4-24 星見の塔トーナメント⑦
店員さんが楽しそうで何よりなのだが、こんなことをやっている場合ではないのだ。今も力士の張り手でグラッフィアカーネが押し出されて壁に激突しているし、ドローンが床に叩きつけられて破壊されている。カーインもかなりきつそうだ。ゼドはゼドで呪文のストックを使い切ってしまっているので女王ニケに対して苦戦を強いられている。
はっと我に帰ったちび店員さんは小さく咳払いしてから「ごめんなさい」と謝罪してくれた。また時間のあるときにゆっくり話してください。
呪文を唱え終えたちび店員さんの姿が変幻していくと、丸っこいデフォルメ二頭身が少しだけ角張った、鋭い印象のものに変化する。
夜の民は性別を持たない。あるいは、どちらの性別であるとも言える。
普段は女性として振る舞うラズリ・ジャッフハリムは、今このとき男性的な姿に変化することで、身のうちに蓄えた陰の気を陽の気に変換したらしい。
準々決勝まで到達したラズリさんは、凄まじい戦いと熱狂の呪力を身に宿している。しかし、それでも本来予定していた量には足りない。だが、ラズリさんには策があるようだった。
「儀式が不完全なせいで、カーインさんが練り上げる筈だった分はわたくしだけでは賄うことができません。ですから、貴方の中に眠る巨大な陽の気を、一時的に呼び起こします。幸い、今は活性化状態のようですから」
「俺の中に眠る陽の気?」
活性化状態、というと、俺の左腕を稼働させるために必要なあの薬を飲んだことを言っているのだろうか。確かにまだ効果時間は継続しているが。
ちびラズリさん――ちびラズリくん? とにかく店員さんは小さな錫杖を掲げて、俺の方を指し示し、囁くように呼びかけた。聞き覚えのある、その名前を。
「目覚めよ――カッサリオ」
俺とコルセスカは同時に反応した。その意味を店員さんに問いただすより先に、下腹部に熱を感じて呻く。丹田のあたりから湯水のようにわき出てくる莫大なエネルギーが、全身を循環していくようだった。
左腕がひとりでに換装されて、十番義肢ルスクォミーズ――すなわち王獣カッサリオの素材を核に据えた高火力兵装に変化していく。黒と銀の無骨なフォルムは煮えたぎるような陽の気と、獰猛ながらも完全に制御された獣性を宿しているようだった。
「店員さん、あなたは――」
「いずれ、全てをきちんとお話します。今はどうか、目の前の相手に集中して下さいますよう」
肉体の不調は消え去り、体表を覆う霜はすっかり溶けていた。俺はどてらを脱ぎ捨てて立ち上がると、下に着ていた迷彩柄の道着を露わにする。
店員さんに対して生まれた感情を凍らせても、肉体の不調は感じない。今はそのことは後回しだ。
「ありがとう、店員さん。すぐに終わらせて、授賞式までしっかりやりましょう」
「はい、御武運を。ちびセスカさん、及ばずながらわたくしもお手伝いします」
強大な力を振るう女王に小さな二人の魔女が立ち向かうのを後目に、俺は自らの戦うべき相手を見据える。
これは俺の因縁だ。だとすれば、俺が片を付けなければならない。
決意を固めて力士の下へ走る。
だが、駆けだした俺の目の前で、カーインが勢いよく吹き飛ばされる瞬間を俺は見た。それは、あまりにも一方的な暴力の発露である。
「カーイン!」
たった一人で状況をこちらの優勢に変えてみせたカーインが、手も足も出ずに敗北していた。内功の技も、あの筋骨隆々とした巨体には通用しなかったということなのか。
浮遊するドローンの銃撃。雨のように降り注ぐ銃弾が力士を正面から、頭上から、背面から襲い、公社の呪術師たちが雨霰と呪術を浴びせかける。
グラッフィアカーネが掌から放出した青白い稲妻が禿頭に直撃して、凄まじいエネルギーが放散されていく。
だが、力士ゾーイは涼しい顔のまま、びくともしない。
野太い首をこきりと慣らして、退屈そうに一言。
「ウォームアップ終わった? そろそろ本気で来なよ」
では、お望み通りにしてやろう。
右腕の鏡経由でアストラルネットに接続し、左腕と胴着の拡張機能を解放。
ドローンたちに攻撃パターンを変更するように指示、さらにセージに命じて公社の呪術師たちに攻撃の一時停止を依頼する。
生まれた攻撃の穴に入り込んで、音もなく踏み込んでいく。
力士の巨体がすぐ目の前に迫る。
しかし、相手がこちらに気がつくことはない。
俺は今、相手の感知に引っかからない状態だからだ。
(しまった、遮蔽装置だ! 接近されてるぞ!)
事態に気付いたケイトの警告も既に遅きに失している。
ゾーイの背面から左の掌を心臓の位置に押し当てた俺の姿は、誰にも見えない。
光学迷彩、熱学迷彩の機能を有した極めて高機能な杖呪術の精髄たる迷彩道着は、十番義肢と連携させてその効果範囲を拡張することで相乗効果を発揮し、俺の全身をあらゆる索敵の網から欺瞞する。
これを購入したお陰で借金がまた膨らんだものの、悪い買い物だったとは思わない。既に死ぬまでトリシューラの下で働かなければならなくなっているが、装備品をケチってさっさと死ぬより遙かに賢明なはずだ。
交換可能といっても、俺の復活はそれなりに高くつくのだ。キロンの時の頭交換でもう寿命まで働いた後もう一回頭をすげ替えて転生、ということをして寿命を延ばさないと借金が返済できない。そのために更にお金がかかり、借金を返す為の借金が――よく考えなくても詰んでた。まあそれはいい。
周囲から趣味が悪いとさんざんこき下ろされたこの迷彩胴着が真価を発揮している間、俺からも外部が見えなくなる。しかし、右腕の周囲に展開した鏡が輝き、この世のモノではない光景を映し出すことで俺の視界は確保されていた。
分子運動や電磁波を制御・遮断する遮蔽装置は、呪力までは遮断しない。それをすれば左腕の維持ができなくなるからだ。
アストラル界と繋がった右腕はちびセスカの視界と繋がって、この広い練武場を見渡すための助けとなっている。彼女の氷の義眼が、俺のカメラアイだった。
力士の位置と、俺が消失した瞬間から計算してそこにいるであろう場所を予測。
幻像として表示される俺の姿が鏡の中で力士の背後に立ったのを確認して、俺は誰にも気付かれることなく掌を力士の背面に当てることができたのだった。
回避も防御も許さない。
渾身の熱学発剄。
巨大な呪力エネルギーを放出して、力士の心臓を、全身を融解させて一撃で抹殺する。一度はキロンを撃破した、二桁義肢最大の火力を存分に味わえ。
手応えは、確かにあった。
その筈なのに。
残心を怠っていれば死んでいただろう。
横薙ぎの張り手を、とっさに後ろに跳躍して回避する。
追撃を仕掛けてくる巨体と俺との間に割り込むドローンが次々と粉砕されていった。降り注ぐ炎の呪術は直撃するものの、力士は小揺るぎもしない。
いや、本当にそうか?
確かにある程度までのダメージでは力士の鍛え抜かれた肉体を貫くことはかなわないだろう。しかし、幾度も高熱や爆圧、更には銃撃をありとあらゆる場所に受け続けても生存可能と言うことがあるだろうか。
よく見れば、ゾーイの肉体に攻撃が命中した瞬間、確かに体表面が削れていないだろうか。
その時、言語魔術師たちの奮闘によってサイバーカラテ道場の感情制御システムが復旧し、いち早く立ち直ったカルカブリーナが加勢する。
彼が新たに得た力、銃士としての技能。
構えられた鳥銃から飛び出したライフル呪石弾が一直線に力士の眼球目掛けて突き進む。施条に刻まれた豆粒のような呪文がライフル呪石弾の軌道を誤差修正していった。
弾丸を旋回させる呪文の名は【
鍛えようのない眼球に潜り込んだ呪石弾は、衝撃を感知して自動的に内部の呪文を解放。炸裂した【
「わーお、やるぅ。大した命中率だ。やっぱ技術水準そんなに低くないじゃん?」
――確かに、即死したはずだったのに。
愕然とするカルカブリーナに撤退を命じて、俺は姿を隠したまま右の掌底を叩き込み、そのまま背後に回り込んで肘打ち、更に双の掌を同時に叩き込む。床を蹴り抜く力をそのまま相手の背に撃ち込んで熱学発勁と共に肉体の内部を破壊。
それでも、力士は小揺るぎもしない。
確かに攻撃は命中している。
夥しい数の攻め手を、この敵は回避しようともしない。
破壊されたはずの頭部は、既に再生していた。
その禿頭に刻印された刺青、あるいは溝が輝きを放つ。
ナノマシン条が頭部からゾーイの顔面へと下り、顔の血管や筋肉を誇張するかのような複雑な模様が広がっていった。
スモーレスラーは時に顔にペイントを施す。
とりわけ、神事、伝統としての側面を重視する日本人力士は歌舞伎の伝統を取り入れた隈取りを行うことで知られている。
スモーレスラーメイクは全身に広がり、壮絶なエネルギーが青白い電流となって巨体を取り巻いていった。
肉体の義体化ではなく、遺伝子操作でもなく、生化学的強化でもない。
力士の強さを裏打ちしているのは、もっと根源的なものだ。
禿頭の女は傷一つ無い顔をにっと笑みの形にして、俺の身体を掴む。
圧倒的な力で、小手先の技術など児戯でしかないとばかりにねじふせられる。
豪快な投げ。背中から床に叩きつけられて、視界が白くなると共に息が詰まる。
ありとあらゆるダメージが、一瞬で修復している。
頭部を破壊されても復活するこの力士は、不死身だということなのか。
その横で半透明の男性が得意げに口を開く。
(残念だけどね。『生き体』である限り、彼女は何度でも甦るよ。土俵際で粘ればまだ勝ちの目は見えてくる――現役時代の粘り腰は今も健在さ)
自慢げに言い放つ行司姿の男は、カーインの仕掛けた攻撃からようやく立ち直ったのかゾーイの方の上に浮遊して直立する。
「流石に、ニンジャが使う分身の術みたいに『複数の自己を同時並列で操作する』とかはできないけどね。自己再生とか転移くらいなら余裕ってわけ」
すべての攻撃を回避せずに受けきって、圧倒的な力を見せつける。
その戦い方に、自然に口から未知の言葉が漏れ出る。
失われた前世の知識、その断片。
「YOKOZUNA――なのか」
(ご名答。今世紀に入って初の女YOKOZUNAとなった人間兵器。それが彼女、ゾーイ・アキラだよ)
「もう引退してるっての」
ゾーイ本人の言葉によれば、元、ということなのだろう。
しかし、そんな人物がなぜ保険会社の掃除屋などやっているのか。
ーー相手の事情など詮索しても仕方がない。
いずれにせよ、難敵であることには変わらないのだ。
挑みかかったグラッフィアカーネは機敏に相手の腕をとって投げようとするが、力士は熟達した動きで攻め手を読み切り、逆にビーグル犬の獣人を投げ飛ばす。
合気の達人すら凌駕する柔術の冴え。剛と柔を併せ持つその手並みは紛れもなく土俵で幾度と無く難敵を打ち破ってきた歴戦の力士のものだった。
続けてゾーイは、ケイトの呪文によって不可視化が解除された俺の両足首を脇の下に挟み込んだかと思うと、そのまま抱え上げて豪快に振り回す。
精妙なバランス感覚が可能とする、独楽のような動き。回転軸となった力士が舞い手のスピンのごとく流麗に高速回転を続け、俺の三半規管が異常を来していく。
パワーだけでは絶対にできない、神懸かり的なボディバランスが可能とする技巧と豪快さが複合した大技。
この、技は。
「ぬおおおおぉぉぉりゃああああっ」
(はは、吹っ飛べっ!)
ジャイアントスイング。
際限なく増していく回転速度に、ほぼ地面と平行になった俺の身体。
遠心力を利用しての解放。投擲された俺は頭部から壁へと突っ込んでいった。
盛大に粉塵を撒き散らしながら途切れそうな意識でどうにか自分が生きている事を確認する。激痛は全て凍り付いて行くが、身体が動かない。
咄嗟に道着の中に仕込んでおいた減速符を発動させるのが間に合った。
追突のダメージを緩和することができたため、首の骨は無事なようだが、身体のあちらこちらが悲鳴を上げているのが肉体内部の冷気によって理解できる。
しかしスモーレスラーはこちらの事情を斟酌などしてくれない。
機敏な動きで走り出したゾーイは、そのまま空高く跳躍すると、虚空で消失。
そして、よろけながら立ち上がろうとしていた俺の真上に出現した。
(喰らえ、テレポート・ボディ・プレスだ!)
空間圧縮された練武場の天井は、非常に高い。
その天辺に転移して自由落下してくる力士の巨体が、一直線に俺に襲いかかる。
全身を引きずるようにして必死に回避。
どうにか逃げ切った直後、背後で凄まじい轟音。
粉塵の中から、爛々と光る目と傷一つ無い屈強な肉体が這い出てくる。
突き出された四本貫手――『地獄突き』が俺の耳を掠めて床に突き刺さる。
立ち上がりざまに繰り出した反撃の蹴りが顎を撃ち抜くが、力士は涼しい顔。
素早く退いて相手の間合いから逃れる。
強い。
屈強な肉体によって裏打ちされた確かな技術。
それを上回る迫力と豪快な取り組み。
歩く兵器と言われる力士と正面からぶつかり合えば、待つのは当たり前の敗北のみである。
カーインにグラッフィアカーネという敵手を打ち破った力士ゾーイは、紛れもなくこの星見の塔トーナメントを正式に勝ち上がった優勝者だ。
そう、陰の部を勝ち上がった彼女が、クレイを下したカーインに勝利した以上、そう判断せざるを得まい。
星見の塔トーナメントを勝ち残った者だけがガロアンディアンの『
ここで言うチャンピオンとは、現在は俺の事だ。無敗というわけではないが、三ヶ月の勝率で僅かにカーインを上回った結果である。
その認識がこの場所に、そして俺に浸透した瞬間だった。
――意識が、ぶつんと。
「まさか力士が勝ち上がってくるとはね。いつの世も、人間にとって最大の脅威は単純な力ということか」
――断絶して。
「アキラ?」
ちびセスカの声が、どこか遠い。
俺は不敵に笑いながら、目の前に立つ強者と向き合った。
「心が躍るな。それでこそ、だ。瀬戸際の攻防、命を賭けた駆け引き、全てがゲームの醍醐味というもの。いいぞ外世界人、私をもっと楽しませろ」
何だ、今のは。
口が、勝手に動いている。
そうじゃない、今の発言は、確かに俺の思考と意思によって紡がれたものだ。
この状況を正確に記述するならばこうだ。
『俺が、勝手に思考している』――我ながら、意味がわからない。
「さあ、余興はここまでとしよう。ようやく身体も馴染んできた所だ。本当の戦いを始めよう――
俺は、俺の口は何を言っている?
確かに文脈にそぐわない発言ではない。
戦いの昂揚を楽しむ心も、俺の中には存在する。そのようにマインドセットすることで冷静さを保つというメソッドに従っているからだ。
しかし、これは。
何かが、決定的に違う。
独りでに動こうとする左腕を、右腕が反射的に止める。
高熱を持った機械義肢を瞬時に氷の右手が冷却すると共に、俺の思考が冷えていく。訳のわからない思考の波が収まって、得体の知れない言葉が消えていった。
「今のは、何だ」
愕然と呟いて、自分の肉体が自分のものであるという確かな確信を得ようとする――が、どうすればそれが得られるのかわからない。
自己同一性、思考の連続性など些細な問題に過ぎない。
であるにしても、自分が自分のまま制御不能になるという感覚は完全に未知のものであり、覚悟の外側だった。
動揺する精神が凍結していくが、その隙を突かれてしまう。
「うん、いい具合に仕上がってるね」
(あと一歩じゃないかな。儀式とやらの完成まで)
いつの間にか目の前まで接近されていた。
危機的状況。ここは敵の間合いだ。
千々に乱れる思考のまま退避しようとするが間に合わない。
力士の張り手が迫ったその時、救い手は横から現れた。
「横から失礼するぜ――! 先に俺と手合わせ願おうか!」
ブルドッグ面を獰猛に歪めて、瞳に闘志を燃やしながらカニャッツォがゾーイとがっぷりと組み合う。押し合う巨体と巨体。身長はほぼ同じだが、足の厚み、盛り上がった腕の太さはゾーイが上回っている。
豪快な上手投げが決まり、倒されるカニャッツォ。しかしそのまま受け身を取って転がると即座に立ち上がり、再び相手に向き直る。
「俺はアンタみたいな奴とずっと戦いたかったんだ! 格上の怪物に力の限りぶつかって命を燃やし尽くす! かつての情熱が甦るようだ!」
どうやらカニャッツォは力士の豪快な戦いぶりに心を揺り動かされたらしい。
雄叫びを上げてその瞳が輝き、邪視が世界に干渉していく。
朱色の輝きと共に独特の世界が構築された。といっても、ごく小規模なものだ。
その背後に虹犬種族に特有な背虹が出現し、広がっていく。
虹はカニャッツォとゾーイを取り囲んだかと思うと、四方に朱色の柱が出現して即席のリングを構築する。
虹犬の大半は生まれながらの弓使いであり、邪視と杖の適性に優れている。
カニャッツォの弓は特殊だった。
彼は【虹弓】をリングとして展開し、磨き上げたロープワークによってバウンドし、自らが弾体となる戦法を得意としている。
リング上の射手は深くロープにもたれかかり、沈むように、弦を引き絞るように、弾性エネルギーを蓄えていく。
射出されたカニャッツォは矢の如き勢いでリング上を疾走した。
投射武器は杖の呪術だ。ならば、このロープワークもまた弓の高位呪術に他ならない。牽強付会な独自理論に従って世界が歪曲し、カニャッツォはあらゆるものを貫き砕く一筋の流星となって力士に激突する。
巨体の力士はそれを真っ向から受け止めた。
呪術による攻撃でさえ、力士には通用しない。
SUMOの起源を辿れば、それは古来神事であった。
ゆえにサイバーカラテ同様――いや、その歴史が古い分だけサイバーカラテより膨大な呪力を包括しているのかもしれない。
拮抗する呪力。迸るエネルギー。
衝撃によってゾーイが押し出され、床が擦れて高熱を発する。
しかし、決定打とはならなかった。
元YOKOZUNAの、驚くべき粘り腰。土俵際で止まった力士がブルドッグと立ったまま抱き合い、膠着状態となる。お互い両腕を相手の首に回して動きが止まる。
しかし、静かな上半身とは対照的に下半身は熾烈な激闘を繰り広げていた。
両者共に、下段へと蹴りや牽制を織り交ぜながら本命となる膝蹴りへと繋げていく。重く鋭い膝の一撃が入る度片方が呻き、熱い吐息がリング上の温度を上昇させていく。
地味な熱戦を制したのは、力士ゾーイだった。
蓄積したダメージに耐えかねて膝を突いたカニャッツォの頭部を脇に抱え込んだ力士は、そのまま身体が逆さまになるように真上に持ち上げた。
そして、垂直に頭部から叩き落とす。
無慈悲な
(まだまだ、残った、残った!)
ケイトは軍配団扇を構えたまま戦いの継続を主張。
展開された呪文が呪術的金網となり、正方形の檻を作り出す。
閉じ込められたカニャッツォはまたしても投げ飛ばされ、文字列の金網にぶつかってしまう。途端、盛大にスパークして青白い電流が彼を焼いた。
更に爆発。そして炎上。
ふらふらになりながらもどうにか立ち上がり、戦いを続行しようとするカニャッツォだが、目の前に力士の姿が無い。
周囲を見回す彼の背後に、亡霊のように力士が出現。
転移によって現れた相手の気配を感じ取り、振り返りざまに肘打ちを放つが、空振りに終わる。
次々と瞬間移動を繰り返し、更には雷を放ち、燃えさかる炎を振りまいていくその様はもはやスモーレスラーというよりもイリュージョニストである。
全身から煙を上げていくカニャッツォだが、まだかろうじて意識はあるようで、朦朧としながらも立ち上がろうとする。
そんな彼の頭部に叩きつけられたのは、観客席に置いてあったパイプ椅子だった。ゾーイは転移して簡素な構造の椅子を手に取ると、それを武器としてカニャッツォを殴りつけたのだった。
もはやこれは正常な試合ではない。紋様が走った呪術師じみた顔を獰猛に歪ませたゾーイ・アキラが高らかに哄笑する。
ちびセスカたちと戦いながらも余裕を見せつけている死人の森の女王が、戯れるように手を振って呪文を描き出す。
呪文の檻の中に突如として骨によって組み上げられた禍々しいデザインの棺が出現し、蓋を開ける。
ゾーイは我が意を得たりとばかりにカニャッツォを棺の内側に叩き込むと、そのまま蓋を閉めてしまう。
更にその手には、女王が生成した巨大な骨の杭。
SUMOにおいては目つぶしと噛み付きが禁止されている他にルールは無いに等しく、真剣勝負においては一方の競技者の死亡で決着が着くことさえあるという。
容赦など一切無い。ルール無用のデスマッチ。
止められる者など、誰もいなかった。
骨杭が棺の中央に落とされて、棺の隙間から赤々とした鮮血がこぼれ落ちていく。呪文の金網が消失して、戦いの終わりを告げた。
「てめえ、よくもカニャッツォを」
「それなりの男だったけど、まあこんなもんかな。けど、私から二十パーセントの力を引き出したことは素直に賞賛するよ」
「何だと」
今、奴は、二十パーセントと言ったのか?
不敵に笑う力士の全身が、急激に膨張していく。
盛り上がった筋肉が厚みを増し、質量そのものが増大。
身長すら伸びていき、二メートル未満だった体格は二メートル半に届こうかと言うほどになる。
発達した筋肉は既に肉の鎧と言って差し支えない形状に変異しており、鋭角な肩からは絶えず電流が流れ出し、白目を剥いたゾーイは既に人の枠を踏み越え始めていた。
「そしてこれが、三十パーセント」
剛腕がノーモーションで閃き、掌から放たれた空圧が俺を吹き飛ばしていく。
力士の肉体は際限なく膨れあがり続けていた。
分厚い筋肉の外側に複雑な呪文が組み上げられ、折り重なった情報構造体が新たな肉体となり、追加装甲として力士の全身を覆っていく。
「これが、四十パーセント」
圧倒的な筋肉の塊の外側に、更に凄まじい脂肪の塊が乗ればどうなるか。
打撃の威力は速度と重さで決まる。
重さを極限まで突き詰めたのがSUMOである。
膨れあがり続けていく肉、肉、肉。
降り注ぐ呪術と弾丸の全てを受け止め、一切のエネルギーを吸収するそれはまさしく力士という戦士が纏う血の通った甲冑に他ならない。
強靱な筋肉の外部に質量を付加して破壊力を増すという発想。
強化外骨格ならぬ、強化外脂肪とでも呼ぶべきだろうか。生体と機械の分を問わず、肉体の外側に装甲を追加していく重戦士たちを人は力士と呼んだ。
「五十パーセント――さあ、いこうかケイト」
見上げるような巨体を揺らしながら、筋肉と脂肪の塊と化した力士が言った。
行司姿の男と力士の女が声を揃えて高らかに叫ぶ。
「発気、よぉぉぉぉぉい」
それは、サイバーカラテの攻撃時に発せられるかけ声「発勁用意、NOKOTTA」とは全く異なる体系の格闘技から引用されたものである。その解釈は諸説有るが、サイバーカラテユーザーのほとんどは後者のかけ声を「残った」すなわち残心を戒め攻撃後の隙を消すためだと解釈しているものが多い。
ところが、本家本元である力士たちにとってそれは「土俵際に残った」つまり勝負がついていないことを示し、押されている側への激励とも、押している側に決着の為に追撃を繰り出せとけしかけているとも言われている。時代が下るに従って行司だけでなく力士たちも口にするようになっていき、それがサイバーカラテにも伝わったのだ。
この事実からわかることが一つ。
共に、残心を怠らない――つまり不測の事態に備えた、実戦を意識した武術であるということだ。
俺もまた、右半身を前にして構え直す。
「発勁用意」
この世界では、武術体系は呪力を宿す。
サイバーカラテの呪力とSUMOの呪力が高まり、睨み合う両者の間で激しく鬩ぎ合い、可視化された呪力が激しくスパークする。
「NOKOTTA!」
「残ったぁっ!」
叫んだのは同時だった。
激突する二つの質量、優劣は開始前に既に明らかだ。
ならば勝敗を決定するのはその外側にしかない。
右腕の機能を解放し、【氷腕】が圧倒的な質量を停止させる。
キロンの神速すら防ぎきる、絶対なる停滞の力。
生まれた隙を見逃さず、左の掌を真上に突き上げるようにして、相手の顎下から莫大な熱量を解き放った。
首の脂肪を焼き尽くしながら凝縮された熱学発勁が力士を貫く。
炸裂した熱線が目指すのは、脳では無い。
注意していなければ――それこそ俺が【氷鏡】でコルセスカの広い視界を借りていなければ気づけなかったであろう存在。
遙か天井で浮遊する、不可視の機械だ。
遮蔽装置を搭載したそれは、ゾーイの肉体を再生、転移させる一瞬だけ迷彩を解除してその姿を露わにする。ペイントのようなナノマシン条を活性化させて力士の巨体を操作する、あの浮遊ドローンこそがゾーイ・アキラの不死性の秘密だ。
本体の外部化による不死。わかってみれば単純な仕掛けだ。
頭蓋を通り越して天高くへと突き進んでいくエネルギー。
十番義肢ルスクォミーズの、王獣カッサリオの一撃が安全地帯にいたゾーイの本体に直撃する――その直前。
(――残った)
ケイトの不気味な声が響き、背筋に悪寒が走る。
熱学発勁が呆気なく吹き散らされて、俺は攻撃手段を誤ったことに気付く。
あの機械に搭載された遮蔽装置は、単純な感知への欺瞞だけではなく、攻撃への防御機能までも有していたのだ。
更には、反撃機能までも。
天から降り注いだ熱線が左手に直撃し、こちらを上回る出力に押されていく。
掌が融解し、熱学発勁の放射機構が破損。
同じ能力、そしてこちらを上回るパワー。
真正面から最大火力で挑んだにも関わらず、通用しなかった。
俺の完敗だった。
頭部を再生させた力士ゾーイがその巨大な腕を広げている。壁が押し寄せてくるようだ、と間の抜けたことを思って、対応すら間に合わず強く抱きしめられる。
遠くで誰かの悲鳴が響く。しかし、屈強な筋肉の塊に包囲された俺に周囲に意識を割く余裕は無い。
力士の身体に強く引き付けられる。更に、体格差を利用するようにして上からのし掛かられた。
背骨から肋骨にかけてが圧迫されて、背中が、腰が、膝が同時に悲鳴を上げて喉から息が漏れていく。
スモーレスリングにおける必殺技にして決まり手の一つ。
薄れ行く意識の中で、ケイトの声が聞こえた。
(さあ、そろそろ儀式は終わりだ。思考ロックを解除して差し上げましょう。初めまして、そしてご協力に感謝するよ)
理解不能な言葉の羅列。
俺を強く抱きしめる力士が、どこか優しげに囁く。
「おはよう――■■■■■■」
その『名前』で呼びかけられた瞬間。
まるで脳の奥深くを貫くようにして電流のような何かが背筋を走り、仰け反りながらがくんと顎を垂らし、白目を剥き、唾液を飛ばして、そして俺は――いや。
『私』は、覚醒する。
ああ、いい気分だ。
まるで、生まれ変わったようだね。
「浄界――【闘争領域の拡大】」
さあ、楽しい楽しい、ゲームの時間だ。
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