4-39 死人の森の断章6 微睡む太陽と月のパペットリー③




 ラフディの王と言えば、かつて共に戦ったガロアンディアンの無鱗王アルトの流した血と剥落した鱗を浴びて大いなる力を得たと言われ、その血に連なる者はみな諸外国から【地竜王】の渾名で呼ばれるほどの豪傑であるはずだった。


 長年の宿敵たるカシュラムとの戦争にも勝利し続け、平和になった後も軍隊の精強ぶりでは他の追随を許さぬほど、という評価を動かぬものにしている。

 そんな評判は、しかし内側から溢れ出た死人によって脆くも崩れ去る。


 霊王を名乗る恐るべき存在は去ったが、土の中から甦る死人たちは相変わらず各地で人々を襲い続けていた。

 延々とわき出す軍勢の脅威に兵士たちは疲弊し、限界は近いように思われた。


 未曾有の危機に王宮は揺れていた。

 賢者たちの助言を仰ぎながら、ルバーブを中心として事態の対応にあたるも、混乱は一向に収まらない。そればかりか、大地の民と夜の民との間に生まれてしまった溝、あるいは明らかになった断絶は今にもラフディを引き裂こうとしていた。


 そんな中、賢者セレスはマラードとルバーブを呼び、こう切り出した。


「解決方法がございます」


「それは、どのようなものだ」


 マラードは勢い込んで訊ねた。自らの統治する王国がこのような状況にあって、何も出来ぬ己に歯痒さを感じていることが焦りを含んだ態度から見て取れる。

 セレスは生真面目な表情で返した。


「未来の知恵を使います」


 奇妙な物言いに、二人は揃って首を傾げた。


「私は、未来から来たのです」


 俄には信じがたいことだったが、力あるまじない使いならばそういうこともできるのだろう、と二人は納得し、受け入れた。

 物わかりの良い男たちににっこりと笑いかけ、セレスは続ける。


「まず土葬を止めましょう。火葬という文化を徹底させ、法によって土葬を規制するのです。決まりを定め、王国という呪術の祭場にそれを定着させれば、王国そのものを対象とした呪術は破ることが可能です」


「なるほど。法を定めるのは王と議会の役目ですな。ただちに臨時の議会を召集しましょう。陛下、貴方様の号令が必要です」


「う、うむ、よくわからんが、わかった。良きにはからえ」


 マラードは険しい顔をしつつも、賢者と側近の判断を信頼して全てを委ねることに決めた。

 更にセレスは突飛な提案を続ける。


「そしてもうひとつは――情報的な墓地を作ることです」


「それは?」


 今度はルバーブも意味が分からずに、首を傾げるばかり。

 揃って不思議そうな顔をする男たちに、少女は球体と人形を取り出して言うのだった。


「これもまた、未来の知識。そして、未来の技術です」


 セレスの指示の下、急速に事態が進んでいった。

 その間にも月は隠され、更には太陽までもが黒く闇に飲まれつつあった。

 尋常な天体運動では説明が付けられない事態に占星術師たちも匙を投げ、人々は日に日に悪くなっていく街の空気に疲れ切っていた。


 じきにあの恐るべき霊王が戦いの傷を癒して戻ってくるだろう。

 そのあと、自分たちは一体どうなってしまうのか。

 セレスが呼び出した、この国のものではない死人たちの存在も人々を怯えさせる原因となっていた。


 外敵から人々を守ってくれていることは皆が理解していたものの、そのおぞましい姿には誰もが不気味さを感じずにはいられない。

 と、気味悪そうに恐れおののく女子供たちの前に、長い髪を揺らして歩く男が現れた。マラード王その人である。


 怯える民草に安堵を与えるべくその姿を見せたはずなのだが、不思議と人々は目を丸くしたり、小さく笑いそうになってそれを堪えたりと、かえって余計な緊張を強いられる結果となっていた。それというのも、


「おい、こら、よさないか!」


 マラードの全身に、土気色をした顔の赤子たちが群がっているのだった。幼くして命を失った赤子たちはなぜかみなマラード王に良くなつき、長い髪や長身を遊具と勘違いしているかのように、並外れた腕力で王の全身に猿のようにしがみつく。


 その間抜けな様子に、ついには女の一人が声を上げて笑い出し、連鎖するようにあたりは爆笑の渦に包まれた。

 王はなにやら複雑そうな表情をしながらも、命無き赤子たちを引き連れて不安がる民たちの間を歩いて、声をかけたり手を握ったりということを繰り返した。


 何かそれらしい優しい言葉、その時だけは安心できるような言葉を紡ぐことにかけては右に出る者がいないほどだったので、マラードの歩みによって街はいくらかの落ち着きを取り戻した。その道化のような格好を見て、味方をしてくれている死人たちに対する忌避感が和らいだことも確かだった。


 変化は、マラードのその行動の裏側で速やかに進行していた。

 セレスが指示し、ルバーブが中心となって国中の呪具職人たちを総動員してその呪具と祭場は完成した。


 曲線を描く独特な街路に神秘的な力が循環し、大地を走る流れが光となって王国を巡っていく。国民全員に呪石を埋め込み、特殊な溝を刻んだ宝珠が配られると、それは始まった。


 それから幾日かが経過して、フィフウィブレスが大烏賊に乗って襲来する。

 今度こそラフディを死の軍勢で飲み込まんと意気込んできた霊王は、王国の様子を見て目を見開いた。


「何だ、これは。何が起きたんだ?」


 王国の様子は一変していた。

 誰もがひとりでに喋る人形や宝珠を持ち、それに手をやって虚空に浮かぶ窓を操作している。


「死人ども、墓の下から甦れ!」


 霊王が号令をかけるが、何も起こらない。

 すると、マラード王、ルバーブ、そして賢者セレスがやってきて民に何事かを呼びかけたり、話し合ったりしている。内容はこうだ。


「命日をパスワードにしないこと! 皆の者、この決まりをしっかりと守り、個人でしっかりと管理するようにするのだぞ!」


「賢者殿。祈りの時間帯に一斉に墓地にアクセスするので、サーバーに負荷がかかってしまうのが問題だと報告がありました。突貫作業でしたが、落ち着いたら強化しないと鎮魂祭に耐えられないのでは」


「祈りを捧げる権利だけを与えられるわけで、墓地情報そのものは管理会社のものである、という点がやはりネックになってますね。権利関係はやはり法整備をきちんとしていかないと、恐らく相当揉めるでしょう。後で未来の判例を幾つか写しますから、参考にして下さいね」


「うむ、よくわからんが二人に任せよう」


「読み込みの遅さ、クライアントの質が悪いせいで民の間に不満が溜まっております。昔ながらの物理墓地が良かったと言うものも数多い様子ですな」


「昨日のアップデートで不具合があったのもまずいですね。今朝修正できたのは幸いでしたけど」


 霊王フィフウィブレスは唖然とした。

 自らの死人操りの術が、何の意味も成さなくなっていた。

 既にこの国に墓は無いのだ。

 そしてまた、屍体も全て焼かれてしまって原形を留めていない。


 であれば、それに関連して亡霊たちも出てくることができない。

 ラフディは不可思議な技術によって、およそ全ての墓という墓を情報化していた。既存の呪石と球体に呪力を見出す文化と技術を利用して宝珠型端末を作り、国民に無料配布。それを通じてあらゆる生活の支援を行うという施策であった。


 予想された凄まじい反発は、国家存亡の危機ということで強引に抑え込まれ、大規模な文化の転換は数日で行われたのだった。

 霊王は褐色の顔を気色ばませて、高らかに吠えた。


「ならば、醜い者たちよ、この美しい僕に見惚れろ、従うがいい!」


 鱗粉が撒き散らされ、魅了の呪術によってあらゆる者が平伏する。

 その光景を予期していたフィフウィブレス=ハルハハールはしかし誰も彼に見向きしない現実を目の当たりにして愕然とする。


 そして、国中の人々が宝珠型端末が空中に表示する窓に、見目麗しい男女が映し出されているのを見た。

 また、人ならざる美しさの人形たちを傍らに置いて髪を梳いたり、服と着せたり、話しかけたりしている者たちが大勢いることに気がついた。


「なんだこれは!」


「このような特産品がある国だというのに、だれもが球体にばかり関心を寄せているのがおかしかったのです。美しいものは、もっと沢山あるのに」


 霊王にそう教え諭したのは賢者セレスだ。

 既に別の者に強烈に魅了されている者たちを、蝶の闇妖精は魅了できなかったのである。


 彼女は人々が架空の美貌に入れ込み、作り出された人格に、その物語に入り込む様子をうっとりと眺めている。


「三次元ならばお人形遊び、そして無限に広がる二次元の世界――私が本当に伝えたかったのは、こういうことなのですよ」


「う、うむ、そうか。俺はてっきり、人形劇という小さな舞台で逆の立場を演じる事で、他者の心を慮れるように、この身の成長を促しているのだとばかり」


「はい? 何ですかそれ。私はただ、三次元の恋愛よりも架空の恋愛のほうが自由自在だということを陛下にお伝えしたかっただけですよ。ハーレムとか攻略して後は顧みないとか、そういうストイックさ、私はいいと思いますよ。飢えているなら貪欲にプレイしまくるがいいでしょう。そしてそれには無限に広がる二次元世界のほうがずっと効率がいい。人形を使ったのは、まずは三次元との境界線上のものを導入に使った方が抵抗感が無いかと思ったからです。この国の人は馴染み深いでしょうしね」


 驚くべき流暢さで捲し立てていく少女を、マラードはまじまじと見つめ、それから大笑いする。

 笑顔が辺りに伝播して、世界はゆっくりと明るさを取り戻していった。

 いつのまにか世界を包んでいた闇は消え去り、空からは太陽が顔を覗かせている。夜になれば、四つの月がまた姿を現すことだろう。


「ふざけるなっ、こんなものは認めないぞっ」


 空を飛ぶ異形の軍勢が、霊王フィフウィブレスの号令の下に地上に襲いかかる。

 だがその時、賢者ウルトラマリンが巨大な人狼を連れて戻ってくる。

 人狼種の英雄と呼ばれた火炎候シェボリズは高らかに吠えると口から猛火を吹き、死人の軍勢を残らず焼き尽くした。


 死者は古来より火葬に弱い。総崩れとなった軍勢は這々の体で空へと逃れていくが、それを見逃さずにセレスが鋭く叫ぶ。


「陛下、ウルトラマリン様のアエタイトをお持ちですか」


 賢者が贈り物として王に献上した、内部に石を孕んだ石のことである。

 マラードは頷いた。


「ああ、あれならば確か、ここに」


「それを天に掲げて下さいませ」


 王が言う通りにすると、セレスは口の中で小さく呪文を唱える。

 直後、小さな石がひび割れた。

 そして、中から夥しい数の猛禽たちが飛び出した。


 その大きさは明らかに石に収まるものではない。百を超す猛禽たちが次々と羽ばたいて、空へと逃れた死人たちを啄んでいく。


「百十一羽の霊鳥アキラは屍肉を啄む――空飛ぶ死人は、鳥葬に限ります」


 猛禽たちに襲われ、穴だらけとなった蝶の翅でどうにか逃げていく霊王に、もはや現れた当初の威圧感は皆無だった。

 人狼の呪術師たちが一斉に呪文を唱えて、剥き出しのまことの名を捕まえて束縛する。権威を失ったフィフウィブレスは容易く捕らえられてしまった。


 やむなく自らの名の半分を切り離し、霊王フィフウィブレスという自らの本質と最大の武器であった魔導書を手放した闇妖精は、ちっぽけな蝶々となって遠くへと逃げていった。


「――回収完了。どうにか丸く収まりました」


 黒い本を拾って、セレスが小さく呟く。

 かくして危機は去り、ラフディは救われた。

 セレスはゆっくりと振り返る。

 そこには、新たな文明の光に照らされた輝かしい王国の光景が広がって――


 ――寒々とした風が吹き抜けていくと、そこにはもの寂しい廃墟が広がるだけ。

 美しい曲線はあちこちが削れて歪な形状となり、少女は灰色の瞳でそれを眺める。右側の皮膚が剥離して、腐った肉が落ちていく。足下に積み上がる白骨の上に、生温かい血肉が滴った。


「実を言えば、このお話は悲劇なのです。愚かな王を最後まで見捨てなかった卑しい生まれの忠臣は、主人の代わりに命を落としてしまう。王はその時はじめて真実の忠愛がすぐ傍にあったことに気付きますが、時は既に遅く――王は失意の中で病に倒れ、国は滅亡する。そんな、史実を元にした物語」


 半分だけ屍となった少女の空ろな眼窩は、廃墟とそこに散乱する白骨死体、頭蓋骨をこつこつと叩く猛禽たちを見ていた。

 やがて無数の鳥たちが集うと、一ヶ所に寄り集まり、小さな球形となっていく。


 アエタイトと呼ばれる石に戻った霊鳥は、浮遊しながら少女の手元に引き寄せられていった。黒い魔導書と呪石を手にしたセレスは、淡々と続けた。


「後世の創作では、それでは余りに救いが無いと言って、王の胸の中に忠臣は生きているだとか、数々の忠言を思い出して王が再び立ち上がろうとするだとか、そういった改変をした作品もあります。これはもっと極端で、史実をなぞりつつも滅茶苦茶な設定を導入することで破局を回避するという筋書き」


 空ろな声で、セレスは廃墟を歩く。

 その場に残されたのは、彼女の他には二人。

 長い髪の王と、その従僕たる肥満体。

 少女の灰色の左目と、空ろな右目に映し出されているのは、どちらがどちら側であったのか。


「私は、それが嫌いなのです――語り直すということは、語り直される前の物語の死を打ち棄てて、忘れてしまうということだから」


 男たちは、黙して語らない。

 冷たい風が、いつしか曇天となった世界を通りすぎていく音が響く。


「私は、過去を指向する呪文が嫌い。だから私の『誓約』は未来を指向しているのです。おわかりになりまして、アキラ様?」


「お前は、コルセスカじゃないな」


 かちり、と白い歯を見せて少女が笑う。


「さて、今、この時の私が誰なのか。もちろん劇中では役柄が全てです。ですが同時に、役とは役者を表現するための容れ物であるとも言えるのですよ」


 軽やかに、幼い少女のように。

 くるくると回りながら、少女の髪が解けて踊る。

 右側の頭髪がばらばらと抜け落ちて、蜂蜜色の絹糸が風に攫われて舞い上がり、煌めきの残滓を残していく。それは生の余韻であり、死の痕跡だった。


「きぐるみの場合、役としての本質は外側に求められます。けれど、演劇というのはね、外側に役者が現れているのですよ。役は不可視で、見えていることになっているだけ。役者の中にある役、あるいは役者と観客の間に置かれた役――共犯関係が創り出す幻想」


「お前は何を言っている。セレス――死人の森の女王。これもお前の数ある名前の一つなのか」


「役が役を演じて、役者が役者を演じる。こんな転倒も、ありふれた手法に過ぎませんけれど」


 噛み合わない会話。

 そもそも、これは誰と誰が、いつどこで交わしている言葉だというのか。


「前世の記憶を持って生まれた『私』――それを自覚した瞬間、私は過去の私として覚醒する。貴方の知る現代の私は、演じられたものでしかなく、本当の私は『こう』なのです、と言ったら、貴方はどうしますか? ねえ、貴方の『ほんとう』とは、見たいものを見ることでしょうか。それとも、ありのままの事実を見つめる事なのかしら。邪視と杖のゼノグラシアたる貴方は、どちらを選ぶのでしょう」


 男の声は、黙したまま語らない。

 長い、長い静寂の後。

 悪戯めかして、少女が問いかける。


「問題です――私は誰で、今どこにいるのでしょう?」


「お前はコルセスカだ。俺の目の前にいて、トリシューラと並び立つ冬の魔女」


「そう、結局そこなんですね。新たなるガロアンディアンの女王――私はつまり、彼女と雌雄を決しなければ『私』としてこの世に立つこともできない。あら、日本語では、『雌雄』を決するなんて言い回しを使うのですね。何というか、これは」


 少女は溜息を吐くと、生身の左手で白骨の右側を撫でていく。

 すると、見る間に屍そのものだった右半身が生気を取り戻し、光に包まれて元通りの生きた身体へと変化するのだった。

 そして、満面の笑みを見せる。


「とっても、馬鹿馬鹿しいですね♪」


 世界が色づいて、活気を取り戻した都の中心で三者が向かい合う。

 ルバーブは全てを諦めた様に瞑目して、マラードはどこか穏やかな表情でセレスに問いかける。


「もちろん、我々は理解している。こんな光景は嘘だ。私たちは助からなかった。愚かな私のせいで、多くの人狼たちが苦難の運命に見舞われ、ラフディは死に埋め尽くされた。外敵の侵入から民を守る事もできなかった愚王が私だ。ルバーブの忠義には最期まで報いることが出来なかったな」


 今度は、セレスのほうが黙して語らない。

 微笑んだまま、張り付いたような表情でマラードを見つめる。

 王はどこか相手をまぶしそうに見返して続けた。


「貴方は、ただ過去を変えに来たのではないのだな。過去の死を無かったことにするのではなく、さりとて絶望のみを突きつけるのではない。希望のある結末を用意して、俺たちの慰めとしてくれるのか」


「いいえ。私は希望と絶望の両方を成り立たせたいのです。それは一つに繋がった、表と裏。生と死のように、切っても切り離せない内側にして外側の構造。私は、貴方たちにたった一つの選択肢を提示しに来たのです」


 言葉と共に、行き交う人々の全てが死に絶えた。

 しかし、今度は街が廃墟となったりはしない。

 燦々と太陽の光に照らされる中で、死人たちが陽気に歩き、笑い合う光景。


 白骨死体が土気色をした顔の子供を肩車して、欠損した四肢を繋ぎ合わせ、防腐処置を施し、綺麗な死化粧に彩られた女性が力の無い骨ばかりの夫の手を引いて、時には落ちそうな赤子を支えてやる。


 丸い看板の上、半球の屋根で工具を持つ身軽な骨の大工たちに、商店でかちかちと骨を打ち合わせて呼び込む売り子たち。女性に落とし物である耳や鼻、指などを拾うことで始まる恋。わざと指を落として気になる男性を誘うという技術。死臭を隠すために発達する香水文化。


 死人の日常風景は、どこか穏やかで平和だった。

 争い事が皆無ではないが、それは解決しようがしまいが、どちらも同じ事。

 時間に急き立てられることなく、強固な意思がぶつかり合うこともない。

 過度な暴力が笑いになるような、生と死の価値が零落した世界だ。


「滅びるのではなく、さりとてただ生き延びて繁栄するという『硬質な事実』に反することで世界の修正力に刃向かうのでもなく――死後を生きるという、その続きを、貴方たちに」


 セレスは、二人の男にすら詳細な意味がとれない言葉を紡いでいく。

 この戦いが、始めから『三つ巴』のものであったこと。

 過去を変えるべく再演を行うという儀式には、異界からの転生者と、賢者たる英雄だけではなく、もう一つの勢力が絡んできているのだという事実を、誰も気付いていなかったこと。


 三人目のプレイヤー、【死人の森の女王】は両者を出し抜き、自らの目的を遂げようとしていたのだということ。

 納得したように、王が頷いた。


「救われうる可能性を見せてくれたのは、貴方とは別の――我々を演じている者たちの思惑によるものか。彼らにも礼を言いたいが、さて、方法が分からないな」


「では、代わりにその救い主を象徴する石と霊鳥にお礼を言うといいでしょう」


「そうか。ではアエタイトに宿りし霊鳥アキラよ、礼を言うぞ」


 マラードとルバーブは死が満ちた王国を見て、満足げに頷いた。

 そして、二人は跪く。

 小さなセレスを主と仰ぐかのように。


「我らラフディの棘の民、救い手たる貴方に従おう」


「死人の森は、貴方たちの骸を包み込むことを『約束』します――けれど、ごめんなさい。今の私はグレンデルヒに力の大半を奪われてしまっています。今のままでは貴方たちをこのように活気ある世界に連れて行ってあげられません。だから、待っていて。すぐに残りの断章を取り戻して、ジャッフハリムを、グレンデルヒを、今の私を、トリシューラを打倒して、必ずや【死人の森】を再興させる。貴方たちの過去と未来の全てを取り戻す。『約束』です」


 セレスの言葉は不思議な力で世界を包み込むと、やがてラフディをゆっくりと眠りにつかせていく。

 それは子守歌のような呪文だった。

 急速に育っていく針葉樹が国土を覆い尽くし、そこは森の中に埋没していく。


 やがて冬が訪れると、冷たい風とともに白い雪が一帯に降り積もっていき、世界は銀色に移り変わった。人々は眠っていく世界を見ながら、遠い未来に想いを馳せるように目を瞑る。


「ああ、今は微睡みにこの身を委ねよう。俺は答えを得たのだ、麗しの女王よ。君との奇跡のような出会いこそが、本当だったのだと、俺は今、ようやく確信した」


 言葉は雪の中に消えていく。

 その先は、目覚めと共に熱を帯びて男の胸を焦がすであろうことを約束して、今はまだ、という留保を付けて先延ばしにされるのだ。


「どうか、今は穏やかに眠って下さい。たとえ千年の時を経ても、私は貴方たちを起こしにやってきます。この約束はけっして破られません。だから、死の眠りを怖がらないで」


 少女は決意を宿した瞳で銀世界を見据えた。

 その目の前に、球体関節人形のラクルラールが立っている。

 不思議とこの人形の回りだけは雪が降り積もることなく、世界から切り離されたかのように孤立していた。


「相変わらずね、ラクルラール。ゲームには参加せず、黒幕気取りで高みの見物といった所かしら」


 硝子の目は動かない。動いたような気がしたならば、それは光の加減でそう見えただけのこと。

 だが、確かにその時、人形はぎょろりと目を向いて少女を見た。


「全てが貴方の思惑通りに運ぶと思ったらそれは間違いですよ。グレンデルヒにも貴方にも、やられっぱなしでいるような魔女ではないってこと、よおく知っていますよね?」


 少女がそう言った時には既に、球体関節人形は姿を消していた。

 代わりにその場に残されていたのは、一揃いの人形たち。

 人形劇用の道具だった。


「――ご丁寧なことですね。そのつもりでしたし、使わせてもらいましょうか。たとえ誘導されているのだとしてもね」


 少女は長い髪を数本抜いて、人形を操った。

 眠れる森の下、じっと待ち続けている死人たちの業を使って、彼女は更なる過去を再演する。続けて演じられるのは、こことは別の王国の物語だ。


「古きガロアンディアン――滅びた竜王国、地獄へと堕ちた理想を掲げた、大いなる牙が統べる騎士の国。『新しい方』と戦う前の肩慣らしとしては、丁度いいのかしらね」


 灰色の目が輝いて、人形たちが動き出す。

 そして、物語は始まった。




 そのあと二人がどうなったかって?

 きっと結婚して、幸せになったことでしょう。

 お話というものは、だいたい最後は結婚式で幕を閉じるのです。


「だめ。私はまだ結婚ができる歳じゃないもの。きまりを破るのはいけないこと」


「ならばいくらでも待とう。大きくなったら一緒になると、約束してくれるね?」


「ええ、喜んで。約束しましょう?」


「ああ、約束だとも。たとえ、この身が朽ち果てても、君を迎えに参上しよう」


 ――もちろん、それがお約束なのです。


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