4-23 星見の塔トーナメント⑥




 想定外の事実を突きつけられた俺は、一瞬だけ思考が真っ白になった。

 知識として瞬時に出てきた、俺に関する事実。

 再構成型の転生は、要するに情報構造体のカットアンドペーストだ。

 しかし『貼り付け』を二回以上行ってしまえば、転生者を複数、それも同時に誕生させることが可能になってしまう。


 自覚は無くとも、俺という転生者は二つの世界に転生し、二通りの人生を送ることになってしまった――どうやら俺が遭遇したトラブルというのは、想定していたよりも遙かに面倒なものらしい。


(君は既に希望した転生先で二度目の人生を終えている。三度目の人生は、ちょっと契約の範囲外だね。だと言うのに君は権利を主張するのかな? 貴重なリソースを食いつぶして、空きを待っている人々を押しのけて転生設備を占有し続けるつもり? それって狡くないかな?)


「身勝手なことを! 元々そちらのミス、そちらの事故ではないのですか!」


 ちびセスカの反論に、ケイトは両手を広げてオーバーに仰け反ってみせた。それから軽く謝罪を繰り返す。火に油を注ぐような態度だったが、ケイトは構わずに言葉を繋いでいく。


(僕たちもボランティアでやってるわけじゃない。不正な転生はどうにかしないと。いいかな、君は本来生きていてはいけないんだ。そのリソース浪費は誰かを圧迫している。君が納付してくれた保険料を運用し、社員、役員、株主らの利益にしていかなくちゃあいけない。転生設備の維持費だって馬鹿にならない。重複転生で増大したコスト、我が社が損なう社会的信用度のことも考えてくれないかな?)


「知るか」


 本来生きていてはいけない――赦されない。

 誰かの犠牲の上に生きている存在。

 そんなことは知っている。知っていて、今も生きている理由は一つだ。


 それをこいつらが――トリシューラの敵が口にしたことが、とにかく気にくわない。許し難いというならば、それはこいつらの振る舞いの方だ。

 こいつらが俺の生存を赦さないことは正しい。だが肯定できるのはそれだけだ。

 ケイトは俺の言葉を無視して続ける。 


(そもそも転生保険は赤字が出やすい。需要があってもそれ単体ではコストがかかりすぎる。だからこそブランド化し、ショウビズとして様々な業界と結びつき、付加価値を生み出すことでやっと黒字化することが可能なんだ。それでさえ飽きられつつあり、際だった何かがなければ埋もれていくだけというのが現状だ)


 異世界転生保険を成立させている設備は金食い虫だ。転生者の情報構造体の維持だけでも莫大なコストがかかる。

 これを高所得者層以外にも普及させるためには、革新的な手が必要だった。

 それが異世界転生のコンテンツ化、エンターテイメント化である。


 転生者の新たな人生をフィクションとして鑑賞し、消費するという娯楽。

 デザイナーの脚本がどの程度まで当人の人生に干渉するかはそれぞれだが、それらはプロの手が入ってさえ徐々に飽きられつつある。


 俺の行動が記録されていたかどうかは不明だが、よくある転生モノとしてほとんど見向きもされていなかったのではないだろうか。

 しかし、意外なことにケイトはこう続けた。


(だが三ヶ月前、君の記録は発掘された。ヲルヲーラの暴走という不確定要素が影響して、多くの世界にこの世界と君という転生者が認識されたんだ。そして、埋もれている異世界転生コンテンツを紹介して業界を活性化させようとするボランティア――発掘屋の目に留まったわけだね。結果、ほぼ皆無だった君の物語というものに対する注目度が、そこそこ程度には上昇したわけだ)


 三ヶ月前。それは、サイバーカラテがこの世界に新生した時のことだ。

 そうなると、それを問題視するような――たとえば異世界人の人権保護を謳う団体が不用意な技術の持ち込みに目くじらを立てたであろうことは想像に難くない。


 文明は正常に、その世界のあるべき歴史に従って発展するべきという主張。

 異世界転生に際して、その世界の技術水準に合うように翻訳された能力オプションが付与されるのはこうした事情もあってのことだ。


「だからまあ、今このタイミングだとあなたを秘密裏に消すのも難しいんだよね。転生設備は厳重に稼動記録がつけられているから、正当な理由も無しに強制停止させることはできない。多世界連合の注目が集まっているこの世界で派手に動いて貴方を『消す』のも難しくなってしまった――昨今は人権派の目があるし、犯罪者への情報凍結なんかも長くてめんどくさい事情聴取ともの凄いお金がかかる現地調査が必要だしね。もちろん本社の負担で」


 ケイトの言葉を引き継いだゾーイは、うんざりしたように言った。

 秘密裏に俺を処理することが出来なくなった、そこで何かしらの代替案を【変異の三手】と組むことで実行しようとしている、ということだろうか。話の流れからして。だとすれば、奴らの狙いは何だというのだろう。


(安心して欲しい。僕らはもっと穏当な手段で解決を図ることにしたんだ。だから、このまま大人しくこっちに来てくれないかい?)


「断る」


 即答すると、ゾーイとケイトはにたりと笑って、獰猛にこう返した。


「仕方無いね、決裂だ」


(そうか。じゃあ実力行使といこう)


 事情説明をするとは言っても、最初からそうするつもりだったのだろう。

 膨れあがっていく戦意に身構えるちびセスカと周囲の【マレブランケ】たち。

 いつの間にかファルやカルまでもが集結しており、倒れ伏したマラコーダを除いて【マレブランケ】の面々が外世界人の前に立ちはだかる。

 

「力士だかなんだか知らんが、サイバーカラテを舐めるなよ」


 ブルドッグ面のカニャッツォが言い放つ。

 牙猪のチリアットもまた、傷を癒し、理性を【安らぎ】の呪術によって取り戻して指を鳴らしていた。

 巨漢二人とほぼ同程度の体格を誇る女力士ゾーイは鼻を鳴らした。


「は、サイバーカラテねえ」


 何が可笑しい、と俺を含むサイバーカラテユーザーたち、つまりはこの場にいるほとんどの者が反感を態度に表す。

 巻き起こるブーイングの嵐をものともせず、巨体の女は言い放った。


「その劣化ジークンドーで力士に勝てるとでも本気で思っている?」


「劣化、だと」


 恐らく、俺の眉は危険な角度まで吊り上がっていただろう。

 ジークンドーの意味が分からない者たちも、馬鹿にされたことはニュアンスから感じ取れた様子で、怒気を露わにしている。情動制御の呪術が作動して即座に沈静化していくが、溢れた呪力が練武場全体で荒れ狂い、可視化されたスパークが【変異の三手】たちを包囲して威圧する。


 ジークンドーはかの創始者の意志によって流派として残ってはいない。流派という形式に『縛られる』ことを嫌ったためだと言うが、実際はその名を冠した団体は数多く存在している。


 サイバーカラテの考案者たちがその開発に当たってジークンドーの流れを汲む団体を参照したのは事実である。

 しかしだからといって、その理念が劣化コピーであるかといえば、それに対しては「違う」と声高に否定せねばならない。


「上等だスモーレスラー。サイバーカラテの力、存分に味わっていけ」


 嘲弄は拳で否定すると勢い込んで、サイバーカラテユーザーたちがそれぞれバラバラの構えをとった。

 体調を崩して体が動かない俺だけは座り込んだままだったが、右腕を突き出してちびセスカを維持しているだけでも周囲の支援はできるだろう。


 しかし、向けられた敵意に応じたのは力士ゾーイではなく、ケイトの方だった。

 立体映像の青年は周囲に呪文を展開してあざ笑う。


(では証明しようか。これがその弱さ――脆弱性というものだよ)


 右腕で感じ取ったケイトの呪力は、およそ個人が生み出せる域とは思えないほどの巨大さだった。

 短期間でこの世界に適応した非実体の情報構造体は、既に熟達した技量の言語魔術師となっているようだ。


 一口に一級言語魔術師といっても、セージやファルといった普通の呪文使いとコルセスカやイアテムといった英雄クラスとの間には目に見えない実力差がある。右腕の感覚を表現するならば、『手触りが違う』といったところか。ケイトの実力は後者寄りだ。あるいは、上級言語魔術師に肉薄するほどに。


 ――妙な話だ。俺は上級言語魔術師に会ったことなどないはずなのだが。どうしてそんな比較ができるのだろうか。


 膨大な呪文流を阻止しようとセージとファルが防壁を展開するが、死人の森の女王とイアテムの妨害によってケイトの呪文が完成してしまう。

 実行された呪文が光を放ち、意味を成していく。

 それは、一瞬で完了した。


 俺だけはかろうじてちびセスカの展開した防壁によって難を逃れたが、その場にいたサイバーカラテユーザーたちにおびただしい数の呪文が絡みつくと、既に彼ら彼女らに付与されていた呪術の効果が消滅していった。


(言理の妖精語りて曰く、なんてね)


 それは広範囲に向けて放たれた対抗呪文、【静謐】。

 あらゆる呪術効果を無効化するその呪文によって、サイバーカラテの心技体を成立させている呪術――とりわけ精神を安定させる各種の呪術が消滅していた。


 三ヶ月前、この世界に拡散し、誰にでも使えるようになったのはサイバーカラテだけではない。

 言理の妖精と呼ばれる、呪文を司る第一魔将は、アストラルネットに接続できるものならば誰にでも使用が可能だ。俺も端末や右腕を介することでその呪文を唱えることぐらいはできる。


 俺が使っても軽い暗示が関の山だが、呪文の適性がある者なら話は別だ。

 ケイトはこの世界における言語魔術師に相当する資質を有している。

 更に、この世界の保守層が持っているような固定観念に囚われない外世界人であるため、新しいやり方を受け入れやすい。


 彼は、妖精使いと呼ばれる全く新しいタイプの言語魔術師なのだ。

 ケイトの【静謐】による効果は絶大だった。


 年若いファルが戦いの恐怖に怯え、牙猪チリアットが克服したはずの死への恐怖を思い出してしまい泣き喚く。元修道騎士のカルはかろうじて戦える様子だったが、激しい拷問を受けた事による心的外傷の為か、痛みに対する忌避感で青い顔をしている。ブルドッグ面のカニャッツォもまた敗北への怖れで腰が退けていた。


 皆、心が一度折れてしまった者たちだ。

 トリシューラの技術や第五階層の創造能力、サイバーカラテによって再び立ち上がることができた彼らは、心にかかる負荷を和らげる障壁が失われれば再びうずくまるしかない。


 かつて、キロンに徹底的に敗北した俺のように。

 今はちびセスカによって守られているからあの時のようにはなっていないものの、あそこで心折れているのは俺と全く同じ者たちだ。


 トリシューラはいつか言っていた。

 【マレブランケ】は呪文の座勢力に対抗するための手札。

 しかし、未だ陣容としては未完成で成長途中でしかない。

 それは、あちらの切り札である言理の妖精に対して余りにも無力だからだ。


 その為にはトリシューラがより言語魔術師として、女王として力をつけて、外敵からの呪術的攻撃を凌げるようになる必要がある。

 言語魔術師試験は、ガロアンディアンを守る為に乗り越えなくてはならない通過儀礼だったのだが、今はそこを突かれた形だ。


 場は騒然となっていた。

 【マレブランケ】以外のサイバーカラテユーザーたちも半数が恐れおののき、パニックに陥りかけている。


 元から探索者だった者たちはどうにか【変異の三手】の副長や外世界人の放つ威圧感に耐えているが、一度は四肢を失い心的外傷を負った者たちも多く、格上の相手に挑みかかることに耐えられるようには見えない。

 力士ゾーイが鼻を鳴らした。


「惰弱すぎるね。これがサイバーカラテが生む甘え、そして悪だ。くだらないものに依存してないで、ちゃんと本当の姿でかかってきなよ」


 指をくいと曲げて手招きする。

 挑発的に、そして見下ろすように。

 

「そんなふうに殻に閉じこもっているばかりで強くなれるわけがない。ちゃんと現実に向き合って、戦え。私が鍛え直してあげるよ――徹底的にさぁ!」


 こいつは俺の、倒すべき敵だ。

 だが、どうやって倒す?

 俺は所詮一般人の域を出ない――サイバーカラテユーザーとは基本的にそういうものだ。


 正規の訓練を受けた力士相手に、サイバーカラテは本当に戦えるのか?

 感情制御とは関係の無い寒気が背筋から脳にまで届き、全身が震える。

 逡巡しながらも、俺はちびセスカと共に力士とスモーレスリングに関する知りうる限りの情報をサイバーカラテ道場の共有記憶領域にアップロードしようとする。

 

 しかし、そこでケイトの妨害が入る。

 あらゆる経路からサイバーカラテ道場に流れ込んでくる力士についての情報、情報、情報。それらは有益なものではなく、当然のように全てが誤情報だ。


 撹乱目的のノイズ情報爆撃だった。圧倒的な量の『それらしい』誤情報にフィルタリングが突破されてしまう。

 このような非常事態の際、普段ならちびシューラが対応するのだが、死人の森の女王と戦った時に無力化されてしまったせいでそれができなくなっている。


 本体であるトリシューラも囚われの身である今、サイバーカラテ道場のセキュリティは低下していた。

 数多の『力士に対する有効な戦術』が提示され、戦えるユーザーまでもが混乱の渦に叩き込まれる。


 更に外世界人という謎めいた存在に無数の『噂』が折り重なる事で、その存在を掌握しようとしていた妖精使い、黒の色号使いたちが攻撃の機を見失う。

 

「殺しはしないよ。弱い者虐めはしない主義だし、無闇矢鱈と人を死なせたくないんだ。私は常識人で、倫理観がきっちりしてるタイプだからね」


 光学干渉呪術で姿を消して背後に接近していた公社所属の呪術師の頭を振り向きもせずに鷲掴みにしてそのまま握りつぶすと、ゾーイはそのまま死骸を投擲。豪快な一投によって人体が吹き飛び、呪文詠唱中だった呪術師が吹っ飛ばされていく。


「ただしヤクザは人ではないので『掃除』はするけどね。身元調査の結果、前職が【殺し屋】だって判明した誰かさんも、まああまり容赦しなくてもいいよね。要するに詐欺師だし。全く、事前の調査で弾いとけっての」


(まあまあ。偽装が随分と巧妙だったみたいだし、仕方無いよ。何しろ『青』案件なんだからね。知ってるかいアキラ、最近の社内では鹿の話題がタブーらしいぜ)


 意味不明なやりとりをする外世界人の二人。

 ドローンや公社の兵隊が殺到して攻撃を仕掛けるが、それらをものともしない力士は真の怪物だった。


 高位の杖呪術である銃も、怪物を使役する支配者の攻撃も、呪文による意味の操作も、邪視による改変も、全てをまともに受けきっている。

 それでいて平然と相棒と軽口を叩き合う女性スモーレスラーの底知れぬ実力に、周囲の者が一様に気圧される。


 現状の救いはトリシューラがさらし者にされたことによって、あの【変異の三手】が敵であると周知されたこと。

 だからといって、この場にいる誰もが戦力に数えられるわけではない。


 戦える者だけが戦うしかないのだが、その中に自分が入っていないことがどうしようもなくもどかしい。

 ちびセスカと死人の森の女王『ニケ』が睨み合い、壮絶な火花を散らす。


 更には無事だったカーインとゼドが飛び出して、それぞれ戦いを開始する。

 カーインはクレイと、ゼドはイアテムと。ケイトの呪文とセージの呪文がぶつかり合い、新参のグラッフィアカーネが粉砕されていくドローンの陰から飛び出して自分より遙かに巨大な力士に挑みかかっていく。


 かくして星見の塔トーナメントは中断され、ガロアンディアンと【変異の三手】との抗争が勃発したのだった。

 戦いは激化し、こちらにも甚大な被害が出ることは避けられない。

 ――そう、思っていたのだが。


 カーインと対峙したクレイが、一度もその手刀を振るう事無く膝を突いた。

 目、鼻、口から血を流し、苦悶とも怨嗟ともつかぬ呻きを上げてカーインを睨み付けるが、間合いを詰めた内家拳士はそのままクレイの眉間を貫手で突き、戦いは瞬きもしないうちに終わりを告げた。


烏兎うとは人体急所である奇穴の一つ。義肢の遅延動作でもさせねば、もはや立つ事ことすらできまい」


 どっと俯せに倒れ伏したクレイを見た俺は、改めてロウ・カーインという男の厄介さを実感した。

 空気感染するウィルスの最大射程距離は未だ掴めていないが、一メートルから二メートル圏内に入れば奴の掌の上だと断言できる。


 六淫操手。接触感染だけでなく空気、飛沫、と様々な感染経路から病の素を他者に送り込むという恐るべき呪術的武術の使い手。

 今回の試合形式では多くのカジュアル層への配慮で制限されていた恐るべき絶技は、【変異の三手】の副長を一撃で戦闘不能にするほどのものだったのだ。


 期せずして陽の部、準決勝の勝者が決定してしまった。

 この場にいる中で最も厄介な存在を理解した【変異の三手】側の動きは迅速だった。それぞれ対峙する相手の隙を突いて、女王が一瞥し、イアテムが水流を放ち、ケイトが呪文を送り込む。


 それらに対し、カーインは至極冷静に対応していった。

 天眼石の髪飾りが閃いて邪視避けの呪力がカーインに宿ったかと思うと、両手が円を描いていく。かつて俺が内力によって灰色の視線を受け流したように、カーインもまた同じ陰の柔法で邪視を凌いだのだ。


 俺の見よう見まねとは違い、磨き上げられた本家本元の技が邪視を受け流してイアテムの水流と激突、相殺する。

 勢いを減じた水流にカーインの指先が突き入れられたかと思うと、透明度の高かった液体に黒々とした汚れが混じる。


 空気を介して病を送り込むカーインが、水を介してその技を使えないはずもない。危険を察知したイアテムは水流を自らの指先から切り離す。その隙に放たれたゼドの銃弾が轟音と共にイアテムの胴体に風穴を開けた。海の民の形状が崩壊し、水の塊となって飛散する。


 ケイトの送り込んだ呪文は暫くカーインの周囲を回って攻め入る機会を窺っていたが、先に動いたのは包囲された側だった。

 素早く攻め込んで貫手を放つ。指先が向かうのは、実体の無い数字と文字の列――ケイトが放った呪文の群だった。


 誰もが、その光景に己が目を疑ったことだろう。

 カーインの指先から放たれた複雑怪奇な表意文字の群が呪文の中を逆流していき、ケイトに直撃したのである。情報体の青年は泡を食って叫ぶ。


(なんだこれはっ、ダウンローダ?! セキュリティが機能していない、管理者権限が勝手に――)


経絡秘孔セキュリティホールを突いた。この六淫操手が操る風邪ウィルスは、情報に対しても有効であると知るがいい」


 それは本気で言っているのか?

 何でもありかあいつ。似たようなことを前にも考えた事があるぞ。

 続けてカーインは虚空に向かって演武のような動作を行ってみせる。

 また何かを突いたのだろうか。


「サイバーカラテ道場に『気』を流し込んでセキュリティを強化しておいた。経穴を塞いであの外世界人についての分析を一時的に遮断するという乱暴な手法だが、ひとまず有り合わせのパターンのみで凌ぐことだ」


 前半、何言ってるのかちょっとわかんないですね。

 いずれにせよ、全力のカーインはこの上なく頼りになる戦力だった。

 相性の悪い死人の森の女王をゼドに任せて、力士ゾーイに立ち向かっていくカーイン。その視線が、一瞬だけこちらを向いた。


 すぐに逸らされて、カーインは風のように俺の目の前を駆け抜けていった。

 瞳に込められた意思は果たしてどのような性質のものだったのだろう。

 ただ、もどかしさが身体を疼かせる。


 そんな俺の心境に呼応したわけではないだろうが、その時、状況が動いた。

 懐の中で何かが蠢いているのを感じて、それを取り出す。

 普段使っている、カード型端末の一枚を。


 先日、店員さんに預かった『布石』がここにきて意味を持ち始める。

 俺のカード型端末の一つから飛び出した悪霊レゴン――グロテスクな臓物に顔の部位をくっつけたような怪物の姿が漆黒の靄につつまれたかと思うと、次の瞬間にはその姿が変化していた。


 少しだけ丸々とした、デフォルメされた二頭身。

 ヴェールによって顔が覆い隠されて金眼が控え目に輝く、それは美しくも愛らしい店員さんの姿だった。


「ちびラズリとお呼び下さい」


 夜の民の別名に、【コマロゾロンド】というものがある。

 マロゾロンドは夜の民が信仰する守護天使もしくは古き神の名で、『コ』というのは縮小の接頭辞であり、更に小さいという形容を重ねて『ちびコマ』なる呼び方をすると以前某修道騎士について調べたときに知ったのだが。


 この店員さん――改めちびラズリさんは、こう、まさにちびコマって感じである。凄い。どうしよう。まさかずっと俺の端末の中に隠れていたというのか。出番を『まだかな、まだかな』とかそんな感じで待ち焦がれながらうずうずしていたと言うのか。俺の端末の中で!


「早速ですが本題に、きゃあ! 何するんですか!」


 指先で軽くつつくと驚き慌てて、それから憤慨してこちらを睨み付けるちびラズリさん。なんというか、このままつつき回していたい気分である。


「馬鹿やっている場合ですか!」


 女王ニケの邪視を凌ぎながら、ちびセスカが叫ぶ。全くの正論である。

 俺は決然と誘惑を振り払って――振り払えない?! なんだこれ、魅了の呪術にでもかかったというのか俺は。永遠につついていたい。


 状況を無視した過剰な欲求が生存を脅かすと判断され、霜が首全体を覆い尽くしたところでようやく我に帰る。

 危なかった。ちびセスカがいなかったら死ぬまでちびラズリさんをつついているところだった。全く、天然で魅了の呪術を振りまいてるとか、恐ろしい人だな。


 白い目と涙目に挟まれつつ、改めて話を進める。こうしている間にも、カーインとグラッフィアカーネが力士と激闘を繰り広げているのだ。あまり余裕はない。


「今はみなさんが頑張ってくれていますが、このままではまずいと思います。特に、あの魔女の方と大きな方――外世界人の二人に不吉な星が見えますわ。わたくしたちが全力で動けない今、戦力は少しでも必要です」


「それはわかりますが、この状態では」


「ええ。ですから、わたくしがなんとかします。強引ですが、まずはわたくしたちだけで『統合』と『調和』を行ってしまいましょう」


 ちびラズリさんはどうやらこの大会の呪術的意味を理解している様子だった。

 小さな体で同じく爪楊枝のような錫杖を振りかざして呪文を唱え始める。


 星見の塔トーナメント。

 古来より繰り返されてきたという、魔女と戦士たちによる呪術と武芸の祭典。

 それは繰り返されるうちに呪術的な儀式としての意味を有するようになり、熱狂が頂点に達する決勝では巨大な呪力が発生するという話だ。


 今回は特別ルールで男女別にブロックを分けていた。

 これは男女が身のうちに抱える内力のうち、より多い方をぶつけ合わせ、練り上げられる呪力に偏りを発生させるためだ。


 失われた内力のバランスを取り戻す為に、練り上げられた陽の気を俺の中に注ぎ込んで正常なバランスに戻す。荒っぽい手段だが、呪力の伝導効率が極めて良い俺だからこそ可能な治療法ということらしい。


 俺の治療。それこそがこの大会の本当の目的だった。

 本来の予定では、カーインが陽の部、すなわち準決勝を勝利した段階で高まった内力を俺の内側に注入してもらう予定だったのだが、今はそれどころではなくなってしまっている。ちびラズリさんが勢い込んで言う。


「正直に言えば、カーインさんがお客様に熱い気を注ぎ込むのがとっても見たかったのですけど! あのクレイさんという方と激闘を繰り広げ、苦戦するカーインさん! そこでお客様からの叱咤激励! 立ち上がるカーインさん! 鮮やかな勝利! 復活して拳をぶつけ合うお客様!」


 店員さんの暴走が始まってしまったのだが、これどうすればいい?

 なぜか見事な声色を使って一人芝居まで始め出すちびラズリさん。

 スタンドアロンである。あらゆる意味で。


「決着をつけようか」「ああ、真の決勝戦を始めよう」「負けました。どうやら私が入り込む隙間は無いみたいですね」「コルセスカさん、気落ちしないで」


「は?」


 戦闘中にもかかわらず、ちびセスカが低い声を出してちびラズリを睨みつける。

 怖い。


「あっあっ、カーインさんが負けてレオさんに詰られるパターンからの、わたくしがクレイさんを倒して陰気ドレインからのお客様への注入もアリといえばアリですけど!」


「あなた何でもいいんですか」


「妄想の中でなら可能性は無限大なんですよ! あらゆるパターンを試してみないとわからないじゃないですか! そしてトリシューラさん帰還からの修羅場! 疎外され、お客様への不満を抱えるコルセスカさんとトリシューラさんはいつしかお互いの心に空いた穴を埋め合うようにして――!」


「あの、話進めませんか」




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