4-88 To Hurt




 どこかのいつか。

 どこにでもある『画面』にありふれた広告動画が映し出される。

 街角のショーウインドウに陳列された人形にカメラが近付いていく。青い髪の球体関節人形がカメラの方を向くとカタカタと笑う。それを見た家族が談笑する。両親に手を引かれた小さな子供が人形を欲しがる。嬉しそうに人形を抱きしめる子供のシーンで大写しになる文字――『ほんとうの意味で子供たちに寄り添う教育、できてますか?』

 

 どこかのいつか。

 どこにでもある『画面』にありふれた広告動画が映し出される。

 最初のシーンは工場で働く大量の自動人形たち。

 すぐに場面が切り替わって、冬の風が吹き付ける中、就職情報誌を手にした男が項垂れながら歩いていくシーンに。

 その時、街角の立体映像広告が球体関節人形を映し出す。

 青い髪がさらさらと揺れて、絡繰り仕掛けの口がカタカタ動く。

 資格の習得を促す広告。機械に仕事を奪われた分だけ、その機械に関連した仕事が必要になってくるのだという理屈が述べられる。

 男は上を向いて力強く一歩を踏み出す。手には資格試験対策の教科書。大写しになる文字――『大人も、勉強する』


 どこかのいつか。

 どこにでもある家庭に、通信教材の一式が届く。

 内部に複雑な機械を詰め込むタイプの球体関節人形だ。

 小さな子供は、父親と一緒に内側の機械を組み立て、母親と一緒に人形の目を彩色し、服を縫製して飾り立てる。

 大写しになる文字――『最初の先生は、すぐそばにいる』


 それは、青い、青い、青い絆で結ばれた、貴い繋がり。

 あるべき幸福の形。

 カタカタ響く。

 糸が垂れ落ちる。

 意図が垂れ流される。

 

 お腹の大きな妊婦が、人形を持っている――『新しい命のために』

 祖父母の人形を親子で修理する――『想いは、生き続ける』

 人形が男女を結びつける――『愛するものが、またひとつ増えたね』

 学校の教卓に人形が置かれている――『未来は、無限大』

 そして、生徒が座る机の上にそれぞれ服装や細部が異なる人形が並ぶ。

 一斉にカタカタと音を鳴らす。楽しそうな笑い声。

 

 ぶつりと、全ての映像が消えた。

 そこは暗闇。無数の画面が瓦礫のように積み上がった散らかった空間だ。床一面をバラバラになった人形や機械の部品が埋め尽くしており足の踏み場もない。

 大小のケーブルと絡み合うようにして伸びるのは、青い糸――いや、髪だ。

 

 と、画面の一つが再び光を灯す。表示されたのは、機械と氷の義肢を持つ男。

 そしてその隣に立つ、赤い髪と緑の目を持った少女。

 画面の前にいる青髪の人形は、じっと二人を見ている。

 その口が、ゆっくりと動く。

 カタ、カタ、カタ、カタ、カタ。

 リズム良く刻まれる音は、画面の少女の口の動きをなぞるようだった。

 人形が、赤毛の少女と一緒に名前を呼ぶ。


『ア、キ、ラ、く、ん』


 直後、あらゆる光が消えて世界が闇に閉ざされた。

 





 夜の帳が下りても、ガロアンディアンは眠らない。むしろより活発に動き出し、鬼火や蝋燭の火といった呪術的な明かりが世界に満ちていく。大天蓋の照明光だけでは足りないと、呪力を循環させていく。それがこの場所の、従来の在り方だった。だが、第五階層は変化し続けている。


 サイバーカラテの決定的な変容に伴い、世界の有り様は更新された。

 天蓋の巨大な照明が明滅し、灰色のドームがゆっくりと薄れて消えていく。

 現れたのは、無限に広がる夜空だった。

 四つの月が第五階層という名の小世界を照らす。


 閉鎖された世界ではなく、より広大な世界を望む人々が第五階層の天井に干渉して書き換えたのだ。世界槍という巨大な尖塔の内部であるにも関わらず、言理の妖精という神秘がその異常を現実に落とし込んだ。ガロアンディアンの頭上には第四階層があり、同時に空が広がっている。二つの事実は矛盾しながら並存しているのだった。


 近く完成するという気象庁システムによって天候制御が実現すれば、ガロアンディアンはより異世界らしくデザインされていくことだろう。

 砂場は、幼いトンネルから華やかな城へと変貌を遂げている最中なのだ。

 閉ざされた迷宮の一区画から、ごく小規模な内世界へ。


 第五階層ガロアンディアンでは今日も即席の箱型建造物が構築されては取り壊され、自動生成の街並みが一定のパターンで揺らぎ続けていた。

 そんなありふれた建造物の平たい屋根の上に、奇妙な影が三つ並んでいた。

 浮遊する小さな人形を左右に従えた、長い髪の少女。


「いよいよだね、左目のレッテ」


「けど心配だ。多分、白のメートリアンあたりが追いかけてくるよ。太陰にいる右目のレッテと僕たちだけじゃ足止めは難しいかも」


 二つの高い声。左右の人形が発した言葉に、中央の少女は気怠げに応じる。


「いいのよ、背後の警戒なんて適当で。それに多分、全てはお姉様が望まれたシナリオの内。どうせ七番目は必要になる」


 ヘッドドレスに飾られた紅紫マゼンタの髪は膝下まで垂れ下がり、地面に着いてしまいそうなほどに長い。同系統の色合いの豪奢なワンピースを身に纏い、スカートや袖口がふわりと膨らんでいる。印象的な目の大きさも相まって、人形のような雰囲気がある少女だった。


「第七断章【トラスト】――担い手はメクセトの裔か、クロウサーの当主か、はたまた狂える吸血姫か。最後のピースは運命によってこの場所に引き寄せられる。全ては操り糸が導くままに――どうせ、なるようにしかならないの」


 諦観、あるいは退屈さを口調に滲ませてマゼンタの少女は呟く。

 指先が揺れて、その先から伸びた細い糸が左右の人形を動かしていた。対話か独白か判然としない、煌めく糸によるコミュニケーション。


「全くトリシューラはバカだよね! 女王気取りで実は道化なんだから!


「そうだね、グレンデルヒみたいな擬制的に設定された紀人ステレオタイプを倒したくらいでいい気になってるなんて、本当にがらくただよ」


 左右の人形は、騒がしくここにいない相手を嘲弄する。

 それを受けて少女は静かに呟いた。


「――使い魔の呪術が対象とするものは広範。紀人の形もまた一様ではない」


 それは、四大呪術と呼ばれる系統の一つ、使い魔に関する基礎知識。

 星見の塔の叡智を授かった者ならば誰でも知っている基本事項。


「家族、学校、企業、官庁――それに村落と都市と国家。あとは流派とかネットコミュニティなんかもそうかしら」


「ねえレッテ、村落と都市と国家って一つで良くない?」


「あと官庁って国家に内包されるんじゃない?」


「そうね、分類なんていいわね適当で」


 淡々と独り言にように言葉を続ける。

 実際それは、虚しい独白なのかもしれなかった。


「市場と企業の紀人グレンデルヒ、官庁と国家の紀人トリシューラ、武術流派とネットコミュニティの紀人シナモリアキラ――これらは技術と杖に近い紀人たち。真に純粋な使い魔の紀人は――そうね、学校。そして家族」


 青い糸が、少女の紅紫の髪の中に一房だけ混じっていた。

 豊かな髪を撫でながら、陰気に呟く。


「馬鹿なトリシューラ。国家の紀人、そんな道を選択した時点で、あなたは操り人形となる道を自ら選んでしまったようなもの。国民お人形を作り出す手段がなければ、王国に未来は無い。だからあなたは、ずっとあの方に勝てないままなのよ――学校の失敗体験って、一生ついて回るんだから」

 

 言い終わった途端、けたたましく笑い出す左右の人形。

 嘲笑が、夜に響き渡る。


「太陰の封印は破壊され、冥道の門は開放の時を待っている。これから始まるグランギニョル、誰がどれだけ血を流すのかしら――私たちの担当は六番目。ほどほどに適当に、勝ちに行きましょうか」


 少女が発した言葉を聞いたのは、左右の人形だけ。

 暗雲に月光が遮られ、少女たちの姿も消える。

 残ったのは、長い長い絹糸のような紅紫の髪が一本。それさえも夜風に吹かれてどこかへと飛ばされていった。ふと、虚空でその色が変化する。

 深い深い、青色に。




 夜のガロアンディアン。雑然とした道を行く一団がある。

 それぞればらばらな服装だが、様々な色彩とデザインは戦闘用に調整された呪力を宿していた。武器を所持しているのが物々しいが、それすら全体の中で調和している。探索者という荒くれ者たちだった。

 集団の先頭を行く男が、大きな鍔のテンガロンハットを押さえた。強い風が吹いたのだ。


「――今宵は風が騒がしいな。思えばこの階層も風通しが良くなったものだ」


 盗賊王ゼド。非正規探索者たちを率いるならず者たちの英雄。

 そして彼に付き従うのは英雄たちから利益を掠め取る盗賊団。

 グレンデルヒという四英雄の筆頭格は、彼らにとって格好の獲物であった。


「英雄グレンデルヒを内包したあいつらは、一体どんな利益を探し当ててくれるのだろうな」


「やっぱ大将、期待してるんですね、連中に」


 背後で仲間たちの一人が声をかける。ゼドが不安定なガロアンディアンに目を付けたことを、誰一人として不安視していない。彼らは盗賊王の嗅覚を信用していたからだ。


「ああ、期待しているとも。だが焦らなくていい。あいつらはまだ始まってすらいない――ここからが勝負所だろう」


 騒乱は第五階層の常だが、今回の戦いは確実な溝を作り出した。

 サイバーカラテユーザーと、それを選ばなかった者たちと。

 ゼドの下に集った探索者たちは、ガロアンディアンの各種サービスを利用しながらも、サイバーカラテだけは使用していなかった。


 彼らは非正規探索者。

 安定と所属、庇護と足場の価値を誰よりも痛感している。

 盗賊団は鼻が自慢だ。

 彼らはサイバーカラテ道場に足を踏み入れることを、所属してしまうことを選んでいない。過酷な戦いと競争の中で培った探索者としての嗅覚が、早計だと告げていたからだ。それが、現在のサイバーカラテの価値。


「上の方でもなにやら動きがあったようだ。俺たちはどう立ち回るか――お前はどう動く、シナモリアキラ。その正義と価値が熟すのはいつになる?」


 陰気な男の顔が、その一瞬だけ愉悦の色に染まる。

 収獲を待ち望む果樹園の主、あるいは獲物の肉の味を想像する猟師。

 探索者は収奪を生業とする者。その本質が一瞬だけ顕れて、消えていった。

 癖のようにテンガロンハットを押さえる。その端から、僅かに髪が零れた。


「大将、髪染めました?」


「いいや? どうした?」


「光の加減かな、一瞬青く見えたような」


 気のせいかな、と探索者が呟いた。些細な見間違いとして済まされる。

 誰も知らない。ゼド本人でさえ。

 テンガロンハットに隠された頭髪がどんな色をしていたかなど。

 雑踏の中に、男たちは消えていく。

 抜け落ちた毛の一本が石畳に青く融けて、消えた。




「殺すな、だって――?」


 垂れ耳が怒りで跳ね上がる。ビーグル犬の頭部が憤激に鋭い歯を剥き出しにした。普段は静かな雰囲気を纏った細身の身体から熱が吹き出すようだ。グラッフィアカーネという少年は、受け入れがたい事実に直面している。


「【変異の三手】はグレンデルヒを演じていたんだろ。サイザクタートの仇であるあいつが普通の手段で殺せないなら、そいつらを殺すしか仇を討つ方法が無いじゃないか!」


 敵対勢力を捕縛している自動機械たちに怒鳴りつける。虹犬の鼻先から紫電が迸り、筒状の鋼鉄に車輪と機械腕が付いただけの簡素な自動機械が煙を上げて停止した。そもそも、彼はグレンデルヒの加入に納得していない。


 友の仇が形の無い存在だったと知ってその怒りを向ける場所を見失った彼は、当時の第三階層での戦いに参加していた【変異の三手】の構成員を全員殺すと息巻いている。それどころか、関係の有無や濃淡などお構いなしに地上の巨大企業全体を敵視し始めていた。


 憎悪が膨れあがる。

 トライカラーの毛並みが逆立っていく。白、黒、黄褐色。そして青。

 ――青い、体毛。

 許せなかった。仇を討つと決めた。感情的であっても、生産的でなくても、悲しみが連鎖しても、そんなことは関係が無い。この胸の中のどす黒い感情をどうにかするためには絶対に復讐が必要なのだ。

 友を殺したのが個人ではなく構造であるのなら、それを生んだ地上全体こそが諸悪の根源なのではないか。


「何が英雄だ。自分勝手にっ」


 グレンデルヒというキャラクター。そしてもう一人。

 再生者として甦ったサイザクタートを再び殺した、アズーリアという名の新たなる英雄。殺意の行き先は一つではない。際限なく拡散していく。


 自動機械の一つが、ちびシューラの立体映像を表示。彼女には【変異の三手】に所属する探索者たちの身柄を地上企業との交渉材料にしたいという思惑がある。どうにかなだめすかそうとするが、潔癖な少年は嫌悪感を露わにした。薄気味の悪いものを見るような視線をちびシューラに向ける。


 ガロアンディアンへの不信。

 グラッフィアカーネは、そもそもサイバーカラテユーザーではない。

 確かに再演の呪術に協力はしたが――首を物理的に挿げ替える?

 こいつらは狂っているのではないか?


 このままトリシューラについていっていいものだろうか。

 かつて世話になった事があるカニャッツォの紹介であり、無下にはできないという思いもある。『アキラさん』という、人が良いのだか過剰にナイーブなのだかわからない紀人と共に戦った義理も。だがしかし。

 

 急速に離れていく少年の心を悟ったちびシューラは、グラッフィアカーネという異界の名を掌握して彼を屈伏させようとする。【マレブランケ】という異界の呪力を借りた形式。名付け親とは名付けた相手に疑似的な親として権威を振るえる呪術的絶対者である。


 しかしちびシューラがグラッフィアカーネという名に対して行使した呪文は不発に終わる。当然の結果だった。

 そもそも、グラッフィアカーネと名付けたのは彼女ではない。

 トリシューラが囚われて音信不通だった間に、何者かがトリシューラの振りをして勝手に【マレブランケ】に引き入れたのがこの少年である。

 名付けの権威は通用しない。名付け親ではないのだから。


「すみません、ちょっと今後の事について考えさせてもらいます」


 不信は決定的なものとなっていた。強引に相手を従わせようとするやり方は、当然のことながら反発を招く。足早に立ち去っていく少年の背を、稼働する機械たちは見送ることしかできなかった。




 第五階層南部。

 この場所が暗黒街と呼ばれるようになる以前から巣くっていた邪教集団が、構築した神殿の内部で不気味な声を上げ続けていた。

 魔教。現代に生きながらえたカシュラム人の中にあってなお異端とされ、地上を追われた邪教徒たち。


 地上では大神院が定めた九大眷族種の他にも、十一位のラフディ人や十二位のカシュラム人といった者たちが居住や移動、結婚などの自由を制限された上で集住させられていた。徹底した隔離政策。特定居住区での窮屈な生活の中で、ただブレイスヴァの名を呼び、恐れ続ける。

 

 だが、恐怖を受け入れることが出来ず、かといってブレイスヴァという絶対の真実を忘れることも出来ず、異なる形での精神の救いを求める者たちが出現した。それが――。


「おお、偉大なるブレイスヴァ。そして、かの恐るべきあぎとを幻視した大予言者、オルヴァ・スマダルツォンよ!」


 魔教は、まずブレイスヴァを恐れ、それから一人の人物を崇め奉る。

 独特なカシュラム様式の神殿の中央。天井の花窓玻璃から光の柱が伸びて、聖堂に鎮座している一つの構造物を照らす。

 それは棺だった。

 棺が、絞首刑にかけられている。


 太い箱が青い髪を編んだ縄で括られて、そこに至る十三の階段には袋に押し込められた人間が顔だけ出された状態で仰向けに寝かされていた。

 人々は、目と鼻と耳を削がれ、顔を焼かれてなお生きていた。魔教のおぞましき呪術が瀕死の生贄を生き長らえさせている。


 十三階段に一人ずつの生贄。それぞれが異なる階層の出身で、階段は十三の地位を表現している。それは一定の日時、場所、生贄を順番に処刑していくという条件を満たし、天の御殿より霊魂を逆流させるという大儀式。


 だが、彼らの呪術儀式は一般に知られているものとは少々形式が異なっていた。周囲で一心不乱に呪文を唱える十二の神官たち。その内一人が、虚空を手で掻き分けるような仕草をした。すると吊された棺が落下する。青い縄が融解して、棺と蓋がばらばらに落ちていく。内側に秘められていたものが露わになる。棺の中に鎮座していたのは、無数の包帯が巻かれた木乃伊だった。十二の神官たちが歓喜の声を上げる。


「これなるはキャカール十二賢者が第一位、オルヴァ・スマダルツォンの聖骸である。皆、喜べ! 時は満ちた。古き予言は成就された! 偉大なる十字王の予言はまことであったのだ!」


「復活の時、来たれり!」


「カシュラムはここにあり!」


「終端は弑されたのだ!」


「それすらもブレイスヴァの前では、ああ!」


 呼応する声、声、声。熱狂する集団。

 指導者らしき中心人物が、厳かに宣言した。


「いざ参ろう。今こそ転生の儀を執り行う時。ここに集いし我神十二限界が、新たなる終端を食らい尽くすのだ!」





 どことも知れぬ、暗い路地裏。

 満身創痍の男が、壁に背を預けて息を吐いた。

 片手片足は剥き出しの白骨。全身は火傷だらけで、幻惑的な黄緑の稲妻が微弱ながらもしつこくその身を灼き続けていく。呪いのように。


「余波だけでこれか。最強の寄生異獣マリー。どうも、僕にとってあれは鬼門らしい。こうまで惨めに逃げる羽目になるとはね」


 守護の九槍第八位、ネドラド。杖に対しては無類の強さを誇る彼にとって、実体を持たない稲妻は天敵と言えた。全修道騎士の中で最大出力を誇ると言われるエレクトリックライムの電撃を扱うアズーリアの実力は見事と言う他に無い。流石、新たなる地上の英雄と呼ばれるだけのことはあった。


「あれを正面からどうにかするには、第三位でも連れてこないとどうしようもないだろうな――幸い、まだ使いこなせていないみたいだったけれど」


 アズーリア・ヘレゼクシュは大魔将の力を完全に制御しきれていない。圧倒的な威力に振り回され、暴走しかけた所を抑え込むだけで精一杯という所だった。結果は痛み分け。双方が稲妻によって痛手を負い、完全な決着を見ないまま戦いは終了したのだった。

 とはいえ、ネドラドの負傷は深刻だ。呪力を削り取る稲妻によってその力の大半は消失している。回復には時を置かねばならないだろう。


「まだ死ねない。僕は――あるべき世界を取り戻す」


 彼は杖を憎む。杖の理の体現者たるトリシューラを排除し、杖によって成り立つガロアンディアンを破壊する。その為に縋った再生者の力だ。


「女王陛下の所に、馳せ参じなければ。忌まわしい僣主を、殺す為に」


 ネドラドはゆっくりと壁から身を離すと、どこかへと歩いていく。

 目指す場所はわからずとも、目的は明確だ。

 杖の魔女トリシューラを破壊する。

 ぎこちない動きで歩く男の頭部に、一房の青い髪が混じっていた。





「おうおう、この道を通るのに通行料が必要だって知ってっか?」


 黒衣の人物が包囲されていた。

 裏路地の暗がりからのっそりと現れたのは大柄な男たち。

 下品に笑いながら威圧感を振りまく彼らの目的は明白だ。

 小柄な夜の民は、無言のまま先を急ごうとして、目の前を分厚い胸板で塞がれる。黒衣のフードを鷲掴みにされたことで夜の民の足が止まった。


「てめえ、俺らが新生三報会のもんだってわかってんのか?」「兄貴は昔、三報会の頭に目をかけてもらってた薬の売人と顔見知りだったんだぜぇ?」「この顔のペイントが目に入らねえのかよ!」「馬鹿、刺青だって言えっつったろカス!」「へえ、すいやせん」「でも何で刺青にしねえんです、兄貴」「顔に刺青とか怖いじゃねえか馬鹿ども! 言わせんなカス! ぶちのめすぞ!」


 騒ぎ立てる男たち。黒衣がゆらりと揺れる。

 瞬間、黒い布の中央を突き抜けて何かが飛び出し、男の鳩尾に叩き込まれた。

 その場の誰も、一切の予備動作を感知できなかった。

 鋭い槍を思わせる貫手。それが、布が存在していないかのように黒衣の中心から放たれていた。男が崩れ落ちる。


「よくも兄貴を! てめえら、やっちまえー!」


 乱闘が始まり、ならず者たちが拳やナイフで黒衣に襲いかかる。

 だが、その姿は霞のように消えてしまう。

 動きは緩慢に思えるのだが、残像を残しながら滑らかに移動する黒衣の人物は正確に手掌を放って男たちを打ちのめしていく。


 ひとつひとつの挙動が、黒衣に隠されて見えない。揺らめき続ける実体の無い黒衣。幻の衣服によって全身を隠し、攻撃の動作を読み辛くするという技法。身体能力に劣る夜の民、とりわけ幻影呪術が得意な幻姿霊スペクターが得意とする体術だった。


「こいつは、六淫操手の野郎が使ってた――」


「こすい真似しやがって」


「夜の民のカマ野郎が、ぶちのめして売り飛ばしてやるぜ」


 口汚い言葉を吐きながら迫り来る暴漢たち。その言葉の中に含まれていた単語に、夜の民が反応した。

 緩慢な動きが劇的に変化する。

 残像が分身となり、幻影が無限に増え続ける。

 幾多の黒衣が一斉に手掌を放って男たちを一人残らず打ち倒すと、今度は黒衣の中から半透明の触手が伸びていく。


 それらが倒れて呻く男たちの目の中に侵入し、脳の中を探っていく。

 絶叫が、夜の闇に谺した。

 しばらくして、白目を剥いて倒れ伏す男たちを背に幻姿霊が歩いていく。


「やはりここにいたか、カーイン」


 フードの内側で、鋭く端整な顔が歪む。

 それは怒りか悲しみか。美女のように艶めいて、美男子のように凄烈な、激しい感情が渦を巻いて表れていた。


「何故、ジャッフハリムを裏切った――」


 浮遊しながら、夜の街を行く。ガロアンディアンでは珍しくも無い夜の民の姿を見とがめる者はいない。

 その影に、どこかから落ちてきた青い髪の毛が触れようとする。

 粘つくような操り糸。それが影に触れようとした瞬間。

 より巨大な青い奔流が影から溢れ出し、か細い糸を飲み込んでしまう。

 一瞬にして影の中に消えていった青い流体を見た者はいない。それでも、黒衣の影に毛細血管のような紋様が浮かんでは消えるというサイクルは絶え間なく繰り返される。それは自然な現象ゆえに誰にも見とがめられなかった。

 血脈を呪力が流れていくのは、当たり前のことだからだ。


「セレクティ派の思惑はわからぬが――私は私の役目を果たす」


 地獄からやって来た幻姿霊が、決意を込めて前に進んでいく。

 喩えようのない時間をその身に堆積させて。

 ゆっくりと、老人のように。


「誰も彼もが、私を置いていく。なあ、パーンよ。私はいつまで待てばいい?」


 呟きは、どこまでも高い夜空に消えていった。




 ガロアンディアンの街頭に設置された大型モニタ。

 映し出されていた歌姫のPVが中断され、唐突に新たな映像が表示される。

 何事かと頭上を見上げる人々は、黒ずくめたちを目にする。

 取り立てて不審な点の無い、夜の民たちに見えた。


 彼らあるいは彼女らは、聖マローズ教団と名乗った。

 その名を知る者たち、とりわけドラトリア系夜の民たちが動揺する。

 きわめて悪名高い団体だったからだ。

 ドラトリアに存在する新興宗教団体で、マロゾロンド系信仰団体の中でも最も原理主義的で過激なカルト集団。


 彼らの大半は、最近になって吸血鬼であった事をカミングアウトした者たちだった。ドラトリアには公然の秘密があった。青い鳥ペリュトンやマロゾロンド信者の霊長類――という演技をしていた吸血鬼が数多く存在していたことである。マロゾロンド尊崇団体はそうした肩身の狭い思いをしている社会的弱者の受け皿として機能していた側面がある。同じく表舞台に上がった吸血鬼の王女リールエルバの尽力により、そうした者たちの社会的地位は向上しつつあった。そんな『認められた者たち』の一人が声を上げる。


 画面中央の指導者はラリスキャニアと名乗った。

 我こそは神祖マロゾロンドの声を代弁するものである、と。

 神託を受け霊媒としての資格を得た、いわば秘蹟の積み重ねによって始祖と同等の資格を得た夜の民。


 宣名によって世界に示された情報は、圧倒的な密度でそれを耳にした者を打ちのめした。宣名圧が万人の影を波打たせ、跪かせていく。

 その瞬間、誰もがマロゾロンドという超越存在をラリスキャニアの背後に感じていた。いかがわしいカルト教団が、信仰対象によって認められたのだ。

 新興宗教の長は狂気の言葉を告げていく。

 そして霊媒の言葉は、同時にマロゾロンドの言葉でもあった。


 曰く、不遜にも我らの下に在るべき魂を独占するその所業恥じるべし。期日までにドラトリアの建国王、大カーティスの魂をマロゾロンドの御許へと運べ。そこで――『人質』と交換する、と捲し立てた直後、ラリスキャニアが一歩脇に避けた。背後に現れたのは、一人の少女。


 長い翠玉の髪と血のような瞳、そして長い牙を口から覗かせる艶然たる美貌。裸のまま割座の姿勢をとらされており、腰を斜めにずらし、か細い裸の足を持ち上げることでかろうじて足の間を隠している。弱り切った白い両腕は頭の上で真っ直ぐな柱に括り付けられていた。柔肌に食い込んで少女を雁字搦めに拘束しているのは、無数の黒い触手だ。病的なまでに細身でありつつも豊満な色香を漂わせる裸身、息を飲むほどの妖艶さを、影のように平たい触手が申し訳程度に覆い隠している。


 囚われの少女は力無く項垂れて、その美貌に乱れた前髪を落としていた。首には呪石の嵌め込まれた環。アストラル体を物理的な肉体に閉じ込めるための拘束具だった。牙が青ざめた下唇を噛み、ぷつりと小さな血の雫が浮き上がる。赤い瞳からは抵抗に繋がるような意思の一切が失われ、ただ恐怖に震えるばかり。哀れな人質の姿に、映像を見た人々の心に同情、悲しみ、怒り、敵意、そういったものが喚起されていく、と同時に。

 何種類かの暗い欲動が、静かに鎌首をもたげていた。

 

 ――おやおや、こういった視線を身に受けるのは慣れっこだったんじゃないのかい? それとも剥き出しの生身だとまた感じ方が違うのかな?


 その言葉は存在しない。誰にも聞こえない静けさとして、世界に刻まれるのみ。沈黙の言語を用いる雄弁なる黒衣が、あらゆるものを羽虫のように睥睨して、嘲弄する。


 拘束された少女は、うつむいたまま沈黙している。それでもその真っ白な頬が恥辱に染まっていくことは隠しようがなかった。無防備な腰から下を隠そうと、絶えず足を動かそうとするのだが、羞恥を感じさせる小刻みな動きがより一層視線を集めてしまっている。それに異常なまでに細い両足は萎えているのかほとんど動いていない。


 カルト教団による要求が続く。

 【ハイパーリンク】によってガロアンディアン地下の白骨迷宮をスキリシアと接続すること。

 人質の交換はこちらが指定した場所で行うこと。

 なお時間までに魂が届かなかった場合――


 下卑た興奮と自覚しながらも画面を凝視していた者たちは、続いて画面に映し出されたものを見て血の気の引いた顔で仰け反った。

 酸鼻極まる、人体の断面図。

 鮮血が滴るその無数のパーツは、かつて人だったものだ。


 宝石が散りばめられた煌びやかなドレス。ほっそりとしていながらもしなやかに引き締まった身体。それらが寸断され、画面の隅から引き摺られてきた黒い袋から落とされていく。

 全ての人体が吐き出され、最後にごろりとした生首が落ちる。


 獣の三角耳、宝石の瞳、そして黄色い髪を備えた、ドラトリアが誇る美姫。人質よりも少しだけ年下の少女が無惨な姿を晒していた。

 それすらも扇情的な広告代わり。

 性と死に彩られた情報が、世界に広がっていく。


 要求は単純極まりない。

 教団が求めるものを差し出せば、人質を解放するというもの。

 だがそれによって何が引き起こされるのか。

 教団の背後に潜んでいる存在の脅威を正しく認識している者は、現時点では極めて少ない。


 そして、この映像が広がっていくという事それ自体が一つの呪術的な目的であるということも、情報を専門とする言語魔術師たち以外には気付かれていなかった。少なくとも、今はまだ。

 第五階層の至る所に垂れ下がっている青い髪に混じって、黒い触手が影の中を這い回っていた。



 

 薄暗い地下空間。

 ガロアンディアンの地表の下、広大な白骨迷宮の上に位置する、インフラの軸たる下水道。汚水が流れていく暗い水が、ブクブクと泡を立てる。

 それと共に、白濁した液体が一帯に広がっていく。

 水中には、爛々と怒りに燃える瞳があった。

 そして、うねるような大量の触手も。


「終わらぬ。まだなにも終わってなどおらぬ。我らが部族の悲願を果たすまでは死ねぬのだ。たとえ狂信者どもの走狗に成り果てようと、必ずや偽りの守護天使を退け、真の守護神たるハザーリャの加護を取り戻してみせようぞ」


 水底から浮かび上がってくるそれは、暗い恨みを込めてひとりごちた。

 その周囲に、無数の刃が形成されていく。

 青く、そして悪臭のする白濁液が混じった水流の刃だ。


「邪魔なグレンデルヒが弱体化した今こそ好機。この魔女殺しの剣にてハザーリャの権能を取り戻してくれる。待っていろ、今助け出してやる。ロドウィ、アルテミシア、ローズマリー、セージ、アニス。我が魂の同胞たちよ。再生者として復活し、我と共に江湖の栄光を取り戻すのだ」


 水の中に、恨みの声が響いていく。




 そして。

 爆発炎上していた武器格納庫の鎮火が終了し、内部の捜索が開始される。撃墜された機械天使、そして死亡したはずの主肢グレンデルヒを発見すべくドローンたちが動き回る。しかし、一向にそれらしき遺体は見つからない。それどころか、最後のグレンデルヒ中枢を演じていたのが誰であるのかも不明なままだ。


 主肢グレンデルヒが最初に現れたのは巡槍艦ではない。

 戦闘中ちびシューラに寄せられた報告はこうだ。

 第五階層北東部、工場や生産プラントが並ぶガロアンディアンにとって重要な区画に突如として黄褐色のスーツを着たグレンデルヒが出現。トリシューラの留守を預かっていたバル・ア・ムントらドラトリア系夜の民部隊と交戦した。


 松明の騎士団の中でも親ガロアンディアン派であり、事実上ドラトリア王女リールエルバの私兵集団と目されている彼らは、圧倒的な力を持つグレンデルヒを相手に奮戦した。バルは古参の修道騎士であり、精鋭揃いの一番隊を率いていた経験もある大隊長だ。六百の軍勢を手足の如く運用する彼にとって、堅牢な拠点防衛こそがその本領と言って良い。


 元序列十位、現序列十三位のバルに指揮された守備部隊はグレンデルヒとその配下たちであっても容易く打ち崩せるものではなく、グレンデルヒは重要拠点を攻め落とすという目的を果たせずに撤退。その後、グレンデルヒは階層北西部に移動してトリシューラたちと交戦することになり、死人の森の女王ルウテトの反乱によって敗北を喫する。


 確かな勝利である筈なのに、奇妙な据わりの悪さだけが残る顛末だった。

 結局、グレンデルヒの遺体は見つからないまま。

 捜索は続けられ、第五階層の警戒レベルが一つ引き上げられる。

 

 無意味な捜索を続けるドローンを、高みから見下ろす視線があった。

 左右で二つに括った黄褐色の長い髪が風に揺れる。侍女のような服と、渇いた土色のマフラーがはためいた。


 髪に混じる青い糸が頭から突き出た蝶型のぜんまいばねに巻き付いて、くるくると回していく。

 ゴリゴリと、ギリギリと、金属が擦れるような。

 グチャグチャと、ネチャネチャと、脳が掻き回されるような。

 肉と臓器が捻られていく悲鳴が響いた。


 幻聴だ。そう見えるからそう聞こえるという、それだけのこと。

 ゼンマイ仕掛けの人形は、突き込まれた異物によって体内へと呪力を注いでもらわなければ動けない。そのように作られているのだから、何も問題は無い。持ち主にばねを巻いてもらうことより幸せな事など有りはしないのだ。

 道具は使われてこそ。そこに疑問を差し挟む余地など皆無。


「そうでしょう? ――私の、トリシューラがらくた


 独白は夜に溶けていく。

 揺るぎ無い声。完璧な人形として、機能を十全に果たすだけ。

 何があろうとも少女人形は傷付かない。


「だって、私たちには――」


 傷付く心ハートなど、存在しないのだから。



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