4-53 不似合いな結びつき



 しいする、弑逆するとは主君や父などの目上の者を殺すという意味だ。


 オルヴァ・スマダルツォンはクーデターにより王位から引きずり下ろされ、九日九晩にわたって熱した鉄の棺の中に閉じ込められるという責め苦を受けた。

 その後、断頭台の露と消えたと言われている。


 一説によれば、断頭台に至る階段の数は十三であったという。

 オルヴァは階段を上る度に鞭で打たれた。

 それを行ったのは彼のかつての臣下たちである。

 彼は独占的に任命権を行使して地位を定めた。


 大胆な人事の歴史的評価はともかく、それが貴族などの権力者たちにとって不満を抱かせるものだったことは確かである。

 政変を成功させた権力者たちはオルヴァが踏んだ階段を順番に破壊した。これによりカシュラムに存在した十二の身分が破壊され、最後にオルヴァが弑されたことによって従来の身分制は消滅したと言われている。


 が、その後の政権は貴族階級の者たちによる合議制であり、身分制は引き継がれた。結局の所、宮廷内部の権力争い程度の意味しかなかったというわけだ。

 とはいえ、オルヴァの特殊性は王であった時代にはない。

 彼には根強い『生存説』があったのだ。


 その後に現れた賢者スマダルツォンは終末の予言を告げたことで有名だが、その外見的特徴が伝説的なカシュラムの祭司にして霊媒でもあったオルヴァと酷似していた。このことから、二人を同一視するものは後を絶たなかった。


 更に、オルヴァ王が在位していた当時には王宮の庭に宮廷付きの隠者が住んでいたと言われている。

 政変の後、隠者がどうなったかということに関する記述は後の世に残っている史料には存在していない。


 そのことが人々の妄想をかきたてたのか、『隠者は影武者で処刑されたのは隠者、オルヴァは逃げ延びて賢者となったのだ』だとか『実は隠者は存在を秘されたオルヴァと瓜二つの双子で、呪術的な共振を恐れて秘密裏に育てられていたのだ』とかいったストーリーが組み上げられて巷間に流布していった。


 ――確か、コルセスカとやったゲームだと生存説を採用していて、主人公である女王の国で宮廷付きの賢者となり、恋人兼臣下として末永く女王の傍で仕えたという結末だったな。


 俺は炎上し崩壊する舞台をその下の奈落から眺めつつ、そんなことを思い出していた。オルヴァに関する細々とした知識は、コルセスカに教えて貰ったものだ。

 コルセスカ。そうだ、あれは確かにコルセスカだった。

 白骨を包み込む氷の彫像。精緻な少女の造形。見間違う筈も無い。

 

 だが、同時に冥道の幼姫キシャルでもあったように思う。

 彼女たち二人の境界がどこにあるのか、俺には既にわからない。

 オルヴァとして舞台に上がった俺は自分自身では違和感に気づけない糸によって操られていた。救い出してくれたのは、あの二人だ。


 今にして思えば、囚われたオルヴァが隠者ウォレスと入れ替えられたのは『生存説』を確定させる為だろう。筋も結末も破綻していたが、少なくとも滅びの直前で二人が入れ替わるという行為が存在した以上、布石は置かれたわけだ。


 これで残る二つの舞台で過去を改変し、滅びを回避すれば、後はある程度ファジーに今回の舞台が整えられるのだろう。支離滅裂な滅亡は史実通りのクーデターに置き換わり、入れ替わりが一度演じられたことで『生存説』が確定する。


 生き残ったオルヴァは隠者ウォレスの纏っていたぼろ切れで素性を隠しつつ諸国を放浪し、やがて名を変え賢者スマダルツォンとして名を馳せるようになる。

 これが適当なストーリーだろう。

 つまり、未来への道筋は作られているのだ。


 全て、冥道の幼姫の機転によって。

 やはり、キシャルを完全に敵として認識する事ができない。

 そもそも、彼女はどうして【死人の森の女王】ではなく【冥道の幼姫】として俺の前に現れているのだろう。


 この時代ではそうだから、ということはわかるのだが、彼女は彼女で未来の――つまり俺と戦った時の記憶を保持しているように思える。

 未だ為されていない罪を問う事は、正しいのか?

 過去に遡って己に害を為すであろう人物を予防的に殺害することと、遺伝子や障害といった要因に基づいて優生学的に胎児や新生児を間引くことにどれだけの違いがある? そして今の冥道の幼姫をどう捉えるべきなのだろう。


 厳密にはある行為をするかどうかと個人が持つ様々な要因は全く別の問題だ。それに対処をするのは、理念と国家の役割だろう。

 助力が必要ならば網を張り、悪意あらば法と暴力でこれを抑止する。


 トリシューラとガロアンディアンは、これにどのような答えを出すのだろう。訊ねるまでもない、彼女は自分に仇為す敵を赦しはしない。

 そう、結局はそこだ。俺もトリシューラも、自らの命を危険に晒してまで敵のことを考えてやる余裕など持ち得ないのだ。


 だというのに、あの死人の女主人は違うというのか。

 トリシューラを害し、コルセスカの存在を危ぶませている冥道の幼姫は敵のはずだ。しかし同時に、彼女は俺を助け、コルセスカは未だ消滅しておらず、今回に至っては俺と一緒にちびシューラまでも呪縛から解放している。


 俺は自分の手首あたりに立ちながら、掌の上で座り込んでいるちびシューラを見た。投げ出された左腕の上にいる俺たちの間に会話は無い。

 二人とも、意気消沈しているからだ。

 それというのも、全ては自分の不甲斐なさゆえ。


 デフォルメされた短い手を実物の手に叩きつける。固い感触が帰ってくるが、所詮俺は仮初めの存在。実際には存在しない。

 役を演じる者がいない俺がどうやって意識を保っているのかは不明だったのだが、よく左腕に意識を向けると内部に精密な機械が埋め込まれているようだ。


 トリシューラが改造してくれていたのだ。ちびシューラの意識を計算する呪術機械によって、俺というキャラクターが再現されているのだろう。

 俺は、同じ計算機上で再現されたキャラクターであるちびシューラに声を掛けた。そうしなければどうにもならないからだ。


(ちびシューラ。そろそろレオたちが回収に来る。何か対策を講じないとまた操られて終わりだ)


 返事が無い。

 言葉を無理矢理に繋ぐ。


(そういえば、あの時にいきなり現れた外敵――ジャッフハリムだったか。あのレストロオセと名乗っていた奴、どう見ても前に見た魔将イェレイドだったんだが、あれはどういうことだ?)


(検索すれば)


 まともな返答のように聞こえるが、この世界では本物より確からしい誤情報や偽物より嘘みたいな真実が混在し、時にそれらが入れ替わるという滅茶苦茶な世界である。現実を改変する噂の量はさながら荒れ狂う大海。その情報の海を渡って正確な目的地を見つけるには、優れた検索エンジンの助けが必要となる。


 情報的な資産が無ければまともな情報にアクセスすることも不可能なのがこの呪術世界である。俺も言語魔術師の知己を得られなければ早々に情報弱者として搾取され続けることになっていただろう。


 というわけで、今のちびシューラの反応は検索エンジンに情報を入力したら「検索しろ」と言われたに等しい。理不尽すぎる。

 ちびシューラは座り込んでうつむいたままだ。

 仕方なく、心なしかしょぼくれたようになっている狼耳を引っ張る。


(ほっといて)


 身体はびくりと震えたが、まだそっぽを向いたまま。

 なんとなく、尻尾を引っ張ってみた。ふさふさしていた。


(ふぎゃあっ! やめてよ! 脊髄と繋がってる設定なんだよ!)


(設定かよ。いや、落ち込んでる素振りとか今はいいから。行動しないと始まらないだろ)


(あのさー、アキラくんさー、こう言うときって落ち込んでるシューラを頼れる使い魔が慰めてくれる展開が妥当じゃない? それっぽくない?)


 ちびシューラが不平を述べるが、そういった要求はもっと余裕のある時にして欲しい。しかしちびシューラは俺の対応がよほど不服だったようで、頬を膨らませて俺の方を見ようとしない。こいつ、実は結構余裕あるのか?


 それとも、本当に自我にダメージを受けていて、それを必死にごまかしているのか。ちびシューラの内心はわかりやすいようでいてわかりづらい所がある。彼女は感情豊かな仮面で人らしさを偽装する。いつか、それで死にかけたことすらあったのだ。自尊心はこの少女の聖なるもの、魂そのものだ。


 敵が強大であることはわかりきっている。

 現時点で力及ばなかったというだけでは、ちびシューラの存在を揺るがすまでには至らないだろう。その上、現在の彼女は本体よりも能力が制限されたちびシューラなのだから、敗北した言い訳は立つ。


 しかし、自尊心が高すぎる生き物は得てして言い訳を好まない。

 実際に自分が万全の状態ではなく、相手が格上であっても、負ければ悔しい。

 女王に、そして女神になろうと考えている者にとってはなおさらだろう。

 

 そういった事情も踏まえると、キシャルに手を貸して貰うというのも一層難しくなってくる。ガロアンディアン女王としての面子というものがある以上、対等な協力関係、正当な取引が許容できるギリギリのラインだろう。その為には一方的に助けて貰うのではなく、こちらも力を示して相手を助けてやらなければならない。


 そんなことができるのだろうか。この絶望的な状況で。

 俺は自らの左腕の上から、暗闇を見渡した。

 舞台下の空間に、ぽつぽつと小さな光が見える。

 ヴィヴィ=イヴロスが裏方使い魔たちにばみらせていた蓄光テープではない。

 妖しく呪術的な光を放つ、人形たちの眼球がこちらを見ているのだ。


 暗闇に目を凝らすと、至る所に裸の球体関節人形が立ったり座ったりと様々な姿勢で置いてあるのがわかる。その全ての頭部から青い長髪が伸びており、髪は頭皮に根を張って各人形を繋いでいるのだった。


 融けるような髪で接続された、球体関節人形の群。

 四方八方からそれらに囲まれた俺たちは、張り巡らされた糸の檻、呪いの網に囚われているようなものだった。


 俺以外の誰も、その奇怪な人形たちの異常さに気付いていない。

 いや、俺たちとて今の今までそのことに気づけていなかった。

 こうして現状を正しく認識できるようになったのは、あの時キシャルが文字通り身を削った成果だろう。


 糸に操られたオルヴァに襲われたキシャルは、その腹部から右腕を出現させた。

 冥界でも目にしたあの右腕は、確かに俺を呪縛していた髪の毛だけを断ち切り、それによって俺は自由意志を取り戻せたのだ。俺は、このことをどう捉えるべきだろう。


 キシャルは敵だ。

 だが、この呪わしい糸に支配された状況下で、唯一共闘できそうな相手でもある。これ以上ちびシューラが誰かの意のままに操られているような光景は見たくないし、利用されていることを自覚すらできない状況は後の彼女を苦しめる。


 今の俺は敵地に取り残され、孤立無援となっているに等しい。

 闇雲に足掻くよりも、キシャルと手を結ぶ、という確実な道を選ぶべきではないのか。だがちびシューラの誇りはどうなる。コルセスカは? 思考が整理されないまま、焦燥感だけが増していく。

 

 じっとこちらを見ている人形たちが、ひどく薄気味悪い。

 狙いが不明のまま、こちらに何かをさせようとしているのが一層不吉さをかき立てる。知らぬ間に破滅に続く道を歩かされているような気分がする。

 居心地の悪さを感じながら、まとまらない思考を巡らせていると、ちびシューラの方から動きがあった。彼女は下を向いたまま、力のない声でこう言った。


(ごめんねアキラくん。期待させたのにシューラ役立たずで)


 ああ、そこからやりたいのか。

 まあ呪術の儀式だと思って付き合おう。これくらいで彼女の精神が復調するのなら安いものである。


(それを言うなら、俺だって同じだ。力不足ですまない)


(アキラくんはしょうがないよ。呪術抵抗力がほぼ皆無だもの。シューラはちゃんとラクルラールお姉様の支配に対する知識があったのに。機能が制限されていない本体シューラならもっと――ううん、言い訳はみっともないね)


 だいたい予想通りの言葉。

 少し前から頭の中でまとめていた文章を読み上げるように口にしていく。

 ――というか、こいつ俺の準備が整うのを待っていたのでは。


(聞いてくれちびシューラ。勝負っていうのは一度では終わらない。負けた原因を分析して、自己改良を繰り返すんだ。試行錯誤を繰り返していけばいつかは勝ちに届く。きっと、コルセスカならそう言うはずだ。あいつにみっともない姿は見せたくないだろう? ならここで頑張って、囚われのお姫様状態のコルセスカを救い出してやろう。そうしたら、強くなった自分を思いきり自慢してやれ。きっと褒めちぎってもらえる)


(――ほめちぎり。セスカからちやほや。みんなから大絶賛?)


(そうそう。グレンデルヒに勝てば地上最強の武名が手にはいるし、ラクルラールぶっ飛ばしたら最強の人形遣い? とかの称号が手に入るぞ。今までの人形はもう古い、これからは自律型機械の時代だーって感じで)


 ちびシューラの耳がぴんと立ち、尻尾がそわそわと左右に動き始めた。

 もう一押しかな。


(アキラくんは褒めてくれる?)


(褒める褒める。ちびシューラがいなかったら今の俺はいなかったよ)


 と、俺がそこまで言うと何がまずかったのか、ちびシューラは再び暗く沈み込んでしまった。一体どうしたのだろう。


(今の状況は、シューラじゃなくて敵の情けのお陰。シューラは役立たずだった。むしろ足手まといだった。積極的にラクルラールお姉さまの手駒になって動いてた。アキラくんを束縛して自由意志を奪ってた。もうアキラくんの立派なご主人様としての資格が無い。恥ずかしい。死ぬしかない)


 陰鬱に呟くちびシューラに、思わず顔がひきつる。

 知らずに地雷を踏んでいた。

 やはり、敵であるはずの相手に結果的に救われてしまったことが彼女を傷つけていたらしい。無理もないが、しかし済んだことは仕方がない。


 これから挽回するしかないのだが、問題は打つ手が見つからないことだ。

 俺たちは左腕の中に存在しているようなものだ。

 誰か役者と繋がって、演じて貰わなければなにもできない。

 そして、その役者たちは皆ラクルラールの支配下に置かれているのだ。


 どうすることもできなかった。


 ちびシューラは俯いて溜息を吐き、俺は眉間に皺を寄せて唸る。

 不毛な時間がただただ過ぎていく。

 そんな時だった。


(辛気くさい連中だ。見ているこちらの気まで滅入る)


 出し抜けに響いた声に驚いて、俺たちは揃って左腕の断端のあたりを見た。

 その上には、とても小さな、切断された腕が乗っている。

 しかしそれは俺たちが足場としている左腕とは逆の腕、つまり右腕だった。更に、どこか血の気が薄く死体のように見える。


(ふん、どうした。鳩がビーンズ式詠唱術を食らったような顔をして。俺がここにいることがそんなに不思議か?)


 ぐねぐねと右腕が動いて、手首が偉そうに反ってこちらを見た、ような気がする。俺たちは呆然とその光景を見ながら、震える声でこう言った。


(う、腕が――)


(喋ってる! キモい! キモいよアキラくん! あっごめんね腕だけのアキラくんのことまでキモいって言っちゃったみたいで。アキラくんの左腕はとってもキモかわいいよ)


(貴様ら――さては割と余裕があるな?)


 俺たちは本気で震え上がった。

 何しろ相手は腕だけだというのに堂々と口を利いているのである。ちょっとした恐怖体験に、俺はちびシューラがいる掌の上に退避していた。


(たかが見た目でおたおたするな、それが我が主と渡り合おうという僭主の振る舞いか。敵ならば敵として、相応の品格を兼ね備えておくがいい。が、まあ仕方ない。ここは貴様らの流儀に合わせてやるとしよう。光栄に思うがいい)


 尊大な口調でまくし立てる、どこか聞き覚えのある鋭い声。

 不気味な右腕はびちびち、と水揚げされた魚のように跳ねたかと思うと、次の瞬間、眩い光に包まれる。

 再びその場所を見ると、腕に代わって奇妙な存在が現れていた。


 俺やちびシューラと同じような、二頭身にデフォルメされた男性だ。

 黒いコートに包まれた肉体はデフォルメされながらもシャープな印象をこちらに与えてくる。女性的と形容しても差し支えのないほど繊細に整った顔立ちに、後頭部で馬の尻尾のように揺れる一房の黒髪が特徴的だ。何より、その睨むだけで相手を斬り殺せそうな眼光は忘れもしない。


(誰だっけ?)

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