4-68 死人の森の断章3 コキュートス/ROUND3




 第三ラウンド。世界が変貌する。炎上する地獄のような背景。

 転移して現れた禿頭の女力士の表情が、これまでとは変わっていた。

 頭部に刻まれた溝が顔面にまで広がって、隈取りペイントのようになる。東洋系力士に多いカブキスタイル。羅刹の如き形相となって、出し抜けに四股を踏む。床を踏み砕く程の衝撃。こちらが六王の力を借りていたとはいえ、誇りあるYOKOZUNAが二敗したのだ。不退転の覚悟で向かってくることは必至。


「出力――六十パーセント」


 雷光が閃き、ゾーイの巨体が膨張する。

 分厚い脂肪はその組成を変質させ、硬化した鎧となって力士の全身を覆う。

 昆虫の外骨格を思わせるフォルムに、毒々しいペイントが施された異形の身体。機巧廻しが背後の噴射孔から噴流ジェットを放つ。


「発気よい!」


 叫びと共に突撃する力士を真正直に打撃で迎え撃つのは愚策だ。豪快な突っ張りに向かって、生身の左手が鋭く払われる。手を真っ直ぐに伸ばした刃を思わせる形――手刀。左腕に一時的に宿っているクレイの力が打撃を斬撃へと変化させる。いかに強靱な力士の手掌と言えど、刃を前にしては引き裂かれる他は無い。しかし、こちらの思惑はいとも容易く覆される。


 硬質な音が響き、金属同士が激突する手応えがゲームパッドを振動させる。

 ゾーイは攻撃手段をこちらに合わせてきていた。力士にとって基本となる手掌の型は直線的な突っ張りや広い領域を制圧する張り手だけではない。

 チョップもまた、スモーレスラーの基本技能である。


 ケイトによる呪文強化が施された手刀は、圧倒的な迫真性を伴ってこちらの剣と鍔迫り合いを演じていた。凄まじい圧力に、一気に押し込まれてしまう。

 どうにか受け流して横に逃れた所に追撃。大振りの薙ぎ払いが襲いかかる。リーチの長い腕から繰り出される斬撃は防ぐだけでこちらの手刀が刃毀れしそうなほどの威力を有していた。


 こちらの手刀が鋭い短剣ならば、あちらの手刀は無骨な大剣だ。

 叩き斬るようにして真上から振り下ろし、空間を制圧するように横に振り払う。縦横無尽に振るわれる斬撃をあと何度か受ければ、こちらの刃が先に砕けてしまうことだろう。演技ジェスチャーの上であるからこそ、お互いの手が刃であるという設定は現実よりも重みを持つ。私たちには、演劇空間において両者が短剣と大剣で切り結んでいる光景が見えていた。短剣が砕け散った時、アキラの腕も肉片となって飛散することだろう。

 刃を刃で受けるのは愚策だ。怒濤の手刀を見切ることに専心。ゲームパッドの上で指先が激しく踊った。


 私は幼少期から星見の塔に篭もって様々なゲームをプレイしてきた。従って、私にとっては家庭用ゲーム機こそが友であり、ゲーム画面の中へと意思を伝える手足の延長はゲームパッドだった。アーケードの筐体は都会に出てきてアルマにボコボコにされるまでは触ったこともなく、対戦相手はもっぱらトリシューラやネット上の顔も知らない誰かだけである。


 そんな私に、改造ゲームパッドを贈ってくれたのがトリシューラだった。人間工学に基づいた、より操作性の優れたゲームパッド。増設されたボタン、多機能を割り当てられるマクロキー。トリシューラにしてみれば、精一杯考えた末の贈り物だったのだが、私がそれを使用したのはトリシューラとの対戦の時だけだった。トリシューラは、贈り物を私が気に入ってくれなかったのだ、気を遣って二人の時にだけ使用してくれているのだと考えて、少し落ち込んでみせたりもしたのだが、実際にはそうではない。


 ある種のゲームというのは競技スポーツだ。

 つまり、対戦する両者の間で駆け引きがなされ、双方の技量が対等な条件で反映されていなくてはならない――少なくとも、それが理想である。

 ルール上の規定の有無に関わらず、改造されたゲームコントローラーを用いることについて、フェアネスの観点から問題視するケースが存在する。

 別にどっちでも変わらない、という意見も当然あるが、重要なのは私がどう思うかということだった。それに私はこの使い慣れた『コントローラー』が好きだったのだ。


 アキラのすぐ傍に浮かぶちびシューラが、少しだけしょげているのが見えた。

 別に貴方の贈り物が嫌いというわけではありませんよ。心の中でそう言って、私は手の中にあるゲームパッドから意識を逸らした。瞬間、新たな感触を得る。今から私は己に課した禁を破る。両手にぴったりと吸い付くような流線型のゲームパッド。カラーリングは私の好きな白と銀、そして青。レスポンスは良好、使用感も抜群。


 更に重ねて、ちびシューラとサイバーカラテ道場が敵力士の攻撃パターンの解析を終了。相手の体格、これまでの斬撃の軌道から、こちらが選択するべき最適な攻撃パターンを提示していく。的確な割り振りがされたマクロキーを叩いて力士の大振りな攻撃で生まれた隙を責め立てる。息も吐かせぬ連撃が、僅かだが重装甲を削っていった。


 更に続けてアキラの両目が光り輝く。瞳が十字の紋様を映し出し、カシュラム王オルヴァの役が一時的に降りてくる。

 託宣によって未来を予知する大予言者にして大賢者。大いなるノーグの血脈がちびシューラの予測精度を上昇させ、サイバーカラテ道場に最適化された改造ゲームパッドがアキラの動きを劇的に加速させていく。


 機関銃のように連続したチョップからの地獄突き。一撃で相手の肉体を破壊する力士の殺人技を、正確無比な見切りでことごとく回避して、カウンター気味に斬撃を繰り出していく。傷付いた外部装甲に向けて更に掌、肘を叩き込み、体勢を低くして脚部への牽制。相手の注意を逸らした直後、両手を上下に並べて肉体言語魔術を発動。今のアキラの両手は、指を牙に見立てた獣の顎。カシュラムに生息する猛獣、紫槍歯虎を模した必殺拳がオルヴァの力を借りて放たれる。


 本物さながらの演技は現実を改変する。アキラの腕が獣となって力士の生体装甲を食い破り、唸るような咆哮が衝撃波となって力士の体内に伝わっていく。

 甚大なダメージを負った巨体に、不可視の『何か』が次々と囓りつく。強靱な装甲の至る所が何か巨大な顎で食い千切られたような断面を見せているが、失われた肉がどこに消えたのかはわからない。


「おお、全ての者よ、呪われてあれ! 万物は全てブレイスヴァに食らい尽くされるであろう!」


 オルヴァの宣言と共に力士が消滅する。

 私は勝利のために手段を選ばない。使えるものは全て使い倒して勝利するまで。この思考が私のものなのか、それとも今や私と一心同体となったアキラのものなのかは既に判然としない。もしかすると、操っているのは俺で、俺を操るコルセスカこそがゲームの中で操作される対象なのかもしれない。


 俺の視界隅で、ちびシューラが得意げな表情をしている。

 私は上からそれを微笑ましく見守って、流石は私の妹です、と心の中で語りかけた。末妹選定に参加している身でこんな事を言うのはどうかと我ながら思うけれど、たとえ私が末妹になってもあの子は私の妹だと、そう思う。


(そんなことないよー、セスカの方が妹だよー) 


 照れながら言うちびシューラはまんざらでもなさそうだ。

 だがその直後、弛緩した空気が一気に緊迫する。

 オルヴァの瞳が強く輝き、未来が変化したことを教える。

 ちびシューラの索敵網には一切引っかかっていない。


 壮絶な悪寒と共に振り向く。背後から飛来する大質量。まさに現在進行形で再構成されつつあるそれは、紛れもない力士ゾーイ。廻しからのジェット噴射で迫り来る独特の型は、力士の華とも呼ばれる空中殺法だ。両手が動く。あの構えは諸手突き――いや、そうではない。私の中に存在する外世界アキラの知識がその技の正体を教えてくれていた。


 両手が交差して双剣の鋭さを宿す。

 その銘こそは、フライングクロスチョップ。

 回避は間に合わず、咄嗟の防御も力士の巨体の前には無意味に等しい。


 凄まじい衝撃に吹き飛ばされ、土俵の外へと押し出された。斬撃は幻影の胴体を切り裂き、アキラを構成する呪力が目に見えて減少してゼロになる。上昇し続ける床から落下していく途中、オルヴァの存在が消失して炎上する世界へと去っていく。本来の時間流で、カシュラムの王は断頭台にかけられて死んでいった。


 事前に流れを変えていたお陰でジャッフハリムが侵攻してくるという最悪の事態だけは回避できたようだが、ここでの敗北は六王の一人を取りこぼしたことに等しい。恐らくはグレンデルヒが何らかの『汚染』を行って自らの世界観に取り込んだはずだ。


「安心したまえ。心配しなくともヒュールサスを救うという流れに変化は起きないとも。ただし、現代に甦ったカシュラム王がどのように振る舞うかは保証できないがね」


 どこからともなく響くグレンデルヒの声。

 舌打ちしたい気分を堪えて、氷の足場を作って着地。そのまま力強く跳び上がった。あらゆる種族の中でも屈指の跳躍力。アキラに重なるようにして、太陰の王子ヴァージルが出現していた。

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