4-67 死人の森の断章2 コキュートス/ROUND2




 闇の彼方で、グレンデルヒがゲームの盤面に介入する気配が感じられた。

 初戦でのあちらの役、竜帝ガドカレク=クエスドレムは強大な敵だが、同じゲームという土俵に引き摺り込めばそれはシステムの枠内における強さに落とし込まれる。打ち破れない道理は無い。だがあちらにはまだ手札がある。


 転移能力によって土俵の上に再構成される力士。その脂肪が変質して、岩のような肌になっていく。役を変えて、ラウス=ベフォニスになったようだ。第二ラウンドが始まろうとしているのだ。


「危うい真似をするものだな冬の魔女。カーティスを引き込むということは、マロゾロンドを身の内に取り込むということでもある。あの暗黒神を御しきれる自信があるのかね?」


「当然です」


 挑発的に問うグレンデルヒには、やはり六王を完全に制御する術があるのだろう。現代に戻れば敵は目の前の相手だけではなくなる。現世に干渉しようとするマロゾロンドだけではなく、ラクルラールという怪物まで策謀を巡らせている。それでも、今はこの敵を打ち倒すことが先決だ。


 先程の勝利で手に入れた二つの魔導書を起動させる。

 【尊敬】の断章と【技能】の断章は確保した。これでこちらは七番目である【富】を除く全ての断章を確保したことになる。あとは六王を巡る戦いでグレンデルヒに勝利すればいい。


 【技能】の断章が藍色の輝きを放つ。開いた項から呪文が溢れ出し、その場に姿を現したのは眼鏡をかけた尊大な男。幻影のようなアキラの身体と重なり合うようにして土俵に降り立ったパーン・ガレニス・クロウサーがゾーイと真正面から向かい合う。


「ふん、カーティスは倒し損ねたか。まあ良い。結局の所、俺の敵はそこにいる無礼者のようだからな――見えているぞ、そこの女の後ろにいる男」


 藍色の瞳は、ゾーイの背後から盤面を見下ろすグレンデルヒを捉えていた。パーンは余りにも危険だが、いまこの瞬間だけは頼もしい私の操作キャラだ。いつしか周囲の闇は澄み渡った空に変化していた。白い雲が千切れて飛ぶ、そこはこの世のどこよりも高い頂の座。


「この俺が戦うに相応しい舞台だ。貴様を倒し、全てを手にするとしよう」


 断章から引き出された叡智と技術が、その右腕を新たに構築していく。アキラの【氷腕】は一時的に役者として後景に退き、失われていた【ガレニスの長い腕】が再び表舞台に現れた。ベフォニスとして巨人の幻肢を操るゾーイが土俵を踏みしめると同時に、浮遊するパーンが宙を蹴って空中から躍りかかった。


 鋼鉄の右腕が展開していく。四つの関節を有する機械義肢がパーンが操る波動を効率的に伝導、増幅させる。まともに受ければたとえ屈強な岩石肌であっても耐えることはできないだろう。更に、左の手掌からは波動エネルギーそのものが放出されていった。上空から繰り出される雨のような連射。間合いを詰めることすら赦さないパーンの攻撃が、力士の体力を削り取っていく。


 その時、力士の巨体がその場からかき消える。転移能力だ。攻撃後の隙を狙った、パーンの頭上への瞬間移動。足場の無い状況ではより高い位置にいる者、重量のある者が有利となる。パーンは一撃で真下へと叩き落とされてしまう。いかに彼が強大な力を持つといっても、種族的に脆弱な空の民が力士の一撃をまともに受けて無事でいられるはずもない。ヒーリングを行う間も無く頭上から落下してくる大質量。土俵を砕く勢い。咄嗟に転がって逃れるが、即座に立ち上がったゾーイが脚を持ち上げて踏みつぶそうとしてくる。狙いは頭部、喰らえば死。


 瞬時の判断で、パーンはその場に両手を突いて逆立ちをするように両足を跳ね上げた。勢い良く繰り出された蹴りを、力士は正確に見切って回避する。

 否、したつもりだった。だが、特殊な整骨法によって脚の関節を外したパーンの脚が伸張し、相手の目算を狂わせる。外れたはずの長い両足が弧を描いて曲がり、力士の顎に直撃。脳を揺らされた力士の動きが止まる。


 そして始まる、パーンによる一方的な蹂躙。伸びる四肢を用いての遠距離攻撃、波動エネルギーの放出、長い滞空時間を利用しての華麗な空中技の数々。箒が無い為、大地を蹴ることが出来ない彼は移動速度と打撃の威力という面で劣る。しかし彼はその短所を圧倒的な手数と波動で埋めていた。


 巨体を生かした近接戦闘を得手とする力士とは、基本的に相性が良い。

 アキラではなく役であるパーンの性能頼みのゴリ押しになってしまっているが、使えるものを使うのがアキラのサイバーカラテだ。存分にパーンの強力さを利用して勝利するまで。


「当然の結果だ」


 最後まで居丈高な態度を貫いて、高みから王者として全ての存在を見下ろすパーン。その視点が、俯瞰視点で土俵を見下ろしている私よりも高くなっていることに気付き、改めて認識する。どのような状況でも一番上じゃないと気が済まない性格が可愛い/危険だ。


 ――今、何か混線したが、『俺』の方は現状を正しく認識している。大丈夫だ。憑依状態のコルセスカに呆れたりもしていない。こういう奴である。

 私は牙が疼くのを感じた。もしかしてアキラ、拗ねてる? 拗ねてます? もしかしなくても怒っていたり? あ、どうしよう血が吸いたい。


 落ち着こう。ちょっとアキラの視点にのめり込むあまりに意識が接近し過ぎている。冷静になって、俯瞰視点で状況を把握する。アキラの目から背中へ、さらに頭上へ。段階的に距離を置いていく。浄界の神である私にとって、私とか俺とかアイとかいう人称はさして重要ではない。押さえておくべきは焦点と遠近法。呪文が時間を操作する呪術とするならば、邪視とは距離、つまり空間を統べる呪術。何を捨てて何を選ぶか。何に対して寄り添うのか。ただそれだけでいい。


 パーンの波動によって土俵そのものが破壊され、力士は落下していった。決着がついたことでパーンはその姿を消していく。自らのいるべき時空に帰還したのだろう。彼のいた時代を通り越していくと共に、舞台装置である床が自動的に再構築されていく。


 遙かな時間の彼方で、山賊王を倒して奴隷の少女を取り戻すという本来の流れが滞りなく進んでいくのが確認できた。これから彼は、仲間たちと共に己の人生を歩み、実は冥道の幼姫であった奴隷の少女に導かれて、死後復活する。協力者としては期待できるが、彼を御しきることができるかどうかは未知数――というかほぼ無理だろう。そこはその時に対処するしかない。思考を切り替える。

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