4-127 祈りは流星に似て①




 昔語りが好きだった。

 失われた栄華。美しかった過去の残り香。

 星は遠い過去の輝きで、今はもう存在しないのだと誰かが教えてくれた。

 それは少し寂しくて、けれどその儚さこそが美しい――そんなことを、幼心に漠然と考えていた。


 記憶はとてもあやふやで、思い出話なんて語る度に脚色されるいい加減なもの。心の寄る辺とするにはいかにも頼りない。

 それでも、美しいならそれでいい。全てが残酷に消えていくというのなら、せめて綺麗であってほしいと願う。

 夜には死が満ちていて、星屑の墓場は煌めきに溢れている。

 遙か彼方の終焉、そのなんと不気味で輝かしいことか。

 知らないモノを懐かしむように、そっと呟く。


「ラフディの黄金期、球形大地の時代か。かつては夜空に散らばる星の全てが球体だったとは俄には信じがたいが――胸躍る空想だ」


 傍らに、誰かがいた気がする。踏みしめる大地のように確かな存在感。

 視線を向けるまでもない。何故なら大地は常に自分と共にある。

 だから見つめるのはいつも空だった。天を仰いで息を吐く。


「煌めく星々がこんなにも近い。ずっと昔は、絶対に手が届かないと思っていたような気がする」そう言って振り向くと、そこにはいつも誰かがいた。「だが今は全てが輝いて見える。お前のお陰――いや、どうだったか。昔の事になるとどうにも記憶が曖昧だ」――あれは、誰だったのだろう。


 届かないと知っていても、美しいものを求めずにはいられない。

 この世で最も美しい『かたち』とは自分のことだと知っていた。

 ――傍らの誰かが教えてくれたから。

 なら、『かたち』の無い美しさはどこにあるのだろう。

 そんな疑問がずっと胸の内にあった。

 己にはそれが欠けているのだ。

 飢えは満たされず、求めるままに彷徨い続ける。

 未だ、答えは見つかっていない。


「見ろ『 』。星が墜ちていく――嗚呼、燃え尽きる姿すらも美しいのだな」


 全ては遠い過去。過ぎ去っていく。終わっていく。

 何もかも手遅れになり、美しかったものはことごとく屍と成り果てる。

 それでも、人は骸に縋り付かずにはいられない。

 死を崇め、冥府に幻想を抱く。手を伸ばして願いを託す。

 美しかったもの、失われたものを取り戻そうと祈りを捧げる。

 流星ひとつ、願いはふたつ。

 瞬く間に消えてしまうあの星をこの手に掴めれば、思い出せない願いもはっきりとするのだろうか。寂しさを埋めたくて、空に手を伸ばす。

 一繋がりの片割れが、どうしても思い出せない。




 瓦礫。巻き上げられる粉塵。揺れて砕ける硬い土。

 見上げるほどの巨躯は松毬まつぼっくり状の鱗片に覆われている。

 後頭部から生えた長い鬣を風に棚引かせ、槍の如き尾を引き摺りながら、轍を作りつつ疾走する一頭の怪物が咆哮を轟かせた。


 トカゲとセンザンコウを無理矢理一つの生き物として纏め上げればこのような怪物ができあがるだろうか。容易く象を踏みつぶせるほどの巨体――いつか戦ったカッサリオよりも雄々しくそして痛々しい。彼は戦士でも狩人でもないというのに荒ぶる野獣であることを強要されている。運命、あるいは悲しみによって。

 地竜マラードが嘆きの咆哮を響かせる。大樹の如き足が振り下ろされる度に激震が走り、脅威の接近を知らせていた。

 間もなく接敵する。腹腔に力を入れ、鋭く呼び声を上げた。


「来い、トバルカイン!」


 巨大な質量に、矮小な人は抗う術を持たない。

 根本的な重さが、筋肉が出せる出力が違いすぎるからだ。

 ならばそのための力は外から持ってくればいい。

 高く振り上げた左腕の真上に、高々と跳躍した骨狼が到達、眩い光が閃いた。

 迫り来る力に対抗すべく、骨の装甲を瞬時に身に纏う。

 だが今回はそれだけに留まらない。


 『ルバーブ』は足下を流れる地脈を探り、大地から素材を引き剥がしていく。

 全身を覆う骨組みに付加されていくのは土と石の装甲だ。

 要領は人形の操作と同じ。呪術による石像の使役は大地の民の得意技である。

 大地そのものを身に纏い、この身は巨大な石像ゴーレムとなる。


 トバルカインという『骨組み』は強化外骨格の基礎。

 隙間を埋める装甲や呪術的な動力部はその時々の即興で『創造』される。

 トリシューラの基本設計にルバーブの呪力が付加されたことで、【錬鉄者トバルカイン】は新たなる形態を獲得していた。


 重量を増した肉体で敢然と地竜に立ち向かう。蟻と象だった比は猫と象くらいに改善されていたが、まだ足りない。

 圧倒的な質量が真横を抜けて地面を砕いた。踏みつけを躱しつつ足裏や周囲の瓦礫から質量を補填。岩石をごてごてと全身に取り込んで更にサイズを増していく。機敏さと引き替えに得たのは威圧的な巨躯だ。


 巨大な相手に立ち向かうなら、こちらも大きさを増せばいい。『私』という力がある今、ありふれた『大地』という素材を利用しない手は無い。

 世界を単純化する。加工しやすいブロック片になった岩石素材が次々と集まり、『創造クラフト』の業によって強化外骨格の外側に強化外骨格を形成していく。


 不格好な巨大化を阻止すべく、地竜が巨体を屈めて突進。頭突きを見舞おうと頭部を下げ、太い角を突き出してきた。

 襲来する鋭角の頭頂部はさながら突撃槍。両手で圧倒的質量を受け止め、ぎりぎりで踏み留まる。

 足下の岩盤が削れ、凄まじい勢いで背後に押される。二条の轍が大地に刻まれて両足が悲鳴を上げた。

 とても受けきれるものではない。掴んだ頭部を強引に真横に逸らして、そのまま転がるようにして真横に退避。


「サイズが足りない。トリシューラ、ゾーイの時みたいにもっと高速で巨大化できないか?」


 荒く息を吐きながら態勢を立て直す。勢い良く走り抜けていった地竜はなだらかなカーブを描き、再びこちらへの突進を開始。

 回避プランを選択しつつ、ちびシューラが視界隅で困り顔を作った。


(リソース不足だよー。もうちょっと時間を貰えればなんとかなるけど)


 現在、ガロアンディアンの支持率は大幅に下がっている。

 六王の台頭と第五階層の混乱はこちらの戦力を確実に奪っていた。

 それでもこちらを支持する者がいなくなったわけではない。

 ちびシューラは少しずつ『創造』の為のリソースをかき集めてくれている。


 攻撃をやり過ごしながら、少しずつサイズを増していく。地竜が破壊を振りまいてくれるお陰で素材集めは捗っていた。

 見上げるような地竜の巨体にどうにか追いつきそうだという所で、ふと違和感が思考を掠める。

 順調すぎる。

 地竜の無差別な破壊は、ただ理性を失ったからというよりも――。

 疑問が明確な形になるよりも早く、地竜の巨大な前足が、長大な尾が、ラフディの見事な建造物を次々と破壊し尽くした。

 その中にはマラードが手がけた美しい建築物も含まれている。


 一瞬のうちに、『俺/私』の胸に去来する幾つもの記憶と感情。

 都心部の一等地に美容院を建てる計画を楽しげに語るマラード。積み木遊びをする子供のように、思い描く理想の世界を組み立てる。

 積み上げられた夢世界は、しかし幼子の激情によって儚く砕け散った。

 『私』がかつて理想と仰いだのは、壊すことしかできない醜い王ではなく、創造に長けた美しい王だ。

 その夢が穢されている。貶められている。歯を軋らせ、拳を握りしめた。

 と、睨む視線の先に意外な光景が現れる。


 地竜によって破壊された瓦礫が、次々と浮遊して組み合わさっていく。

 警戒を促す理性の声が遠ざかる。私はその光景に魅入られた。

 破壊の中から、創造が生まれつつあった。

 破片が積み上がり、組み合わさり、新しいものを構築する。


 出来上がったのは『塔』だ。

 交叉する棒状のパーツが張りのある『髪の毛』によって繋がれた異形の塔。

 驚くべき事に棒同士は触れ合っておらず、繋がっているのは呪力の込められた強靱なワイヤー、つまり髪だけだ。

 それは危ういバランスの上に成り立つ芸術作品のような建築。


 複雑な模様を織りなす塔の群れが、一斉に歌い出した。

 あれらは呪文の砲塔だ。次々とまじないが起動。こちらを追尾する光弾、動きを阻害する風、地面から隆起する石の槍、放射される猛火。地竜の周囲に並ぶ塔は攻防一体の陣地を作り上げて空間を制圧してくる。


 マラードの『創造』センスは防衛用の塔を構築するだけに留まらない。

 瓦礫が地竜の周囲に集まり、幾つもの部品を組み合わせて鎧を構成する。

 無思慮に見えた暴虐は、『物質創造能力』を行使する為の布石だったのだ。

 とすれば、『マラード』はまだ完全に消えたわけではない。

 希望はある。窮地のただ中、心が躍る。


 塔の群れが次々と屹立していく。トリシューラ本体からの援護射撃が塔から飛来する呪術と激突し、空中で幾つもの爆発の花を咲かせた。

 『弾道予報』を起動して呪術の雨をかいくぐる。損耗していく岩石装甲は後で修復すればいい。今はとにかく果敢に前進。


 マラードの間合いへと地を割る勢いで踏み込む。

 足を出しただけの誘いだが、巨獣は容易く引っかかった。


 近接格闘が不得手な王の弱点が露呈。引き込んだ相手の角を腕に見立て、ルバーブの剛力で掴むとこちらの側面へと誘導、固定した状態で顔側面に突き上げるような一撃。嵩にかかって攻め立てた。


(アキラくん、下がって!)


 だが、結果としてその猛攻は無意味に終わる。

 前足の膝裏に命中した掌打は二発。後の連撃はひらりと躱され、塔によって築き上げた陣地に未練を残さず軽やかにその場を離脱。

 竜は一瞬で丸くなり、球形のまま転がって回避を行ったのだ。

 更に丸くなっていた竜に無数の繊維が絡みついて膜のように覆い尽くす。

 竜が全身を伸張させた時、その姿は変貌を遂げていた。


 後頭部から生える長く滑らかな髪、そして全身を覆う硬質な岩石の外骨格。

 髪は伸縮性のある素材となって竜を覆い尽くし、筋繊維を模した構造に変化。

 幾つもの太い糸が四肢を、胴体を取り巻いていく。

 重力を無視して浮き上がりながら全体を保持しているかのようなフォルムはあまりに異様でグロテスクだった。


(髪を筋繊維や筋膜になぞらえた、テンセグリティの強化筋肉だ! テーピングで負荷を分散するのと似たような理屈だけど、アイデア重視の無茶デザインだよ! ずるいずるいずっこい!)


 人体は骨格のみで支えられているわけではない。

 筋肉と全身の調和・統合――要するに重要なのはバランスだ。筋繊維を覆う筋膜が発生させる圧縮と伸張のエネルギーは負荷を小さな足裏だけに集中させずに分散させる。気を失うと人体が重くなるのは、筋肉が弛緩して自分で自分を支えることをやめてしまうからだ。地竜は重さの最適な分散と自律構造を実現している。


 髪は最も強靱な呪物であり、マラードの髪こそは世界最上の繊維だ。最高の呪的素材で編んだ人工筋肉なら、自らの体重で自壊しかねない歪な地竜を支えることすら可能というわけだ。

 浮かんでは消える無数の戦術パターン。忙しなく検討を繰り返すが、結局は圧倒的な質量と物量のため『却下』の結論。でかい、重い、硬い、よって殴っても致命打に届かない。おまけに脅威は目の前の巨竜だけではない。


 空が荒れていた。塔が対空呪撃を繰り返すも、全ては嵐に飲み込まれて消失。

 八枚の翼が赫々と燃え上がり、朱金の鎧が地上を無差別に焼き払う。

 稲妻の雨が塔を次々と破壊。ちびシューラによればこの【神の怒り《ナチュラルディザスター》】という術は背の高いものから順番に破壊していくらしい。崩落する塔の建材が岩石の雨となってこちらを襲う。


 炎天使アルマは天災そのものだった。何らかの原因で暴走しているのか、ところ構わず破壊して回っている。

 凶暴性では地竜よりもこちらの方が上だ。逃げ遅れた人々が悲鳴を上げて炎と雷の雨から逃げ惑う。


「【地獄に堕ちろジャッジメント】」


 感情の無い声が響き、赤い甲冑が急降下。地竜に両刃の斧を叩きつけた。

 それは修道騎士たちが修練の末に辿り着く最上級神働術。

 一方的な裁定が下されて地竜の足下が溶岩と化す。更に電流を纏った斧が頭上から挟撃。さしもの地竜もこれにはひとたまりもないかと思われたが、マラードはその大顎を開いて口腔をアルマに向けた。


「【球神の吐息】よ」


 無機質な呪文詠唱。視界に表示される呪術の解説によれば、それは防御不可能な重圧を発生させる球神系の高位呪術。

 古の合戦において、その呪いは孔雀の妖精王に率いられたアヴロノの軍勢を一人残らず轢殺したと言われている。

 マラードは四肢を焼き焦がしながらもはっきりとアルマを見据え、大気を吹き飛ばす渾身の吐息ブレスを放つ。

 質量の嘔吐。すなわち竜と神の力による投石の集中豪雨。

 神話が甦り、炎天使の斧が罅割れ、鎧が砕け散り、炎と雷が吹き散らされていった。破壊の渦がアルマを彼方まで吹き飛ばしていく。


 そして駄目押し。上空で『援軍』と戦っていたアレッテ・イヴニルが密かに構築していた長大な呪文を解き放つ。

 輝く文字列で構成された呪文竜――オルガンローデが天空を駆け抜ける。

 溶岩の罠から抜け出したマラードがそれに応じて大地から『創造』、浮遊するのは表面に文字が刻まれた無数の球体。

 それらが光輝くと、人形姫の呪文竜へと情報の群を送り込んでいく。

 ラフディが誇る呪文発生装置【球形石版】は個人レベルで最高とされる呪文を軍事用のものに変質させる。

 準戦術級オルガンローデは際限なく巨大化、アルマの放つ熱量を全て飲み込んで肉薄、反撃の機会すら与えず一息に噛み砕く。

 直後、呪文竜が盛大な花火となって空を彩った。


(まー花火だから綺麗なだけで終わるよね)


 ちびシューラが嘆息する。彼女の言うとおりになった。爆炎と閃光が消え去ったあと、五体無事なままのアルマが現れたのだ。

 炎が鎧を覆うと破損箇所が手品のように修復されていく。キロンにも比肩しうる治癒能力は通常の攻撃が無意味であることを予感させた。


(カテドラル・グロソラリア――噂には聞いていたけど、あれほどだなんて)


 知っているのか、と心中で問うと、ちびシューラは頷いて答えた。


(今のアルマ――『炎天使』は形の無い聖遺物によって出力されるかりそめの表象。人にして人ならざる神聖機械――地上の教皇ファザーシステムを守る為に開発された最終聖絶兵器。それが人工転生者【カテドラル・グロソラリア】)


 ちびシューラによれば、『あれ』は神や天使といった霊的存在からの言葉を正しく受け取る為の架空言語で唱えられた仮想使い魔なので、仮定された神以外にその言葉を理解できる者はいないのだという。よってあらゆることば=呪文は通じず、呪文竜すら無意味なノイズとして無効化してしまうのだとか。


(今までのアルマは神聖不可侵な内的宇宙で瞑想状態にあると思う。あらゆる情報を遮断した封印状態って感じ)


 説得はできないのか。呪文詠唱はこちらにも理解できる言葉だった。なら対話で眠っているアルマを呼び覚ますことができるのでは。


(あれは言語の反射。ただ周囲に合わせて音を出しているだけで意味は通ってないよ。会話をしても、成立しているように見えるだけで成立してないと思う。あれには本当の意味で意識が無いんだ。物凄く単純な応答パターンがあるだけ)


 でもドルネスタンルフ系の加護は効いてたしマラードとぶつけて漁夫の利を狙うのが現状はベストかなー、と呟いていたちびシューラが不意に硬直。

 まさに地竜と炎天使の激突が凄まじい破壊を生み、余波が大地を消し飛ばしていく最中のことだった。

 逃げ遅れた人々が絶叫に沈み、救助ドローンがスクラップと化す。血と絶望が連鎖した果てに、惨劇の幕が上がる。


(まさか、そんな――早すぎる)


 呆然とするちびシューラ。終末の風景に、更なる狂乱が芽吹きはじめていた。

 『それ』は逃げ惑う人々を捕食していた。迎撃するドローンと融合していた。

 大地から湧き出しているのは、恐怖そのものだ。

 無辜の犠牲が生まれる度、地の底から湧き出る異形の怪物。

 虐殺の種から咲いた異形の花。一つとして同じ姿は無く、この上無いおぞましさからそれらが同種の邪悪であることは明白。

 『俺』はそれを第六階層で見たことがあった。『私』はそれをジャッフハリムとの戦いで見たことがあった。

 そして、かつて人狼をこの手で虐げた時にも。


 第六階層に跋扈する『純粋な異獣』。望まれた敵対者。

 概念的に定義された生まれながらの絶対悪。


 それらの名を『狂怖ホラー』と言った。

 げらげらと嗤いながら這い出してくるのは華奢な少女。

 華美で歪な衣装を身に纏い、スカートの下から無数の牙と触手と節足を乱雑に生やした悪夢の具現。

 忌むべき大魔将イェレイド、その分体。


 何故あれが。疑問に思う『俺』に答えるように、『私』はやはりと納得する。

 恐らくはティリビナ人虐殺の記憶と、それに付随する人狼迫害の記憶が呼び水となったに違いない。あるいは、あの痛ましい我が主の姿が大地の民に対する嫌悪や忌避を喚起したのやもしれぬ。


 排除、差別、隔離。『異獣』とはそうした人間の認識から生み出されるもの。

 ゆえにその『呪い』が一箇所に凝縮された時、あれらは世界に湧き出すのだ。

 人に望まれて、『創造クラフト』される。

 幾多の世界が並立する槍の中で、この第五階層は最も混沌の度合いが高い。

 物質創造能力が万民に開かれているからだ。

 『創造』が現在を変革し、言理の妖精が過去を引き寄せ、死人の森が復活して正しき理は崩れて消えた。

 何より全ての根源である『呪祖』がすぐ隣の階層にいるこの地には、奴らが出現しやすい土壌が既に出来上がり始めている。


 それは人類の病巣。伝染する恐怖。

 しかし、希望は常に闇の底から生まれる。

 虐げられる弱き人々。そんな彼らに差し伸べられる戦うための力。

 誰だって戦士になれる。『それ』があれば、平凡な一般人でも英雄になれる。


 一人の勇者が立ち上がり、おぞましい怪物に立ち向かった。

 それに呼応した市民たちは共通の敵を打倒すべく身の回りの全てを武器に、無力な身体に戦う意思を宿らせて再起する。

 混沌とした状況の中で生まれたのは整然とした秩序。

 求めるは均質な勇気。同質の決意。今こそ我らの力を結集し奴らを打ち倒せ。

 かくしてここに甦る、異界由来の新たな幻想。

 次々と起動する『サイバーカラテ道場』。発勁用意の声が高らかに上がった。

 襲い来る『異獣』を、『撃退』すべく。


(まずい、止めないと!)


 切迫したちびシューラの声が虚しく響く。走ろうとするが、地竜と炎天使の激突の余波で態勢を崩してしまう。間に合わない。

 サイバーカラテユーザーたちの拳が、棒が、刃が、異獣を攻め立てる。

 狂怖ホラーの歪な身体が吹き飛び、ティリビナ人の男性が殴り倒され、大地の民が囲まれて滅多打ちにされる。

 『上』と『下』の住人の間で衝突が発生し、探索者集団が抗争を開始する。

 「NOKOTTA!」「NOKOTTA!!」「NOKOTTA!!!」サイバーカラテは弱者の拳。力無き者たちの逆襲が異獣を打ちのめす。


 『敵』を倒す為に。

 ならば、退治するための敵が必要だ。戦う為には相手がいなければならない。

 『言理の妖精語りて曰く』――祈りの言葉が奇跡を招く。

 英雄は拡散と普遍化を繰り返して万民の身体と重なり合う。一人の男の輪郭がぼやけ、曖昧な『英雄像』が重なっていく。

 イメージは老若男女を問わずその心身に宿り、サイバーカラテの精神と共に彼らにある属性を宿らせた。


 『シナモリアキラ』という属性を。

 アキラが拳を振るう。『俺』は跳躍し、腰を深く落として突きを放ち、弓を引き絞り、槍を振るい、獣を駆逐する。

 十九魔将や守護の九槍、四英雄さえ退けてきたその力で邪悪を退ける。

 狂怖の心臓を貫いて殺し、ティリビナ人の首にナイフを突き立てて殺し、大地の民の首を絞めて殺した。

 飛び散る血は善行の快楽。誰かを救い、守り、助けることは気持ちが良い。正義の戦い、守るための戦い。

 殺して、殺して、殺して殺して「発勁用意」殺し続けて殺戮は軽く命は安上がりに大量消費の殺人鬼として誰かを守るために戦う。

 

(――っ同期停止! 思考掌握比率を変更、300秒以内の感情記憶を隔離、認識フィルタリング実行、『E-E』の機能を一部制限――)


 ちびシューラの声が遠くから聞こえてくる。

 『俺』はどこで聞いている。『俺』はどこにいる。

 ぐるぐると、意識が巡る。意思が循環する。

 拳は敵を打ち据え、悲鳴を上げ、助けを求めて血が恍惚をもたらして――意識が明滅する。敵を、守る、やらなきゃやられる、助けて、怖い、恐い、こわい、何もしなければ殺されてしまう!

 暗転。


 もちろん、『俺』がやるべきことはひとつ。シナモリアキラはトリシューラの使い魔で、彼女の腕となればいい。自明な結論。思考を停止して、ただ環境条件として周囲の状況を把握。うん、それでオッケーだよとちびシューラが微笑む。


 反撃の狼煙が各地で上がる度、地の底から黒々とした粘液が湧き出して、そこから異形の怪物たちが産声を上げていく。

 呪い、呪い、呪い。第五階層は余りにも呪いに満ちている。炎天使が「呪われてあれ」と祈り、地竜が愛を求めて吠える。


 止めねばならない。あれは、『私』の罪だ。

 同時に『俺』が招いた報いでもある。

 サイバーカラテという呪いを拡散させたことの本当の意味を、俺は正しく理解していただろうか。『暴力』を拡散させるということの意味を。

 だが何もかも手遅れだ。六王とその歴史に刻まれたサイバーカラテを無かったことにすることはもうできない。

 俺に何ができる? 拡散してしまった『俺』という脅威への対処はどうする?

 現在進行形で自分が虐殺を実行しているというのに、ひどく冷静だった。

 視界隅のちびシューラを見る。何かを考えようとして、やめた。

 言語化する前のごちゃまぜの思考を『めんどくさいからあとで考える』フォルダに放り込む。


(今はマラードやアレッテの対処が先だよ! とりあえず狂怖ホラーの撃破ポイントを吊り上げて攻撃対象を誘導してみるけど)


 本体シューラは『マレブランケ』のメンバーを率いて住民の避難誘導に狂怖ホラーの撃退にと忙しなく動き回っているが、溢れ出る異獣の群れを全て凌ぐことはできていない。ちびシューラが悔しそうに唇を噛む。

 地上では地竜と炎天使が拮抗し、上空では猫のような少女がアレッテを押し気味な今、俺たちが動けば停滞した状況を打破できるかもしれない。揺れる感情を凍らせて、ちびシューラが示す決定に従って動き出す。

 その時、回線に聞き覚えのある声が割り込んできた。


「ちょっとトリシューラの使い魔! あなたってばさっきから動けてませんけど、やる気あるんですか?!」


 純白の翼をはためかせ、白い少女が降下してくる。

 仲間からひとり離れて降りてきた少女は攻撃的な童顔でこちらを睨み付けた。

 ちびシューラが痛い所を突かれたとばかりに呻く。

 白い少女が手を振ると、彼女に付き従うように飛行する黒い本が淡く光を放った。共鳴しているようだ。

 少女は早口で捲し立てる。どうもこちらの不甲斐なさに激怒している様子。

 

「『断章』あるじゃないですかそれですそれを使うんですよこのぽんこつっ」


(ぽんこつ言うな!)


「ぽんこつだからぽんこつって言ったんですぅー! このぽんこつぽんこつポンコツロボット! いいからばかみたいな力押しは止めて絆を繋いで語り直すんですよ! 事情は聞いてます、再演やったんでしょう? 過去視の手間もいらないんですから、遡るのは可能な筈です!」


 ぽかん、とする俺/私、そしてちびシューラ。理解の遅い生徒に苛立つように眉をきりりと吊り上げて、少女は人差し指をびしりと突きつけてくる。


「あのオルガンローデを語り直して解体します。主旋律は私が。貴方たちはそれに続けて歌ってください。詳しく説明してる暇ないですから、流れで理解する! はいじゃあ行きますよ――『言理の妖精語りて曰く』!!」


 言うが早いか、空高く飛翔していく白い少女。

 歌うような声が誰かの物語を紡ぐ。少女の口を借りて語られる、届かない星空を見上げる誰かの視点。

 欠落を感じつつも何が欠けているのか、その輪郭が掴めないもどかしさ。語ること――呪文の力で、文脈をこちらに引き寄せる。

 直後、大量のデータを受信。マラードという王に関連する資料。

 それも史実関係よりも脚色、美化されたフィクションが圧倒的に多い。

 本来の歴史とは異なる解釈、解釈、解釈。語り直すという少女の言葉。

 俺の理解より早くちびシューラが騒ぎ出した。更に謎の混線。


(メ、メートリアンってば! 乙女回路ばっちし入ってるじゃんいいなっそういうとこが呪文の座だ! 星だよ星、流れ星!)(おねーちゃん超リリカル可愛いよ! 攻める時も勘違い可愛さ路線じゃなくてそっちで行こう!)(にあ! よぞら、ほし、ほうせきばこ、きれい! みるーにゃ、にあとおなじのすき!)


 途端に騒がしくなる通信回線。頭がキンキンする。

 なんか折角良い感じに状況が打開されそうだったのに白い少女が盛大に茶化されている。いや可愛がられている――?

 翼の歌い手は白い肌を気の毒になるほど赤く染めて烈火の如く怒り出した。


「あーもうばっかじゃないですかっ死ね!」


 毒気を抜かれながらも、急速に理解が広がっていく。

 『私』がやるべきことは、ならば一つだ。

 ちびシューラが導線を引く。与えられた情報から文章を構築、選択肢として表示して物語を体験させる。『コキュートス』のゲーム的世界観が彩るテキスト選択式ノベルゲームの方法論。俺はこれを知っている。コルセスカと一緒にやった六王の乙女ゲームと同じだ。


「任せろ、いける。マラードならもう攻略した」


 そう――あの美しい王のことを、『俺/私』は誰よりも知っている。

 本当に――? 疑問が胸をよぎる。

 ただ自分勝手な願いを託しただけ。彼の本心に寄り添って支えていたと、お前は胸を張って言えるのか。

 それでも、彼は美しかった。それだけは確信を持って言える。

 できることは一つ。

 ただ、彼の美しさを語ること。それだけだ。


「『断章』経由の間接的な情報じゃこっちで語るのも限界があります! 細部は直接の関係者であるそちらで詰めて、大事な事はちゃんと自分で伝えて!」


 白い少女の助言。

 それに対抗するように、紅紫の人形が憎しみを叫ぶ。


「そうはさせない――可哀相なマラードのことは、私が一番知っているの!」


 これから行われるのは欲望の綱引きだ。失われつつあるマラードの心を再解釈して、その輪郭を定める語り直し合戦。

 傲慢で、切実で、万感込めた粘性の愛。

 だからこれは――熱病のような愛のうたアフェクション


「言理の妖精――」


 白い少女が歌い、


「――語りて曰く!」


 紅紫の人形が呪う。

 そして俺たちは、もう一度過去へ遡る。  



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