4-86 死人の森の/断章取義のアリュージョニスト③
グレンデルヒの存在が消えて、瓦礫の中に残ったのは外世界から来訪した力士、ゾーイただひとり。包囲された彼女は劣勢に立たされている。戦闘用の機体を失ったケイトが傍に出現するが、一度トリシューラに敗北した記憶は新しい。
力士はグレンデルヒの敗北を悟ると、深く溜息を吐いて、
「ったく、負け戦だなー。もうやってらんないわー」
(おいおい、職務放棄かい? 流石にそれは看過できないな。ただでさえ予定してた滞在日数超過しそうだってのに、怒られちゃうよ?)
「うっわー、嫌な現実を見せないでよ。ま、この状況でも潔く降伏なんてできないのが悲しいところだよねーっと。んじゃ、いっちょ派手にぶちかますか。ケイト、アレやるよ!」
ゾーイが両手で柏手を打って派手に大気を揺らした。
気力を入れ直した表情には活力が宿っている。
(正気かい? まあ、いいか。ここまできたら、どこまででもやってやろうじゃないか。出来れば死なないでくれると嬉しいけど)
俺たちは、一応といった体裁で問いかけておく。
「こっちとしては退いてもらえると嬉しいんだが」
「ここまできてそれは無いだろ。グレンデルヒの横槍が入って楽しめなかったし、私はもうちょっとその状態のあんたとやり合いたいって感じ。いいじゃん、もうちょっと楽しもうぜ? ほら同じ名前の仲じゃんか」
どういう仲だよと思ったが、軽い口調で言うゾーイの言葉に共感している『自分たち』がいるのもまた確かだった。
複雑なことを何も考えずに異世界で派手に暴れたかった『俺』と、一度負けた返礼と蹴り技の名手という誇りを取り戻したいという『私』と、地下闘技場で無敗を誇ったこの『俺様』がこの力士と正々堂々とした決着を望んでいるという――カニャッツォ、お前内心の一人称そんなんだったのか。
肉体パーツを入れ替え続けた今の俺は三面六臂の阿修羅像のような姿で、操作するコルセスカは「追加ユニットの重量配分とエネルギー効率、更にビジュアル面も勘案するとこの形態が最強のアキラです! 完璧!」とかそんな感じの事を俺の口から漏らしている。大丈夫かこいつ。
「わかったよ。どっちにしろ避けては通れない道だしな。じゃあ、やるか」
合意は成立した。瓦礫に満ちた広大な荒れ野、ここが俺たちの土俵となる。
トリシューラとコルセスカは既にやる気に溢れており、空中で巨大怪獣みたいなのに乗っている死人の森の女王(なんかどえらい姿になってる。人の事は言えないが)と六王はすっかり見物する姿勢だ。
「がんばってくださいねー♪ 勝ったらご褒美ですよー♪」
敵と見定めていたグレンデルヒを倒したからだろうか、すっかり空気が弛緩して、なにか娯楽を観賞するような姿勢だ。
だが、事実として俺はこの相手との戦いを楽しんでいる。トリシューラはこの戦いをネット配信して新生したサイバーカラテの宣伝にするつもりだ。
サイバーカラテは、戦いは娯楽だ。それはもはや、興行に近い。
「それじゃ、異世界巡業といきますか!」
ゾーイが気合いを入れると、俺と力士の中間に浮遊した行司姿のケイトが独特の節回しで、
「ひーがーしー、沼ー乃ー花ー、沼ー乃ー花ー」
とゾーイの四股名を呼び上げる。沼乃花っていうのか。
続いて俺の名が呼び上げられる。それは、
「にーしー、品ー森ー晶ー」
俺の前世での名ではなく、あくまでもこの世界における転生者としての名前だった。敵が俺をそう認識しているということ。それが愉快でならないと俺の中の誰かが感じていた。
俺は演出で盛り上げたいというトリシューラの指示に従ってゾーイから距離をとり、『土俵』に向かって軽快に駆けていく。トリシューラが威勢の良い曲を再生し、同時に腰に取り付けた大量の腕を投擲。何らかの呪術で空中にずらりと並んだ手を片っ端から叩いていく。死人の森の女王が地の底から呼び出した巨大な骨の柱と連なった筋肉のロープが目の前に出現。俺は高々と跳躍し、骨の頂点に手をかけると
そこで、死人の森の女王の浄界が発動。視野を狭めて限定的に展開された浄界が、リングの内側に広大な異世界を構築していく。ここならばこれ以上第五階層を破壊せずに自由に戦えるというわけだった。
青い大河が傍を流れ、丈の短い草木が足下でそよぐ。
広々とした彼方には山脈が壁として立ち塞がり、蒼穹の天井が高く築かれる。
水辺の両側には平坦な草原が広がり、純粋に闘争だけに専念できるといった空間となっている。空中には透明な泡に包まれた観客たちが口々に野次や応援を飛ばしていた。
力士が片足を高々と掲げ、四股踏みを行おうとしている。
巨大な脚が振り下ろされると同時に、彼女は力強く宣言した。
「いくぞ、超力士合体!」
「は?」
唖然としていると、ゾーイの足下から伝播した衝撃によって俺は吹き飛ばされた。え、何これ。もうずっとこんな感じではあるが、いやそれにしてもこれは。
次元の壁を突き破ってまず現れたのは巨大な
「な、何なんですか、これはっ! 頭おかしい!」
絶叫しながら文句を言うビーグル犬が振り落とされて空中に投げ出された。死人の森の女王の計らいか、泡に包まれて空中で保護される。
無人機はゾーイの周囲を高速で走り回り、大気が渦を巻いていく。巻き上げられた水と草が竜巻に巻き込まれて天へと昇り、稲妻が走って轟音が響く。
(成功率は0.01パーセントを切っているんだ。無理をするなよ?!)
ケイトの気遣わしげな声にも構わず、ゾーイは肉体を強引に膨張させていく。限界質量を超えて自重で崩壊する部位を瞬時に転移、再構成させてより強固な肉体を生み出し続ける。全ての転移能力を巨大化に費やす、自滅的な力士の挑戦。
「足りない分は! 愛と勇気と信じる心で補うんだよっ!!」
絶叫が風を巻き上げ、見上げるような巨体が完成していく。
(やれやれ、君はそういうの好きだよね。まあいいさ、ふんばれ、一気に行くぞ! 出力限界を突破! 110パーセント、120パーセント、130パーセント――まだまだ、もっとだっ!)
「おおおおおおおっ!!」
嘘だろ。
もはや呆然と見上げるしかできない俺の目の前で、信じがたい奇跡が現れる。っていうかこれ、前世の常識に照らし合わせてもちょっとおかしいよね?
俺の困惑とは関わりなく、力士の闘気は際限なく上昇していき、そして。
「これが! 1000パーセントの!! 力だぁぁぁぁぁっ!!!」
ケイトが空中に浮かんだ謎の鍵穴に軍配団扇を差し込み、勢い良く捻る。
そして彼の目の前に現れたのはこのような文字列だった。
――DOSUKOI承認――
――DOSUKOI承認――
――DOSUKOI承認――
――Gotts/anders迅速変形――
集結した無人機の数々は、雷光を放つ力士の元へと集い、それぞれが変形を開始していった。全てが紫電を纏って天へと舞い上がっていく。
力士もまた、カブキスタイルの顔に気迫を漲らせて肉体を膨張させた。肉の質量が追加され、力士の巨体が更に膨れあがっていく。
巨大化した力士が、背後に軌道船を背負うように密着。肉体に生成された接合部が硬質な音と共に接続される。装甲車輌の先端に付いたドリルの角度がずれて、空いた空間に巨大化した脚部が侵入していった。ブーツのような装甲車輌が唸りを上げて肉と密着し、膝部分でドリルを回転させる。
更に、右腕に鉄球クレーン、左腕に消防車が嵌め込まれ、回転しながら迫り出したのは硬質な生体装甲に包まれた巨大な手。
最後に、変形した軌道船の上部をリニアモーターカーが貫通し、三両に分離して両端が肩を覆うパーツとなる。展開した軌道船が巨大力士を覆っていく。それはまるで鎧――否、強化外骨格のように。
それこそは大機巧力士の顕現。
巨大化したカブキスタイルの頭部の上に、軌道船から飛び出した鋼鉄の大銀杏が接続され、腰には巨大な注連縄型排熱管が形成されて大気を歪めていく。
無限軌道が足となり、踵には噴射孔。
巨大化した人類を覆うための、巨大な強化外骨格。無人機はその偽装に過ぎなかったのだ。ゾーイとケイトが如何なる手段でこのような兵装を手に入れたのかは不明だが、いずれにせよ信じがたい脅威であり、驚異でもあった。
消防車とクレーン車の両手を打ち合わせ、ゾーイが宣名する。
「異世界巡業ごっつあんです! 横綱大神! ゴォォォッツアンデルスッ!!」
柏手と四股踏みを繰り返し、天地を鳴動させながら超巨大力士が世界に己を叫んでいた。俺の中でやたらと盛り上がっているコルセスカが「よいしょー!」とか言ってるけど楽しんでるなお前。
息を飲む。状況は極めて険呑だった。俺たちが共有する虫喰いの知識が、目の前の現象に対する理解をもたらしていく。
横綱大神ゴッツアンデルス。
『異神』とでも訳すべきその言葉は、樹状積層都市ヴェストドイチュラントに伝わる幻獣バルトアンデルスから引用されたものだ。
ホルヘ・ルイス・ボルヘスの著書『幻獣辞典』において紹介されたバルトアンデルスは、様々に姿を変える神を起源としているのだという。由来の定かならぬ異貌の神々――まさしく外界から越境してきたアウターゴッズ、つまりゾーイたちのことに他ならない。『異世界巡業』を繰り返し、異世界転生業の汚点を消して回る掃除屋としての自意識がそのようなひねくれた名前を付けさせたのだろうか――邪推しても仕方が無いことだが。
(驚いているようだね。これが僕たちの切り札、多世界汎用人型決戦兵器ゴッツアンデルスさ。力士の肉体を拡張し、その力を増幅する強化外骨格。これは本当に偶然だけど、シナモリアキラ君がかつて使用していた右腕と同じアイゼルネハント社製の兵装だったりするんだよね)
ケイトが意外な事実を明かす。
有名なトライデントホールディングス傘下のその会社は、かつては欠損部位を埋める
と、そこで引っ掛かりを覚える。
トライデント?
いや、偶然だよなこれ。ありふれている固有名詞だし、こっちの四魔女は前世の三叉槍から名前をとっているって聞いたし。
(どうだろうね。シューラはそれを確かめたいな――というわけで、頑張って勝ってね、アキラくん!)
無茶にも程がある。
見上げるような、それこそちょっとしてビルディング並の巨大さを誇るあの巨体相手にどう立ち回れというのだ。
(何言ってるの。高さも重さも、足りないものは外側から持ってくればいいんだよ。アキラくんが言ってたことでしょう?)
ちびシューラの言葉に気付きを得る。そうだ、俺にはサイバーカラテがある。第一左腕のウィッチオーダーが熱を持ち、異形となった俺の身体に合わせてくれているトバルカインが無言で応えてくれる。
強化外骨格は拡張身体だ。ゆえに、それがどれだけ巨大であっても杖という枠組みの中に含まれる。
サイバーカラテ道場の公式トピックは三次元的な立体映像としてアストラルネットに居を構えているが、そこにちびシューラが現れて全てのサイバーカラテユーザーに呼びかける。
(はーいみんな、元気してるかな? 今日は良い子のみんなにお願いがあるんだ。特に第五階層にいるみんなにね!)
現れたちびシューラに野次と歓声が飛ぶ。ヘルプ:お前を消す方法って投稿したカラスアバターを無言で蹴り飛ばしてちびシューラが話を続ける。
(今、第五階層でシューラたちが異界の格闘家と戦ってるのはみんなが知ってる通りだけど、そこでみんなにお願い! みんなの視座をアキラくんに貸してほしいんだ! 今こそサイバーカラテユーザーの力を結集して、道場破りにサイバーカラテの強さを見せつけるんだ!)
小さな妖精が求めているのは、サイバーカラテユーザーの視座と、第五階層の住人が持つ物質創造能力だった。
それはマテリアル界に干渉する杖の呪術。トリシューラによって解放された知識は今や様々な独創と発展を生み出しており、フィリスの呪文の万能性と組み合わさって、あらゆることを可能にする。
(成果に応じて特典ポイントが付くし、有効打アイデア入れた人とアシストした人には更にボーナスだからね! 更に参加するだけで『文化多様性の確保に貢献したで賞』をプレゼント! 参加しない手は無いよ!)
ちびシューラが明るく説明していくと、サイバーカラテユーザーたちはこぞって参加を表明する。この戦いをお祭り騒ぎやイベントとして認識しながら。
事実、これは興行なのだった。
ウィッチオーダーを基点にして、ガロアンディアンを構成していた掌握者権限がトバルカインを更に強化拡張していく。
更に、俺というサイバーカラテの総体すらも変幻し、マレブランケやトリシューラが用意した補助部品などを取り込んで異形へと変じていく。
拡張身体としての巨大強化外骨格。それは六番義肢【鮮血のトリシューラ】が詠唱する杖のオルガンローデと同じように、幾多の光の粒子を吸い込んで新たな部位を無限に追加し続ける。
それはガロアンディアン、サイバーカラテ道場という『王国』が築き上げる混沌とした視座の結節点。ああでもないこうでもないと修正を加え合いながら、増改築を繰り返す歪な巨大構造物。俺という存在が、無限に拡張され改変される。
(色々な部位や解釈を加えて、君だけのオリジナルアキラくんを作り上げよう! 最強の組み合わせを見つけて、ライバルに差を付けろ!)
ちびシューラがそう言うと、コルセスカが勢い良く提案を口にする。
(あのあの、名前を変換できるようにするってどうですか。アキラっていう主人公に没入しやすくするように。どうせ顔も不定ですし――あ、私はこのままでいいんですけど)
(採用!)
そういうことになった。
(好きな一人称を入れてね)は鋭角の柱となった足で大地を踏みしめる。巨大な質量が足下を激震させ、大河の水が荒れ狂った。巨大な左腕は黒銀のウィッチオーダーをそのまま大きくしたような形で、右腕は氷の義手を核として白銀の装甲で覆う形になっている。これが今の(好きな名前を入れてね)の姿。力士(ライバルの名前を入れてね)が不敵に笑う。
「いいね、気合いの入った姿だ。そうでなくちゃ張り合いが無い。さあ、千秋楽を始めようか"NAME1!!」
(あっ、これちゃんと表示されてない! ちょっと(ヒロイン1の名前を入れてね)、修正です修正! (ヒロイン2の一人称を入れてね)たちの視点では普通にアキラでいいですから!)
――俺は拡張された筋骨と人工筋肉、それらを覆う積層装甲に呪力を伝導させ、正面のゾーイと視線を合わせる。
作法に従い、双方が土俵に両手を突く。相手は堂に入った力士のように。俺の方はクラウチングスタートのような変則的な姿勢で。
外部から入力されたミームエネルギーが内蔵された呪術円陣によって変換され、各
「発勁用意!」
「はっきよい!」
完全に同時だった。
双方の機械的駆動の呼吸が噛み合い、大地を揺らしながら巨大質量が激突する。先にこちらを圧倒したのは力士ゾーイだった。強靱な足腰が生み出す神速の突進によって、こちらは一瞬のけぞりかける。しかし。
「NOKOTTA!!」
気合いと共に脚部が変形。前後左右に割れると、光の粒子が収束してそれぞれの脚部を補強。六脚となった俺は身を低くして前を向いたまま高速で後退していく。多脚歩行戦車じみた挙動をしながら、俺は左腕外側から迫り出した杖砲にエネルギーを充填、間を置かずに発射する。
巨大力士は腕の消防車から高圧の消火剤を噴射して
生じた隙を狙って、力士が大跳躍。
攻防は一進一退。俺は巨大な肉体を絶えず拡張させていくが、量子力士たる相手もまた条件は同じ。ゾーイがリニアモーターカーの肩から流れ出す磁力を両手に纏わせて抗磁力突っ張りを繰り出せば、俺は右手の凍結発勁でそれを受け止め、左手に作り出した釘撃ち器から
毒霧の吐息、火炎放射、釘撃ち、ドリル。砲口が火を吹いて、蹴りが大気を震撼させ、巨体同士とは思えないほどのアクロバットな空中戦が繰り広げられる。
サマーソルトキックを警戒させてからのドリル射出という奇襲によってこちらの胴体が貫通され、一時的に右腕が動かせなくなる。修復に回すリソースが足りないまま、力士が突っ張りを放つ。回避が間に合わず、消防車の梯子に偽装された刃が右腕を切断。戦力を半減させた俺に密着したゾーイは、両手をこちらの腰部分に回した。装甲の突起を掴まれる。
まわしをとられた。
死の確信が意識を駆け巡り、打開策が渦を巻くが妙案は浮かばない。この状況でゾーイにまわしをとられるということは、それほどの窮地である。
身体が浮遊し、豪快な上手投げが決まる。大地に叩きつけられて、各部位が損壊して警報が鳴り響く。容赦のない殺し合いはここで決着しない。ゾーイが巨大な足を持ち上げた。とどめは足でこちらを踏み潰すつもりなのだ。
まずい。
今の俺は、サイバーカラテ道場の威信をかけて戦っている。
道場の看板を外世界人に奪われたとなれば、その権威は失墜。
俺という存在は紀人としての力を失い、最悪消滅してしまうだろう。
(消滅しなくても、零落して『一発屋のサイバーカラテ芸人』とか『怪人サイバーカラテマン』とかそのレベルの存在になっちゃうよ!)
ちびシューラの言うとおりになれば、俺は羞恥のあまり生きる気力を失って死んでしまうだろう。俺のメンタルは恥ずかしさに抵抗力を持たない。
絶体絶命の窮地。振り下ろされる足、迫り来る『サイバーカラテ? ああそんなのあったね』の未来。閑古鳥の啼く寂しい道場。
時間の感覚が引き延ばされ、一瞬が永遠となる。
それだけは絶対に許容できない。
奮起した意思が、最適解を求めて生き足掻く。
集合知の混沌に打開策は無い。ならば、外側から持ってくるまで。
サイバーカラテという巨大な渦が、高みの見物を決め込んでいた観戦者たちを招き寄せる。強引に、支配するように。
――面白い。
そんな意思が六つ、俺の中に流れ込む。
時間が加速し、力士の足が踏み下ろされた。
激震と巻き起こる粉塵。
割り砕いたのは、誰もいない大地。
俺は間一髪で回避に成功していた。全身に鱗のような装甲を纏い、球体のように丸まって地面を回転していったのだ。大河の中に入り込むと、その姿を更に変貌させていく。それは白き蜥蜴の牙と、稲光を纏う猛犬の頭部と、数秒先の未来を予測する十字の目と、多関節の機械腕、そして漆黒の翼を兼ね備えた異形。
六王たちの力を土壇場で取り込んだ俺は、全ての呪力を集約して最後の突撃を敢行する。もはや余力は無い。これで全てを決める。
俺の視界に次々と映っていく無数の顔。
その全てが俺自身の姿。
外部から取り込んだ力、それは俺自身ではないのと同時に、全てが俺を構成する一部となる。俺には外部しかない。他力本願、それが俺の本質だ。
流れていく顔ぶれが、全て俺に呪力を注ぎ込む。
数々の見知らぬサイバーカラテユーザーのアバターが浮かび上がり、続いて良く見知った顔ぶれが俺の中に浮かんでいく。
トリシューラとコルセスカをはじめとして、気紛れに力を分け与えてくれている六王、レオとカーイン、それから
「
(待たせたな)(ここでお前に負けて貰っては困る)(勘違いするな、善意でやっているわけではないのだからな)(これからは心機一転、サイバーカラテユーザーとして頂点を狙っていく)
次々に現れる
「んなアホな――?!」
ゾーイが愕然として叫ぶ。
無理も無いが、これは必然だ。
紀人は通常の意味で死ぬことはできない。とりわけ、使い魔の紀人は。
俺、つまりサイバーカラテに敗北して存在を零落させたグレンデルヒは、卑小な存在へと貶められる寸前、一計を案じてトリシューラに取引を持ちかけた。
自分をサイバーカラテの内部に取り込まないかと。
彼自身がサイバーカラテの内部に吸収されれば、彼が最強の英雄であることは矛盾しなくなる。サイバーカラテは最強であり、それを使うグレンデルヒもまた最強。相互に高め合う権威の呪力が、俺の力を増幅させる。
(今ここに、グレンデルヒ=ライニンサルという存在をアキラくんの中で再定義する! 汝の名は【アルレッキーノ】!!)
かつて敵であった強大な英雄を、【マレブランケ】という呪いで束縛する。
異界の名で呪縛されたグレンデルヒがその形を変えていき、道化師のような拘束具で自由を奪われる。杖の魔女を上位者として絶対服従を誓わされた英雄から、膨大な呪力が絞り出されて俺を強化していった。
俺の背後に増設された三角錐のブースターが高濃度の呪力を噴射して、更なる速度を生み出した。勢いのまま繰り出すのは渾身の突き。多種多様な呪術を付加した混沌発勁が大地を激震させながら放たれる。ガードした力士の腕装甲がガリガリと音を立てながら削れていった。
相手は攻撃に耐えながら虎視眈々と反撃の機会を狙っている。カシュラム十字の予測眼が数秒先を幻視。相手が間合いを超越した転移吸い込み投げを狙っていることが明らかになり、俺は選択を迫られる。
打撃の出力を上げて押し切るか。それとも退くか。あるいは相手の脇下を突いて投げを抜けるか。サイバーカラテ道場を様々な議論が行き交っていく。統合制御して情報を取捨選択したちびシューラが、俺の目の前に選択肢を表示。
数が絞られてもまだ俺には決定出来ない。この土壇場であっても、ゾーイ相手に最適解を見出す事ができはしない。彼女はそれほどの難敵だ。どの道を選んでも必ず失敗の危険がつきまとう。
だから判断したのは、俺のストレスを全て受け止めてくれるもう一人の主人。
幻のゲームパッドを持ったコルセスカだ。
俺の意識に憑依した冬の魔女の魂が、思考時間を高速化させていった。
そして、ついに伸び上がった力士の腕が迫り来る。
だが相手が行ったのは転移によって間合いを広げた投げだけではない。
大地がひび割れ、こちらの足下が揺れていく。ゾーイは足裏を大地に押しつけ、完全に無駄のない効率でその大質量を下方向に押し込んだのだ。
こちらが気づけないほどに見事な無音の震脚。呪術的な託宣で高精度の予測を行うオルヴァの眼に気配すら悟らせぬ技量は、俺のそれを遙かに超えている。
だが、それでも勝つのはサイバーカラテだ。
加速した私/俺の認識は、逡巡の間すら超えて
――私以外の全てが遅い。
十倍の加速。瞬息の域に突入。時が凍る。
百倍の加速。弾指の域を突破。制止した世界に亀裂が入る。
千倍の加速。世界が砕け散る。
溶けだした時が急激に流れ出し、こちらの右腕が持ち上がる。広がった五指は投げを狙う形。だが態勢は悪く、相手の方が早く、引き込む範囲も広い。
だがコルセスカの瞳は正確に相手の挙動と間合いを見切っていた。
空間を超越して手だけを転移させる引き込みは、時空を凍結させる彼女の邪視によって知覚可能なものだ。そして己の土俵で負ける邪視者はけっしていない。何故なら邪視者とは、己の世界で最強であるものを言うのだから。
空間が揺らめいた一瞬、コルセスカが操る俺の腕が収束していく光の粒子を掴み取った。形成されたゾーイの腕をとると、逆にこちらに引き寄せられた力士の巨体が宙を舞う。強化された膂力が可能とする、豪快な一本背負い。
大地に叩きつけた巨体、その胸の中心部を狙う。
一切の躊躇無く足を振り下ろし、巨大な鋼鉄と肉塊の複合装甲を次々とぶち破って残骸と鮮血を吹き上げながら大地まで貫通させた。
呪的発勁。束ねた力が大地を爆砕させて、力士の巨体を内側から盛大に崩壊させていく。それを受けて、一部始終を見ていたケイトが行司としての役目を果たす。悲しみを瞳に浮かべ、俺の方を向いて軍配団扇を上げた。
呼び上げられた勝者の名を、サイバーカラテユーザーたちがそれぞれの勝利として受け止めて、歓喜の声を上げていく。
それが幕切れとなった。
「千の
大銀杏のようなフォルムをした機械が浮遊しながらそんなふうに言葉を発した。ゾーイの巨体を形成していた彼女の本体は、全ての力を使い果たして力士としての形態をとれなくなっている。穏やかな口調は、己の運命を受け入れたもの特有の諦めに満ちていた。
「殺しなよ。覚悟はできてる」
戦いの後、俺たちは瓦礫の荒れ地に移動して向かい合っていた。
俺はマレブランケのメンバーの部位を適当に継ぎ接ぎした状態で自分の『役』を上にかぶせていた。
顔の輪郭がいまひとつ判然としないが、紀人としての存在が強まればグレンデルヒのように強固なイメージで顔や姿を上書きできるようになるだろう。
(頼むよ、どうか彼女だけは殺さないでくれ! 僕にできることなら何だってする、だから!)
ケイトの必死な懇願に、トリシューラは無数の腕をカシャカシャと動かしながら首を傾げた。
「うん、殺さないよ? だって貴方たちを殺しても第二第三の刺客がやって来るだけで、面倒なだけだもの。というわけで、上手いこと事態を収めるために」
暴力を背景にしながら、トリシューラはにこやかに恫喝した。
「話し合いをしよっか。穏便に、平和的にね」
血塗られた多腕女神の笑顔に、浮遊する機械と情報生命が怯えるように身を寄せ合って、揃って頷いた。
トリシューラは微笑んだまま、言葉を重ねていく。
「そもそも、もう問題自体が存在しないんだよね。アキラくんは紀人化したし、頭だってもう挿げ替え済だもの。まあそっちの世界の遺伝子操作技術とナノマシンで強化されまくった首から下のアキラくんは惜しいけど、しょうがないよね。消しちゃっていいよ。アキラくんもそれでいいよね?」
「ああ、要するに俺の転生は自前でどうにかできるって話だろ?」
トリシューラはその通り、と肯定した。
「アキラくんは完全に前世から切り離されて、この世界の――ガロアンディアンの住人になるってこと。もう前世から干渉される謂われは全く無いんだよ」
シンプルな解決。これで俺は、完全にこの世界の住人となったのだ。
それからトリシューラは、外世界人ふたりに向かって「だから」と付け加えるのも忘れなかった。
「私の
二人に頷く以外の選択肢が残されていようはずもない。
その後、トリシューラは強者という立場を笠に着て次々と無茶な要求を相手に通していく。戻った後も連絡を寄越せ、『向こうのトライデント』に関する情報を探れ、それからサイバーカラテを導入して俺の一部になれ。
「それはこっちも望むところ。正直見直したよ、サイバーカラテ」
またやろうぜ、と破顔する禿頭の女からは、何かが吹っ切れたような雰囲気が感じられた。立場上敵対していたが、気の良い相手なのかもしれない。
ゾーイとケイトは自分をより高めるためにサイバーカラテ道場を導入してみると言って、トリシューラの協力者として異なる世界へと帰還していった。
「ゾーイはいいね。特にアキラって名前が。もしかしたら、名前が同じっていう利点を生かせるかもしれないし」
とトリシューラが語るので、どういうことか訊ねると、
「ゾーイがサイバーカラテの黒帯レベルになれば、アキラくんをその身に直接降ろすことも可能になるでしょう?」
恐らく、彼女ほどの使い手ならばそれにそう時間はかからないだろう。
その時は、あらゆる戦術に適応し、習熟し、更なる強者となったサイバーカラテ力士が誕生する。
期待が膨らむのを感じながらも、俺はトリシューラに問いかける。
「それって、元の世界に彼女の体を借りて戻れるってことか?」
「必要になればね。トライデントがあっちにも勢力を伸ばしているかどうかも色々と確認したいし――とりあえず今は私たちと一緒にいてもらうよ。今のアキラくんは、ガロアンディアン人なんだから」
トリシューラは朗らかな口調でそう言うと、俺に手を差し伸べた。
憑依したコルセスカのアストラル体が俺の右手を重なって、黒い機械の掌と触れ合った。戦いが終わり、俺たち三人はまた旅路を再開する。
未知なる末妹に至るまでの道のりは長い。
だが、使い魔である俺が紀人に至ったことは大きな前進だ。
暗躍するラクルラール、そして死人の森の女王と六人の王。
解決すべき問題は山積みだが、ひとまずはここで勝利を喜んでおくとしよう。
「大儀であった! 褒美に、セスカには最新のゲームをなんでも、アキラくんには美味しいドッグフードをとらせよう!」
「それは勘弁してくれ」
(やったー! じゃあ私これとこれとこれと――)
騒ぎながら、俺たちは非日常から日常の空気へと戻っていく。
幾度もの死を超えて、俺はここに戻って来た。転生設備を占有していた以前の俺は完全に消滅し、新たな俺がこの場所から始まる。
その先に何があるのか。
サイバーカラテ道場が内包した混沌が、何を生み出すのか。
未だ神ならぬこの身ではとてもわからないが、それでも三人でなら前に進めるだろうと、俺は信じた。その為の使い魔。その為のサイバーカラテ。
そして俺以外の全ては、困難を解決する為にある。
この先どのようなことがあろうとも、俺が、そして俺以外が道を切り開いていくことだろう。矛盾してはいるが、それは同じことなのだ。
そんなこんなで英雄と力士を打倒したことにより、今日もまた、サイバーカラテの他流派試合の勝率が上昇するのだった。
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