4-117 騒乱①




 つい先程までの観客たちは試合観戦という熱狂に溺れていた。

 だが今は、自らが拳を握り暴力に埋没するという熱に浮かされている。

 暴徒と化した観客たちは目を血走らせ、喉も涸れよとばかりに罵声を吐き出している。そこに理性は無く、まるで会場の雰囲気に支配されているかのようだ。

 ――実際、彼らは操られている。


 いつの間にか罵り合いの内容は試合に関することから互いの異質さや身体的特徴をあげつらったり、言い掛かりめいた悪意をぶつけ合うものに変質していた。

 根拠など何も無い、ただ敵意を撒き散らすためだけの言葉。

 

 分かりやすく邪悪な敵は正しい味方を作り出す。

 我々は結束し、奴らに対抗しなければならない。

 弱い女子供を守れ、卑劣な奴らを駆逐せよ。

 人々を駆り立てているもの、昂揚させているものは果たして何なのか。


 ある者はこれ見よがしに地面に唾を吐いて見せた。大地の民に向けての最大級の侮辱。ある者は携帯端末や応援用の拡声器を破壊して見せた。技術力を誇りとするガロアンディアンとトリシューラに対する敵意の表明。

 ある者は大地球体説を未だに信じている大地の民を嘲笑し、ある者は機械不要論を叫んで見境無く周囲の物を打ち壊す。


 それを見ながら、『私』はあまりに出来過ぎていると感じた。

 ガロアンディアン側の勝利が、ではない。彼らは予想以上に強かった。ただそれだけのことだ。問題はそこではない。

 試合後に生じた疑惑、そこから派生した諍い、その果ての暴動が問題だ。

 扇動した者がいる。恐らくは、呪術的な力によって。


 集団を支配する使い魔系統の呪術、それもこれほどの規模で扇動ができる使い手となるとそう多くはない。

 その目的は判然としないが、元凶の正体は自明だった。

 アレッテ・イヴニル。忌まわしい毒婦。


 混乱のただ中、ベンチから一冊の本がこちらに向かって飛来してくる。

 黒い装丁の魔導書。【死人の森の断章】が教えてくれているのだ。

 これこそは書物の形で分割された王権。

 その担い手が、近くで力を行使している。


 同質の力は引かれ合う。オルヴァ王が斃された後、彼の持つ【地位の断章】は忽然と消え去っていた。しかし、かの大賢者の気配は無いというのに【断章】の気配だけが感じられる。このことが意味するのは、つまり。

 そこまで考えた時、背後の部下たちが私に呼びかけていることに気付いた。


「ルバーブ様、我々はどうすれば」


「落ち着け。まずは陛下の安全を確保することが先だ。カルメーキフとドルン、ゴガベズは私と共に貴賓席に向かうぞ。ソーレル、ドック、ペルシカリア、エキドナで暴動の鎮圧に当たれ。多少手荒になっても構わん」


 矢継ぎ早に部下たち――共に棘球を追いかけていた王国きっての戦士たちに命じていく。続いて【断章】の項をめくり、その機能によって離れた場所に配置されている部下たちにも指示を下す。その後、一人だけ指示を後回しにしていた男の方を向いてこう告げた。


「それからアレトは自分の名を媒介にしてアレッテ・イヴニルに呪縛をかけろ。あの魔女めの動きを多少なりとも妨害できるはずだ」


「しかし、そうしますとアルト王にも影響が」


 ある意味で不遜ともとれる心配をするアレト=アーキフ。かの王にあやかった名を持つこの男は戦士だが、ラフディ随一の宮廷付き呪術師でもあった。彼は自分が本気で呪詛をかければ、その余波で悪しき魔女ごと亜竜王を害してしまうのではないかと考えたのだ。


「構わん、やれ」


 無論、アルト王の力の強大さを信用しての命令だ。

 並大抵の――どころか、熟練した呪術師であってもこの男の呪いに耐えきれる者はそういない。というより、ラフディにおいてすら彼の呪詛に抗しうるのは私だけだ。この第五階層では六王とその側近、それに近い実力の者くらいだろう。


 つまり、もしこの試みが失敗に終わったならば。

 あの魔女が、それ相応の実力であることが確実になる。

 大地に手をついて呪いの文言を唱え始めた彼は、数秒の後に呪いを返されて崩れ落ちた。目から黒い血を流し、口から歯をぼろぼろと落としながら肉と骨を朽ち果てさせている。


 指示を下した私にも因果が繋がっていた為か、呪い返しが黒ずんだ闇色の触手となって襲いかかってくる。咄嗟にはね除けたが、腕に痺れ、次いで感覚の喪失を得た。見ると、触手が触れた部分にびっしりと紅紫の髪が絡みついている。


 おぞましいのは、それが私の身体から直接生えていたことだ。

 ぶちり、と肌ごと引き抜いて捨てる。掻き毟って周辺の肉を刮ぎ落としたいという衝動を抑えながら事態の深刻さをもう一度確認する。

 アレッテ・イヴニルの力は予想を超えて――いや、予想通りに強大だ。

 

 試合直前のトリシューラとの会話、そしてそれまでに行った独自調査によって、私はアレッテという女の正体におおよその見当がついていた。

 だがそれは致命的な情報であった。公言することは決して出来ない代物だ。その事実が明かされたが最後、ガロアンディアン、竜王国、そしてラフディの三国は間違い無く根底から揺るがされてしまうことだろう。


 私は、アレッテという女が本物の貴種であることを知っている。亜竜王に連なる名前の由来も、ラフディの王家に連なっているのだというその来歴も、全て。そしてそれは騙りなどではない。我が主が直感のみで信用したことは、ある意味では正しいのだ。確かにあの女は正統だ。王家の血脈という呪いに連なっている。


 だが、それがなんだというのだろう。

 奴の思い通りにさせるものか。

 まずは陛下の安全を確保しなければ。


 ちらりと競技場の反対側に目を向ける。

 ガロアンディアンの戦士たちは一箇所に集まって対応を協議しているようだった。機械女王トリシューラが周囲の兵たちに命令を下している。接触しようかと一瞬だけ考えたが、それはあまりに軽率かつ身勝手な行動であり躊躇われた。陛下の指示を仰ぐのが先だ。


 走って貴賓席に向かう直前、一瞬だけシナモリアキラと視線がぶつかった。

 サイバーカラテの紀人。

 意思決定の外部化。その極致にして体現者。その在り方に、どうしようもなく私は共感していた。私たちは同じだった。故にラフディにおけるサイバーカラテの伝承者は私であるのだ。全ての責任を放棄して我が主に何もかもを委ねている私こそ、サイバーカラテは相応しい。


 ラフディのサイバーカラテは、基本となる『経験の釜』と『意思決定の神託』を球神の加護に委ねている。しかし、現代に甦ったこの技術は万人向けに解放されている『ちびシューラ』という妖精を取り込んで格段の進歩を遂げた。国技にして軍隊格闘術であるラフディ相撲は体系立てられた管理と洗練、普及と幼少期からの教育によって大地の民に最適化されている。


 しかしそれでも、その在り方が『古いサイバーカラテ』であることからは逃れられない――我々はシナモリアキラの影響下にある。

 走りながら、ガロアンディアンの戦略に思いを巡らせる。

 彼らの狙いは明らかだった。


 ガロアンディアンの技術力を誇示することがこの球技大会の目的だ。

 一目で分かる結果は、勝敗以外にもある。

 【サイバーカラテ道場】による技術習得の効率化は運動に不向きな者、苦手な者たちの参加の敷居を下げる。あの『杖』呪術は全体の底上げに適しているのだ。


 運動ができる者は効率的に実力を伸ばせる。傑出した天才や型に嵌らない異才とは相性が悪いが、堅実な秀才との相性はとても良い。

 最高峰の選手には敵わない。

 しかし国全体の総合力では確実に上回れる。

 その成果によって、彼らは勝敗に関わらず『評価』を獲得しようとしていた。


 そしてもう一つ。

 こちらはもっと単純だ。それはサイバーカラテの強さを証明することである。

 トリシューラが試合にサイバーカラテを持ち込んできたのは、こちらがその対策としてラフディ相撲――つまりラフディ流のサイバーカラテで応戦することが見えていたからに他ならない。そうすることで、どちらが勝ってもサイバーカラテへの評価が高まってしまうという『詰み』の状況を狙っていたのだ。


 仮にラフディの勝利で終わっていたならば、トリシューラは『流石は大地の民。サイバーカラテを見事に使いこなしている』などと褒め讃え、より一層サイバーカラテを大地の民に浸透させようとしていたことだろう。ラフディ国民がサイバーカラテを誇りに思ってしまえばそれはあちら側の思う壺だ。


 便利さとは強さだ。

 たとえこちらが勝利してガロアンディアンを取り込んでも、魔女の技術力とサイバーカラテの理念は内側からラフディを侵食し、全く別のラフディに作り替えてしまうことだろう。


 文化侵略によって内側から攻撃されたラフディは、その名と文化の名残を持ちながら、ガロアンディアンを無秩序に混ぜ込まれた『何か』になってしまう。

 サイバーカラテを司る紀人であるトリシューラとシナモリアキラの力はそれによって高まり、ガロアンディアンはラフディの中で再生する。


 恐ろしい相手だ、と思うのと同時に、ある考えが私の中で膨れあがっていく。

 それは途方もなく危険な――ラフディに忠誠を誓った戦士として考えてはならないことだった。つまり、逆に考えれば、あらゆるものを包括するサイバーカラテの中でなら『ラフディ』を生かし続けることができるのではないか、という。


 それは神の加護によって『再生』を実現する再生者とは全く違った『永遠』の形だった。危険な、それでいて甘美な誘惑。再生者の神は全てを赦す大いなる母だ。死人の森の女王は全てを包み込み、全てを愛する。我が主も同様に。それならばいっそ、冷たく理不尽に全ての価値を貶める鋼鉄の女王の方が――。


 危険な考えだ。

 思考を中断する。やはり私はシナモリアキラとトリシューラ――サイバーカラテに入れ込みすぎていた。戒めねばならない。

 心を一つの事で埋め尽くす。


「陛下、今参ります!」


 部下を引き連れて疾走し、場内に下りてきて乱闘を始めている観客たちを強引に薙ぎ倒しながら突き進む。謝罪は後だ。今はただ、陛下のことだけを考えろ。

 跳躍して地上三階ほどの高さにある貴賓席に飛び込んでいく。万が一、棘球が飛んできても問題無いように張り巡らせていた透明な呪術障壁を粉々に砕きながら着地し、転がりながら受け身を取った。


「これはどういうことなのだ、アレッテよ!」


 陛下の動揺する声が耳に飛び込んできた。


 ああ、やはり我が主はこの魔女を心底から信頼していたのだ。

 その純粋さは胸に響いた。同時に、魔女への憎しみが溢れ出す。

 陛下の太陽の如き面貌には雲がかかったかのような翳りが差していた。暗雲が何であるのか、今更説明するまでもない。陛下と相対していた人形を睨み付ける。


「アレッテ・イヴニルッ! 貴様が全ての元凶かっ!」


「いいえ。私は何もしていないわ」


 紅紫の髪の女は白々しくもそう言い切った。途端、陛下のかんばせに輝きが取り戻された。それすらも痛ましい。魔女の言葉は事実ではあっても、真実では決して無い。確かにあの女本人は何もしていないのだろう。


「では、あれは貴様の使い魔たちが勝手に扇動した結果だとでも?」


 人形は目を微かに眇めてこちらを見た。

 それから、薄く笑って言った。


「そうね。みんな、私想いの優しい子たちよ。何にも言わなくたって、私のして欲しいことを自分からしてくれる素敵な騎士様。ああ、それに今回はお友達も助けてくれるみたいなの。機械嫌いのおじさまに、悪戯好きの兎さん、それから――」


「待て、待ってくれ! お前たちは一体何を言っている?! 何故こんなことが起きているのだ、誰か俺に説明してくれ!」


 困惑した声が魔女の言葉を遮る。この期に及んでもまだ陛下は嘘を信じようとしていた――それを、私は責められない。

 『嘘』を信じて追い求めることがマラード王の本質であるからだ。

 その在り方を、私は肯定する。


「陛下、全てはこの魔女の仕業なのです。こやつは混乱と破壊をもたらそうとしております。陛下と陛下のラフディにとって害にしかなりませぬ」


「いいえ、いいえ。そんなことは無いわ。私は陛下の為に行動しているの。この騒乱も、全てはその後に訪れる救済の為。これは歴とした呪術。古い形のラフディーボールなのだから」


 これは球技の――儀式の続きなのだと語るアレッテ。

 確かに――元々のラフディーボールは現代のような競技というよりも、神に捧げる儀式という側面が強かった。勢力間の争い事を決着させる為、豊作の祈願、猟の安全、球神への感謝。目的は多種多様だが、共通するのは激しい闘争と血が必要とされることだ。


 そして、かつてこの儀式は大量の贄を必要とした。それこそ千人からなる戦士団が一斉に野に放たれた獣を追い、互いにぶつかり合って功を競い合ったのだ。棘球を投げ合うという行為は後から生まれたものに過ぎず、本質は他にある。


 今のこの状況は、確かに古いラフディーボールの在り方に近い。

 暴徒たちは予備の網棒を手に殴り合い、棘球を投げ合っている。『ラフディーボール』は密集地帯でこそ効果的に機能する。飛び散った棘は全てがいずれかの対象に突き刺さって苦痛と流血を生み出していた。


 それらは全て、球神への供物となる。

 巨大な呪力が地に満ちて、それは呪術師にとってみれば宝石の木が実を付けるようなものであろう。つまり、この女の狙いはそこにある。


「これが、この光景が球神への信仰ゆえの事だと言うのか? それで納得しろと?! しかしアレッテ、それでは余りにも民が哀れではないか!」


 我々は球神の名を出されると血と暴力を否定できなくなる。

 しかし、神の御名を濫用すること、私利私欲に神を利用することは球神の道に外れたことだ。魔女の弁明は、邪教徒であることの告白に過ぎない。


「馬脚を現したな、邪悪な魔女め。聖なる球神の名を騙り、穢れた儀式でラフディを穢そうとする貴様はもはや一秒足りとて捨て置けん。陛下、どうか一言ご命令下さい。この女を排除する許可を!」


 戸惑う我が主。

 私が視線に込めた敵意が魔女の余裕に満ちた視線とぶつかり合う。

 どぶのような邪視圧。息苦しさを堪えて、全力で睨み返した。

 視線と共に、言葉の応酬が始まる。


「ねえ、麗しい陛下。可愛い、可愛い――かわいそうなマラード様。どうかこれだけは信じて欲しいのですけれど、私はあなたのことが大好きで、いつだって味方のつもりなんですよ?」


「信じてはなりません。この女は邪悪そのものです! お願いでございます! どうか、この女を排除せよとの命令を私めにお与え下さい!」


「ひどい男。ひどい偽り。ねえ陛下。このルバーブを信じてはいけません。だって、彼はどうしようもない嘘つきなんですもの。彼ほど信用に値しない男はそうはいません――ほら、嘘の断章が雄弁に語っているわ」


 私の背後で、黒い魔導書がひとりでに項をめくっているのを感じた。

 読み手もいないというのに――だが、書き手は確かにいるのだ。

 

「貴様こそ――オルヴァ王から奪った【地位】を隠し持っているのではないか?」


「何の事かしら? 言い掛かりはやめてもらいたいわね」


 何と白々しい物言いだろうか。しかし、それはこちらも同じ事。この女への嫌悪と敵意が何の裏返しであるのか、私は気付かない振りをしている。濁った魔女の瞳は、『お前の欺瞞を知っている』とはっきり告げていた。

 認めよう、私はこの女を恐れている。


「陛下、アレッテはあなた様の味方です」


「陛下、このルバーブは貴方を決して裏切りません」


 ざわめきを切り裂いて、二つの言葉が交互に王へと捧げられる。

 切実な嘆願が滑稽に並び、端麗な王の戸惑いはますます大きくなり――やがて、決意がその瞳に浮かぶ。我が主は私と魔女の顔を交互に見て、口を開いた。


「――俺は、ルバーブを信じよう」


 その時。アレッテの瞳にはっきりとした感情が浮かび上がった。

 どぶのような目の奥にあったのは、傷ついた心。

 人形には、傷つき苦痛を訴える確かな心があったのだ。

 胸中を歓喜が埋め尽くし、ぞっとするほどに醜い悪意が魔女に向けられていた。

 俗な優越感と蔑み、勝利の快感。


 表情には出さないまま、陛下を背後に庇いながら拳を魔女に向ける。

 俯いたアレッテの顔を垂れ下がった紅紫の前髪が隠す。

 一瞬の後、魔女は再び余裕に満ちあふれた表情を取り戻していた。


「そう。ならもういいわ。面倒だし、適当に済ませてしまいましょう――封鎖を開始なさい、ちびシューラ」

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