4-62 死人の森の断章1 集い




 どこかのいつか。

 暗闇の世界に人工的な光が投射される。

 光が生まれれば影が生じ、それには命が吹き込まれていく。

 仕草の呪文が唱えられると、影には魂が宿るのだ。


 手指で動物を作り、壁や煙などに映す手影絵。

 影人形を用いた芝居。

 幻灯劇ファンタズマゴリアは、光差す世界から持ち込まれた杖の技術とスキリシアの文化が交錯した結果として生まれた呪術のひとつ。


 観劇を愉しみながら、鼠のステーキを黒々とした得体の知れないソースと共に口に運ぶ男がいる。

 朱一色の異様な目を持った男は、誰もいない部屋でひとりごちた。


「再演による過去の改竄か――なるほど、相変わらずキュトスの裔どもは悪さばかりをする。自ら安定した秩序を築いたかと思えばそれを壊し、生まれた混沌をかき混ぜるか。その在り方は好ましくも憎らしい」


 瞬く光が男を照らし、壁面に影を投射する。

 平凡な霊長類型の影は、しかし次第に蠢き、姿を変えていく。


「クルエクローキに任せても良いが、これが正しき運命の流れに沿う『歪み』だとすれば、迂闊に邪魔しても秩序を乱すだけとなろう。さてどうしたものか」


 影は色を変え、厚みを変え、形状を多様に変幻させていく。

 それは様々な場面を映しているようだった。髪の長い男と太った男の物語、二体の大蜥蜴の物語、兎と犬の物語、破綻した終端の無い物語、物語の態を為さぬ傲岸不遜な男の道行き、そして――。


「――夜闇を統べる貴種が、攫ってきた花嫁の助けを得て同盟者たる『東の王』を打ち倒し、心を入れ替えて良き夫となる物語。なるほど、そうして未来における神殺しを為し遂げようという腹か、未来転生者」


 男は喉を鳴らして笑った。

 朱色の瞳はこの世ならざる光景を見ているのか、ここではない何処かへと思いを巡らせて肩を揺らしている。その手が黒い本の表紙をゆっくりと撫でた。


「不遜なことだ。これは少々、懲らしめてやる必要がありそうだ。お前もそう思うであろう? なあ、クエスドレムよ」


 壁面で蠢く男の影が、その瞬間大きく広がった。

 怪物のように壁一面を覆い尽くす漆黒は、長くのたうつ蛇のような身体と、かぎ爪を有する巨大な手足を兼ね備えた、異形の影であった。


 


 かつかつと、薄暗い柱廊に響く二つの足音。

 スキリシアによく見られる黒や青を基調とした彩色を、巨大な海草のようにうねる柱に取り付けられた呪石照明が照らしていく。歩いていくのは二人の女性。その姿は瓜二つだった。円筒状のスカートが翻り、群青色の髪は同じ軌跡を描いて踊る。複製された夜の民を思わせるほど似通った美貌に揃いの衣装だが、霊長類系の容貌に映し出された表情だけが違っていた。やや前を行く方は生真面目さが強く表情に表れており、唇は固く引き結ばれ視線は揺るぎなく前を向いている。その後ろを控え目についていく方は優しげな表情で、人当たりの良さそうな笑顔を浮かべている。まるでそこを定位置と決めているかのように、前を行く女性の左斜め後ろにくっついていて、その光景がごく自然に嵌っていた。


 月光を蓄えた透石膏セレナイトは柔らかな波動バイブレーションを放つことで近くを通る者の心を穏やかに保つ効果がある。心地の良い呪力を浴びて、歩いていく二人のうち、後ろを歩く女性が言った。


「この世界はいつ来ても落ち着きます。ねえお姉様。わたくし、いつかスキリシアに転生してみたいです。青い鳥ペリュトンになって夜月の下を飛ぶのとか、とっても楽しそうじゃないですか?」


 浮かれ気味の弾んだ声。足音が止む。前を行く影が唐突に足を止め、振り返ったのだ。後ろからかけられた言葉に、前を歩く影は短く答えた。


「来世の事などを考えるのはおやめなさいフィレクティ。それは転生者として許されない怠惰さです。今この瞬間を懸命に生きることだけが、この身に抱えた宿業に飲み込まれないための唯一の手段。『次がある』などという考えに縋ったが最後、わたくしたちは決定的な瞬間で敗北を喫するでしょう。あの時のように」


 強い戒めの言葉に、背後の影は悄然と項垂れた。

 気落ちした声で謝罪する。


「ごめんなさい、セレクティお姉様」


「いいえ。少し強く言い過ぎました。さあ、行きましょう? この転生体となってから集まりに参加するのは初めてですからね。遅れてはいけません」


 姉は妹の頭を撫でて言うと、再び歩き出した。

 子供のように甘やかされた妹は、頬を紅潮させて両手を頭の上に載せた。しばらく感触を確かめるように、反芻するように目を瞑っていたが、姉に呼ばれたことで慌てたように駆け足で姉に追いつく。場所は定位置の左後方だ。


「クエスおじさま、ご息災でいらっしゃるかしら」


「いえ、とうに死んで孫か曾孫に代替わりしているはずですが」


「ええ、そんな!」


「いい加減慣れなさいな」


 気安く言葉を交わしながら歩いていく、そっくりな姉妹たち。

 二人はやがて開けた場所に出る。 

 広々とした円形の空間に半球状の屋根。頂点は吹き抜けになっており、天から降り注ぐ夜月の輝きが光の柱を作り出している。既に幾人かが集まって歓談しており賑やかだ。


 と、セレクティの足下から飛び出す小さな影があった。心臓に顔の部品を無理矢理取り付けたような不気味な生物、悪霊レゴンである。この建物の主が遣わした使い魔は、客人の影に潜んで道案内をしていたのである。小さな生物は濁った声で挨拶をすると、影の中に沈んでいく。他の客人を案内しにいったのだろう。


 セレクティたちのような出席者を除けば、あちらこちらを行き交うのはこの館の主と契約を交わして従僕として働く使い魔だ。様々な内世界から呼び出された異形の諸部族グロソラリアたちである。転生者グロソラリアという意味でならば二人も似たような存在であるため、フィレクティは一般的な霊長類の美的感覚からすればおぞましい姿の怪物たちを柔らかい視線で見つめる。


「可愛いですねえ。見てお姉様。ジヌイービさんのお腹、たぷたぷですよ。あっ、ほら、精霊さんたち! なんだか踊っているみたい!」


 少女のように無邪気な声を上げる妹に少しの呆れと、幾ばくかの微笑ましさの混じった表情を向けながら、姉は周囲を見回す。

 見知った顔ぶればかりが並んでいる。主催者が現れるまで、挨拶をして回ろうかと視線を巡らせていると、丁度向こうからやってくる者があった。


「久しいな、二重に問いを示す相補の魔女よ」


「ええ。此度の生では初にお目にかかりますわ。恐るべき脚の火炎候」


 姉妹はスカートの裾を摘んで反対側に持っていった状態で膝を曲げ、丁重に礼を尽くした。

 相手は途轍もなく巨大な狼であった。黒々とした体躯、吐息は毒々しい色の噴煙、瞳は爛々と輝く青い炎、尾は黄色の松明という恐るべき姿である。ある人狼ウェアウルフの有力部族は吸血鬼ヴァンパイアに似た貴族制度を持ち、火炎候の呼び名は爵位とその外見をそのまま表現したこの大人狼リュカオンの渾名である。二人の古い知己であるこの狼の本来の名は、色とりどりの火炎を纏うその全身の中でもとりわけ禍々しい、『黒炎の四肢』に由来するのだが。


「おや――火炎候? 失礼ですが、その脚は一体どうされたのです?」


 セレクティは狼の脚を見て目を丸くした。


 本来ならば見る者を恐怖に陥れる四肢、常人ならば四度発狂すると言われている『魂灼きの黒い炎』そのものである不定形の四つ脚が、何故か普通の狼のような黒い脚だったからである。かつてのような凶悪な呪力が見る影もない。火炎候は悄然と項垂れて言った。


「恥ずかしいことだが、代々部族長が襲名してきた四つ脚の威名は奪われてしまった。今の私はもはや【恐るべき脚イェルフェイル】という名を失った敗残者というわけだ。今は火炎候シェボリズと名乗っている」


「貴方ほどの英傑が、何故」


 唖然として問いかける。

 シェボリズの瞳に宿る青白い炎の勢いが目に見えて弱まった。まるで、子犬が恐るべき猛獣に遭遇して怯えるかのように小さくなって首を振る。


「私は今でも、あれが何だったのか理解できずにいるのだ。前脚も後ろ脚も出なかった。あんなものは見たことがない。呪祖と名乗った何者かは、あらゆる存在に似ているようでもあり、他の何にも似ていない化け物だった。何かと問われても、名状しがたいとしか――此度の『集い』では、その件についても議題に上げていただこうと――ああ、しかし招待状はイェルフェイル宛であった。今の私に果たしてこの場にいる資格があるのだろうか」


 弱気になっているのか、三角形の耳が寝てしまっている。湿った鼻が鳴り、フィレクティが何か言葉をかけようとするが、それをセレクティが静止する。


「その話、詳しく伺いますわ。大丈夫、たとえ部族長としての名を奪われたとしても、わたくしたちは火炎候の味方ですから」


「ああ、しかし、連綿と受け継がれてきた部族の誇りが、大いなる夜の神秘が、私の代で途絶えてしまうとは」


「しっかりなさって下さい。それがあの戦争と殺戮と血讐の体現者、苛烈なる火炎候の言う事ですか」


 抑制された口調の叱責。叱咤激励の色が強いその言葉はセレクティが紡いだ呪文であり、会話の中でそれを望んでいたシェボリズは自ら呪文に惑わされる。


「そうだな、貴殿の云う通りかもしれん。少しばかり腑抜けていたようだ。いや、相補の魔女に情けない姿を見せた。すまない」


「いいえ。それに、部族の誇りはまた取り戻せば良いのです。長い夜を重ねて、月が巡る生と死の呪力が満ちたとき、自ずから相応しい『担い手』が姿を見せることでしょう。その時が来るまで、部族を守るのが今の貴方の役目ではないかと、わたくしは愚考致します」


 シェボリズは静かに頷いて感謝の意を示した。

 二人のやり取りをにこやかな表情で見つめるフィレクティが、不意に何かを思いついたように口を挟む。


「そうですわお姉様。わたくしたちで、火炎候のご子息をお預かりするのはいかがでしょう? お力になれるかもしれません」


 唐突な申し出にシェボリズが目の炎を丸くしていると、フィレクティが言葉を重ねて補足する。


「わたくしたちは今、色々な内世界を巡って次世代を担える器を持った有望な人材を探しているのですけれど、もしかしたらその道行きの中で良き『名前の着想』と巡り会えるかもしれません――もし宜しければ、ですけれど」


「フィレクティ、魔将計画のことは――」


「どうせ、すぐにお話することでしょう?」


 妹を叱責しようとした姉は、溜息を吐いて口を噤んだ。

 にこにこと明るい表情のフィレクティには何を言っても無駄だと、経験上分かりきっていたがゆえの諦め。仕方無く、妹に同意を示す。火炎候は考えるように低く喉を唸らせた。黄色い尻尾が火の粉を飛ばしながら横に振られる。 


「大変ありがたい申し出だが、私はこの数千年、子宝に恵まれなくてな。私も連れ添いも、壊すことばかりが得意で、影から命を捏ね上げるということをしてこなかった報いだろう。いずれ子供か――あるいはその子孫の代になるやもしれぬが、その時に魔女殿との縁があればお願いしたい」


「何代でもお待ちしますわ。我々の時間は悠久ですもの」


 またしても勝手に話を進めるフィレクティ。セレクティは眉根を寄せながら、不承不承頷く。事実上その会話は、『名付け親』という呪術的な血縁関係を結ぶということであり極めて重い契約なのだが、フィレクティはそんなことはお構いなしだった。こうやって軽やかに関係性を繋ぎ合わせる力はフィレクティに特有のものだった。彼女の関係性は広がりがあり、ふわりと軽い羽のようだ。


「それで、話を戻しますけれど」


 セレクティはあくまでも堅苦しい態度で言葉を続ける。

 対照的な双子の姉妹を交互に見つつ、火炎候は小さく唸った。


「ああ。私の名を奪った相手のことであったな。奴は呪祖レストロオセと名乗っていた。恐らくはイェルフェイルの名を奪ったことでその力は増しているはずだ。その上、奴が内包している名は私のものだけではないようだった。名を奪い、我がものとし、更にはその存在を掌握して従僕とする権能――私は分裂することで辛うじて難を逃れたが、部族の半数近くが奴に飲まれてしまった」


 火炎候を襲った脅威についての話が始まるが、その時周囲が大きくざわつく。三人が視線を巡らせると、部屋の反対側の大扉が開いていく。一人の男性がゆっくりとその場に進み出る。この集いの主催者にして館の主人が現れたのだ。

 

 朱色の瞳は黒目も白目も無い玉石のような一色。同色の長衣の裾が風もないのにゆらめき、浮遊しながら中央へと移動していく。館の主人が指を鳴らすと、光の射し込む部屋中央に巨大な円卓が出現した。館の主人は席の一つに腰掛けると、重々しく頷いて口を開いた。


「あらかた揃ったようだな。最後の一人が揃い次第、『集い』を始めたいと思うが、よろしいかな、同志諸君」


 その場に集った者たちは頷いて着席していく。姉妹とシェボリズは話の続きを後ですることを約束して、他の者たちと同じように円卓に向かった。

 最後の招待者が到着したのはその直後であった。


 壮麗な行列が、案内の使い魔たちの制止を振り切って空間に大挙して現れた。仰々しい呪力と威圧感、騒音のような音楽をかき鳴らしながらやってきたのは、驚くべき事にスキリシア式の婚礼に用いられる車であった。


 豪華な二頭立ての大鼠車が、途方もなく巨大な台形の箱を運んでくる。背後からやってくる無数の使い魔たちは手に漆黒の角笛や喇叭を持ち、冒涜的な響きで婚姻を祝う音楽を奏でていた。更にはコウモリの剥製をくり抜いて作った幻灯機ランタン幻灯劇ファンタズマゴリアを上映していく。屍や亡霊といった夜や死に属する者たちが、主役たる二人の婚姻を祝うという内容だ。生贄の鼠が圧搾プレス機に放り込まれてぐしゃりと無造作に即死。飛び散る血煙と断末魔の際に発生する黒い靄に投影された幻の映像が、不愉快な波動を放ち、周囲から顰蹙を買った。普段にこやかなフィレクティですら口を押さえて震えている。


「ふわー。素敵な結婚式ですねお姉様。とっても幸せそう。新郎さんと新婦さんはどんなかたでしょう。それとも新郎さんと新郎さんだったり、新婦さんと新婦さんだったりするのでしょうか。それも素敵ですねえ」


 違った。緩みきった表情を隠す為に手で口元を押さえていただけだ。

 セレクティは妹を無視して、仰々しい行進を眺める。

 途方もなく強大な呪力――それこそ古き神に匹敵するか、それそのものであるかのような威圧感が彼女の肌をちりつかせていた。


 スキリシアにおいて、病の原因になると言われている『悪い空気』――すなわち『瘴気ミアズマ』は主要なエネルギーであり、それを媒介する鼠は益獣とされていた。鼠は瘴気を運搬するため代替通貨にもなる使い魔にして、瘴気を生産可能な生贄でもある。人前で不快な生贄の儀式を行うのは有力者としてどれだけ浪費を行えるかという財力の誇示であり、貴族趣味の吸血鬼特有の振る舞いだった。


 とりわけ、現在吸血鬼の中で最も有力な王は、『影の王国』の実体である『光の王国』で公衆衛生に関する法の改正を行ったことで知られている。街路の清掃や下水整備を禁止することで、不潔さを維持して瘴気を増大させるという施策をとったのである。その結果、病人や死人を闇の住人へと引き込み、鼠などの益獣が跋扈する朽ちた都を地上に顕現させることで、自国を他に類を見ないほど莫大な瘴気資源量を誇る大国に発展させた暗君の中の暗君(夜の世界スキリシアにおける最大の賛辞)の名はゼオーティア中に轟いている。


「この趣味の悪さ――カーティスですか。今度は一体何人で来たのやら。クエスドレム? まさか全員を招待したなどとは言いませんよね?」


「一人だけで良いと伝えたはずだが――伝達の齟齬があったようだ」


「どうせあの馬鹿が勝手にやったことでしょう」


 セレクティが不快そうに鼻を鳴らし、クエスドレムが渋面を作る。

 仰々しい行列は、大量の似通った雰囲気を持つ男女によって構成されていた。いかにこの部屋が広いとはいえ、夥しい人数の全ては収まりきらない。


「お待たせしたね、親愛なる同志諸君。突然だが、本日は我らが新たなる同胞を紹介しようと思う。さあ、挨拶するんだ、私の花嫁!」


「後でよい。まずは座れ、カーティス」


 クエスドレムが告げると同時に、指が鳴った。

 一瞬にして夥しい数のカーティスの行進がかき消えたかと思うと、用意された席にカーティス一人が現れた。その傍らに小さな少女が手枷と鎖付きの首輪を嵌められて立っている。その光景に幾人かが眉をひそめた。


「『それ』は重要な鍵だ――こちらでも把握している」


 と、クエスドレムが長衣の内側から黒い装丁の本を取り出した。

 それを見て、少女が目を見開いた。


「【尊敬】の書――お前が求めているものだよ冥道の幼姫。そして、遊びはここまでだ。お前たちは秩序を著しく歪め、あるべき時間と運命の流れを切り分けてしまった。これは許されないことだ。この修正にどれだけのリソースを割かねばならないことか。私がこの時点で止めていなければ、クルエクローキがお前たちを引き裂いていたところだ」


 淡々と捲し立てる言葉は暗号化された呪文だった。伽藍の異言グロソラリア――役者だけに届く、その時代においては何の意味も持たない言語。

 クエスドレムが紡いだ音が、蜂蜜色の髪を持つ少女を打ちのめした。

 更に、クエスドレムが指を弾くとその場に十字架が出現する。一人の男が、そこには磔にされていた。手足を杭で縫い付けられ、自重で裂けていく掌が骨の支えによってかろうじて繋ぎ止められている。

 顔面蒼白となった少女が、思わず声を漏らす。


「グレン、デルヒ――?」


 目を見開き、口から血の泡を零すという壮絶な形相で事切れているのは、白衣を纏ったグレンデルヒ――あるいはゲラティウスと呼ばれていた男だった。その懐からもう一つの書が現れ、浮遊しながらクエスドレムの傍に向かう。


「そしてこれが【技能】の書。いずれもこの男から奪ったものだ。そして、これがお前の末路でもある。わかるか、この世界の秩序を乱す者たちよ。ゾーイ・アキラとケイト、並びにグレンデルヒ。お前たちはここで始まりここで終わる。始まりと終わりは今定められた。永劫の螺旋に囚われたお前たちは、永遠に過去で踊り続けるがいいだろう」


 一般に『クエスドレム』と言えば、それはあらゆる世界の座標において『東方』に位置するという、幾多の内世界を統べる帝王クエスドレムの事を指す。

 後にジャッフハリムの呪祖に取り込まれ、四つの印璽を作り上げて四方の王に呪的権威を分割したことや、複数の世界内世界とこの世界ゼオーティアを繋ぐ【回廊】をジャッフハリムに築き上げるといった業績を残した他、ジャッフハリム王族と婚姻関係を結ぶなど、ジャッフハリム史において重要な人物とされている。


「知っているかな。クエスドレムとは襲名される称号のようなものだ。意味は『明け渡す者』――つまりは霊媒だ。わかるかね。今、私は、当代のクエスドレムを器としてこの物質次元マテリアルプレーンに干渉しているのだよ」


 クエスドレムの口を借りて、何者かが宣告する。

 爛々と眼が光り、影が朱色に染まり際限なく膨れあがっていく。

 矮小な視点では到底その全容を捉えることができない何かが、そこに現出する――否、それは最初からこの世界に遍在しているのだ。この瞬間、それが乱数の偏りによって知覚しやすくなったに過ぎない。


「他にもいるな。カーティスの影の中か――出て来るが良い、外世界人」


 指が弾かれる。

 カーティスの影から現れる者が二人。

 共に黒衣に包まれた霊長類と思しき人物が床に倒れる。正体は判然としないが、両者共に激しく消耗しているのか肩で息をしている状態だった。


「未来転生者一人に外世界人が二人。これにて役者は揃ったな。では、これより『集い』を始める。まずは同志諸君、よく集まってくれた」


 その場に引き立てられた三人の招かれざる来客は、そこが死地であることを理解して完全に動きを止めた。曲がりなりにも、現代における強者に位置付けられる彼ら彼女らをして、下手な動きをすれば次の瞬間には三千世界から抹消されているだろうと確信させられてしまったのだ。


 蛇に睨まれた蛙の喩え。

 その蛇であるクエスドレムが、威圧的に告げる。


「筋書きにも史料にも記されていない展開に、戸惑っているのかね、未来人たちよ。だがこれが過去というものだ。深淵に沈み、闇に飲まれた知識は見えなくとも確かに存在しているのだよ」


 クエスドレムだけではない。

 その他の参加者もまた、尋常ならざる気配を膨れあがらせていく。

 カーティスの表情が虚ろとなり、黒衣の内側が漆黒の闇そのものとなる。

 それに呼応するかのように、フィレクティの全身が燐光に包まれてその背後に神々しい気配を持った不可視の超越的存在が現れる。


 火炎候シェボリズを取り巻く炎から立ち上る陽炎が、見る者に恐怖と不安を抱かせる何かを感じさせ、その他の席に座る者たちからも次々に異様な気配が発せられていく。ただ一人、セレクティのみが居心地悪そうに常人の佇まいのままだった。

 クエスドレムが厳かに告げる。


「我らは歴史の闇に潜み、この世界の秩序を守護してきた。種族、民族、存在、次元の壁を越え、この不確かな世界のあるべき姿を保ち続けることこそがその使命」


「――は、まさか秘密結社とか馬鹿な事を言うんじゃ」


「その通りだ」


 巨体を黒衣で包み込んだ影は気持ちを奮い立たせるためにかあえて冗談交じりの言葉を口にした様子だが、肯定されて絶句する。

 その後ろでカーティスが幾分軽い口調で補足する。


「世界を裏で操ってきた秘密結社、なんていうと、馬鹿みたいだろう? でも本当のことなんだ。たとえばこのあたりの物理法則とか、わりといい加減でね。基本的にスキリシアをどのような世界にするかは僕に一任されているけれど、他の次元に与える影響を考えて、色々な調整が必要になるんだよ。このレベルの巨大な世界ともなれば、そういうことも必要なのさ。大きな力に付きまとう責任ってやつだ。そういった色々な決まり事を話し合って決めたりするのが――この『集い』だ。名前は特に無い。ただ『集まり』とか『集い』とか言ってる」

 

 黒衣の中の闇が発した声は、カーティスとは似ても似つかない少年じみたものだった。その内側で無数の触手が蠢動している。変幻する光や鹿の頭部、鼠に狼に流動する質量を持った影というありとあらゆる混沌を内包したそれは、既に吸血鬼という枠内に収まるものではない。


「未来転生者はともかく、お前たち二人にはもう少しわかりやすく言った方がいいかもしれぬな。要するに、こういうことだ」



 そして、朱色の目を輝かせるクエスドレムの内側にいる何者かは端的な事実を開陳した。


「我が名は【竜帝】ガドカレク。秩序を守護する九首の真竜が第五首にしてこの【紀竜と紀神の集い】の主宰である。ようこそ、歓迎しよう異邦人たちよ。永久のもてなしを受けられよ。始まりも無く終わりも無い、この閉じた再演の輪の中で踊り続けるといい」 




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