4-83 星見の塔の大比武⑫ さいごの戦い




 一方で、上空でのルウテトとグレンデルヒの対決にも変化が起きていた。ルウテトが、銀天使クレーグレンの刃に腹部を貫かれている。輝かしい左手と汚れた右手が広げられ、ゆっくりと機械の全身装甲を抱きしめた。


「とってもいい子ね。たくさん遊んで疲れたでしょう? ママのお腹の中に帰って来て、ゆっくりおねんねしましょうねー?」


「だぁ、ばぶぅ」


 銀天使の装甲が内側から開いて、中からおしゃぶりとよだれかけ、布おむつを身につけた老年の男性が現れる。グレンデルヒによって無理矢理に肉体を酷使されたせいか、目と鼻から血を流しており、消耗のあまり既に瀕死の状態だった。ルウテトは彼を抱きしめる。すると、その肉体がずぶずぶと女王の体内へと沈んでいく。体内に広がる世界、死人の森へと誘われたのだ。


 落下していく銀天使。その他の機械天使たちもまた同じように撃墜されていた。そして、最後に残った紀械神ももはや満身創痍。錬金術による修復が追いつかず、破損した各所から火花を散らしている。歪なグレンデルヒの声が響いた。


「女、風情が、小生意気に」


「哀れですね、グレンデルヒ」


 奇しくも、地上にいる写し身とほぼ同じ言葉を呟くルウテト。

 

「あなたの言動は、典型的な女性嫌悪ミソジニーのようでありながら、その裏側にもう一つの嫌悪を内包しています。あなたの口にする言説は、あまりにも古典的で類型的過ぎる。そこに人格が感じられないのです」


 コルセスカならば、個人ではないため、と説明をつけるところだったがルウテトは違った。死人の森の女王は少しだけ柔らかく、そして悲しみのようなものを口調に滲ませながらこう言った。


「言葉の端々から、男性にはこの程度の思考しかできない、という侮りや蔑みが感じられるのです。あなたの根底にあるのは、一周して捻れた男性嫌悪ミサンドリーではないのですか、グレンデルヒ。いいえ、その内側にいるあなた」


 機械の神は黙して語らない。三角の翼に熱を収束させ、唯一残った腕の砲口に荷電粒子の光を輝かせるのみ。だが攻撃の準備よりもルウテトが動く方が遙かに早い。獣が空を駆け抜けると、刃が一閃した。すれ違った後、ついに機械の神からすべての武装が解除されていた。


「どうしてっ」


「何故わかったのか、ですか? あなたのやり方を真似して言えばこうです。女の子が、そんな風にはしたない振る舞いをするものではありませんよ。それに、もっと可愛らしい格好をしないといいお嫁さんになれないんですからね?」


 挑発混じりの微笑みで口にして、ルウテトの斬撃が今度こそ機械の装甲を破壊する。空中で粉砕される鋼鉄の後部から、咄嗟に脱出するグレンデルヒ。だが巨獣の口から放たれた複数の吐息が彼を逃がさない。咄嗟に広げた巻物を焼き尽くし、黄褐色のスーツごと英雄を飲み込んでいく。


「参照する! 俊敏なる水銀の大賢人、サジ――」


「させませんよ」


 吐息の嵐に飲み込まれながらもかろうじて広げた書物を、ルウテトの剣が貫通する。そのまま引き寄せて、切っ先に串刺しにしたまま相手に見せつけた。悔しげに歪むグレンデルヒが、巨獣の腹を突き破って現れた死人の森の軍勢たちに捕獲される。腐乱した手、連なった骨の縄がきつくグレンデルヒを緊縛した。無惨に破れたスーツの内側に隠れていた姿態は女性的な丸みを帯びている。ルウテトは細めた灰色の左目に嗜虐的な輝きを宿らせて言った。


「残念ですが、あなたはあまりグレンデルヒを使いこなせているとは言い難いようです。もっと可愛い服装の方がきっと似合いますよ? お人形さん」


 グレンデルヒに扮していた何者かは破れた布の合間から白磁のような裸身がほとんど見えかけており、屍の手がきつく束縛しているがゆえに胸元や腰だけがかろうじて隠されているような状態だった。ひときわ目を引くのは、その関節部が球体のような部品で可動するように作られていたこと。


 球体関節人形。それが、主肢グレンデルヒという役を演じながら隠れ潜んでいたものの正体だった。

 グレンデルヒとしての顔の映像に遅延が発生する。かろうじて顔だけは張り付いているものの、ざんばらな蓬髪は消滅して、滑らかな絹糸のような長い髪が代わりに現れた。刃のような風車で左右二つに括られた明るい淡黄色の髪房が揺れる。

 ツーサイドアップのグレンデルヒが羞恥と屈辱に顔を真っ赤に染めた。


「まさか、最初からわかっていたの?」


「いいえ、確信はありませんでした。ただ、いくらラクルラールでも、上級言語魔術師をそう容易く支配できるものかしらと疑問に思っただけです。でも、はじめから中枢に使い魔を忍び込ませていれば話は別。そこから他のグレンデルヒにも影響力を行使していたのですね。あとは、そうね。強いて言うなら」


 ルウテトは、そこでたっぷりと間を持たせ、にこやかに笑いながら軽く首を傾げてこう言った。


「女の勘です♪」


 不合理な呪術的説明。だが、それこそは男性性による支配関係が呪力の増大を促してしまう女性性の神秘。グレンデルヒの戦略は、諸刃の剣でもあったのだ。

 グレンデルヒはぎり、と歯を軋らせた。それから、意を決したように全身に力を込めてぐい、と体を捻る。すると、両手の肘から先、両足の膝から先が関節部分で分離して、人形の胴体が拘束から解けて落下していく。ルウテトも、これには完全に虚を突かれた形だった。


 球体間接を分離しての縄抜け。四肢の先を失った状態だが、大腿部の隠し開閉部が開くとそこから新たな巻物が出現して展開する。内部には文字だけではなく写実的な絵が描かれており、平面から浮かび上がった手足が実体化して少女の両手両足に接続される。共通規格の手足を予備として絵巻物に格納していたのだ。


変化へんげ、グレンデルヒ!」


 叫びと同時に煙に包まれた人形は、一瞬のうちに黄褐色のスーツと蓬髪の壮年男性へと姿を変えていた。さらに懐に手をやると、小さな金属片を数枚取り出す。追撃にかかったルウテトに向けて、指先で挟んだ金属片を投擲。


「金遁・錬金手裏剣!」


 小型の金属片はその形を大きく変貌させた。金属が柔らかく流動し、薄く広く引き延ばされた十字の刃となって回転しながらルウテトに迫る。時間差をつけて投げ放たれた巨大な刃を剣ではじき返そうとするルウテトだったが、金属の刃は剣に接触した瞬間ぐにゃりと曲がって彼女を覆い尽くす。四枚の金属触手によって束縛されたルウテトは、足止めの呪術を解除すべく呪文を詠唱する。


 その一瞬の隙をついて、グレンデルヒは呪符の巻き付いた球体を起爆させて煙幕を張っていた。遠い眼下に、倉庫街の屋根を高速で飛び移っていくグレンデルヒの姿が見える。階層の中心部、市街地へと逃げ込むつもりなのだろう。ルウテトが足止めされていた間に生まれた距離は広く、グレンデルヒの速さは尋常なものではない。追いつけないか、とルウテトが表情を強ばらせたその時。


「良い子だね~良い子だね~」


 撃墜したはずの機械天使が一体、人形愛を司るパールガレーデがグレンデルヒに襲いかかっていた。性的な嗜好を強引に拡張されたグレンデルヒの配下は、与えられた性質に従って美しい球体関節人形であることが露見した主を彼なりのやり方で愛そうと強引に襲いかかる。無数のワイヤーが放たれて、グレンデルヒの全身を拘束していく。


「くっ、呪遁・髪結手裏剣!」


 頭髪を数本抜き取ったグレンデルヒが、硬質化して鋭い針のようになったそれを投擲。機械天使に突き刺さった髪の毛が感染呪術を発動。切り離された身体の一部と鋼鉄が繋がり、二つを『同じもの』として世界に誤認させることによって暴走した機械天使を強引に支配下に置くグレンデルヒ。ルウテトにけしかけて逃走しようとしたその時。


「がっ――」


 グレンデルヒの胸を突き破って現れたのは、水流の刃。

 激しく流動して触れたものを削り飛ばす剣が、グレンデルヒと機械天使を諸共に貫いていた。背後で水の剣を構えているのは、配下であるはずのイアテム。


「イアテム、貴様」


 グレンデルヒは見た。イアテムの眉間、胸の中央、そして丹田が大きく陥没しており、そこに夥しい数の呪文が刻み込まれているのを。輝きながら流れていく呪文の帯が、地上の一点へと続いている。そこに、猫耳のレオと傷付きながらも少年を守るロウ・カーインがいた。


「経絡秘孔を突き、思考場を操作した。既にその男はこちらの操り人形だ」


 カーインによる静かな呟き。渾身の貫手から放たれた気の流れがイアテムの経絡を駆け巡り、気に込められた呪力がイアテムの脳髄を完全に支配していた。絶叫と共に上から機械天使がグレンデルヒにのし掛かり、下からはイアテムが水流の刃でグレンデルヒの胴体を斬り抉っていく。屈強な力二つ分に挟まれて身動きがとれないまま、グレンデルヒは真っ逆さまにとある倉庫に墜落。運の悪いことに、そこには大量の火器が補完されていた。三つの人影が屋根を突き破ってから数秒後。機械天使の破壊に伴って発生した爆発により、倉庫内の爆薬に引火。連鎖的に起爆して倉庫を内側から盛大に吹き飛ばす。立ち上る爆炎が第五階層の天井に手を伸ばすように一瞬だけ届き、少しだけ焦がしてそのまま消えていった。


 ルウテトはそれを無言のまま見届けると、手綱を引いて巨獣を走らせた。目指すのは、シナモリアキラとグレンデルヒの戦場。


 二つの勢力の決着は近い。

 それが、さいごの戦いになるだろう。




 トリシューラは追い詰められつつあった。

 無数の壁面を倒壊させながら、強化外骨格の巨大質量が地を滑っていく。波濤のような呪文、迫り来る磁力を纏った拳などを捌きつつ撤退するが、既に武装は杖銃を含めて全て失ってしまっている。後が無い状態だった。


 ケイトが駆る【ドラゴンテイル】にトリシューラの強化外骨格が劣る、というわけではない。むしろ、呪術世界ゼオーティアに適応した形で呪具を作っているトリシューラの方が本来は有利なはずなのだ。その差を覆しているのは、トリシューラの不調とケイトの予想以上の奮戦。そして何より、トリシューラに無くケイトにはあるものが現在の状況を形作っている。


 松明の騎士団を抜けて死人の森の女王に頭を垂れた元守護の九槍が八位、ネドラドとの戦いによってトリシューラは激しく消耗していた。アズーリア・ヘレゼクシュによって治療されたとは言え、万全の状態とはいかない。


 加えて、ケイトの戦い振りが見事だった。冷静に先を読んで一つずつトリシューラの武装を潰していき、この世界の呪術作法に『翻訳』した呪文による高度な電子戦を平行して行う。力士の影に隠れてしまっているが、ケイトは紛れもなく一流の戦士であり言語魔術師だ。


「言理の妖精、語りて曰くっ」


 そしてこの呪文こそが最もトリシューラを苦しめている要因である。

 呪文の座が世界中に広めた、万人に開かれた神秘。

 秘匿されるべき古い呪文の性質と、体系化と情報の開示を是とする杖の性質を併せ持つ、それは太陰に住まう兎たちの在り方にも似た妖精のおまじない。


 言理の妖精はあらゆることをあらゆる方法で可能にする。語り方次第で全く役に立たないこともあれば、驚くべき奇跡を実現したりもする。

 異世界人であるケイトにも、その呪文は開かれていた。

 唱えられた神秘の言葉を鍵に、異界の神秘が現出する。


「出でよスダルシャナ!」


 鋼鉄の機体が咆哮すると、赤熱する鋼の戦輪チャクラムが出現。それは高速回転しながらトリシューラ目掛けて飛んでいく。異界の神話を参照して妖精が生み出したそれには強力な『異質性の呪力』が込められており、生半可な呪術で防ぐことはできない。その上、ケイト当人が異界人なのだ。故郷の神話を知り抜いた彼が唱えるその呪文の威力はこの世界の半可通が唱えたものの数段上を行く。戦輪がトリシューラの頭の上を通り抜けていくと、狼の頭部のような電子兵装が切断されて床面に転がっていった。


「トリシューラだ何だと、僕たちの世界を参照するのが好きみたいだけどね! 幾ら何でも相手が悪い。それは僕の国の神話なんだから! 呪術的に考えて、本家本元に勝てるわけないだろう?!」


 同じ神話を呪術の形式として利用したならば、その呪術基盤に近しいほうがより強い呪力を引き出せる。近似は呪術世界においては力となるのだ。バーラト(インド)人であるケイトは、張り巡らされた情報の海の中で呼吸をするように、食事をするように、祖国の伝統文化を吸収している。実際に情報生命である彼の中には『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』といった有名どころはもちろん、古今東西の電子書籍が格納されている。そこから引き出された膨大な知識は言理の妖精に迫真性を与え、異界の神話をこの世界に再生することを可能とした。


 神話的破壊の嵐が押し寄せる。トリシューラは倉庫街を抜け、郊外へと突入。自動機械たちの働きによって人の避難は完了していた。残っていた警備用ドローンを遠隔操作してケイトの方へ向かわせる。


「無駄だ、時間稼ぎにしかなっていない!」


 爆散していく警備ドローン。浮遊する回転翼機が雷撃によって撃墜され、自走機銃が強固な足に踏みつぶされ、手足の生えた筒型機械が電気銃テイザーを射出する前に戦輪で切断されていった。箱型の簡易建造物や安っぽい天幕が建ち並ぶ郊外を疾走するトリシューラが、柔な壁をぶち破って真っ直ぐに逃走を続けていく。背後から迫る巨大戦輪。


「終わりだ」


 建物ごと強化外骨格が爆発を起こす。飛び散った建材が自然に消滅していくのを興味深そうに見ながら、ケイトは勝利を確認する。と、訝しげな声。


「中にいない――? 逃げたのか?」


 破壊されたきぐるみの中はもぬけの空だった。探査機能を作動させると、一軒の建造物に駆け込んでいく少女の存在を発見する。当然のように追撃。もはやきぐるみの魔女を守る強固な装甲は無い。罠を仕掛けている可能性もあるが、今の自分になら対処できるという確信がケイトにはあった。


 トリシューラが逃げ込んだ建物は周囲のものと比較していくらか大きい。箱を組み合わせたような無骨なデザインは他と似たり寄ったりだが、そこだけが異質な存在感を有していた。どうやら、公共の施設らしい。


「呪術医院か。魔女の拠点の一つなのかな」


 そう呟くと、ケイトは正面玄関からではなく壁面を破壊して侵入する。幾つもの戦輪が壁を切り裂いていき、道を作り出す。トリシューラの位置を探査すると、地下にある空間に逃げ込んだようだった。罠の可能性はますます高くなったが、構わずに進んでいく。


 呪術医院。当然ではあるが、そこはケイトの常識を逸脱した空間だった。ごく当たり前のような病院の設備や機器がある一方で、得体の知れない人面の浮いた書物や透明なケースに閉じ込められた様々な動物、更には文字を刻まれた頭蓋骨や紫水晶などが当然のように場に馴染んでいる。


 不気味に感じながらも、ケイトは地下へと進んでいく。昇降機エレベーターの前に辿り着くと、そのままボタンを押さずに壁を破壊して内部で待ち構えていた警備ドローンを殲滅、箱を破壊して地下に叩き落とす。扉をこじ開けてそのまま飛び降り、足裏から数度圧縮空気を噴射して減速しつつ着地。壊れた昇降機と壁面を纏めて破壊しながら地下へ突入。迎え撃つ警備ドローンの銃撃をものともせずに神話を再生する。


「言理の妖精語りて曰く」


 光り輝く弓が幾筋もの雷の矢を放ち、地下を薙ぎ払っていく。邪魔なものが一掃された空間を進んでいくと、そこには異様な空間が広がっていた。

 ずらりと並んだ透明な円筒形のケースは緑色の液体で満たされており、その中には幾つもの管に繋がれた脳が浮かんでいる。剥き出しの脳だけでなく、目を閉じた状態の頭部、首だけになった人間が数多くそこで『生かされて』いた。


「これは――」


 光学素子を動かして目を見張るケイトに、空間の奥から声がかかった。


「丁度、貴方にも聞いてみたかったんだ。生きてるって何だと思う? あるいは、植物状態って死かな? 欠損した脳を機械で補ったらそれって別人?」


 そこにいたトリシューラは、異様な姿をしていた。

 逃走する途中にドローンたちから剥ぎ取ったのか、幾つもの多関節の腕を両手に保持していた。足下には大量の武装が散乱しており、がらくたとなった機械が屍のように横たわっている。トリシューラは、緑の目を細めて低く呟いた。


「あまり気は進まないけど、もうなりふり構ってられないからね――禁戒を破るよ。アッシアー・エミュレート――融血呪イェツィラー


 呪文詠唱と同時に、トリシューラの瞳から鮮血の涙が零れ落ちる。

 禁呪の発動によって少女は深く『何か』を喪失し、傷付いた心を奮い立たせて更なる呪術を行使する。それは赤ではなく、青い血によってなされた。

 鮮血が生贄として捧げられ、呪術儀式が呼び出したのは青くゆらめく球形の血だった。出現した青い球体は二つ、四つと倍々に増殖していき、魔女のまわりを衛星のように周回していく。


「ブルーから小クラスタ分だけでも買っといてよかった。まあ、これ以上数を増やすと逆にこっちが取り込まれちゃうんだけど」


「それは、一体?」


 ケイトの問いに、トリシューラは剥き出しになった黒銀の顔に笑みを浮かべて、端的に答えた。


「禁呪の神秘を零落させて、融血呪を購入した。リース契約みたいな? 要するに貴方の所のグレンデルヒと一緒だよ。他人が使ってる呪術の価値を貶めて、交換可能で再現可能な『もの』や『技術』に零落させる。そうしたら、ほら。杖の座である私にも利用可能になるんだよ」


 青い小球が次々と機械の腕と融け合っていく。それらは浮遊してトリシューラの背中や肩へと接続、融合していく。規格が異なるにも関わらず、自身の被造物である機械腕を自己の中に埋没させていくトリシューラ。手ずから作り出したものは全て感染呪術の理論によって彼女の身体の一部同然だ。『ゆえに拒絶反応が起きない』という理屈が組み上げられて、自他の境界が消滅して全てが一なるトリシューラと見なされる。


 さらに、無数の腕を生やしたトリシューラが幾つもの指を鳴らした。すると透明なケースが砕けていき、内部の脳や頭部から管が抜けていく。青の小球が群れをなして脳髄や顔面に接触して、細長く引き延ばされた青い血の呪力がそれらを浮遊させた。血が糸となって頭部と脳を繋いでいき、数珠つなぎとなったそれらはトリシューラを輝かせる首飾り。


「ここにいるのは【変異の三手】によって地下の迷宮実験場で酷い目に合わされて、脳に再起不能な損傷を負った人たちだよ。私はね、どういう方法で彼らを生者として復活させるか、ずっと悩んでいたんだ。ねえ、さっきの質問、答えて貰ってないけど、どう思う?」


 トリシューラは微笑みを浮かべたまま、内心の読めない声で問いかけた。周囲を回る頭部や脳は、うっすらと青い膜に包まれて保護されている。牽制に放った戦輪の一つが青い血の中に取り込まれて、ケイトは警戒したまま分析の時間を稼ぐ為に音声を出力した。


「馬鹿な事を聞くんだね。どんな形だろうと人は人だ。逆に言えばただの人でしかない。人は機能で現象だから、肉だろうが機械だろうが維持されている限りは人だよ。わかりきったことだろう?」


 それを聞いたトリシューラは、少しだけ声の調子を弾ませて、


「――そっか。やっぱり私、いつかそっちの世界に行ってみたいなあ。アキラくんの故郷だしね。全部面倒なことが片付いたら、遊びに行ってもいいかも」


 そんな、間の抜けた事を口にした。

 彼女は、この状況から自分たちが勝利することを前提に話をしている。もちろん、それが当たり前だろう。自分が負けると信じて戦える者はそうはいない。


「――君の使い魔を片付けたら、自由にすればいいよ。僕たちにとっては、君まで殺す必要なんて無いからね」


「それは困るから、貴方たちを倒して、いつかアキラくんと一緒に行くことにするよ。あ、その時は観光案内とかしてくれない? 私インド行ってみたい!」


「そうか。では死んで生まれ変わるんだね」


 雨霰と横殴りに振り付ける神話の火力。神の雷が、世界を滅ぼす炎が、必殺の武装の数々が、宙を駆け抜けてトリシューラへと殺到する。地下が激しく振動して、大量の爆炎が弾けていった。ケイトが分析した青い血の呪力量を圧倒的に上回る異界の呪力による一斉攻撃。魔女は回避も防御も出来ずに完全に消滅したことだろう。確信したケイトは動くものの反応が無いかどうかを確認しようと索敵機能を作動させる。そして、驚愕のあまり掠れた電子音を漏らした。


「馬鹿な――無傷だって?」



 立ちこめる黒煙の中から現れたのは、幾つもの浮遊する頭部を周囲に従えたトリシューラ。赤い血と青い血、双方の呪力が少女の背後で円を形作り、その外側を奇怪な文字が周回する。


「まさか、脳を直結して演算能力を上げているとでも? いやまさか。そんな無駄なことを? この世界ではそれが意味を持つというのか?」


「うーん、ちょっと外れ。これは単なる邪視的アプローチだから。要するに、見た目と視座の複合なんだけど」


 ケイトにはもはやトリシューラの言葉を理解する余裕が無かった。

 立て続けに放つ異界神話の呪文が、全て無効化されてしまっているからだ。それどころか、全ての力が彼女に吸い取られてしまっている。膨れあがる呪力。今やトリシューラが内包する異界の呪力は、ケイトのそれを凌駕している。

 何故だ、とケイトは考える。トリシューラは適性の問題からか、言理の妖精を使いこなすことができない。その為に異界の神話を参照した呪術戦ではケイトに一方的に圧されていた。それが、ここにきてどうしてその立場が逆転する?

 答えは、至極単純なものでしかなかった。


「参照する神話の精度で敵わないなら――」


 トリシューラの夢は、ゆらぐ神話の復活とその中で自分を女神として確立させるという複雑なもののようでいて、一言で纏めればひどく単純明快だ。


「――もっと強く、もっと私に適合した形で! 最強にして絶対なる、キュトスに対応するほどの大いなる女神を甦らせてやればいい!!」


 多数の腕を広げながら、膨大な呪力を解放するその姿はまさしく雄々しい戦の女神のようだ。女神、それはトリシューラの思い描く未来の自分。

 少女の夢は、ファッションリーダーになること。

 流行を作り出し、ミームに乗せて発信し、形式としてのブランドを立ち上げてスタイルを表現し、その連鎖によって一つの神話を織りなしていく。

 そのアプローチの一つが、服飾という呪術の道。


 言葉ちえを知った人は、世界と己が一つではないのだと事象を切り分け、裸であることに羞恥を覚えてしまう。

 ゆえに自他を切り分ける障壁として衣服を生み出した。

 それは身体性の拡張であり、同時に身体性を切断するものでもある。


 衣装占い師ストリソマンサートリシューラ。

 衣装ストールを織り上げ、衣服の着こなしやドレスコードといった文化様式に文脈と意味を乗せてまじないを行うもの。

 きぐるみの魔女はその名の通り、衣服で身体を拡張する。

 当然の事ながら、拡張身体には人の作り出したあらゆるものが含まれる。


「呪術戦で、本職に勝てると思うなよっ」


 鋼鉄の腕を蠢かせるトリシューラが咆哮する。

 連なった頭部や脳をネックレスにして身を飾った黒い肌の少女に、ケイトは一瞬だけ、既知の女神の幻影を見た。

 呪術医院の地下に、激震が走る。




 グレンデルヒ=ライニンサルとは、人ではない。


 パブリックドメイン。

 複数の企業で広告に使用される、定番の神話的英雄。その複合的な像。

 【変異の三手】を構成する探索者たちの視座の集合体。


「『そう、貴方の中にいるのは、貴方を演じている無数の役者たち。それはアキラであり、ゾーイであり、また【変異の三手】の構成員たちでもある』とコルセスカは言っている」


 コルセスカを代弁するアキラを、ゾーイデルヒは憎悪を込めて睨み付けながら強く叫んで否定する。その顔に、一瞬だけ遅延が発生する。


「この私に、中の人などいない! 私は私という確立された存在だ。同時に複数人が存在できるのは、私が上級言語魔術師であるからに過ぎん。断じて、他者に依存しなければ存在できないなどということは有り得ん!」


「『それは貴方が私とは似て非なる使い魔型の紀人だから。邪視者として自分の存在を構築できる私とは異なり、貴方は演劇空間に存在する『役』に近い』とコルセスカは言っているが、要するにさっきまでの俺や今のコルセスカと似たような存在ってことか。人間離れしてるとは思ったが、そういうことだったのか」


 【変異の三手】とは、複合巨大企業群メガコーポの各探索者事業部門を束ねた探索者集団だ。ひたすら攻略に勤しむ姿から探索狂いとも称されるが、その実態は過酷なノルマに追われ、更に社内競争に晒される現代の奴隷である。


 男女問わず、過酷な巨大複合企業の競争に晒された企業探索者たちが内面化している男根主義的な思想――それらが『最も優れた探索者像』を通して表現されたとき、グレンデルヒという英雄が生まれる。


 コルセスカによって、アキラの思考に送り込まれていく数々の知識。

 紀人とは紀神に至る前段階の存在を示し、存在の位階が低い事を示す意味で『古き神』に対して『新しき神』などと呼ばれたりする呪術生命のことだ。

 具体的にはコルセスカがそれに相当するし、杖の手法で女神を作り出そうとしているという意味ではトリシューラも含まれる。


(どのような方式で再現するかにもよりますが、おそらくは過去の偉人などのイメージを複数参照して出来上がったハイブリッドな英雄こそが今のグレンデルヒの原型です。企業の企画広報部が考えた究極の賢者像とでも言いましょうか)


 コルセスカの心の声がグレンデルヒの正体を明らかにしていく。

 使い魔の手法で生み出されたグレンデルヒは、地上社会では『イメージキャラクター同然に扱われているグレンデルヒのモデル』として生活している。グレンデルヒが登場するドラマに俳優として、ゲーム販促アニメに声優として出演し、企業のイベントなどにも積極的に顔を出すことでその知名度を高めている。


 だが、どれだけ活動を繰り返しても、彼という実体は複数人の社員によって演じられたものに過ぎない。

 グレンデルヒは確かに存在して、企業の広報活動に従事し、日々製品を開発し、探索者として地上に勝利をもたらす。

 公式の回答はもちろん決まっている。


 『グレンデルヒはいますよ。複数人がいるように見えるのは、上級言語魔術師だからなんですね。すごいぞグレンデルヒ!』


 だがそこに絶対的な個としての意思など無いとコルセスカは言う。

 常に他者に全存在を預け続けなければ自己を維持出来ない。

 複数の意思と解釈の鬩ぎ合いの中で辛うじて自らの個を確保するような生。

 演じ手をキャラクター性によって支配する君臨者であり、同時に定められた演技を表現し続ける被支配者。

 

(私たち紀人は――いいえ、およそ全ての存在が常に誰かの代弁者です。誰も彼もが外部からの入力に対して反射的に出力しているだけに過ぎないのかもしれません。外界の流れこそが全てを決定し、自己などどこにもない)


 コルセスカは――膨大な数の逸話を参照して前世とする神話の魔女は、常に前世に侵食されてしまう危険と隣り合わせだ。

 だからこそ、グレンデルヒの在り方が理解できる。

 その悲哀に、共感できてしまう。


「そうだ――ああ、その通り! 意思とは交換可能であり、市場を流れていく価値のひとつだ。摸倣子に運ばれていく意味という呪術的な情報構造体だよ」


 引きつった顔を片手で押さえて、ゾーイデルヒが喉を震わせながら叫ぶ。

 どこか悲痛で、自棄になったような声だった。


「自由意思など無く、そこには法が成立しない。私は法秩序の外側にいる。人の社会の中に私の居場所など存在しない。罪も罰も、善も悪もそこにはない。ただ事象の流れがあるだけだ。良く言えば、身体性という軛から解放された新人類。だが別の観点から見れば、他者の視座に縛られた奴隷の上位者」


 グレンデルヒは、集団の傾向によって陵辱され、染め上げられる。

 彼が主張し、その思考を規定する男根主義的な主張はこう叫んでいるだろう。

 『される方に隙があり、本心では支配され屈伏されることを望んでいるのだ』――そんな思考が彼の言動を規定してしまっている。己の言動を自らがより強調し、肯定し続けるという連鎖の構図。被支配者たちに支配される支配者であり、他者に従属を強いる従属者。蹂躙されながらそれを肯定してしまうが故に他者を蹂躙する、邪悪さの循環。


 シナモリアキラは、グレンデルヒの身体を顔の無い集団の荒々しい手が強引に蹂躙していく光景を幻視した。

 彼の言動は、果たして彼の意思であったのだろうか。

 更に言えば、その責任が【変異の三手】の特定の誰かだけにあったのか。

 集団の傾向。それは個々人の思想によってのみ決定されるものではない。


 競争社会における飽くなき勝利の追求。冷徹な生存競争。

 その果てに辿り着く筋肉質の論理。

 変異の三手は企業に所属する探索者の集団である。

 よって、高学歴の大学卒でなおかつ体育会系という気質の者が集まりやすい傾向にあったこともそれに拍車をかけていた。


 根性論と合理性のダブルスタンダード。

 上から下への怨恨、世代間での『しごき』の連鎖。

 理論的に集団の結束を高めるための適度な『根性』の活用。

 先輩が訓辞を垂れる時にはお決まりのように高学歴社会の確認と連帯の為に自然科学のアナロジーが用いられる。人文科学系だというのに。

 部活を休むことがあれば詳細な理由を部員たちの前で述べて謝罪、辞める場合も迷惑をかけてしまうことを謝罪、それが規律の遵守と結束に繋がり、退部という裏切りへの歯止めとなる。

 要領が悪ければついていくことなどできはしない。

 落伍者は淘汰される合理的システム。

 シナモリアキラは、『あれ?』と思った。何故、自分の中からこんな知識が湧いて出て来るのだろう。


「うっ、失われた記憶が」


(駄目ですよアキラ。思い出さないでいいんです。嫌な思い出は私が凍らせておきますからね)


 優しい響きと共に、アキラの胸の中に冷たさが広がっていく。冷却された頭を振って、トバルカインのフルフェイスヘルメットがゾーイデルヒを向く。

 男は、力士を役によって縛る英雄は、顔に当てた手をゆっくりと降ろしながら台詞を紡いだ。演じるように、演じられるように。


「ああ、だが、それでも、それでもだ」


 芝居がかかった仕草で、大仰に両手を開き、過剰な感情表現と共に、長々とした台詞を淀みなく捲し立てていく。

 その堂々たる演技に、聞き苦しい所など何一つ無い。


「私は、人の為に存在している。人に望まれて在る英雄にして賢人なのだ。ならばこそ、地上に勝利をもたらさねばならない。敵を倒し、屈伏させなければならない。敵を、敵を、闘争を、勝利を! 雄々しく、血湧き肉躍る冒険を! 財宝を獲得し女を組み敷き敵を殺す、純粋な快楽を追求するのだよ! 何故か? それが人間というものだからだ! それが私、グレンデルヒ=ライニンサルの存在証明であるからだ!!」


 男は、紀人として人の意思に屈伏させられることを肯定した。それが望まれて在る己だからと、己の運命を受け入れて、その上で己の意思を示したのだ。

 前触れもなく、力士の強力無比な足が大地を砕き、巨体が加速する。

 決着を求めて疾走するゾーイデルヒを、コルセスカが、アキラが、トバルカインが正面から迎え撃った。


 右手を前に突きだしての凍結発勁。しかしそれを見越して、ゾーイデルヒは瞬間的に転移を行う。

 アキラの背後に再構成された巨体は、しかし転移によって運動エネルギーを喪失している。再びの加速は近接距離ゆえに不可能。ほぼ密着した間合いゆえに突っ張りでも蹴りでもなく必殺の投げで態勢を崩して足で止めという選択肢をとったゾーイデルヒに、予想を超えた衝撃。


 真後ろをとったゾーイデルヒの、更にその背後から襲いかかったのは凍れる呪的発勁の一撃だった。アキラの右手の前面に展開された多面鏡【氷鏡】が呪力を反射して、アキラの右側、足下、そして地を滑るようにして力士の股下を抜けて背後に展開された鏡が反射。光の速度で襲い来る鏡面反射発勁には、さしものゾーイデルヒも反応することができなかったのだ。


 呪力の予兆すら掴ませない、あまりにも静謐な呪力の運用。コルセスカの静かな呪力が、トバルカインによって堅牢に支えられ、アキラという媒体を一切の抵抗なく伝導していったが故に可能となった『無拍子』がそこに実現していた。

 振り返ったアキラは、よろめいたゾーイデルヒに向かって渾身の掌打を放とうとする。装甲に包まれた強靱な足で地を割り砕き、氷のように美しい運足で呪力と運動エネルギーを練り上げると、そのまま左右の掌を同時に前方へと打ちだそうとした、その瞬間。


「お、おおおおおおっ!」


 それは、グレンデルヒのものだったのか、あるいはゾーイのものだったのか。

 追い詰められた戦士が見せた、起死回生の必殺技。

 蹴り技を得意とする力士の屈強な足が跳ね上がる。

 弧を描き、美しく魅せるように、派手に演出して世界を湧かせる。それが戦いをエンターテインメントとして提供する者の役目だからだ。

 巨体が軽々と重力に抗い、後方に宙返りをする。

 跳ね上げられた足での真下から真上への蹴り。

 その技の名は、『サマーソルトキック』。


 天へと伸ばされた足は狙い違わずシナモリアキラの顎を打撃し、そのままの勢いでトバルカインの首から上を砕いて吹き飛ばした。

 装甲に包まれた頭部が、宙を舞う。

 頭部を粉砕され、首から上を失ったシナモリアキラは、ここに絶命した。

 さいごの戦いを制した者による勝利の雄叫びが、第五階層に響き渡る。



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