4-85 死人の森の/断章取義のアリュージョニスト②




 そして、『私』は覚醒した。

 首を横に倒すとこきりと音が鳴る。ふうん、我らが陛下の云う通り、中々しっかりとしたものじゃない。ちょっと身体に違和感があるけど、まあ愚痴をこぼすのも可哀相よね。アキラちゃん、こないだ足の長さがもうちょっと欲しいってこっちを物欲しげに見てたし。 


 そんなことを考えながら、私ことマラコーダは目の前の敵手が放った神速の蹴りをサイバーカラテ道場が提示する戦術行動プラン通りに低く屈んで回避、身を低くした状態から両手を地面に突いて倒立するように蹴りを放つ。選択肢として提示されたミアスカ流脚撃術の回転連続蹴り。強化外骨格によって強化された身体能力が力士の巨体を痛打する。足裏から浸透していくのはコルセスカちゃんの冷たい呪力。


 相手が怯んだ隙に距離をとる。一度負けた返礼も済んだところで、何か威勢のいいことでも言ってやろうと思ったけれど、そこではたと思い出す。

 いけない。思わず癖で女言葉で喋りそうになっちゃったわ。

 この、自分でもわざとらしすぎるって思っちゃうようなコッテコテの役割語や女性態。こんな言葉遣いを思考の中でも徹底しているのは、女王陛下の指導のお陰。身の処し方と呪いを解いてくれたお礼は身体で返さないとね。

 

(ちょっとマラコーダ! 役作り、きっちりやってよねー? あなたには一番時間かけて演技指導したんだから!)


 網膜で短い手足を振り回すのは可愛らしい姿の、私の女王陛下。

 承知致しました、それではどうか、特訓の成果をご覧じろ。

 挑発的な表情を作り、低く抑えた声で不敵に告げる。


「どうした英雄。首の挿げ替えくらいそっちでも日常茶飯事だろう?」


「貴様、まさか脳すら置き換えて――そうか、仕草と演技。サイバーカラテ。シナモリアキラ、再演と肉体言語魔術で甦ったか!」


 こちらの呪術の種を即座に看破してみせたゾーイデルヒに向かって、『俺』は力強く言い放った。


「ご明察だ、使い魔の紀人。悪いがこの国じゃ、脳は交換可能な部品って扱いなんだよっ!」


 そうして俺ことシナモリアキラは、マラコーダによって演じられることでこの場所に再生される。俺という記憶を呼び覚ますのは、俺たちに共通する仕草。すなわちそれは、


「発勁用意!」


 『私』が告げたサイバーカラテの発声こそが召集の呪文。この生身の脳が幻視し幻聴し幻覚した幻肢幻脳にアキラちゃんは宿る。『俺』は役として、演じられると同時にマラコーダという人格を演じる。それはどちらが主従でもなく、相互に対象が変化していく関係性だ。俺はマラコーダの端整な顔で片目を閉じてみせた。おお、凄い、ウィンクが綺麗にできる。やっぱいいわねこの顔。


(アキラくん、女言葉がわざとらしくてきもい。マラコーダの演技するなら真面目にやってよ)


 ――失礼ね。今のは私よ。

 俺/私はトバルカインを駆動させて大地を駆け抜ける。力士の巨体へと立て続けに呪的発勁が叩きつけられるが、マラコーダという蹴り技を得意とする人格となっている今、そのセンスと経験を生かした攻め方が可能になる。身体を交換したことによる違和感をちびシューラが感覚補正し、それでも埋まらない身体能力をトバルカインが補って強化する。


「腑抜け。女を天にし、自分を地にするような男は呪われてあれ。去勢された雄はすべて罪人であると知るがいい」


 口汚く罵り声を上げるゾーイデルヒに思考が一瞬だけ乱れるが、そのストレスは即座に凍結して消えていく。

 憑依した『私』ことコルセスカの呪力が右半身を駆け巡って手掌と脚部から放出される。次々と切り替わる一人称の視座は、もはや混濁して純粋な個人とは言い難い域に達している。しかし、それこそが『私たち』の強みだった。


 【マレブランケ】とは、シナモリアキラの換装用頭部。

 予備人格バックアップを確保しておくための弾倉にして武器庫の名前。

 トリシューラは複数の頭部を保持したままこう言った。


「アキラくんの冗長化――まだ未完成だけど、ギリギリで機能して良かったよ。物理媒体に保存するのもいいけれど、それだと改竄や破壊が怖いからね。もっと広く、もっとふわっとした形態で、クラウドなアキラくんを実現するためのアイデアがこれってわけ。予定より随分と前倒しになっちゃったから、主要なアキラくんの換装部品が十二人全員揃ってないけど」


 蹴り、蹴り、蹴りの応酬。圧倒的な速度と重さを兼ね備える力士の猛攻に、一瞬の隙が生まれる。直撃こそ回避したが、衝撃の余波が接続部を軋ませ、強烈な負荷がかかる。網膜に広がる警告の文字。緊急離脱していくマラコーダを見送りながら、私は次なる人格を迎え入れて個として凍結させる。


「僕の計算によれば勝利確率は百パーセントくらいじゃ、ない、かと――」


 見上げるような巨体を前にして、僕ことファルファレロの声が縮こまっていく。いやだって、僕ちょっと前までインドアユーザーだったし? ちょっとこれきつくね? いや、そもそも首ちょんぱされてるとか寝耳に水なんですけどマジでトリシューラ大姐怖過ぎる。逆らえないし逃げられない。


(いいからはよいけ)


「はいいぃぃぃ! ええい、言理の妖精、発勁用意!」


 そして俺は、本来碌に操れないはずの言理の妖精の力をその身に纏う。

 全身を取り巻く呪文の帯は、眼鏡の少年が見ている世界の形だ。この世界に向き合うためのツールとして呪文を選んだ者の道。端末を叩くようにして、呪文と拳を同時に突き出す。


 転移して回避したゾーイデルヒだったが、摸倣子の痕跡を辿って妖精の呪文が飛躍する。それは光の速度すら超えて相互に影響を及ぼす遠隔作用。転移者に対して放たれた呪的発勁は回避不能の一撃となって転移先の力士を蹲らせた。


「次! カルカブリーナ!」


 女王の命令に忠実に従って、ゴーグルを付けた頭部が投擲される。

 放物線を描いて僕の頭を弾き飛ばしってちょっと扱いひどくないですか――と、やや荒っぽいが接続成功か。肉体の動作を確認し、ゴーグルに表示された陛下の指示に従って「発勁用意」と声を上げる。俺自身と一緒に投げつけられた機関銃を両手で保持して、俺は銃士としての適性を存分に発揮する。


「サイバーカラテの『遠当て』ってものを見せてやる」


 両手で保持した鋼鉄の杖に手掌と指先から呪力を伝達させ、引き金を引いて銃弾をばらまいていく。前世ではせいぜい猟銃や拳銃を多少触ったことがある程度の俺にとって、こうした『杖銃』の扱いは多少困難なものとなる。だがそこにカルカブリーナの銃士適性が加わることで、俺は自在に銃撃が行えるようになる。手足のように銃口を動かしていくと、回転する銃弾が刻印された呪紋から輝きを放って次々と力士の巨体に突き刺さっていく。


 そのまま力士の『本体』を蜂の巣にしてやろうと全身を銃弾で探っていこうとするが、相手もやられっぱなしではいてくれない。ゾーイデルヒは足に呪文の帯を纏わせて、勢い良く大地を踏み抜いた。大仰な四股踏みではなく、最速の震脚だ。衝撃波が呪力を伴って大地を伝い、隆起していく岩盤が無数の槍となってこちらに迫り来る。


 やべえ、死ぬ、逃げるか、いやもう降伏しちまえばいいか――そんなことを俺は一瞬だけ考えるが、ふと脳裏に浮かぶのは親父を見捨てずにいてくれた陛下の姿と、道場で拳を交わしてきた師範代の顔。不思議な事だが、どうしてかその顔は毎日鏡に映っている俺自身の顔だった。まあ俺は俺だから同じ顔なのは当たり前なんだが――。


 そんな事を考えている内に足下で隆起した岩槍がトバルカインの胴体に接触、装甲が弾き返そうとするが、槍にまとわりついたゾーイデルヒの高位呪文が強化外骨格を粉々に砕いて腹部を貫き、そこから枝が伸びるように小さな槍が生えて全身が内部からずたずたに引き裂かれてしまう。

 激痛を受け持ったコルセスカの思考が一瞬だけ乱れ、続く力士の突撃を回避しきれない。今度こそ死ぬ。いや、死んでたまるか幾ら何でもそいつは御免だ。


(うん、その思考は正しいよ。ほどほどの忠誠心で仕えてね、交換可能なカルカブリーナ)


 ちびシューラの賞賛と同時に、背後から巨大な肉体がシナモリアキラの胴体部分を弾き飛ばす。義手とカルカブリーナが接続され、屈強なレスラーの周囲に張り付いていく狼の骨。強化外骨格が再構成される。


「おらあああああ!」


 頭はそのままなのでまさか胴体の性質が伝わったわけでもないだろうが、俺は腹から大音声を響かせて突進していく。

 トリシューラが投げたのは、今度は頭部でなくカニャッツォの肉体だ。屈強な筋力がトバルカインによって強化され、『超鍛えた俺は強いパワー』が染み込んだ汗臭い肉体が跳躍する。強化外骨格の運動性能が可能とする、両足を揃えてのドロップキックがゾーイデルヒの顔面に直撃。


「喰らいやがれ!」


 吼えながら、相手の後ろから右腕を伸ばし、もう一方の手で相手の後頭部を押し込むことで喉を締め上げる。右腕による空間凍結によって転移を封じ込めた、渾身の裸締め。頸動脈を圧迫して『落とす』のが狙いだが、力士の巨体が想像を超えた怪力を発揮、揺れる禿頭が放電しながらこちらを弾き飛ばす。


「まだまだ、交換可能な部品はいくらだってあるんだよ!」


 俺の後方で後方支援に専念するトリシューラが強気に叫んで見せた。

 今の彼女は浮遊する衛星脳、頭部の首飾りといった装飾のみならず、夥しい数の手足や胴体をその足下に積み上げていた。がらくたにも見える残骸の山頂で、彼女はその全てを俺の拡張身体として扱っている。


 主人である以上、犬を足蹴にするのは当然だろう。その有り様は、あまりにも自然に感じられて思わず穏やかな気持ちになるほどだ。

 無機物の腕と有機物の脚が連なったスカートを身につけたトリシューラが、次から次へと追加兵装を投げつけてくる。俺もまた彼女を見倣って複数の腕を強化外骨格と接続。サイバーカラテ道場における多腕型サイボーグ/種族用戦闘プログラムを駆使して次から次へと打撃を繰り出していく。


 ――かつてのトリシューラはシナモリアキラがいた世界の転生設備をそのまま利用しており、いわばそのシステムをクラッキングすることで外世界人を使い魔として我がものとしていた。


 いくら頭部を取り替えようと情報としてそれらが同一であるならば、その枠の中でシナモリアキラは維持され続ける。エネルギーを喰らいながら他者を絶えず踏みつけにして生きながらえる。


(そんなの当たり前なんだけどね――でもアキラくんは頭が悪いから、『そんなこと』で苦しんでしまうんだ。私は、そんなアキラくんの頭を良くしてあげたいの。人を食い物にしながら楽しく大量消費する生き物になって欲しい)


 それは、いつか俺が望んだ殺人鬼の言い換えだった。

 ちびシューラの声が、柔らかく俺の心に届いてくる。


(人の欲望によって引き出され、人の仕草によって再現される、振る舞いとしてのサイバーカラテ――そしてその型と動作は記号としてアキラくんに結びつけられる。蓄積された歴史そのものが、武術体系を擬人化させるんだよ)


 無数の脳は断片的な記憶と視座となってサイバーカラテ道場の中に取り込まれていく。破損した脳、再起不能な心が様々な視座と連結することで仮想的に息を吹き返していく。それは、脳を補うというサイボーグとして。彼らは俺の一部であり、俺は彼らの力を借り受けることでその存在を保てている。サイバーカラテ道場こそが俺の命であり居場所だ。

 

(ねえ、アキラくんはこんなにも沢山の人に生かされている。集合知なんて、まだまだ無駄も沢山あるのにね)


 その無駄は、きっとコルセスカが生かしてくれているのだろう。

 集合知サイバーカラテの真髄は、その幻想を呪術として幻視することから始まるのだと俺たちは理解しているはずだ。

 俺はもう、まともな意味でのサイボーグでもなんでもない。

 幻想を再帰フィードバックさせる呪動有機体オカルトーグ


(私が一番上手にアキラくんを演じられるんだから)


 そしてトリシューラは、俺の全てを代行する。

 望み望まれた、俺たちの在り方を体現するために、全力で。


「来い、グレンデルヒ。お前に本当のサイバーカラテを教えてやる(キリッ)」


 ――茶化すのは止めろ、トリシューラ。




 地上で続いていく泥臭い血戦。

 その上のステージで、上位者同士が対峙する。

 そこは現世でありながら異なるレイヤーの空間。

 戦場と重なり合うもう一つの戦場で、グレンデルヒと俺たちは向かい合う。


 紀人の階梯に至った俺の左側には、トリシューラが立っている。

 神に近い座へと存在の位階を上げた俺は、ようやくこの場所に来ることができた。コルセスカとグレンデルヒが俺とゾーイを操作して戦っていた上位次元。世界を俯瞰で眺めるという一人称を超えた三人称の視座。


 眼下では一人称視点で俺の操作に集中しているコルセスカとマレブランケが力士と渡り合っていた。こうやって見てみると始めてわかることがある。一人称という個人はとてもあやふやで、ふとした拍子に他者と影響し合い、互いに融け合ってしまうものなのだと。

 人は相互に影響し合い、己という存在を誰かに投げかけ、また誰かという存在を己の中に受け入れやすいもの。自覚の有無にかかわらず、人類とは大いなる使い魔の環の中にいる。


 トライデントが強い理由、その一端が理解できた気がして身が震えた。階梯を昇ったといっても、未だ紀元槍に触れる資格を手にしただけに過ぎない。まだまだ俺は『人』の範疇に留まっている。


「これこそが邪視と杖の複合呪術、【千の顔を持つ英雄】だよ。アキラくんという類型的キャラクターを演じる役者たちを呪具として用意して、様々な解釈とそのゆらぎが一つの世界観を紡ぎ上げる。サイバーカラテ道場という史上最大級の肉体言語魔術の仮想魔導書が、一人分の紀人を生み出すの」


 トリシューラが言うとおり、俺はその在り方を変質させている。というより、今もなお変質させ続けている。

 俺は多種多様なサイバーカラテユーザーたちの演技ふるまいを摸倣して、同時に俺を演じているサイバーカラテユーザーたちの役を演じる。

 役であり、役者でもある。それが今の俺だ。

 何の事は無い、再演の旅路で俺がずっとそう在ったのと同じこと。

 上位トリシューラによって計画されていた、使い魔の紀人化計画。

 それが遂に完成しただけだ。


 思えば、目の前にいる紀人グレンデルヒも、そして情報の新陳代謝メタボリズムにより不死を体現する外世界の転移能力者たちも、保守的な在り方から逸脱した人類だ。特にゾーイとケイトに関しては、定義上俺と同じテセウスの船型サイボーグという位置付けが可能である。

 つまり、今ようやく俺たちは同じ土俵に上がることが出来たのだ。


(役者の視座――ふむ。キャラの名前が覚えられないから声優さんの名前で識別するみたいなものですね)


 戦いの最中にコルセスカが納得したという表情で頷く。視線は『画面』から動かしていないままだが、よくわからないたとえだった。というか、どうやらトリシューラから俺の存在の在り方を変質させることについて相談は受けていなかったらしい。不満は無いのだろうかと思ったが、考えてもみれば単にコルセスカと同じになるだけなのでそんなものが出るはずもなかった。


「いや、別に声優に限らず役者全般そうだけど――まあセスカが理解しやすいならそれでいいや。そう、アキラくんそれ自体のキャラが乗っ取られて弱体化させられたのなら、高い存在強度を持つ役者に演じてもらえばいい。数は多ければ多いほどいいよね。とりあえず主要な『劇団員』を絞って回していく予定」


 トリシューラが語るのは、存在強度のアウトソーシングだ。

 『キャラクター性』を外側から借りてくるという呪術。その役者が過去に演じてきた幾多のキャラクター、無数の仮面から覗く役者の『顔』や『色』――それらを参照し、引喩アリュージョンする。


 俺の痕跡を歴史に刻んで復活させる契機となった六王たちは役者ではないが、歴史や物語として語られる中で多様な顔を演じてきた。

 ゆえに、その全てのイメージが集結したとき、それは全てサイバーカラテに統合されていく。


「下らん。それはお前ではない」


 粗雑な牽制の呪文を、俺はサイバーカラテ道場から引き寄せた一つの流派を呪力に変換して迎撃する。呪力ミームの流れが激突し、攻防はいつしか近距離での殴り合いへと突入する。俺とグレンデルヒが拳を交える間にも、この超人は口から呪文を紡ぎ出してこちらの存在を砕こうとしてくる。それに対抗するのは、【千の顔を持つ英雄】を維持しているトリシューラだ。


「そんなことない。アキラくんはここに、私たちのそばにいるよ! 『自己』とは、心という抽象的な概念だけに宿るのでも、脳という器質的な実体だけに宿るのでもない。有機的なシステムとしての固有性――その運動とゆらぎの中に、継続して存在し続ける――それが私が目指すもの。神話という幻想を再帰させ続ける、無限の自己複製オートポイエーシスはここにある!!」


 そこではもはやサイバネティクスの根幹を成す入力と出力、それに伴うフィードバックという概念が存在しない。

 『自己』の境界を自ら定めるがゆえに内部と外部の区別は無く、ただ自己複製を自律的に行い続けることができる、閉じた円環の系。

 

 外的情報の処理と制御というサイバネティクスのその先へ。

 それは、システムそのものが内部からシステムを観察する、再帰的情報制御機構セルフ・リファレンス・エンジン

 サイバーカラテは適応を繰り返す。代謝カタボリズム異化オストラネーニエ、形式の破壊と集合知の内破が新たなる秩序を繰り返し生み出していく。変態するように、転生するように。


「発勁用意――NOKOTTA!!」


 咆哮と掌打。激突する呪力と呪力。ここにサイバーカラテは再認された。

 セカンドオーダー・サイバネティクス。

 その名はサイバーカラテ道場。ミーム渦巻く原初の混沌。

 乳海攪拌にゅうかいかくはんより誕生するゆらぎの神話。

  

 そこに存在するシステムを、観察し、記述し、認知するというプロセスを実行するのは超高度人工知能たるトリシューラの役割。

 そして、幾多の視座を統合し、『シナモリアキラ解釈』の結節点を見定め、固定するのはコルセスカの役割だ。


 だが、この【千の顔を持つ英雄】という呪術は危険を孕んでいる。

 自己同一性を融解させる禁忌――使い魔の禁戒呪法、融血呪に余りにも近付きすぎているからだ。

 

 存在の神話化、紀人への到達。

 その為にトリシューラがとった手段は余りにも危うすぎる行為だった。

 トライデントの細胞、【左腕】のトリシューラ。

 彼女が否定したその未来が、現実になってしまうのだろうか?


「違うよ。だって、ここには無数の視座がある」


 上位レイヤーで俺とグレンデルヒが、下位レイヤーでマレブランケとゾーイが死闘を繰り広げる中、トリシューラとコルセスカは真摯なまなざしでその戦いを見届ける。そしてそれこそが俺という存在を強化する最大の支援だった。


「同じ役を演じていても、同じものは一つとしてない。だってそこには役者の解釈が、視座があるんだもの。同じ存在を参照していても、それは常に揺れ動いて新しい世界を生み出すんだよ。同じように、役は媒体となって役者の異なる側面を引き出していくんだ!」


 サイバーカラテユーザーたちが織りなす、愚かしくも賢しらな巧拙入り交じった演技の揺れ幅。それが個というパターンの神秘性であり、その運動こそが自他を切り分ける。他ならぬ身体性の躍動がそれを規定する。

 ならばそれは自我の叫びであり、個の主張だ。


「これは融合じゃない。愚かな反発と激突だらけの、でたらめな不協和音の集積は綺麗な音楽なんて響かせない。これは混沌。絶えざる破壊を繰り返し、瓦礫がらくたの山から再構築を行う、色界の頂、三千世界の主が天意!」


 雄々しく巨大な野望を宣言するトリシューラ。

 サイバーカラテ道場を統べる超高度人工知能として、全てを掌の上に。

 女神候補の一人として、暴君の欲望を世界に押しつける。


「ありふれた欲望、ありふれた癇癪だ。人に仇為す悪とは、皆お前たちのような類型的な思考をしている。暴力で意思を押し通しておいて特権者気取りか、この屑どもめ。力あるものとして、紀人として、卑しい在り方は許されん!」


 グレンデルヒはそんなトリシューラの有り様を根底から否定し、貶める。

 それは身勝手な欲望で他者を巻き込む悪だと、英雄として正義を掲げて立ち向かう。秩序を揺るがせようとする魔女と悪魔を打倒しようとする英雄という構図は、至極真っ当な物語の流れに沿っている。


「私はこの世界に望まれて在る英雄として、邪悪なる存在を討ち滅ぼさねばならない。忌まわしき悪魔よ、悪しき女よ、我々の世界から去れ!」


 加えて、俺とトリシューラの人格と悪性が類型的だと示す事で、その価値を低下させ、存在を貶めていた。典型的な呪術戦闘の定石だ。

 しかし、俺たちはそんなことは百も承知の上でここに立っている。

 そんな弾劾は、もはや何の意味も無い。


「私はね、アキラくん。別にあなたじゃなくてもいい。そして、私はあなたの、そういう凡庸な、あなたじゃなくてもいい所ゆえにあなたを欲するの」


 己を交換可能な存在と位置付ける世界観。

 それこそが交換不可能な価値観となってこの呪術世界に根付くとき、俺という異邦人は『杖』の根本原理を体現した紀人に至る可能性を持つようになる。

 

 グレンデルヒの浄界、【闘争領域の拡大】もまた価値を操作する呪術。

 ならばトリシューラと俺は、共にグレンデルヒと激突する運命だったのだ。

 同じ『座』を巡って、奪い合うがゆえに。

 拳と拳が、呪文と呪文が、意思と意思が激突し、どちらのものかもわからない鮮血が飛び散っていく。グレンデルヒが叫んだ。

 

「この『私』こそが、比較される価値の最上位にして絶対者。槍持つ英雄として地母神を屈伏させる雄々しき紀人なり!」


 それを受け、俺もまた吠える。

 ちびシューラの演技指導に従って、台詞を読み上げるように、芝居をするように、呪術儀式を執り行うかのように。


「『俺たち』は、混在する視座の編纂者にして調整者。はじまりの混沌である沼へと槍を突き立て、共にかき混ぜることで新たな秩序を生む破壊の紀人」


 グレンデルヒが応じて曰く。


「私が立つこの場所こそが英雄の座」


 男の背後に輝くのは屹立する槍。あらゆるものを貫き、引き裂き、屈伏させる武力の象徴。男性的暴力の顕現。


「俺たちが立つこの場所こそが暴君の座」


 俺の拳を取り巻いて輝くのは蓮華。

 そして、その裏に重なるように広がる三弁の黒百合。

 運命の大鍋。血の壺。子宮の中の胎児。大地の中の屍。流転する命。花びらに包まれていく槍。回帰する闇の門。それは洞窟。それは森。


 交わす拳は演武のように。

 定められた手順をなぞった攻防が、向かい合う双方の空間を埋めていく。

 グレンデルヒが振り下ろし気味に叩きつけた拳打を外側に流して、渾身の一打を突きだした。呪力と共に、新たに得たまことの名を手掌から解き放つ。

 宣名発勁。俺を体現する新たなる形が衝撃となってグレンデルヒを貫いた。

 そして俺は、新生した脳内アプリケーションを起動する。


「法境-意識制御アプリ【Epoch-Emulator】!!」


 解放された宣名呪力が、六王が蓄積したサイバーカラテの権威を一点に収束させ、グレンデルヒの体内で炸裂した。

 浸透した呪力が肉体を内部から膨張させ、グレンデルヒは絶叫を上げる。

 目、鼻、耳、口と穴という穴から閃光を溢れさせていく。

 最強の英雄であった男が、一歩、二歩とよろめくように後退。一瞬の間を置き、全身を塵にして四散していった。

 消えゆく存在が、捨て台詞のように囁きを届けてくる。


「――忠告しておいてやる。すぐに奈落の蓋が開くことだろう。お前たちは取り返しのつかない災厄を過去から呼び起こしてしまったのだ。私に任せていれば、確実に災厄を抑え込めたというのにな。その為に『太陽の都』を目指した。その為に第五階層の覇権を狙った。しかし、時計の針はもう戻らない。再演という解釈の刻印は不可逆だ。情報は消す方が難しい。これより、この内世界は血みどろの戦国時代に突入するぞ。お前たちの行動の代償は高くつくであろう」


 不吉な予言。

 しかしトリシューラは鼻で笑って一蹴して見せた。


「敵がより強大な敵から人類を守ってた、って良くある展開ね。うんうん、知ってた。でもね、だから何? 私は私の目的の為に、他の誰でもないこの私が第五階層を救う女神でありたいの。私に従属しない英雄は死ねばいいよ」


「その為に、人々が犠牲になってもいいと?」


 暴論に対するまっとうな問い。

 だが、それに対してすらトリシューラは一貫した姿勢を崩さない。


「うん。私はこの欲望の器を満たす為に動く。良き為政者ではなく暴君であるのが私という荒ぶる女神だからね。災害だと思って、せいぜい死力を尽くして立ち向かってくることだね。相手になるよ、か弱い人間さん」


 開き直った我欲の化身の有り様に、グレンデルヒはどこか羨むような眼差しを送りながら、それでも最後に聞くに堪えない罵声を浴びせて消えていった。

 トリシューラがむーっ、とふくれてみせる。


「私、生殖機能とか無いもん! しっつれいしちゃうよね!」


 その憤りはよくわからないが。

 何も無くなったその場所で、俺は新たに得た自分の輪郭を確かめる。

 感覚・感情制御アプリ【Emotional-Emulator】のその先へ。

 壊れた過去の輪郭を縫い合わせた、継ぎ接ぎのツールであっても、それは確かに再生してエネルギーを生み出していく。

 そうして転生した存在が、世界に向けて己の在処を主張するのだ。

 産声を上げるかのように、歓喜と絶望を引き裂くように。

 今ここに、新紀元を画し、偽りの紀人が生誕した。


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