4-94 ガイノイドの魔女①




 いくつかのことが立て続けに起こった。

 まずクレイの手刀が俺にかけられた精神支配の糸を断ち切る。我に返った俺は【弾道予報】を即座に起動、迫り来る手裏剣をぎりぎりの所で掴み取った。軌道を微調整しながら背後に投擲。頭上から襲いかかってきた敵に手裏剣が突き刺さる。【Doppler】が側面から迫るもう一体の敵を感知。奇襲を避けきれない。だがその時、通路の奥から躍り出た新たな人影が鋭い貫手を放つ。敵が汚水の塊となって形状を崩壊させ、床に水たまりを作った。


「不穏な気配を感じてついてきてみれば、案の定か。君もよくよく厄介事を抱え込む男だ、シナモリアキラ」


「悪い、助かった!」


 ロウ・カーインがそこにいた。

 クレイが手裏剣を脳天に受けて倒れていた刺客に止めを刺して、構えを解かないまま通路の反対側を睨みつける。


「まだ来るぞ、貴様ら馴れ合いはその辺にしておけ」


 それらは、空中を、天井を、床を、壁を、まるで水中を泳ぐかのように移動していく。あらゆる固体を液体であると見なしているかのように、壁や床に波紋を広げながら出現と消失を繰り返している。まるで魚の群だ。ちびシューラが解説してくれる。


(海の民が得意とする物質透過呪術、【潜行スーロイド】だよ! 欠点は攻撃の瞬間に解除しなきゃならないこと。ただし相手の体内で解除すれば防御を無視して攻撃できるから気をつけて!)


 要するにニンジャの量子透過みたいなものだ。厄介な。数が多いために一つ一つの制御に気を回せないのか、それほど動きが良くないのが救いといえば救いだが、手に生み出した水流の刃は必殺の威力を有している。


「確か、イアテムとかいったな。まだこんなに残ってたのか」


「本体を倒さねばどうにもならないのだろう。ち、やはりセキュリティが強化されている。同じ手は通用しないか」


 カーインが次なるイアテムに貫手を放ちながらぼやく。効果が無いとわかると蹴り技に切り替えるが、際限なく現れるイアテムは押し寄せる波のようでどうしようもない。無尽蔵のイアテムは全てが分身。使い捨ての暗殺者にして鉄砲玉。放てば戻ってこない矢のようなものだ。


「クズが――この期に及んで悪足掻きか」


 クレイが縦横無尽に通路を駆け巡り、イアテムたちと切り結んでいく。水流の刃を片手で受け止め、回転しながらもう片方の手刀で別のイアテムを切断する。流れるような剣舞が呪力を生み出し、『飛ぶ斬撃』となってイアテムを滅多切りにしていった。


「ほう、華麗なものだな」


 カーインがクレイに襲いかかろうとしていたイアテムを蹴り飛ばしながらクレイに声をかけると、クレイは露骨に舌打ちしながらカーインに迫っていたイアテムを両断する。即席のコンビネーションが成立していた。


「黙れジャッフハリム人。貴様と馴れ合うつもりはない」


「それは残念だ。私は君の剣舞に興味をかき立てられているのだが」


 この二人、確か一度戦っていたな。カーインが一撃でクレイを下していた記憶がある。クレイが険悪なのはそのせいもあるだろうが、そもそも第五階層の住人に対して敵意を持っていることや、カーインの出自に反感を持っていること、本人の性格なども大きいだろう。


 とはいえ、一時的に共闘することくらいはできそうだ。

 大量のイアテムを次々と撃破していく姿は頼もしい。


「カーイン、しばらく背後を任せていいか」


「心得た。彼女の点穴ポートを狙うのは骨が折れそうだ。君の外功の方が相性がいいだろう」


「助かる」


 これで背後のイアテムはカーインに任せられる。何も言わないがクレイも同じように対処することにしたようだ。

 さて、問題は俺の方だ。

 反対側には別の敵が立ちふさがっている。

 先ほどまで俺がラクルラールだと錯覚していた相手。

 その姿は、トリシューラの資料で見たばかりだった。


「ミヒトネッセ、ってのはお前か」


「気安く呼ばないで、屑」


 どこかで聞いたような罵倒。激しい口調だが、はっとするほどクリアで柔らかい声質で驚かされる。声に滲む強烈な悪意から可愛らしさめいたものが感じ取れてしまい、どう対応したらいいのかわからなくなる。

 少女はツーサイドアップの長い髪を揺らして、気の強そうな目がこちらを睨みつけてきた。美術品のような人工的美貌はトリシューラと共通しているが、こちらの方はアーモンド形で吊り上がり気味の猫目がややキツイ印象を与えている。右手には短剣のような刃――というかどう見ても苦無くない――が握られ、細い手首が見えていた。


 フリル過多な侍女服の袖口から覗く手首関節とスカートの裾から覗く膝関節は、明らかに人のものでは無い。可動域だけ露出した球体は、このタイプの人形に特有の機構であり、ラフディが誇る文化の精髄。そしてこの場面では、ラクルラールの関係者という状況証拠でもある。


「シナモリアキラ。穢らわしい悪魔」


(アキラくん、話とか聞かなくていいよ。殺して)


 ちびシューラにしては珍しく、ひどくシンプルな殺害命令。単純な排除以外のあらゆる関わり合いを拒絶する全否定。それほどまでに、この相手はトリシューラにとって受け入れがたい相手なのか。どういう相手なのか気にならないと言えば嘘になるが、トリシューラが嫌がっているのに訊ねることはできない。それに悠長に考えてる暇は無い。


 素早く赤黒いカプセルを口に放り込む。

 途端、体内に取り込まれた圧縮呪文が俺の存在そのものと呪的に同化したカッサリオ因子を活性化させていく。肉体内部で呪力圧が高まりつつあるのを感じた。体温が急激に上昇しており、全身が熱くなっていく。

 戦闘用に切り替わった身体が意識を駆動。ちびシューラの制御によって左腕が起動シークエンスに移行する。


「悪いが、予定外の来客なもんで皿が足りない。間に合わせでよければこいつを使ってくれ――換装・六十四番!」


 言うが早いか【ウィッチオーダー】が瞬時に構築した漆黒の円盤を投擲。低次の知性を持ち、自律的に未来を予測しながら敵を狙う浮遊円盤だ。

 高速で飛来する黒い刃に対して、侍女姿の刺客は身を沈め後退するような気配を見せた。回避行動の先触れだと判断したその時、相手の口が動いていることに気付く。読み取れた唇の動きはこう告げていた。


「『彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く』」


 ミヒトネッセの二つの髪房が砂茶色の軌跡を描きながらぐるりと旋回していく。豪快な後ろ回し蹴りバックスピンキック、サイバーカラテ的には転身脚。背後を見せるリスクはあるが、長い脚に身体全体の回転が乗って凄まじい威力となる大技だ。その上、ミヒトネッセの蹴りは異常な速度で衝撃破を発生させていた。外見から判断できる筋肉量では絶対に不可能な勢いだ。


(身体能力のスペックだけならシューラより上! 気をつけて!)


 ちびシューラの忠告は事前に目を通した資料の再確認でしかなかったが、実際に目の前でその威力を見せられた後では感じ方がまるで違った。

 上段へ伸びた球体関節の脚が風を切り、踵が円盤に直撃する。

 命中したのは脆い面にではなかった。絶えず角度を修正し続ける漆黒の円盤にそのような手落ちはあり得ない。


 革靴の踵は刃の部分に激突していた。金属加工された踵部位は切断されずに正面から刃を打ち砕く。回転運動を終えたミヒトネッセは深く息を吐いた。調息に見えるが恐らく排熱だろう。武術家というより、性能に任せて標的を粉砕する兵器の雰囲気を感じる。

 要するに、カーインやゾーイなんかより俺に近い。

 ミヒトネッセは整った眉を吊り上げた。


「今、何かとても不快な事を思考された気がする」


「大した第六感だな。ラクルラールお姉様とやらに付けてもらった機能か?」


 ミヒトネッセはこちらの言葉を無視した。

 小さな鼻でせせら笑って、挑発的な視線を向けてくる。


「蛇は聖なる童貞の踵を噛み砕き、処女は悪魔の頭を踏み砕く――けれど私はこのゼオーティアにおける『てつのかかと』。私は蛇に踵を噛み砕かれない。ゆえに私は悪魔の頭を一方的に踏み砕く」


「はあ?」


 意味が分からない。

 魔女がこちらを煙に巻くような言動で惑わしてくるのはいつものことだが、ここまでコミュニケーションをとる気が無い相手は初めてではないだろうか。


「あんたと私、どちらが真にアダム・カドモンに相応しいか――ここではっきりさせてあげる」


 その上、何故かよくわからない敵意――というより対抗心じみたものを向けられている気がする。アダムなんちゃらって何だっけ。トリシューラがたまにやる、俺の前世からの引用っぽい雰囲気だが。


「私が奪う未来の座は、四魔女じゃなくてその使い魔ってことよ、悪魔!」


 勢い良く踏み出してくるミヒトネッセが右手に握った苦無を振るい、恐るべき速度の蹴りを放ってくる。カーインやマラコーダ、そしてゾーイといった蹴り技の達人たちとの交戦データが無ければ予測と回避は間に合わなかっただろう。流石にゾーイほどの重さと速さは無いが、カーインとマラコーダを軽く超える殺傷力だ。つまりまともに受けると死ぬ。

 神速の蹴り、逆手に持った苦無による斬撃と刺突、左手から放たれる手裏剣といった連続攻撃を捌きながら打開策を考える。


 サイバーカラテ道場が提示する蹴り技への対処は二つ。

 距離を取って飛び道具を使うか間合いを詰めて近接戦闘に持ち込むか。

 大技を連発するミヒトネッセ相手に接近は有効に見えるが、手に持った短めの刃と、回転中に抜け目なく構えられたままの肘が危険だ。ブーツに飛び出し式の暗器でも仕込まれていたら不意の一撃を貰いかねない。飛び道具は先程あっさりと無効化されたばかり。とすれば取る道は――


「換装、五十七番!」


(了解だよ! 【リーエルノーレス】・エミュレート!)


 両方の選択肢、どちらもだ。

 左腕に光の粒子が収束し、その姿を変えていく。

 現れたのは漆黒のチェーンソー。

 前に一度キロン相手に使用して破壊されたが、この度トリシューラによる再構築が完了した兵装だ。そして、サイバーカラテ道場の公募企画『みんなで作ろうウィッチオーダー』の月間最優秀作品でもある。


 左腕の形状は、集合知によってアップデートされていく。手首から三枚のチェーンソーが平行に伸び、それぞれ刃の回転速度が異なっている。普通に考えれば樹木の伐採にはとても使えないこの形状には呪術的な意味があった。


(メインデザイナーは【伐採大好き】さんだよ! それに【彫刻師】さんと【手段が目的】さん、それに二人の【言理の妖精ななし】さんが細かい調整をしてくれました。みんなありがとねー! ポイントと豪華プレゼントをお楽しみに!)


「そんな鈍重な武器っ」


 ミヒトネッセの踵に呪力の輝きが収束していく。何かの呪術を発動しようとしているようだが、させるものか。換装の為に距離を離したが、ここからでもできることはある。脳内でちびシューラが叫んだ。

 

(呪術行使支援アプリ【幻肢の力】起動! 空の民アタックいくよ!)


 邪視系統の制御に優れた氷の右腕から幻肢のみが遊離していく。

 消費呪力と動作の隙が大きいコルセスカの【氷鏡】による増殖は行わない。単純な俺自身の感覚に頼った一撃が勢い良く飛んでいく。この攻撃の利点は、普通に突きを放つような動き出しの速さ、そして長射程にある。


 幻の拳は急降下したかと思うと床を滑るように進み、ミヒトネッセの脚を払う。回避に意識が向けられて生じた隙につけ込んで、俺の本体が左腕の呪動鋸を高速回転させながら躍りかかった。唸りを上げる三枚の刃が頂点で三文字を連ねて呪文を発動させる。刃が淡黄色の頭に吸い込まれていく、寸前。


「球神よ!」


 超常の存在に呼びかけて加護を得る簡易呪文が発動した。

 ミヒトネッセの周囲に球形の呪文障壁が展開される。光り輝く半透明の壁に激突したチェーンソーは一瞬跳ね返されそうになる、しかし。


(ここからがバージョンアップしたリーエルノーレスの本領発揮!)


 三重刃の呪動鎖鋸リーエルノーレスは、各パーツに刻印されたそれぞれ異なる三つの文字を揃えることで一つの呪文を発動させる仕組みだ。

 速度差によって生じる文字のずれを利用し、多種多様な呪文の組み合わせを高速で展開していく。三つのチェーンソーの回転速度は絶えず変化しており、組み合わせの配列を見極める事は極めて困難だ。


 絶えずその呪文配列を組み替える呪動鎖鋸はドルネスタンルフの加護を打ち破る最適な配列に辿り着き、粉々に破壊する。

 今度こそ必殺の一撃が命中し、ミヒトネッセの頭部を引き裂き、胴体を上から下へと滅茶苦茶に破砕して股間に抜ける。一刀両断だ。


 勝利の確信を得たが、理性と脳に刻み込まれた習慣が残心を戒める。

 正解だった。

 目の前で、敵の残骸が破れた呪符に変化する。

 身代わりだ。本体は既に逃れている。


(アキラくん、上っ)


 警告されるが、左腕を振り下ろした体勢では即座に真上への防御に移行できない。一か八か全力で前に飛び込んだ。背後に何かが落下してくる音。前転しながら受け身を取って急速に反転、右手から幻肢の一撃を放って牽制しつつ左腕を構え直す。


王権守護者サテライトオーブ――【スキリシア】」


 やはりミヒトネッセには傷一つ無い。真上から強襲をかけて陥没した床面から僅かに横にずれて幻肢を軽々と回避し、右足を僅かに浮かせると奇妙な呪文を唱える。一見すると何の変化も無いようだが、影を見ると奇妙な現象が起きていた。彼女の影、その足の周囲を球形の影が規則正しく回っているのだ。その上の空間には何も無いというのに。


(束縛系の呪いに注意して。幻肢なら影に触れるよ!)


 警告の直後、再びミヒトネッセの蹴りが放たれる。だが間合いは遠く離れたままだ。今度は影だけが鋭く伸びて来ているのだ。

 影の衛星がその大きさを増しながら床を滑り、こちらの影に襲いかかってくる。対抗して幻肢を伸ばし、平面の蹴りに拳を叩きつけた。存在しないはずの重さが激しい衝撃を伝えてくる。


 弾かれた足を引いたミヒトネッセは、しかし既に本命の攻撃を終えていた。

 投擲された苦無が、いつの間にかこちらの影に突き刺さっていたのだ。

 身体が影ごと大地に縫い止められたかのように動かなくなっている。

 伸ばした幻肢の右腕すら伸びきって硬直していた。この状況はまずい。

 投擲された手裏剣を回避すべくモードを切り替える。幻肢制御系のアプリを全て強制終了させ、杖寄りの状態に。


 存在していた霊体が消滅し、杖の理に支配された物質となって呪縛を逃れる。

 すぐ傍を回転する刃が抜けていき、息を吐く暇も無くミヒトネッセ本体が迫ってきた。手数が多く、呪具を使って物量で攻める典型的な杖使い。それも体術を主体に素早い連撃を加えていくというスタイル。


 厄介だと感じるが、同時に分かり易いとも感じた。

 攻防を重ねていく度、その感覚は強くなるばかり。

 というのもこのミヒトネッセという女、どうも戦い方の癖が俺と近い気がする。

 不意を突く、急所への投擲による牽制、機械人体の性能に任せた力任せの打撃、言葉による撹乱――恐らく機先を制する為に聴覚も活用している。


 どうにもやりづらい。

 いや、それともやりやすいのか。

 互いに致命打を与えられないまま時間が過ぎていく。イアテムの群と戦い続けるカーインとクレイの方も暫くは手が空きそうにない。


 互いに決め手を欠いたままの膠着状態を打破したのは、前触れ無く鳴り響いた銃声だった。正確無比な射撃が次々とイアテムの群を撃ち抜いていく。辛うじて無事だったイアテムが床の中に沈み込もうとした所を、鋭く伸びた蠍の尾が刺し貫く。藍色の輝きが尾の尖端部からイアテムに注ぎ込まれ、絶叫と共に全てのイアテムが消滅していった。


「お待たせアキラくん。マラコーダのフルチャージした【呪毒】でイアテムは戦闘不能だよ。というわけであとはアレだけ」


 駆けつけてきたトリシューラが樹脂性の自動式拳銃を構えながら微笑む。すぐ隣には蠍の尾を生やしたマラコーダもいた。ちびシューラ経由でこちらの状況は伝わっていたのですぐにくると思っていたが、意外なほど遅い。


「他の連中は?」


「そっちの襲撃が囮の可能性を考えて、他のマレブランケは周囲の警戒にあたらせてる。案の定アストラルフィッシュの群が襲ってきたみたい。まあ、大した脅威じゃないけどね」


 アストラルフィッシュとやらが何かは知らないが、恐らく敵の使い魔あたりだろう。大規模な襲撃ではあったが、援軍が来た以上これで終わりだ。


「【変異の三手】の残党と組んで、今更何の目的で出てきたのか知らないけど――ここで始末してあげる」


 トリシューラが銃口をミヒトネッセに向けた。

 躊躇無く発砲するが、侍女服の刺客は軽く身体を傾けただけで回避。

 その瞬間を狙い、俺は身を低くしながら走り出した。


 疾走するカーインと跳躍して上から襲いかかるクレイ、そして反対側から俺がチェーンソーによる攻撃を仕掛ける。ミヒトネッセに逃げ道は無い。

 今度こそやれると思ったその時、


「廻れ」

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