4-34 死人の森の断章6 病的グランギニョル①
少女の唐突な思いつきを聞いて、周囲が呆然としていたのは一瞬のことだった。
過去の出来事を再演することで時間の流れを書き換える。
そんな途方もない試みは、しかしごく当たり前のこととして受け入れられた。少女の自信に満ちあふれた佇まいに、誰もが一つの確信を得ていたからだ。
この少女ならば、何かを成し遂げてくれるに違いない。
大人たちは、年端もいかぬ幼い姿に、いずれ大業を成すであろう大器を見つけたのだ。不思議な確信と共に、彼らは動き出した。
任せてくれ、と請け負ったのは、旅路で一緒になった流れの劇団である。
見知らぬ国の人々の為に立ち上がった少女の真情に共感し、賛同してくれたのである。気のいい劇団員が中心となって過去の再演は行われることになった。
ヒュールサスと盟約を結んでいたという六つの王国には偉大な王の伝説が残っており、仕事柄そうした伝承をよく知っていた劇団は即座に台本を仕上げ、演出を決定し、有り合わせの道具と材料でちょっとした小道具まで作ってしまった。
あっという間に準備は進んでいく。
少女はヒュールサスの宿で、退廃に満ちた街の光景を見ては悲しそうな表情を浮かべながらも、台本を手に練習を重ねていた。
その目の前で、牙猪が苦言を呈した。
「本当に、俺がやらなくちゃならないのか?」
「あなたが一番身体が大きくて立派なんですもの。だから、王様役はあなた」
当然、といった口調で少女は小さな手でそれを示した。
牙猪が苦い顔で見ているもの。すなわち、大きなきぐるみである。
「しかし、不格好ではないか?」
「中に入ってしまえば、そして幕が上がってしまえば、それはもう本物。お芝居と現実の区別なんて誰も意識しなくなる。あなたが台詞を間違えたりしなければ」
それが一番不安なのだ、とは言えない牙猪は、改めてきぐるみを見る。
中に人が入れる大きさの、人の皮だ。死体から剥いだ皮をつなぎ合わせて作ったその呪具には、ひとたび中に入ればたとえ種族が違えども外からは本物そっくりに見えてしまうという神秘的な力が働いている。
「それに、ちょっと荒っぽいこともするから、力の強い人がいいのです。親切で手伝ってくれているみんなを、危ない目には遭わせられない」
「芝居で危険があるというのも奇妙な話だ」
「お芝居だけど、実際に過去へ行くのと同じこと。だから、失敗したらお芝居の世界から帰ってくることができなくなったりするかもしれない」
恐ろしいことを言う少女だったが、当人は平然としている。既に豪奢な衣装に身を包んで準備は万端だ。少女の腰回りを幾重にも取り巻く布は穢れ無き純白で、広がったスカートはふわりと軽やかだ。
牙猪の声と態度に不安が表れる。
彼女の方こそ、主役たる牙猪と同じくらい危険な役だというのに――。
少女はにこやかな表情で続ける。
「これはきっと、神様から私たちへの試練なのだと思う。だから一緒に乗り越えましょう。そうすればきっと、かわいそうな狼さんを助けることができるから」
当初の目的を口にして、少女は牙猪の左手をそっと握った。
やがて二人を呼ぶ声がして、まもなく舞台が開演する。
はじめに演じられるのは美しい王の物語。
この世のものとは思えぬほどに美しい髪の毛を持つ、男の話だ。
「それは、遠い遠い昔の話。【煌めく星々の時代】――呪術と棍棒が支配する時代の出来事です」
どこからともなく響く語りと共に、ゆっくりと世界が広がっていく。
広大な円盤の大地と、端から流れ出す大海。天を界竜ファーゾナーが覆い、世界を取り巻く暗黒に数多の星々が輝く。輝きを発しては消えていく星々の全ては、生まれ死んでいく内世界だった。
あらゆる世界は栄枯盛衰。数々の宇宙が急速に生まれ、あまりにも儚く滅び去っていく、急ぎ足の時代。エスポダス、デルゴニア、オウィトウクレトル、キルグニルといった名前だけ残った文明、そして名前すら残らなかった文明の勃興と衰亡に、人は星々の煌めきを見た。
そんな大世界の内側に無数に存在する小世界の一つ、更にその中で数限りなく瞬いているとある一国。宇宙の中の、砂粒ひとつ。
「【丸まった大地の時代】には栄華を誇っていたこの国も、今となっては数多くある小国でしかなく、地の果てで細々と長らえるばかり。住人はみな、衰退と停滞に慣れ、そして飽いておりました」
その国の名はラフディ。
球神ドルネスタンルフに守られた、大地と共に生きる人々が暮らす土地。
緩やかな衰退を迎えながらも、人々が纏う空気は穏やかだった。町並みもどこか丸々とした角の少ない建築物が多い。
王国の首都でもそれは変わらない。
どころか、中心部に存在する王宮は大小の球体を組み合わせたような作りをしていた。球体と円形、それによってラフディという国は成立している。都市は外壁に守られた綺麗な円であり、整えられた街路もまた曲線の組み合わせによって円を描いている。
都市の近くを流れる河は大きな弧を描き、その源泉たる山は自然物とは思えぬほどの球形である。およそあらゆる直線や角というものが存在しないかのような光景に、その土地に初めて足を踏み入れる者は驚くという。
そんな、丸い王国の中心点、王宮でのこと。
やはり丸い体型の、丸い帽子をかぶった老人たちが言葉を交わしていた。
何かの噂話か相談事か。ラフディ国民の穏やかな気質に似合わぬ暗鬱な表情で口々に誰かについての言及を続けている。
「今日も政務が滞るばかり。陛下は今日も寝所に篭もりきりだ」
「陛下は病に罹っておいでだ」
「古の昔より今の今まで、ついぞ人はかの病に打ち勝つことができなかった」
「おお、嘆かわしや。熱に浮かされる陛下の姿といったら!」
王宮の重臣たちは、ある者は額に手を当てて、ある者は大仰に両手を広げて、それぞれに嘆きを表現する。仕える主が病に倒れたとなればそれは悲しみもしようが、それにしては様子が少々妙だった。
皆、呆れかえったような表情でため息をついているようなのだ。
それもそのはず。
彼らが言う病とは肉体を蝕む病にあらず。
その正体とは。
「ひどい、ひどいわ陛下! わたしを生涯愛すると言ってくれたのは、嘘だったというのですか!?」
王宮中に響きわたる声。
飛び出してきた娘が、目の端に涙を浮かべてわめき散らす。
すると続いて現れた男は悪びれることなく答えて見せた。
「嘘ではない。俺は自分自身の気持ちに嘘をついたことなど一度もない。我らが神の丸さに誓って、常に自らに正直に生きているとも。そして正直に今の気持ちを言うが、飽きたので次の恋を探したい」
「死ねっ!」
娘の発言は一国の王に対して不敬もいいところだったが、周囲の家臣たちは何も言わない。どころか、娘に同調しかねない白い目を王に向けていた。
捨て台詞を最後に走り去っていく娘。後を追う者は誰もいない。それはいつも通りの王宮の光景であった。
「ふむ。今回も目新しい発見は無かったな。いったいいつになったら俺は真実の愛を手にすることができるのか」
朗々と響く声はひどく蠱惑的だった。耳元で囁かれれば、老若男女問わず骨抜きにされて立っていられなくなるほどの甘い音の連なり。
しかし、その声が紡ぎ出すのは聞くに堪えない享楽と退廃の戯れ言のみ。
「誰も彼も、かくあれと望めばそのように振る舞い、この俺に傅く。全く持って退屈極まりないことだ。これではまるで人形遊びだ――困ったことに、俺は人形がそう嫌いでもない。ゆえにこの身の内から溢れ出す熱情は尽きることを知らぬ」
王が昼夜を問わずに寝所に誘い込む相手の数は星の数、あるいは浜辺の砂粒の数ほどと噂されるようになって久しい。
だが悦楽に耽溺しながらも、彼の表情には翳りがあった。
それはどうしようもないほどの飢えだ。
「満たされぬ。ああ、まるで満たされぬ」
呆れかえる臣下たちのことなど歯牙にもかけず、男は平然と言い放つ。
その国の王は、目も眩むような美しい男だった。
と言っても顔かたち、体つきはあくまでもありふれた範囲での美しさである。
非凡だったのは、その髪の毛だ。
腰まで流れ落ちる艶やかな頭髪には丹念に櫛が通され、毛根から毛先までは青から白銀へと移り変わる緩やかな勾配が美しい。さらには輝かんばかりの光沢、誰もが羨むような艶。国民の誰もが頭髪を伸ばすという慣習があるからこそ、その図抜けた髪の美しさは誰の目にも明らかだった。
王は日毎に髪型を変える。
専属の髪型意匠家が整えた、様々な工夫が凝らされた頭髪。それらはありとあらゆる多様性で見る者の心を掴んで離さない。新たな髪型が考案される都度、市井の人々はそれを真似し、それは流行となって王国に出入りする行商人や吟遊詩人らに伝わり、国外へと広がっていく。
吟遊詩人たちはこのように吟ずる。
丸き王国ラフディに、恋多き男あり。
その二つ名は【
マラード・ディルトーワ・アム=ドーレスタ・エフ=ラフディ。
麗しき髪の王。
名付け親たる『第二の魔女』は彼がどのような男に育つのかを予期して臣下たちに助言を与えていたが、その放埒さを窘めることはついに誰にもできなかった。
「陛下、早急に神官を集め、球神に加護を祈願しなくてはなりません! このままではこのラフディは衰退していくばかり」
「そうですぞ、色事にうつつを抜かしている場合ではございませぬ。今年は前年よりも子宝に恵まれぬ者が多く、我ら大地の民は減少の一途を辿っております」
「
「国内では『人狼たちが不当に我らの利益を奪っている』などという声も上がっており、住民の間で軋轢が生まれているのです」
「神々の加護の衰退は他国でも起こっています。困窮した諸外国がいつ攻め込んで来るとも知れません」
「陛下のご裁可が必要な案件が山と積み上がっているのです。どうか、執務室へお戻り下さい」
美しき王は、次々と詰め寄ってくる臣下たちを一瞥して、つまらなそうに一言だけを返した。瞳には何の関心も宿っていない。
「よきにはからえ」
と一言だけで全てが済んだかのような顔をする所が、このマラードという王の性格であり、臣下たちの頭を悩ませている原因であった。
「陛下っ」
あとはもう、何も聞こえていないかのように振る舞うのみ。
王の世界には、世の中の雑事など入る余地が無いのだ。
「つまらん。美しく偉大なこの俺は、価値のあることしかしたくない。そう、たとえば、激しく恋され、熱く恋する、燃えるような本物の恋!」
王には学が無かった。幼少期から施されているはずの英才教育は実を結ばず、必要に応じて学ぶという習慣はついぞ身につかなかった。政務に携わろうにもそれを成すだけの知識が無いのである。必要無くとも生きていられたし、その美しさがあれば欲しいものは全て手に入った。
「ああ、どうにもつまらぬ。この俺を楽しませてくれる相手はいないものか」
王は世界に飽いていた。
彼の目には、治めるべき国ではなく貪るべき快楽のみが映し出されているかのようだった。臣下らはその有様を見て、失意の表情で散っていく。
そうした周囲の目すら気にならない様子で、マラード王は大声を張り上げた。
「ルバーブ! ルバーブはいるか!」
マラード王の呼び声に、即座に応えて一人の男が進み出る。
ひどくみすぼらしい男だった。
だらしなく丸々と太った体型。顎は首の肉に埋まり、目尻は垂れ下がっており鼻は大きい。なにより乱れた黄色の髪が不潔であり、それはこの国においては最も醜悪と見なされる要因だった。
圧倒的なまでに美しい王の目の前で跪いているため、その差がより一層明確になってしまっている。
いっそ残酷なほどの差であったが、マラードは機嫌良く呼び出しに応じた男を見て、彼に笑顔を向けた。
「おお、来てくれたかルバーブよ。早速だが、俺は退屈している」
「僭越ながら、お断りさせていただきます」
マラード王が全てを言い終わらぬ内に、ルバーブという従僕らしき男は早口で言った。王は宝石のごとき目を二度、三度と瞬かせた。
「まだ何も言っていないが?」
長髪の男は、青年というにはやや幼い仕草で首を傾げた。
無邪気な瞳に宿っているのは、どこまでも不思議そうな色だけだ。
ルバーブはあるかなきかの小さな溜息を吐いてから言葉を続けた。
「陛下が次に仰せになるのはこうです。『ルバーブよ、今日もまた、街に新たな出会いを探しに行きたい。口うるさいじじいどもの目を誤魔化す為に、俺と入れ替わるがよい。髪をくれてやるから明日まで幻影のまじないで周囲を上手く誤魔化すのだぞ』といった所でしょうか」
ルバーブは特に声色や口調を真似することなく、相手の内心を言葉にしていく。
淡々とした代弁に、マラードは深く頷いた。
「良く分かっているではないか。流石は我が第一のしもべ、話が早い。『迅速』の二つ名は伊達ではないな」
「お戯れはほどほどになさいませ、陛下。政務が滞っております。加えて、本日は重要な賓客がおいでになります。どうか、ご自重を」
「おお、そうであったな。しかし、それとてお前が相手をすればいいではないか。お前は優秀だ。いっそ全て任せてしまっても良いのではないかと最近は思うよ」
朗らかに無責任に、マラードはルバーブにあらゆるものを投げ渡そうとする。
その余りの無造作な振る舞いに、ルバーブの表情が苦しげに歪んだ。
「陛下。私のような卑小な者に、そのような大業はとても務まりませぬ。王の役割は王がこなさねば、王国は立ち行かなくなってしまうでしょう」
「なんだ、俺の言う事が聞けぬのか」
ルバーブの言葉は、王が許容できる諌言の域を超えて反抗と受け取られたのか。
そこで初めてマラードの顔に不快さが滲んだ。
彼がこのような負の感情を露わにするのは極めて珍しいことだった。他のどのような臣下に叱責に近い忠告、進言を受けてもこのような表情は見せたことがないというのにだ。
ルバーブは「滅相もございません」と即座に否定し、言葉を続けた。
「あの掃き溜めからこの醜い『針モグラ』めを拾い上げて下さった陛下に報いること。それのみが私の生き甲斐にございます」
臣下の忠誠に、マラード王はほっとしたように愁眉を開いて言った。
「卑屈な事を申すなルバーブ、我が手足よ。それに、掃き溜めは既に無い。見よ、我らが築き上げた美しき都を」
王宮の窓から臨む美しい都を示して、マラードは続ける。
そこに広がっているのは、曲線の街路が紋様のように走る、ひとまとまりの芸術作品のような市街の光景だった。都市工学、建築学、土木工学などの知識を総動員して築き上げられた、極めて優れた設計の都市空間。
――おおむね、そのような解釈を許すであろう、世界的に見ても屈指と言えるほどに美しい都市。曲線の組み合わせ、球形の連なりという単純さが、どれだけ人の目を楽しませる事が出来るのか、この地を訪れた者は思い知ることになる。
治安維持や移動コスト、経済的な合理性といった観点からだけではなく、芸術的な感性にも訴えかける――すなわち莫大な呪力を生み出す形態。
明確な意図を持った都市計画がこれを可能にしたのだろう、と誰もが最初に推測する。しかし、実態はまるで異なっていた。
それは、ただ一人の男が心のままに土の上に描いた結果として出来上がった、偶然の産物。
髪の美しさの他には何も持たぬ男が為し遂げた唯一の偉業であった。
あるいはそれは、極限の美貌だけを持つが故に可能なことだったのかもしれない。このたった一つの功績があるがゆえに、臣下や民たちは放埒な王に希望を抱き続ける事をやめられないのだ。美観はそれ自体が呪力を生み出し、また観光資源として王国を富ませていた。
「お前を縛る過去は変えた。卑しい生まれは既に清められたのだ。この上でまだ卑屈になるというのか?」
マラードは両手を広げ、真っ直ぐと丸々とした体躯の下僕を直視して、どこまでも真剣に語りかける。
しかし、ルバーブは項垂れたままだ。
弛んだ顔の肉が、より一層と重力に引きずられていくようだった。
「王よ。それでも私は、醜さからは逃れられませんでした」
「お前とて幾度も俺と入れ替わり、実感しているであろう。こんなもの、皮一枚、まやかし一つでどうとでもなるのだ。お前の価値はそんな所には無い」
王の真摯な言葉に、跪く丸い体型の男は、重々しい沈黙を返した。
ややあって、口を開く。
「陛下」
「何だ」
「お言葉ですが、陛下をお諫めしていた筈の私が、なにゆえ逆に諭されているのでございましょうか」
「うむ。それはな、話を上手くすり替えたかったからだ」
またしても、しばしの沈黙。
ルバーブは顔を上げて言った。
「陛下、それでは謁見の間へ」
「いや、俺はこれから街にだな」
「陛下」
短い呼びかけに、有無を言わせぬ響きがある。
マラードは渋い顔で低く唸ったが、やがてその音も絶えた。
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