4-48 死人の森の断章4 健康




 テスモポリスは、異常な出産であったにも関わらず腕の赤子を拒絶しなかった。

 それは異様ではあったが、確かに母子という関係性が構築された瞬間だった。

 灰色の瞳が、一瞬だけこちらを見る。


 どうしてだろう。

 サイザクタートではなく、右側の頭部に宿る俺を見たのだと、そう思えてならなかった。彼女は、確かに俺に合図をしたのだ。

 灰色の瞳に、俺は『流れ』を見た。


(グラ、今ならサイザクタートが動かせる! その材料ときっかけをテスモポリスが作ってくれた! 拒絶を恐れずに行動した結果、異質な外見でも受け入れて貰えるという前例が生まれたんだ。動くなら今、この瞬間だ!)

 

 確信があるわけではない。

 それでも、これはテスモポリスが状況を見て、俺たちと連携を取るために選んだ行動なのだと俺には思える。グレンデルヒという敵を相手にする限りにおいて、俺たちは共闘できるのだ。


 グラがヴァージルへと歩み寄り、その華奢な腕を掴む。

 そして、自らの三つの頭部を相手にはっきりと見えるように真正面に立った。

 ヴァージルは最初にサイザクタートを見て、次にテスモポリスと右腕を見て、それから自分の左右非対称な耳を触った。


「ヴァージル。ここには罪なんて無い。禁忌もそれに対する罰も、馬鹿馬鹿しいことだ。罰神にだって文句は言わせない、何か言われるようであればこの番犬が君たちを守ると誓おう」


 サイザクタートの語る禁忌とは、二人の『見るな』と『行くな』という約束のことであり、母と子の、生者と死者の情交のことであり、異質な形を持って生まれたことでもあった。その全てが、罰神が情けなく敗北して横たわっている今、赦されたのである。もはや彼らを罰するもっとも強大な権威は存在しないのだ。


「サイザクタート、僕は」


 ヴァージルが何かを言いかける。

 その時、サイザクタートの右頭が呟いた。

 劇など知らぬとばかりに、ケイトが暴走する。


「このままでは終わらせないよ――こっちには預かった『断章』があるんだ、悪いけどそのハッピーエンド、不条理にぶちこわさせてもらう!」


 突如として上空に黒い装丁の本が出現し、青白い輝きを放つ。

 それはひとりでに開いたかと思うと、項が凄まじい勢いでめくられて、発光する文字列が内側から飛び出して虚空を踊っていく。


「さあ『健康』の断章よ、あらゆる劣った遺伝子を駆逐しろっ」


 『愛情』、『道徳』、そして『健康』――それぞれ名前があるらしい黒い断章には、その名前に応じた力を宿しているらしい。

 吐き出されていく文字列は毒蛇のように鎌首をもたげ、明らかにこの場にいる者たちに狙いを定めていた。


 ケイトの言葉が正しければ、あれはサイザクタートたちを害する代物だ。

 迫り来る脅威に、テスモポリスが呪文を唱えて抵抗しようとする。だが、出産により消耗した彼女の呪文は書物から放たれた文字列に吹き散らされてしまった。


 濁流のような黒い文字の群が、テスモポリスが抱く右腕の赤子に襲いかかる。

 何か柔らかいものが弾けるような音と、閃光が暗闇の中に散っていく。

 倒れたのは、ほっそりとした少年――ヴァージルだ。

 彼は母子を庇うために身を挺して前に出て、その結果として命を落とした。


 流れ出る血の量は少なく、冥界に足を踏み入れた彼が既に命を落とす寸前であったことを物語っていた。

 サイザクタートが嘆きの遠吠えを上げて、テスモポリスが項垂れる。


 形としては、死人を手勢に加えられるテスモポリスがやや優勢。

 だが、暴力によって全ての展開をぶちこわしにしようとするケイトの攻撃はまだ終わっていない。呪文の嵐が世界を埋め尽くし、サイザクタートの右側を除いた部分を滅多打ちにする。


 更にケイトは、命を落としたヴァージルの屍を損壊していく。

 サイザクタートは怒りの声を上げるが、波濤のように押し寄せる文字の群は彼に行動の余地を与えてくれない。

 絶体絶命の状況。

 

 もはや今回の舞台での勝利の芽は摘まれたかと思われたその時。

 俺には想像もできなかった――そしてこれまでの展開からすればごく自然な動きによって、状況はあっけなく覆される。


 右腕が、闇の中に飛び上がった。

 夥しい文字の群、圧倒的な力を宿した呪文。

 それを、手刀の形を作った右腕が鮮やかに切り裂いていく。

 まるで、それ自体がより強固な呪文の刃であるかのように。


(そうか――父親の、仇打ち)


 グラが、どこか納得したように内心で独白した。

 一度は拒絶されたが、母子の危機にその身を危険に晒して命を落とした父親。

 それは、生まれたばかりの右腕にとって戦うに値する理由だったのだ。

 どれだけその光景が荒唐無稽であっても、辻褄が合うのならそれは成立する。


 一振りの剣となって空中を乱舞する手刀は、全ての文字を引き裂いたかと思うと浮遊する黒い本を強引に掴んで閉じてしまう。回転の勢いにまかせてテスモポリスにそれを投げつける。


「ありがとう。これで三冊目ね」


 にこりと微笑んで黒い本を回収するテスモポリスの表情には余裕が溢れていた。

 状況だけ見れば彼女の完全勝利に近いが、まさかここまで計算通りなのか。

 右腕は宙をくるくると舞ながら、サイザクタートに向かって飛来してくる。

 正確には、サイザクタートの右側に向かって。


「よせ、来るなっ」


 ケイトの言葉は宙を舞いながら発せられた。

 既に、右側の頭部ははね飛ばされていたからである。

 斬首されたことによって右頭部が飛び上がり、その内側から小さな男性が放り出される。力士のパートナーであるインド系行司。


 立体映像である彼に、テスモポリスが『断章』から放った呪文が直撃する。

 耳を劈くような絶叫が響いた。


「肉体の放棄に人格の移し替え――それって、貴方たちが定義する『健康』からは大きく外れているのではなくて? はっきり言って、ミスキャストです」


 激しい閃光と共に、ケイトは爆発。跡形もなく消失した。

 あのクラスの言語魔術師ならバックアップくらい用意していてもおかしくないし、本体はゾーイの所だろうからこれで終わりとは思えないが、ひとまずはこれで終わったと考えてもいいだろう。


 右腕が再び少女の手の中に収まった。テスモポリスは息絶えたヴァージルのそばで呪文を唱えている。

 悔しいが、完璧に彼女たちの勝利だった。

 俺たちは何も出来ず、状況を打開したのもあちら側の力。


 右腕が少女の頭部によじ登って、得意げにこちらを見下ろそうとしている。背丈が足りずに結局見下ろされてしまっているが、とにかく偉そうな態度とこちらへの侮蔑が伝わってきた。


(なんかこいつ腹立つなコイツ)


(落ち着いて下さい。ここで暴力に訴えても流れは変わりませんよ)


 そう、ヴァージルが死んでしまった時点で、テスモポリスの優勢は揺るがない。

 目を見開き、再生者として甦ったヴァージルは、状況をすぐに理解した。

 そして、冥道の幼姫である少女に忠誠を誓ったのだった。


(またか。もう半分だってのに、負けっ放しとはな)


(まだ終わったとは限らないんじゃないですか)


 グラの言う通り、再生者になったからと言って死人の森に付くとは限らない。

 だが、今の状況をこれ以上動かすのは難しいだろう。

 そう思っていたのだが、テスモポリスは跪くヴァージルを立たせてこう言った。


「どうか、貴方を必要としている人たちの所に行ってあげて? 私の味方になってくれるのは、遠い未来でかまいませんから」


「でも、それじゃあ二人が――」


 少女は人差し指をヴァージルの口の手前に持ってきて言葉を封じた。

 それから、柔らかく微笑む。


「大丈夫。この子は、私が責任を持って育てます。だから貴方は行って? それは、私とこの子のためにもなるのだから」


 そうして、ヴァージルは再生者となりながらも地上に戻ることを主に許可されたのだった。

 その後、テスモポリスは擦れ違うサイザクタートの耳に口を寄せて、


「私は決してアキラ様の敵ではありません――共にグレンデルヒを倒しましょう」

 

 そう囁いてきたが、俺は何の反応もできないまま冥道を引き返すことしかできなかった。

 そう、俺たちの敵は同じ。

 だから、協力する事は本来容易なはずなのだ。


 コルセスカの存在が失われるという最悪を、俺が許容できさえすれば。

 トリシューラとガロアンディアンは助かる。

 俺一人の我が侭に、レオやチリアット、グラッフィアカーネたちを巻き込んで、彼らに不利を背負わせていいものだろうか。


 迷いがある。

 コルセスカをそんな天秤に乗せて、選択肢を作っている自分がたまらなく嫌だった。俺はせめて、テスモポリスを憎むことで感情のやり場を作っていたが、それももう限界かもしれない。


 俺は、コルセスカの前世の一つである少女が憎いのでは無い。

 その二人が交換可能であるという状況そのものが、そしてそれに抗えない自分が、どうしようもなく憎いのだった。


 冥道を逆に辿り、光差す場所へと足を踏み出す。

 だが、洞窟の入り口でヴァージルとサイザクタートを待ち受けていたものは、非常な現実だった。

 ずらりと並ぶのは、排他的な意思。


 ウォゾマ=グレンデルヒの意図は、そうして明らかになった。

 洞窟の入り口で、俺たちを待ち受けていた村人たち。

 彼らは手に農具や槍などを持って、こちらを包囲している。

 その目に宿るのは、明白な敵意。


 口々に罵声を浴びせてくる村人たちの言葉を総合すると、つまりはこういうことらしかった。

 ウォゾマとその思想を退けた結果として、ヒュールサスの財政は傾いた。

 増大する福祉への支出は際限なく国庫を食らいつくし、債務が積み上がり、税は重く民にのし掛かっていく。


 破綻は目の前だった。

 ヒュールサスからは活気が失われ、やがて寒々とした風が吹き込むようになっていった。


「役立たずを養ってやる余裕なんざねえんだよ!」


「余計な真似しやがって、この余所者が!」


「このままじゃ俺たちが殺されちまう!」


 口々にそう言う彼らの表情には、追い詰められた者特有の焦りが浮かんでいる。

 ヒュールサスは現代の国家ではない。

 生産性も技術水準も社会基盤も何もかも未成熟で、あらゆる者を尊重するだけの余裕など、始めから無かったのだ。


「私は何もお前を責めようというわけではないんだよサイザクタート。ただ、以前の言葉を撤回して欲しいだけなのだ。こちらの主張を『正しい』と認めて欲しい、それだけでいいんだ」


(駄目だ、絶対にやめろ)


 ウォゾマの思想を肯定すれば、この物語を彼の言葉で締め括ることに繋がりかねない。結末は物語の色を決定付けてしまう。

 そうなれば、これまでの過程に関わらず、主役であるヴァージルの解釈も変化してしまう可能性があるのだ。


 グレンデルヒからの『解釈の改変』という攻撃は、しかし空振りに終わった。

 サイザクタートが答えを出すまでもなく、ヴァージルがこう言ったからだ。


「ねえサイザクタート。僕、イルディアンサに戻るよ。そして反抗勢力と戦うんだ。そうしたら、彼らが歪めようとした神々の図書館をあるべき姿に戻してみせる。世界に正しい秩序をもたらすこと。サイザクタートのような人が平和に暮らせるようになること。話に聞く竜王国のようなあり方を、イルディアンサや他の国でも実現できればいいと、僕は思うんだ」


 流れるような早口で、誰かが言葉を差し挟む余裕を与えない。

 レオのはきはきとした長広舌に、さしものグレンデルヒも介入の隙を見つけられずに顔を顰める。

 それから、ウォゾマに向かってほほえみかけた。


「僕、きっと良い王さまになります。そうしたら、ヒュールサスの皆さんの問題を解決してあげることだって出来ると思うんです。だからどうか、その日まで少しだけ待って下さいませんか?」


 そして、ヴァージルは指を軽やかに鳴らした。

 彼を太陰からこの地まで運んで来た脱出艇――大気圏を離脱可能な宇宙船でもあるそれが、自動航行モードで使用者の頭上に飛来する。


 ヴァージルはそうして、光に包まれて太陰へと向かう。

 その途中で振り返り、サイザクタートに向かって手を差し伸べた。

 三つ首の犬はゆっくりと手を伸ばして、小さな手と大きな手が重なり合った。

 二人はそうして光の中に飲み込まれて、流線型の宇宙船は空高く飛翔していく。


 ウォゾマと村人たちは、それを何も出来ずに見送ることしかできなかった。

 そしてそれが、物語の結末となった。

 



「多分、あれが本来の筋だと思います。強引なアドリブっぽかったですけど、僕にはそういう『流れ』だと感じられました」


 そういうことか。

 舞台袖でレオの推測を聞いて、俺は納得が胸に落ちるのを感じていた。

 本来ならば今とは違った結末を迎えてしまうヴァージルを再起させること。

 それこそがこの劇の目的だったのだ。


 そしてそれは、あらかじめ用意されていたヴァージルが地上で平和に暮らすという『定番の生存説』に沿った結末とは相反するものだった。

 確信する。テスモポリスこそが正しい道筋を理解していたことを。そして、ヴィヴィ=イヴロスが俺に誤った台本を渡していたことも。


 つまり、ヴィヴィ=イヴロスはテスモポリスと結託しているか、既にテスモポリスの支配下に置かれており、従属する立場にある。

 考えても見れば当然のことだ。ここはあの魔女の浄界。そこで好き勝手に振る舞えている事が既に異常事態である。


 予想通り、三つ巴の戦いなどというものははじめから存在しなかった。

 ゲームマスターであるテスモポリスに、俺とグレンデルヒという二つのプレイヤーが挑むという形式が正しい認識だったのだ。


 グレンデルヒに一度敗北したテスモポリスはガロアンディアンとの抗争で生じた隙を狙って反乱を起こしたのだろう。

 そしてグレンデルヒはその反乱を真っ向から迎え撃ったのだ。最強者であるという制約から、そうせざるをえなかった。


 状況から見れば、俺が属するトリシューラの勢力に攻め込んだグレンデルヒが外様の配下に背後から襲撃され、奴は挟撃されて二正面作戦を強いられているということになる。それでいて正々堂々と相手の用意した戦場で戦おうというのは、はっきり言って頭がおかしいとしか思えないが、それはともかく。


 やはり、俺が手を結ぶべきはテスモポリスなのだろうか。

 各勢力の状況が大ざっぱに理解できた今では、彼女と一時協力してグレンデルヒを倒すべきであるようにも思える。

 しかし、その後はどうなる。


 テスモポリスは、コルセスカの存在を乗っ取り、上書きしようとしている。

 あの魔女の味方をする、つまり奴の存在を認めてしまうということは、コルセスカの存在を不確かにしてしまうような気がしてならない。


 グレンデルヒを打倒すれば、俺の存在は取り戻せるだろう。トリシューラも助けられるかもしれない。しかし、コルセスカは?

 彼女に何かあれば、俺はきっと何もできなくなる。

 俺はもう、コルセスカ無しに生きていくことなどできないのだ。


 その選択肢は選べない。

 ならば、今まで通りに両方を敵に回すのか?

 あの、途方もなく強大な大英雄と大魔女を、同時に?

 正気の沙汰では無い。


 駄目だ。今の俺では決断できない。

 どうしようもなく意志決定を誰かに委ねたかった。

 力強く俺を牽引してくれる二人の主の言葉を、無性に聞きたくてたまらない。


 コルセスカ。

 トリシューラ。

 俺は、どうしたらいい?


(もー、仕方無いなあ、アキラくんは。シューラはなんでもしてくれるアキラくんのママじゃないんだけど)


 そんなものが無いにも関わらず、心臓が止まるかと思った。

 何故って、唐突に響いた声が、前触れ無く出現した姿が、俺にとって最もなじみ深いものだったから。


(だらしない上におばかなアキラくんの代わりに、シューラが考えてあげる。こんなに甘やかしてあげられるのは、シューラがとーっても優秀なおかげだから、そこの所をよろしくね?)


 間違いようもない。

 俺もまた実体のない存在となり、デフォルメされた姿として役者の視界に表示されているからこそ、その姿は確かな現実感をもって受け入れられる。なにしろ俺たちは今や似たような存在で、同じサイズになっているのだから。


(どしたの、シューラが誰だか忘れちゃった?)


 そんなはずがない。

 今回も偽物であるという可能性も、先ほどケイトを撃退したことで除外できる。

 だから俺は、どうして彼女がここにいるのかという疑問より先に動いていた。


(わわっ、なになに?)


 関節のない短い両腕を伸ばして、小さな体を抱きしめる。

 戸惑いが伝わってくるが、それでも離さないとばかりに強く引き寄せた。

 今は、それしか考えられない。

 俺の目の前にいたのは、紛れもなくちびシューラだったから。


(甘えたがりなんだね、今のアキラくんは。まあいいや、とにかくお待たせ! いざというときの為のバックアップ、スタンドアロンシューラ、ただ今起動したよ! というわけで、現状がどうなってるのか教えて欲しいんだけど、そろそろ離してもらっていいかな?)



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