4-84 死人の森の/断章取義のアリュージョニスト①



 重なり合うのは生と死の言葉。

 無彩色の呪文が代弁した死者の遺志。

 深き森の女王が甦らせた再生者の意思。

 どちらが正しいのか。どちらを選ぶのか。

 押しつけられた二択。そんなものは否定すると俺は叫ぶ。

 選ばない。

 決定しない。

 そんなことはとてもできない。


 そんな甘えを、微睡むような意識の中で夢に見た。

 大小の泡がその軽さに耐えかねて海面へと浮上していく。

 あの先には生者の世界があるのだろう。沈んでいくこの意識は、重力に引かれて冥府へと誘われる死すべき定めの朽ちた魂に過ぎない。

 そう、始めから生きている事が間違いだったのだ。

 俺は死者だ。二度目の命を肯定する道理がどこにあるのだろう。

 それを肯定する市場の論理――異世界転生業も、法を遵守し、利益が出せる範囲で、という但し書きを付けた上で成立している。

 薄氷を踏むようにそっと、卵を積み上げるように危うく。

 前提が失われた俺の命は違法で赤字。ゆえに死ぬ。

 人間には価値があり、俺の値札はマイナスだということ。

 単純な理屈だ。


 悪夢のように透明な泡が、幾つも幾つも目の前を通り過ぎていく。光が遠ざかるにつれて、暗い闇が大きなかいなを広げてこの身を誘う。深海の底に広がる大地は、冷たくなった母の骸だ。帰りたいと、胎内回帰の願いが胸に広がる。春に旅立ち、冬に帰る。それが自然の理で、何一つ抗う必要などない。


 本当にそうだろうか。

 ぱちんと、大きな泡が弾けて消えた。

 暗闇の光景が消えて、瞬きの間に色鮮やかな世界が視界いっぱいに広がっていた。既視感を覚えて、眩しさに眼を細めた。そこで気付く。顔が――無い。

 好敵手の渾身の蹴りによって失われた頭部はそのままがらんどうで、細めたと思った目はどこにもなかった。だというのに、俺は世界を認識出来ている。恐らくは通常の理で世界を見ているわけではないためだろう。


 存在しない目で、改めて新しく生まれた世界を眺めた。

 一面に広がる、澄明なる空色。

 深い青の花が咲き乱れる屋外庭園は静謐で、四季のどの感覚とも異なる現実感の無い空気に満ちている。綺麗に整えられた芝生、迷路を形作る生垣。様々な色彩に煌めく宝石は精巧な技術によって削り出されて造花を形作り、生垣に散りばめられて迷宮を可憐に飾っていた。

 眩暈のするような蒼穹の庭園に、俺は息を飲んだ。美しさは理解できるが、漂う上品な空気感に場違いさを感じて気後れしてしまう。

 ずっと、そんな場所で誰かを待っていた。

 この高貴さと気高さが相応しい、来ないと知っている救い主を、ずっとずっと、悪夢のように待ち続けていた――愚者のように。


「悪夢。そう、これを悪夢と捉えるのが貴方の世界観ということ」


 金属が軋むような響きがして、透き通った空に巨大な時計が浮かび上がる。

 鈍色の歯車と、文字盤が九つという奇妙な時計。紫水晶振動子が揺らめいて、ぜんまいねじが巻かれる音と共に彼女はいつのまにかそこにいた。


「トリシューラ?」


 違う、と存在しない口から声に出して気付く。

 赤い髪、緑の瞳、黒銀の躯体、そして良く観察すれば半身たる氷の少女に似ているとわかる顔の造作。普段の明るさを取り払った無表情と口調からは、より姉に似た面影が覗いているように見えた。

 それでも、彼女は二人の主のどちらでもないと直感が告げている。

 既知の中にある未知を直観して、知らないはずの名を呼んだ。


「あなたがアーザノエルか」


「私の棲み家レアにようこそ。歓迎する、品森晶」


 庭園の中心にある円形の広場には白塗りの円卓と椅子が用意されていて、アーザノエルはそこに腰掛けている。対面に座るように促されて、俺は言われるがままに椅子を引いた。すると、どこからとも無く青く煌めく蝶が飛んできて、翅を畳むとその姿が超現実主義シュルレアリスムの絵画のように歪み、卓上に一揃いの茶器が現れた。構造色の表面を持った茶器が軽やかに舞い、ひとりでに容器に青い液体を注いでいく。


「食欲のそそられない色だな。着色料使ってるのか?」


「天然もの。貴方の想像力百パーセント」


 他人事のように少女は呟く。

 不可思議な輝きを湛えた液体を口に運ぶと、痺れるような酸味と強い苦味が舌に広がる。存在しない眉根を寄せた。


「俺の想像力ってのはこんなものか」


 不味い、と顔を顰める。アーザノエルは静かに肯定した。


「そう。ゆえに、欠落は外側から持ってきたもので補うしかない」


 継ぎ接ぎパッチワークのように、補綴ほてつすること。

 それが身体性の拡張という視座に根ざした思考の枠組みである以上、俺たちはそれに従うだけだ。慣性の矢が時によって摩耗するその瞬間まで。

 

「最新の技術が有効なのは、賞味期限が切れるまで」


「ああ。だが、俺には今まさにそれが必要なんだ。すぐに使えなくなるとしても、その時はまた新しいものに取り替えればいいだろう」


「貴方の場合、消費期限すら既に切れている。それに対する答えは如何?」


「既に出ているだろう」


 淡々としたやり取りを交わして、俺たちはお互いの意思を確認し合った。

 ようこそ、というアーザノエルの言葉の意味を噛みしめる。

 答えは出ている。この夢を思い出すことはきっとできない。

 それでも、慣性のまま進んだ先で辿り着いた答えを、選ばないという選択を、俺は自らのものとして受け入れなければならない。

 目の前を往く先人たちのように。


「そろそろ行くよ。多分、また会う事になるんだろう?」


 アーザノエルからのいらえは無く、人形になったかのように微動だにしない。問うべき言葉を投げかけた以上、この瞬間の役目は終わったということなのだろう。俺は立ち上がると、踵を返して庭園の奥へと進んでいく。生垣の迷宮を進み、外を目指すのだ。俺は本当はその道を選ぶべきだったのかもしれないと、もうどうにもならないことを思った。やはり、俺には碌な想像力が備わっていないようだ。それはきっと呪術の世界において致命的な欠落に違いない。

 だから、足りないものを手に入れる為に、歩きだそう。

 確かに存在する、この両腕のように。


 新たな地平に、一歩を踏み出す。

 そこが俺の居場所となるだろう。

 頭蓋骨に幽閉され孤立した魂の、頼りない荒れ野を行くような寂しさを癒すのは、踏みしめた足場の感触だけだ。重力を感じながら我が身の質量を意識する時、人は広大無辺な宇宙の中で己の座標を自覚できるのだから。


 蒼穹の世界を背に、先の見えない迷路へ入り込むと、途端に世界が暗黒に包まれる。寒々しい死の芳香が周囲に立ちこめて、見当識を失って底へ底へと落ちていく。上下左右すら曖昧な中で、俺を引き寄せる重力だけを感じていた。


 光が差し込んで、手が伸ばされる。

 いつかもこんな景色を見たことがあった。

 既視感に満ちた光景に郷愁を覚えて、俺はその場所に帰っていく。




 一面の闇の中で、赤い髪の少女がそっと囁いた。


「揺らぐ真実のどちらかを選び、切り捨てるのは違うと品森晶は叫ぶ。選択肢を傲慢にも切り捨ててしまうと、酷薄に」


 それは悪だと、アーザノエルは少しだけ笑った。

 選ばないということ。

 その可能性の全てを受け止めるということ。

 それこそが、彼女が望んだ原初の混沌なのだと彼は正確に理解している。


「ゆらぎの神話、その再生。それこそが私の望み」 


 生者の世界と死者の世界は分かたれてなどいない。

 それは言葉が切り裂くもの。

 二つは一つであって一つでない。

 心がそうであるように。

 アーザノエル語りて曰く、私はみんなであってみんなじゃない。みんなは私であって私じゃない。

 言葉が世界を分かつのならば、それを繋ぎ合わせるのもまた言葉だ。

 夢の深層で囁かれた言葉は、誰にも知られずに泡沫となっていく。

 それが、神話であるということだ。





 

 宙に放り上げられたシナモリアキラの拉げた頭部を、左右非対称の手が受け止めた。骨の右手で支え、左の繊手で柔らかく撫でる。愛おしむように、死人の森の女王ルウテトが彼の誕生を言祝ことほいだ。

 七頭十角の巨獣が咆哮し、それぞれの魂が死者に対して呼びかける。


 ゾーイデルヒは頭上に現れた新たな難敵を見据え、構えをとった。

 だが、ルウテトは無防備な姿勢のまま腕の中の生首を見つめたまま。相手をする気がないかのように。自分は役者ではないのだと、知っているかのように。


「さあ、再演の旅路が歴史に刻んだ足跡を、今こそ世に示す時。目覚めなさい、六人の王たちよ!」


 ルウテトの言葉に従って、巨獣が有するそれぞれの頭部の前方にうっすらと透けた幻影が浮かび上がる。亡霊じみた六人は、それぞれが女神に忠誠を誓った永遠の下僕たち。ひとりひとりが歌うように言葉を紡ぐ。


「あの時、確かに感じたのだ。この身に触れた、目に見えぬ操り手を」


「身体に何かが降りてきた――それはこちらに従うようであり、同時にこちらが従わされるようでもあった」


「僕たちも同じ体験をしたよ。身体の中に神さまを降ろすあの感じにとても似ていた。あれはきっと、どこか遠くから何かを伝えようとしていたんだ」


「おお、それこそはブレイスヴァ!」


「我々の歴史という物語に刻み付けられたあの未来人の痕跡は、『役者の癖』として残っているということだ。偉大なるこの俺を演じるには、いささか以上に役者が不足してはいたがな」


「私たちはみな覚えているよ。未知なる知識を、この身体の感触で」

 

 六王たちが口々に語るのは、シナモリアキラが再演によって過去へと干渉したその結果。彼らに刻み付けられた『身体性の記憶』だ。

 役であった彼らは、役者によって仕草の全てを規定されていた。

 同時に、役者は役に支配され、演出の操り糸に絡め取られる。

 双方向的な支配関係がそこには存在した。


 全員が『身体に何かが降りてきた』という記憶があり、現代に甦った彼らはサイバーカラテという未知の技術を知る。そして、知らないはずの未来の技術に対して既視感を覚えていることに気がつく。


『我々はこの武術、この理念を既に知っている』


 そして、第五階層全てに響くほどの大音声で巨獣が咆哮した。

 誰もが知る、ステルスマーケティングという無様な工作によってその本質が露呈したがらくたを体現する言葉を。失望と落胆に彩られた、零落した価値を。


「発勁用意!」


 六人分の咆哮が呪文となって世界に響き、幻影の王たちがそれぞれ拳を、蹴りを、尾を、呪文を振るって己の知るサイバーカラテの技を示す。

 その瞬間、ゾーイデルヒの目が驚愕に見開かれた。

 手品の種が割れ、ありふれたものと化したはずのサイバーカラテ。

 そのはずが、


「何だ、それは」


 六人が繰り出した型、堂に入った演武は想定外の代物だった。

 それぞれ合理性の対極を行くような、いかなる集合知を参照してもいずれは淘汰されるであろう奇形の武術。閉ざされた体系の中で歪に発達した、孤島の文化のような異形のサイバーカラテ。再生者たちはそれをこのように位置付ける。


「無論、これこそ本家本元のサイバーカラテ、またの名をラフディ相撲」


「元祖サイバーカラテは竜王国で誕生したものだ。あらゆる流派を統合した万能の武術が、この多種族が混淆する王国で生まれたのは必然と言えるだろう」


「僕のサイザクタートはちゃんと覚えてるって言ってるよ。きっと自分たちを見放した神さまが降りてきて、この叡智を授けてくれたんだって」


「起源にして終端! それこそがブレイスヴァカラテ!」


「俺と未来人の腕、そして杖の属性が共鳴している――時系列などはどうでも良い。俺が全てであり頂点、それだけだ。遍く武術はこの俺に従う」


「最も古い闇の奥底で、未分化の呪力を私は生んだ。天啓と共に私が培ってきた全ての業こそが、この時代で言うサイバーカラテなのだと今なら理解できるよ」


 それぞれが起源を強く主張し、彼らに連なるあらゆる歴史と文化にその摸倣子が流入していく。否、既にそれは起きていたのだ。ただ、この瞬間に名前を与えられて気付いただけで。


 ドラトリア出身の夜の民たちが気付く。今まで何となく体得していた触手を用いた柔法は、実はサイバーカラテの流れを汲むものだったのだと。

 遠くで黒騎士と死闘を繰り広げているネドラドが理解する。自分が振るっていたガレニスに伝わる武術、それこそはサイバーカラテという幹に繋がる枝のひとつだったのだと。

 第五階層の片隅で魔教と呼ばれながらもブレイスヴァの名を唱え続けるカシュラム人たちが再認識する。嗚呼、全てはブレイスヴァの口の中にあったのだと。

 兎たちが自分たちが操る呪文の中にサイバーカラテの理念を見出し、祖先を竜王国に持つ数多くの種族が振る舞いの至る所にサイバーカラテを再発見し、数を減らして混血が大半となった大地の民たちが自分たちの伝統とサイバーカラテの類似性を発見して驚愕する。


 歴史や伝統的な文化だけではない。とりあえず似ているものは何でもかんでもサイバーカラテに放り込んでおくという雑な思考が広がっていった。全てを内包していくのがサイバーカラテだからだ。しかし、それを取捨選択する機能が、この瞬間だけは沈黙している。集合知も機械の女神も、知らぬ存ぜぬとばかりに乱雑な混沌が膨張するのに任せたままだ。


 機能不全を起こしているのか、正しい答えを選べなくなっているのだろう。多くのサイバーカラテユーザーはそう考えた。しかし違う。それこそがサイバーカラテ道場が選んだ『最適解』なのである。


 まるで脚本家も演出家も仕事を放棄した即興芝居。

 神殿で行われる原初の儀式は役者たる巫女たちに全てが委ねられ、自由に解放された躍動が、互いの眼差しによって束縛され、また更なる飛躍を促される。

 役者が総体として脚本と演出を決める、それがサイバーカラテ道場における集合知の在り方。不合理が合理となる、その有様を呪術的と呼び表す。

 そして、転生したサイバーカラテは呪術性を内包する非合理の体系だ。


「貴様ぁ――六王の権威をサイバーカラテに取り入れたな!」


 ゾーイデルヒによる糾弾。

 彼の言う通り、サイバーカラテは新しい技術だ。

 ゆえにそこには伝統が無い。歴史がない。誇れるだけの文化性が無い。

 グレンデルヒに対抗できるだけの、権威という呪力が無いのだ。


 飽きられてしまえば人は新しいものから離れてしまう。

 賞味期限が切れたコンテンツは、終わったと見なされてがらくたになる。

 価値とは人が付けた値札ラベルの呪文によって決定されるのだから。


 足りないのは時間。

 ならば、その積み重ねを他者に任せれば良いのでは?

 種を蒔いたら、あとは収獲の季節を待てばよい。

 星見の塔から来た魔女たちが過去干渉という道を示し、勝利への布石を置けと助言したのは、過去の事件を改変しろという意図からではない。


 全てはサイバーカラテを歴史の中に刻み込むため。

 再演の過去遡行。

 最下層の暗闇で幾度となく再現した、竜帝ガドカレクとの摸倣の遊戯。

 王たちの身体に覚え込ませたシナモリアキラとサイバーカラテの身体感覚は、肉体言語魔術という振る舞いの呪術によって彼らの魂に刻まれた。仕上がったのは、奈落の底から未来へと上昇していく戦いの中。


 六王は演劇の役になるほどに歴史の中で極めて強い影響力を有している。ゆえに彼らの振る舞いは呪力となって世界へと伝播していったのだ。

 過去への遡行は改変結果ではなく、その過程にこそ意味があったということ。サイバーカラテの理念を体現したシナモリアキラがその足跡を刻み付けた道は先へと続いている。その道を、他ならぬ彼が踏みしめるという事に意味があった。


「発勁用意!」


 六王がふたたび叫ぶ。それは悪魔を喚起する呪文だ。アキラは役者であったが、同時に彼らにとっては役でもある。六王はそれぞれ見覚えのある感覚を思い出しながら、記憶の中にいる誰かを演じようとした。再現されていく動作。過去に刻み付けられたアキラの『権威』が、グレンデルヒの『権威』によって上書きされたアキラという存在を凌駕する。


 世界中に、サイバーカラテ本来の在り方が波及していく。

 それは伝統文化である。サイバーカラテ道は相手を傷つけることを目的とした武術ではなく、精神修養を目的とした己と相対する為の『道』だ。サイバーカラテ道を掲げる団体がサイバーカラテからの分離独立を宣言。ただしサイバーカラテ道場のシステムと集合知は引き続き利用し、情報も共有するものとする。


 非合理性に見えるモノは、長い歴史の中で受けた弾圧から逃れるための必然であったり、舞踏と化したサイバーカラテがより美しく変化するための精練であったりした。忘れ去られた古い呪術儀式を発掘し、現代の呪術理論から見れば非合理な神秘を呪術的合理性として取り込む。


 また、若者たちがSNSで動画を拡散させる。今までも行われてきた文化的営為ではあったが、それがサイバーカラテと結びつけられることを誰かが再発見して、既存の概念にそう名前を付けたのだ。面白い動画をアップロードすることがインドアユーザーたちの楽しみの一つとなっていく。集団演武はほぼダンスと化してエンターテインメントとなり、様々な新しい文化、古い芸能がその空間に流入していく。高尚も低俗も、聖も俗もそこではひとまとめにされ、必然的に生じた反発と争いすらも内側に取り込んでしまう。人々が己が持つ呪術性と世界観をぶつけ合い、答えのない『最適』を模索し続けるその小宇宙は、いつしか文化交流の場となっていた。

 

「情報の拡散と循環が速い――更なる炎上すら無効化するというのか!」


 ゾーイデルヒの呪術は渦を巻くミームに飲み込まれて消えていく。炎上の火種すら取り込んで己の燃料とするのが加速した情報の流れというものだ。

 それが、網羅する時間すら与えられないアストラルネット時代の世界の有り様だった。『神話2.0だ』などと誰かが訳知り顔で呟いた。


 本来ならば、ミームの伝達過程は地域と位相が異なればその変遷の様子も変わってくるもの。しかし、物理的距離はハイパーリンクによって無意味となった時代。分断された世界の情報的な隔たりも、第五階層という境界がある現在は在ってないようなものだ。


 文化変遷は加速する。SNS、BBS、念写動画投稿サイト、テキストやイラスト、音楽などの創作系コミュニティ。多種多様な空間が混沌を作り出す。

 現代の神話とは、加速し続ける混沌の中で生まれて消える泡にも似た幻想だ。

 それでもなお、古来より連綿と受け継がれてきた形式と構造は変わらない。


 人が人であるがゆえ、知性が知性であるがゆえ、言葉が言葉であるがゆえに生まれる包括的な枠組みは、伝承や民話、物語の有り様を貫く元型と終端を様々な形で内包する。それはストックされたキャラクターとして、役割として。


 『王さま』『王子さま』『お姫さま』『まじない使い』『大臣』『人食いの化け物』――それから様々な職業に加えて、王国の登場人物を家族という構造が代替する。小人に妖精に太陽や月、風や大地までもが擬人化されて、森羅万象の全ては神話の中に入り込む。現代においては、それはネットの中の全ても自然として擬人化するのだ。情報カミはそこかしこに宿り、躍動し始める。


 だから、ゲームやアニメ、映画や音楽、漫画や小説、その他様々な娯楽が聖なる神として世界の秩序を支配することも、またありふれたことに過ぎない。

 冬の魔女が構築した幼き世界が、最新最古の神秘を具現する。


「アツィルト――」


 頭部の失われた身体の中で、残された冬の魔女が瞬きの間だけ繋いだのは、世界を壊す禁戒呪法。個の境界を融解させる青の呪い――その対極に位置する、個の有り様を最も美しい瞬間のまま留め置くための記憶の万華鏡。存在を凍らせて、揺らぐ真実を確定させる。神話化の呪術が自らの欲望まなざしを具現化させ、一人のキャラクターによって世界観を表現する。


「――アッシアー!!」


 禁呪の発動を受けて、高らかに声が響く。

 無数の腕と無数の頭部で身を飾る、荒ぶる女神がそこにいた。

 倉庫街の残骸を踏み越えて、機械の頭部を足蹴にした機械魔女の名はトリシューラ。足下でケイトの残骸が粉砕され、形の無い情報生命が鋼鉄の中から離脱する。死闘を制したトリシューラは無数の腕で幾つもの頭部を保持していた。【マレブランケ】と名付けた彼女の私兵集団、その生首。血の滴る頭を、握りしめるための宝珠に、首飾りに、浮遊する衛星にして、血塗られた戦女神は冒涜的にあらゆるものを隷属させる。そして、愛嬌を振りまくような明るい表情で舌の先をちろりと出して片目を瞑る。


 鮮血の女神が発動させた禁呪が彼女の手首から赤い色彩を迸らせた。

 存在を代償にして流れ出した呪わしい真紅の血液が、冬の冷気に触れて凍りついていった。二つの禁呪が重なり合った瞬間、トバルカインの装甲に包まれた二つの義手が二色の光に包まれる。


 起こりつつある異変を妨害すべくゾーイデルヒが放った蹴りを、死せる強化外骨格トバルカインの右腕が防御。意思無き身体であっても、鎧はその肉体を守る為に自ら動くのだ。


 二つの呪力が二重螺旋を描き、遺伝子という発想の原型となった摸倣子モデルを中空に映し出す。天上では死せる冬の女神が、地上では命無き春の女神が、新たなる同胞の新生を祝福する。

 凍り付いた幻の輪郭が設計図なら、鮮血の軌跡を宙に描きながら放り投げられた生首は共通規格の交換部品。軽やかな声が予定調和の未来を作り上げた。 


「お待たせ! 新しいアキラくんだよっ!」


 そして、首の接合部とその頭部がぴったりと重ね合わされる。

 端整な顔に生気が宿り、長い睫毛が開かれていく。


 ――グレンデルヒを人間集団に宿る使い魔の紀人、コルセスカを神話に宿る邪視の紀人とするなら、トリシューラとシナモリアキラは身体性の拡張サイバネティクスに宿る杖の紀人だ。


 身体性の拡張――それは増設、補綴ほてつされた人工的部位であり、受け継がれ精練された技術、流派でもある。シナモリアキラを顕現させるのは【鎧の腕】たる義肢や肉体の部位であると同時に、技術と流派でもある。

 つまりは、こういうことだ。


「発勁用意」


 それこそが召喚の呪文。

 サイバーカラテ道場のデータベースに登録された構え、型をなぞることこそがその力を引き出す為の儀式。


「俺自身が、サイバーカラテの体現者となるということ」


 シナモリアキラこそがサイバーカラテであり、サイバーカラテとはシナモリアキラである。没個性で交換可能な人間は、その最も特徴的な『属性』や『記号』が最大の個性となる。ならば、外部から欠落を補うことをその本質とする存在がいたならば、彼はどんな記号で捉えることができるだろうか。

 その答えが、ここにある。



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