4-108 ゲームスタート①




 弾道学バリスティクスはサイバネティクスの基礎だ。

 各種照準器によって仰角や左右旋回角度を調整し、飛翔体の形状によって発生する空気の流れを計算し、着弾観測と誤差修正を行い、飛翔体の運動エネルギーがどの程度の破壊をもたらすかを推定し、『最適解』に至る為のフィードバックを繰り返す情報処理のシステム。


 情報と通信の理論、射撃制御装置の自動化、軍事技術がその枝の先に利便性という名の果実を付けたプロセスは、どうやらこの世界でも変わらないらしい。

 ただし、投射武器の発達が遅れたこの世界ではそうした研究成果は一部の高位呪術師が独占するものとなり、【星見の塔】をはじめとする幾つかの呪術師結社から外部に『選別された上で』もたらされているとちびシューラは語る。


(つまり、いくら『杖』適性に優れてて弓矢や投石器の扱いに秀でているラフディでも、【星見の塔】有数の銃士であるシューラにかかれば赤子の手を捻るより容易くやっつけられるってこと)


 放物線を描いて飛来してくる巨大な岩石群。

 それらが一斉に粉砕された。

 第五階層西部、南北を分かつ大通りを前にして、俺とトリシューラの前に砲列が並んでいる。上を向いた高射砲が正確無比な射撃で投石を防御し、その勢いのまま敵陣へと攻撃を加えていた。


 第五階層の覇権を狙うラフディは真っ先に他勢力に宣戦を布告。

 手始めとばかりに隣接するガロアンディアンの領域へと進行してきた。

 とはいえ、先程述べたように技術力の差は如何ともしがたい。

 大型バリスタや石像兵ゴーレムによる大地の呪力を纏った投石を、弾道予報を応用した高射砲の対空射撃によって撃ち落とす。


 戦況を眺めながら、俺は物思いに沈んでいた。

 気になるのは他勢力の動向だが、そのうち二つがこちらに友好的なことは安心材料だった。といっても、現在俺たちと共に戦っているのはアルト率いる竜王国だけだ。カーティスという群体は今は第五階層から離れている。

 昨日の事を思い出す。ラクルラールの一人を撃退し、操られていたアルマを解放した直後のことだ。


「ごめんね、肝心な時に役立たずで。今度こそ、ちゃんと力になるから」


 沈んだ表情でこちらに謝罪してきたアルマはコルセスカが囚われている事、トリシューラが置かれている窮状を知り、こちらへの協力を申し出てくれた。

 だが、その後すぐに倒れ込んでしまう。アルトの極大呪文が直撃したのだ、とても戦える状態ではない。


 俺やアルマがすぐにコルセスカを助けにいけない理由はもう一つある。

 アルトの調査によると、コルセスカが囚われている男根城ファルスとかいうふざけた建造物は、アストラルの海中に存在するという。敵の主力である海の民にとっては最大のパフォーマンスを発揮できる戦場だ。

 

 そして、海中は燐血の民であるアルマにとって不得手な場所だった。

 俺たちの全戦力で強引に突入すればイアテムとセージを纏めて蹴散らすくらいはできそうだが、問題はその瞬間に確実な隙が出来てしまうこと。

 敵陣営には不気味なあの人形、恐らくは既に倒した蜘蛛女より上位のラクルラールがいる。


 こちらの戦力がまたしても操られてしまう事は避けたい。

 ラクルラール攻略の目処が立つまではコルセスカを救出に向かうことはできないのだった。


 『王国』の呪力をその手に宿すクレイはラクルラールの支配を打ち破れていた。同じように、『王国』の権威の証である【死人の森の断章】を集めていけばラクルラールに抗える可能性は高い。


 当面は他の勢力と戦い、【断章】を集めていくことになる。

 前途は多難だが、暗い知らせばかりではなかった。

 第五階層が混乱に包まれている中、一つのニュースが舞い込んだ。誘拐されたリールエルバの件だ。


 それによると、聖マローズ教団が内部分裂を起こし、マロゾロンド教徒とその中から発生した狂信的な『絶対美少女吸血姫神リールエルバ様教団』に分かれて抗争を開始、スキリシアの一地方を巻き込んだ紛争に発展しているとのこと。他にも巨大な蠅を従えた女性が暴れているとか意味不明な情報も流れてきているが詳細は不明だ。


 戦闘は未だに続いている様子だが、リールエルバは無事で、戦いの指揮を執って聖マローズ教団の幹部を次々に打ち破っているらしい。いつも通りの目に毒な半透明の裸身を見せて、戦いを終わらせ次第すぐにこちらに援軍に着てくれると請け負ってくれた。正直、頼もしいことこの上なかった。


 そんなわけでリールエルバの心配はほぼなくなったわけだが、強敵との戦いの最中であることは間違いない。

 カーティスはアルトの戦力が圧倒的ということもあって、単身スキリシアへ赴くことを決めた。


「すまないが、私は子孫の救援に向かわせて貰う。リールエルバを助けたらすぐに戻ると約束する」


 この状況で味方が減るのは痛いが、カーティスにしてみれば自国の、それも子孫の危機である。駆けつけて助けたいと思うのは当然だ。それに他の勢力に依存し過ぎればそれはそれで危険である。俺たちは白骨迷宮に設置した【扉】から影の世界へと向かうカーティスを見送った。


 思考を現在に戻す。

 ここは物質創造能力で構築した仮設拠点だ。

 俺たちの目の前には四角い幻影窓が幾つも浮かび、戦場を俯瞰できるようになっている。使い魔であるドローンから送られてくる映像だ。

 開戦から暫く経過しているが、戦況はまずまずと言ったところ。


 ラフディとの砲撃戦は、こちらに軍配が上がることになるだろう。

 問題は相手側の王から【断章】を奪い取れるかどうかだが、まずは南西区画を完全に占領しているラフディの国力を削るところから考えなければならない。


(大地の民は、その名の通り大地から呪力を得る。領土が狭くなれば自然と弱体化するし、広大な土地を『領土』に定めている今が一番厄介だよ)


 だが、個人間の戦いはともかく軍事力ではこちらが優位なのは変わらない。

 少なくとも技術力という点ではトリシューラとガロアンディアンは他の追随を許さない。傑出した遠距離砲撃の制圧力は今後も俺たちを助けてくれるだろう。


 近衛兵、あるいは親衛隊である【マレブランケ】のメンバーも精力的に働いてくれている。中でも前線で巨大な石像兵と殴り合ってまったく引けをとらない牙猪チリアットと、高い『杖』適性を持つ銃士カルカブリーナの活躍が目覚ましい。


 攻防の要となるのは『塔』だ。

 邪視者が望遠鏡を駆使して遠距離狙撃を行う時には勿論、投射系の呪術を使用する際にも高度は重要になってくる。

 更には敵の接近を真っ先に感知し、縦長の壁面から突きだした砲塔で迎撃するのもこれらの施設の重要な役割だ。


 トリシューラは現在のガロアンディアン領に残った人々から臨時に物質創造能力を徴集してこれらの軍事施設の構築リソースに充てている。勿論、居住用の仮設住宅など代替措置を疎かにはしていない。そうした細々とした事が得意なレオの協力もあって、比較的スムーズに『住民の保護』は進んでいる。


(――欺瞞だけどね。要するにリソースを確保したいだけだから)


 ちびシューラが自嘲するが、ある意味でそれは事実だ。

 『王国』間の戦いが始まって以来、住民の間で不安が広がっている。当然ながら第五階層から脱出しようとする者が四方の【門】や【階段】に詰めかけ、他に行き場が無い者たちは最も安全な勢力に身を寄せようと考えた。


 しかし西側はラフディ、南側はカシュラムがそれぞれ封鎖しており、東側は大量の人形が占拠しているため外部への移動が難しい状況である。

 ガロアンディアン領内の【北門】と【北階段】は原因不明の不具合が発生しており、外界から完全に閉ざされてしまっている。


 トリシューラはこれを敵対する六王の仕業だと断定。

 速やかに状況を解決し、外部への移動を可能にすると住民たちに約束したが――それが真っ赤な嘘であることを俺は知っている。

 他の三箇所はともかく、【北門】と【北階段】はトリシューラが意図的に機能を停止させているのだ。



 物質創造能力のリソースを確保するために。

 そして『王国』の権威を維持する為に不可欠な人口を維持するために。

 たとえ成り行き上や形式だけでも、トリシューラを支持する住民の数はそのまま国力に直結する。


 こうして防衛用の塔を構築できるのも、初期に大量の脱出者を出さなかったお陰と言える。情報を隠匿し、自分の都合で周囲を犠牲にするトリシューラのやり方は紛れもなく邪悪だ。当然、同盟者であるアルトにはこの事は知らせていない。露見すれば協力関係に亀裂が入ることは避けられないだろう。


(アキラくん、シューラ、これでいいのかな?)


 不安そうなちびシューラを見てラクルラールと交戦した時の事を思い出す。確かに彼女は王として通るべきでない道を選んでいるのかもしれない。


(王の器がシューラには無いんだって。今までのやり方じゃ、シューラは駄目なのかも。邪悪な魔女と、立派な女王としての在り方は両立できない――そうなのかな。じゃあ他の王様みたいなことをすれば【未知なる末妹】になれるの?)


 それは違うだろう。

 彼女が目指すのは『未知』――誰も通ったことのない道だ。

 だから、アルトのような王を目指す必要は無い。

 しかし、『違う』ことと『劣っている』ことは違う。


 奇を衒うだけ、邪道を行くだけでは暗愚な王になってしまうだけだ。


 遠くで派手な轟音が聞こえる。

 東側の防衛を任せているアルトが、ラフディの石像兵を粉砕しているのだ。

 映像を見ると、戦況は一方的なものだった。


 航空戦力である【蒼空騎士団】が膜構造の翼を広げて飛翔し、空から呪術による爆撃を行っている。屈強な獣人の多い【黄獣騎士団】と機動力に優れる【黒蟲騎士団】が石像兵を翻弄し、大地の民たちを蹴散らしている。


 竜王国とラフディの軍勢を構成しているのは古代から甦った再生者たちであるため、ほぼ無尽蔵の体力を持つ。が、肉体が完全に損壊してしまえばしばらく戦線復帰はできない。空爆によって壊滅的な打撃を与えられた後、陸上部隊が死体に鞭打つようにして掃討することで再生者の軍勢は無力化できるのだった。


 【白翼海騎士団】は陸上での戦闘が不得手な分、海として認識しているアストラル界からの呪術攻撃でラフディ軍の情報網を撹乱し、呪詛によって再生者たちの復活を妨害している。


 あとは親衛隊である【緑竜騎士団】に守られた亜竜王アルトが長大な詠唱を終えるのを待てばそれで決着だ。唱えた『力ある言葉』の長さに応じて威力と複雑さが増大していく極大呪文が放たれ、生半可な呪術ではびくともしない石像兵たちを片っ端から消滅させていく。


 こちらの存在が不要とすら思えるほどの圧倒的な力だった。

 竜王国ガロアンディアン。その在り方を参照したトリシューラは、果たしてどこまでその形をなぞればいいのだろう。

 トリシューラは、ただ黙って戦場を俯瞰し続けていた。




 攻撃の波が止んでラフディの兵が撤退しても、トリシューラは追撃を命じなかった。ラフディの守りは堅牢なことで有名であり、まだ攻め込む段階では無いと言うことらしい。今は陣営の強化に専念するとのことだった。

 ガロアンディアン陣営を強化するとはつまり、呪力と権威を高めるということだ。その為にはまず人々から支持を集めなくてはならない。


「とりあえずアキラくん、物理道場行ってきてくれる? 師範代が顔出せばみんな安心すると思うんだ。アキラくんの人気は存在の強さに直結するからね」


 というトリシューラの言葉に従った俺は前線を離れ、サイバーカラテ道場第五階層支部に顔を出した。

 すぐに番犬が出迎えてくれたので、屈み込んで頭を撫でる。


「よしよし、仕事お疲れ」


 骨狼のトバルカインがカタカタ歯を鳴らしながら俺の周囲を回る。

 アルマに燃やされたトバルカインだが、鶏の生き血と断末魔の絶叫を浴びせながら再生者専用の治療呪術を行ったらあっさりと復活した。再生者だけに粉砕された骨もすぐに再生して、元気に番犬としての役割をこなしてくれている。


 中に入ると、事務員のシアナさんがいた。髪を纏めて団子にしており、少し憔悴した様子だ。彼女には一時的な避難所として解放した道場の管理を任せており、かなり負担をかけてしまっていた。


 避難所の様子を訊ねると、やはり今の状況に不安を感じている住民が大半であるという。そんな場所に顔を出し、表情筋を制御しながら用意された台詞で人々を安心させる――この欺瞞に満ちた行為は何なのだろうと思う。


 人間をリソースとして捉え、呪力を発生させるための資源として利用する。

 トリシューラを王として勝利させる為に必要なこと。

 そんな言い訳で、どこまで正当化できるものなのか。


 こんな時、例えばレオだったら屈託のない笑顔で人々の心に安らぎを与えることができるのかもしれない。しかし俺は俺でしかなく、レオはここにはいない。

 あの少年の資質は貴重だ。他の避難所や巡槍艦を回って人々を元気づけていることだろう。彼がガロアンディアンに属している事は、望外の幸運だった。


 この状況でも人々の心がガロアンディアンから離れていかないのは、トリシューラの保有する技術力とそれがもたらす利便性に軍事力や、六王のうち二人が味方しているという状況が大きい。しかしそれに一つ付け加えるなら、レオが丁寧に整えてきた『弱者が駆け込める居場所』がここだからというのも大きいのではないかと思っている。


 広い道場を見渡す。敷物が広げられ、そこに避難民たちが身を寄せ合って不安そうに会話をしている。混迷を極める第六階層で、自由に立ち回れる探索者や他に身の置き場を見つけた者たちのほとんどは早々にこの場所を去っていた。


 残っているのは、地上にも地獄にも馴染めなかったティリビナ人や矮小複眼人、その他少数種族や信仰や故郷を捨てた放浪者たちだ。

 トリシューラは、今まさに彼ら彼女らに試されているのだと思った。

 ガロアンディアンが真の意味で『居場所』となりうるのかどうか。

 そしてトリシューラとアルト、王に相応しいのはどちらなのか。


 物思いに沈んでいると、耳が小さな音を捉えた。

 憎々しげな呟き。非友好的な感情を向けられている。

 視線を向けると、身体が樹皮で覆われたティリビナ人がいた。


「機械野郎が」


 反応に迷う。

 ティリビナ人の視線は俺の義肢に向けられているようだった。彼らは自然を愛し、『杖』を嫌う。地上や地獄に残った者たちはある程度その土地に馴染めているようなのだが、ガロアンディアンに流れ着いた彼らは『周囲に溶け込まない』ことを選んだ者たちだ。


 同化を否定すること。地上や地獄の形に染められて、『ティリビナ文化』が塗りつぶされてしまうという恐怖がそこにはある。もしかすると俺は、彼らにとって同化を強要してくる脅威として映っているのかもしれない。


 言語の問題を解決するために、半ば強引に端末を全員に配布してガロアンディアン語を使えるようにしたのがやはり反感を買ったようだ。トリシューラと俺は彼らに反感を持たれている。


 現在かろうじて共存できているのは、レオがティリビナ人コミュニティの長と必死に交渉し、街路樹や自然公園を用意することでどうにか折り合いをつけることに成功したからだ。はっきり言って彼らの対応は俺の手に余る。


「やめるんだ。不必要に敵意を振りまくものじゃない。我々とは異質な他者を尊重すること無しに我々が尊重されることは無いと、オーファ様も仰られていたじゃないか」 


 とはいえ、ティリビナ人にも色々な考えの者がいる。穏健な考えの者がいて、レオのしたような働きかけがあるのなら、まだ希望はあるのだろう。

 窘められた男は舌打ちしたが、とりあえず矛を収めてくれたようだった。


「ち、ここにはいない奴の名前なんざ出しやがって」


「聖域が力を取り戻すまでは耐えろ。いずれ冬は終わる。その兆しはもう出てきているじゃないか」


 だが、どうしてだろう。

 遠くから聞こえてくる話し声が、どこか不穏に感じられた。

 その後、一般の門下生たちと話をして道場を出た。

 気になったのは、ティリビナ人の数が少なかったような気がする事だ。

 

(ティリビナ系は大まかに二つのグループに分かれてるんだけど、さっきの人たちはほとんどが『下』から来たティリビナ人だね。第八階層の特別自然保護区から来たみたい)


 とちびシューラ。つまり、『上』から来たティリビナ人があまりいなかったということになる。他の避難場所に固まっているのだろうか。


(うーん、最初の混乱の時に散り散りになっちゃったのもあるんだけど、実はそれ以上にガロアンディアンからの脱出者が多いんだよね)


 ちびシューラによると、彼ら地上から逃れてきたティリビナ人たちは【ティリビナの街路樹の民】と呼ばれることが耐えられなかったらしい。


(レオが広めたこの『眷属種としての名前』はね、彼らにとっては『女神レルプレアを貶める呪い』であり、『聖なる巫女が槍神教に屈した忌まわしい記憶』を呼び起こすものなんだ。他種族との共存っていうのは、彼らにとって敗北主義とか民族の誇りを汚す裏切りとかと同じことなの)


 同じ種族でも、それぞれの辿ってきた歴史や事情によって考え方や物事の受け止め方に差異は生じる。一時は上手くやっていけると楽観したが、そう簡単にはいかないようだ。更に悪いことに、脱出したティリビナの民たちは南側の地区、つまりラフディに向かったらしい。


 軍事力ではこちらが優位に立っている。

 だが、この世界ではそれだけで戦いの趨勢が決まるわけではない。少なくとも、ティリビナ人の一部がガロアンディアンよりラフディを選んだ事は確かだ。



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