4-131 番外編:『チョコレートリリーのスイーツ事件簿Season2 Case.14 アズチョコに挑め!』




「ハルベルト! 大変、アズーリアが大変なことに――!」


 息せき切ってメイファーラがハルベルトの部屋に駆け込んできたのは、とある昼下がりのことだった。

 その日、ハルベルトは優雅に深緑色のロクゼン茶を飲みつつ大きなリクライニングチェアに身を預け、頭の中で弟子のための指導プランを組み立てながら手元の端末で二月後に迫った言語魔術師試験の予想問題の作成を行っていた。終わったら第五階層でのライブに向けて少しずつ準備を進めていかなければならない。やることは山のようにある。けれどそれが仲間たちとの賑やかな道行きであるのなら、忙しさは充実に変わるだろう。


 今はもう一人きりで駆け抜けてきた頃とは違う。

 何より、いつも傍に手のかかる姉妹のような弟子がいてくれる。

 そのことを思うとハルベルトの心はうきうきと弾んで、故郷の低重力区画で遊んでいた頃のように飛び跳ねたくなってしまうのだった。


 そんな時、よりにもよって愛弟子の異変が耳に飛び込んできた。

 ハルベルトは勢い良く立ち上がろうとして、熱いロクゼン茶を膝の上に落っことした。火傷こそ免れたがびっくりあたふたしてしまい、ティーカップを割ってしまう。ハルベルトは短く唸った。今日はいつものフードは後ろに倒しているので、外に露出しているウサギのふわふわ垂れ耳が思い切り持ち上がってしまう。


「わわ、ハルさん?!」


 メイファーラが心配そうに覗き込んでくる。頭の片側で高く結んだ髪房が微かに揺れた。今日はオフなのか胸当てのある吊りスカート――いわゆるサロペットスカートにボーダー柄のシャツ、レギンスにブーツという服装だった。

 活動的なスタイルにちょっとだけ思うところがあるハルベルトは思わず口をへの字に曲げてしまう(訳注:『への字』は日本語の『へ』に類似したジャッフハリム文字の無声歯摩擦音θと置き換えている)。


「だいじょうぶ?」


 全然まったく大丈夫ではなかったが、唇を噛んで我慢。

 メイファーラに差し出されたハンカチで膝を拭き、使い魔を呼び出して床の掃除と後片付けを命じると、目の端を袖で拭って言った。


「こんなの、何でもない。それよりアズがどうしたの」


「う、えっと。なんて説明したらいいか――とにかくこっちに来て!」


 メイファーラに手を引かれ、ハルベルトは遅れがちになりながらも必死に走った。ばたばたした走りはお世辞にも綺麗なフォームとは言えず、典型的な運動音痴であることを全力で主張している。そんなみっともなさが少しばかり恥ずかしい。メイファーラが軽やかに駆けていくのを後ろで見ていると、なおさらだった。


 ハルベルトもメイファーラも智神の盾――『星見の塔』が『松明の騎士団』の内部に作った研究機関――が有する宿舎で寝泊まりしているが、それとは別に『チョコレートリリー』名義で借りている大きな部屋も彼女たちの拠点である。

 修道騎士が訓練合宿に使う宿舎は広々としており、集団が集まるには丁度良い。

 今日は確か、ティリビナ人やドラトリア系夜の民たちが住む特別自治区へ慰問に訪れていたリールエルバとセリアック=ニアが、プリエステラと今後の方針について話し合うとか言っていた。アズーリアやリーナたちも集まってきていたはず。

 ミルーニャは仕事中だろうが、アズーリアに何かあったとすればすぐにでも駆けつけてくるに違いない。


「いや、もしかしてミルーニャが変な薬をアズに――」


「今回はそのパターンじゃないから!」


 疑惑をメイファーラが否定する。

 やがて二人は『チョコレートリリー御一行様』と表示された水晶板が立てかけられた門を通りすぎ、白亜の建物に入っていく。廊下を抜けて広々とした食堂へ。

 そして、ハルベルトはそれを目撃した――してしまった。


「アズーリアが、アズーリアが――」


 悲痛な嘆きが響く。

 大きな魔女帽子を被った賑やか娘リーナが両手で顔を覆い、アイボリーのワンピースが軽やかな聖姫セリアック=ニアが蹲って震えている。

 森の呪術医プリエステラが必死になって治療を試みているが、何の成果も上がっていない。霊体のリールエルバがふわふわと浮遊しながら溜息を吐くそぶりをする。ミルーニャは未だ到着していないようだ。ハルベルトは呆然と立ち尽くした。

 変わり果ててしまった、アズーリア『だったもの』を目の当たりにして。

 メイファーラが目の端に涙を浮かべる。


「チョコが好き過ぎてチョコになっちゃったよー」


「何がどうなったらそんな馬鹿なことが起きるの?!」


 ハルベルトの全力の叫びが虚しく響き渡った。

 キッチンとひと繋がりになった食堂には、等身大チョコレートと化したアズーリアが『どん』とばかりに鎮座していた。




 その場にいた面々から経緯を聞いたところ、どうやらセリアック=ニアがアズーリアのチョコを受け取らなかったことが全ての発端らしい。なんだそれは。

 しばらく前、リーナが第五階層から持ち込んだ『おこた』なる文明の利器はチョコレートリリーに衝撃をもたらした。中でも『おこたぬくぬく目おこたから出たくない科のいきもの』へと変身を遂げたアズーリアは文字通り四六時中おこたの中から出ようとせず、『鈍足の異名を持ち赤外線を自在に操る怠惰なる修道騎士』と呼ばれるまでになっていた。任務や訓練時までおこた亀状態で活動していたのはどうかしていたとしか思えない。だがその硬さから立派にメイン盾を勤め上げ、周囲の評判は上々だった。


 おこたの起源は『猫の国』にあるとされる。

 例によって新しいもの好きなトリシューラの仕業であった。

 おこたの開発と広報にも関わったトリシューラの『ル・コルシをコルシにかけてブラセロとサンダリ』などといった意味不明な発言が話題を呼び、地上でもそこそこのヒット商品となったのは記憶に新しい。


 彼女が持ち込んだのは道具だけではない。それに関連した文化もだった。なんでも、おこたに入りながらみかん、つまりオレンジを食べるのが『通』なんだとか。

 商売の匂いを嗅ぎつけた製菓業界は『おこたで食べたい今冬のおすすめスイーツ』と銘打って数々のオレンジスイーツを発表。

 百万都市エルネトモランでもオレンジ旋風が吹き荒れ、お菓子大好きな夜の民たちは狂喜乱舞した。アズーリアも例外ではない。


 昨晩、アズーリアは訓練の帰りに有名店で予約していたオレンジピールチョコレートを受け取って帰宅したという。うきうき気分で共同スペースに設置されたおこたに向かい、ぬくぬくしながら甘いものを味わおうとしていた。

 しかしそこには思わぬ先客。連日の外遊訪問で疲れきったセリアック=ニアが、おこたの中で丸くなっていたのである。じつは彼女もまたおこたに興味津々だったのだが、アズーリアと馴れあうことを嫌って興味の無いふりをしていたのだ。


 ある時、セリアック=ニアは親しいリーナとの語らいを求めて待ち合わせ場所にやってくる。するとそこには魅惑のおこたが。しかもアズーリア不在。疲労も重なり、ついふらふらと引き寄せられてしまったのだろう。

 恐るべしおこたの魔力。

 セリアック=ニアは気持ちよさそうな表情で微睡んでいたが、アズーリアの到来を知ってその場を離れようとした。あわてたのはアズーリアだ。常々セリアック=ニアと仲良くなりたいと思っていたアズーリアにとってこれはまたとない好機。逃してなるものかと餌付けを試みた。


 楽しみにしていたオレンジピールチョコレート。

 オレンジの皮の砂糖漬けを、更に果実酒と砂糖に漬け込んで、ほんのりビターなチョコレートでコーティングした至高の一品。

 セリアック=ニアにプレゼントすればきっと喜んでくれるはず。

 これをきっかけに仲良くなれたらいいなと、そんな気持ちで手渡したのだろう。

 しかしアズーリアは知らなかった。オレンジは世にも稀な『猫の取り換え子チェンジリング』にとって毒なのだ。しかしそんなことをこの猫不在のゼオーティア世界で知っている者などごく少数。更に言えば、同じく毒であるはずのチョコレートは何故か平気で食べられるセリアック=ニアである。黒百合時代に皆と一緒に美味しそうにぱくついていたので、猫より人の性質の方が強いのだと思われる。オレンジだけを嫌がるのは実はただの好き嫌いではという疑惑もあるので、ここでアズーリアを責めるのは酷というものだろう。

 ともあれセリアック=ニアは激烈な反応を示した。


「にあーっ!」


 とばかりに拒絶され、おまけに勢いよく払いのけられたものだからチョコレートの包みは放物線を描いてあさっての方向へ。運の悪いことに落ちた場所は入口近くで、それと知らずにやってきたプリエステラがばきりと踏みつけてしまう。悲鳴、ばつの悪そうな表情、謝罪、それはそれとして砕けたチョコを食べるアズーリアという一幕のあと、その晩はなんとなく気まずいまま解散となった。

 しかしあくる日の朝。


「やっぱりきれいなチョコをるんるんで食べたかったよ~もしくはみんなと分け合ってわいわいしたかった~チョコーチョコーチョコ欲しいよー」


「チョコが食べたいよ~正確にはチョコを食べまくって幸せになってる人の顔が見たい~あびゃ~」


「チョ、チョコチョコチョコ、チョココ? チョッコレート! チョチョーコ!」


 と不満たらたらなアズーリアは朝食後のデザートににプリエステラが謝罪として持ってきたオレンジチョコムースをぺろりと平らげて「すごく幸せだよエストありがとー」と言ったあともそれはそれこれはこれと愚痴ぐち文句を垂れ続けた。

 そのぐちぐちは呪詛めいた詠唱へと発展し、昼過ぎに臨界点に到達。 


「世界が私へのチョコを否定するというのなら――私がチョコになる」


 こうして、残酷な世界の摂理システムに抗うことを決めた英雄はチョコレートに化身、チョ虚無である現世を救済せんとその身を捧げたのであった――。


「ばかなの?」


「うん、おハルさんがそう言うのはよくわかるよ」


 何故か安定しないメイファーラからハルベルトへの呼称である。

 流石に今回はフォロー不可能だよーとメイファーラが本気の呆れと困惑を滲ませながら言った。ハルベルトは頭を抱える。良く見れば原因と言えなくもないセリアック=ニアが震えているのは笑いを堪えているからだった。リーナは顔を押さえていないと笑いすぎで頬が痙攣してしまいそうらしい。責めることはできない。正直聞いている途中でハルベルトも吹き出しかけた。


「まず、夜チョコって時点でどうかしてるよね! それで大丈夫なのか十六歳!」


「まあアズさんかなり常人ばなれしてるし夜の民だし」


 リーナがよくわからない指摘をすると、メイファーラがやはりどこかピントのずれた答えを返す。


「うう、ごめんねアズーリア。私がチョコ踏んじゃったせいで」


「いや、エストがどうとかいう問題ではなくて――」


 落ち込みそうになっているプリエステラを慰めつつ、ハルベルトはどうしたものかと頭を悩ませた。すると半透明のリールエルバがセリアック=ニアに耳打ちして、猫耳の姫君が代弁した。


「『そういえば、さっき連絡したらミルーニャに何か考えがあるって』と姉様はおっしゃっています。セリアも待てばいいと思います」


 ちょうど噂をしていたタイミングで、愛用のオーバーオールと眼鏡もよれよれな状態のミルーニャがやって来た。

 しかも、なにやら大きな荷物を抱えている。

 布製の包みを解くと、中から現れたのは、


「万能細胞クローンで代わりの肉体を起動してみましたけど駄目でしたー! どうしましょう、アズーリア様ー!」


 わりと本気で涙目のミルーニャ。彼女の前には等身大アズーリアチョコが鎮座していた。食堂にはこれでアズーリアチョコが二つ。


「――増えた」


 なにこれ、と呟く。

 ミルーニャは眼鏡の奥で瞳を潤ませながら、


「こんなこともあろうかと、昔解析して培養させていた私の万能細胞にアズーリア様の疑似細菌と摸倣子パターンを組み込んで、肉体のクローンを用意しておいたんですよ。これなら『再召喚』した時に強靱な物理実体を得られるでしょう?」


 と一気に説明台詞を捲し立てた。

 何故か若干のいいわけがましさを感じたハルベルトだったが、理由まではわからない。リーナがそれを聞いて得心がいったというように呟く。


「あーそっか、先輩のあれ、勝手に子供でも作ろうとしてんのかと思った」


「そんなことしませんよ! 私を何だと思ってたんですか!」


「でも無断使用じゃん?」


「それはその、失敗したら恥ずかしいですし」


 ハルベルトにはよく分からない羞恥心だった。

 首を傾げつつ、とにかくミルーニャの方法が失敗に終わったことを知る。

 冷静な視線でチョコを見据え、チョコ化現象を分析する。


「別の肉体を用意してもチョコ化する。つまりばかアズの意思と霊体、そして魂が存在レベルでチョコ化を求めているということ」


「『まさか、左手の『フィリス』でアカシックレコードにアクセスして自らの存在をチョコに改竄し続けているとでもいうの?』と姉様は驚愕しています。セリアも正直どん引き――いえびっくりです」


 霊体の姫と猫耳の姫が揃って目を丸くしていた。高度な才能と技術、そしてたぐいまれな意思力がなせる奇跡だった。リソースの無駄遣いにも程がある。

 ふと視線を宙にやると、リーナが端末を弄ってSNSで拡散していた。


「『友達がチョコ化したから復活試したらそっちもチョコ化したよ~どうしよ~』っと送信」


「何やってんですかお馬鹿リーナ!」


 ミルーニャがふわふわとお気楽なリーナをひっぱたくが、現状笑い飛ばすくらいしか適切な対処方法が無いのも事実だった。

 そうこうしているうちに噂を聞きつけた部外者がやってきた。

 今日はオフなのかカジュアルなブラウスに七分丈のタイトなパンツという姿のサリアと、あかね色のジャケットが凛々しいアルマの二人組だ。


「鹿鍋にでもすればびっくりして元に戻るんじゃないの。アズーリアはここで死ぬようなコじゃないし、ものは試しで。本当においしくないのか確かめてやる」


「駄目だよサリアちゃん! 仲間を荒っぽく扱われるチョコレートリリーのみんながかわいそうだよ! あとそれお鍋っていうかほぼチョコレートフォンデュ!」


 完全に面白がっているノリだった。

 普通に考えればアズーリアの危機なのだが、絵面が面白すぎるせいでどうにも緊張感が無い。そしてミルーニャがサリアの発言に天啓を受けたかの如く背筋を伸ばし、素早くチョコに身を寄せて舌を出した。

 ハルベルトは仮想使い魔を召喚、ミルーニャの動きを妨害する。


「断固阻止。アズをぺろぺろすることは許さない」


「ちょっとぉ、邪魔しないで下さいよ! 私はアズーリア様をぺろぺろしてチョコで凝り固まった心をあまーく溶かしてあげるんです。これは救命行為!」


 ハルベルトとミルーニャがいつものようにぎゃあぎゃあと喧嘩を始める。

 プリエステラがエスカレートしそうになる対立を間に入って止めていると、またしても新しい人物がやってきた。

 いつの間にか姿を消していたメイファーラが連れてきたのは明らかに手入れ不足でぼさぼさなのにきめ細やかなショートヘアと鋭利な美貌を眼鏡で飾った白衣の女性。徹夜明けなのか隈のできた目でじろりとその場にいる一同を睨む。


「いったいこれは何の騒ぎだ?」


「ラーゼフせんせを連れてきたよ!」


 『智神の盾』が誇る頭脳、ラーゼフ・ピュクシス。アズーリアの装備だけでなく本人のメディカルチェックなどもこなす彼女は、いわばアズーリアのことを知り尽くした主治医のようなものだ。もしかすると打開策が得られるかもしれない。

 しかしそれにミルーニャが難色を示した。


「えぇ、ピュクシスの助けなんていりませんよ。やっぱり私がぺろぺろして――」


「だからやらせない。どうしてもその行為が必要なら、その――仕方無いからハルがするから。弟子の不始末だし、誰かにやらせるわけにはいかない」


「あーあーあーまたそれですか、ほんっと便利ですよねーはいはい師弟だから師弟だからー! それで? 次は? 使い魔と主人だから? 私はそういう言い訳とか無いですから! もう純粋直球勝負ですからね! このヘタレ!」


 放っておくとすぐに喧嘩を始める二人に、流石のラーゼフも呆れ顔だった。

 「で、どうする?」と横目でメイファーラに問いかけると、「とりあえず黙ってやっちゃえばいいんじゃないかなあ」と答えが返り、騒がしい二人を除いて周囲の了解が得られた。ラーゼフは面倒くさそうにアズーリアチョコに専用の端末をかざして分析を開始する。


「んー」


「どうですか、せんせ」


 やや長い沈黙が続いた。耐えかねたようにメイファーラが声をかけると、ラーゼフは眼鏡を押さえながら答えた。


「『ラーゼフ』じゃいまいちわからんな。いちおう生物の専門家だし――過去の偉人でチョコで有名な専門家なんていたかな」


「えっと、竜王国の建国百周年を祝ってアルト王にチョコレート菓子を献上した人ならどうかなー。飽食の街グルットニュの伝説の菓子職人ウルチオっていう人」


「ほー。そんなのがいるのか。じゃあそれにしよう」


 ラーゼフとメイファーラがよくわからないやり取りをするのを、ハルベルトはミルーニャに頬を引っ張られながらじっと見ていた。

 メイファーラの言っていた伝説の菓子職人の話は前にアズーリアが熱心に話してくれたので覚えている。だが、その名前は『大断絶』の混乱による文献散逸のせいで不明なのだとも言っていた。

 

「ん、どうしましたハルベルト。トリシル二号とお気楽トカゲが何か?」


「べつに、何でもない。さっさとその指をどかして。痛い」


 ハルベルトとミルーニャのやり取りは背景として忘れ去られ、場の主役はすっかりラーゼフになっていた。彼女は眼鏡を外すと、瞳から淡い白色の光を発して透き通るような呪力を纏う。そして静かに呪文を唱えた。


「号は無色、性は災厄、紀源は希望、名は『ウルチオ』――フレーム制限。最適な未来を測定する」


 機械的に宣名を行い、身に纏う呪力の性質を変化させて何らかの目に見えない呪術を行使する。ハルベルトは彼女を名前で認識しようとして失敗した。あれは『ピュクシス』だが、もはや『ラーゼフ』ではない。既に名乗ったとおり『ウルチオ』という人物になってしまっている。


「あれえ? なにあれ、まことの名を変えたの? ていうかできるの、そういうことって? そもそもラーゼフとかウルチオって男性名じゃん?」


 リーナが顔いっぱいに疑問符を浮かべる。

 ミルーニャはふんと鼻を鳴らして答えた。


「あれがトリシル二号の機能ですよ。男の色に染まるのが得意な『ピュクシス』。男性的英雄の視座で思考の範囲を限定して、偏った視点からの高精度な未来予測を行えるっていうよくわかんないコンセプトの人工姉妹です」


 毒を含んだ表現だったが、俗な理解で言えばそういうことになる。

 普通、人の本質をあらわす『まことの名』を変えることはできない。

 確かに複数の名を持つ者も偽名を使う者もいる。

 だが服のように付けたり外したりするのは不可能だ。

 したとしても、その名前が呪力を持つことは無い。


 ピュクシスはそれを可能とする。

 兵器開発の時はグレンデルヒ。

 義肢作成時はパーン。

 生物の身体をいじるときはラーゼフ。

 歴史上に登場する様々な『杖』の呪術師を参照してその性質を引き出せるというのは非常に有用な異能であり、それゆえに『星見の塔』では重用されていた。


 ウルチオ・ピュクシスはしばらくの間アズーリアチョコの周囲をぐるぐる回って唸っていたが、やがて結論が出たのかくるりと振り返って一同を見渡した。「宇宙の真理、ゆるふわお菓子のレシピ、その全ての答えが分かったぞ」などという戯言が聞こえたが、全員が無視。ピュクシスはちょっと寂しそうな表情になって、それから気を取り直したように分析結果を口にした。


「アズーリアがチョコ化しているのは、チョコ生命が飢えにさらされたからに他ならないチョコ。魂の危機が生存欲求を高めた結果、チョコ生存本能がチョコ化を選択したというわけだチョコ」


「つまり、アズは死にそうな心を守るためにチョコ化を選択した――?」


 ハルベルトはピュクシスのうけ狙い語尾を無視した。この期に及んで脇役の下らないキャラ付けアピールになど付き合っていられないのだ。クールなキャラのままでいけばそれなりのキャラ格は維持できたというのに、無理に裏設定を表に出して活躍しようとするからこんな微妙な空気になる。ピュクシスはやっちゃった感を極力顔に出さないようにしつつどうにか言葉を繋いだ。


「そうだ。アズーリアはまだ生きることを諦めていない」


 『そんな馬鹿な』と思う気持ちと、『あの子はまだ諦めていない』と喜ぶ気持ちがないまぜになってどんな顔をするべきか決めかねるハルベルトだった。どうやら他の皆も同じ気持ちのようだ。ピュクシスが厳かに宣言した。


「最適な未来は一つだ。アズーリアの心が求める素晴らしいチョコを作って与えること。それのみがこのチョコバカ、いやバカチョコを飢餓の牢獄から解き放つ」


「そっかー。アズチョコ、そんなにチョコが欲しかったのかー」


 リーナが腕組みしながらしみじみ言う。

 場の空気が弛緩する中、ハルベルトは決然とアズーリアチョコを見据える。


「待ってて。今、ハルが最高のチョコレートを作ってあげるから」


「ハルたち、でしょ」


 いつの間にか傍らに来ていたプリエステラが頼もしい表情で声をかけてくる。

 ミルーニャも「仕方無いですね」などと言いつつやる気を見せているし、その他の面々も手伝ってくれる様子だった。


「おっしゃー! みんなでチョコレート作りだー!」


 リーナが腕を振り上げると、おー! と力強い声が唱和する。

 謎の団結力が場の空気を盛り上げていった。

 ハルベルトはアズーリアチョコが混ざりたそうにぴくりと動いたのを見たような気がしたが、等身大チョコは何事も無かったかのように動かないままだった。

 具合の良いことに、ここにミルーニャが持ってきた等身大チョコが置いてある。

 湯煎で溶かせば、材料には困らないだろう。




 チョコレートと一口に言っても色々な種類があるように、作り方にも人の数だけ個性が出る。早速製菓用の道具やら材料やらを買い込んできた一同はめいめい好き勝手に色々なお菓子を作ったりふざけたり味見と称して食べ比べをしたり――団結とは何か、チームとは、みたいなことを考えたくなる光景が繰り広げられた。

 何だかんだ言って、実はわりと個人主義者の集まりである。

 そんなわけで集まるとトラブルも絶えない。


「あーっ、先輩なに入れてんの! やばいよそれはヒくよ!」


 リーナが騒ぎ出すと、「またリーナか」「またミルーニャか」「またあの姉妹か」みたいな視線が集中する。案の定、キッチンの隅で市販品チョコを溶かしていたミルーニャの指先に、なにやら『細いもの』が。鍋の水を沸騰させたあと弱火にしてチョコの入った一回り小さな鍋を入れるという単純な工程でどうしたらトラブルを発生させられるのか、その答えがそこにある。


「えー、さすがにそれはないよー」


「ミルーニャちゃん、髪の毛は、幾ら何でも、ね?」


 メイファーラとプリエステラという常識人組が軽く青ざめていた。

 リールエルバはひそひそとセリアック=ニアに耳打ちをして、聖姫は神妙な表情で頷いている。サリアは「まだまだ子供ね」みたいな上から目線だが、アルマはそんな相方を「サリアちゃんがそれ言う?」と呆れたように眺めていた。


「お前、そんなネジ割れ人形ナッツクラッカーみたいな」


 ピュクシスまでもが冷や汗をかいていた。

 ミルーニャは必死になって抗弁を試みた。


「ちょっ、トリシル八号の変態と一緒にしないで下さい! 知ってますかあいつ一時期は毎月自分の分泌霊液を混ぜたクッキーをトリシューラに贈ってたんですよ、真正ですよ! それに比べれば私なんてかわいいものじゃないですかー!」


 くせのある毛を摘んだまま、ぶんぶんと手を振り回す。

 周りでお菓子を作っていた仲間たちが一斉にミルーニャから距離を置いた。


「いや、え、ちょっ。だって感染呪術的には正しくないですか? 切り離された自分の一部を食べ物に入れるの、基本ですよ? 私ってば呪術師として一切の間違いを犯してませんよね?」


「人として間違ってるよ、先輩――」


 なおもぎゃあぎゃあと騒ぐミルーニャを見ながら、ハルベルトは自らの見事な黒髪に伸ばしていた指先を引っ込め、ゴムを取りだして後ろで縛った。三角巾を巻いて、「最初から髪をまとめようとしていました」という澄まし顔を作る。

 沈黙は時に黄金よりも尊い。犠牲となったミルーニャに心の中で追悼の念を捧げるハルベルトであった。


 一方、和やかにパウンドケーキを焼いているのはプリエステラとメイファーラ。お揃いのエプロンを着けているのはつい先日一緒に買いに行ったからだとか。

 彼女たちは「きっとアズーリアはオレンジピールを使ったチョコが欲しいだろう」と考え、小麦粉にオレンジピール、メレンゲ、ココアパウダーなどを混ぜたものを型に入れてガトーショコラを作ろうとしていた。

 オーブンに入れたケーキが焼き上がるのを和やかに談笑しながら待つ二人。

 プリエステラは上に乗せるのは茴香芹セルフィーユ留蘭香スペアミントのどちらがいいかを悩んでいたが、いいことを思いついたとばかりに立ち上がってハルベルトの所に向かう。


「いいの?」


「うん、こういうの、洒落がきいてて素敵でしょう」


 ゼオーティア教圏においては槍薄荷とも呼ばれる聖なるハーブは、お茶や菓子に添えて用いる定番の品だ。名前の由来からしてハルベルトにぴったりだろう。プリエステラはそう考えたのだ。


「あ、ありがとう」


「ううん。頑張ってアズーリアを元に戻しましょうね」


 明るい笑顔。ハルベルトの表情も少し柔らかくなる。プリエステラにはこういった周囲の心を温かくさせるような雰囲気がある。気遣いが身に滲みて、ハルベルトは自分の作業により一層身を入れた。


 そうして、そろそろ日も落ちそうな時間帯になり、それぞれの作業が一通り終了した。最後まで残っていたのはミルーニャで、最初から『普通のやり方で』やり直していた結果として遅れてしまったらしい。


「――普通?」 


 ハルベルトたちは首を傾げた。

 何故かミルーニャは錬金術で使うような大きな釜を持ち込んで、煮え立った謎霊液をぐるぐるとかき混ぜていたのである。製菓とは。


「ふふふふふ、オレンジの大いなる業を見せてご覧にいれましょう! これこそは錬金術の秘奥、白い繊維質アルベドから橙の外果皮フラベドを経て赤いハートルベドへと至る魂の黄金錬成! 隠し味はぁ、ミルーニャのあ、い、じょ、う! みたいなー♪ きゃーん、アズーリア様ぁー!」


 完全にキマっている口調と目付きで一心不乱に錬金術に没頭するミルーニャ。

 直後、当たり前のように大釜が爆発した。予定調和である。

 黒煙の中からよろよろと這い出してくるミルーニャ。

 しかしその手には、燦然と輝くハート型チョコレートが!


「ふ、ふふ。やり遂げましたよ――リーナ、これを。どうか、アズーリア様に、渡して――がくっ」


 自分で「がくっ」と口にして気絶するミルーニャ。

 リーナはチョコレートを受け取って涙ながらに叫んだ。


「せんぱ――おねえちゃーん!」


 うわーんとマジ泣きしてしまう。

 大げさな、とハルベルトは思ったが、理由はミルーニャが倒れたからではなかった。リーナはチョコを嫌そうに持ちながら手放せずに困り果てている。


「こんなグロい心臓ハート型のチョコ、どうすんのさー! しかもなんか脈打ってる、鼓動を感じるよ! これマジに機能するんじゃないの?!」


「あ、本当だー。カフェモカを送り出してる。ここをひねると蛇口から出て来るの? 結構良くない?」


 メイファーラがわりと平然と心臓チョコを受け取った。意外にも好評な様子。

 ピュクシスは何かに気付いてはっと息を呑んだ。


「そうか――あいつ、我々全員が失敗した時に備えて、チョコ化したアズーリアをチョコのまま受け入れて共に生きる為の手段を――」




 どうやってもチョコ化するなら、チョコ生物として共に歩んでいけばいい。

 いずれ心臓以外のチョコ臓器、チョコ頭脳、チョコ論理回路などを作りだして『これがふしぎなチョコいきものアズーリアのすべてだ!』みたいなノリで『スキリシア=エフェクのチョコレートの民』を完成させるプランがあったのだろう。


「ふん。ま、あの子らしいの」


 シニカルでリアリスト、でもどこか夢見がちな白い少女の覚悟。

 ハルベルトはそういうものが嫌いではない。


「そこで見ていればいい。ハルたちが、アズーリアを取り戻すのを」


 だが、彼女の危惧を現実にするつもりはない。

 アズーリアは、チョコではない姿で帰ってくるのだから。




 一番手はリーナだった。


「財力と権力にモノを言わせて有名店のチョコをかき集めてきたよ! あとクロウサー家と繋がりがある有名店のパティシエに片っ端から声かけて超特急でオーダーメイドチョコ菓子作らせた! どうだ食べたいだろう!」


「やったー! リーナありがとう私は最高の親友を持ったよー!!」


 そして一瞬でチョコの殻を破って飛び出してくるアズーリア。

 全員がすっころんだ。

 リーナがずらりと並べたチョコをはむはむと貪る黒いいきものは小首を傾げて「あれ、どしたのみんな」と言った。


「ちょ、ちょっと待って。やり直しを要求する」


 よろよろと起き上がりつつ、ハルベルトが抗議した。

 リーナが頬を膨らませる。


「えー、なんでだよー。いいじゃん元に戻ったんだから」


「違うそうじゃない! みんながそれぞれの方法でアズチョコに挑むけどそれでも成果は上がらず、最後にハルが渡したチョコと必死の呼びかけでアズチョコに亀裂が、そして飛び出してくるアズ、受け止めるハル、そういう流れのはず!」


「えっ、最後は全員で力を合わせて作り直したチョコとみんなの呼びかけで、じゃないの? こういうのってそういうお約束でしょ?」


 ハルベルトが手をぶんぶん振りながら必死に「こうじゃない」と説明すると、プリエステラが首を傾げて疑問を呈した。


「どうでもいいけど、この量のチョコは一人では食べられないだろ。生の食材使ってるやつは冷蔵庫入れておくから。あと私はそこのお騒がせチョコを懲らしめる為に鹿鍋をするべきだと思う」


「サリアちゃん、ここは森じゃないから鹿を狩っちゃ駄目だよ。みんなで仲良くチョコ食べよう、ねっ?」


「やれやれ、とんだ茶番だったな」


「あ、せんせ、あたしお茶入れるね」


 外部から来た三人は気の抜けた表情でチョコをぱくついており、メイファーラはさっさと切り替えてお茶を注いで回っている。

 チョコレートリリーの巻き起こすトラブルはほとんどがこのような脱力オチで終わるので、もういい加減慣れっこになっていたというのもあった。


「『こんな風にチョコレート作りを通して下僕たちとティリビナの民の親睦を深めるのはどうかしら。軋轢や衝突はあるでしょうけれど、こうした催し事には流れを変える力があると思うわ』と姉様はおっしゃっています。セリアもそう思います」


 リールエルバのアイデアは、問題の絶えないエルネトモラン特別区の現状を僅かでもどうにかするためのささやかなものだった。それを聞いたプリエステラは手を合わせて表情をぱっと明るくした。


「それってすっごく素敵な考え! ほら、私たちってチョコレートは飲み物だっていう思い込みがあったけど、美味しい異文化は大歓迎って人も沢山いるから。ここに馴染むための入り口としてうってつけな気がする!」


「『ふふ、そうかしら。何だかんだで吸血鬼も夜の民、甘いものに目がないから。アイデアとしては悪くないと思うわ。もっと褒めてもいいわよ』と姉様はおっしゃっています。セリアも素敵だと思います!」


「流石はリールエルバね! 早速一緒に計画を練りましょう!」


 どうしようもない一幕の中、唯一有意義と言えそうな成果を得た三人が今後の方針を話し合い、ミルーニャは安らかな眠りの中でアズチョコと二人寄り添いながらホワイトチョコの結婚式を挙げる夢を見る。

 リーナと一緒になって高級チョコをぱくついているアズーリアは、「賑やかでいいよね、こういうのって」などと脳天気なことを言っていた。黒衣の中からぴょこんと出てきた白黒ウサギが帽子の中から彩り豊かな飴とクッキーを大量に放出。何故かひとりでに動き出す菓子類、それに釣られてチョコレートたちも踊り出す。


「なにこれ」


 アズーリアとリーナは黒百合宮時代を思い出したかのように「言理の妖精」「語りて曰くー♪」などと調子に乗って食堂ばかりか宿舎そのものをお菓子に変化させていった。こうした行為は、今では小さな子供がよくする典型的な遊びである。


 ハルベルトは皿に載せていたお菓子をそっと背後に隠した。

 リーナが用意した高級チョコの数々に比べてしまうとどうしても見劣りする手作りのパウンドケーキ。上にはスペアミントをのせて、小さなメッセージカードを添えて、皿の絵柄は可愛らしい垂れ耳ウサギ。

 肩を落としてその場を離れようとするハルベルト。

 それを目ざとく見つけてさっとアズーリアが近付いてくる。


「どうしたの? あ、それかわいい! おいしそう! 食べていい?」 


 小さな身体でぐんぐん迫ってくると、真下から見上げるようにしてアズーリアがハルベルトに懇願してくる。うう、と小さく呻き声が漏れた。アズーリアがこんなに小さいのはずるい、とハルベルトは思う。


「いいけど――でもそんなに期待は――」


「おいしー♪ ほんのりビターでオレンジ風味、それでいてすっきりー! ありがとうハルベルト、私やっぱりチョコじゃなくて良かった! チョコのままだったらチョコの美味しさを味わえないもんね!」


 らしいと言えばらしい反応に、ハルベルトは疲れ切った溜息を吐いた。

 どうにか守りきったメッセージカードを服の中に仕舞い込んで、後で誰にも見られないように処分しようと決意する。


「あれ? ハル、今なにか隠した?」


「べつに。気になるなら最後まで待ってればよかったのに」


「ええ? どういうこと?」


「うるさい。アズのばか」


 ふんとそっぽを向いた。これ以上このおかしないきものを見ていると、また調子を狂わされるに決まっているのだ。

 メッセージカードの内容は絶対に教えてやらない。

 だって、アズーリアはケーキの甘さに満足している。

 これ以上甘くしたら、風味が台無しになってしまうだろうから。



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