4-93 未来の過失
当たり前だが、製菓は精密機械のように完璧に行われた。そこには感情を差し挟む余地はなく、ただ冷たい結果が残るのみ。
というわけで、色とりどりのソースがかけられた氷菓が振る舞われた。各人がその味に感嘆しつつ、イベントとしての宴は一旦終わりとなる。
一般参加者が帰って行くが、六王はトリシューラとなにやら話し込んでいた。各自が自由に歓談するという体裁で、個別に交渉や情報交換が始まっているのだ。一方で俺はトリシューラの指示でルウテトと向かい合っていた。二人だけで話をするためだ。
にこにことした微笑みからは、少女のようなあどけなさ、清楚さを感じる。それと同時に、すべてを包み込み許容するような母性もまた。
もう一つ、付け加えるのならば。
と、六王からルウテトに向けられる視線を思いだしながら考える。
豊かな胸元、細身ながら女性的な魅力に満ちた体型、スカートから伸びる美しい脚、どことなく無防備に見えてしまう表情。
あらためて一つ一つの要素を取り上げると、まるで重なる部分が無い。
本当に、ルウテトはコルセスカの前世なのだろうか。そして、
「本当に、ルウテトの前世がコルセスカなのか?」
根本的な疑問を投げかける。
先ほどは引き下がったが、情報が共有できていないのは危険に過ぎる。
ルウテトは手を口元のあたりに持って行って、わずかに首を傾けた。
「二人きりの時は、ルウ、と呼んで下さると嬉しいですわ。アキラ様」
「それだ。まずその名前がわからない」
確か、繭衣のルウテトだったか。
彼女の存在は何かがおかしいような気がする。
そもそも、『アキラ様』って何だ? コルセスカが前世だというルウテトが、どうしてそんな風に俺を呼ぶ?
「厳密に言えば、間に一つキュトスの姉妹としての人生が挟まっていますが、現在と地続きとも言えるので曖昧ですね。ただ、未知なる末妹となる未来を絶たれた今の私は明確にコルセスカとは別人です。ゆえにルウテトという光妖精の名こそが私の本質です」
「何があった?」
単刀直入に訊ねる。今から続く未来がルウテトの辿ってきたものと同じではなくても、俺はそれが知りたかった。
トリシューラもおそらくは知りたかっただろうし、今もちびシューラを介して聞いているはずだ。あえて俺に直接質問させるという形式をとったのは、きっとルウテトへの肩入れだろう。未来で負けたという、かつて姉だったものへの感傷。『それっぽい』形式。
そのことを理解してか、ルウテトは一瞬だけ、離れた場所で六王と向かい合うトリシューラの方へと視線を送った。
形容しがたい、矛盾した感情が交じる視線だったように思う。ルウテトは、恐らく今でもトリシューラのことを大切に思っている。だが同時に、排除したいという思いも抱えている。
その感情の出所が何なのか、俺は知りたい。俺が不要とした感情をずっと受け止め続けてくれたコルセスカが、一体どうなってしまったのか。どうなってしまうのか。知らなければならないと、そう思うのだ。ルウテトは、ゆっくりと語り出す。核心を避けるように、曖昧な言葉で。
「もう、断片的な記憶しか思い出せないけれど。私は何度も何度も繰り返してきました。終わりの無い、火竜殺しの旅を」
それは、未来転生が一度だけではないという告白だった。輪廻転生は、何度も繰り返される。それこそ、無限に。
「第九階層の火竜に焼かれました。第八階層では巨人族との戦争でティリビナ神群の重要拠点を制圧されてどうしようもなくなりました。第七階層では松明が切れて異界に閉じ込められたこともありました。第六階層の大魔将戦は何度やり直したことか。あそこは未だに安定しません」
「ん?」
「他にも呪力源と食糧が尽きて餓死したり、初見の即死トラップで壊滅したり、どうせ治癒の霊薬だろうと鑑定せずに持っていた瓶の中身に敵の火炎攻撃が引火して大爆発を起こして全滅したり、外なる神の露店から貴重な呪具をありったけ盗んで逃げたら追いかけ回されて詰んだり」
「おい」
「経験でかなり運の要素は減らせますが、ゼロにはできません。第一階層でいきなりかないっこない相手と戦うことになったり、戦って成長しているはずなのに呪力の伸びが悪かったり。初期配置と手持ちによっても状況は変わりました。回収対象の神滅具ははじめから良いものが手に入ることもあれば、使い道の無いようなものばかり出てきて攻略の難易度が大きく変わって――」
「ちょっと待て。待てって」
「どうしました? 真面目な話をしているので、手短にお願いします」
「いや、おま――死人の森の女王ルウテトさんですよね? 失礼ですが貴方はコルセスカさん本人なのでは?」
「前世なので、そうとも言えるし、そうではないとも言えます」
いや、それはもっともだが、何だこの感覚。先ほどまでは似ていないと思えたルウテトが、コルセスカと重なって見える。
「つまりループものという奴ですね。得意分野です」
「本当はコルセスカと入れ替わってるんじゃ」
疑惑を口にすると、ルウテトは口元を覆って慌て始めた。
「はっ、違います、違いますよ! ゲームとか、そういう子供っぽいのは卒業したんです! そういう記憶はほとんど残っていませんし」
「その割に活き活きと語っていなかったか」
「それは、なんというか心の奥底から湧き上がってきた何かが勝手に私の口を動かして――とにかく違いますから!」
何が違う。あと多分、心の奥底で布団被りながらゲームしてる何者かがいると思う。お菓子を食い散らかされないように気をつけるんだ。
しかし、聞いているとどうもループの数は凄まじい膨大さのようだ。それこそ失敗すれば最初からやり直しになるタイプのダンジョン探索ゲームのような。つまりコルセスカが好きなやつだが。
「毎回、展開が変わるのか?」
「歌姫カタルマリーナが半球騎士団を率いて全世界に宣戦布告、神々の図書館を巡って地上が乱世になった話とかします? 第八世界槍を舞台にした末妹選定どころじゃなくなって、ダンジョン探索から戦略シミュレーションにジャンルが変わったんですけど。あっ、今のゲーム知識は私じゃないです! そういうの全く知りません! 近頃の若い子のことなんてわからないです! 私は大人の女ですから!」
やたらと子供っぽく意味不明のアピールをしているルウテトを適当に無視しながら、しばし沈思黙考する。そこまで展開が劇的に変化するとは想定外だった。いずれは可能な限り全ての情報を聞き出したいが、今後の参考にはあまりならないだろう。とはいえ、このまま適当にはぐらかされるわけにはいかない。
「質問を変える。ルウテト。トリシューラとの間に何があった?」
途端、空気が死んだ。
「答えたくありません」
「俺はどうなった?」
「痕跡神話は全滅しました。それだけです」
「魔将や守護の九槍、その他の俺たちが敵対しうる勢力の情報は」
「そういった情報については、後でトリシューラに伝えておきます。サイバーカラテ道場にまとめておいていつでも閲覧できる形にする方が効率的でしょう。欠落した記憶も多いですし、今回の生が前回の生と全く同じとは限りませんが」
淀みなく答えが返ってくる。
ある意味では、予想通り。
だが、どうしてこれほどまでに頑なになっているのだろう。
少しだけ、躊躇いながら、最後の問いを口にした。
「その、ソルダ・アーニスタとはどうなった」
「それを、訊くんですか」
凍るような声。その瞬間、俺の目の前にいたのは確かにコルセスカだった。
感情を硬い氷の檻に閉じこめて、爆発しそうになる激情を必死に押さえつけている、異名とは裏腹な内面を持つ魔女。
「貴方が、それをっ」
恨みがましい瞳は、灰色をしていた。
今は左右対称になっている右目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
頬を伝う透明な雫。どうしてか体が震えた。
「私は、貴方を信用していません。貴方と全ての情報を共有する意義を感じていません。貴方を守りたいと思ってはいますが、共に戦うのではなく私が一方的に庇護する形が理想だと考えています」
冷たい不信の言葉。
ようやく気づいた。トリシューラに向けられていた視線。矛盾を抱えた感情。それは、俺に対しても向けられていたことに。
包み込むような暖かな愛情と、突き刺すような寒々とした憎悪。
ルウテトは、恨みを込めて呟いた。
「さらいにきて、くれなかったくせに」
あまりにも幼い声で。
見捨てられた子供のように。
ルウテトは、音もなく泣き続ける。
しばらく一人になりたいとその場を離れたルウテトを追いかけることもできず、俺はすごすごとトリシューラの方へと向かっていた。
(多分だけど、追いかけてきてくれない所に怒ってるんじゃないかな。アキラくんに何を求めてるんだかって感じだけどね)
ちびシューラの言葉で思い直してルウテトを追いかけようとするが、既に姿を見失ってしまっていた。ホールを行ったり来たり、何をしているんだろう。片付けをしている自動機械にうっかり追突しかけて、あちらの方が見事に回避してくれる。さすがはトリシューラ製だった。自分のどうしようもなさが際立つばかりだ。
「それでは、カーティス=リィキ・ギェズ総体としては、リールエルバの救出に同意していただけるという認識でよろしいですか?」
トリシューラはいつの間にか落ち着いたデザインの赤いドレスに着替えていた。先ほどまでと違った雰囲気に、思わず息を飲む。
交渉は滞りなく進んでいるようだ。リールエルバ誘拐に関しては、既にトリシューラの口から直接ルウテトに伝えられている。まず間違いなく救出に協力してくれると断言していたが、理由はわからない。
いずれにせよルウテトの承諾は得られたらしい。あとは当事者であるカーティスが問題だったが、それもどうにかなりそうだ。
「子孫が窮地に陥っているのだ。私としてはなんとかして助けてやりたい。死人の森に身を置いてはいるが、それでもドラトリアは私にとって特別だからね」
「子孫とはいっても、クローンです。それでも?」
「クローンというのは複製体のことだね? ならば、それは私の形式を受け継ぐ子供であり孫であり、私自身のようなものだよ」
夜の民という種族が持つ価値観では、クローンかそうでないかなど関係が無いということらしかった。死人の森との関係を考えれば素直に人質交換という形にするわけにはいかないが、救出の為に一時的に囮として前に出てくれると言ってくれた。それだけでも心強い。なんとしても、リールエルバを救出しなければならなかった。幸い次の交渉の期日までには時間がある。共に対策を練っていくことを約束しつつ、トリシューラは次の相手と向かい合う。
「父祖たるアルト王に、今代の女王トリシューラよりご挨拶を申し上げます」
先ほどから引き続いて、トリシューラは珍しく丁寧な態度だった。対外用の社交モードである。
「良い、畏まるな星見の塔の娘よ」
意外と言ってしまって良いのかわからないが、アルトはざっくばらんな態度で応じた。再演の時に見た厳しい空気が薄れている。宴の効果だろうか。
「キュトスの姉妹には我が義姉ディシルも名を連ねている。ならばキュトスの姉妹に連なるお前を遠戚と見なしても不都合は無かろう」
「では、叔父様とお呼びしてもよろしいですか?」
「無論だとも」
トリシューラが相好を崩して親しげな響きを声に込めると、アルトもまたうっすらとではあるが硬い表情を緩めて見せた。
「盟友ダエモデクの志を受け継ぎし者トリシューラよ、何か困ったことがあればいつでも言うが良い。この老竜で良ければ力になろう」
穏やかなアルトは、六王の中で最もトリシューラに対して友好的な態度で接しているように見えた。先ほどの宴で、彼女の部下であるチリアットと話していたのが良かったのかもしれない。チリアットはしっかりと現在のガロアンディアンがアルトに認められるように言葉を尽くしてくれたようだ。
「もっとも、槍姫との盟約により死人の森の意思に反するような願いは聞けぬ。ゆえに、それ以外の事ならばという但し書きが付いてしまうがな」
アルトは死人の森の一員として譲れない一線を示すが、それは想定の上だ。
トリシューラが求めているのは、むしろその立場なのだった。
「まさにその事についてお願いしようと思っておりました。可能なら、彼女とはよく話し合い、互いに折り合いをつけられればと考えております。叔父様さえよろしければ、私たちの間に立ち、事をとりもっていただけないでしょうか」
「ふむ。難しい注文だが――死人の森とガロアンディアン、双方に関わりのある身だからこそできることもあるだろう。その役目、引き受けよう」
カーティスとアルト、その二人こそ絶対に強固な関係性を構築しておかなければならない王だ。両者と盤石の関係を築いておけば、ガロアンディアンという危うい勢力は外と内、二つの地点から古い伝統の権威によってその地盤を固められる。
早い話が、若く権威の足りないトリシューラとリールエルバに外付けの伝統や権威をくっつけようという発想である。
死人の森全体に勝利しなくても、この二人の王と友好的な関係さえ築ければ一定の権威は確保できる。幾つか段階のある勝利条件の、最低のラインがそれだった。
その後、トリシューラは他の四人とも話をしたのだが、反応は今一つだった。パーンは一応協力してくれるようだが、クロウサー家打倒の意思を胸に秘めたままだ。いずれ現当主であるリーナ・ゾラ・クロウサーに正式に挑戦状を叩きつけると息巻いている。過度に敵対的ではなく、あくまで現代の秩序に沿った形で競い合うと断言しているのがかえって不安を掻き立てる。
オルヴァとは会話にならず、ヴァージルはどうにも手応えが無い。浮き世に関心の無い貴人のように、トリシューラの言葉を聞き流すだけ。ただ、ヴァージルは現代の計算機である巻物や魔導書、携帯端末に関心を示していた。杖と呪文に関係した話題はトリシューラの得意とするところで、俺には理解できない専門的な話がしばし弾んだが、そこから先には繋がらない。気紛れに話を切り上げて、新たな興味の対象へと向かってしまう。
「ねえ、君はさっきからずっと壁の花だけど、何をしているの?」
ヴァージルが話しかけたのは、グラッフィアカーネだった。
トリシューラは少し考えて、ロップイヤーの王子の相手をビーグル犬に任せることを選んだ。どうもグレンデルヒを倒して従えたことで、グラッフィアカーネの感情が難しいことになっているらしい。無理にあちらに行くのはかえって状況を悪くすると判断して、ラフディの二人と向かい合う。
マラードとルバーブの反応は先ほどの二人に比べればいくらか良かった。先ほどの宴で昆虫料理を食べたことが印象を良くしたのか、同盟相手として協力してやっていこう、というような話題の流れになる。もっともラフディの重要度はそこまで高く無い。ほどほどの関係性を維持していればいいだろう。
そんな風にして、六王との対話が終了した。
細かい方針はこれから詰めていくとして、今日のところはもう遅い。
ルウテトらに宿泊場所を提供して、そろそろお開きにするのがいいだろう。
トリシューラは俺にルウテトを探してくるように言いつけて、そのまま六王の相手を続けた。先ほどの失態を取り返す為にも、ルウテトの姿を求めて歩く。
イベントホールは多目的なので、中央の大部屋以外にもいくつかの部屋がある。廊下を歩きつつ、一つ一つ確かめていくが見あたらない。
と、医務室の前で立ち止まる。
扉の前に、黒い影が立ちふさがっていた。
「クレイ」
「気安く呼ぶな、屑め」
刃の視線はそれこそ俺を斬殺せんばかりの鋭さを持っていた。グレンデルヒ相手の共闘、冗談のようなやりとり、そうした全てが一時の幻想だったと思い知る。クレイはルウテトの剣だ。ならば、主に害なす者を許すはずもない。
「貴様は陛下にとって害でしかない。俺の剣が貴様に向けられていないのは、陛下の寛大さゆえだと知れ」
ルウテトのものとは違う、純度の高い憎悪。背後にいる主を絶対に守るという意思だけではなく、感情がその行動を支えているのだと思われた。用件を切り出そうにも、これでは取り付く島もなく追い返されるだけだろう。
対応に迷っていると、意外にもクレイの方から別の話題を振ってきた。
「それより貴様、気付いているのか」
「何の話だ?」
問い返すと、クレイは心底からこちらを侮蔑した表情で露骨に舌打ちをした。
向けられた悪意の性質に戸惑いつつも、先を促す。クレイは視線を逸らした。今度はホールの方を睨みつけて言った。
「奴ら、六王どもが陛下に対して」
そこまで言い掛けて、クレイの口が止まる。
通路の奥から、足音が響いてきたのだ。
その姿を見て、俺は意外さを感じながら声をかける。
「どうしたラクルラール、そんな所に一人で」
気安い間柄なので、特に遠慮は必要ない。無造作に歩み寄っていく。
ルウテト以上トリシューラ未満の背丈に侍女のようなエプロンドレス。見間違いようもない、気安い相手だ。淡黄色の髪が青く煌めいているのが美しい。クレイが舌打ちする。態度の悪い奴だな。俺相手ならともかく、ラクルラールに対しては遠慮しろよ。
「この大馬鹿がっ」
クレイが腕を一閃させるのと、ラクルラールが俺に向かって何かを投擲したのは全く同時だった。
回転しながら迫り来る十字の刃。それが何か、俺は知っている。
その名を、手裏剣という。
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