人となる。信仰は種族や民族よりも強く存在を規定するのだ。
カーティスは自分が次々と喰われていくのを見ながら冷静に分析を行った。
危機感が欠如しているのか、それともこの程度はまだ危機と呼べないのか。
影占いという古呪術で時空に干渉できるのはカーティスも同様だ。
オルヴァに対抗する術を持たないというわけではない――しかし。
圧倒的であったはずの趨勢が一気に塗り替えられていった。
オルヴァたちが加速して、少数精鋭が大軍を翻弄する。
寡兵で大軍に抗するにはどうすればよいか。
答えは単純で、数で上回ればいい。戦いは数だ。当然の帰結である。
そのためには交戦の瞬間のみ数と練度で上回ることが必要になってくる。
用兵の速度、地形の把握、罠や伏兵などの謀略。様々な工夫が必要となるが――オルヴァには圧倒的な優位性があるためにそれらが不要だった。
すなわち、先を見通す目と時を操る力である。
カーティスたちは影占いによる疑似的な時間操作を試みるが間に合わない。
生と死の女神を除けば六王で最も時空に干渉するまじないを得意としているのがオルヴァだ。カーティスにも幾らかの心得はあったが、大賢者とまで呼ばれた男には及ぶべくもない。
部隊を展開して包囲するよりも速く攻撃が大軍を食い荒らす。
外界を減速、自己を加速させることで事実上の時間停止を実現して攻め立てるオルヴァに、多さだけで攻めていたカーティスは次第に追い込まれていった。
強大な六王にもそれぞれ相性がある。
カーティスにとっての天敵がオルヴァなのだった。
時間と空間を貪る猛攻がカーティスの総数を見る間に減らしていき、遂に最後の一人となった。リールエルバの姿をしたカーティスに十二使徒の魔の手が迫る。
突き込まれた神速の掌底、少女の顔に過ぎる絶望、物質的事実だけを考えれば既にラリスキャニアだけになっている戦場。
瞬間がゆっくりと流れ、圧倒的な終端がカーティスに訪れようとした瞬間。
時空の彼方より飛来した氷の矢が、光よりも速く使徒の腕を貫いた。
そして、闇の奥から現れたのは一人の女。
山野にでも出かける時のような出で立ちの、氷の弓を携えた狩人だ。
停滞した時の中で平然と動きながら口を開く。
「とりあえず七回試したけど。うん、やっぱ最速で駆けつければこのタイミングで割り込んで面倒なカシュラムを処理できる。ラリスキャニア経由で取り込まれたカーティスからのブレイスヴァとマロゾロンドの同時降臨はもうやりたくないし、このルートでいいな」
背後には時計を抱えた半透明の蝿。
カーティスとオルヴァは同時に目を見開いた。
――『彼女』の気紛れな未来語りで耳にしたことがある。
女王を過去に転生させ、死人の森が誕生する直接の切っ掛けを作りだした女。
たしか名前は、
「サリア。はじめまして。パターン化してあるから足掻いても無駄だけど、せいぜいなんか珍しい断末魔台詞とか捻り出して死ね」
やる気のない宣名の直後、使徒の手首が吹き飛んだ。
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