4-128 祈りは流星に似て②




 生きるためなら何だってやった。食堂の手伝いをして残飯を分けて貰ったり、壊れた人形の墓場から使える部品を集めて売ったり。

 ルピナス爺さん――元人形師の老人に弟子入りできたのは望外の幸運だと考え、必死に教えを吸収した。師が逮捕され、初めてそれが邪法だと知った。

 死した赤子の魂を人形に封じ込めたかどで絞首刑。広場で無惨な姿を晒す師の姿を目に焼き付けてから、隠れ潜むように路地裏で生きた。邪法は後ろ暗い仕事をするのには向いていたのだ。


『お前の親は多分、純粋な大地の民じゃねえ。俺に近い、夜と夢のにおいがする。どっちつかずの混じりものだ。だがお仲間とは違うな。光か影か。そういやくるわの女どもに受けがよかったな。魅了のさががあるなら、血吸いかね』


 師はそんなことを言っていた。

 けれどこの場所は球神の加護が宿る王国。どんなに生きづらくても、見た目が周囲の人々と違っても、居場所はここで作るしかない。

 生まれが『そう』であるなら、そのように生きる。それだけだ。

 唾を吐かれても、自分を恥じたりはしたくなかった。


『髪に込められたまじないの力は大した物だ。もしかすると半分くらいは大地の血が混じっているのかもしれん。それか、とびきり球神に愛されているかだ』


 老人の言葉は支えだったのか呪いだったのか分からない。

 ただ、遠い王宮を眺めて過ごした。

 太陽が沈んでいく、夕焼けの景色。まあるい王宮と整然とした街並み、角張った所の無いなめらかな建物たち。

 汚れた都市の周辺には木板を組み合わせた不格好な小屋しかなかったから、綺麗な曲線に憧れた。

 彼方を見つめるのが好きだった。遠くには美しい輝きがあるのだと思った。


 太陽が沈めば、真っ暗な夜空に星々が輝く。

 宝石なんて偽物しか見たことが無いけれど、きっと王宮にある宝石箱はこんなふうに綺麗なのだろう。

 砂で関節が軋むようなことのない清浄な空気。泥の混じっていない水。汚れていない布。均整のとれた柱やアーチ、階段や天井。

 思わず手で触れて滑らかさを確かめたくなるような丸屋根。

 勇ましい英雄たちの石像。


 沢山の夢を見た。子供時代には輝きが溢れていた。それは幸せなことだった。

 世界にはきれいなものがたくさんあると、そう信じていられたからだ。

 遙か彼方の美しさを羨んで、喜びの予感に胸を高鳴らせる。

 それが幸福だと信じてきた。今も、信じている。

 

 ――ある時、まあるい形の運命に出会った。

 とても不思議なことに、それはあまり美しくなかった。

 きれいなものばかり夢見ていたから、それが不思議でならなくて、それからずっと世界の端に佇むようになった相手のことがいつしか面白くて楽しいものだと感じるようになっていた。これは何だろう、どういうものなんだろう。

 馴染んだ夢の中にも出てこない、これはとびきりおかしくて新しい世界だ。

 伸ばされた手をとったことは、だからきっと正しかった。




 震脚、選択、詠唱、踏み込み、足を前に引き付けて掌打、移動させた重心をずらして反撃を躱す、目の前に選択肢、頭上から響く物語に合わせる形で最適な道を掴み取る。それはマラードの心を辿る物語。彼が自らの半身を切り捨てるまでの感情の動きを辿り、絡まった因果の糸を解きほぐす試み。


 語りながら、巨竜の足を打撃する。呪文を拳に乗せて、直接に届かせる。

 荒れ狂う炎天使の脅威を躱しながら利用して、地竜の猛攻をどうにか凌ぐ。

 三つ巴の死闘は徐々にその様相を変えていった。少しずつ、地竜の機敏な動きに翳りが見え始めているのだ。


 一方で、頭上の戦いも苛烈さを増していく。

 嵐のような炎天使の攻撃を回避しながら呪文を撃ち合う白い少女と紫の人形。

 そこに箒の魔女と猫の少女が加わって、ほとんど乱戦のようになっていた。


「邪魔です、さっさと消えなさい、トリシル六号!」


「――私をその名で呼ぶな。私はアレッテ。アレッテ・イヴニル!」


 静かな激怒と共に、人形が髪を逆立たせて叫ぶ。

 怨念じみた気迫がその大きな瞳に宿り、眼光が世界を染め上げていく。

 空間が捩れ、空気が塗り替えられた。呪文合戦の主導権を奪われたのだ。


「『そう、世界にはきれいなものが溢れている。なのにどうして、こんなにもこの胸のうちは空虚なのだろう』」


 諦めに満ちた言葉が、物語を別の視点から語り直す。




 貧民街の子供、とその来歴は語られる。

 説明になっているようで、それは説明になっていない。

 砂にまみれた路地裏の記憶より前は真っ白だった。

 白い世界が、目に映る全て。


 始まりは白い部屋。幾つもの薬瓶、消毒液の臭い、清潔な空気。

 無機質な機械の音楽が響く。無数の人が目の前を通り過ぎていく。

 与えられるのは色々な薬や刺激、頭蓋を貫く針と糸。

 そして言葉の渦。


 『アダム・カドモン』『最終始祖イネクシュネ』『原初の土』『ベルラクルラール』『代替者』『レゴン細胞』『ワイヤード』『呪髪の精神加工端子化』『最終実験』『負荷テスト』『失敗』『耐えきれなかった』『仕方無い』『失敗』『失敗』『封印処理』『廃棄』『次こそは上手くいくでしょう』


 意味の分からない断片的な記憶は明瞭な形を作る前に霧散してしまう。 

 ただ、憐れむような掌が一度だけ頭を撫でてくれたのを覚えている。

 いつの間にか薄暗い場所に立っていた。鼻をつく様々な臭い。つんとする。

 砂ぼこりの世界は清潔さからは遠く、なんだかいつもよりわくわくした。

 すぐにそれがただ苦しいだけのものだと理解して、嫌になった。

 それもじきに慣れ、苦しむ心は順応して静かになっていく。空虚を抱えて生きる術を知る。やすりのような日常に縋り付く毎日を繰り返すようになる。


 その心には、何も無かった。

 他人事のような何かに対する飢え。

 静かな衝動だけを持てあましながら、暗がりで命を繋いでいく。

 突如として現れ、身勝手な都合で光の中へと引き上げられたものの、そのあとの日々もどこか満たされないものを感じていた。

 誰もがその容姿を褒めそやし、美しいと感嘆する。

 そんな承認では足りない。そんなものでは感動できない。

 渇きが心を苛む。それはまるで砂漠で水を求めるように。

 物質的には豊かでも、心の奥底では常に退屈を抱えたままだった。


 ――『この場所』には何も無い。


 どこか、あるいはだれか。

 新しいモノだけが希望だった。

 見飽きたつまらない光景が心を満たしてくれることは一度だって無かった。

 世界中から高名な画家や美術品をかき集めた。

 時には自ら都市を造り直したりもした。

 

 ――全て虚栄だ。

 ――美しいものとは何だ。

 ――お前たちは俺の何を褒め讃えている。

 ――『俺』は、いったい何なのだ?


 疑念は日毎に強まっていくばかり。

 己の価値と存在意義。ありふれた思春期の悩みと言葉にすればそれまで。

 だが、巨大な空白と常にその身を苛む違和感が、悩みを猛毒に変えていく。

 思考と記憶、そして行動。

 気付けば王宮にいた。王として放蕩の限りを尽くした。

 その生き方と、過去の空白が噛み合わないような気がする。


 意識に絡みつくのは糸か、それとも。

 恐い。嫌だ。

 俺は、確かなものが欲しい。

 この世で最も美しく、何より価値があり、素晴らしく強く、足場となって安心を与えてくれる、完璧な『真実』。

 それを他者の中に探すのは簡単なことだった。

 微笑み一つ、流し目一つであらゆる者は陶然と心と体を蕩けさせる。

 魂まで美しき王に捧げ尽くして、一夜の幸福に夢を見る。

 誰より完璧な髪で一撫ですれば、操り人形の如く従順に振る舞うだけ。

 芝居で知った言い回しを真似ての恋のままごと。

 それでも足りない。

 最初は刺激的に思えたものの、所詮はお遊びでしかない。

 やはりこれは『ほんもの』ではない。

 

 しかし、そんなものがあるのだろうか。

 果たして、果たして、果たして。

 疑いを抱いたまま、それでも砂漠で足掻き続ける。蜃気楼に手を伸ばす。

 そんなある日。

 突然として目の前に現れた、賢者を名乗る見知らぬ少女。

 これは何だろう。

 新しいもの、未知なるもの。


 小さな子供が浮かべる静かな微笑み。

 それは安らげる寝台のように柔らかく、やさしい子守歌のようにあたたかい。

 それが深い郷愁なのだと、理解することはできなかった。

 過去は空白。生まれる前、試験管の羊水に浮かんでいたその魂は、母と過ごす故郷というものを知らなかった。

 母を知らないという、欠落。

 父のような人ならいた。か弱い子供を守ってくれる力強い大人ならずっと傍にいてくれた。しかし、彼は臣下として常に一線を引いて接してきたから、王として応えざるをえなかった。それが互いにとっての最善だった。


 だからきっと、彼女に心惹かれたのは必然だったのだ。

 分かってみれば簡単なこと。

 知らない温もり。抱擁の優しさ。それが欲しかっただけ。

 寂しかった。ただそれだけ。

 



「――ああ、可哀相なマラード! あなたはぬくもりを求めていた。唯一無二の真実が欲しかった。そんなものは無いと知りつつも、幻想を追いかけずにはいられなかった! だからこそあなたにはこの『愛情ナラティブ』が相応しい!」


 人形姫が紅紫の眼を輝かせながら呪文を叫ぶ。

 遙か上空を浮遊し、幾つもの妖しげな人形を操って魔女たちと戦いながら、こちらに対抗しうる『正しい過去』を紡いでいく彼女もまた、マラードの心に近付きうる存在なのだ。


 彼女は自分の紡いだ過去を正史にしようとしている。

 ラクルラール陣営に都合の良い現在に誘導しようとしているのだ。

 こちらも対抗してあの呪文を打ち破る過去を紡がなければならない。

 焦るなと『自分』にいい聞かせる。

 あくまでも王の振る舞いと心に寄り添った過去を語らなくてはならない。

 強引な欲望だけを押しつければ、矛盾を現実が許容できずに破綻する。

 

 この呪文はマラードが受け入れてもらうもの。つまりこの戦いは過去の改竄というよりもマラードの説得合戦といった方が正確だ。

 上空で、白い少女が悔しげに呻く。


「厄介ですね。こっちが知らない情報をあちらは知っているようです。はっきり言って頼りになるのはあなたたちの知識と感情だけ。協力してあげてるんですから、精々気合い入れて頑張ることです。あなたたちの戦いなんですからね」


「協力に感謝する! この騒動が終わったら、歌姫のライブ成功に向けて全力を尽くすと誓おう!」


 地竜の猛攻を凌ぎながら、少女に向けて叫ぶ。

 すると白い少女はふんと鼻を鳴らして、


「当然です! 他陣営と手を取り合うんですから、対等な互助関係でなくては話になりません。このくらいでいちいち窮地に陥らないで下さい、ぽんこつ王国」


 照れ隠しのようにも突き放されたようにも聞こえる言葉。

 ちびシューラがむきー! とかわめいているが、本気で怒ってはいないようなので結構気安い間柄なのかもしれなかった。


 一方、空中では箒の魔女と猫の魔女が力を合わせて炎天使の猛攻を躱し、人形の群を押し返していく。その戦い振りは凄まじいの一言だ。

 とにかく速い。圧倒的なスピードで空を駆け巡る。


「言理飛翔――十倍加速」


 その詠唱は音を突き破り、衝撃破が世界を破裂させる。

 弾丸となった魔女が人形の一体を破砕、生み出された疾風が炎を消し飛ばす。

 人形の呪いは宝石の輝きに吸い込まれ、帽子の中から生まれてくる雲の使い魔が群をなして人形たちを飲み込んでいく。


「よっしゃ絶好調! なんか第五階層来てから調子いいぞ私!」


「にあーっ!」


 凄惨な戦場には似つかわしく無い軽やかな叫び。

 泥臭い地上のことなど構いもせず、広い大空を自由に飛翔する。

 箒を駆る奔放なその姿。『私』は脳裏にある尊大な男を思い浮かべた。

 似た所などせいぜい箒とその圧倒的な飛翔速度くらい。

 しかしなにものにも囚われないその姿は、王者としての才気を感じさせた。


「ていうか、アレッテ・イヴニルさー!」


 速度を落とし、音速以下の低速で空をぐるぐる回りながら魔女が叫ぶ。

 どうやら敵に呼びかけているらしい。しかも雑談の気安さで。

 暢気だが、あれも『器』なのかもしれない。


「恋バナで『本物』とか『真実』とか言っちゃうのってロマンチック~♪ 可愛い、それふつーにカワイイって! 敵だけどちょっと友達になれそうだと思ったね! シアンとマゼンタだし色合い的にも! 知らんけど!」


「な――はあっ?!」


 さしもの人形姫も唖然として呪文を中断させてしまう。

 それはこちらが態勢を立て直す隙となり、呪文を選び出す好機となる。

 決意と同時に、空に浮かぶ『呪文の座』から参戦している三人の『喉』が強烈な光を放った。それは見覚えのある漆黒の輝き。

 断章の輝きだ。


(そうか、パーンとカーティス――クロウサーとドラトリアの血統!)


 ちびシューラが何かに思い当たったように言う。

 三人の魔女が放つ光は空から地上へと下るせせらぎとなってこちらに流れ込み、溢れんばかりの呪力が全身に宿る。地竜の攻撃を強引に弾き返し、今度はこちらが尾を掴んで力任せに投げ飛ばす。


(直系じゃなくても『イエ』で繋がっている三人には王権を受け継ぐ資格がある。あのコたちが援軍に来たのは偶然じゃないんだ。そういう『流れ』――操り糸に仕組まれたものかもしれないけど、今は利用させてもらうよ!)


 詳しい事情は知らない。

 それでもここには力がある。呪文がある。

 借りる事ができるなら、あとは使うだけだった。

 呪力を引き寄せ、手掌から強く発する。




 呪文は交叉し、歌は重なり反発し合う。

 俺の前を通り過ぎていく女たちは風。

 捉えきれぬ幻。感触だけが肌に残る、泡沫の夢。

 それもまた栄華の一幕。浪費と退廃に彩られた遊戯。

 美しき退廃の王には相応しい献上品が必要だ。

 愛も恋も、全ての逢瀬は王の完璧さを彩る装身具。

 

 享楽の歌を打撃と共に解放すれば、空虚の糸が垂らされる。

 女たちはみなお人形。

 誰にも愛されない可哀相な王さまは操りの呪力で愛の言葉を囁かせた。

 全ては滑稽な独り遊び。


 否、そうではない。

 一夜の夢、飾りとしての愛。

 しかし王が下賜する恋の幻想はたとえ偽りであっても美しいきらめきだった。

 その一瞬の虚栄、それとて生の一幕には違いない。

 ならばそれも本物。

 次の瞬間には消え去る虚しい恋でも、その感触だけは真実だ。

 汚れた熱情も肉の欲望も、王が与えるならそれは恋のまじないに変わる。


 いいえ、違う違う。

 彼女たちは髪の呪いによって理性を奪われた哀れな犠牲者。

 精神を加工する悪しき傀儡呪法。魂まで美しい髪に縛られた命ある人形たち。

 戯れに愛し、飽きたら捨てる。その繰り返し。

 人形たちが宿した小さな命は生まれる前に人知れずいなくなる。

 祝福されなかった子供たちは地の底へと埋められた。

 かわいそうかわいそう。きっと綺麗な父親に会いたかったことでしょう。

 抱きしめて欲しかったことでしょう。

 子供は寂しがるもの。親を求めるもの。

 愛を欲するものなのだから。


 糸が巨大な竜を操り、暴虐を岩石の巨腕が受け止める。

 天の炎を疾風が押し返し、白き翼と邪眼の呪いがぶつかり合う。

 戦場には過去が躍っていた。

 次々と流転する物語の光景が呪文に乗せて世界を塗り替えていく。

 世界槍を構成する要素が解体され、言理の妖精が再構築。

 泡が弾けて次々と融け合い、世界は互いに矛盾する幻想の光景に包まれる。


 美しき王。

 愛を欲する王。

 一人の男を巡っての真実を探る戦いは佳境に差し掛かっていた。


「虐殺! そうよ、愚かさは人を殺す! 『それしかない』という視野狭窄、大局を見据えられぬ王器の欠如、それが王国の基盤を打ち砕いた! 全ては卑劣な前王がその役目を怠り、逃避を続けていたがゆえの悲劇!」


 アレッテはルバーブを糾弾する。

 それに対抗することはしない。全て事実だからだ。


「お前はマラードを言い訳に使った。彼を利用した。王者の責を押しつけた! その罪、生ぬるい死くらいで贖えるものではないと知りなさい!」


 人形の叫びには本気の怒りが込められていた。

 彼女の心の奥底にあるものまではわからない。

 それでも彼女がしばしば見せる諦めのように、この戦いに対しても空虚な態度で臨んでいるわけではないようだ。アレッテはマラードに執着している。


「そうだ。あれは『私』の弱さ、そして罪だ! 理念も思考も放棄し、与えられた力をいたずらに振るった! 行使を許されていた権力によって大量の死を肯定した。そうすれば王の民が守られるという大義名分があったからだ!」


「守る為の力、正義の為の犠牲! お前たちはいつもそう! それが暴力を、権力を振るう理由になると信じて疑わない!」


 憎悪。

 邪眼を紅紫に輝かせる人形姫は、掛け値無しの殺意を放射して叫んだ。

 地上で繰り広げられるサイバーカラテによる自衛のための戦い。

 それを含めての断罪なのか、アレッテの怒りは『俺』と『私』の双方に向けられているようにも思えた。


「仕方無い、仕方無い、仕方無い――ああそうね。確かにその通り。お前たちには正義がある。それは正しくて――だから私はガロアンディアンが嫌いなのよ」


 無数の糸が斬撃となって荒れ狂う。

 破壊の嵐をかいくぐり、それでもと前に進む。

 『俺』の思考は、むしろ彼女に共感を示していた。

 力は力で、殺しは殺しだ。

 罪は罪でしか無く、そこには何の色づけもされていない。

 

 しかし、だからこそ。

 俺とルバーブは手綱捌きが拙劣だという糾弾を甘んじて受けねばならない。

 制御されない力ほど醜悪なものはない。

 勁道の通らぬ乱れた発勁などサイバーカラテは許していない。


「フィードバック、だ」


「何ですって?」


 唐突なこちらの言葉を、訝しげに問い質すアレッテ。

 気息を整え、頭上を見据えて言い放った。


「失敗は次に活かす。改善をもって償いとさせて欲しい」


「し」


 人形の瞳が目一杯見開かれ、


「死ねぇぇぇぇっ!!!」


 渾身の絶叫、竜に変化した頭髪による必殺の一撃が大地に叩きつけられる。

 震脚によって岩盤を跳ね上げて盾と為し、竜のあぎとを受け止めて時間を稼ぐ。その隙に先へと進み、地竜の間合いに踏み込んだ。


「そうだ、もう一度!」


 やり直す機会が欲しい。

 拒絶によって終わってしまった関係性を、もう一度繋ぐ。

 その為の呪文、その為の仮初めの命。

 存在を魔女と異界の悪魔に売り渡してでも成し遂げたいただ一つ。

 

「あなたは誰よりも美しい王だ! だからこそ、私の罪に穢されてそのような暴君に堕とされてはならない!」


「違う、彼は哀れな犠牲で操り人形! 私と同じ糸の玩具! だからもう王などやめていい、人を振り回して不幸にするだけの権力ちからなんて捨てていい!」


「どうか美しき王に戻って下さい!」


「安らぎを求めていいの! あなたを縛る全てを壊して、愛を叫んでもいい!」


 求めと赦し。

 相反する呪文が悲鳴のようにぶつかり合う。

 地竜は目の前を流れていく呪文に惑うように後ずさりした。


「俺は、戻れない。俺が俺であるためにお前を殺した。自分で選んだ道だ」


 地竜の喉から紡がれるのは理性ある言葉。

 呪文によって意識が戻っているのか、マラードは確かに対話に応えていた。

 『私』は全身で王の言葉を否定する。


「私は、あなたのためならば永遠の死とて厭いませぬ!」


 そう、殺されたことなどはどうでもいい。

 この身は王のもの。命を捧げ尽くして滅ぶならば本望だ。

 

「それでも、至高の美たるそのお姿が醜く貶められることだけは受け入れられない。麗しの王、それこそがあなたのまことのかたちなのだと思い出して下さい」


 糸の嵐がこちらの言葉に覆い被さるようにして襲い来る。


「黙れ、お前は哀れなマラードを自分の思うとおりにしたいだけよ。自分の理想の美しさがなければマラードではない。そんな傲慢、お人形遊びでしかないわ。私は違う。彼がどんな姿になろうとも、その心が真に欲する願いを肯定する!」


 地竜の頭が、アレッテとルバーブを交互に見た。

 迷い、戸惑い、去来するのはいかなる感情か。


「私はあなたに美しい王であって欲しい」


「私はあなたが醜いけだものでもかまわない」


 答えは竜の鱗に覆い隠されてけして見えない。

 マラードの心を身勝手に語り、探り、こうではないのかと採点を求める。

 言理の妖精語りて曰く。その呪文のなんとか細く脆弱なことか。

 『断章』が紡ぐ夢の泡、呪文の群れが地竜を取り巻き、次々と破裂する。

 ひとつ、ふたつ、みっつ。


 美しい光景。なつかしい思い出。

 虚ろな感情。焦がれる熱情。

 彼は恋に恋していた。知らないものを欲していた。

 それが彼の欠落だったからだ。

 だが――。


「俺は、俺自身の――俺が俺であるためにっ」


「ならば後悔など、未練など私ごと打ち棄てられよ! 偉大なる王よ、我が屍があなたの足場となるならば、これ以上の幸福はございません!」


 彼が暴君に、荒ぶる地竜になっているのはそこに罪の意識があるからだ。

 王として犠牲を許容できるのなら、彼は美しい王のままで進めばそれでいい。

 そしてそれこそが従僕の望み。

 マラードは、長く共に歩んだ従僕を誰よりも知る王は、そんなことは言われなくても分かっていた。呪文など最初から紡ぐまでもなく。


「俺は許されると知っていてルバーブを殺した! これが自立なものか、これが操り人形であることへの反抗なものか。これは甘えだ、俺の弱さだ!」


 マラードが望めば、それは叶えられたのだ。

 彼の意思は真実の王となることを望み。

 彼の感情は傀儡の王として従僕と共に在ることを愛おしんだ。

 罪があったとすればその一点。

 後悔など、王道にふさわしくない。

 どのような愚王であったとしても、王としての在り方を自分で信じることができないのならば、それは美しさからはほど遠い。


 この世で最も美しい王。

 虚構の中でだけ素晴らしい王として語られるマラード。

 彼は幻想。愚かさの中で踊る綺麗な人形。

 その現実が無惨な血に彩られていたとしても。

 呪文は、醜悪を醜悪なまま賛美できる。


「ああ、そうだ。楽しかったな、ルバーブよ。放埒の日々、退廃の日常」


 全ては夢の中。

 求めたものはついに手に入らなかったけれど。

 最後には何もかも屍の山に消えてしまったけれど。


「あれは、綺麗だったなあ」


 マラードは懐かしむように彼にしか見えない過去を見つめた。

 白い翼がはためき、糸の竜を弾いて叫ぶ。


「今です!」


 ここしかない。

 左腕を活性化させる。最適な武装を選択、過去最高の速度で再構築。


「換装・十二番!」


(【イングロール】エミュレート!)


 流星の輝きが収束し、星を砕く為の重機が顕現する。

 余りにも巨大な腕。ルバーブの剛力ですら支えるのがやっとの隕石除去用の義肢は、宇宙空間で活動するための装置だ。

 マラードが夢見た世界、その彼方に広がったのは星々の夜空。

 王の美貌に引き寄せられた恋する星の嫉妬を砕きながら巨腕を振りかぶる。


「させない、いや、いやよっ」


 アレッテの必死な声が星を乱舞させていく。

 紅紫の視線に従って星々が動き、次々と襲来。

 軌道はあまりにも読みやすかった。なにしろ視線の動きに沿っている。


「『弾道予報Ver3.0』――砕け散れっ」


 赤い弾道予測線の全てを弾いて砕く。

 星の残骸を抜けて、彼方の地竜に腕を叩きつけた。

 衝撃。そして閃光。

 夜の空を墜ちていく。

 地竜の鱗が、岩石鎧の装甲が、大気圏突入の高熱で剥がれて消える。


「ああ、そうか。俺の星は、ここにあったのか」


「陛下、私は、常にあなたのお側に」


 声は途切れて消えた。

 夢が醒めるように世界は消失。

 夜の闇を切り裂いて、天空から巨大な剣が落下する。

 幻想の法、ダモクレスの剣。

 それは権力を選定し、制御を失った暴力を切り裂く。

 暴君を殺して王国を滅ぼす一撃だ。

 咄嗟に庇おうと前に出る。

 しかし、巨大すぎる裁きの前には何の意味も無く。

 地竜となった暴君と、ラフディという古き王国は一夜にして滅び去った。

 全て、はかない夢であったかのように。




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