4-47 死人の森の断章4 栄光の手



 太陰イルディアンサの王子ヴァージルは、月の王家最後の純血であったとされている。『純血』というのは、この世界においては同じ種族とのあいだの子供、ということらしい。であれば、彼は月の民、兎の耳をした両親から産まれたことになるのだが、この物語ではどうやら設定が異なっているようだ。


 それがどのような意味を持つのか、俺は知らない。

 史実とは異なる出生であるという脚色か、それとも通説とは異なった『歴史の真実』なのか。いずれにせよ、この演劇空間においては目の前の展開こそが俺にとっての現実だ。


 右耳は兎、左耳は妖精という左右非対称の特徴を持つヴァージル。

 彼の偏執的な屍体への行為によって、冥界の魂に命が宿ってしまった。

 蜂蜜色の髪を振り乱して絶叫する少女と、空間を引き裂いて現れた機械仕掛け。

 光と共に現れた罰神ティーアードゥに、お互いに禁忌を破ったサイザクタートとヴァージルは後退る。


 混迷を極める状況で、俺は必死に各勢力の思惑を推測する。

 この舞台は俺とグレンデルヒとテスモポリスとが『あるべき筋書き』に干渉しつつ望む結果を手に入れようとするゲームだ。

 だが、その結果というのがどうにも曖昧だった。


 俺は六人の王や王子といった主役たちを結末まで導き、未来で苦境に陥っているヒュールサスを救ってもらえる状況を作り上げようとしている。

 そして、ヒュールサスを救った後には六王に更なる未来での助力を請うことになるのだと、俺は予想している。


 未来人である俺は、将来グレンデルヒを打倒するために協力して欲しいと六王たちに依頼し、その子孫たちに助けてもらうことが最重要目的だ。

 対してテスモポリスは、俺と方向性は似ているが、六王を自らの勢力である死人の森に取り込もうとしている。


 つまりは六王とその王国という強力な援軍を奪い合い、未来で味方になってもらおうという交渉合戦をしているとも言えるわけだ。

 テスモポリスはそれに加えて『断章』とやらの回収や、六王を再生者オルクスにすることで本人たちを手勢に加えようとしているらしい。


 そして、恐らくはそれが『現在の正史』であるはずだ。ゼドに頼んで死人の森について調査をしてもらった際、死人の森の女王に仕える六人の高位再生者オルクス=ハイについて聞かされたことがある。


 そしてグレンデルヒは死人の森を制圧して支配下に置き、テスモポリスを従えていた。テスモポリスはガロアンディアンと【変異の三手】の抗争に乗じて反乱を起こしているというのが今の状況だ。


 してみると、案外構図は単純なのかもしれない。

 三つの勢力は舞台上で劇の流れに即興で干渉することで、それぞれ自分の都合のいい歴史を作り出そうとしている。


 そしてその都合の良さというのは、強大な力を持つ伝説の六王が、自分の味方をしてくれるということなのだろう。

 思い返せば、グレンデルヒは現れるたびに極端な主張を繰り返して王の行動に干渉しようとしていた。あれは、グレンデルヒ的な思考に影響されることを期待しての行動なのではないか?


 誰かを自分の好きなように染め上げる――ある意味では、俺やテスモポリスも奴とやっていることは同じだ。

 しかし、過去の人物というのは現代人にとってはどのようにでも解釈が可能な『キャラクター』という側面を持つ。


 恣意的に、ときに偶然に。

 人の意思や振る舞いを好き勝手に解釈し、想像し、叙述する。

 神話の魔女コルセスカの多様な参照元のように。

 それは、『未来』という特権を振りかざした『過去』への権力行使だ。


 そんな思考があったからだろうか。

 俺は、未来人である自分が一方的に彼らを思いのままにしてしまう、そんな暴力性を意識するあまり、躊躇いを抱いていた気がする。積極的に事態に介入して、自分の都合のいい人格を演じさせることに、迷いがあったのだと、そう思う。


 だが、本当にそうなのか。

 過去は未来に対して、全くの無力なのだろうか。

 遠い未来に想像を羽ばたかせ、目の前の現実に取り組むことで状況を変えていく力があるのは、むしろ過去の方なのではないか。


 弱者は、どちらの方だ?

 ヴァージルの、赤い瞳が俺たちを、神を順番に見た瞬間、俺はそんなことを考えずにはいられなかった。

 罰神が放った雷が彼に直撃する寸前、細い手がさっと振り払われた。


「――うるさいな」


 レオが演じているということが信じがたいほどの冷たい声だった。

 まるで彼の内側にヴァージルの魂が入り込んだかのような――否、実際に入り込んでいるのかもしれない。グラの中に俺という役がいるように。


 ヴァージルという役が、レオの中で確かに息づいているのを感じる。

 同じ立場だからこそ。

 その圧倒的な力が左半身の肌で感じられるのだ。


「ちょっと、黙ってて」


 ヴァージルが腕を振り、俺の想定していた筋書きと共に神を粉砕した。

 輝く雷が闇を切り裂いて、巨大な機械仕掛けを完全に破壊し、巻き添えでティーアードゥを吹き飛ばしてしまったのだ。


 滅茶苦茶だった。ティーアードゥの登場は正しい筋書きのはずだ。ヴァージルとサイザクタートは共に禁忌を破った罰を受けるが、お互いがお互いを庇ったことでティーアードゥは二人に赦しを与える。ヴァージルは自分の身を案じてくれる親友がいる生者の世界に戻る事を決意して、サイザクタートの異形を受け入れるのだ。


 ヴァージルは太陰イルディアンサには戻れないものの、ヒュールサス随一の言語魔術師ウォゾマに知恵競べで勝利してその地位を奪い取り、サイザクタートと共にヒュールサスを守護するというのが俺の望む流れ、台本通りの筋書きだ。


 ここより未来で出会った老いたサイザクタートは一人だった。その状況を改変することが俺の勝利条件だ。後世のヒュールサスにヴァージル本人か子孫が残っていれば、力になってくれる可能性が高まる。


 つまり俺としては、ヴァージルとテスモポリスが結ばれて、死人の森に組み入れられてしまっては困るのだ。

 というか、さっき額に口づけとかしてたよな。

 いくらレオとはいえ、そしてあの身体も意識もコルセスカ本人のものではないとはいえ、ちょっとこう、なんというか。


(あの、だらだらと頭の中で喋られるの鬱陶しいんですけど。っつかレオさんのあれ、フリだけでしたよ。演技なんだから本気でするわけないでしょう)


(お前にとってはただのフリでも役である俺にとって演技は現実なんだよ!)


(めんどくせー)


 グラが呆れたように内心で呟くが、俺はそれどころではない。

 ヴァージルの放った電撃によって機械仕掛けは機能を停止してしまい、ティーアードゥは動けない様子だった。ヴィヴィ=イヴロスのやつ、まともに説明もしない上に役に立たないとかどうしようもないな。


(アキラさんも役に立ってないような。いえ、何も言ってないです)


(言ってるじゃねえか)


 馬鹿をやっている間にも、状況は推移していく。

 甲高いテスモポリスの絶叫は悲痛に闇の中に響き続ける。

 痛々しくおぞましい光景だが、実際にはテスモポリスにとって望ましい展開のはずだった。


 ヴァージルの子を孕み、出産する。

 それは二人の強固な結びつきを意味しており、ヴァージルがこのまま冥界に留まって結婚することでテスモポリスの勝利は確定する。


(どうします? 強引に止めても、あの電撃でやられるだけですよ。言っておきますが、俺の生体電流操作なんか足下にも及びませんよ、あれ)


 同系統の呪術を使う彼がお手上げというのなら、本当にどうしようもないのだろう。俺はと言えば、現在はあらゆる外付けの力を失っている為に役立たずだ。

 手を出しあぐねているうちに、事態が大きく動いてしまう。


 ぼとり、と。

 羊水の滴る土の上に、『それ』は産み落とされた。

 サイザクタートが、呆然と呟いた。


「腕、だけ――?」


 誕生したのは、信じがたい事に片方の腕のみだった。

 生気の感じられない、肩口から切り落とされた右腕。

 このようなことがあり得るのか。

 人体の一部分だけが産み落とされる、などということが。


 しかし実際、目の前で起こってしまっている。

 そして、腕のみによってその存在を保証されている実例が、今まさに俺という形をとって示されているのも事実だ。

 ヴァージルの悲痛な嘆きが響き渡る。


「ああ、どうして、どうして! 骨を、綺麗に残っていたママの骨を、たくさんたくさん愛してあげたのに、撫でてあげたのに!」


 今、彼は『骨』と言ったのか。

 太陰イルディアンサの葬儀が火葬であれば、残るのは確かに骨だけだろうが、その骨に何をすれば子供が生まれるというのだろう。

 正直、俺の想像を絶していた。


「世界の想像力というやつはどこでも似たり寄ったりなんだねえ。『手孕説話』というやつだ。屍体に手で触れることによって死者の魂が妊娠する――これも感染呪術の一種ということになるのかな?」


 サイザクタートの右側で、ケイトが飄々と分析してみせる。

 完全にこの世界に適応して言語魔術師となった彼は、こうした呪術的な事情を容易く理解できているようだった。


 想像する。誰もいない墓地に侵入し、母親の墓を暴いて骨壺を持ち上げる少年。

 骨を手にして、うっとりと眺め、頬を寄せ、優しく愛撫する。

 屍体への性愛。病的なまでの、諦めきれないという執着。

 呪いだ。あの腕の赤子は、まさに呪術の産物なのだ。


「嘘だ、嘘だよ。こんなのは夢――ああ、そうだ、ここは夢の中? でも、この夢はどうしてこんなにも確かに感じられるの?」


 空ろな目でぶつぶつと呟くヴァージルに声を掛けようと、サイザクタートは歩み寄ろうとする。しかし、与えられた罰をかばい合うという行程が消滅してしまった今、二人の間には目に見えない壁が存在したままだ。三つ首の番犬は、相手に拒絶されることが怖くて足を踏み出せない。


 ヴァージルはしばらくぶつぶつと呟き続けていたが、出し抜けに蹲って荒く息を吐いているテスモポリスを凝視した。

 そして、何かに気付いたように。


「そうだ、そうだよ。こうなったのは、ママが悪いんじゃないか」


 そんな、信じがたい事を口にした。

 コルセスカと共にプレイしたゲームや事前に渡された台本に存在していた、優しく純粋なヴァージルというイメージが、あっけなく崩壊していく。


「僕をこんな耳で生んだのはママだもの。子供を産むのは母親の責任でしょう? ママがちゃんとしてないからこんなふうになったんだよ。ねえ、どうしてきちんと健康に産んでくれなかったの?」


 愕然として、俺はヴァージルを見た。

 白い垂れ耳は、彼の純粋さの象徴だ。どのような色彩であっても容易く染まってしまう。それが小さな染みであっても、その染みが濃ければ濃いほどに色は目立ってしまう。


(何だあれ、まるでグレンデルヒの奴みたいなことを)


 グラが嫌悪感を込めて言うが、まさにその通りだった。

 冥道の入り口でウォゾマ=グレンデルヒの言葉を聞き続けたことが、追い詰められたヴァージルを変質させるきっかけとなってしまったのだ。


 恐らく、決定的なものではない。

 止める機会、流れを変えられる瞬間はあったはずだ。

 だが、俺とグラはケイトの妨害によってサイザクタートの足を止められてしまい、結果としてヴァージルは『汚染』された。


(そうか、再生者だからテスモポリスの部下になると決まった訳じゃない)


 グラは何かに気付いた様子で言った。


(どういうことだ?)


(自分で考えて下さいよ――まあいいや。『上』にとっては九大眷族種はイコールで味方なのかもしれませんが、俺が居た『下』にはその九種族が普通に他の種族と混じって暮らしてます。つまり、種族とか神の加護とかで所属が決まったりはしないってことです)


 グラの指摘ではっきりした。

 六王を『邪悪な解釈』によって汚染することがグレンデルヒたちの狙いだ。

 『昔話は本当は残酷』で『史実は大衆向けに脚色されたものよりも陰惨』といった認識で過去を塗りつぶすという行為。


 歴史上の人物が物語上で描写される際にどんな人格にされるかは、作者の匙加減である。ある物語では善玉として描かれるが、別の物語では悪玉として描かれるということもままある。巷間に流布したイメージというのは確かにあるが、それを逆用したり、核となるイメージはそのままに解釈を変えるということも可能だ。


 グレンデルヒのアプローチは、六王がテスモポリスによって再生者にされても、その人格や思想をグレンデルヒ寄りのものにすることで、再生者のまま自陣営に引き込むという単純なものだったのだ。


 考えてもみれば、当たり前の事だった。

 何よりも確かな実例として、一度殺されて、気がついたらここにいたという牙猪のチリアットは、恐らく再生者にされてしまっている。


 にもかかわらず、今まで通り俺たちの味方をしてくれているということは、六王が再生者にされたからといって諦める必要が無いことを意味している。

 これは俺たちにとっても有意義な情報だ。

 そして同時に、こんな考えも浮かんでしまう。

 本当に、再生者は、死人の森は、倒すべき敵なのか?

 迷う余地は無いように思える。コルセスカを見捨てる選択肢は無い。


 俺たちの陣営は決定的に何もできないままだった。

 冥界に足を踏み入れて死にかけているヴァージルはこのままでは再生者になってしまうし、既にその人格はグレンデルヒらによる悪意の解釈がされてしまっている。この状況を打開するには、こちらの解釈で彼を変質させなければならない。


(グラ、サイザクタートにヴァージルを窘めさせることはできるか? さっきのウォゾマを撃退した時の流れから考えれば、ここでサイザクタートがそういう言動をするのは役の解釈からぶれていないはずだ)


(了解です)


 グラはサイザクタートとして台詞を口にしようとするが、それに被せるようにしてケイトが余計な口を挟む。


「ああ、どうしよう! ヴァージルにそんなことを言ってはいけないと指摘したい。でも、そのせいで彼に嫌われてしまったら? 今まで信頼関係を築き上げてきたのに、ちょっとした考え方の違いで仲違いするなんて悲しいじゃないか。そうなってしまうくらいなら、こちらの不満は胸にしまっておくべきだ、きっとそうだ。この事には触れないことにして、黙ってやり過ごすのが賢いやり方さ」


 あまりに露骨な妨害に、思わず俺は台本にない台詞を口走ってしまう。


「このクソ野郎、ふざけたことをっ」


「両側からうるさいってのっ」


 ぎゃあぎゃあと三つの首がやかましく言い合っている間にも事態は進んでしまう。今、この場の主役はヴァージルとテスモポリスなのだ。サイザクタートやらティーアードゥやらは何のために出てきたのか分からないノイズでしかない。


 その時、地面に落ちていた片腕が、ぴくりと動いた。

 信じがたい事に、それはぎこちなく指を動かし、手首をくねらせ、肘を使って蛇のように移動しはじめたのだ。

 右腕は、それが産まれる原因となった父親の下に向かう。


「気持ち悪いっ、あっちに行け!」


 嫌悪感に表情を歪めながら言うヴァージルは、右腕を蹴り飛ばした。

 父親に拒絶された腕の赤子は、手首を曲げて震えた。心なしか悲しそうにも見える。やがて、また全身をくねらせて別の方向へと這っていく。


 腕を産み落とした少女、テスモポリスは土の上にしゃがみ込んでいた。

 赤子は彼女の膝のそばにやってくると、指先で恐る恐るといったふうに触れようとする。先程の経験から、拒絶されることを恐れているのだろう。

 だが、その心配は不要だった。


「とっても元気。可愛い子ですね――大きくなったら、どんな腕さんになるのかしら。いまから楽しみです」


 慈しむような柔らかな口調で、少女は右腕を抱き寄せた。

 その手を撫でて、腕を抱えたまま、赤子をあやすようにゆっくりと揺らす。

 右腕から緊張がとれ、弛緩した状態で母に体重を預ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る