4-82 星見の塔の大比武⑪ 解説




 倉庫街の上を飛び交う二つの影があった。トリシューラとケイト、アンドロイドとサイボーグの激闘が続く。重厚な機械鎧は共に艶のない黒金。片方はゼオーティア最高峰の杖呪術の結晶、もう片方は民間に払い下げられた中古品とはいえ正規の軍用機。質量弾は疾うに尽き果て、互いに呪力エネルギーによって供給される杖の呪術で攻防を繰り広げていた。


 金色に輝く転経器マニコル型弾倉が反時計回りに回転し、円筒型の側面に刻まれた真言マントラが異界の呪力を込めた仮想呪弾を銃身に送り込む。トリシューラが纏う強化外骨格きぐるみが駆動音を響かせて長大な質量を持ち上げ、固定する。三叉槍にも似た長い杖銃が六字大明呪を宿して暗く輝いた。


「死ね、死ね、私の邪魔をする奴も私からアキラくんを奪おうとする奴も、とりあえず嫌いだからみんな死んじゃえっ」


 高慢と嫉妬と欲望と偏見と独占欲と憤怒。六字六道の呪力が浄化されずに三叉の穂先で雷に変換され、輝きは漆黒に堕ちて暗色の稲妻へと変貌する。

 その時、呪術世界の秩序を乱す投射武器を否定すべく運命竜クルエクローキの干渉が迫り来る。だが、魔女はそれを一蹴した。


「これは私。私という存在の一部」


 三叉槍のごとき杖銃、その銘は【トリシューラ】。銃士でもある魔女の肉体の一部であり、彼女そのものでもあるちびシューラを宿した知性化兵装スマートウェポン。これは身体性を拡張した、交換可能な手足なのだ。ゆえに使用を咎められる謂われは無い、とその存在そのもので秩序からの干渉を拒絶。機械である彼女が自ら作り上げた機械は全て彼女の新陳代謝にして生命活動である。


 無明の雷が大気を焼きながら奔る。狙うは黒い機体の戦闘サイボーグ。計都星ケートゥのコードネームを持つインド人が駆る【ドラゴンテイル】が片腕を前に出し、掌から抗磁圧障壁を展開して防御するが、圧倒的火力に圧し負けて片腕を爆散させた。瞬時の判断で片腕を切り離したケイトが牽制の呪文を放ちながら後退していく。


「君、本当にAIかい? ちょっと我欲が強すぎない?」


「それがチャームポイント!」


 少女が無明ノーレイたる所以、根本的な在り方に疑義を抱かれるが、それをトリシューラは一言ではねのけてみせた。開き直りとも言う。

 ――開き直り。そう、トリシューラも、そしてその半身たるコルセスカも、同じように使い魔のシナモリアキラも。

 誰も彼もが俗悪に居直って正論を否定する。

 己の罪深さを肯定し、迷惑も顧みずに我欲を押し通す。

 そこに正義は無い。ただ幼いだけの無軌道さは、いつかその身を滅ぼすかもしれない。だがそれは今ではない。今はまだ、この不安定な道を突き進むのだと、三人は決めている。


 トリシューラは倉庫街の屋根を足場に跳躍を繰り返してケイトとの攻防を繰り広げる。跳躍途中での攻撃を腰部の噴射孔から推進剤をばらまいて回避。倉庫の屋根を呪砲から放つ無明雷でぶち抜いて足場を破壊し、相手の行動を誘導する。互いに先の展開を予測しながらの戦い。電子兵装がグラマー/アストラル界へとデフォルメアバターを投射して、二頭身のちびシューラとちびケイトが壮絶な殴り合いを行う。両者の実力は拮抗していた。短い手足がばたばたと振り回される。


(えいえい! 元人間だからって調子に乗るなよこのやろう!)


(うるさい! そっちこそ何が発剄用意NOKOTTAだ! 行司の仕事を奪いやがって! ああくそ、なんでこんな視覚的効果が攻撃に影響するんだっ)


(ばーかばーか! そっちだって何だよ、あれ相撲っていうかほぼプロレスもどきっていうかどっちでもない何かじゃん! 自然言語プログラムを食らえー!)


(い、言ってはならないことを! 君は現代SUMOの闇を知らないからそんなことを言えるんだ! このなんちゃって八極ジークンドーめ! ファイアーウォールを、あれ? 何この燃える火の壁みたいなビジュアル?)


(失礼な! アキラくんに代わって粛正してやるー! アキラくんから奪った世界間回線で転生後生活サポートセンターに迷惑メール爆撃してやる! ゾーイ&ケイト名義でね! ざまあ!!)


(やり口が卑怯だぞ! っていうかアルバイトの人が可哀想だろ!)


 ぎゅうぎゅうとお互いの髪や頬を引っ張り合いながら、激しい呪文と格闘の攻防が続いていく。



 第五階層の戦いは佳境に入っていた。

 荒ぶるリニアモーターカーの突進をビーグル犬のような頭部を持った虹犬種ヴァルレメス、グラッフィア・カーネが受け流し、複数の過去シューラたちが強化外骨格を身に纏いドリルや鉄球などを振り回す無人機と交戦する。


 中でも、倉庫街の外れに生まれた巨大な更地では、極めつけに激しい死闘が繰り広げられている。

 衝撃が走り、階層全体が振動する。閃光は大地を焼き、焦げ付いた臭いが辺りに立ちこめた。『彼女』が駆け抜けた後には、重い列車が駆け抜けたかのような二条の痕が真っ直ぐに引かれていた。


 シナモリアキラが力士の突進を回避できたのは、憑依したコルセスカの神業的な反応と、彼が身に纏う強化外骨格トバルカインの運動性能のお陰だった。

 相手の戦術はここにきて転移ではなく単純な突進。加速による破壊力の増大を狙ったものであり、直撃すれば強固な装甲ごと一撃で粉砕されるだろう。


 トバルカインのバイザーの内側で視界と焦点が調整され、力士の脚部が拡大される。硬化した生体装甲に力士特有の大質量、カブキスタイルのフェイスペイントに加えて噴射推進力を発生させる機巧廻し、背中と肩から伸びた排気排熱管という姿は変わらないが、その両足がこれまでとは大きく変貌していた。


 鋭角の五指は獣のように鋭く、かぎ爪が大地に食い込んで重量を効率よく伝達する。下腿から膝、大腿部から腰までは巨大な装甲板に挟まれており、鍛え上げられた筋肉と追加された人工筋肉の両方を保護していた。足の太さが増したにも関わらず可動域は広く、振り返ったゾーイは腰を低くして足を持ち上げようと重心を移動させる。四股踏みによる大地の破壊が目的かと跳躍の準備をするアキラだったが、力士の狙いは他にあった。


 コルセスカの指が幻のゲームパッド上を動き、トバルカインがそれに応えて神速の横移動を行う。それでもなお回避が間に合ったのは僥倖に過ぎない。

 蹴り。ゾーイが振り抜いた巨大な足は音を置き去りにして大気を断裂させ、衝撃波を放つ。生体強化された達人の蹴りは距離を越えて、その威力を遙か遠くまで伝えるという。力士の脚撃はまさにそれだった。


 ゾーイ本来の戦闘スタイルは蹴り技主体。いわゆる蹴手繰りではなく、重い打撃としての中段蹴り、上段蹴り、跳び蹴りなどを含んだ大技だ。

 迅速にして長いリーチを誇る高威力の蹴りで相手を追い詰め、懐に飛び込んで勝負を決めようとした相手を投げ倒すのが彼女が得意とする戦法である。蹴り技を持ち味とする力士にとっての定石と言って良い。

 日本国外での評価は芳しくないものの、蹴りは相撲では頻繁に用いられる伝統的な技術である。相撲の祖と伝えられる当麻蹴速たいまのけはやも蹴り技の名手であったがためにその名を付けられたとされている。蹴りは相撲の華だ。日本書紀にもそう書かれている。


「そうだ、私はこの蹴りで世界を制覇したかったんだ!」


 ゾーイは力強く、喉の奥から絞り出すように叫んだ。後悔を振り切るように、心の奥底から湧き上がる欲求を解放するように。

 そう、相撲において蹴り技や女性力士の存在は別段禁忌ではない。一部で執拗に『新しい伝統』を維持したがる保守派が否定するのみで、女性力士の存在も正しい相撲の伝統に則ったものだ。廻しを締めた女官に相撲をとらせたという逸話も残っているくらいだ。日本書紀にもそう書かれている。


 衝撃波を撒き散らす脚撃が周囲にかろうじて残っていた倉庫の残骸を全て吹き飛ばし、更地になった大地を更に砕いていった。

 駆動音を立てながら疾走するトバルカインの機体を衝撃が掠め、右腕の凍結発勁が飛び交う瓦礫を受け止める。


「戦うのは楽しいなあ、お前もだろう、シナモリアキラ!」


 轟音を置き去りにして突進する力士。アキラは突き出された腕を回避、身を低くした状態から両手を左右に開くようにして掌打を放つ。体軸から伝達された運動エネルギーが呪力と絡み合い、打開の双方向から螺旋の衝撃を放射する。呪的発勁。グレンデルヒの抵抗により呪力が鬩ぎ合うが、一瞬の拮抗の後、破裂音が響く。


「ぬ、これはっ」


 ゾーイの口を借りた動揺の声。当然だろう、信じがたいことが起きていた。

 巨大質量が、圧倒的に劣る体格のアキラの一撃でよろめいたのだ。それも、上級言語魔術師であるグレンデルヒの防御を突破した上で。これは強化外骨格によって膂力が増していることもあるが、それ以上にトバルカインが有する機能のなせるところが大きい。


 錬鉄者トバルカイン。『彼』はトリシューラと同じく杖に属する存在である。火によって金属を鍛えるという人の営為は、呪術的には男神と女神の結合を意味している。文明の火は男性性を、金属すなわち大地は女性性を象徴するからだ。人間の知的営みを拡張敷衍するという呪術の基本原理に忠実に、トバルカインは鉄を鍛えるという能力を有する。


 物理的にはアキラが纏う強化外骨格の装甲強度が増すという結果が顕れるが、呪術的には男性性が女性性を高めるという因果が生じる。普段アキラの内部では二人の魔女が陰陽の呪力を調和、流動させているが、トバルカインを纏った時のみ、陰の気を基軸に陽の気がそれを補助、増幅するという状態となる。


「はっ」


 態勢を立て直した力士が地響きと共に手掌を繰り出す。これまでは取れなかった選択肢として、アキラはトバルカインと共に右手を突き出した。巨大な掌に果敢に挑む小さな氷の掌が輝く呪力を解放。熱という外力が螺旋を描くように凍てつく内力の周囲を取り巻いていく。強化外骨格の肩、背筋、腰、そして踵の部分が鋭角に展開し、猛火を噴射して打撃を後押し。衝撃が力士の打撃と正面からぶつかり合い、大地を踏み割る勢いのまま一気に押し切った。巨大質量がたたらを踏んで、追撃を避ける為に転移で大きく距離をとる。


 コルセスカの力を借りた呪的発勁の強化。それが『彼』の力の真骨頂だ。 

 芯となる内側ではコルセスカの陰気が、トバルカインが覆う外側では陽気がそれを強化する。冬の魔女が憑依している今のアキラにとって、トバルカインはこの上無く『噛み合った』武装なのであった。


 猛然たる突進を回避し、一瞬の隙を狙って背後から廻しをとりにいく。陰気を利用した柔法もまたトバルカインのお陰で選択肢に入ることになっていた。膂力を生かした豪快な投げを狙うが、流石の力士、しつこい粘り腰で微動だにせずに踏みとどまる。分厚い足裏が第五階層の床を踏み割って、逆に廻しを取りに来るゾーイ。危険を察知して飛び退ると超音速の蹴りが跳んでくる。両手を交差して右腕の能力を全力で発動。減速してもなお凄まじい威力を誇る蹴りがトバルカインを吹き飛ばしていく。


 力士は以前と変わらずに隙が無い。むしろ蹴り技が加わって更に手強くなったと言って良い。にもかかわらず、アキラとコルセスカには『戦えている』という実感があった。トバルカインという新たな力は、歩く兵器と渡り合うだけの土台を用意してくれたのだ。


「もっとだ! もっとお前の力を見せてみろ!」


 豪快に笑うようにゾーイが叫ぶ。地を割り風を裂いて空間すらも超越し、打撃と投げの両面から攻め立てる力士の表情はこの上無く活き活きとしていた。躍動する巨体が必殺の蹴りを放ち、トバルカインが増幅した全力の凍結発勁がその威力を減衰させて柔法で受け流し、アキラは返し技で体重を乗せた肘の一撃を叩き込む。一進一退の攻防。狼型のフルフェイスヘルメットの中で、アキラの表情もまた自然と笑みを形作っていた。


 そうだ、笑うしかない。この瞬間だけは、互いの背景や事情、善悪正誤を超えてただ単純な暴力を比べ合える。一瞬先を読み合い、ゾーイが力士として、コルセスカがゲームのプレイヤーとしてその技術の限りを尽くし合う。布石として必殺の攻撃が飛び交う戦場は、殺伐とした死に彩られながらも殺意を許し合うような空気で満たされていた。


「はっきよい!」


「発勁用意!」


 持てる全ての暴力を、意思と技術を乗せてぶつけ合うこと。

 そのルールを許容し合った瞬間、それは殺し合いである以前に競い合いへと変化する。武を比べ合うことは楽しく、誰が強いのかという情報は人の興味を惹き付ける。交錯する野蛮と野蛮、大気を灼く熱量がぶつかり合う。

 双方の心は昂ぶり、戦いは激しさを増していく。

 だが、そんな状況を快く思わない者がいた。


「――茶番だな」


 グレンデルヒの声が響き、同時にゾーイが顔を歪めて膝をつく。苦痛の声を漏らしながら何かを口にしようとするが、それは断ち切られてしまう。彼女の頭部を呪文の文字列が取り巻いており、グレンデルヒが力士の思考に干渉しているのだとわかった。仲間割れ、というのとは少し様子が異なる。


「最強を決める戦い、大いに結構。だが、その場にこの私が不在なのが気に食わん。これでは私は端役ではないか? 常に中心に立ってこその英雄というもの。このまま表舞台を奪われたままではいられんよ。そしてもう一つ」


 力士が立ち上がると、その顔を雑に上書きするように蓬髪の壮年男性の顔が貼り付けられる。醜悪なテクスチャ呪術。グレンデルヒの顔をした力士が高みからアキラを見下ろして、蔑みの言葉を吐き捨てた。


「たかが女風情が、男の戦場にしゃしゃり出るな。外世界人の女力士め、少しばかり重用してやっただけで調子に乗りおって。そして貴様もだ、冬の魔女。惰弱な引きこもりが英雄を気取るなどおこがましいにも程がある。家の中でおままごとでもしているがいい」


 ゾーイデルヒが告げると同時、その口から呪文が迸る。それは洪水で氾濫した川のように周囲一体を荒れ狂い、第五階層全域へと浸透していった。アキラの傍でちびシューラが叫ぶ。


(しまった、オルゴーの滅びの呪文! 戦闘をゾーイに任せている間に、グレンデルヒが裏で詠唱チャージしていたんだ!)


 詠唱状態を維持していた時間ターンに比例してその威力を増大させる極大呪文が炸裂。呪文の群れは天高く昇っていくと、無数の頭部を持った蛇となって急降下を始める。そして、トリシューラたちガロアンディアン側の勢力へと一斉に攻撃を仕掛けた。


 呪文竜の大顎が次々とこちら側の主戦力を襲っていく。様々な年代の小さなトリシューラたちが撃墜されていき、銃士カルカブリーナが両手両足を引き裂かれ、ブルドッグのレスラーカニャッツォが首から上を持って行かれ、妖精使いファルファレロを突き飛ばしたマラコーダが肉体を腹から上下に引き裂かれ、辛うじて逃れたファルファレロも残っていたイアテムが振るった水流の刃で首をはね飛ばされる。レオに治療されていたチリアットは雄叫びを上げながら右腕のダエモデク細胞を活性化させて少年を掴み、同じように介抱されていたカーインを抱え上げると二人纏めて遠くへと放り投げた。その背中へ大蛇が迫り、大きく開かれた口が閉じられて牙猪の姿が見えなくなる。


(まだです、残機ライフがあれば復活リトライできる。それが私の世界法則なのですから!)


 アキラの脳内に響くコルセスカの声。アストラル界に響いた言葉を幻聴したのか、ゾーイデルヒがせせら笑った。


「ならば、貴様は私をどうやって倒すつもりだった? 捕縛、存在そのものへの干渉、権威の失墜――大方そんな所であろう。ならばこちらも同じ手段で攻めるまでだ」


 オルガンローデに襲われた者たちは誰一人として死んでいない。多種多様な呪文を織り込んだ仮想の大蛇は、標的の四肢や頭部を引き裂きながらも、同時に対象の生命活動を維持し続けるという機能を有していた。そうして瀕死の肉体を束縛し続けることで死亡後の復活を阻止しているのだった。


「この無様な姿をアストラルネットに晒し続ければ、そちらの権威は地に堕ちていくというわけだ。勝利している者は強く、情けなく見える者は弱い。それが世の理というものだ――わかるだろう、冬の魔女」


 ゾーイデルヒの戦い方が変化して行く。これはもはや肉体言語を用いた暴力による競い合いではない。罵倒、嘲弄、否定することで相手の権威を失墜させようとする煽り合いネットバトル、すなわち言語魔術師同士の戦いなのだ。ゾーイデルヒはコルセスカの浄界どひょうでの尋常な競い合いに待ったをかけ、自分本来の戦い方に切り替えたのだ。


「軟弱な世界観を無防備に晒している貴様は『恥ずかしい』のだよ。弱さを誇るな、みすぼらしさを開き直るな」


「『ゲームなどの趣味は全く恥ずかしいものではありません。それに、貴方もまたゲームをする側の人間でしょう』とコルセスカは言っている。俺もそう思うし、何よりこの世界は弱くもみすぼらしくも無い。お前の根拠の無い偏見と主観を一般化するな、煽りの質が低いんだよ」


「馬鹿め。貴様が自信満々に開陳している世界観は所詮、アマチュアレベルの代物だ。厳しい競争社会に出れば誰にも相手にされない。いいかね? 一流のゲームクリエイターでありプロゲーマーでもある私の目から見て、この世界は論外だといわざるを得ない。貴様は遊戯の上っ面だけを見て喚いているだけの程度の低い消費者だ。本当のゲーム性、競技に真剣に向き合うという意味がわかっていない。まこと、女というのはあらゆる面において害悪だな。物事の『深さ』を理解できない低脳が増えたせいで業界に底の浅い駄作が蔓延るのだ。たとえば、最近の――」


 ゾーイデルヒが具体的な作品名を幾つか挙げた瞬間だった。

 その辺り一帯の気温が急激に低下していく。


(アキラ、ごめんなさい。私はもう耐えられません。世界がどうなってもいい、あいつだけは殺さないと――氷血呪を完全解放します)


 コルセスカが平坦な声でそんなことを呟いたので、慌てたアキラは、


「やめろやめろやめろ世界が滅んだら新作のゲームとかその他色々な娯楽が楽しめなくなるぞ! ほら、全部終わったら一緒にやろう?! な?!」


 と返す。恐らく本気だったコルセスカはその言葉で我に帰った。だが、ここが相手の弱点だと見て取ったゾーイデルヒは調子付いて更に言葉を重ねていく。


「全く、ぬるい消費豚どもに媚びた軟派な作品の浅さは見るに堪えないな。最近の低俗なコンテンツはこのような目障りなもの、後に残らぬ泡沫のようなクズばかりだ。それもこれも、貴様のような声の大きい腐女子が我々『男の世界』にずかずかと土足で入り込んできたせいだな」


(わっ、私は腐女子ってわけじゃ――いや、たとえそうだったとして、何でそのことで責められなければいけないんですか! あと間口を広く作ることの何が悪いんです!  そっちが気に入らないから排除したいだけでしょうっていうか殺、ころろろ――)


「落ち着けコルセスカ、怒りのあまり思考が滅茶苦茶になってる。っていうか婦女子じゃないってどういう意味だ? えっと、日本語だよな?」


 不毛な罵り合いが続く。それは一つの『権威』に基づいた特定の属性への攻撃だった。それは陰と陽で表現される性質。すなわち、男性性による女性性への抑圧である。支配関係の確立――それは使い魔の系統に属する呪術だ。


 遙かなる上空での戦いもまた、それと似た様相を呈していた。

 真の力を発揮した死人の森の女王ルウテトは次々と機械天使を撃墜し、紀械神を纏ったグレンデルヒを追い詰めつつあった。そこでグレンデルヒは攻め方を変える。地母神の絶大な力を削ぎ落としにかかったのだ。


「『お前の出産はらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め、彼はお前を支配する』――」


 突如として唱えられた異界の呪文。日本語という異界言語によって詠唱された響きが第五階層へと浸透し、真正面からそれを受けたルウテトの顔が苦痛に歪み、膝をつく。足場となっている七頭十角の巨獣が悲痛な叫び声を上げた。短い詠唱ながら込められた呪力は絶大。その呪文の出典が異界において極めて強大な呪術基盤に属するものだということは明らかだった。グレンデルヒが哄笑する。



「異界において最高善とされる聖典、創世記においてすら、女の運命はこのように述べられている。そしてこれは自業自得の結果なのだよ。まさしく女の愚かさへの罰というわけだ。この三千世界、どの宇宙を見渡しても男女の支配、被支配の関係とは究極の摂理。大方あの外世界人たちも深層意識ではこのような規範を内面化しているだろうさ」


「そんなことありません!」


 強く否定するルウテトだが、その表情が曇る。

 グレンデルヒは言葉を続けていく。


「無いわけが無いだろう? 男に男根よくぼう)が存在する限り、それは消えない。そのように生まれついたのだ、自然に振る舞うのが『正しさ』というものだよ。そら」


 グレンデルヒが言い終わらない内に、機械天使の一体が飛来する。銀色の機体は美しい光沢を放ち、流線型の全身は鋭い刃のようだ。優美な光の翼を広げ、手刀の形にした手指から輝く刃を生やして迫り来るのは第七の天使クレーグレン。


「バーブバブバブ! バーブバブバブ!」


 内側に搭乗している人物の顔は見えないものの、明らかに声変わりした男性が赤ん坊のように喚きながら突撃してくるという状況に、ルウテトは一歩も退かずに剣を構えて迎え撃った。閃光を放つ刃と刃が二度、三度とぶつかり合い、飛翔する巨獣を駆るルウテトの周囲を銀の天使が飛び回る。


「赤ん坊は母親を欲しているぞ。子供の世話が貴様らの自然な役割であろうが。お前たちは余計な事など考えず、ただ与えられた役目をこなしていればいいのだ。それが自然なことなのだからな。そうすれば我々男はお前たちを養ってやろうではないか。これで万事丸く収まるというもの」


 第五階層の至る所でグレンデルヒが似たような論調で言葉を連ねていく。相手の排除を目指すのではなく、屈服と従属を強制する呪文。彼の言葉はガロアンディアンで多くの反感を呼んだが、それ以上に。

 小さく、徐々にではあるが、グレンデルヒは匿名というアストラルネット空間における賛同者を増やしつつあった。否、実際には顕在化していなかっただけで、そうした意見の持ち主はかなりの数が存在していたのだ。

 グレンデルヒの言動は、自分が支持されるという勝算があってのもの。でなければ、このような持論を展開する男が英雄として持て囃されるはずもない。


「どんなに取り繕おうと、男はみな本心では己の男根に素直で在りたいと願っている。メスを屈伏させ、征服し、蹂躙する。その欲望に従属したがっているのだよ」


 いろいろなグレンデルヒが、金錐神の中のグレンデルヒが、ゾーイデルヒが、一斉に同じ呪文を唱える。響き合う音が強固な呪力となって第五階層を震撼させていった。


「自然な衝動だろう? それを俗悪だと臆する風潮は愚かしい。いいや、勘違いした女どもがのさばっているからこそ、こうして不当に虐げられている本来尊敬されるべき男の本能を刺激してやるだけで呪文は力を持つのだよ」


 ルウテトが、コルセスカが唱えた反論の呪文を、グレンデルヒは「女は黙っていろ!」という怒声で強引に打ち消した。


「全く女というのはすぐにヒステリーを起こす。これでは議論にならん。やはり生物としての気質の違いは如何ともしがたいな。我々のような合理的な思考ができる男が適切な役割を割り振ってやらねばならん」


 次々と放たれる呪文の数々が吹き荒れる暴力となってルウテトやコルセスカの対抗呪文を無駄撃ちさせていく。雑な論理ものべつ幕無しに展開していれば対応が追いつかなくなり、一つ、二つと『通って』しまう。グレンデルヒは歪んだ笑みを浮かべ、今度は目の前の相手に聞こえるように声を小さく絞った。


「欲望を肯定し、男が知能、体力、精神の全てにおいて女よりも優れているという『科学的』事実を提示してやれば、奴らはいとも簡単にその言葉に群がる――縋り付くようにな。競争から落伍した無能な男、そして自分が優れていると思い込みたがっている男、狭い世界の中だけで完結している男ほどそうした承認を欲しがっている」


 グレンデルヒの言動は都合良く編集されてアストラルネットへ拡散していく。その瞳は、あらゆるものを見下ろし、侮蔑する色をしていた。

 地上でゾーイデルヒが指を立てると、その上に立体幻像が表示される。見れば、それは主にアストラルネット上で読まれるウェブマガジンだった。


「見ろ、男性総合誌『男の暴君』で連載中の私のコラムは常に好評だ。今週の『女子大生亡国論~労働と探究の場に巣くう癌細胞~』の反響を知りたいかね? 出産によって周囲に負担を強いる女の社会進出というのは歴史の汚点、最大の失敗と言っても過言では無い。そして、何の生産性もないジェンダー論や語学にばかりかまけて本来大学が果たすべき役割を果たせなくなっている――」


 更に続いていく典型的な言説。濫用された結果、意図された力を失った程度の低い呪文ではあるが、『英雄グレンデルヒが言っている』という重みと権威によってそれは呪力を宿していた。地上において絶大な人気を誇る彼への評価が高まっていく。曰く、『俺たちのグレンデルヒがまた言ってくれた』と。


「グレンデルヒ、ワイルドに世相を斬る。今週号のコラムはクロウサー家の愚挙に対する痛烈な批判なのだが、これが大反響でね。中高年の男に特にウケが良い」


 リーナ・ゾラ・クロウサーが馬鹿女子大生の筆頭として槍玉に挙げられていた。何やら過去の行状が暴き立てられて、そこから更に有ること無いことをでっちあげ、低俗なゴシップ誌も顔負けの推測のみで記事を完成させている。


「テロリストを私情で庇い立て、更に愛人として囲っているような尻と頭が特別に軽い空の民に、責任ある立場を任せて良いと果たして言えるだろうか? また彼女は過去に薬物関係の問題を」


「ふざけるな! 根も葉もないデタラメを言いやがって!」


 メールのやりとりだけではあるが、友人を愚弄されたアキラが怒りの声を上げる。コルセスカが引き受けたアキラの怒りを、憑依したコルセスカがアキラを通じて表現するという迂遠なプロセス。今のアキラは感情を己のものとして引き受けないまま素直に感情を表出できる。そんな激しさを、ゾーイデルヒは鼻で笑いながら相手にしない。


「と、このように。こうした低俗誌の購読層は安い自尊心を程よく慰撫してやれば簡単に熱狂するというわけだ。何しろ目立つ女を見下すのには自分に年齢が上であるという事実と男であるという属性があればそれだけで良い。楽なものだろう?」


 ゾーイデルヒの言葉通り、アストラルネット上にいる彼の信奉者たちはよくぞ言ってくれたとばかりにこぞって英雄の言葉を評価していた。世の中に不満を持っている層にとりわけ強く訴えかけるものがあるようで、かなり過激な主張が抑制されずに垂れ流されている状態だった。


「ことほどさように、男の心理は容易く支配可能だ。『支配欲』につけ込むことこそが使い魔の要諦」


 男性性、すなわち陽の気が際限なく高まり、天のグレンデルヒ、地のゾーイデルヒに流れ込んでいく。莫大な呪力を練り上げたゾーイデルヒが、幾筋もの呪文の帯を放った。コルセスカの防壁を突破してアキラをトバルカインごと捉えた呪文が、両手両足を束縛して空中に固定、磔にする。五指を広げた状態から、ゆっくりと手を握りしめていくゾーイデルヒが言った。


「女の個性というのはつまるところ男の影響によるものだ。他者に従属するためだけに存在しているお前たちを、この私の色に染め上げてやろう。さあ、貴様は私のものになれ冬の魔女。漫画やアニメやゲームなどといった女らしからぬ趣味は、男の影響に決まっている! 貴様は本当は私に憧れて英雄にまでなったのだろう? こうして屈服する日を待ち望んでいたのだろうが!」


 トバルカインを貫き、アキラを浸食し、コルセスカへと迫るゾーイデルヒの魔手。相手の意思すらねじ曲げて自分に都合の良い文脈に回収してしまう威圧的な呪文が毒蛇となって牙を剥く。その時、涼やかな声が響いた。


「貴方は悲しいひとです、グレンデルヒ」


 アキラの口が、操られるようにしてコルセスカの言葉を紡いでいた。重なり合うように女性の声が被せられる。幻聴だ。それは絶妙なカウンターだった。優勢な相手に対する哀れみを込めた語りかけ。これは相手の動揺を誘うと共に、逆転可能な切り札が存在する予感を抱かせる。疑念は実体を持ち、使い古された文脈の中で物語類型や演出上の必然として呪力を宿す。


「屈服せよ、言理の妖精語りて曰く!」


 構わずに呪文の強化を行うゾーイデルヒ。

 だがコルセスカは、無視されたことを無視した。


「何がですって? 他ならぬ貴方がそれを口にするということが、です」


 ゾーイデルヒが聞き返したという前提で会話を強引に続けるコルセスカの口調に淀みはない。あまりにも自然な台詞だったため、ゾーイデルヒが実際に「何が悲しいというのだ」と口にしたという事実が過去に遡って成立してしまう。


「だってそうでしょう? 他ならぬ貴方こそが、誰よりも外部からの影響を受けずにはいられない、他者の意思に従属せずにはいられない存在なのだから」


 冬の魔女は、呪文を打ち消そうとするゾーイデルヒの怒声を完全に無視した。


 アキラの口を借りることで、「女のヒステリー」というレッテルと「男に沈黙させられてしまうか弱い女性」という権力関係の呪術をすり抜けたのだ。

 そして、ついにコルセスカは致命的な言葉を告げる。

 

「グレンデルヒ=ライニンサル。トルクルトア機関が生み出した人工紀人プロジェクトの成功例にして、メガコーポがデザインや設定などを整えた作品。擬人化された英雄。つまり、あなたは」


「やめろ、言うなっ」


 どこかせっぱ詰まった声。その瞬間、二人の英雄は対等な土俵に立っていた。

 そう、コルセスカもグレンデルヒも、共に生物学的な意味での人間ではない。

 歴史上に存在したという名だたる賢者や英傑、それらのデータベースから抽出された『それらしい要素』の集積体。

 神話的な英雄のイメージ。その結節点。


「グレンデルヒなどと言う個人は存在しない。貴方は法人が作り出した、巨大複合企業体のイメージ・キャラクターです!」


 本質の看破によって、ゾーイデルヒが構築した呪文の拘束が粉砕された。


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