4-26 星見の塔トーナメント⑨




 ――これは、この場においては外世界人とグレンデルヒだけしか知り得ない情報ではあるが。

 シナモリ・アキラがオプション無しで異世界を生き抜いて、更には問題発生後も穏当に『帰化』して『現地人と共存』という前例を作ったことは、多世界にとって大きな意味を持つ。


 今回の件は、低価格転生のテストケースとして処理される予定だ。

 不祥事ではなく、あくまで当人の合意の下に行われた実験。

 情報の細部は転生保険会社に都合良く改竄され、かねてより推し進められてきた低所得層向けの転生商品が実用化されるのだ。


 これからは、大量の短期転生者プランが主力製品となる。

 コンセプトは『太く短い充実した転生』だ。

 一定期間の後、異世界でのサポートを打ち切るという契約内容の転生プラン。


 今まで転生が困難だった低所得層、外国人労働者、海外系日本人を狙った新しいビジネスが、シナモリ・アキラの『成功例』を根拠に開始される予定だった。

 

 現行のものより品質が悪い型落ちの設備は、いつ情報構造体の維持が解除されて転生者が消滅するかわかったものではない。更に言えば契約書類には契約者に不利な項目がわかりづらいように記載されており、保険会社は自由な裁量で転生者の行動を制御可能となる。


 シナモリ・アキラへの対応が抹消からより『穏当』なものに変化したのは、こうした本社の思惑も影響していた。

 最悪のシナリオとは、死ではない。

 知らない間に誰かに利用されることだ。


 シナモリ・アキラが生贄に捧げられたことにより、いずれこの世界には大量の転生移民が流入するだろう。

 そしてそれは、ある時突如として次元侵略者として牙を剥くかも知れない存在なのである。


 グレンデルヒとゾーイ、そしてケイトは無言で視線を交わした。

 密かに協力関係を結んでいた彼らの間には、もう一つの約束が交わされていた。

 地上に巣くう巨大複合企業体と全く同様の論理を内面化した、複数の世界にまたがる、より巨大な複合企業体。


 ただ実益と権力だけを追求する構造。

 その中に身を置く企業所属の探索者、グレンデルヒは、この世界の誰にも知られぬように異世界の多世界籍企業に接近していた。

 地上世界における最も優れた人材の引き抜きに、外世界の企業は好意的だった。


 この世界へ手を伸ばす第一段階として、まずはグレンデルヒを引き込みたいという思惑と、更なる力、更なる知識を欲望するという思惑が合致し、悪夢のような同盟が結ばれていたのだった。


「ふざけないで――ふざけないで下さい!」


 ちびセスカは怒号を上げた。

 アキラを否定されたこともだが、サイバーカラテへの悪意ある否定も彼女にとっては受け入れがたいものだった。

 

 ちびセスカは、関係の無い人の『肯定の感情』を否定する、他者の世界が存在しない、五分前に自分が世界を創造したのだと確信しているような人格がなにより嫌いだった。


 かつて彼女は新作の迷宮探索ゲームを購入し、最速でクリアーしてアストラルネットに感想をアップした。夢中になってやり込んだその感想は当然の事ながら好意的なもので、ほとんど推薦文に近い内容だったが、それこそ彼女の望むところだった。より多くの人にこの素晴らしいゲームをプレイして欲しい。


 その願いは、一瞬後、粉々に打ち砕かれた。

 クリアが早すぎる。

 関係者によるステルスマーケティングに決まっている。

 ということはこのゲームはそんな行為が必要なほど中身が無い、つまらないものに違いない。


 一方的な断定は強い影響力を伴って世界に浸透し、ゲームの売り上げは悲惨なものとなった。評判の悪化に伴ってゲームの製作会社は看板を下ろし、業界から消えていく。悪夢のような思い出。


 幼い魔女は、その時以来必死になって呪文の技を磨き続けた。

 ネットの海にダイブし、様々なコミュニティを渡り歩いて激論を交わし、特に意味も無くネガティブキャンペーンを展開する者たちに狂犬のように噛み付き、触れれば切れるナイフのように好きなゲームに攻撃を加える者を撃退した。


 長く、熾烈な戦いだった。幾度も敗北し、土を舐めさせられた。強固な信念を持って厳しい批判を振りかざす言語魔術師たちと鎬を削り合い、味方として現れた同好の士の不用意な発言でコミュニティごと叩き潰されたこともあった。


 果てのないネットバトルの末に得たものは、あまりにも虚しい結論。この不毛な戦いは根絶不能だという絶望。

 しかし、その中で得た経験と技術は幼い魔女の中に眠る呪文の才能を開花させていた。


 気がつけば『敵対勢力』にクラッキングを仕掛けて叩き潰し、世論の改竄すら行えるようになっていた。

 反論全てを叩き潰し、安らげる環境でただ好ましい作品を楽しみ、賞賛する。

 しかし、そこで彼女は気付いてしまう。


 そうして形成された世評は彼女自身が構築した『作られた評価』でしかない。

 知らず知らずのうちに彼女は敵対者たちが指摘するような『工作』を行っていたのだ。その事を恥じて以来、たとえ作品評価に関連して非道な事が行われていても干渉しないように心がけてきた。


 彼女は己の中に掟を定めたのだ。

 容易く世界を歪め、正しい評価を、人の純粋な想いを否定してしまうような呪術の使い方はやめようと。


 今、ちびセスカはその禁を破ろうとしていた。

 自らの世界観を満足させるために他者の世界観を破壊すると言う行為。

 それは極めて邪視的な呪文であり、二系統の複合呪術である。


 成功した瞬間、それは社会正義として世界に確定し、構築された陰謀が明るみに出て弾け飛ぶ。邪悪な企みを正義の心を持つ個人が阻止するという勧善懲悪物語が事象改変を引き起こすのだ。


 【陰謀論】の呪術は拡散されてしまった。特に関係の無い、暇を持てあました者たちが群がって呪文ソースを共有していく。サイバーカラテ道場を『攻撃しても良い』という空気を敏感に読み取って、正義感の快楽に良いながらサイバーカラテを、そのユーザーたちの人格を否定していく。


 ちびセスカは、そんな邪視者が大嫌いだ。

 邪視者が嫌いな邪視者。それが冬の魔女コルセスカである。

 末妹選定において邪視の座にありながら、浄界の発動ができない第五階梯の邪視者である理由がそれだった。


 炎のように熱く、氷のように凍てついた怒りが邪視と呪文となって具現する。

 ちびセスカはグレンデルヒを睨み付けて、声高に主張する。


「貴方はサイバーカラテに関する言及全てをステルスマーケティングだと言いますが、話題になっている以上、ステルスマーケティングを指摘、非難して炎上騒ぎを起こした者もまたステルスマーケティングに荷担しているに等しい!」


 強引な論理に対抗するためにはこちらも強引な理屈を使えばいい。

 そして、サイバーカラテ道場のステルスマーケティングによって利益を得る者とは誰か。この場合はただ一人だ。


「つまりグレンデルヒは実はアキラであり、サイバーカラテが力を増す事によって利益を得るサイバーカラテユーザーです! 貴方はグレンデルヒではなく、アキラだったということです!」


 コルセスカが言語魔術師としてのスキルを駆使して対抗する。

 詭弁を弄して相手の妄言をひっくり返すという荒っぽい呪文。

 理屈に合う物語を作り上げて整合性のある時系列を構築する。


 今までの、アキラをグレンデルヒが演じていたというストーリーに、更にそのような振る舞いをするグレンデルヒをアキラが演じていたという筋書きを接続。

 全ては話題性のための炎上マーケティング。


 アストラルネットが【炎上】という実在する高位呪術によって吹き上がり、サイバーカラテ道場の評価は更に低下していくが、ちびセスカはこれを許容した。グレンデルヒを否定してアキラを取り戻せれば幾らでもやり直しはきく。


 アキラを助ける。

 ただそれだけを考えていたちびセスカは、いつの間にか音もなく接近していた相手に気づけなかった。


 伸ばされた白い手が、ちびセスカの身体を掴む。

 死人の森の女王フェブルウス。

 どこか憐れむように、灰色の瞳が小さな魔女を見つめていた。


「駄目ですよ、それだけでは。やはり、貴方ではアキラ様を救えない」


 ちびセスカは愕然とした。

 女王の言う通り、状況は何も変わっていない。

 呪文は通用しなかったのだ。

 

 アキラは上書きされたまま。

 そして、フェブルウスの頭上に再び表示された映像内では解体されたトリシューラが囚われたままだ。


「そんな、どうして」


「存在の強度――名声値の問題ですよ」


「私だって、同じ四英雄の一人です! 冬の魔女の知名度が、グレンデルヒ一人に負けるとでも?!」


「年齢と性別の問題もあります。年若い少女の主張よりも、社会的地位の確かな壮年男性の方が『発言に重みがある』。事実とは関係無くね。星見の塔で育った貴方には実感しづらいでしょうが、この父権社会において『貴女』は、『男』よりも弱いのです」


 女王の瞳がどこか悲痛な色合いを帯びているように、ちびセスカには思えた。それは光の錯覚などといった物理的な理由ではなく、もっと直感的であやふやな根拠に基づいた推測だったが、なぜかちびセスカはこの自らの参照先らしき相手が哀れに思えてならなかった。


「地母神の裔は、すべて英雄に征服される定め。それが男根のメタファー、すなわち『槍』を世界の軸とするこの次元プレーンの基本法則」


 高らかに哄笑するグレンデルヒ。

 アキラとなった彼はその身に宿る日本語ミームを掌握すると、そこからガロアンディアン語に干渉を開始する。


 更に女王フェブルウスに命じてトリシューラの傍で待機させていた配下を動かさせる。手足の一部が白骨化した修道騎士らしき男が両手に巨大な呪力を収束させてトリシューラに迫る。解体されたきぐるみの魔女の頭上に、半透明の巨大な剣が出現した。


「さあ、言震ワードクェイクを引き起こし、ダモクレスの剣を落とそうか。ガロアンディアンを征服し、死人の森を顕現させよう。今この時より失われた眷族種である再生者オルクスが復活する。死人の森の軍勢と偉大なる六王を率いて、ワイルドハントの夜を駆け巡ろうではないか!」


 グレンデルヒ=ライニンサルの目的はこの期に及んでも未だに判然としない。

 だが、いま並べ立てられた事のたった一つでも為し遂げられれば、ガロアンディアンは壊滅的な被害を受けるだろう。


「彼は、一体何を」

 

「探索者としてはありふれた動機ですよ。彼はね、困難に挑むというゲームをしているのです」


 ちびセスカの呟きに、女王は静かに答えた。

 喧しく笑い続けるグレンデルヒとは対照的に、どこまでも落ち着いた女王フェブルウスの様子に、行動を制限されながらもちびセスカは不思議な感情を抱いた。

 もっと、この相手の事が知りたい、と。


「力によって奪い、闘争し、解き明かす。戦士とは、探索者とは、『男』とは、そういうものだとされている」


「そんなの、私だって!」


「ええ。ですから、彼の世界観に従えば貴女は男ということにされてしまうでしょう。冬の魔女男性説が採用され、上書きされる――それが敗者の末路」


 ちびセスカは女王の言葉にぞっとして彼女を見た。

 そして、灰色の瞳の奥に何かを見た。

 氷の瞳が、弱い邪視となって絡み合う。

 呪力が繋がる。


 両者の合意と協力があってはじめて成立する、目と目で語り合うという邪視と呪文の複合呪術。

 前世という繋がりが一瞬にして二人の間に膨大な情報をやりとりさせて――そして、ちびセスカは、コルセスカは、『冬の魔女』は全てを理解した。


 女王フェブルウスは灰色の邪視でちびセスカを捉えると、強烈な輝きで小さな身体を包み込んでいく。巨大な呪力が弾けたかと思うと、細い手に握りしめられたちびセスカは消滅していた。


 その代わり、フェブルウスに変化が訪れていた。

 蜂蜜色の髪が銀色に。

 灰色の瞳は右側だけが青色に。

 右腕が指先から凍結したかと思うと、硝子細工のような作り物じみた腕になってしまう。

 

「そう。私は、銀の森の魔女――浄罪者フェブルウス=コルセスカ」


 宣名によって発動した呪力の性質は、死臭の混じった突風ではなく、身も凍るような冷たい空気である。

 その場に残った者たち、かろうじて無事だった少数が瞠目した。

 ちびラズリは震えながらそれを見ていることしかできない。


「そんな、ちびセスカさん」


 存在を上書きされたのは、アキラだけではなかった。

 不死者を凌駕する、超高位の言語魔術。

 超越者たちは敵対する不死をいとも簡単に征して見せた。

 これより始まるのは新しい物語。


 主人公とヒロインはより練り込まれたデザインに更新され、過去の物語までもが遡及的に語り直されてリメイクされる。

 何も終わってなどいない。これは、新章の華々しい開幕なのだ。

 この物語は、ここからが本当の始まりである。そういうことになっている。


「ひどい、こんなことって」


「相変わらずね、フィレクティ」


 銀色の魔女は小さな夜の民を見やると、冷ややかに言い放った。

 びくりとして縮こまるちびラズリから視線を離して、そのまま立ち去っていく。


「貴方はずっとそのままでいればいい。誰もが共存共生できる世界。その夢を抱えて、未来永劫、存在しない救世主を待ち続けていなさい。全ての苦しみを何でもしてくれる姉に預けて、甘えるだけの生を送るがいいでしょう」


 酷薄な、蔑むような言葉。

 刃の様な鋭さに、ちびラズリは項垂れて、そのまま黒く丸い塊になってしまう。

 微かに嗚咽が漏れ聞こえて、それきり夜の民は動かなくなった。


「苦境にあって蹲るだけの者は、見るに堪えない」


 冷ややかな目が次に捉えたのは、死の恐怖に怯え続ける牙猪。

 チリアットは圧倒的な力を振るう力士とグレンデルヒ、そして女王に恐れをなして、練武場の隅で縮こまっていたのだ。


 もとよりトリシューラによる延命治療がなければ生きられない身。

 寿命によって疾うに死んでいるはずの命であり、いざという時にはガロアンディアンの為に命を賭けると誓ったはずだった。


 盟友ダエモデクの窮地に駆けつける途中で命が惜しくなり、尻尾を巻いて逃げ出した時も、その後で寿命が訪れて身も世もなく泣き喚きながら第五階層の迷宮を這いずっていた時も、そこをトリシューラに救われた時も。


 チリアットにはいつだって逃げるという選択肢しか見えない。

 死が確定しているから命を捨てる覚悟で戦う――そんなことはできないのだ。合理的だ、経済的だという命知らずのことなど知らない。痛いものは痛いし怖いものは怖い。十秒後に死ぬのだからいま命を捨ててもいい、などとは思えない。


 決断も恐怖も、何かで誤魔化して、自分以外に助けて貰わなければ、自分自身に誇れる行動すら選び取れない。それがチリアットという男だった。

 その無様な姿を、女王は上から睥睨して、言った。


「醜い――けれど、その醜悪さこそが尊い。ふさわしいとすれば、あなたです」


 理解不能の呟き。

 だが、フェブルウス=コルセスカの言葉にはどこか柔らかい響きが混じっているように、チリアットには感じられた。


 恐る恐る、頭を上げる。

 上を見た瞬間。


「では、これで決まりですね」


 氷の腕が振り下ろされて、絶対零度の貫手がチリアットの心臓を貫通した。

 一撃で絶命した牙猪の命を【生命吸収】によって奪い、存在の全てを氷の右腕の中に吸い上げていく。鮮血で満たされていく【雪華掌】はひどく禍々しい。


「さて」


 女王は死体の全てを腕の中に圧縮して格納すると、グレンデルヒを見た。

 高らかに哄笑するグレンデルヒは、勝利と目的の達成を目前にして昂揚している。つまり、隙が出来ている。


 千載一遇の機会。

 そんなものがあるとすれば、それは今を置いて他に無い。

 そして、静かに覚悟を決めて、命令を下す。


「出番よ、カイン」


 巡槍艦の奥、トリシューラの執務室から一直線にこの練武場まで駆け抜けてきた屍の狼が、硝子をぶち破って飛び出してくる。その口に、何かを咥えて。

 それは得体の知れない液体に塗れた、肘の辺りから食い千切られた左腕だった。




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