4-38 死人の森の断章6 微睡む太陽と月のパペットリー②




 かつて、この世に生きるもの全てを支えていた最高位の紀神ドルネスタンルフ。

 球形大地という神話が崩れ去り、その格が【大神院】を名乗る組織によって九位にまで落とされた後も、大地の加護と恩恵によって人々に確かな存在感を知らしめていた。


 だがしかし。

 絶対であるはずの存在が、今まさに『零落』しつつあった。 

 曲線、球の組み合わせによる独特の建築様式は街そのものを美術品として成立させている。普段は大地の民や夜の民が行き交う夜の街を、混乱が襲う。


 災厄は、まず墓の下から現れた。

 共同の墓地から、土葬された屍が這い出して地下の居住空間に侵入してきたのである。この異常事態の最初の犠牲者は地下に住む移民たちの末裔、人狼だった。


 屍が動き出し、更には人を襲う。

 脅威は地上にまで及び、その知らせを王宮が知った時には次なる災厄が引き起こされていた。


「災厄を引き起こしたのは人狼たちだ! 地下から屍がやってきたのがその証拠だ、そうに違いない!」


「やつらは影を操る夜の民なのだろう? ならば墓の下の屍を操れても不思議ではない。きっとそうだ!」


「人狼は屍と関係がある、穢れた種族だったのか!」


「やい余所者ども、災厄を呼び込んだのはお前らだろう!」


 声の大きな大地の民たちが、よってたかって数の少ない人狼たちを責め立てている。そんなことが都のあちらこちらで起きているのだ。中には、暴動に発展した地域すらあるようで、各所から混乱の声、更には火の手まで上がっていた。


「ふざけるなよ針もぐらども! 我らはそんなもの知らんわ! 勝手な印象を押しつけるんじゃない!」


「そうだそうだ、お高くとまりやがって! お前らが地上でのうのうと暮らしていられるのは誰が汗水垂らして働いてるからだと思っていやがる!」


「俺たちを勝手に地下に押し込めておいて、何かあったら何でもかんでも俺たちのせいってわけか! やってられるか、俺はもうスキリシアに移住するぜ!」


「でもよう、俺スキリシアの言葉なんてわかんねえよ」


「そんなもんこっちもだよ馬鹿。親もその前もラフディ生まれだ畜生め」


 威圧的に振る舞う大地の民と、それに反発しながらもどこか悲しげな人狼たち。

 そうしている間にも動く屍は次々と人々に襲いかかり、被害は拡大していく。

 ルバーブ率いる王宮の軍隊は必死に屍たちと戦うが、倒しても倒しても死人の軍勢は湧いて出てくるのだ。


「これでは切りが無い!」 


 叫ぶルバーブの前に、人狼が現れて、どうっと倒れ込んだ。

 見れば、全身に傷を負い、血を流し続けている。

 ルバーブが機敏に動いて人狼に駆け寄ると、彼に石がぶつけられた。


 見れば、彼と同じ大地の民たちが手に石を持ち、人狼に投げつけているのだった。口々に「出て行け」と叫ぶ姿を見て、ルバーブは表情を絶望に染めて地に頭を擦りつけて叫んだ。


「おお、神よ! どうか我らを見放し給うな!」


 祈りは届かず、第三の災厄が到来する。

 色のない鱗粉が漂い始めたことに人々が気付いた時、全ては手遅れだった。

 幾多の翼がはためき、凄まじい羽音と共に何かが大挙してやってくる。

 中心には、途方もなく巨大な有翼の大烏賊が無数の触手をうねらせており、その上に小さな人影が星々の光に照らされて腕組みして立っていた。


 否、軍勢を照らしているのは星々の光ではない。それらはとうに闇に覆い尽くされて消えている。

 淡く不気味な光を放っているのは、半透明で実体の無い亡霊の群だった。

 羽の生えた様々な異形の屍と、無数の亡霊たちを従えているのは、たった一人。


「愉快、愉快。少し不和の種をばらまいてやればすぐこうだ。多民族国家というのはかくも脆い。火種だらけのガロアンディアンすら崩せなかったダエモデクの奴は全く腑抜けとしか言いようが無いな」


 巨大な蝶の翅、構造色の煌めきを振りまく見目麗しい褐色の少年である。

 不遜な表情で、虫態の闇妖精が混乱する人々を睥睨する蝶の少年。

 その手には黒い皮表紙の本を持ち、足下の大烏賊が触手の一本で支え持つ旗には特徴的なニガヨモギを意匠化した紋章が描かれていた。


 戦慄するルバーブの隣に、いつの間にか賢者セレスが現れていた。

 浮遊する軍勢を険しい表情で睨み付けつつ、少女が言う。


「とうとう来てしまいましたか。あれこそは忌まわしきニガヨモギの紋章を掲げ、中原に覇を唱える魔王たち――【フレウテリスの悪夢の軍勢】です。あの少年は、恐らく【四方の王】が一人」


「まさか、ジャッフハリムの呪祖の手がここにまで及んでいたのか!」


 二人の目の前に降り立った麗しき少年は、耳の奥へと楽しげに駆けていくかのように無邪気な声で名乗りを上げた。


「我が名はフィフウィブレス=ハルハハール。この世で最も美しい、亡霊どもを統べる南方の王。盟主殿の意に従い、このラフディを平らげに来た。皆、大人しく我が死の軍勢に加わるがいいだろう」


 途端に発生した凄まじい暴風にラフディの兵士たちと、彼らが操っていた人形たちが一斉に吹き飛ばされた。

 

「愚かな! みだりにまことの名を晒すとは、よほど命がいらぬと見える!」


 人狼の呪術師たちが叫び、それぞれに呪文を唱えていく。

 しかし、彼らのまじないは何の効力も及ぼさず、それどころか少年が流し目を送っただけで陶然とした表情になり、喉を鳴らしながら地に転がって腹を露わにするという服従の姿勢を見せる始末だった。


「黴の生えた呪術理論を未だに使っているのか、時代遅れの夜の民め。この美しい僕の存在を掌握できるのは、対等な存在である他の三王と盟主殿くらいのものだ」


 少年の背後で揺れる不気味な紋章が輝き、その権威を広くラフディに刻み付けていく。死人の軍勢に占領された区画に次々と旗が立てられ、焼き印が押されていく。その度にラフディという国は塗りつぶされていくのだ。

 賢者セレスが前に出て、鋭く言い放つ。


「やはり断章はこの時間軸に持ち込まれていましたか。答えなさいハルハハール。貴方にその第六の断章を渡したのは、私では無いのですね?」


「何だい、君は。断章? ああ、この『鍵』のことか。これはかなり前に賢者を名乗る男に手渡されたものだよ。僕の霊王としての力を高め、冥府へと続く扉を開いてくれるのさ。はて、あれの名前は何と言ったかな? 確か、グ、グ、グール、いや、グレン?」


「私が譲ったのでなければ、それを持つ資格は貴方にはありません。速やかにそれを放棄なさい」


「イヤだね。この世で最も美しい僕は、自分より美しくない者には従わない。君のような醜い女の子の言う事は聞けないな」


 蝶の翅を持つ少年は、無数の屍をけしかけて大地を蹂躙していく。

 全ての元凶はこの恐るべき魔人であり、そして彼に力を与えているのは手にした黒い本であることは明らかだった。そして、それを彼に渡した何者かの悪意によってラフディは混乱に陥っているのだ。


 セレスはすっと目を細めた。

 その顔の右側が、どろりと腐乱して肉が落ちていく。

 後に残った白骨、空洞の眼窩が死のごとき視線で死人たちを睨み付けた。


「では、私も言葉ではなく力で語りましょう」


 途端、少女の足下から夥しい数の死人が這い出て空から、地下から湧いてくる死人に殺到した。

 腐乱した、あるいは白骨化した屍体は醜悪きわまりない姿で大地の民や人狼を襲う脅威に立ち向かい、次々と敵を撃退していく。


 同じ死人の軍勢であっても、圧倒的な練度の違いがそこにはあった。

 空を飛ぶ屍たちを残して軍勢が壊滅すると、フィフウィブレスと名乗った少年は不快げな表情で吐き捨てた。


「なんて醜い。引き立て役としてすら許容しがたい忌まわしさだ。ならば僕は、美しさで君を排除しよう」


 細い指先が項をめくると、彼の周囲を踊っていた光る亡霊たちがその数を増していく。亡霊たちは曖昧な輪郭をしている他は尋常な人体そのままであり、醜悪さや忌まわしさは無く、むしろどこか神秘的、幻想的で美しくすらあった。


「亡霊たちはね、自らの人生で最も美しい瞬間で現れるのさ。死とは永劫、それは永遠に残る輝きだ。さあ、君たちも僕の美しさに服従したまえ」


 フィフウィブレス=ハルハハールが言うと、巨大な蝶の翅から無数の鱗粉がばらまかれていく。それらが僅かな光を放つたびに、それを見た生者たちの目から理性が失われ、とろんとした表情で美しい少年に平伏していく。

 そんな中、賢者セレスが敢然と反論した。


「いいえ。いいえ。死とは美しいばかりではない。それは醜いもの。苦しいもの。忌まわしいもの。ただ見たまま、感じたままの肉の傷み、骨の軋みこそが死であり、生でもあるのです」


 その言葉には神秘的な力が宿っていたのか、醜く悪臭を放つ死人たち、骨ばかりとなった屍たちには触れられないはずの亡霊たちが、次々と薙ぎ倒されていく。

 空から降り注ぐ華麗なる亡霊たちと泥臭く戦う醜い死人たちとの戦いは長く続いた。互いに疲弊し、それでも決着はつかないまま。


「仕方無い、ここはひとまず退いてやろう。だが、次に来るときがお前たちの最期だと知るがいい!」


 そう言い残して去っていく死人の軍勢。

 ラフディを守りきったセレスは、力を使い果たしたようにその場に倒れ伏す。

 ルバーブが駆け寄って少女を抱きかかえ、大声で呪術医を呼んだ。


「どうもありがとう。ねえ、一つお願いがあるの。私はもう力を使い果たしてしまって戦えません。次に彼が来ればこの地を守りきれないでしょう。だから」


 少女はそう言って、視線を丸い王宮へと向けた。

 ルバーブが、何かに気付いたように驚きの表情を作る。

 セレスは左半分の顔で柔らかく微笑み、言った。


「あの子の心を折るのは、きっとあの子も認めざるを得ない美しい人でなくてはならないのです。だから――」


 その後の言葉は、右側の骨だけの歯の隙間から漏れ出て消えていったが、もはやその詳細を問うまでもなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る