4-52 死人の森の断章3 終端は弑された




 唐突なカシュラムの滅亡。

 圧倒的な死をもたらしたのは、ジャッフハリムの悪夢と呼ばれた女である。

 レストロオセと名乗った以上、その宣名は世界を砕き、崩壊させていく。

 それがまことの名であることを、世界は滅びによって認めたのである。


 災厄はそれだけにとどまらなかった。

 後ろに控えていた石のような肌をした男が腕を振ると、最後まで抵抗を続けていた兵士たちが残らず消し飛んだ。続いて朱色の目をした男が指を鳴らすと、どこからともなく異形の軍勢が現れて生き残った人々の息の根を止めていった。 


 夥しい数の生命を内包したレストロオセの肉体が膨れあがり、屍体を飲み込んで捕食していく。無数の生物群によって構成された怪物は触手を伸ばすと、オルヴァ王を体内に取り込んだ。巨大な闇の中に閉じ込められた王の姿が見えなくなる。


「わたくしたちは一騎当千。ジャッフハリムの拡張を止める事は誰にもできない」


「――日本語訳ですから仕方ありませんが、一騎当千は明らかに過少申告ですよ」


 よろめきながら立ち上がったのは、蜂蜜色の髪をした少女だった。

 全身を穴だらけにしながらも、灰色の目で強く怪物を睨み付ける。


「出鱈目な展開にしてくれましたね。一体これは、どのような因果によって導き出された状況なのですか? カシュラムはクーデターによって滅ぶはず。ブレイスヴァという名のね。外敵に攻め滅ぼされる可能性は皆無ではありませんが、この時代のレストロオセは未だジャッフハリムの権力を掌握しきっていませんよ」


 問いかけに、レストロオセは豊かな金髪を蠢かせながら答えた。

 長く長く伸びていく髪の毛が、異形の怪物の各所に繋がってその巨体を操作しているのが見えた。さながらそれは巨大な人形のようである。


「全ての劇が行為と行為を繋ぐ因果関係によって成り立たなければならないなどと誰が決めたのです? あらゆる事象が物語的な整合性を有しているなど、リアリティの欠片も無い!」


 レストロオセは前触れもなく落ちてきた隕石に頭を粉砕された。

 直後、幾多の蝿が集まって新たな頭部を形成する。

 レストロオセの顎が人形のようにカタカタ動いて言った。


「人間は不意に訪れた病や事故などにより特に意味も無く死に! 次の瞬間には隕石の落下、火山の噴火、地震や津波などの天変地異により人類は滅亡する! これがリアル! 圧倒的理不尽で不条理な現実! 破綻せよ、破綻せよ、この舞台に勝者は存在しない! わたくしの思い通りにならない人形劇は全て中断し、出来の悪い繰り糸は破棄しましょう! 状況はいくらでも作り直せるのだから!」


「では、その不条理な『状況』の中で抗うだけです」


 キシャルの手の中で、『地位』という名の書物が光を放った。


 『地位』という言葉が内包する『事態』や『状況』といった意味が揺れ動きながら世界を書き換えていく。


「オルヴァ王は確かに不条理な振る舞いをしましたが、ああした邪悪さや破綻もまた人の性質でしょう。ならばそこには彼の中で完結する条理があるはず。本質的な意味での狂人などいないし、純粋な不条理劇などあり得ない。その程度の状況をぶつけただけでは物語の呪縛から逃れることはできませんよ、ラクルラール」


 見上げるような巨体の怪物は、カシュラムの言い伝えの中に登場する、名状しがたい存在の顕現であった。

 かつてカシュラムでは『終端』と呼ばれる神が崇められていたが、その最高神は下位である筈の何者かによって殺されたと言われている。


 それこそがブレイスヴァ。終端を弑するもの。

 万象を喰い殺し、その事実さえを喰らい尽くす、破壊と再生、無と有とを司る、カシュラム人にとっての世界の全て。

 

 カシュラムはクーデターで滅ぶことを運命づけられた国だった。

 現状の地位を脅かされることを根源的な恐怖として深層意識に刻み込まれたカシュラム人は、下から上へと突き上げる力に強い恐れを抱く。


 それは上位の者であればあるほど、そして支配する下層階級の数が多くなればなるほどに増していく。つまり、カシュラム最盛期の王にのし掛かる不安、忍び寄る恐怖はその精神の均衡を失わせるのに充分なものだったのである。


「カシュラム人は別に発狂してはいませんし、ブレイスヴァなんてありふれていますわ。それは何ら特別なことではありません。私は『狂っている』という認識を押しつけられた子を一人知っているけれど、彼女はそんな呪縛に向き合い続けてきた。私が逃げるわけにはいきませんよね」


 キシャルは書物を輝かせながら、少し離れた場所に立っている老人を見た。

 隠者ウォレスは傷一つ無いまま、険しい表情で異形の怪物を睨みつけている。


「力を貸していただけます? グレンデルヒ=ライニンサル」


「馬鹿なことを。そんな必要がどこにある?」


 老人は酷薄に言ったが、少女はそれよりも更に冷淡に言い返した。


「『寝取られる』という認識は、つまりパートナーを私有財産や交換可能な商品として捉えることです。彼の異名である【寝取られ王】のイメージが誇張され、定着した段階でオルヴァは貴方の世界観の枠内に収められてしまっている」


「そういうことだ。この戦いは私の勝ちだよ」


「本当にそう? 奪われるというのは、男性性の敗北ではなくて? それは英雄としての貴方のセキュリティホールになり得る。貴方はこの状況を自分の意思通りだと思っているようだけれど、それが誘導された結果だとしたらどうかしら」


「何が言いたい」


 老人の目の回りに皺が集まり、しわがれた声に険しさが混じった。

 少女は巨大な怪物に視線をやり、こう続けた。


「『あれ』は森羅を操り万象に操られる関係性の魔物。貴方の目指す【太陽の都】とてその影響下から逃れる事はできない。貴方もカラスなら、『神々の三本足』である『あれ』がどれだけ面倒かくらいわかるでしょう?」


 しばしの間、両者の間から言葉が途絶える。

 やがて老人は静かに嘆息して言った。


「いいだろう。付け加えるなら、このままではオルヴァ王の再生そのものが失敗する危険性があるからな――それで、どうするつもりだ? 最盛期の始原狂怖ルートホラーを正面から倒すのは骨だぞ。我ら【変異の三手】の全戦力が揃っていたとしても厳しい」


「私をあなたの勢力の中に含めるのはやめていただけます? 現在進行形で叛逆中なのですから」


 レストロオセが従える二人の男が、それぞれキシャルとウォレスに襲いかかる。

 豪腕の一振りと異形の軍勢。

 それを、老人は真っ向から受け止めて豪快に投げ飛ばし、少女は地の底から死人の軍勢を呼び出して対抗した。


 ありとあらゆる生物を内包した混沌の塊が、命の混濁した黒い触手を伸ばしてくる。キシャルとウォレスは次々と迫り来る脅威を回避しながら言葉を交わす。


「こんなふうにして、カシュラムがジャッフハリムに滅ぼされるなどという歴史は存在しなかったはず。『もしも』という思考実験の中だけに起こりえたこの状況が確定すれば、最悪これまでの全てが無駄になりかねません」


「と言って、このレストロオセを滅ぼすのは不可能に近い――難業に挑むは英雄の誉れだが、勇気と無謀を履き違えるは愚者の行いだ。ならば奴がここに現れるという因果そのものを更に過去に遡って消し去るしかあるまい。いかにあれが不条理それ自体であったとしても、存在の蓋然性をゼロにされればここには出現しなくなる道理だ」


 老人の肉体が膨張し、「六十パーセント」の声が響くと同時、石肌の巨漢が豪快に殴り飛ばされた。筋肉と脂肪の塊となった老人が純粋な暴力を振りまいていく。死人の軍勢を指揮するキシャルが言葉を繋いだ。


「残る劇はパーン・ガレニス・クロウサーの叛逆劇とカーティス・ドラトリアの誘拐譚でしたね。筋を書き換えて、対ジャッフハリムという要素を取り入れましょうか。こういうの、架空戦記って言うんですか?」


「さてな。幸い、四方の王のうち二人は既に無力化できている。時系列的には未来でだが、最終的に辻褄が合えばどうにでも改変できる」


 呪術による過去改変とは、基本的に厳密なものではない。

 代償として、ファジーに改変を当て嵌めて好き勝手に世界を弄るたびに杖的な世界の強度は失われていくが、その分だけあやふやな神秘性が世界に満ちていく。

 そしてそれは、二人の高位呪術師にとって望ましい事だった。


「残る北方のベフォニスと東方のクエスドレムを片付ければジャッフハリムの勢力は衰え、カシュラムに侵攻する余裕などなくなるであろう――つまり、この邪魔な連中が今ここにいるという事実を消し去るのだ。とりあえず今は道を作ってやる、さっさと行くがいい」


 言いながら、ウォレスは肥大化した二つの腕でレストロオセ配下の二人を抑え込む。しかし二人の男は共に尋常ならざる呪力を放ち、魁偉なる老人を吹き飛ばした。暴力と呪力が空中を吹き荒れ、激突していく。

 そうして生まれた隙を、キシャルは見逃さなかった。


 目指すは巨大な怪物、その腹の中。

 内側に囚われたオルヴァを救出すること。

 レストロオセは歪んだ笑みを浮かべながら金色の巻き髪に見える触手を伸ばしてくる。螺旋を描く先端がキシャルの肉を抉り、血を撒き散らしながら背中に抜けていった。全身を蹂躙されるおぞましい感覚にも構わず少女は前進を続ける。


「もう――私を差し置いて囚われの身だなんて。世話の焼けるお姫様ですこと」


 レストロオセは全身から触手を伸ばし続ける。それらは流動して蟷螂や象、狼や鮫、猛禽や長虫、人間や蛇などの様々な生物へと変化してキシャルを蹂躙する。爪が、牙が、角が、体当たりが、少女を幾度となく打ちのめす。

 だが、止まらない。


 全身の肉が削ぎ落とされて骨だけになった少女が、足下から這い上がってくる百足や蛇を振り払いながら足を進めていく。

 一歩進む事に骨に亀裂が入り、軋む音は次第に大きくなっていった。


「せめて、貴方だけでも。呪縛から、自由に――」


 骨が歪むような、奇怪な音がした。

 今までとは異なる感覚に、キシャルの歩みが止まる。

 そもそも骨に神経は通っていない。だというのに感覚があるということが異常であった。虚ろな眼窩を向けると、少女の肩に白い球体が嵌っていた。


 歪に膨らんだ骨腫が球体となり、そこを基点として全く別の骨格が形成されていく。球体関節の骨とでも言うべき奇形の骨。

 球となった肩から脚が伸び、膝があるべき場所と手首が連結される。

 人体を冒涜するかのような前衛芸術。おぞましい人体変形。


「なるほど、破壊では私を殺せない。ならば変形や付加によって攻撃するというわけですね――ドルネスタンルフの加護とは厄介なものね」


 不死に対するための常套手段。

 共に尋常な生命の範疇を逸脱した高位呪術師である両者は、殺せない相手を倒す為の手段を知り尽くしていた。


 球神の力を利用した呪術により、キシャルの全身に無数の球形が生まれ、弾け、異なる部位と連結されていく。それはまるで、子供が組み立て式の模型を出鱈目にくっつけた結果できた、出来損ないの作品のようであった。


 骨格が奇形化し、膨張し続けた結果としてキシャルの歩みが遅くなる。

 そして背後から更なる悪意が彼女を襲う。

 凄まじい衝撃。前のめりに吹き飛ばされ、そのまま後頭部を掴まれて地面を引きずり回されていく。


 二度、三度と頭蓋を地面に叩きつけられ、渾身の投擲によってレストロオセから引き離されてしまう。

 駄目押しとばかりに夥しい量の呪術攻撃がキシャルを打ちのめした。

 瓦礫の中から、よろめきながらも少女が立ち上がる。


「貴方も操作されているの、グレンデルヒ? それとも糸が絡みついているのは器である外世界人たちの方かしらね。いずれにせよ、情けないこと」


 空白の目が見ていたのは、全身に髪の毛を巻き付けた肉の塊。敵将の足止めをしていた筈の男は、言葉も無くキシャルの敵に回っていた。更には石肌の巨漢と軍勢を率いた男が左右からキシャルを挟撃せんと迫ってきている。


 震える足の指は既に砕けている。

 全身に球形の関節が生まれ、骨を上手く動かすことができなくなっている。

 混沌とした生物群を幾度となく迎撃した結果として、死人の軍勢の数は減っていた。次にレストロオセの一斉攻撃を受ければもはや防ぎきれないであろう。


「孤立無援、か」


 四方を敵に囲まれた不格好な骨の少女は、静かにそう呟いた。もはや音を発するための声帯などないのだが、呪文を唱えるための呪力は未だ残っている。

 だがそれもそろそろ打ち止めだ。

 彼女の周囲を浮遊していた黒い書物のうち、『愛情』と『道徳』、それに『健康』が輝きを失っていく。

 残る『地位』に蓄えられた呪力もあと僅かだ。


「我ながら情けない。万全の状態なら、この程度の窮地――いえ、言っても詮無いことね」 

 ついに、少女は力無く膝をついた。

 もはや打つ手は無い。このまま四方から敵軍に圧殺されて全ては終わる。

 炎上する世界。炎の中で、見覚えのある人形たちが何体も現れて、カタカタと口を鳴らしながら踊り狂う。


 天の闇からは無数の糸が伸び、それらは複雑怪奇に絡まって世界中に広がっていく。森羅万象の全てがその糸と繋がっており、繋がった場所は『毛根』となって糸の一部となるのだ。その糸、その髪の毛は、毛根を二つ有するのである。


 操る者と操られる者を繋ぎ、一つの生き物とする髪の毛の繰り糸。

 毛根が二つ以上あるのなら、頭髪は複数人のものとなる。

 それこそは感染呪術の奥義。

 感染呪術とはもともと一つのものであったもの同士が離れても相互に作用することを利用した技術。抜け毛を利用して呪いをかけることなどが相当する。


 『髪の毛』とは、最もありふれた感染呪術の媒体であり、その呪術体系の象徴でもある。二つの毛根が二者を繋ぐというのは、感染呪術が成立したことの呪術的な表現に等しい。あらゆるものに対して髪の毛を伸ばして繋げられる者にとって、森羅万象は自分の一部なのだ。


「イェツィラー」


 青い青い融血呪が、髪の毛を伝って世界に浸透する。

 流体は驚くほど細いが、同時に異常なまでに広範囲に広がっていく。

 ついに青い糸が力無く蹲る白骨死体に触れようとした、その時。


「アツィルト」


 青い流体が、凍結した。

 あらゆるものを融け合わせる呪術は、あらゆるものを固める呪術によってその動きを完全に停止させられている。少女ははっとして頭蓋骨を持ち上げた。

 その空洞だったはずの眼窩に異変が起きている。


 右の眼窩を埋めるように、青い氷が現れて義眼となっていたのだ。

 氷は凍結の範囲を広げていき、頭蓋骨の右半分を覆い尽くすほどになる。

 異形の右目が光を放ち、キシャルの全身を変質させていた骨腫を凍結させ、瞬時に砕いていく。


 更に骨の全身を氷が覆ったかと思うと、出現した無数の氷柱によって削り取られてたちまち氷の彫像が出現する。

 内部に白骨を透けさせた、それは氷の少女だった。

 滑らかな四肢と布の多い羽衣のような衣服を身につけており、全身が光を反射して美しく煌めく。その全てが柔らかく動く神秘的な氷で作られているのだった。


 命を持った氷の少女は、迫り来る軍勢を悉く氷の中に閉じ込めて、決然とレストロオセの方を見た。

 と、氷の内部で、白骨の口だけが静かに動いた。


「馬鹿ね。私は貴方の存在を揺るがせているというのに」


 氷の外面が、そっと首を横に振る。

 それから、繊細なつくりの唇が微かに動いて何かを呟いた。


「そう。それでも貴方は、誰かに共感して、味方せずにはいられないのね。同じ英雄でも、あの男とは大違い。本当に優しい子なのね。だからあの方も――すこし、妬けます」


 迫り来るレストロオセの混沌を、片手を振りかざして全て停止させる。

 少女は右目を輝かせて大量の触手を全て凍結させ、砕いていく。


「というか、あの意地の悪い子の姉だなんて信じられない――え? あらそうなの? 二人とも、クレアノーズの教育の賜物ということなのね。だとしたら、どうしてこうまで差がでるのかしら」


 氷の表面に繊細に彫られた表情が、不服そうに眉根を寄せた。

 内側の白骨死体の物言いが、よほど腹に据えかねたらしい。


「けれど、当然といえば当然かもしれないわ。私たちは起源を同じくする者同士。ならば、共感しあうことは必然で――えっ、ゲーム? 直前にプレイしたから? 何を言っているの? あ、ええと、好きなタイプの主人公だったって、その、ありがとう?」


 白骨死体は首を傾げた。つられて氷の少女も首を傾げるが、不思議そうな表情はどうして相手が困惑しているのかがわかっていない様子だった。彼女としては、ごく自然な感性で意思を伝えているだけなのである。

 

「我がことのはずなのに、最近の若い子の考えることはよくわからない――」


 少女は走る。

 迫り来る石肌の巨漢を足蹴にし、異形の軍勢を異界から呼び寄せる朱色の目をした男を凍結させ、肉塊と化した老人の超質量が生み出す運動エネルギーを停止させて、冷たく囁いた。


「凍れ」


 氷の檻に閉じ込められた老人を引っ掴んで、キシャルは空中に氷の足場を作って疾走と跳躍を繰り返す。

 目指すのは恐るべき狂怖ホラーの女王。

 呪祖レストロオセの腹の中。


「隠者ウォレス=グレンデルヒ! 王と対になる存在として、その役割を果たして貰うっ! 富める王と貧しき乞食よ、入れ替われっ!」


 キシャルの叫びと共に、『地位』の断章が輝いて呪文を発動させた。

 それは、ある時を境にして世界に浸透した物語類型の一つである。

 王と乞食、ないしはそれに類する庶民などが入れ替わり、それぞれ別の視点から互いの世界を体験するという、かりそめの転生。

 地位の入れ替え、価値の転倒。


 その呪術は、立場の異なる二人の位置を交換することができるのだ。

 巨大なレストロオセの体内に閉じこめられていたオルヴァがウォレスとなり、オルヴァは脱出に成功した。

 だが、オルヴァの全身には長い髪が巻き付いたままだ。


 オルヴァの肉体が不自然に動いて、彼を救い出したキシャルに襲いかかる。

 少女は不敵に笑った。


「油断したわね、ラクルラール」


 氷と銀色の鮮血が飛び散って、二人の顔を冷たく濡らした。

 少女の氷の腹を突き破って、手刀の形を作った右腕が髪の毛を切断していく。

 それは剣の子。刃を象った栄光の手。


「この子の剣は、貴方の支配を断ち切れるの――王国つかいまを殺すのはね、外敵を貫く槍ではなく、法の裁きを司る剣なのですよ」


 青い血液が飛散して、オルヴァの全身がどろどろに溶けていった。

 最後に残された左腕が、呪縛を断ち切った右腕と共に落下していく。

 それを見届けて、氷の少女はかすかに微笑んだ。

 両腕が輝き、秘められた禁忌が全て破られる。


「氷血呪の完全解放――その演技。これで世界は終焉を迎え、この劇は強制的に終幕を迎える。見なさいなラクルラール。貴方の用意した機械仕掛けから現れる神などよりも、こちらの方がよほど不条理よ」


 氷の少女が世界を、宇宙全てを停止させ、最後に事象の全てが砕け散る。

 そして現れた途方もなく長大な『何か』が、太陽すら穏やかに感じられるほどの莫大な熱量を発して世界を焼き尽くしていった。

 こうしてカシュラムは滅亡し、世界は終焉を迎えた。


 だがその終焉すら炎によって燃え上がり、何もかもが赤く染まっていく。

 あらゆる状況が破綻したまま、結末すらないままに全てが終わった。

 緞帳が引き裂かれ、落下し、舞台が崩落する。

 幕引きすらそこでは意味を持たない。


 物語など無く、終わりなど無意味となった。

 それは、物事は順序良く始まり、そして終わるという絶対的な『定め』に対する叛逆と言えよう。つまりは、こういうことだ。


 ――終端は、ここにしいされたのだ。





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