4-129 ガロアンディアンの真竜王①




 爆心地に天使の残骸が横たわっている。

 ダモクレスの剣による王国の滅亡に巻き込まれたようだ。

 ――というより、巻き添えになるように誘導されたのだろう。

 空を旋回する箒の魔女は人形たちを翻弄し、遂には天使すら破滅の渦へと誘い込んでしまった。その才気は留まるところを知らない。


「お、おおう。なんか勢いでやっちったけど、ちびシューらん情報によるとあれ、アルマさんなんだよね。大丈夫かなあ」


「にあ! 生きてる! へいき! 自己修復、もうしてる!」


「うっわまじだ。さすがは無情鹿鍋サリアせんせーの相方、半端無いわ」


 少女たちが会話を交わすその真下。

 巨大なクレーターの中央には、半ば土砂に身体を埋もれさせた二人の姿。

 長い髪の王と丸い体躯の従僕。

 二人はぼんやりと荒れ果てた周囲を見ながら言葉を交わす。

 

「終わったか。終わったのだな、俺の――」


 マラードは何かを言葉にしようとして、やめた。

 形にならないまま消えた言葉の正体はわからない。

 それでも彼の中で何かが決着したのは確かだ。

 ルバーブは静かに会話を繋いだ。


「悪夢は終わりました、陛下。ここからは御身が望む夢をご覧下さい」


 いつものように、寡黙で忠実な彼の右腕として振る舞う。

 見事な建築の全ては壊れ、解体された。

 美しかったものは消え去り、それでも最後に残った基礎は確かなまま。


「夢を見ろ、か。なんともあやふやな言葉だ。それにな、ルバーブよ。俺ひとりではどうにも足下が危うい。今回のことでそれがよく分かった。俺には頼りになる支えが必要だ」


 たとえ基礎すら砕けたとしても、そこに大地があるのなら、再建も叶うだろう。

 新天地を探すことも、新たな創造を行うことも、きっとできると信じる限り。


「不肖未熟の身ではございますが、どうか私めに陛下を支える役目をお任せ頂きたく存じます」


「ああ、そうだな。任せたぞルバーブ。我が忠実なる従僕よ」


 微睡みの中のような静かな語らい。

 異形が跋扈する戦いはまだ続いている。

 狂騒の中、爆心地だけが奇妙に静かだった。

 しかし――。


「許さない、許さない許さないゆるさないっ!」


 憎悪を掻き毟るような絶叫だった。

 絶望、憤怒、悲哀、黒々とした感情を混ぜ合わせた熱量が溢れて炎と化す。

 穴だらけの衣服、傷だらけの人形の身体を引きずりながら、アレッテ・イヴニルは濁った瞳に呪力を宿らせる。


「もういい。屈辱だけれど、諦めなければ打つ手がないものね――いいわ、やってあげる。せいぜい醜悪に演じて、あいつの存在を貶めてやる」


 意味のわからない呟きが終わると同時、人形姫が行動を起こした。

 対象を束縛する糸の邪視がマラードを捉えて引き寄せる。

 力を失った身体は抗うことができずに呪縛されてしまう。

 消耗した『私』もまた咄嗟に追い縋ることができない。

 ラフディが崩壊した影響か――既に意識の主導権は『俺』の方にあった。ルバーブの主を守れなかったという後悔に実感が持てず、背後から自分ルバーブの身体を眺めている自分おれがいる。

 上空の魔女たちの前には傷だらけの人形が立ちはだかり、トリシューラは地の底から湧き出す異形への対処で動けないままだ。


「アレッテ――お前は」


 マラードの視線には何の隔たりも無かった。

 激情をぶつけてくる人形に対し、むしろいたわるような感情を向ける。

 だが、選ばれなかった敗者にそれは苦痛に過ぎた。


「あなたが、そちらを選ぶというのなら」


 万感の憎しみを込めて。

 震える手で美しい男の頬に触れ、顎を掴み。

 眼を大きく開き、呪うように見つめる。


「私の絶望で、あなたを奪う」


 強引に顎を引き寄せた。

 マラードが驚愕にまなこを見開く。

 唇と唇がぶつかり、歯が硬い音を響かせた。

 稚拙な接触、強引な求愛。

 アレッテの口が人形には不要なはずの呼吸と共に相手を貪る。

 ぎょろり、と。

 人形は横目で『私』を見ると、嘲りの表情を浮かべた。

 暴力的に唇と舌で王を穢していく。


 それは両者の和合などではない。

 強制的な侵略。一方的な強姦。

 一個の人格として死のうとするかのような、融合の儀式。

 見せつけるような口づけは殺人に似ていた。

 拒絶しようとするマラードを無数の髪の毛が押さえつけ、ほっそりとした四肢に人形の糸が絡みついていく。長い髪は男を離さず掴まえて、無理矢理に二人の身体を密着させていく。

 残酷なまでの束縛と支配。

 アレッテの邪眼が爛々と輝き、紅紫に世界が染まる。

 そして、それは始まった。


聖婚ヒエロス・ガモス


 アレッテが望み、アレッテが受け入れさせる。

 そこにマラードの意思は介在しない。一方的な支配。強制的な隷属。

 そして、同化。

 青い流体が人形の関節部から湧き出し、二人を繭のように包んでいく。

 融血呪。個と個の境界を対価に融合と共有の奇跡を実現させる禁忌の呪法だ。

 

 全ては抗う時間も与えられないまま実行された。

 最善を得たと安堵した直後、最悪の結末が訪れてしまう。

 ありふれた展開、安い悲劇。

 だが、最悪の底はこちらの想定を遙かに超えて深い。


 赤と紫、両極からの光が虹となって一帯を取り巻いていく。

 虹色の繭はゆるやかに浮遊し、やがて糸をほどく様にその内側を露わにした。

 二つであった輪郭は既にそこには無い。

 たった一人。

 虚空を踏みしめて、その人物はそこにいた。


 長く艶やかなグラデーションを描く髪。

 かつてその色彩は青から白銀へと移り変わるものだった。

 今や変化はつむじの赤から毛先の紫。紅紫の髪へと染まっており、更には男性のものであった肉体はより無性に近づいている。

 無機質な裸身には球体関節。

 肘や膝、つるりとした逆三角形の腰。それら関節部品の隙間からは青い流体が見え隠れし、ときおり周囲からの視線に反応するようにぎょろりと極小の眼球を形成して見返してくる。人形はひどく呪術的で生物的だった。


 あらゆる者を魅了してやまない太陽の美貌には陰が差しているが、それでも魅力が損なわれた様子は無い。むしろ、別種の妖しさが付加されたことによりいっそう蠱惑的になったとすら言えた。

 そして、大きく変化したのはその目だ。

 右目に爪で引き裂かれたような縦のきずあとが走り、隻眼となっている。

 左目はどぶのように濁り、この世すべてに絶望しているかのような視線で眼下を睥睨している。


(なにあれ。要素が、融け合っているの?)


 小さな魔女の思考音声は困惑に満ちていた。

 彼女にとってもこれは完全に未知の現象なのだ。

 一つだけ確かなのは、あれが禁忌の呪いによって融合したマラードとアレッテであるということ。そしておそらく、行動の主導権を握っているのは――。

 浮遊する奇妙な人形は、静かに上昇していく。

 遥かな上空へと至り、ひとことだけ発した。


「傾聴せよ」


 呪文で大気を振るわせているのか、声はよく響いた。

 耳を傾けずにはいられなくなるような旋律。力強さから一瞬だけ男性のものかと錯覚しそうになるが、それは紛れもなく人形姫の声。それでいて響きの奥にマラードの息遣いが感じられる。

 そして、宣名が第五階層に刻まれた。


「聞け、三界に住まう全ての者よ。我こそはアルファにしてオメガ、世界の歯車を回す第六彩域の天主にして第九紀竜アルト・イヴニルである」


 第九の紀竜とは、人の手によって構成された大呪術のことだ。

 『私』が王としての力を注ぎ込み、強固な因果で互いを結んだ大地の竜、美しきマラード王。彼が第九の紀竜であるということならばまだ理解できる。

 しかしアルト・イヴニルとは何だ。アルトとは、アレッテの男性形であるはず。

 そして天主とは確か『下』における有力な呪術師の称号だったか。

 名乗りはあまりにも不可解だった。


(ジャッフハリム語で『彩域ティティといえば、五つの色号呪力を生み出す基本領域のことだよ。古くからいる天主たちはこの彩域を統括しているの)


 そういえば前にコルセスカとゲームをしている時に聞いた覚えがある。確か基本地形カードを寝かせるとか傾けるとかするとリソースが生み出せるとかいうルールだった。あのゲームが現実に即した設定だったのか、コルセスカがそういうゲーム的世界にしてしまったのかは今となってはわからない。

 いつものように解説をするちびシューラもどこか歯切れが悪い。


(でも彩域は五つしかないはず。新しい天主が六番目を生み出そうとしているらしいけど、それに成功したって話は聞かない。あのひと、自分で六番目の彩域を作り出すって宣言してるのかも)


 推測を裏付けるかのように、アルト・イヴニルと名乗った人形の王は両の掌から二色の燐光を放ち、それらを一つに重ね合わせた。

 爆発的な発光。

 紅紫の光が滴り落ちて、第五階層の荒れ果てた大地に浸透していく。

 アルト・イヴニルの口上は続く。


「既に二つの王権はこの手にある。そうだ、私こそがガロアンディアンの真竜王。これより偽りの僣主は一人残らず駆逐され、最も強く美しい王だけがこの大地を統べることになるだろう」


 この人形は、第五階層の支配権を巡る闘争に王として参戦すると言ったのだ。

 それも、ガロアンディアンの真の王として。

 名乗りの意味は明白だ。

 トリシューラに対する不遜なる宣戦布告。


(何だろう、今ひとつ狙いが見えないな。つまりラクルラール派は、自由に傀儡として操れる王を立てたい? 王国が欲しいの? それが竜の構築に繋がってる? 世界側の秩序に干渉して――マラードをあんなふうにして何をするつもり?)


 駆け巡る疑問の数々。こちらが訊きたいところだったが、素直に答えてくれるほどあの人形の王も優しくはないだろう。

 どぶのような眼は、こちらに向けて凄まじい悪意を放射していた。


「これは運命。操り人形たるお前たちに垂らされた、神の糸と脚本であると知れ。抗うな。期待するな。未来に絶望しろ。ここには『未知の救世主』など現れない。俯き、目を伏せ、諦めながら生と死をやり過ごせ。諦観こそが救い。もういい、何もかも構いやしない、王国の運命など適当でいい。雑に壊れて死ね」


 左目が爛々と輝き、紅紫の閃光が無数の糸となって襲いかかる。

 物質化した邪視、鞭を振るうかのような瞬間的な攻撃。

 両の義肢を交叉させて防御する。

 十二番義肢は先程の激闘で完全に残骸となっていた。咄嗟に左腕を前に出す。


「換装・四十五番カルルアルルア!」


 知覚している世界全てが急速に遅くなっていく。

 左腕の外側に光が収束し、創造されたのは丸い盾。外周部には呪文の列と時刻を示す数字が刻まれている。それは針の無い時計なのだった。

 刹那、脳裏に広がる魔女のイメージ。

 灰まみれの廃園に佇む、虚ろな目をした結合双生児の魔女。


 全ての邪視は未だ届かず、その隙に盾を視線と身体の間に割り込ませる。

 時間を狂わせる呪文によって神速の邪視が到達するのを遅らせているのだ。

 丸盾の表面が輝き、立体呪文円を展開して邪視の猛攻を弾き返す。

 更に盾の周囲に灰が散布されて左腕を中心に俺の全身にまとわりつく。

 こちらの姿が隠れて視線が通りにくい状態になっているはずだ。


 迫り来る邪視を減速させつつ自分は加速してやり過ごし、大きめの瓦礫を探して遮蔽物の陰に身を隠した。

 消耗したこの状況では、戦力の不明な相手と正面からぶつかるのは避けたい。

 俺の内側で『ルバーブ』が主を取り戻せと主張しているが、一時的に感情を抑えて貰うしかなかった。

 当然、アルトを放置するつもりはない。

 今や奴は『トリシューラのガロアンディアン』にとって最大の敵だ。


 ――ごく自然に口にした名前。何か、忘れているような。


 違和感はすぐに消えた。

 上空から更なる脅威が襲来したからだ。

 いつのまにか、アルトの背後には巨大な塔が屹立していた。

 天を衝く塔の最上階からゆっくりと幾つもの影が降りてくる。

 浮遊する異形。それらは途轍もなく歪な人形たちだった。


「ガロアンディアンが誇る魔戦人形師団、その中でも選り抜きの最精鋭たちが今、全て揃った。この機会に紹介しよう。集え、我神十二限界マレブランケよ」


 召集に応じて王の前にずらりと居並ぶ十二体。

 奇しくもこちらのガロアンディアンが擁する精鋭たちと同じ集団の名だ――というよりおそらくはトリシューラを意識した命名なのだろう。


 アルトの左右には常に人形姫の傍に侍っていた騎士と呪術師の人形。

 前列には先程まで箒の魔女らと戦っていた人形たちが集う。

 その数四体。不気味な肉塊、両目に杭の刺さった吟遊詩人、硝子でできた棘の王、目蓋と口を縫い合わされて大鉈を手にした処刑人。

 ルバーブの知識によれば、彼らはいずれもラフディの歴史に名高い王や英雄たちなのだという。驚くべき事に人形たちがアルトに近付いた途端、戦いの傷が時間を巻き戻すようにして癒えていった。白い少女が舌打ちする。


「ああもう、倒したと思ったのに! ていうか私もうソムワムンの相手はイヤですよ! リーナやって下さい!」


「ええー私もあれはちょっと。シューらんにパス!」


(じゃあアキラくんにパス!)


 緊張感をほぐそうとしているのか素なのか、魔女はわからん。

 脅威はあれだけではない。

 人形たちの更に前列に並ぶ五人――いや、五頭には見覚えがある。


「竜王国の五将軍――ラフディとの戦いであれだけ圧倒的な強さを見せていた奴らが敵に回るのか」


 緑の大樹が動く。

 密な樹冠を形成するキノコのような樹木は剣状の葉を揺らして周囲を威圧した。

 竜血樹ドラセナのティリビナ人の勇壮な姿を見て、苦境の中にあったティリビナ人たちは庇護を求めて駆け寄っていく。レオを慕っていたトリシューラ寄りの者たちまでもがこちらを去り、アルトの勢力に吸収されてしまった。


 黄色い猫が吠える。

 小さく可愛らしいと思ったのは束の間で、一瞬のうちに巨大化したかと思うと上顎犬歯が鋭く伸びて刃の如き牙となった。剣歯虎サーベルタイガーのサイズはこちらの目がおかしくなったのかと思わされるほどに自在に変わる。幻影にでも惑わされているのか――無数の姿の中に、一瞬だけ垣間見えたのは世界を取り囲むほど長く巨大な蛇だった。尾を喰らう世界蛇の幻影を背負い、長い牙の猫が唸る。


 漆黒の巨大昆虫が滑空する。

 常識を超えたサイズの蜻蛉ドラゴンフライが暴風と瘴気を撒き散らしながら空を舞う。背後に付き従うのは四体の虫。死番虫、虻、天道虫、蟷螂。いずれも劣らぬ呪力を有する怪物たち。空を舞う虫の王たちは感情の読めない目でこちらを観察する。不気味な目が放射する穢れが大気を淀ませていった。


 白い頭部が飛沫を上げながら浮上した。

 地面が波打ち、潜行していた首長竜が鎌首をもたげたのだ。両目は既に妖しく輝き、邪視が発動していることを示している。ちびシューラの分析によれば高密度の『扉』を全身に展開してあらゆるものを水のように透過しているらしい。首長竜にとってはあらゆる場所が主戦場である水中に等しいようだ。


 蒼空を引き裂いて急降下してきたのは巨大な翼竜。

 キリンのごとく長い首、鳥類のようなくちばし、膜構造の翼には半透明の羽毛が生えており、そこから青い炎を発生させていた。優美なフォルムは神々しさすら感じさせ、清浄なオーラとでも言うべき青い光が広がって地の底から湧き出てくる狂怖ホラーの群れを退けていく。


 五頭の亜竜が雄叫びを上げる。

 当然、その配下である竜王国の全戦力が彼らの号令で動き出すだろう。

 六王の一人であるアルトを相手にしている以上、当然の展開だった。


(最悪だ。アルトとマラードが融合して敵に回るなんて)


 ――やはり、何かが頭からすっぽりと抜け落ちている、ような。


 考えようとするが、何ひとつ思い出せない。

 おかしいと言えばもう一つ。

 マレブランケは十二人。ならば、あと一人の姿が見えない。

 疑問に答えるかのようにアルトが妖しく笑う。

 掌を下腹部に伸ばし、なめらかな人形の腹に触れた。スイッチを押すような音がして、扉が開くようにアルトの体内が露出する。そこにあったのは生々しい臓器などでは無く、子宮の断面図を模した門だった。


 開ききった門の奥には無限の深淵。

 暗黒の彼方に無数の光が生まれ、次々と飛び出してくる。

 眩暈のするような王の出産。

 天高く飛翔した正体不明の光はどこまでも遙かな空へと舞い上がった。

 そして、美しき王が流星を招いたように。

 ――愛が降り注ぐ。


 塔の頂から空へと広がっていく暗雲が一斉に泣き出した。

 生命力を絞り出すかのような必死の泣き声は庇護者を求める全身全霊、安堵を得るまでけっして終わりはしない。

 やがてただ待つことに耐えかねた一滴がぽつり、ぽつりと落ちてくる。

 かくして豪雨が滝となって流れ落ちる。

 泣き喚く赤子の死体が、次々と地面と激突していく。


 衝撃で血肉を飛び散らせていく赤子たち。

 時を遡るように元の姿に戻り、覚えたばかりの這い這いでじわじわとにじり寄る。真っ赤な眼、血に濡れた全身、再開される泣き声の大合唱。

 ぱたりと下腹部の門を閉じて、アルトは言い放つ。


「【扉の向こうのエントラグイシュ】――九百九十九の魂魄から成る愛の亡者。祝福されなかった赤子、偉大なる大地と闇の王子たち。最強の死骸人形にして、個にして軍勢でもある可能性の種子」


 絶叫が乱舞する。赤子とは思えぬばねと驚異的な跳躍力で飛びかかり、一瞬で生え揃った石製の歯で噛み付いてくるエントラグイシュ。首筋狙いの襲撃は軌道がわかりやすく回避は簡単だったが、数がとにかく厄介だった。

 地上に落下した赤子たちは攻撃の失敗を知ると即座に唸り声を上げて側面に回り込もうとする。這い這いから立ち歩きに移行している個体も確認出来た。


「こいつら、成長して――?!」


 グロテスクな光景が繰り広げられていく。

 赤子の背から肉腫が盛り上がり、その中から巨大な赤子が誕生。

 それらが結合し、多頭の赤子に変貌、口から激流としか形容のできない凄まじい勢いの嘔吐をして攻撃してくる。全力で回避。吐瀉物は遮蔽物を溶解させ、大地の上でぶすぶすと泡を立ててしばらくその場所に溜まっていく。


 時間の経過と共に脅威度を増していく人形の軍勢。

 俺も三人の魔女も数の暴力に押されて撤退を余儀なくされる。

 アルトは満足そうに子供たちを褒めちぎった。


「良くやった、可愛い子供たち。お前たちのはたらきには私が永遠の愛で報いよう。そう――親としての責任は、この私が果たさなければ」


 アルト王が展開する軍勢はどこまでも強大だ。

 まず間違い無く勝てない。そう確信した俺とトリシューラは撤退を決定。


(あいつは必ず倒す。マラードも取り戻す。だから今は堪えて乱髪スカルミリオーネ。シューラがアルトを倒して真のガロアンディアンの女王になるために、あなたの力は絶対に必要なの)


 ルバーブの内心は荒れ狂っていたが、彼にはそれを制御出来るだけのたぐいまれなる忍耐心があった。野太い腕が震え、歯が食い込んだ下唇から血が流れる。そうして、自らを落ち着かせるように一度深く息を吸い込んだ。


「必ず、お救いします」


 頭上のアルトに、そしてその中にいるもう一人に宣言する。

 主を取り戻す。ただそれだけを至上の目標とする彼は、激情を抱くと同時に『現状それは難しい』という理性的な判断を下すことができた。

 アルトのどぶのような独眼に一瞬だけ光が宿る。グラデーションを描く髪が青と白に切り替わり、唇が震えて誰かの名を呼ぼうとする。


「く、ああっ」


 呻きながら頭を押さえるアルト。側近の人形たちが傍に寄って声をかけた。


「レッテ、レッテ、大丈夫?」


「やっぱり人格を保持したまま融合なんて無茶だったんだ! はやくお姉様の調整を受けないとレッテが消えちゃう!」


 沢山の赤子たちも動きを止めている。

 なんだか知らないが、今がチャンスだ。圧倒的兵力の壁を越えることはできなくとも、反転して彼らから逃げることはできる。


「転進するよ!」


 本体のトリシューラが銃声と共に到着。

 戦闘用の飛行ドローンに人形たちの足止めを命じて突破口を開く。呪文の座の魔女たちも合流し、人形と狂怖が入り乱れる混沌とした戦場を駆け抜けた。混乱は未だ収束の気配を見せず、第五階層は更なる暗黒の中へ落下し続ける。

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