4-35 死人の森の断章6 病的グランギニョル②



 円形の床、半球状の天井という空間に、天頂から光が降り注ぐ。

 採光窓から降りてくる光は球体をくり抜いて人ひとりが収まるようにした形状の玉座を照らし、神々しい様を演出していた。王は球神、すなわち太陽と月の代理人であるという認識を共有する為の儀式場がこの謁見の間である。


「国王陛下におかれましては、本日もご機嫌麗しく――」


「うむ、よきにはからえ」


 礼を尽くして口上を述べる相手に対して、気のない返事を投げるのは美しき髪の王、マラード。聞いているのかいないのか、ぼんやりとした表情で玉座に寄りかかっている。


 各地から寄せられる請願や陳情を聞き、周辺諸国からの外交使節との謁見を重ねるというのは、一国の王が行う政務としてはごく平凡なものだ。

 マラードという男はそれを心底から退屈だと認識している様子で、欠伸を隠すことすらしようとしない有様だ。周囲の重臣たちは揃って苦い顔をするが、もはや諫めることに疲れ果てたのか、何も言おうとしない。


 丸く醜い、汚れた乱れ髪のルバーブを除いては。

 明らかに憤慨した様子の相手が退出した後で、太った男は諌言を口にする。

 

「陛下。どうか、王たる身に相応しい振る舞いを心がけて下さいませ」


「ふむ。だがなルバーブよ。このような雑事に煩わされることが、果たして美しく偉大なる王者に相応しいだろうか。役の方が俺に対して不足しているというものであろう。もっと適切な――そうさな、華やかな宴、舞踏会や演奏会などはどうか。観劇も良い」


「どのような役柄であっても、気品と風格が滲み出てしまうのが王というものではないでしょうか。役不足、結構でありましょう。つまらぬ役を食ってこその役者というものではございませぬか」


 ルバーブの言葉を聞いても、マラードは肘掛けに寄りかかって指に長い髪を巻き付けるばかりだ。細く長い指から滝のように流れ落ちていく毛束の煌めきに、王に対して非難や呆れ、諦めの眼差しを向けていた者たちは揃って息を飲み、陶然とする。あらゆる短所を帳消しにするほど、彼の髪は美しかったのだ。


 しかしただ一人、ルバーブはその美しさを直視しながらも口を開くことを止めなかった。


「陛下。次は中原より十二賢者の方々がおいでになります。近年、多発している厄災や国難にいかに対処すべきか、助言を仰がなくてはなりません」


「ほお、キャカールの十二賢者か。そういえば、そんな時期であったな――面倒な。またぞろ訳の分からぬ戯言を聞かされるのか」


「――陛下は賢者の方々に一つよりも多くの質問をすることがお出来になれます」


「なんだその迂遠な言い回しは――いや、待て。そうか」


 王は得心がいったというように膝を打って、表情を明るくさせた。

 たった一言にどのような意味が込められていたのか、ルバーブはこの怠惰な放蕩者をやる気にさせることに成功したようだった。


「良いぞ、賢者のお歴々を案内せよ。丁重にな。なにせ、これからその知恵をお借りしようというのだから」


 そして、謁見の間に次々と現れたのは世にも名高い賢者たち。

 どのような勢力にも属さず、しかし時の権力者たちに助言を与え、世界の秩序を維持するという役割を自らに課した当代屈指の呪術師たちは、慣習に倣ってそれぞれ贈り物と祝福を王に捧げていく。


 王が好むのは人形である。賢者たちは珍しいつくりのからくり仕掛けの人形や、曰く付きの呪われた人形などを持ち寄って王を楽しませた。それらはほとんどが見目麗しい少女の形をしていた。王は恋するようにうっとりと少女人形たちに魅入り、愛で、じきに飽きて放り出した。


 おおむね、それが彼にとっての恋であった。

 そうしたやりとりが順繰りに十回ほど行われ、案内された賢者たちが勢ぞろいすると、ようやく本題である。


 マラード王は彼らに順繰りに問いかけを行い、国政に関する助言を授かる。

 古来より繰り返されてきた半ば儀式じみたやり取りは、普段ならば王の関心を惹くようなものではない。退屈と決めてかかって、いい加減に流してしまうのみである。


 だが、今日ばかりは違った。

 というのは、お定まりのやり取りの後でこのようなやりとりがあったからだ。

 王は賢者たちに、政とは全く関係のない、個人的な問いを投げかけた。


「永き時を生き、万事に通じるというそなたたちに問おう。真の恋とはいずこにあり、どのようにすれば手に入るのだ?」


 周囲に控えていた家臣たちはルバーブの機転に舌を巻いた。このような餌でもなければ王宮でじっとしていることすらできないのがマラードという王である。それに、この問いに答えが与えられたならば自然と王は妃を娶ることとなろう。独り身でなくなれば王の放蕩ぶりにも歯止めがかかるのではないか。


 勢ぞろいした十人の賢者たちは、その期待に応えて十人十色の答えを用意して見せた。曰く、


「頭蓋を開き脳を洗い、微弱な稲妻を流せばたちどころに最上の快楽が得られましょうぞ。真実とは得てしてその程度のものでございます」


「恋とはすなわち生の躍動。すなわち極限における命の実感こそがそれを生み出すのです。愛しき相手と殺し合われませ」


「一切はまやかしに過ぎませぬ。あらゆる執着を捨てるのです」


「陛下が求めておられる恋とは求めているが故に恋なのです。手にした瞬間それは消え去ってしまう。永遠に求め続けられませ。それが手に入らぬ恋を楽しむ唯一の道にございます」


「真実の恋が無いなら作れば良いのです。その魔性の髪で人形を操り、貴方様に奉仕する恋人を作る。架空の色事を演じれば、それはいずれ真実になりましょう」


「齢三千にもなって恥ずかしいのですが、私は童貞でしてな。大賢者などと呼ばれている身でありながら、そうした事柄には疎く、お力添えできそうにありませぬ」


「端末貸してやるから自分で紀元槍検索しろカス。発狂しても知らないけど」


「まず真の恋、というものの定義から明確にしていただけませんと回答できません」


「データベース検索結果を表示します。該当、約二十四万八千七百件。更なる絞り込み検索を推奨しますが、いかがなさいますか?」


「いずれ来る十九の獣がこの世の全てを滅ぼし、その終末すら大いなる存在が喰らい尽くしてしまうであろう。恋など終わりが終わらぬという恐怖に比べれば些細な問題に過ぎぬ。おお、恐るべきは終端を喰らうもの! うあああ、天井の採光窓に、窓に! そこかしこから大きな口を開いて待ちかまえている! ブレイスヴァが! ブレイスヴァが! 呪われよ! 呪われよ!」


 というような答えが返ってきたが、マラードは今一つ納得しかねるのか首を傾げるばかりだった。賢者たちは優れた呪術師たちだったが、同時に世間一般の常識から外れたものがほとんどだ。これは期待はずれだったかと落胆する王と臣下たち。


 見えてはいけないものが見えてしまっている第一位の賢者オルヴァ・スマダルツォンが口から泡を吹きながら担架で運ばれていくが、誰も気にもとめなかった。カシュラム人が出し抜けに錯乱するのはよくあることだからだ。


 虚空を凝視しながら「ブレイスヴァが! ああ恐ろしい!」と喚くその姿からは、とてもかつてカシュラムの王であった面影は見いだせなかった。古い時代、ラフディはカシュラムと長く敵対関係にあったが、ヒュールサス、ガロアンディアン、ドラトリアといった国々が仲裁に入ったことでその関係は安定期に入った。


 キュトスの魔女が一人、廃園のカルルアルルアの導きに従って、世に言う七王国の盟約を結んだかつての王たちは、軍勢を結集させて恐るべき外敵クロウサーの脅威と戦ったと伝えられている。しかしそれも過去のこと、盟約が形だけのものとなって久しい。


「もう良い。そなたたちが言うことはわけがわからぬ。下がるが良い」


 マラード王は手を振って賢者たちに退出を促した。一国の王とはいえ、賢者と呼ばれる者たちに対してぞんざいに過ぎる態度であり、ルバーブがそれを窘めようとする。そのときだった。

 十一人目の賢者が、遅れてやってきた。


「ごめんごめん、地下居住区の同胞たちの様子を見に行っていたらすっかり遅れてしまったよ。贈り物を持ってきたから許して欲しい」


 ふわふわと黒衣を翻し、浮遊しながらやってきた夜の民は、つかみ所の無い口調でそう言った。

 小柄な体を鹿にしたり狼にしたりコウモリにしたり、あるいは不定形の光の靄にしたりと忙しなく変幻させていく。


 幻姿霊スペクターと呼ばれる氏族である彼、あるいは彼女は、次々と姿を変えながら王の前に降り立った。黒衣はいつしか真紅に染まり、小さな身の丈の不釣り合いなほど巨大な杖を手にした少女となって膝を突く。


「キャカール十二賢者が第二位、ウルトラマリン=イヴァ・ダスト、遅参いたしました。ご無礼、平にご容赦を」


「良い、許す。俺は知りたいことがあるのだ。お前の知恵を借りたい」


「何なりと」


 遅れてきた賢者はそう言ってマラード王の言葉を聞いた。

 真の恋を求める男に、少女の姿をした賢者はふむと一つうなずいて、それからあどけない声で提案する。


「陛下は女性も羨むほどの美しい髪とかんばせをお持ちと讃えられるほどのお方。そこでどうでしょう、一つ私のまじないで女になってみるというのは。今までとは違った視点で恋を楽しめるやもしれませぬ」


 性別が無い、あるいは男女両性を併せ持つ夜の民らしい意見だったが、マラードはぞっと身を震わせてその提案を退けた。


「とんでもない。俺は美しき花を手折り、可憐な人形たちを手繰り、恋人を愛でたいのだ。愛でられる側になるなど耐えられん」


「そうですか。我々には分かりかねる理屈ですが、陛下がそう仰せであるのならば、私からは何も。ああそうだ、我が父母マロゾロンドからの祝福と贈り物がまだでした」


 賢者は黒衣の神よりの祝福を王に与え、また懐から小さな石と人形とを取り出してみせた。それは世にも珍しい人形で、古今東西のからくり人形や呪物を目にしてきたマラード王をして驚きの声を漏らすほどのものだった。


「それは何だ? どのようなものなのだ」


 マラードはまず賢者から受け取った小さな石を手に取り、教えられた通りに何度か揺らしてみせた。

 すると、その中からカラカラという音がしてくる。石の中に、更に小さな石が入っているようであった。


「それはアエタイトと申しまして、聞いての通り石の中の空洞に更に小さな石が入っているという品でございます。異界より来たる幻獣――怪鳥アキラがもたらしたる呪水晶がその正体であると言われております」


「聞き慣れぬ響きだ。これが異界の呪力を宿した結晶だというのか」


「さようでございます。その石英を運んでくるという幻獣は、産出されました南方の言葉ではダワティワといい、死人を葬り去る聖なる鳥とされております。こちらの言葉ではそう、ホーデングリエでしたかな。スキリシアでは、首のないアキラの紋章は外世界の呪力を宿すという伝承が」


「能書きは良い。どのような加護が得られるのか、要点を述べよ」


「小さな石を内包した様が子を宿している母親に似ていることから、安産を祈願する呪力が宿っているとされております」


 マラードは大きく鼻を鳴らした。

 あからさまに機嫌を損ねたふうに柳眉をひそめて、小さな賢者を睨みつける。


「皮肉か」


「とんでもございませぬ。私なりに陛下が良き出会いをされれば、と考えた末の贈り物でございます。いずれ巡り会った真の恋人に贈っていただければ幸いです」


「ふむ。そう言われれば気の利いた品物であるような気がしてきた。して、そちらの人形は何だ?」


 賢者は続いてやや大きく、球形に近い人形を王に捧げた。

 ラフディでは球形のものを美しいと讃える文化がある。よって、丸い人形の贈り物はさして珍しいものでもない。しかし、それは独特の構造をしており、今までのラフディにはそうした発想は無かった。


 人形がぱかりと上下に割れ、その中から一回り小さな、外側とうり二つの人形が現れたのだ。


「鷲石に着想を得まして、人形でこれを再現してみましたのがこちら。人形の中に人形、その中にまた人形。これぞ入れ子人形でございます」


 人形はよく見れば一つ一つ細部や色が異なる。九つ目の人形が現れると、小さなその人形の中から一番最初の人形と全く同じ人形が現れる。

 一つ目の人形が割れて、二つ目の人形が現れ、それが繰り返された後に九つ目が一つ目を、そして全体を内包した有り様を見せるのだった。


 王は瞼を揉んだ。

 自分の目がおかしくなったのかと思ったのだ。

 だが、目を凝らし、指折りして何度数えても人形の総数は九つ。幸い両の指で数えられる範囲であったが、細部を凝視すればするほど現実は理解を絶していく。


 一番小さな人形が割れる瞬間、かっと目を見開いて一部始終を見届けようとするも、次の瞬間には一番大きな人形がその次の人形を吐き出しているのだ。もちろん、一番小さな人形が割れて一番大きな人形を内包したまま。細部を縮小していく度にそれが全体として立ち現れる自己相似形。そしてそれは無限に続いていくのだ。まるで、合わせ鏡をのぞき込んだ時のようだった。


「頭がおかしくなりそうだ!」


「あまり深く考えてはなりません。ありのままを受け止めることです。ところで陛下。この人形、どれが外側でどれが中身か、おわかりになりますか?」


 マラードは返答に窮した。

 一番外側にある人形を一番内側にある人形が内包しているのなら、それは明確に決められないのではないか。

 賢者は曖昧に微笑んで言葉を続けた。


「陛下は偽りの恋ではなく、真実の恋を求めておいでだ。真実とは常に細部に、そして中心に存在するもの。しかしながらそれが裏返ったならどういたしますか」


「お前の言うことはわけがわからん」


「では質問の仕方を変えましょう。陛下は真の恋と仰せですが、それは真実の恋人を求める、という事で間違いございませんか?」


「その通りだ」


「では、陛下は既に答えを持っております。求めるべきものは一つ」


「それは何か」


「陛下が探すべきは恋ではありませぬ。人を探すと良いでしょう。あるいは、天空から可憐な少女が降ってくることを神々に祈ればよろしい」


 王は賢くはなかったが、賢者の言葉の陰に隠れた微かな嘲弄を敏感に感じていた。

 不快さを表情に出して鼻を鳴らすと、「もう良い、下がれ」と賢者を退かせた。

 賢者ウルトラマリンは大人しく王の言葉に従う。マラード王は憤慨したまま次の賢者を呼ぼうとしたが、他にはもう助言を仰げる賢者がいないことに気付いた。


 そう。キャカール十二賢者のうち、十一人が既に王に助言を与えていたのだ。

 しかしいずれもマラードの求める答えを用意できなかった。

 不満が募る王は、とうとう十二人目はどこかと大声で呼ぶ。

 すると、周囲に控えていた家臣たちが大慌てでそれを諫める。王の行為はそれほどの暴挙であった。

 

「ええい、なぜ止める! そもそも、なぜ一人足りぬのだ! ウルトラマリン殿のように、遅れてでもいるのか?」


 マラードの疑問に、ルバーブが答えた。


「いえ、はじめから呼んでいないのです」


「なぜ一人呼ばなかったのだ。持てなす為の皿が足りなかったか?」


「恐れながら王よ、この城の財政状況がそこまで困窮していれば貴方様はとうに玉座を追われているものかと」


「ほう、そうか。その言葉、俺とお前の間柄でなければ不敬罪で縛り首にしているところだが、まあ良い。して、不在の賢者はなぜ呼ばれなかったのだ」


「恐れながら陛下、グールイェン様は第五の賢者。もたらす祝福は、名高き変異の三手ペレケテンヌルのものでございます。かの神の祝福を呼び込むことは、たとえ賢者様の不興を買ってでも避けねばなりません」


「それは全くその通りだ。まさかペレケテンヌル神に祝福されるわけにもいかぬ。お前の判断は正しい」


 ものを知らない王であっても、さすがにペレケテンヌルの数々の逸話は聞き及んでいたのか、即座に納得した。ペレケテンヌル神に気に入られてしまったばかりに無惨な最期を迎えた国の数は両手の指では数え切れないほどだ。


 だがそのとき、不意の闖入者が現れる。

 噂をしていたのが聞こえていたかのように、長身の影が謁見の間の入り口に差したのだ。蓬髪を振り乱した壮年の男は、まるで自らこそがその場における最上位者であるかのごとき堂々たる所作で舞台の中央に進み出ていく。


 その姿を見て、マラード王とルバーブが硬直し、目を見開いた。

 両者共に身を震わせ、続いて表情に敵意と怒りを漲らせていく。

 二人は同時に叫んだ。


「グレンデルヒ!」


「おや、まことの名を明かされてしまったな。どこで知ったのかな? 困ったことだ。賢者グールイェンというのが私の通称なのだがね」

 

 言葉とは裏腹にさして困った様子も無く言ってのける賢者に、マラードが玉座を立って飛びかかろうとするのを、進み出たルバーブがその左手で制止した。

 丸い肥満体からは想像もできないほどの速度で主君に先んじたルバーブは奇声と共に賢者に肉薄すると、体重を乗せた掌を突き出した。


 賢者の肉体が、ぐんと一回りも二回りも大きくなったかのように膨張する。

 ルバーブの打撃を受けても壮年の大男は身じろぎ一つしないまま。

 代わりに、打撃を受けた場所を起点とするようにぱっくりと生肉が割れて内側が覗けた。つるりとした禿頭の表面で入れ墨のような微細な溝が光を放ち、屈強な筋肉に押し上げられた胸部は女性的に盛り上がっている。


「お前は」


 ルバーブが何かに気付いた瞬間、賢者の肉体を包んでいた分厚い脂肪が流動し、肉のきぐるみとなって再び全身を覆い尽くす。

 くぐもった女性の声が、静かに告げた。


「特異調整・二十パーセント」


 変異した脂肪が蠢き、壮年の男の姿を再現する。

 賢者は伸ばした自らの腕をルバーブの腕の上から腰の後ろ、服の帯に回して掴むと、そのまま豪快に投げ飛ばした。


「は! ラフディ相撲とやらも大したことが無い!」


 賢者が聞こえよがしに嘲笑する。

 鮮やかに倒されたルバーブは転がりながら受け身をとり、マラード王の下へ退いた。その表情には切迫した焦りが浮かんでいる。

 マラードが叫んだ。


「なぜ、貴様がここにいる?!」


 呼ばれてもいない賢者がやってきたのは何故か。

 王の言葉はそう捉えるほかないものだったが、意外な人物が来ただけにしてはその声には強すぎる敵意と、そして隠しきれない恐怖が滲んでいた。


 賢者は口の端を吊り上げ、ことさらに悪意を強調するかのごとき表情で威圧してみせる。そしてそれは物理的な実行力を伴ってでもいるかのようにマラードとルバーブを退かせたのであった。


「もちろん、この茶番をぶちこわしにするため――」


 賢者がそう言いながら重く足踏みをした瞬間、赤絨毯の敷かれた大理石の床が踏み抜かれ、木製の舞台床が砕けた。破綻した箇所を中心として世界に亀裂が入っていく。壮麗な謁見の間と言う空間そのものが色褪せ、半球状だったはずのその場は奥行きを失い、天より降り注ぐ光がぐらりと揺れて、歪んだ景色の向こう側に黒い照明器具が見え隠れした。


 色を失う周囲をじっくりと眺め、可能な限り間を延ばしに延ばしてから、壮年の男はよく響く女の声で言葉を続けた。


「――じゃあ、ないから安心しな。無粋な真似をしないってのが私と」


 それから急に声が男の低さとなり、


「私の主義でね。圧倒するのはかまわないが、一方的なのはつまらない。相手にも勝ちの目がなければ遊戯ゲームは成立しない。定められたルールの中で競い合い、力の差を見せつけてこそ最強の証明となるのだよ」


 最後の方は、男女の声が重なって紡ぎ出されていた。二人分の意志が一致したかのような迫真と共感が宿った宣言に、場は王者の風格を見いだしたのか。自然と照明が男に引き寄せられていくのだった。


「簡潔に用件を言おう。私も混ぜろ」

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