4-58 死人の森の断章2 未来への布石




 闇の中を行く二つの影――ミシャルヒとカーイン。自由落下に近い状態から、急な傾斜を駆け下りて、枝分かれする洞窟を縦横無尽に駆け巡る。地図も道案内も無いままに、迷宮同然の通路を迷わずに疾走していく。途上、はためく黒衣が不自然に静止する。ミシャルヒが何かに気付き、足を止めたのだ。


「先に行け。私は少し鼠を退治してくる」


 カーインは片方の眉を僅かに持ち上げて小さく驚きを表した。


「ほう? 気付かなかったな」


「巧妙な手だ。私も群青ユネクティアの幻惑に慣れていなければ見落とす所だった」


「私とは相性が悪そうだ――では任せる」


 カーインはそう言って、残していく仲間を心配するでも無く先を急いだ。

 去っていくカーインの背に向かって、ミシャルヒはふわりと手をかざした。微かに青い燐光が散って、消える。

 灰色の衣を纏った男とも女ともつかない影は、透き通る声を研ぎ澄まして暗がりに向けて警告する。


「そこに隠れているのは分かっている。私の目は誤魔化せんぞ」


「ばれてしまっては仕方無い――どの道、貴方には声をかけるつもりでしたがね」


 不可解なことに、何も無い筈の空間から低い声が響く。

 微かな光が発生し、景色が歪んでいく。するとその場所に、豊かな蓬髪に苛烈な意思を宿した目を持った白衣の壮年男性が現れた。手には黒い装丁の本を持っている。表紙に淡い文字が浮かび上がり、それは【技能】という意味を宿していた。


「何者だ」


 ミシャルヒは青いフードの中で目を細めた。目の前の男性が身につけている奇怪な腕輪。それが光を歪めるという呪術的現象を引き起こしたのだと即座に看破したのである。古代フロントクロンの遺産、旧世界で言うところの光学遮蔽装置。このような古代技術の産物は今や星見の塔が独占する知識の他には残っていないはず。それを保有するこの男は一体何者なのか。紅色の衣の内側で闘気が膨れあがっていく。中性の身体は細く背もけして高くは無いが、積み上げられた功夫は必要十分に足りている。警戒心を露わにする相手に、白衣の男性は薄く笑って答えた。


「私の名は骨相士ゲラティウス。ゲラティウス=グレンデルヒ」


「聞いた事があるな。骨相学とかいう呪術体系の創始者だったか」


「ええ。骨相学――すなわち、脳機能局在論は現代における杖という呪術基盤を確立させる上で極めて重要な役割を果たした呪術観。そして同時に、眷族種が持つ特質を邪視的に解釈する上で最も重要な――」


「要件は何だ」


 相手の長広舌を遮って、ミシャルヒは殺気を叩きつける。黄金色の闘気が長衣を鮮やかに染め上げていく。壮年の男は肩を竦めて残念そうに嘆息した。


「つまり、脳の呪術――幻肢呪術についてのお話をしたかったのですよ。私はこの研究をするために、この世界で最も強大な幻肢呪術の使い手を密かに観察していました。いや、穴蔵で息を潜めているのは中々に大変でね」


「世界で最も強大な――それは、あの巨人のような腕の持ち主のことか」


「その通り。北方の破壊王、隻腕の大山賊、トロルどもの王――呼び名は色々と御座いますが、この世で最も巨大な幻肢使いはこのガラドリア山に居を構えるラウス=ベフォニスをおいて他にはおりますまい」


 それが、パーンが敵と見定めた賊の名前だった。

 最強の称号、世界征服といった妄言を実現するための最初の一歩。確かにそれほどの強者を打倒すればパーンの名声は高まり、その存在はより強固に世界に確立することだろう。


 だが、ミシャルヒは今回の唐突な行動に不審を覚えていた。パーンが突飛な振る舞いに出るのはいつものことだが、その裏には彼自身の内側で完結する独自の論理が存在している。それがうっすらと見えるからこそ、ミシャルヒはパーンと『主従の契約』を結び、行動を共にしているのだ。しかし、あの奴隷の少女に関わり始めた辺りから、彼の行動には違和感がつきまとうようになった。


 更に、ここに来て謎の人物からの接触。

 言いしれぬ不安感がミシャルヒの心に忍び寄っていた。


「おお偉大なる巨人の腕! 極大不可視のラウスのかいな、一度振り下ろせば山脈は窪地となり、大河は逆流し、大地すら握り潰す。それはまさしく神の御手に他ならない。残念ですが、今のままでは貴方の主が敗北するのは必定」


「『今のままでは』と言ったな。察するに、貴様はパーンと取引でもしたいわけか。なら本人に直接言うがいい。私は奴の窓口ではない」


「誤解があるようですな。私は貴方の前に立っているのですよ、ミシャルヒ殿」


 男性は不敵に――そして不気味に笑い続ける。

 不快さを端整な顔に滲ませて、緑衣の麗人は一歩後退った。

 目の前の怪人物は危険だ。邪視に優れた種族特有の第六感で、ミシャルヒは身構えた。いつでも幻影の如き手掌を放てるように気息を導引し、内力を充溢させる。


「今回はアプローチを変えようと思いましてね。私の関心はパーン・ガレニス・クロウサーではなく、貴方に向いている」


 ミシャルヒの警戒にも構わず、男は言葉を連ねていく。

 続く発言は、これまで以上に理解不能なものだった。


「そう――ただの一度も代替わりせず、遙か未来までジャッフハリムの四十四士で在り続ける貴方にね。少々お時間を頂けないだろうか、スキリシア第四の幽鬼レイス、ミシャルヒ殿? ああ、どうか身構えないで欲しい。できれば末永いお付き合いをしたいのですよ。そう、遠い未来までね」




 何もかもが滅茶苦茶な状況だが、パーンが未来、つまりは劇の外を知覚している以上、舞台外も既に舞台と化しているに等しい。この世の全てが劇場、というわけだ。ならば、もはや神だろうが語り部だろうが作者だろうが全て舞台の上の登場人物に過ぎないのだ。俺が舞台に上がる程度のこと、もはや何の問題も無い。


 というわけで、俺は眼前の敵を見据えて勢い良く右拳を打ち出した。解放された幻肢体が錯覚というばねを駆使して標的を打撃する。パーン・ガレニス・クロウサーの虚を突いた、これ以上ないほど完璧な奇襲。伝達された架空の運動エネルギーが衝撃の錯覚と幻の痛みを押しつける。会心の手応え。懐に滑り込み鳩尾に突き入れた架空の腕がパーンの霊体を強かに打ち据えると、少し遅れて物理的な肉体も引き摺られるように吹き飛ばされる。並の霊長類よりも軽量な空の民は踏みとどまることも出来ずに壁面へ叩きつけられて――


(アキラくん、アキラくん、起きてっ)


 ちびシューラの声で、俺は夢から醒める。

 一瞬、意識が暗転していた。ほぼ意識のみの存在なので、全身の像がぶれて曖昧になっているのがわかる。


 幻の脳が有機的なニューロンネットワークを形成して、参照先の脳を幻として錯覚する。その錯覚が再帰的に元の脳部位を幻として錯覚。存在しない脳そのものが脳という構造をあると勘違いするという壮大な喜劇。幻肢ならぬ『幻脳』が俺の意識をあやふやな土台の上で継続させる。俺はよろめきながら壁面から這い出した。現実では、壁に叩きつけられたのはパーンではなくこちらだったのだ。


「今、あいつ何をした?」


 直前の攻防を思い出す。完璧な奇襲は、完璧な応手によって防がれた。そこから放たれた完璧な反撃によって俺は吹き飛ばされたのだ。問題はパーンの異様な体術だ。空の民は呪術的資質に優れる反面、物理的資質には恵まれないとか聞いた事があるが、あれは嘘だろう。


(あくまで一般論だよ! それにあいつは多分、何か呪術を使ってるよ! パーン・ガレニス・クロウサーが遺した呪術は、全て明らかになっているわけじゃないから推測だけど、シューラの見立てが正しければあれは――)


 幻の脳内に響くちびシューラの解説を聞きながら、俺はあることになっている双眸で浮遊するパーンを睨み付けた。

 異様な姿だった。全身の骨が脱臼し、伸びきったかのようで、身長、四肢の長さが数倍にも増している。奴は俺の打撃をあの柔らかい身体を使っていなし、更に物理的な左腕を俺の左腕に巻き付けて投げたのだ。


 軟体動物のように動いたパーンは、何事も無かったかのように骨を鳴らしながら全身の状態を戻していく。と、次の瞬間右の幻肢が伸びて追撃を放つ。反射的に幻肢体を飛翔させた。左に躱しながら相手の側面へと回り込み、こちらも幻肢による打撃を叩き込もうとした瞬間、尋常ならざる反撃が再び繰り出される。


 生身の左腕が長く伸びて、俺の腹部を貫通したのだ。呪力が通った打撃は呪術的な存在である俺を砕き、霧散させていく。消滅する寸前でちびシューラによる呪文構築が間に合い、意識を引き戻すことに成功した。急いで相手の間合いから離脱しようとするが、伸びる左右の腕、更には両足による追撃が続く。必死に回避しながら、相手の攻撃の正体を見極めようと目を凝らす。


(あれはまさか、ヨーガ?! いや違う、その流れも汲んでいるけど、もっと新しい――重引力法の応用? 特殊な呼吸法によって質量や骨格を操作しているの?)


 ちびシューラが分析してくれているが、もうちょっと要点を絞って説明してくれると助かる。つまり相手の攻撃はどういう性質のものなんだ?


(多分、整骨操手オステオパシー系統、カーインみたいな生体系呪術の使い手だと思うんだけど――ごめん、まだわかんない! とにかく今は近似した攻撃パターンに対しての応戦プログラムで凌いで!)


 状況は悪かった。勢い込んで飛び出してきたものの、パーンは超人的に強い。

 強引に屈伏させてこちらは一切譲歩せずに力を借りるか、先んじて脅威を潰すつもりだったのだが、そう上手くはいかない。こちらが繰り出すサイバーカラテの技の数々、初見の技術への対抗策は奏功せず、縦横無尽に空間を貫通する長い腕がこちらを攻め立てる。伸びる腕、柔軟な動きによってこちらの攻撃は意味をなさない。間合いを支配しているのはあちらだった。このままでは埒が明かないと一度距離を取る。パーンはつまらなさそうな表情で丹田の辺りで手を組むと、実体の左手と幻の右手で印相を結んでいく。気息の導引と共に丹田から全身へと呪力が充溢していった。


(あれはもしかして、細密活性波動印レンファー? だとするとこれは動物磁気――ううんそうじゃない)

 

 ちびシューラが何かに気付くのと同時に、パーンの瞳が藍色の輝きを放つ。

 それは呪文の詠唱なのか、何かを認証する際の音声鍵だったのか。

 独特の抑揚をつけた抑え気味の声が高速で紡がれていった。


「――前頭葉コイルシステム起動、右巻きは内側へ、左巻きは外側へ。生体電磁場を調整、抑圧されしイドを解放。其は閃き、其は波動言霊マントラの作用、天に肩凝りの解消、地に腰痛の改善、全にして一を内包する人工水晶の輝きよ、宇宙の中心的エネルギーを経絡へと導き、未知なる波動を既知に貶めん。掌握するは、大いなる生命オルゴンエネルギー!」


 裂帛の気合いと共に、パーンの周囲で藍色の炎が燃え立つ。揺らめく炎に包まれたパーンの気配は今までとは一線を画する威圧感だった。

 確か、カーインが気功とか言っている、運動エネルギーとウィルスと呪力の組み合わせみたいな奴になんとなくノリと雰囲気が似ているような気がする。


「――気穴開門アチューンメント


 烈火のような佇まいと相反するように、静謐な言葉が闇の中に響く。

 瞬間、強者の宣名にも似た圧倒的な衝撃が俺の幻肢体を突き抜けていった。

 ちびシューラが愕然と呟く。


(アキラくん、正解。あれは『気』と本質的に同じもの。波動とか、生命エネルギーとか、闘気とか呼ばれてるなんか素手でボコスカやるのが好きな人たちが纏うよくわかんない呪力の一種だよ。別名『超鍛えた俺は強いパワー』)


 ああ、なんか最後ので大まかに把握できた。

 正直俺には縁が無さそうな力である。


(一応、サイバーカラテの型をなぞる時に発生する形式的な呪力が同じ『身体性への確信』っていう性質も持っているから、上手くぶつければ相殺できるよ)


 わずかな希望が示されたが、パーンから放たれる威圧感はこれまで相対してきた強敵たちを彷彿とさせる。今は左右の義肢も無いし、どこまで戦えるかもわからない。とはいえ、ここまできて戦わないわけにもいかない。


「驚いているのか? 俺ほどに波動闘法ラジオニクスを極めた者は未来には現れなかったか――残念だな」


 なんとなくだが、その闘法は伝承されなくて良かったヤツな気がした。

 驚くべき胡乱さと脅威を並存させるパーンの武術はサイバーカラテユーザーとして多少興味があるが、ここは相手が手の内を見せる前に沈めるべきだ。恐らく悠長にデータを収集して分析している間に敗北する。先手必勝だ。


 俺は飛び上がると、宙に足場があると想定して踏み込んでいく。足裏から体軸に芯を通し、腰の捻転と共に運動エネルギーが全身を伝って右の掌へと突き抜けていく――ような気がした。幻肢体なので当然のごとく錯覚だ。しかし空想を打撃力に変換することでパーンへ渾身の一撃を見舞う。

 今度は回避も、防御すらされなかった。


「なあ、未来人。貴様、何がしたかったのだ?」


 心底から不思議そうに問うパーン。

 俺の掌打は確かに命中しているが、相手は小揺るぎもしていなかった。

 絶句するしか無い。実力に開きがあるとかそういうレベルですらなく、現時点の俺と奴とでは立っているステージが決定的に違いすぎる。


(アキラくん、方針を変えよう)


 ちびシューラの冷静な提言。俺も同意見だった。

 現段階ではパーンを力ずくで従わせるというのは無謀だ。失敗を認めず泥沼に突っ込んでいく意味はない。今は勝てないという事実を認識しただけで良しとしなければならないだろう。


「なるほど、実力の程は充分なようだな。これならばあのお方の前に立つ資格有りと認めてやってもいいだろう」


「はあ?」


 突然ふんぞり返って胡乱なことを言い始めた俺を怪訝そうに見るパーン。

 表情はアプリで完璧に制御されている。ちびシューラが事前に用意してくれていた別のプランに基づいて、俺は台詞を読み上げる。ちびシューラが持つ電子ボードには「そこでボケて」と表示されているが、お前はそこでボケんでいい。真面目にやれ。


「わからないか? さっきまでのは試験に過ぎない。お前に最低限の力が備わっているかどうかを測ったのだ」


 かなり苦しい言い訳を続ける。

 案の定、パーンから怒気が膨れ上がった。


「貴様――」


 攻撃的な意思がこちらに向くが、それは一瞬で霧散した。

 威圧的な声が突然に途切れる。

 轟音と共に、途方もなく巨大な幻の腕が伸び上がった。俺のものでも、パーンのものでもない。咄嗟に飛び出す。不意を突いてパーンの背後から迫り来る脅威を強引に殴りつけて軌道を逸らした。巨木を殴りつけたような手応えだが、ちびシューラが架空の脳を操作して手応えを錯覚させる。幻の右腕は幻の巨腕を軽々と弾き飛ばした。


 本来あり得ない処理を行った事でちびシューラが悲鳴を上げる。こんな無茶はそうそう行えないのだと実感した。今の俺は『思考する左腕』を基点に生成された幻肢体ゴーストだが、なんでもありの存在ではないということだ。

 俺は改めて、明確な敵手を注視した。横でパーンが何かを言おうとしているが、優先順位は低い。


 今更だが、俺たちは今だだっ広い空間に浮遊している。

 山中に空いた穴、その奥に広がっていた蟻塚のような通路を抜けた後、俺たちを待っていたのは途方もない規模の、半球状の大空洞だった。

 壁面や天井にはびっしりと呪鉱石が露出している。


 呪鉱石が放つ淡い燐光によって照らし出されているのは、およそ三メートルほどの巨大な人影だ。巌のような肉体、岩石のような肌の質感。すっかり放置してしまっていたが、あれが問題の山賊に違いあるまい。


 ここが過去であると同時に演劇空間であるため、『パーンに干渉する未来人』という役どころである俺は目の前の人物を見たままの存在として知覚しているが、あの山賊役はきぐるみを着込んだ牙猪バビルサが演じている。ラクルラールに支配されたトリシューラの配下、チリアットが。


 横目でパーンを見る。この男もどうにかしなければならないが、明確に敵というわけではない。従属ではなく対等な関係にまで持ち込み、リーナへの攻撃を止められるくらいの協力態勢を築くのが理想だ。


「妙な事を言う男だ。この俺が力を示し、貴様らの望みである奴の排除をもって貴様らは俺に『従属』する。それが約束だったはず。未来で俺がクロウサー当主を打ち負かした後には便宜も図ってやると、寛大な配慮をしたが?」


「そもそもあんたにその資格があるのか?」


 パーンの眉が急な角度をつけて持ち上がった。

 ああ、言ってしまった。

 ちびシューラにけしかけられるままに、とんでもない挑発を口にする。

 危険極まりないが、それでも言われるままにリーナ・ゾラ・クロウサーを売るのはやはり気にくわない。


 相手は力の論理を口にして、それを強引に押し通している。ならば、同じ土俵に立つことで対等な交渉が行える可能性が生まれるかもしれない。割と死ぬ予感があるが、混戦の中であれば話は違ってくる。


「未来のクロウサー家当主であるリーナ・ゾラ・クロウサー様はな、地上ではその名を知らぬ者がいないほどの傑物。史上最年少で【空使い】になった本物の天才だ。まさに血族の精髄、天上の至宝。人は彼女をこう評する。天はリーナの上に人を作らず。その背を追い、並ぼうとする者をことごとく置き去りにする神速のスピードスター! 俺はあのお方の同盟者として、お前が挑戦者として相応しいかどうかテストしなければならない」


 いや、だって、ちびシューラがそう言えって。流石に「俺は四天王の中でも最弱、この程度でいい気にならないことだな」という指示は無視したが。

 意思決定をやってくれる上に責任転嫁できる相手がいるって楽でいいなあ。けっこうギリギリの綱渡りにも関わらず精神が安定している。別に自棄になっているとかではない。どうにでもなれとか別に思っていない。


「この俺の力を知ってなお、格下の挑戦者だと――遙か未来の【空使い】、リーナとはそれほどの者か。なるほど、未来のゾラ家はダウザールを超えるどころか、初代クロウサーに匹敵する怪物を生み出したらしいな」


(よし、いい感じに誤解してなおかつワクワクしてるよ! やったね!)


 いいのかこれ。特定の誰かに迷惑かかってないか。

 不安に感じつつも、始めてしまったものは最後までやり通すしかない。

 

「その上、俺を試す、と――いいぞ、愉快な事を言ってくれるではないか。では未来人、貴様はこの俺をいかにして試すつもりだ?」


「パーン・ガレニス・クロウサー。先ほどの非礼は詫びておく。だが今はあのでかぶつを排除するのが先だ。それを以て次の試練としよう」


 性格を除けば、強大な力を持つパーンは理想的な協力者と言える。

 何より、この男にはラクルラールの支配が通じない。この機会を逃さず、劇中で暴れ回ってラクルラールの支配からチリアットたちを解放するというのが修正された現時点でのプランだ。情けなくない。臨機応変なだけだ。


(場合によってはパーンの闇討ちも辞さないよ! シュッシュ!)


 ちびシューラは何かシャドウボクシングをしながら物騒な事を言っているが、それは最悪の場合だ。しかし、パーンという男が危険過ぎるのも事実。簡単に利用できないのなら、混戦の中で殺してしまうということも選択肢に入る。可能なら、という但し書きが付くが。

 パーンが、鼻を鳴らして呟いた。


「ふん、結局やることは変わらないな――」


 山賊の頭領には右腕が無く、左腕には奴隷の少女フェロニア――つまりは冥道の幼姫がぐったりとした様子で囚われている。幻肢体ゴーストと化した今の俺は自由に浮遊することが可能だ。三次元的な移動力を獲得しているため、素早く接近すれば彼女を奪い返すことは容易いように思える。しかし、そのためには大きな障害を取り除かなければならない。


「おうおう、ちっせえのがちょろちょろしてやがんなあ。俺様はこれからお楽しみの時間だってえのによう」


 荒っぽく、下劣なだみ声でがなり立てる山賊は、存在しない右腕を一振りした。

 滞空していた俺とパーンは上下に素早く退避する。まともに受ければ死ぬと、共に幻肢を操る者として理解できたからだ。


 三メートルというのは、多様な種族が存在するこの世界においても度を超した巨漢と言って差し支えない。俺は見たことが無いが、世界槍の第八階層にいるという巨人ネフィリムという種族を除けば三メートル級の個体が普通にいるらしい岩石肌の種族は最大級の大きさと思って良い。


 しかし、山賊が操る幻肢の大きさは、本体がちっぽけに思えるほどだった。肉体に比して余りにも不釣り合いなそれは、初見では腕が本体なのではないかと思わされるほどである。


 悠久の歳月を重ねた巨木、あるいは大地を分かつ激流の大河。

 それこそ巨人と形容するのが相応しいサイズの、出鱈目な幻肢呪術。

 大空洞を震撼させる一撃が、岩壁を削りながら大空洞を崩落させていく。

 雨のような落盤を回避しながら、俺は絶叫した。


「正気か、生き埋めになるぞ!」


「安心しな、ここは夜の異界スキリシアにあるクォル=ダメルの洞窟と繋がってるからよ! あの柔らけえ世界の特性を反映したこの暗闇の中では、破壊された箇所は即座に再生するってな!」


 縦横無尽に振り回される巨大な腕によって大空洞は徹底的に破壊されるが、彼の云う通り薄暗い洞窟内部は可塑性のある素材で形成されているらしい。呪鉱石の光によって生じた影がざわりと蠢動したかと思うと、それらが触手のように崩落箇所に伸びて、欠落を埋めてしまう。影が無を埋めるという不可思議な修復作業は瞬時に終了し、暗闇の中は元の半球状の大空洞に戻ったのだった。落盤もまた足下の大地に吸い込まれて消えていく。


「と、こういうわけで俺様はこの腕を振るい放題ってわけよ。大暴れしたら熊人ディスノーマどもが冬眠から目覚めてくるかもなあ。てめえらぶち殺したらエサにでもくれてやろうか、ええ?」


「ほざけ、ラウス=ベフォニス。エサになるのは自分自身だと知るがいい」


 不遜に言い放ったのはパーンだが、その肉体は満身創痍だった。

 巨人の腕の一撃が生み出した衝撃の余波だけで、俺と違って右腕以外は生身である彼のダメージは深刻だった。吐血している所を見ると、恐らく骨や内臓もやられているだろう。ぼろ切れとなった上衣を脱ぎ捨てると、傷だらけの上半身が露わになる。空の民としては驚くほどに鍛え上げられた肉体の至る所に裂傷が走り、腹部は内出血しているのか青黒く変色している。


「おいおい、そんなボロボロの身体で上からもの言っても惨めなだけだぜぇ?」


 山賊の頭領ラウス=ベフォニスは嘲りの言葉を発したが、パーンはそれを一顧だにせず、何故か無事なままの眼鏡の奥で藍色の瞳を輝かせた。その全身から藍色の燐光が溢れ出す。呪力の輝きは彼の傷付いた肉体を優しく包み込むと、時間を巻き戻すかのように修復を行う。あまりにも劇的な治癒に俺は息を飲んだ。激痛があるのか、パーンは額に脂汗を浮かべていたが、それにしてもキロンの超再生能力を彷彿とさせる、尋常ではない回復術だった。トリシューラが作成した治癒符でもああはいかない。


(アキラくん、あれは【癒しヒーリング】だよ。経絡に呪力を浸透させて自然治癒させたんだ)


 いつものように俺の視界の隅に立ったちびシューラが解説してくれた。パーンは『法箋穴ほうせんけつ』なる経穴に『波動』を送ることで治癒ヒーリングを行ったのだという。本人が苦痛を感じているのは好転反応という呪術現象であり、効果が現れている証明なのだとか。カーインみたいな奴だな。


(波動って、ウェーブじゃなくてバイブレーションだからね。混同しないでね)


 よく分からない補足をされたが、意味不明だ。

 肉体が万全の状態に戻ったパーンは、かろうじて無事だった箒に両足を乗せてラウス=ベフォニスに向けて突撃する姿勢を見せた。

 

(あれは有名だから知ってるよ。ガレニスの血族は空の民としては異質で、杖系統が得意なんだ。反面、普通の空の民が得意なことは苦手で、高速の飛翔ができない。けれど、パーンは史上初、その常識を覆した天才なの)


 ちびシューラが解説してくれているように、目の前の男は普通の空の民のように身体一つで空を飛ぶわけではない。彼にできるのはゆっくりと浮遊することだけ。恐らく幻肢体ゴーストとなった俺よりも飛翔速度は落ちる。だが、本来のスペックを外付けの道具ツールで超越するのが杖のやり方だ。


(あれが、魔女術ウィッチクラフトの流れを汲む、箒による飛翔。長いクロウサー家の歴史上、たった二人しか使い手がいない異端の業)


 ちびシューラの言葉と同時に、パーンが獰猛に叫んだ。

 それは余りにも短い呪文詠唱、その起句となる文言。叫ばれた瞬間、その言葉すら置き去りにして彼は飛び立っている。


「言理飛翔――十倍加速」


 目にも留まらぬ速度だった。

 箒に両足を乗せて大気を引き裂いていくパーン。呪具全体に微細な呪文を刻むことで異次元の加速すら可能とする、『鈍足のガレニス』から誕生した『最速のクロウサー』。呪具を使用した飛翔が恥とされた為にクロウサー家の正式な記録は残っていないが、一説によればその最高速は亜光速に迫ったとも言われている。その力が、今まさに牙を剥こうとしていた。


 甚大な大地の破壊、遅れて壮絶な衝撃音。

 巻き上がる粉塵の中から、減速したパーンが上昇していく。緩やかな弧を描きながら突進を終えたパーンは、鋭い視線を真下に向けたままだ。 


 無傷。否、パーンの突撃は確かに巨漢の肉体を破砕していた。だが、その肉体は異常な再生能力によって瞬時に元通りの状態を取り戻したのだ。唯一頭部だけが強固な呪術障壁によって保護されており、同様にフェロニアも光の膜に包まれて無事だった。少し安堵してしまい、やや複雑な感情を持て余す。


 巨大な幻肢使いから凄絶な呪力が迸った。山賊の頭領、いや北方の王ラウス=ベフォニスもまた真の怪物。大空洞中の呪鉱石が一斉に共鳴し、空間が激震して俺とパーンの動きが一瞬竦む。解き放たれる巨腕の一撃。神速を誇るパーンであっても、全方位への攻撃によって加速を封じられては回避が間に合わない。


「ちびシューラッ!」


(任せて! 【弾道予報Ver3.0】、おまけに【弾道占いVer1.0】並列起動!)


 密かに復旧が進められていたかつての俺が愛用していたアプリ群。今回は更にそれらを元にトリシューラが改良し、別用途の新アプリまでもが起動する。この世界に適応させた、呪術的バージョンアップ。それは予測を占いに置き換えた、未来を手繰り寄せる能動的なアプリ。


 視界に表示される弾道予測線、つまり巨大幻肢の軌道はパーンに直撃するコースを描いているが、それとは別に、血液型やラッキーアイテム、その他乱数に基づいて決定される占いによる予測線が出現する。パーンから外れるという占い結果を、俺とちびシューラが『支持する』ことにより事象の蓋然性が変化し、現実が占い結果に引き寄せられる。物理的な事象ならばより多くの人々が信じてくれなければ軌道を変えることはできないのだが、今回は幻肢という非実体が対象だったのが幸いした。ラウス=ベフォニスの一撃はパーンにはかすりもせず天井に激突するのみ。


「未来人、今の術は何だ? 中々興味深い真似をする!」


 緩やかに風に乗りながら呼びかけてくるパーンは、このような状況だというのに楽しそうだ。関心事に向かって全力で駆けていく子供のような表情でこちらを注視している。あるいはそれは、彼の傲慢さや残酷さのもう一つの一面なのかもしれなかった。


 轟くような絶叫が響く。目算を外した山賊の王が怒り狂っているのだ。

 巨大な腕を引き戻して、ぐっと腰を落として力を蓄える。幻肢側の肩を引いた状態から、大きく息を吸うと架空の腕が膨れ上がっていく。腕という形状すら維持することを放棄した幻肢は、膨張し続ける呪力の塊となって解き放たれる寸前で留め置かれている状態だった。回避しようにも、予測される巨腕の効果範囲は空洞全域。先ほどのように軌道を逸らす手段は使えない。来た道はいつのまにか塞がれている。俺とパーンは全く同じ選択肢をとった。すなわち、前に出たのである。


 巨大幻肢が生み出す圧倒的な破壊の波。しかし左右から迫る標的にラウス=ベフォニスの表情に迷いが生まれ、放たれる一撃がわずかに乱れる。その隙を逃さず、俺は荒れ狂う呪力流が弱まった一点へと突入し、抜けた。敵の懐に飛び込み、渾身の掌底打ちを叩き込み、そのまま背後に回って振り向きざまに肘を叩きつける。体勢を崩したラウス=ベフォニスに更なる追撃。上空から一直線に打ち出された藍色の衝撃波が巨体を叩き伏せたのだ。


 破壊の奔流が荒れ狂う真上を見る。巨腕の一撃をまともに受けたはずのパーンが、高笑いをしながら箒の上に立ち、繊細にして大胆な制御によって破壊の波に乗っていた。呪術攻撃に対して波乗りで受け流すってちょっと意味がわからない。


「乗るしかないな、この運命の荒波ウェーブに!」


 あいつウェーブって言ってるけど、バイブレーションと違うの?


(いや、あれはまた別の文脈だと思う)


 さすがのちびシューラもやや戦慄を隠せない様子で真上を呆然と眺めていた。

 調子に乗ったパーンには誰もついて行くことができないのではないか。そんなことを思ったせいかどうかは知らないが、何かに亀裂が入るような音が響いた。高笑いが止み、サーファーの体勢が崩れる。半ばから真っ二つに折れた木の柄が落下していく。使い手の無茶に箒の方が耐えられなくなったのだ。


 ラウス=ベフォニスが腕を振り回しながら立ち上がる。破壊の渦に巻き込まれかけた俺は咄嗟に飛び退くが、放たれた衝撃波は一直線に無防備に宙に浮かぶパーンへと突き進んでいく。【弾道予報】と【弾道占い】の並列起動による強制介入を実行するが、正体不明の呪力によって弾かれる。ラウス=ベフォニスのつるりとした頭部から、いつの間にか青い髪の毛が生えていることに俺は気が付いた。どろどろに融けた毛先が闇色の大地と一体化している。


 パーンが絶体絶命の危機に晒されたその時、闇を鮮やかな赤色が引き裂いた。

 上空から鋭く舞い降りたそれは、一輪の赤薔薇。

 紅色の花弁を散らせながら幻の巨腕に突き刺さった赤薔薇は、その小ささからは想像もつかないほどの重みで打撃の軌道をねじ曲げる。


(巨人の腕を押しのけるなんて、あの薔薇、古き神の加護でも宿っているの?)


 ちびシューラが首を傾げる。俺は天井のあたりを見上げて、同じように不可解さに首を傾げた。今、確かにラクルラールに操作されたラウス=ベフォニスの攻撃を同じく操られているはずの役者が妨害した。薔薇を投げたのが誰か、言うまでもない。天井から逆さまに咲いた巨大な食虫植物の中から現れたカーインの髪色は黒いままで、体のどこかに青い髪の毛が巻き付いている様子は見られない。パーンが俺に気づかないうちに融血呪を破壊したのだろうか?


「やれやれ、その箒はオーファから預かった貴重な呪具なのだが。そのうち繁茂の神から天罰が下るぞ?」


「神の怒りなど、この俺が恐れるとでも? ああ、だがオーファには悪いことをしたな。今度何か詫びでも持って行ってやるか」


「キミに謝られても彼は困ると思うがね」


 親しげに会話するパーンとカーインに、激怒しながら暴れ狂うラウス=ベフォニス。役者の増えた舞台に、更なる混沌が渦巻いていく。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る