4-59 死人の森の断章2 暗がりの中へ





「――君たち幻姿霊スペクターには言うまでも無いことだろうが、邪視つまり直感的なイメージによって人の身体機能は常にゆらぐ。研究によって明らかになりつつある脳の諸機能が誇張されて伝播し、わかりやすいものとして巷間に流布、現実化していくようにね」


 闇の中で、白衣の壮年男性の言葉が続く。

 地の底での戦いは遠く、激しい音が微かに聞こえてくるだけ。

 ミシャルヒはパーンが負けるとは全く思ってはいないが、どうしてか心がざわつくようで落ち着かなかった。それでいて、どうしてか目の前の男、ゲラティウス=グレンデルヒという骨相士の言葉に耳と傾けてしまう。


「脳の気質、機能によって頭蓋骨を始めとした骨格が変形、更には皮膚の色や角質が変異することで角や鱗になる。わかるだろうか。骨相学とは邪視系統の学問なのだよ。少なくとも父が体系付けた骨相学はそうだった。しかし私はむしろ杖寄りでね。母に似たのかな。父が骨相学に着目したのはこのゼオーティアに存在する多様な種族が何故このような身体的特徴を獲得するに至ったのか、という謎を解明する為だったが、私は違う」


 与太話だ。全く以てどうでもいい話。

 あらゆる『起源』に関する説明は、全て神話で説明がつく。

 神がそのように設定したから。進化論はそのような呪文プログラムを遺伝子に刻み込んだ古の言語支配者たちの成果であり、やはり神の御業に過ぎない。


 もっと言えば、学説などはそれが『有力』と見なされた時点で正誤に関わらずそれが事実として世界を改変してしまうのだ。ならばそのような研究は、自分に都合の良いように世界を歪めるための政治的な活動、もしくは愉快犯的な悪戯でしかあり得ないだろう。


 事実、目の前の男はこの上なく楽しそうに持論を展開している。

 子供が英雄になりきってごっこ遊びをするようだと、ミシャルヒは思った。

 演劇は原始的で普遍的な衝動だ。格好をつけた口上と、男の与太話に本質的な違いは無い。どちらも自己の慰撫だ。


「私は骨相学を新たなステージへと引き上げたいのだよ。頭蓋骨の形状により人の気質は決定される。同様に、その内側にある脳もまた各部位で機能が分かれているのではないか、と私は考えた。脳機能局在論とでも呼ぶべきかな」


 ミシャルヒは、その学説を聞いた事があった。

 他ならぬパーンが、似たような研究をしていたからだ。

 彼が脳内に埋め込んでいる杖の機械――確か前頭葉コイルと言ったか――には『左巻きの力』と『右巻きの力』を制御する機能があり、それによって波動を自在に操っているのだとか。


 確か、左脳が論理的な分析能力を司っており、男性的な呪力を宿す部位。そして、右脳が芸術的な共感能力を司っており、女性的な呪力を宿す部位だと言っていた。事実かどうかはともかく、パーンがそう信じた以上それは呪術として効力を有する。説明を受け入れたミシャルヒを、パーンは薄笑いで見て言ったものだ。


 ――ミシャルヒよ、お前は本当に見たまま、聞いたままを受け入れる奴だな。


 自分で言った癖に、それを本当に信じているのかいないのか、よく分からない振る舞いをする男だった。ただ彼は、中性であるミシャルヒを研究対象にしようとはしなかった。それが端的にパーンの本心を示しているように、ミシャルヒには思えてならない。意識を今に戻すと、白衣の男は言葉を続けていた。


「脳機能がある程度局在していることは確かなのだ。たとえばだ。実際にハード面から人工知能を作っていくとすれば、臓器のように独立した器官としてモジュール化していくのが現実的だろう。脳機能が局在する『システムの構成要素のまとまり』であるとするか、脳全体である程度の可塑性があるとするかについては検証中だ」


 ミシャルヒは沈黙したまま話を聞き続ける。

 そこにどのような意味があるのか。

 直前に、骨相士から告げられた言葉が未だに長衣の中で反響していた。


 ――更なる力が欲しくはないか? 主であるパーンの為に。


 ミシャルヒは、静かに目を閉じて、動かない。


「脳とは交換可能な『柔らかい臓器』なのか、それとも『固い臓器』なのか。失った四肢を脳が錯覚してしまう『幻肢』という脳の誤作動がある。この現象が適切な治療や時間経過で治ることは、脳機能の『柔軟さ』を示しているように、私には思える。幻肢はいつか消えるのだ」


 いつしか、下で戦っているパーンやラウス=ベフォニスにも繋がる話が展開されていた。つまり、今回の物語はそういう意味を持っているのだ。だとすれば、今の自分にとって最適な振る舞いとは――


 ぴくりと、フードの内側が動いた。頭頂部に違和感があったが、即座に消える。ミシャルヒは奇妙な感覚を訝しんだ、自分の内側――否、外側に誰かがいるような気がしたからだ。不気味な現象が我が身に降りかかっているというのに、その事に対して全く違和感を覚えていない自分が、逆に異様だった。むしろ心が安心している。疑問を追求する気分は全く起きずに、疑念は雲散霧消する。ミシャルヒはフードの中で猫耳を動かした。


「四肢の欠損に伴う邪視系統の呪力増加は、一時的なものでしかないことが非常に多い。例外は、義肢や介助動物の使用に躊躇いが無い三本足の民くらいだな。これは私の推測だが、彼らは増幅した呪力を新しい思い入れの対象、つまり『呪物』に注ぎ込むので、脳が呪力が増大した状態を覚えてしまうのだと思われる」


 与太話が、延々と続く。

 レオは、退屈そうに欠伸をした。

 楽しそうに喋り倒すグレンデルヒの額をちょんとつつく。


 もちろん、まるで気付かずに劇の中に入り込んだまま。ゲラティウスという役、それを演じるグレンデルヒという役、そしてベースとなる役者としてのゾーイ・アキラとケイトの外世界人二人組。そういえば、すっかり引っ込んでしまったこの二人は一体どういう役回りなのだろうか? 


「話を戻そう。人工知能の話だ」


 そう、その話が聞きたかった。

 何しろ本筋だ。

 その話をせずには先へ進めない。


「もし人工知能、あるいは機械化した人工脳を持つ者が四肢を欠損した場合、彼ないし彼女ないし『それ』のモジュール化された脳は誤作動を起こし、幻肢を知覚するだろう。この幻肢は、あらかじめそれを織り込み済みで対処方をプログラムしておかなければ自然治癒しない。当然だな、そんな機能が無いのだから」


 ふむふむ。

 まじめくさった顔で頷くレオ。黒い猫耳がぴこぴこと動いている。


「逆に言えばだ。人工知能は、意図的に幻肢を知覚することができるのだ。幻肢は呪力を宿し、四肢の欠損や臨死による幻視体験は呪術的な儀式に等しい。これは自然治癒力という点で明確に生体脳に劣っている部分ではあるが、整備性や応用性という点できわめて有用だと捉えることもできる」


「じゃあ、人工脳なら幻肢呪術を使い放題ですね。機械に邪視適性が生まれれば、という条件付きですけど――残念ながら、普通機械には魂が無く、基本的に邪視は発動できないとされているって、トリシューラ先生が言ってました。ちょっと寂しそうだったなあ」


 レオはぺたんと猫耳を伏せてそう言った。

 しょんぼり。

 かわいそうな、かわいそうな、かわいそうなトリシューラ先生。


「でも、もう一人じゃないから安心ですね」


 にっこりと微笑む。

 愛らしい表情を壮年の男は無視したまま、言葉が自動的に続いていく。


「考えてもみよ。遊離型の幻肢を自在に操作できたなら? 身体のセルフイメージを変化させることができるのでは? 『痛み』という感覚の遮断、制御技術が実用化できたならどうだろう。これを応用すれば従来の四肢の形態にとらわれない、全く新しい義肢が作れる。外世界からもたらされた転生者の知識、クロウサー家の秘宝【ガレニスの長い腕】がこの世界の技術で再現できる可能性があるのだ! 人という矮小な括りを飛び越えて、より発展的な肉体が獲得できる。それこそ変身者や夜の民のように!」


 興奮した口調。レオはうんうんと愉しげに頷いて相槌を打つ。

 先を促すと、グレンデルヒは熱を込めて語るのだった。


「かのラウス=ベフォニスはその幻肢呪術で恐るべき力、それこそ『紀』に到達するほどの呪力を発揮して見せた。幻肢呪術には飛躍の可能性が残されている。それは身体性という軛から人類が解放される為の一歩になるやもしれぬ」


「うんうん。じゃあ交代です」


 ミシャルヒはゲラティウスの語りがどこに行き着くのかが掴めず、黒衣の中で麗しいかんばせを歪めた。ゲラティウスはそして、ようやくお互いにとっての本題に入った。それは、二人にとっての転機でもあった。

 

「ミシャルヒよ、その幻影の力もより効果的に作用させることができるだろう。お前の兄姉たるユネクティアのように幻影を実体同然に錯覚させることも、視覚を介して人の脳、つまり心を操る事すら可能になるかもしれぬ」


 丁寧な口調は取り払われ、爛々と光る眼がミシャルヒを舐め回していく。

 向けられている視線が実験動物に対するそれだと気付き、幻影のように儚い麗人は嫌悪感に眉根を寄せた。

 

「私は、そのように人の心を弄ぶような事は好きではない」


「だがお前は必ずその道を選ぶ。不和を振りまき、心に忍び寄る猜疑を広げ、悪辣に運命を弄ぶ。選択肢がある以上、お前はそれをせずにはいられないだろう」


「くどい」


「今は拒絶しても良い。だが忘れるな、お前が力を求める限り、きっといずれ限界にぶつかる。その時に私の言葉を思い出したのなら――」


「消えろ」


 残像を残す速度でミシャルヒが踏みだし、手刀を繰り出した。ゲラティウスは高笑いしながら下へと消えていく。思いのほか素早い。


「今は待つさ。機が熟するまで。なあに、時間は幾らでもある。何しろ、今はまだ大地が引き裂かれてすらいないのだ! 悠久の時間を、我ら百二十八人は待ち続けるぞ、ミシャルヒよ!」


 逃げ去るゲラティウスと、それを追うミシャルヒ。

 風を切る感覚の中、意識の深いところで幽鬼レイスは静かに迷い悩んだ。

 誰も死なせない。それがミシャルヒの誓いだ。


 ――短命の種族は、余りにも儚すぎる。


 自分は長命の種。同じ幻姿霊スペクターでさえ、たった九人の幽鬼レイスと同じだけの歳月を歩むことはできない。

 それは絶望だった。大いなるマロゾロンドはその身を友に捧げて久しい。多くの夜の民は神の異変に気付けずにいるが、真実を知る幽鬼たちにとって神の愛が届かない世界は無明だった。誰もが愛を求めて彷徨うが、それは永遠に得られない。クォル=ダメルの同胞たちを思い出す。ハンアルトは光のない世界へと沈み、ユネクティアは光に満ちた地上へと旅立ち、苦闘を続けている。

 

 たとえ誰かを愛しても、いずれは消えていく。誰もがミシャルヒの前から去っていく定め。だが、彼ら彼女らの孫子、その先に連なる血脈を見たいと、創り出されていく流れをいつまでも覚えて語り継いで行きたいと、いつしかそう思うようになっていった。それは多分、ある男との奇妙な出会いによって生まれた答えだ。


 ――これか? 腕を作っている。師が使っているものだが、いずれこの俺が自分で使うことになる。いつかは、弟子に継がせることになるだろう。


 眼鏡の奥で不敵に笑顔を作る、青年になろうとしている少年。今よりも少しだけ幼い表情を、今でもはっきりと覚えている。数多くの影がその黒衣の内側を通り過ぎていった。その全てが色褪せるように、それは強烈な記憶だった。


 ――ガレニスの血は、遺伝子よりも摸倣子が濃いという。ならばこの代でガレニスという血族は最盛期を迎え、如何なる青い血の者どもよりも濃い血が生み出されるであろう。見ろ、この鎧の如き右腕こそが、俺という神なる存在の血の結晶だ。


 腕の関節が四つに増え、神話に伝えられるクロウサーの右腕を再現したパーンの名は世に轟いた。その勢いは留まるところを知らず、パーンは全てをその手の中に収めようとした。クロウサー家当主の称号【空使い】を名乗り、現当主クロウサーと対立するのは必然だった。そして、失墜。転落。放浪。


 力が足りなかった。パーンは当主ダウザールに敗北したとされているが、それは事実ではない。個として傑出していたパーンは、群れとして傑出していたクロウサー家に敗れたのだ。抗えない数の暴力。


 もし、自分にそれを覆すだけの力があったら?

 不和をもたらす力。

 心を操る呪術。

 迷い、迷い、迷い。

 

 続きが見たい。あの鎧の腕、濃い摸倣子の血脈が連なっていくその流れを、パーンという男が生きていた輪郭を、ずっと覚えていられるように。だからこそ彼には勝ち続けて欲しいと願う。栄光を掴み、遙か高みへと昇り続けて欲しいと祈る。


 せめて、思い出の中だけでも共に生きていけるように。

 記憶だけを、永遠という孤独の慰めとする。


「こんなつまらない所で死んでくれるな。お前たちには、いくらでもやるべきことがあるのだろう?」


 呟きは風の中に消える。

 悪魔の誘惑は残響となって耳に残っている。

 逃げる影と追う影、それらはやがて闇を引き裂いて地下の大空洞へと突入する。




 岩肌種トロルとよばれる種族は、とある巨人ネフィリムによって生み出された眷族種である。

 神は自らを信仰する眷族種を生み出し加護を与え、眷族種は神に祈りを捧げその存在を強固にしていく。


 この一種の共生関係、相互依存が何かの切っ掛けで崩れるなどした時、神は零落し、邪神もしくは巨人と呼ばれる存在になってしまう。

 そしてその巨人が荒ぶる存在として人々に認識されようと災害を引き起こし続けることがある。そうなればかつて神だったものは排除すべき害獣でしかない。


 巨人が討伐された後に残された眷族種。

 神に嫌われる、もしくは神そのものがどこかの異界へと姿を隠してしまったなどの原因により加護を失った眷族種。そうして落ちぶれていった人々は、忌民ネヴァドゥンと呼ばれて人間社会から排斥された。


 巨人ラウスが槍を持って放浪する少年によって討たれてからというもの、岩肌種トロルの末路は悲惨の一言だった。

 彼らの肌は岩石の如き強靱さを誇り、高い生命力を持つため多少の傷はたちまち再生してしまう。


 だが大いなる加護が失われた結果として、日中は岩のような身体がかえって彼らの動きを妨げ、思うように動けない彼らは「のろま」と嗤われた。

 その上、夜間であっても強い光を浴びせられると身体の動きが鈍り、外部から呪力を補給しなければ一日中まともに動けない。


 外界の光を効率よく吸収して呪力に変換する呪石を肉体に埋め込むことでどうにか生活を成り立たせることができた者もいたが、それができたのはごく一部の有力な者だけであった。大半の岩肌種トロルは最貧困層に転落し、なりふりかまわず体外から呪力を取り込む方法を選んだ。


 すなわち、強盗。

 そして人食いである。

 彼らは山賊として道を行く隊商などを襲い、積み荷ごと人々を喰らって体内に呪力を溜め込むということを繰り返していた。


 ベフォニスは神の霊媒として生を受けたが、崇拝する対象が零落した後は流れの手相見となり、それが上手く行かないと分かると山賊に成り下がった。彼にとって幸運だったのは、隊商の護衛に腕を切断されたことと、何の偶然か死した神の残滓がベフォニスの幻肢と融合し、巨人の幻肢を手に入れたことであった。


 ラウス=ベフォニスと名乗るようになった山賊の頭領は、名前の通りに神の力を振るうことができた。ベフォニスは右腕に限って言えば神そのものだったのだ。その力さえあれば彼に怖いものなど無い。存分に破壊の力を振るい、暴虐の限りを尽くしたラウス=ベフォニスはいつしか破壊王と呼ばれるようになる。


 だが、その栄光も遂に終わりを迎えようとしていた。

 ちびシューラによる解説を聞いてしまうと少々同情できる部分もあるが、まあ山賊なんてそういうものだろう。哀れではあるが、それだけでしかない。凍り付いて行く心で、殺意を研ぎ澄ませる。


 占いアプリで荒れ狂う破壊の力に干渉する。だが敵もさるもので、元々は占手相術師キロマンサーであったラウス=ベフォニスは手相、すなわち掌の線を視ることで気質、人柄、未来を判断することができる。占いには占いで対抗するのが定石であり、奴はこちらの占いを手相占いで相殺しているのだった。


 巨大幻肢の掌が開き、広げられた手掌が壁のように迫り来る。

 手相見という呪術を突き詰めると、線は一種の呪文と見なすことができるという。指と線と丘、掌は三要素が絡み合う呪文円だ。


(解析開始――指は右から左へ、水晶天、太陽天、土塊天、天堂天、火力天にそれぞれ支配されている。親指は上部と下のふくらみで別個に考えられているから、親指の下は彗星の支配。手の下、直角三角形は太陰以外の三つの呪的な月の支配で、掌の中央が太陰。以上のデータに基づいて、占術干渉に対する逆干渉を試みるよ)


 なんか面倒くさそうだが、よくわからないのでちびシューラに全部任せる。

 相手の呪術がどういう理屈なのかは知らない。

 俺はただ、ちびシューラがこじ開けてくれた道を突っ走って全力でぶん殴る、ただそれだけでいい。


 呪文を発動させながら近付く巨大掌底の動きが止まる。

 巻き付いているのはカーインが操る茨の鞭。更にパーンが突撃して岩石の身体を吹き飛ばしていく。波動とか言う謎のエネルギー、更には柔らかく伸びたり縮んだりする肉体が大空洞を縦横無尽に駆け抜けていった。箒を無くした代わりに、予測の出来ない奇抜な動きで敵を翻弄している。


(手相見には大別して推論法と直観手相という二種類があるんだけど。推論法は手の形との関連で手の線を細かく分析し、それを根拠に個性の合成図を造るから、解釈の法則を当て嵌める疑似科学的手法と言えるの。対して直観手相は神秘的な力を効率よく引き出せるように、方法を規則的に自動化、手続き化したもの――オートスコープとして手相を用いるもの。占星術師のカードみたいなものだね)

 

 ちびシューラによれば、ラウス=ベフォニスは後者の直観手相によって手相呪文を発動させているという。一定の手続きに従って幻の手相を自在に錯覚して、様々な呪文の組み合わせを発動させる。そうすることで神の力を制御しているのだとか。ということは、そのパターンさえ掴めれば――。


(――解析完了。手相診断アプリ【ハッピー皺合わせ】起動!)


 そのアプリ名どうにかならなかったのか。日本語ネイティブの俺でも笑えないんだが?


(ひどい! 頑張ったんだから褒めてよー!)


 ちびシューラが発動させた手相占いの結果が、ベフォニスの手相占いの結果に干渉していく。自動化された規則に割り込む、異なる手続き命令。定められたルールに従うしかない占いのメソッドはそれを正しい命令だと認識して掌の皺を書き換えていく。呪文が改変され、神の力が制御を失って暴走する。


「発勁用意!」


 乱れた幻肢、曖昧化した一点に向かって渾身の掌打を繰り出す。幻肢が千切れて飛んでいき、パーンが幻肢を伸ばしてそれを掴み取る。


「貰ったぞ! 巨人の腕!」


(ぎゃー! 何してるのアキラくんのバカー!)


 融血呪、つまりは【血脈】の呪術が発動し、零落した神である巨人ラウスの腕がパーンの幻肢と融合していく。凄まじい負荷にパーンは蹲って呻くが、恐ろしい事に暴走する呪力が次第に落ち着いていく。


(うっそー。ベフォニスが霊媒だったからこそ巨人と同化するなんてことができたんだよ? 何で霊媒適性も無いのに、完全に掌握できてるの?)


 予想外の事態に、俺もちびシューラも驚きを隠せずにいる。

 カーインが茨の鞭で無力となったベフォニスを捕縛したため、危機は去ったように思われたが、その時さらなる異変が状況を一変させた。


 天井を突き抜けて現れた二つの影。

 一つは見間違える筈も無い、グレンデルヒ。

 もう一つは、カーインの仲間であるミシャルヒ。

 何か、文法上の規則性でもありそうな名の並びだが、その二人がこちらへと向かってくる。グレンデルヒが爛々と目を輝かせて無防備なパーンへと迫る。


「さあ、主が危機に陥った時、お前は何を選ぶっ?!」


 意味不明な叫びと共に地面に降り立ち、「はっきよい」のかけ声と共に張り手でパーンを突き倒す。投げつけられた薔薇を片手で弾き飛ばし、体勢を整えたパーンに組み付いて豪快に投げ飛ばす。


 加勢に駆けつけたミシャルヒがグレンデルヒ――というより力士として戦うゾーイと相対する中、俺はどう行動するべきかを迷っていた。既に台本など無く、各人が出鱈目に戦う混沌とした状況において、最善とは何だ?


(普通に考えたら狙うべきなのはグレンデルヒだけど――うーん、今のパーンはちょっとやばい感じがするよ)


 同感だ。そして、彼は既にラウスの右腕を取り込みつつある。ミシャルヒとカーインが時間を稼いでいるために、集中して幻肢の制御ができているのだろう。

 どちらも軽んじていい相手ではない。

 どうすべきか迷っていると、左腕から声がしていることに気がついた。


(――おい! さっきから呼びかけているのが聞こえんのか! 貴様ら、陛下の安全を確認したのだろうな! さっさと陛下の大いなる慈愛によって山賊と無礼者どもを纏めて跪かせろ! それで物語は幕を閉じ、次の道が開かれる!)


 クレイの声で、するべき事に気付いた。

 混沌とした状況を強制的に終了させる方法がそれだった。

 そもそも、冥道の幼姫に六王を従わせることが目的なのだ。グレンデルヒより先に勢力を強化できれば勝ちという方針は変わらない。


 途中経過がだいぶ滅茶苦茶になったが今は考えないことにしよう。パーンの危険性については後回しだ。

 倒れているフェロニアを見ると、幸い気を失っているだけで息はあるようだ。

 俺は彼女を起こそうと、幻肢体を動かして近付いていく。


 だが――結果として、俺はパーンの脅威度を甘く見積もりすぎていたのかもしれない。その後の展開は、完全に俺たちの予想を超えるものだったからだ。

 パーンが突如として激昂し、叫びと共に幻肢を伸ばした。

 倒れている、フェロニアに向かって。


「そこにいるな――影喰いめがっ」


 黒い影が砕け、闇が巻き上がる。

 幻肢の一撃はフェロニアではなく、その横で蠢く影に命中していた。

 不定形の輪郭が歪み、鮮血と共に大量の死骸が土の中に消えていく。見間違えでなければ、死骸は沢山のコウモリ、そして鼠の群れによって構成されていた。

 わだかまる闇が、男のような、女のような、正体の掴めない声を発する。


「いきなり殴りかかるとは、ひどいな。それに、よく私の存在に気づけたね」


 影が凝縮して、人の輪郭を形作る。

 黒衣を纏ったそれは、ミシャルヒとは違い地に足を着けており、より確かな質量を有しているように思えた。何よりも、鼻をつく悪臭が優雅な麗人との違いを際立たせている。悪臭――すなわち、むせ返るような血の臭い。

 誰もが動きを止めて新たな闖入者を注視する中、パーンが口を開く。


「なるほど、影占いだな? 予見した未来を演じる事でこちらに干渉を仕掛けて来たというわけだ。夜の民め、味な真似をしてくれる」


 パーンの言葉は想像を絶するものだったが、しかし納得の行くものでもあった。過去から未来への干渉ならパーンがして見せたばかりである。占いの精度が高ければこのような事も起こりうるのは当然と言えた。


 しかし、俺はあることに気を取られてそれどころではない。ちびシューラも俺ほどではないが同じように驚いている。新たに現れた人物が纏う黒衣、そのフードの内側に見え隠れする容貌が、俺たち二人にとって馴染み深いものだったからだ。


「リール、エルバ?」


 フードの内側に見える、波打つ緑色の長髪に、血のような真紅の目。

 なによりそのまま引き写したようにしか見えない、鮮烈な印象を残す美貌。

 現れた何者かは、ドラトリアの協力者、リールエルバと瓜二つだったのだ。


「誰かな、君は? 確かに私の中にはリールエルブスという名が内包されているが――曲がりなりにも夜の眷族である私の名を、中性形からわざわざ女性形に直す意味がよく分からないな」


 不思議そうな言葉で、俺はようやく気付く。

 そうか、逆だ。

 リールエルバと瓜二つだが、どこか女性的な雰囲気を薄くして中性的にしたこの人物――リールエルバ『と』似ているのではなくリールエルバ『が』似ているのだ。それも恐らく、必然の結果として。


「カーティスという。よろしく」


 気のない宣名によって、大地に影が広がっていく。

 泥沼のようになった足下が、無数の触手を伸ばして空間の中にいた者たち全てを捕らえていった。


(ドラトリアの首都、カーティスリーグ。その名前は、初代国王に因んで付けられた名前だけど――パーンがいた時代より、ずっと前の人物だよ!)


 ちびシューラの言葉とパーンの推測を総合すると、カーティスは過去の人物で、未来であるこの舞台に干渉を仕掛けてきたらしい。

 カーティスはフェロニアを抱きかかえると、優しげな手付きで乱れた髪の毛を払い、整えた。リールエルバに似た顔が穏やかな表情を作るのを、俺とちびシューラは驚きと共に見つめた。


「攫いに来たよ――私の花嫁」


 左手の内側で、クレイがもの凄い絶叫と罵声を喚き散らしているがあまりにも口汚い為に内容は伏せることにする。


「ふざけるなよ過去人。それは俺の所有物だ」


 パーンは身体にまとわりつく影の触手を振り切って浮上すると、カーティスに飛びかかっていく。振り下ろされた幻肢の一撃。巨人の腕と同化したそれは既に神の裁きに等しい。しかし、カーティスはそれを無視した。


 血のような瞳は既にパーンを一顧だにしていない。ただフェロニアを抱えたまま、地の底、影の下へと沈んでいってしまう。

 パーンの攻撃は空振りに終わり、震えるその身がまたしても荒れ狂う影に捕らわれてしまう。カーティスが残していった呪いは未だ効力を残しており、他の者たちも束縛を受けたまま影の中に引き摺り込まれようとしていた。無論、俺も例外ではない。そんな中、パーンは一人震えている。


(あれ、泣いてるとかじゃないよねえ)


 まあそうだろうな。

 案の定、高笑いが響く。


「は、愉快だな素晴らしいこれは飽きん! 実に面白いぞ未来人、そして吸血鬼! こうなれば未来も過去も、まとめて俺が蹂躙してくれる!」


 それからのパーンの行動は、正気の沙汰ではないが想定の範囲内のものだった。

 彼は自ら荒れ狂う影の中に飛び込んだのだ。

 恐らくは、去っていったカーティスと攫われたフェロニアを追って。


「踊るがいい! 時空の全ては、この俺を楽しませる為にある!」


 高らかな笑いを最後に、世界が闇に包まれる。

 俺たちもまた影の触手に取り込まれ、真下へと引き摺り込まれているのだ。

 カーティスが繋げた過去への経路が影の世界を曖昧に歪め、俺たちはまとめて混沌の渦へと投げ出される。


 落ちていく。

 翻弄されるように、ただ無秩序の闇へと落下していく。

 落ちた先に何が待つのか。

 霞んでいく視界の中で、誰かが手を差し伸べているのが見えた。

 それが誰なのかわからないまま、俺は意識を手放した。

 暗転。



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