4-125 王と物乞い②




 室内に足を踏み入れると、眩暈のするような極彩色が目を襲い、続いて誘うような香りが鼻をくすぐった。煌びやかな飴虫模様に彩られた外壁は絶え間なく色彩を反転させ、床に敷かれたハイダルマリク風の織物は渦を巻くようにして中央に獲物を引き摺り込もうとする。ドラトリアの猫目石が埋め込まれた浮遊円柱は不可視の力で半球状の天蓋を支え、こちらを見て一礼するサーク・ア・ムントの裸体像たちの笑顔は相変わらずぎこちない。


 跪く。拳を床に落とし、然る後に手を開いて上に向けた。まじないに満ちた室内の敵意が和らぎ、蠢く調度品の数々が停止する。不作法者は異国風の部屋に喰い殺される定めだ。


 スキリシアから伝来した青麝香アオジャコウの白粉にも似た空気が漂う室内は、甘く、苦く、そして微睡みを誘うような平穏で満たされている。目を眩ませるまじないが消えた後に残るのは、魅惑する芳香のみだ。


「面を上げよ」


 主の言葉に従い立ち上がる。ここではまだ顔は上げない。

 背を丸めたような姿勢のまま歩いていく。正式な作法では丸まって前転を繰り返すのが良いとされるが、廃れた風習だ。完璧な球形に変化できる者も数を減らしてしまった。時代は移り変わる。


「どうした、忠実なるしもべよ。俺たちの間で何を遠慮することがあるだろうか」


 二度の許しを受け、ようやく顔を上げる。

 そこに、この世の至宝があった。

 かんばせは太陽に等しく、直視するには眩し過ぎる。

 完璧な形を保った頭部から大地に降り注ぐのは陽光にも似た輝く長髪。


 髪は呪的な力を宿す。

 美しく艶めく髪ならばその呪力は一層高まるという。

 王の髪が纏う妖しき呪力は、およそ古今東西の呪物が束になってすら匹敵するかどうかという程である。この世で最も美しい髪の持ち主とは誰か? その答えを知らぬ大地の民はいない。


 ――これが、かつて路地裏で土埃に塗れていた髪だとは誰も思うまい。


 世界は騙されている。偽りの呪いが王国を覆い尽くしている。

 入れ替わりは実現した。大賢者オルヴァの指導を受けて習得した『王の交代劇』という大呪術は世界の全てを欺き、今となっては王であるマラードすら真実を忘却している。事実そのものが改変されているのだ、誰も入れ替わりを正しく認識することなどできはしない。

 王の秘密を知っているのは、この世にたった一人。

 秘密の独占。暗い喜びが胸中を満たしていく。


 天頂の採光窓から降り注ぐ光が王の髪を煌めかせる。幻想的な青が光の滝を作り出し、次第に白銀へと変遷していく。王の頭髪は毛先に向かうにつれて色彩が移り変わる。季節のようだと詩は語り、昼と夜のようだと歌が讃える。

 いずれの形容も正しい。彼は世界の全てなのだから。

 最も美しい王。

 その語り部という栄誉を賜った私は、この上無い果報者だ。


「お許し下さい、王よ。私のような卑しい生まれの者が御身を直視することは、いわば太陽を目で捉えることにも等しい難業なのでございます」


「身分など。何を気にすることがあるだろうか」


 マラード王は愉快な冗談を聞かされた子供のように笑った。それから、様々な『前例』を引き合いに出していく。


「ラフディの歴史書には荷担ぎから将軍にまで上り詰めた英雄ゴガベズや、平民出身ながらもディルトーワの技術を受け継いだ王宮付き人形師キーキゼリスといった偉大な者たちがたびたび顔を出すではないか。お前もその一員であるのだと、そろそろ自覚してもいい頃ではないか?」


 マラード王は学ぶことが苦手だ。招かれた高名な家庭教師たちの言葉には耳を貸さず、遊び暮らしている。しかし英雄たちの『物語』――とりわけ身一つで立身出世を成し遂げるような話は好ましく感じられるらしく、学ぶべき歴史を学ばず枝葉末節の脱線した逸話ばかりに食いつく悪癖があった。


 仇敵カシュラムと幾度となく激戦を繰り広げた英雄や歴代の王たちの話には目を輝かせて聞き入るため、どうにかある程度の『王としての知識』は伝える事ができた。そもそも文盲であるという事実を隠すのは困難を極めたが、ある程度までなら呪術で誤魔化せる。強引に取り繕い続ければ、『そういう王』であると周囲に納得させることは可能だった。


 それでも彼は完璧な大地の民の支配者だ。美的なものごとに対する鋭い感性を持ち、大地に愛されるがゆえに土を自在に操り、都市を美しく整えるすべに長けている。ラフディの王に必要な資格とは、賢さよりも大地の加護、加えて美と愛だ。


「私などが宮仕えを許されているのも、全ては陛下の英明さと慈悲深いお心があってこそ。卑小な身ではありますが、この下僕めの全てを陛下に捧げさせて頂く所存でございます」


 跪いて感謝の意を示す。

 その光景に、周囲は善き王と忠実なる臣下という物語を見出して、王国の美しい未来を幻視する。ここは舞台の上なのだ。我々は役者だった。



 貧民街を廃し、王都を美しく作り替えた偉大なる王マラード。彼は能力さえあれば階層に関わらず重用するということを卑しいルバーブを側近とすることで証明して見せた。ここにあるのは完璧に整えられた、善き王のための世界。

 美しき王が治める王国は美しくあらねばならない。

 彼の純粋な心根のように、無垢で清浄な有り様こそがラフディには相応しい。


 満足だった。王の有り様に、己の身分に、『これこそが本来の立ち位置である』という確信を抱けている。私は卑しく醜いルバーブ。王に傅き、その美貌を際立たせる忠実なしもべ。貴いものに従属する幸福を噛みしめる日々。

 美しきマラード王とその王国に栄光あれ。




 時間の感覚がひどく曖昧だった。

 今はいつで、ここはどこだろう。

 断片的な記憶が夢のように瞳の表面を駆け巡る。

 そして、なにより不思議なのは。

 これは、『誰』が語っている物語なのだ?


 再生者としての二度目の生は打ち砕かれた。

 『私』は既に死んでいる。語る口など、真の死者は持たない。

 だというのに、どうして私はもう戻らない日々を追想できているのだろう。

 疑問を抱えたまま、懐かしい景色が回り続ける。




 時は優雅に流れていった。

 入れ替わりの首尾は上々。陛下の奔放な振る舞いには振り回されっぱなしであったが、それはとても心地良い体験だった。苦労も苦痛も、美しき王によってもたらされていると思えば甘美な恍惚に変わる。


 来る日も来る日も、彼に仕えて過ごす。

 なんと幸せなことだろう。

 そんなことを思いながら、今日もまた王に奉仕をする。


 湯船に、糸杉の精油を九滴落とした。

 落ち着いた木の香りに、痺れるような芳香が混じっている。普通の感覚ならば九滴も垂らすのはやや多すぎるというものだが、我が王は豪奢な暮らしを愛した。

 漂う香りに、心まで洗われていくようだ――そう思ったとき、


「まるで心が美しく清められていくようだな、ルバーブ?」


 そんなことを言われたものだから、主は私の心の中を見透かされているのだろうかと不安になり、身を震わせた。すぐに返事をするべきであったのだが、私の口から発せられたのは言葉にならない無様な溜息の出来損ないのみ。


「ふ、俺が美しすぎて声も出ないか。まあ当然のことだ。ああ、今度画家と彫刻家を呼んでこの完璧な姿態を形にして残させようか――どんな優れた芸術家であっても、この完璧な美を再現することは不可能であろうがな」


 長い髪はただでさえ土埃で汚れやすい。

 土地の乾いた大気と荒々しい風は繊細な髪を痛めつけてしまう。

 だからこそ、艶やかな髪は貴重なものとして尊ばれていた。

 天然の宝を、慈しむように撫でさすり、薬液を馴染ませていく。

 同時に、自らの呪力を気付かれないように浸透させた。


 王の身の回りの世話――という名目の、呪力の注入。


 人外の賢者は『人形のぜんまいばねを撒くが如し』と揶揄するが、我々の『今』を維持する為には必要な行為だった。定期的にこうして私の力を陛下に注ぎ込むことで世界を欺くという大呪術が可能になっている。


 本来ならば召使い人形にやらせるようなことだ。

 生身の者に触れさせるには、王の身体は余りに繊細過ぎる。

 この滑らかな肌に傷一つでも付けられたなら、私はその咎人に生まれてきたことを後悔させるほどの苦痛を与えることだろう。


 事実、今はそうした愚か者を血祭りに上げた直後だった。

 ある式典の最中のこと。陛下を狙う暗殺者の兇刃を防いだは良いが、返り血が飛び跳ねて陛下の身を汚してしまったのである。私は常に陛下に張り付いてお守りすることに決めた。身を清める最中であっても離れようとしない私を、陛下は当然といった態度で従えて進む。堂々たる裸身は王者の風格を備えていた。


 その誇らしげな表情に、ふと翳りが差す。

 陛下は先程まで血の付いていた頬に触れながら、独白するように言葉を紡いだ。広い浴場に声が広がっていく。


「先程は大儀であった。戦いとなるとルバーブは本当に頼もしいな。我が国の守護神と呼ばれているお前を見ると誇らしい気持ちになる」


 反響する声は低く沈んでいく。

 まるで陛下の心を映し出す鏡のように。

 浴場の鏡は、全て湯気で曇ってしまっているのだが。


「――だが同時に、不安にもなるのだ。お前が俺の知るルバーブではなくなっていくような、そんな不吉な予感を覚えてしまう」


 戦場での私は、本来の『大地の加護』を引き出して戦っている。

 王には幾つかの側面がある。

 象徴、祭司、霊媒、統治者、将――私は軍事力の全てを陛下に委ねてはいない。

 それは危ういからだ――彼には暴力は似つかわしく無い。

 血に濡れるのは私だけでいい。

 元より、私はそういう王だった。


 かつての栄華を誇ったラフディも古びた栄光の残骸と成り果て、積み重なった負債は王国を責め苛む。削るに削れない贅肉に圧迫される、肥満体の国家がラフディの正体だった。時の王家は『強い王』を求め、賢者の知恵を借りて禁忌に手を染めた――その成果が私という怪物だ。


 臣民を屈伏させ、絶対なる支配を確立し、純粋で強いラフディを取り戻す。

 他国を飲み込み、異物を排除し、精強なる大地の民による千年王国をこの地上に再臨させる。そんな妄執が鎖となって私を雁字搦めに縛っていた。

 私は壊すことしか知らない。だから願った。全て壊れてしまえと。

 

「お前は、本当はどちらを望んでいるのだ?」


 陛下の声には不安が滲んでいた。

 私は安心させるように笑顔を作り――作ろうとして、醜い私などが笑顔を作れば更に見苦しいことになるだろうと気付いて表情を引き締めて言った。


「私の魂は陛下と、陛下の王国に捧げられております」


 壊したいと少年は言った。

 だが彼は私とは違う。破壊の後の創造を知っている。

 繁栄の中で享楽に耽る楽しみを知っている。

 ラフディの呪わしい髪に、醜い暴力ではなく美しい魔力を秘めている。


「ラフディの全ては貴方の為にあるのです、この世で一番美しいお方よ」


 だから私はこの方に仕えるのだ。

 この魂の全てを懸けて。


「そうか。ならば存分に尽くせ。そして幸福であるがいい。美しい私に忠誠を捧げられるお前は、最高の臣下なのだからな」


 柔らかな声が響き、湯気と共に天井に昇っていく。

 水音と共に、全ての不安が洗い流されていった。

 私たちには、もはやなんの不安も無かった。

 栄光の千年王国は、もうここにあるのだから。





 ――いったいこの国はどこで間違ってしまったのか。

 ――王とは誇り高き戦士たちの長でなくてはならぬ。

 ――柔弱な王など不要。

 ――見よ、あのか細い身体を。押せば倒れてしまいそうではないか。

 ――男とは強くあらねばならぬ。

 ――弱き王を廃する必要があるだろう。

 ――弱き王は要らぬ。

 ――弱さは醜さ。

 ――醜さは弱さ。

 ――醜い醜い、見苦しい。目障りな王など殺してしまえ。


 不快な音が響く。

 王宮の至る所からそれは聞こえてきた。


 私の精神を逆撫でするように。

 殺してくれと懇願するかのように。


 陛下に仕えるというこの上無い幸福を享受する日々の中、不快感は着実に心の深いところに堆積していった。

 それは凝固し、粘ついた怒りと憎しみへと変質していく。

 王国を動かす『貴き血』――その全てに吐き気がした。

 

 際限なく黒い感情が膨れあがる。遂には陛下の前で傅いている時でさえ、不意に叫び出したい衝動に駆られるようになっていた。

 お前たちにはあの美しい光景が見えないのか。


 高みから王都を望んだ者はみな一様に息を呑む。

 偉大なる王が作り上げたこの上無く美しい都の完成形がそこにあるからだ。

 白く滑らかな丸屋根の建物が建ち並ぶ柔らかい景観の中を、整然と広い道路が走っていく。雑然とした街並みが『都市の裏側』を作りだしてしまわないように、計画的に管理された区画。王都の全ては陽光の下にある。


 至る所に見られるのは円と球。

 箒や絨毯、白骨牛車などが淀みなく通過していく環状交差点はラフディ特有の光景だ。高速車両の運行を円滑に進め、球神の加護によって交通事故を防ぐ道路――その内側には小さな庭園。噴水と選定された植え込みが美しい中央島は貧民街で暮らしていた者たちに管理させている。


 かつてのラフディは破壊された。

 徹底的に、痕跡も残さず滅ぼされたのだ。

 圧倒的な権力、我を通して望みを成し遂げる意思。

 これこそ正しく王者の振る舞いであろう。

 だというのに。


 ――なんと無駄なことを。

 ――あの愚王は国を傾けようとしている。

 ――我らに身を切らせ、その上で臣民からも搾り取ろうとは。

 ――醜い若造め、今に目にもの見せてくれる。

 ――醜さは罪。

 ――罪を重ねるあやつに王たる資格は無い。


 陛下の美しい居城に巣くう害虫たち。

 私を形作り、王族という血の呪縛でこの美しいラフディを蝕む邪悪。

 老醜をさらすだけで飽きたらず、我が王に害を為すというのなら。


 構わないとも。そんなに望むのなら殺してやろう。


 そんな決意を固めていた矢先だった。

 深夜、人狼の衛兵たち以外が寝静まった王宮の中庭で、私は愕然と立ち尽くしていた。信じられない光景が目の前で繰り広げられている。


 ラフディにおいて王に次ぐ権威と権限と有する貴き血の者たち。

 かねてから王に叛意を持ち、いずれ排除せねばなるまいと思って来た老人たちが、残らず血の中に沈んでいた。

 やったのは私では無い。彼らは一様に奇妙極まりない死に方をしていた――まるで呪殺されたかのようにおぞましく。


 一人は口の中に松明を飲み込んで。

 一人は荒縄で首を吊って。

 一人は槍で串刺しにされて。

 

 全て自殺。しかしそれぞれがそれを何度も繰り返したのか、遺体はいずれも激しく損壊していた。死した後も自らを殺し続けたとでも言うのだろうか。

 総勢十二人の屍がその場所に横たわる。

 狂いきったその場から離れようと一歩後退る。


「おや、帰るのか。折角来たというのに」


 どこからとも無く響いてくる声。

 死せる十二人の死体が、急速に朽ち果てていく。

 時が加速するように老いていく屍の群。

 それらはやがて灰となり、風に舞い上がる。

 不可思議な力に導かれるように、灰はひとところに集まった。

 それは一人の男の姿を形作る。


「嗚呼、終端はまだ遠い――お前にとってもそうであるようにな。ルバーブよ」


 白地の長衣が揺れ、その上で紅紫の色彩が踊る。

 血に濡れたカシュラム十字。

 病的に白い肌色、端整さの中に陰気さを孕んだ容貌、線の細さ――いずれの特徴も、我が王の華やかさや麗しさとは逆に頼りなさを感じさせる。


「オルヴァか。相変わらずだな」


「お前も息災で何よりだ。人形も上手く動いているようだな」


「陛下を人形と呼ぶのを止めろ」


 怒りを込めて睨み付ける。

 十字の瞳が真っ直ぐにこちらを見返してきて、逆に気圧される。

 人のような感情がまるで感じられない、超然とした輝き。

 理性や叡智というよりは、根本的に異質な思考の怪物と相対しているかのような感覚にぞっとさせられる。


「人は皆、運命の操り人形だ。私も、お前も。だがあの人形――マラードは少なくともお前の糸で操られている。それは幸福なことではないか」

 

 何かを言い返す必要があった。

 だが、私の開きかけた口からは掠れた吐息が漏れるのみ。

 私自身の欲望、身勝手さ、傲慢さ、怠惰さ――罪の全てを暴露され、その上で許されたような最悪の気分に陥る。


 彼の純粋さにつけ込み、心を操り、運命を弄ぶ。

 それは許されざる大罪だ。

 私は陛下に――彼に裁かれなければならない。

 だが、全てを明かせば我々の『今』は破綻する。

 私はどうしようもない嘘の上で怯えながら生きていくしかなかった。


「この惨劇、どう始末をつけるつもりだ」


「お前の手間を省いてやったというのに、ずいぶんな言い草だが――簡単なことだ。死せる貴族たちの魂を宝珠に封じ、人形と化して動かせばよい。もとより肉体など不要な者たちだ。頭脳と魂だけを働かせ、王に尽くさせればそれで良いではないか。王国は滞りなく動いていくというわけだ」


 オルヴァは確かに私の手間を省いてくれていた。

 助かったのは事実だ。彼はその十字の瞳で未来を見る――より厳密には、『未来を過去の記憶として思い出す』ことができる――ため、こうして先回りした行動でこちらを助けてくれることがよくあった。


 陛下との入れ替わりもこの男が授けてくれた知恵のお陰で成り立っている。

 得体の知れない男だが、中原にその名を知られた十二人の大賢者の一人でもあるのだ。頼りになることは認めざるを得ない。


 普段ふらふらとどこぞを彷徨っているこの男は唐突に現れてこうして私を助けに来る。不可思議な瞳の奥に秘められた思惑はまるで読み取れないが、一度だけどうして私を助けるのか、と尋ねてみたことがある。


「我々は『お前の死』以来の長い付き合いだ。親身にもなる」


 一度聞いただけでは理解しがたい理由だった。

 未来から過去へと歩むオルヴァは、たまにこうした奇妙な発言をする。


 要するに、我々は終生の付き合いになるらしい。

 うんざりすべきなのか感謝すべきなのか、判断に困る相手――それが大賢者オルヴァという男だった。


「それにしてもオルヴァよ。毎度毎度、もう少しましな現れ方はできないのか。既に命ある人としての形を捨てているというのはわかるが、十二人も生贄を要求するというのは尋常ではないぞ」


 苦言を呈すると、ずれた答えが返ってくる。いつものことだった。


「『十三階段』というのはクロウサーが持ち込んだ死の象徴だが、私もそれを利用することくらいはできる。十二という数字はカシュラムにとって聖なる数字。四方に配置された完全なる均衡は大宇宙の安寧を形成するのだ」


 カシュラムの象徴たる十字の印は、四方向を示すがゆえに数字の四を暗示する。

 それに完全や安定といった意味を内包する三を重ねて、十二。

 下らない数字遊びと言ってしまえばそれまでだが、整った形、綺麗な配置というのは美的でもある。そして数字と美しさ、そして神秘性は不可分なものだった。


 ラフディにおいてもそれは同じ事。

 私の右耳を貫く環状の耳飾りは、ラフディにおいて呪術の暗示である『十字を囲む円』の紋章を象っている。車輪にも似た太陽十字は、大賢者オルヴァより授かった秘宝だ。これこそが世界を騙す王権交代術の要であった。


 オルヴァは私の耳飾りを手に取ってその十字の瞳でくまなく観察した。

 どうやら呪具の点検が本来の目的だったらしい。

 真剣な顔をしていると普段の頼りなさげな印象がなりをひそめるが、陛下の凛々しさに比べるとやはり一段落ちる。


「思えば奇妙な縁だな、ルバーブ? 王座を追われた古のカシュラム王と、王座を嫌った現代のラフディ王。その二人がこうして友誼を結んでいるというのは」


 オルヴァはなにがおかしいのか、くつくつと喉を鳴らして言った。

 彼の言う事は私も感じていたことだった。

 代々の先祖はこの大賢者が治めていたカシュラムと幾度となく争っていたが、そのカシュラムも滅びて久しい。


 生きているか死んでいるかもわからないオルヴァと私が敵対する意味は無い。

 私にとってオルヴァは呪術の師であると同時に腐れ縁の友人のようなものだ。

 互いの境遇について、何かしら思うところがあるのだろうとは思う。

 それをはっきりとした形にしたことは無いし、するつもりもなかった。 


「どうやら今のところ目立った綻びは無いようだ。しかしこのまじないが不安定な『ままごと』であるという事実は忘れない方がいい。『王の権威』が揺らげばそこから全ては破綻するだろう」


「わかっている。だからこそ、私が陛下をお守りしなければならない」


 あの方の栄光を妨げる全てから彼を守れるのは、この私だけなのだ。

 肩にのし掛かる重い責任は、息苦しさよりも誇らしさを私に与えている。

 そうだ、私はこの罪深い『今』を楽しんでいるのだ。

 罪を重ね続ける醜悪で怠惰な王。

 それはまさに私のことを指しているのだった。


「どうでもいいではないか。罪や裁き、道徳や愛情――全て滅びの前では儚き塵埃に過ぎぬ。やがて万物は大いなるブレイスヴァに飲み込まれて消えるのだ。始まりはブレイスヴァであり、終わりもまたブレイスヴァである。我らはただその狭間の中で滑稽に踊れば良い」


「それは、お前自身の事を言っているのか、オルヴァよ」


「そうだな。私もかつてはつまらぬ世俗の事柄に心を乱すような若さを持っていた――だが、それも時間と共に薄れていく。そんなものにこだわるより、己の欲する一瞬を追い求めることだ。全てを斉しい虚無であると割り切ることは、マシュラム人には難しいであろうからな」


 達観したような――事実として全てを悟りきっている大賢者はそう言って儚げに微笑んだ。この超然とした男も、人らしい苦しみを抱えていた時代があったのだろうか――そう思うと不思議な気分になる。オルヴァは古い記憶を思い出すかのように――いや、彼にとっては未来を予言するかのように、過去を語って見せた。


「私を翻弄した盟友ウォレスと十二の使徒たち、我が心を引き裂いた妻キシャル、幾度となくぶつかり合ったラフディの戦王カルメダージ、悪夢のような外敵レストロオセ、運命を同じくする十一の賢者、全ての神々を拒絶し破壊せんとする白髪赤眼の有翼王メクセト、偉大なる我が君キャカラノート――全てが懐かしい」


「キャカラノート王――か」


 私は喉元まで出かかった問いを飲み込んだ。

 『お前は、一体いつから生きている?』――答えは決まっている。

 『ブレイスヴァがどうのこうの』とかそういったどうでもいいたわごとが返ってくるのだ。オルヴァに呪術の知恵以外を求めてはならない。


 途方もない年月を生き続けている(あるいは死に続けている)この賢者は、どのような角度からも線の細い青年にしか見えない。だがオルヴァの時計は異常を来している――あるいは彼の言動よりも遙かに狂っているのだ。


 カシュラムが興るのは獅子王キャカラノートの時代が終わり、覇王メクセトが神々に戦いを挑んだ戦乱時代の後だ。最盛期のラフディと互角の戦いを繰り広げたという古き強国は、長い歴史を重ねた末に唐突に滅び去った。最後の王の名はオルヴァ――最も奇妙で、最も有名なカシュラム人の名前だ。


 呪術に満ちたこの世界において、たびたび歴史は混乱する。

 修正され改竄され、時空は幾度となく塗り替えられてしまう。

 カシュラムは滅びた後も幾度となく歴史の中に姿を現し、またカシュラムが興るよりも前の時代にカシュラムの痕跡が発見されることもあった。

 いずれのカシュラムであっても、そこにはオルヴァの名が遺されている。

 カシュラムはあらゆる時代で滅びていた。終わりを象徴するオルヴァと共に。


 オルヴァに教わった呪術は私を救っていたが、同時に彼の存在はどうしようもない不安を抱かせる。オルヴァからは破滅と終焉の臭いがするのだ。

 消しがたいその臭いは、きっと私にも染みついている。

 いつか、どうしようもない運命に追いつかれる。

 その予感を、予言の賢者は肯定も否定もしなかった。

 私には、『今』しか無い。



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