4-66 死人の森の断章1 コキュートス/ROUND1




 やるべきことはシンプルだ。私ことコルセスカと、俺ことシナモリアキラはその認識を共有する。グレンデルヒ=ゾーイをぶっ飛ばして、過去から未来へと駆け上がれ。押さえるべきは初戦と第五戦。勝利条件は六戦後に至ったヒュールサスで神を殺して未来への道を切り開くこと。そうして現代に辿り着いた先に、真の最終決戦が待っている。


 真っ暗な奈落の底から浮上する。表舞台までの距離は堆積する歴史の地層。途方もない時間の流れがそのまま私たちの道のりになる。舞台の下から緩やかに上昇していく足場が、私が操るアキラの土俵だ。再演の繰り返しの結果として私たちは時代を遡り、下降した果ての舞台下スキリシアでグレンデルヒ=ゾーイと対峙する。下へと続いてきた争いは、ここにきてその向きを逆転させた。私という邪視者の意思によって。


 状況を俯瞰で見つめる。このゲーム盤をより高い視点から見渡すことができるようになった私は、既にヴィヴィお姉様の浄界【世界劇場】の機能を限定的に掌握している。私が展開した浄界【コキュートス】の摂理が、【世界劇場】を覆うようにして取り囲んでいるのだ。打ち消しや侵食ではなく、上位世界として受け入れて許容する。それはあたかも、ゼオーティアが無数の内世界の存在を許容する、無数の視座に揺らぐ世界であるように。


 私の浄界は閉鎖された結界や位相の異なる空間を構築するような外宇宙アウタースペース型ではなく、体内や体表面で恒常的に起動させるような内宇宙インナースペース型でもない。

 【コキュートス】は森羅万象オムニバース型。個別の一元宇宙ユニバース、それらを内包する多元宇宙マルチバースといった全ての可能な宇宙を包み込む集合。概念的に規定された無限の終わりにして永劫の彼方。


 すなわち、【最果て】。


 その特性は、遍在すること。

 私の浄界は、とりわけ劇的で強い印象の見せ物、煌めくような美観、華やかな光景、目まぐるしいスペクタクルという属性と様態を有する。

 愉快な視座をこのゼオーティアに焼き付ける、永続する情景。


 決まった形を持たない為、わかりやすい効果は発揮されにくいが、【世界劇場】を破壊することなく影響を及ぼすことができるのはこのタイプの強みだ。おかげで、今の私は【世界劇場】の舞台装置全般を掌握することができている。舞台上の演出は、私の掌握領域だ。


 今ならわかる。ヴィヴィお姉様の意思が。彼女がこの浄界で何をしたかったのか、その真意が。だから私は、この浄界でなすべきことを全て為し遂げなくてはならない。私の意思に従って舞台機構が駆動、昇降装置がくり抜かれた床を上に迫り上げていく。巨大な歴史構造を落下し続けた私たちには、奈落の底から舞台の上まで辿り着くまでに乗り越えなくてはならない壁がいくつかある。絡み合った事象イベントを全て解決して、正しい道のりを辿っていかなければ私たちは無限の闇へと真っ逆さまに落ちていくだろう。


 因果を逆行し、過去から未来へと一直線に駆け上る。過去への旅はようやく終わりを迎えようとしていた。上昇し始めた『土俵』の上で、今まさにアキラとゾーイが激突しようとしていた。戦いの結果がこの舞台での趨勢を決する。それが今の私が展開する【コキュートス】の理だ。勝負ゲームの結果で状況は決定される。シンプルな帰結。


 初戦は暗闇の中。アキラが演じるのは、カーティスが内包する闇の眷族たちの中でただ一人、誘拐された少女に哀れみを抱いた存在。その名はリールエルブス。この始祖吸血鬼が有する無数の名前の中で、現代の同盟者リールエルバが名前を参照していると思しき者が選ばれたのは、恐らく偶然では無いだろう。ゆえに、この勝負は落とせない。この人物をこちらの影響下に置けなければ、最悪リールエルバが敵に回る。


 猛然と突きを放ち、相手が受けた瞬間に素早く身を寄せて肘を打ち込む。

 ――そのつもりで前進したものの、力士が放つ重圧に俺の足が、私の指が竦みそうになる。圧倒的に的が大きいにも関わらず、そして大きいが故に隙が無かった。質量とはそのまま力だ。高さはそのまま空間を支配する権利となる。当然のようにゾーイが先んじて攻撃する。私はアキラが肉体に刻み込まれた型を反射的になぞるよりも早く動作に割り込みをかけて攻撃をキャンセルし、防御と回避行動を同時に行わせた。ゲームパッドの九ボタンを叩く指先が、アキラに新たな命令を送り込む。


 重心を後ろに移すのと同時に手足に力を込め、片手で突っ張りを防御。圧倒的な力を受けるのではなく受け流して攻撃を躱しながら肘を放つ。足裏から伝達された運動エネルギーが力士の胴体に直撃。相手の勢いすら利用した渾身の一撃。だが体格で勝る相手をたじろがせるはずが、圧倒的な質量は小揺るぎもしない。もとより一打で終わらせるつもりは毛頭無い。立て続けの打撃で少しでも削り、その超越的なまでに堅固な鎧をはがしてみせる。トリシューラが銃撃を行ったときのようなやかましい音が響く。ボタンの連打は耳をつんざく音となってアキラの連撃動作と重なり合って力士を打ちすえた。


 ゾーイの眉がわずかに動く。肉体にはさしたるダメージを負っていないにも関わらず、その動きが鈍っている。その原因は、アキラの打撃が単純な物理攻撃ではないことにある。私が与えた氷の右腕と、ちびシューラが宿っている左腕。二つの掌から呪術的攻撃を相手の体内に浸透させているのだ。呪的発勁。ウィルスとして侵入した呪文の群れを、ゾーイの傍らに浮かぶ小さな男性が防壁を展開して防ごうとする。ケイトは外世界人にも関わらずこの世界に適応している。呪術を杖的に再解釈することで一級の言語魔術師に匹敵するだけの力量を持つに至っているのだ。二人がかりの呪的侵入を難なく防ぐケイトが不敵に笑う。しかし。


瘴気ミアズマよ」


 私が操るアキラが――そしてアキラが演じているカーティス=リールエルブスが静かに呟くと、私たちの呪術が変質していく。ウィルスが、『何かよく分からないもの』となり、原因と結果を結ぶ過程プロセスが曖昧な闇の中に消失。その現象は、事象を細かく分節していく杖の正反対であり、物事が変遷していく流れを詳らかに語っていく呪文の異なる側面であり、結論ありきでそこから世界を逆算する邪視に少しだけ似ていた。


 それは因果関係の不確定性に呪力を見出す古代呪術。

 スキリシアの原始的世界観が具現していく。

 この暗黒の中では自他、主客の区別すら失われてしまう。使い魔を統べる吸血鬼の王は、ありとあらゆる事象が「なぜそうなるのか」「どうやってそうなるのか」という説明を、不定形にゆらぐ原初の泥から掬い上げる。

 原因と結果の関係性は古代においては神秘に包まれており、杖の叡智が及ばぬその闇の中には現代とは比べものにならないほどの呪力が宿っていた。


 ケイトの構築した高度な杖的なセキュリティが次々と突破されていく。

 正体不明の「悪い気配」を解析しようとする試みは失敗した。ここは未だ奈落の底だ。杖の光で迷信を切り裂くには闇が深すぎる。ケイトの防壁が完全に破壊され、それと同時にゾーイの物理的実体からも鉄壁の防御が失われる。


 最大の好機を逃すことなく腰を低く落とした。体軸を中心に左右に両腕を開くようにして掌打を放つ。打開からの呪的発勁は力士に致命的な変化をもたらした。【氷腕】による有効打を重ねていくと、攻撃対象は凍結と呼ばれる状態に陥る。呪術防壁が失われたゾーイの肉体が完全に停止したことにより生じた隙。すかさず全体重を乗せたぶちかましを放つ。それは腕を経由しない打撃。足裏から伝わるエネルギーを最もロスの無い形で伝えるにはどうすれば良いか。体を使うのが合理的だということは、誰にでも確かめられる直感的な事実である。


 本来は転倒するところだが、力士の巨体は一瞬怯むのみ。長所となる重さが、この凍結状態では命取りだった。仰け反ったまま硬直した無防備な肉体に、横殴りの雨のように降り注ぐ打撃の嵐。乱舞する掌打が力士を土俵際まで追い詰め、遂には外へと弾き飛ばす。闇の中へ真っ逆さまに墜落していくゾーイを見て、私たちはまず一勝したという手応えを得た。

 

「私はこの曖昧な闇の中で、私だけの意思を示せたのだろうか。どうか教えておくれ、かわいそうな姫」


 短い独白と共に、カーティス=リールエルブスという役が薄くなって消えていく。視野を拡大する。盤面の片隅で、気紛れによって改心した吸血鬼と、それを赦す冥道の幼姫という光景が映った。未来の女王に傅く吸血鬼王を見て、もう大丈夫だという確信を得る。私たちは更に浮上していく。

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