4-28 不在の二人




 暗く深い森の中。

 月光に照らされた一人の少女――その姿に、俺は凍るような白銀の魔女を見た。

 幼く、未だ罪を知らない彼女を前にして、俺は振り上げるべき拳も、口にすべき言葉もわからず、ただただその灰色の瞳を見つめ続ける事しかできなかった。


 屍の狼を憐れんでその胸を痛める、未来の敵。

 俺は、彼女をどうすればいいのだろう。

 この、どうしようもなくコルセスカに似た少女を、俺は――。


 暗転。

 月光を擬した照明が消えて、幕が下りていく。

 序幕、出会いのシーンはこれにて終了。幕間劇を挟んで次なる場面へ。


「は?」


 幕が下りた舞台の上で、俺は呆然と立ち尽くした。

 待て。なんだこれは。

 今の今まで、俺は確かに夜の森に立っていた。


 グレンデルヒに存在を奪われ、薄れ行く意識の中で、聞き覚えのある誰かとカインによって救い出され、奇怪な空間でキュトスの姉妹たちに導かれ、過去に降り立った――のではなかったのか。


 だというのに、どうして俺は舞台の上にいる?

 周囲にあるのは森を演出する舞台装置だ。頭上には月明かりの代わりとなる照明器具。屍の狼も少女も存在する。


 得体の知れない黒子たちが忙しなく行き交う空間で困惑する俺は、舞台袖の階段から何者かがやってくるのに気がついた。

 女性だ。背は俺とほとんど変わらない。眼光鋭くも顔立ちは華やかな、男装の麗人だった。整えられた髪、化粧映えのする容姿、舞台に立てばさぞあつらえたようにぴたりと嵌ることだろう。


「『この世は舞台、ひとはみな役者』――この姿ではお初にお目にかかる。ようこそわが劇場に、シナモリ・アキラ」


 朗々と響く声に、やはり舞台がぴったりだと感じてしまう。

 わけのわからない違和感。

 彼女がこの場所にいることに対しての違和感ではない。俺がこんな場所でこの相手と対峙している事に対しての違和感である。


「私の名はヴィヴィ=イヴロス。ヴィヴィと呼んでくれたまえ。喋る剣にして役者を演じる小道具の魔女だ。これから暫く、よろしく頼む」


「ヴィヴィ――? 六十八番の? いや、それよりここは一体?」


 相手の素性はすぐにぴんと来た。つい最近、ロドウィと戦った時に左手で参照したばかりだ。自律駆動する『賢い刃』の姉妹。

 今日はキュトスの姉妹と良く出会う日だ。一体どうなっているのか、状況がさっぱり掴めない。


 ひとまず、次の場面の準備があるからと舞台袖に案内される。よく分からないままに従う。後ろから、少女と屍の狼がついてきた。

 困惑する俺に、ヴィヴィ=イヴロスは堂々たる態度で説明をする。


「ここは私の浄界、【世界劇場】の内部だよ。永劫線の中でもあるし、星見の塔でもある。虹のホルケナウにもあるから、まあ世界中どこにでもある移動劇団さ。先程ここが『注釈の世界』だと説明を受けただろう? この舞台裏、幕間は似たような時空だと考えてもらって構わない」


「いや、よくわからないことだらけで何が何だか。俺はあの扉を通って過去に移動したんじゃ無いんですか?」


「いや、君が移動したのは『お姉様方がいた場所の今』から『この劇場の今』へだよ。まあ現在から現在へ時空を超えて移動したわけだから、過去への移動と言っても差し支えないのだが」


 ああ、この感覚久しぶりだ。

 魔女から呪術の謎理論を聞かされて頭がこんがらがる、この視界いっぱいに疑問符が浮かび上がるような気持ち。どうしろと。


「この永劫線には時間が無い――いや、現世に比べて時間が有りすぎる、と言うべきかな。君の認識では捉えきれないだろうが、ここでは過去現在未来が同時に並存しているんだ。線的な時間認識ではこの時空を理解することはできない」


 なるほど、確かにさっぱり理解できない。


「そうした常識、認知の枠組みを有している以上、いわゆる過去の世界に君の肉体が移動する、というような時間遡行は君には無理だ。よって、『過去に遡っていることにする』のが一つの方法として考えられる」


「というと?」

 

「過去に遡ることは基本的に呪文の領分だ。君のように、杖以外の適性がほとんど皆無な者が時間を遡るのは難しいよ。だから杖的に遡るんだ」


 ヴィヴィは指を三本立ててそう言った。確かこれは『三本目の足』、つまりは杖を示すジェスチャーだったはずだ。


「杖的――タイムマシンでも作るとか?」


「まさか。杖的な呪文――肉体言語魔術を用いる」


 それは、公社の前首領ロドウィや【変異の三手】の副長クレイが使っていた身振り手振りによる呪術のことだろうか。

 ジェスチャーによる呪術――考えてもみれば、サイバーカラテの型が呪力を宿すのも全く同じ原理によるものなのではないだろうか。


 してみると、サイバーカラテユーザーは皆、肉体言語魔術師と言えるのか?

 もちろん、正式な資格や専門知識が無いので、『見習い』レベルではあるのだろうが、知らず知らずのうちに呪文の亜種を使っていたのだと思うと妙な気分だ。


「当然、内容はより複合的で総合的だけどね。台詞も歌も劇伴も舞台効果も! 何でもありの幻姿劇スペクタクルだ!」


「台詞――って、それはつまり」


 俺は周囲を見回した。

 確認するまでもない。ここは舞台袖で、劇場の内部だ。

 だとすれば、やることは一つだけ。


「そう、演劇だよ。即興が生み出す一回性と役者と観客の関係性、脚本と演出が織り上げる世界観、わかり切った筋として共有される物語」


 魔女の言動は芝居がかかっていた。ここが舞台であるように――まるで『舞台袖での一幕』という設定で舞台の上に立っている役者であるかのように、優雅に動いて華麗に喋る。


「『再演』――それは繰り返される過去。つまりは時空の操作だ」


 類推のような言葉だが、この世界においてはただの類推が、ただの言葉が力を持つのだ。舞台上で過去の場面を演じたならば、そこには本当に過去が立ち現れる。そんなことがあっても、何も不思議な事は無いのだろう。


「再演され続ける演目はね、『過去』であり『今』でもある。そして再演可能性がある限り『未来』でもあるんだ。演劇には時間の全てがある。時間とは演劇だ」


「つまり、過去を演じるという儀式を行うことで、過去に干渉する?」


「そういうことだ。同じ事をなぞれば、それは時空を超えて影響を及ぼす。似ている者は等しい――それが呪術というものだよ。演劇とは呪術的儀式に他ならない」


 まさかこの世界、舞台公演のたびに過去が書き換わってたりしないだろうな。

 とはいえ、俺は無数の神話や物語が直接当人に影響を与えるという前例を見てしまっている。神話の魔女コルセスカが過去から影響を受けるのなら、現代の物語が過去に影響を及ぼすことだって無いとは言えない。


 ――とすると、現代もまた未来から干渉を受けることがあるのだろうか?

 それは、なんというかぞっとしない想像だったが、ひとまず余計な思考は脇に置いて目の前の事に集中する。


 ヴィヴィの言葉を信じるなら、俺はこの【世界劇場】で再演される過去の舞台に出演し、その筋書きを微妙に歪めながら過去に干渉することで勝利への布石を積み上げなくてはならないのだという。


 グレンデルヒに勝利し、トリシューラとコルセスカを取り戻す。

 その為に必要なことならば、何だってやってみせる。

 ヴィヴィはナレーターや様々な脇役を演じてくれるらしい。共演者によろしく頼むと頭を下げて、手の甲をぶつけ合わせる。


 今後の方針が定まった所で、俺はもう一人の共演者である少女の方を向いた。

 蜂蜜色の髪と灰色の瞳、幼い顔立ちに小さな身体。

 どこかコルセスカに似た彼女は、一体何者なのだろうか。


「それじゃあ、次の幕の台詞合わせしましょうか。台本これです。丁度、あの時一緒にやったゲームで予習できてたので覚えるの楽だと思いますよ。一緒に頑張りましょうね、アキラ」


「――おい」


「はい?」


 少女は小首を傾げた。両目ともに大きさの揃った灰色の目がぱちくりと瞬きする。その無邪気な表情に、何か言いたくなって、それから大きく溜息を吐く。

 膝を曲げて目線の位置を合わせた。

 よく見れば、確かに雰囲気がそのままだ。


「道理で見間違うはずだ。コルセスカ本人じゃねえか」


「ええ。そうですが何か?」


 すっかり容姿が変化したコルセスカらしき幼い少女が、一体このひとは何を言っているんだろう、とでも言いたげな表情でこちらを見返した。

 こっちの台詞だ。何なんだお前は。

 文句を言ってやりたかったが、それよりも先に口が動いた。


「無事、だったのか」


「いえ、あまり無事とは言い難いですね。キロンに敗れた時と一緒です。私も貴方も、勝利しなければ消え去る運命。だから、この舞台、必ず成功させましょうね」


 コルセスカは僅かな不安を幼い表情の裏側に隠して、力強く言って見せた。

 俺は頷いた。


「ああ。必ず、トリシューラの所に帰ろう」


「心配することは無い。余計な妨害でも入らない限り、儀式は滞りなく進む。ここには基本的に時間経過が無いから、ほとんど誤差無く現世に帰還できるはずだ。それに、私の教え子は優秀だ」


 俺とコルセスカが決意を確かめ合っていると、ヴィヴィがそう保証してくれた。

 それにしても、もしや二人は師弟関係だったりするのだろうか。

 コルセスカが疑問に答える。


「ヴィヴィお姉様は私の擬人化と武器化のお師様です」


「要領が良くて教え甲斐の無い生徒だったよ。私はすぐにお役御免になったから、あまり師として振る舞うのもどうかとは思うが――演技に関しては幾らか与えてやれるものがあったのではないかと自負している。もっとも、君はすぐによくわからないゲームにのめり込んでしまったが」


「う、いえ、あれはあれで演劇の系譜に属するものでして――」


 コルセスカは弱り切った表情で言い訳めいたことを口にしている。

 彼女が『妹』として振る舞う所を初めて見たので、なんだか新鮮な気分だった。

 雰囲気が和やかになったところで、ふと疑問を口に出してみる。


「そういえば、どうしてコルセスカはそんな姿に?」


「存在が上書きされてしまったので、逆にあっちの過去の姿を参照して奪ってやったんです」


「交換したのか?」


「微妙に違いますが、まあ結果だけみればそうですね。それに、『そんな姿』なのはアキラだって同じじゃないですか」


「は?」


 何を言っているのか、と訊ねようとしたその時、俺は出し抜けにその事に気がついた。自分の肉体に起きた変化――いや、既にこれは俺の肉体ではなかった。

 手を見て、視線を落として身体を見る。周囲を見回して姿見を発見。駆け寄って前に立つ。鏡の中に、『今の俺』の姿が映し出されていた。


 四本の牙が捻れて自らの頭部へと向かうという、特徴的な頭部。

 どうしてこれで現状に気がつかなかったのか、我ながら不思議だが、巨大な鼻面を見て霊長類系だと考える者は少ないだろう。


 その顔は、紛れもない牙猪のもの。

 間違い無い。これは【マレブランケ】の一人、チリアットの身体だ。

 何故か左腕だけが挿げ替えられたように霊長類系の――おそらくは失われたはずの俺の左腕になっていた。


 足下に、骨の四つ脚を持った屍の狼が近付いてくる。

 変わり果てたカインが、子犬のような鳴き声を上げて頭をすり寄せてくる。

 呆然とする俺に、ヴィヴィが声をかける。


「今の君には身体がない。もちろん劇中では『ある』ことになっているけどね。だがここでは――その身体に君を演じてもらっているんだ。わかるかな。使い魔――関係性の拡張だよ。役者と観客との間に存在する共犯関係。『役者はその登場人物ではないがその登場人物であるということになっている。舞台上では設定が全て』ということだ。チリアットが君を演じているのなら、チリアットはシナモリ・アキラなのだよ」


 言いたいことはわかるし、呪術の出鱈目さは身に染みている――とはいえ、これは一体、何がどうしてこうなっているのか。

 落ち着いたはずの思考が再び千々に乱れかけて、不意に胸の奥に冷たさが広がって思考が冷静になっていく。振り返ると、蜂蜜色の髪の少女が柔らかい表情でこちらを見ていた。


 繋がりは健在なのだ。だとすれば、まだ俺は『アキラ』なのだろう。

 コルセスカが姉の言葉を引き継いだ。


「死人の森の女王の『最終的な狙い』はまだ断定できませんが、どうやら彼女には彼女なりの思惑があり、そのために私とアキラに肩入れをしたようです。この人狼と牙猪――カインとチリアットは私たちを手助けするために派遣された人員、ということみたいですね」


 死人の森の女王――その思惑は未だ判然としない。

 しかし――劇中で感じた、コルセスカに対して抱いたのと似た想い。

 あれが間違いでなければ、俺は。


「彼女のことを、私たちは知らなければなりません。この劇は彼女に纏わる、彼女を主役とした物語。それを再演し、追体験し、お話に没入して細部を隅々まで見ていけば、あるいは」


 コルセスカは、既に遠い過去の物語へと想いを馳せている様子だった。

 自らの前世。己の運命。彼女にとって、これはそうしたものに立ち向かう為の儀式なのかも知れない。おそらくは、俺にとっても。


 深呼吸して、気持ちを切り替える。

 もう一つ、確認しておきたいことがあった。


「整理しよう。つまりこうか。今、チリアットは俺の左腕を移植されて俺を演じている――あるいは俺の人格を代行していると」


 それは、まるで。


「俺は、チリアットの寄生異獣になっているのか」


 彼を蝕んで、人格を乗っ取っているというのか。

 ヴィヴィが答えるが、事実は余計に訳の分からない複雑なものだった。


「そうとも言えるし、君という左腕がチリアットという左腕以外の義体となる寄生異獣を宿しているとも考えられる。そしてそれは同じことだ」


「それは、あいつが望んだことじゃないだろう。死を誰よりも恐れていたチリアットが、自発的に俺の犠牲になろうとするはずがない。女王は、あいつにそれを強制したのか」


 救われておいて、文句を言うなどおこがましいと理解できている。

 それでも、チリアットはトリシューラの配下だ。道場の門下生だ。

 その意思を蔑ろにしていいとは思えない。

 ヴィヴィは薄く微笑んだ。何故か、とても楽しそうに。


「なら君はチリアットを演じてあげたまえ。一人二役だ。両方選ぶといい。役の幅が広がって新鮮に違いない。ただし、手は抜くな。やるからには徹底的にだ」


 選択肢は、必ずしも狭くはない。

 彼女の舞台は、とても自由だ。

 しかし、拙い即興は容赦なく非難されることだろう。厳しさと寛容さを両目に宿して、演劇の魔女は細く長い指先に光を灯して、俺の鼻先に突きつける。


「【思考台本】を用意しよう。目を通して練習しておくこと。綺麗なモノローグを心がけるといい。見苦しい内面・心理描写は観客に不快感を与えてしまう。もちろん適度なストレスで『飢えさせる』テクニックというのもあるけれどね」


 奇妙な舞台――演劇という風変わりな、そしてありふれた時間旅行が始まろうとしていた。

 チリアットが演じる俺と死人の森の女王が演じるコルセスカが、未来人の転生者と、幼い女王を演じる。


 舞台に目を向ければ、俺たちが話し込んでいる間に騒がしい幕間劇が演じられていたらしい。箒が飛び回ったりしているが、一体どんな劇だったのやら。

 さて、素人の演技がどこまで呪術世界に通用するのか、少々不安ではあるが。

 兎にも角にも、舞台の幕はそうして上がったのだった。




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