4-22 星見の塔トーナメント⑤




 感染呪術。

 かつてトリシューラから受けた講義を俺なりに解釈すると、この呪術は関係性の拡張である以前に、身体性の拡張に含まれることになる。


 まず『あらゆる生命は元は一つのものであった』という認識を用意する。

 親子はもちろん近しい親族に至るまで、『起源が同一である』という点に繋がりを見出すことで、同質性を仮構するのだ。

 

 社会的形態としての『家族』を参照するのは使い魔の領分だが、『血』や『遺伝子』を身体性に含めることで、杖使いでも『家族』と『自己』とを結びつけることが可能になる。

 人は皆、女性から生まれてくる。であれば、自然分娩を経た人は親族と極めて濃密に接触しており、強い関係性が見出せると言えよう。


 親族を感染呪術の対象――『本来は同一であった』と見なしうる範囲の拡張度合いは呪術師としての技量に依存する。

 トリシューラであれば三親等以内が『射程範囲』だが、より高位の呪術師は更に範囲を広げられるらしい。


 ゆえに、その呪いが発動した瞬間、対象となった相手――その正体を現した前世からの来訪者、力士ゾーイ・アキラもまた自分を含めた『家族』を虐殺されるはずであった。丸太のような太ももから汚泥を押し固めたような不定形の呪詛が女性の全身に広がっていく。


 高位の呪詛を力士に注ぎ込んだのは、蠍の尻尾。

 マラコーダはただ倒された訳ではなかったのだ。敗北の直前、蠍の尻尾で反撃を繰り出し、感染呪術という名の毒素を注入していたのである。


 マラコーダの毒は注入した後で行動を制限する麻痺毒にするか、親類縁者を巻き込んで皆殺しにする凶悪な呪詛にするかを任意に選択することが出来る。

 遠隔操作可能な猛毒。

 それもまた、感染呪術の特性によるものである。


 接触の原理。

 一度接触したもの、あるいは一つであったもの同士が共感する遠隔作用。

 この原理ゆえに、およそ毒針を持つ生物の大半は何らかの呪術的な能力を有している。


 感染呪術は摸倣子を媒質とした『近接作用の拡張』であり、分離した身体をも自らの拡張部位として認識する杖と使い魔の複合呪術と言える。

 修道騎士が使う寄生異獣も、下の『怪物』たちの肉体の一部、すなわち爪、歯、髪の毛といった細胞を移植することによってその力を得るという『身体性と関係性の拡張』だ。


 【三本足の民】なる種族が使い魔や道具を自らの身体の一部として認識するのも、この感染呪術に含まれるらしい。愛用した道具、愛玩した動物であるほどにその呪力は高まっていくのだとか。あるいは、俺の失われた右の義肢にも何かしらの呪力が宿っていたかもしれない。


 親族や周囲の関係者を自らの身体の拡張部位として認識して呪力を働かせる。

 その呪術理論を押し広げることが使い魔呪術の基礎なのだという。

 『身体の一部』を『家族』に、『家族』を『共同体』に、『共同体』を『社会』に、果ては『世界』まで。

 『国家』も同じだ。ガロアンディアンも【死人の森】も、極めて巨大な呪術が固定された形式であると見なされる。


 マラコーダの【呪毒】は、ガロアンディアンという呪術基盤を参照してその力を引き出す。【マレブランケ】の長マラコーダは、依って立つ居場所から力を引き出してガロアンディアンに敵対する共同体を殲滅する、三本足の民と闇妖精の混血種である。


 構成員数千人程度の犯罪組織ならマラコーダ一人で容易く壊滅させることが可能であり、トリシューラが公社相手に強気に出られていたのも、過去【暗黒街】に跋扈していた犯罪組織の大半が壊滅するか弱体化するかしているのも、ほとんど彼女の働きによるものである。


 毒の精製に極めて稀少な素材と莫大な呪力を消費することが欠点ではあるが、マラコーダの【呪毒】は、ガロアンディアンが保有する破壊呪術の中で最大の広域殲滅能力を有する。


 国家規模の軍事費を食らいながら絶大な呪力を練り上げていく猛毒。それは共同体の呪力を他の共同体にぶつけるという、原始的な【権威の爆撃】であった。

 彼女は突如として現れた力士を状況から推測して瞬時に俺の敵であると断定し、トリシューラに委ねられている権限を行使して戦術級の大呪術を発動する。


 力士の体内に入り込んだ【呪毒】は対象者が所属する共同体の呪術抵抗を参照して、殲滅範囲を決定。

 現在のガロアンディアンと対象となる共同体の呪的権威を比較し、より大きな背景を有する側が勝利するという、極微な領域で行われる代理戦争。


 格上の背景を有する相手には通用しないが、格下なら圧殺できる。

 ガロアンディアンの権威が増せば増すほどにその威力は増していく。

 そしてここはガロアンディアンの中枢とも言える巡槍艦内部だ。その呪的権威はこの上なく強大であり、抵抗など無意味である。


 ――にも、かかわらず。

 ゾーイ・アキラは涼しげな表情のままだった。

 全身を覆い尽くそうとしていた【呪毒】が自然消滅していく。

 それは、彼女がこの世界のあらゆる文脈から切り離された居場所の無い転移者だから――ではなかった。


 居場所が無ければ、それはたった一人だということ。

 脆弱な個人が国家規模の呪的権威に匹敵することなどほとんど皆無だ。

 転生者・転移者を対象とすれば一撃で討ち滅ぼすことができる。かつての俺がマラコーダと対峙したならば、きっと余りにも容易く死んでいただろう。

 

 では、なぜこの転移者の力士は死んでいないのか。

 異世界で、強大な企業ないし国家に所属しているから?

 それはこの世界とは何ら関係が無いことで、切り離されている問題だ。

 摸倣子が無い俺の前世の事実が参照されるとは思えない。

 その答えは、すぐに判明した。

 透き通るような妙齢の女性の、この上なく忌まわしい声によって。


「国と国との権威比べ――僣主トリシューラは不在ですが、女王対決は私の勝ち、ということでいいのかしら」


 エントリーされていた名前は『ニケ』だったが、澄んだ中に艶を含んだ声は間違いようもない。

 蜂蜜色の髪と灰色の瞳。眩いほどの美貌だが、その右半分が朽ち果てた死人のそれに変貌するところを目の当たりにしたばかりである。感嘆の溜息も出てこない。


 黒衣のフードから顔だけを見せて、【死人の森の女王】が姿を現していた。

 死人の女王は力士の傍に歩み寄ると、隣に並ぶ。

 更にはクレイ、イアテムら副長がそれに続く。


 手刀であらゆるものを断ち切る美貌の肉体言語魔術師。舞うような動きで準決勝まで勝ち上がってきた彼は、次でカーインと戦う予定だった。

 そして、魚のヒレのような耳をした白髪の英雄。水の分身を遠隔操作する言語魔術師だが、この身体もまた本体ではないのだろうか。


 ともあれ、これで四人いた偽物の夜の民――その全員の素性が割れたわけだが、そうなると自然と浮かんでくる疑問がある。

 【変異の三手】の長、グレンデルヒはどこにいる?

 

 こちらの疑問など、あちらにとっては知った事ではない。

 女王はこちらを見て微笑んだ。


「ヴィク」


「ごきげんよう、アキラ様――今はヴィクではない気分なので、ニケと呼んでいただけませんか?」


「適当だなおい」


 それとも、呼び名を次々と変えることが何らかの呪術的意味を持っているのか。

 かつて俺がエスフェイルと戦った時、シナモリ・アキラがハンドルネームであったために相手の意表を突けた事が関係しているのかもしれない。


 ――前世の記憶がほとんど失われた今となっては、俺の『まことの名』を知っているのはトリシューラとコルセスカだけだ。

 しかし、前世からやってきたあの力士は、どうなのだろう。


 恐らく所属は保険会社関連。運が良ければサポートセンターの担当官だが、運が悪ければ『掃除屋』あたりか。

 エピソードの記憶は無いくせに、こうした知識だけは自然と浮かんでくるこの脳が恨めしい。


 しかし今は、彼女の背後に強大な呪術基盤である【死人の森】が存在しているという事実の方が重要だ。

 力士と女王、その二人が並んでいるということは、両者は手を結んでいるということに他ならない。


「首尾良く現地協力者が見つかって良かったよ。最初は色々トラブルに巻き込まれちゃってさあ、大変だったんだ」


 俺の推測を裏付けるように、ゾーイ・アキラ――ややこしいので今後ゾーイとだけ呼ぶことにする――はそう言った。


「利害の一致――といっていいのかな。どちらかと言えばお互いに妥協し合うことで共に目的を達成するっていう協定を結んだわけだけど。とにかく、今の私、ゾーイ・アキラは一時的にこの女王様の所に身を置いてるってわけ」


(ま、最初は不幸な行き違いから対立して、巻き添えでどこかの犯罪組織を壊滅させちゃったりしたけど、結果オーライというものだよ)


 ゾーイの隣に並んだ行司シューラがしたり顔で言う。

 その声は、既に聞き慣れた明るいソプラノではなくなってしまっている。

 愕然とする俺の目の前で、行司シューラの立体映像にラグが走り、その姿が一瞬にして切り替わる。


 ウェーブがかかった黒髪。濃茶色の肌。穏やかなそうな瞳。

 黒烏帽子に直垂、軍配団扇という行司の姿はそのままだが、行司シューラとは似ても似つかない、若い男性がそこにいた。


「お前は、誰だ」

 

「こっちは相棒のケイト。そんなに睨まないでよ。こいつのお陰で、当初は存在抹消予定だったのを折衷案で落ち着かせることにできたんだからさ。むしろ貴方は感謝してもいいくらいだよ?」


 この力士が、何を言っているのかわからない。

 それ以前に、今まで俺が接してきたちびシューラは、まさか全てこの男が演じていた偽物だったということなのか。

 だとしたら、トリシューラは。


「心配なさらずとも、僣主トリシューラの身柄なら私の方で預かっています」


 死人の森の女王が告げた言葉が練武場に浸透していき、ざわめきが広がっていく。アストラルネット経由で拡散される前に遮断するよう、レオが素早くセージに指示したことで巡槍艦の外部に混乱が波及することは避けられたが、しかし。


「トリシューラに、手を出したな」


 ここにコルセスカがいたならば。

 恐らく、二人分の激怒を抑えきれずにすぐさま『ニケ』に飛びかかっていただろう。今頃医務室で理由のわからない憤りに戸惑っているのではないだろうか。


 どれだけ睨み付けようとも女王の表情は涼しげなままだ。

 むしろ俺の視線を心地良く感じているかのように瞳を潤ませて、白い頬に繊手を添えて息を吐く。


 嫌な予感がする。第六感とかそういった超自然的(この世界では自然なものかもしれないが)なものではなく、ニケの表情がひどく嗜虐的に歪んだ、見覚えのあるものだったからだ。


 灰色の瞳が輝くと共に、その頭上に長方形の映像窓が出現した。

 そこに映し出されていたのは、案の定と言うべきか。

 

「トリシューラ」


 全身をバラバラに解体された、俺の主だった。

 両手両足が付け根から引き千切られて天井から吊り下げられていた。胴体は強引にこじ開けられて内部構造が露わにされてしまっている。テクスチャ呪術を破壊されて黒銀の地肌が全て露わになり、鮮血の如き髪は強引に毟られて無惨にも床に散らばっている。悪意を感じるのは、全てを抜き取るのではなく一部だけ残して顔にかかるようにされていることだ。緑色の眼球の片方、右目はくり抜かれて人工の視神経が目蓋から垂れ下がっている。常に微笑みを湛えていたあの表情は消えて、虚ろな視線を中空に彷徨わせるだけ。


「トリシューラ」


 馬鹿みたいに、彼女の名前を呼ぶ。そうしなければ、その輪郭を見失ってしまいそうだったからだ。

 俺の視線は虚空に浮かんだ画面に釘付けとなっていたが、耳からは多くの情報が入り込んでくる。練武場に集まった人々に、動揺と困惑が広がっているのだ。


 トリシューラがアンドロイドの魔女であることを、隠しているわけではない。

 だが、こうもあからさまに『そうであること』を見せつけられた事は側近たる【マレブランケ】たちでさえなかっただろう。


 当然だ。彼女の『メンテナンス』を赦されているのは、基本的には俺だけなのだから。その内部構造を知悉しているのも、星見の塔の製作者たちを除けば俺とコルセスカだけ。


 当然、怒りは湧かなかった。

 極大の――おそらくは過去最大級の冷気が俺の中で荒れ狂い、右腕が、そして首筋の穿孔痕からこんこんと湧き出す呪力が物理的な影響力を伴って俺の体表面に霜を走らせていく。


 頬にまで這い上がってきた氷に僅かな痛みを覚えるが、それも即座に消える。

 氷を張り付かせたまま、冷静に――この上なく冷静に、死人の森の女王を見て、そして宣言した。


「アトリビュート・七十一番」


 右腕の周囲に展開された【氷鏡】からコルセスカの【氷球】が出現する。水面のように揺らめく鏡から現れた氷の球体が青い光に包まれてその形状を変貌させた。負傷して動けないコルセスカだが、俺が呼びかければそれに応えて呪力の片鱗を貸し出してくれる。魔女と使い魔の双方向的な関係性が可能とする【鏡の扉】という呪術だった。


 青い輝きが弾けて、氷によって形作られた『それ』に確かな質感が宿っていく。

 それはちびシューラに似ていた。

 デフォルメされた二頭身、特徴を捉えた似姿。

 白銀と青の色彩を纏った彼女の名は。


「ちびセスカ、招きに応じて参上しました――死人の森の女王。貴方と【変異の三手】には報いを受けさせる。死よりも過酷な、英雄の精神すら歪めて壊す最悪の拷問で、徹底的に!」


 苛烈な宣告を行うコルセスカは、二人分の感情を束ねて冷たい激怒を放射していた。邪視による凍結が女王に襲いかかる。だが灰色の瞳が揺らめくと、青い輝きはあっさりと吹き散らされてしまう。俺たちの敵は頬に手を当てて呟く。


「あらかわいい」


 嘲笑われたのはコルセスカだけではない。

 さらし者にされたトリシューラの名誉もまた傷つけられ、その存在の強度が急激に低下していくのがはっきりと肌で感じられる。


 人々のひそひそと囁き交わす声が、コルセスカだけをひどく苛立たせているようだった。わかっていたことであっても、改めて目に見える形として『機械である』という事実を突きつけられたことで、『所詮は人形』という認識が強まりつつあるのだった。


 どれだけガロアンディアンの女王として尊大に振る舞っていても、それは所詮作られた思考、作られた言動。

 作り事の、偽りの知能ではないか。

 そう囁き合う声が、はっきりと聞こえてくる。


 もはや防寒対策が無意味となるほどに全身を凍結させた俺の思考はひどく冷えていたが、反面ちびセスカは激しく憤っていた。

 冬の魔女は烈火の如く叫ぶ。


「トリシューラは確かに『いる』んです! 第一、作り事だったら何だというのですか。妄想でも現実でも、トリシューラはトリシューラです。冬の魔女コルセスカが、神話フィクションの魔女がそうであるように!」


 自らが無数のフィクションの集積を参照して生み出された存在であるからこそ、そしてあらゆるフィクションを現実と等価であると見なす世界観の持ち主であるからこそ、神話の魔女に迷いは無い。


 フィクションと現実の境界を『無視』するという邪視の高等技法。

 見ないことは、ある意味で見ることよりも難しい。

 神話の魔女はそれを息を吐くようにやってのけた。


 ――それが、『今の自分とは関係無い』と切断処理した前世との境界をも無視する諸刃の武器であったとしても。


 『冬の魔女』という膨大な神話群が、小さな魔女の個我を塗り潰そうと襲いかかってくる。

 それでも、姉として妹の存在を守ろうとする青い瞳に迷いは無い。

 小さな身体が絶え間ない参照によって揺らぎ、蠢き、変幻していく。


 似ているが決定的に違う別人に。人ならざる武器に。脅威に満ちた幻獣に。

 そして――目の前で灰色の瞳を揺らめかせる、死人の森の女王に。


 女王の口の端にうっすらとした笑みが浮かび、同時にちびセスカの髪色が蜂蜜色に、左目が灰色に変貌する。表情は鏡写しのように相似形に。

 死人の森の女王の伝承と銀の森の魔女の伝承。


 もしかしたら前世かも知れない。そんなあやふやな噂や推測だけでも、この呪術世界においては参照が可能となってしまう。

 結びつけられそうになった両者を、俺は必死になって引き留めようとする。


 展開された鏡の中で幻影の右腕が動いて、多面鏡の内側で無限に広がっていくコルセスカの手を掴んだ。

 鏡の中に映し出された無数の前世、無数の冬の魔女が粉々に砕け散って、俺の掌に乗ったのは元通りのちびセスカただ一人だ。


 死人の森の女王は微笑んだまま、しかし僅かに落胆したように嘆息する。

 トリシューラを餌にしてコルセスカに仕掛けられた、存在を揺さぶるほど致命的な心理攻撃はどうにか凌いだ。

 ひとまずはちびセスカの勝利によって、トリシューラの存在は維持されたのだ。


 拡散した世界観が群衆の心理を塗りつぶし、凋落しかけたガロアンディアンの権威をかろうじて持ち直させる。

 強い怒りでトリシューラを貶める計略を阻止するちびセスカを見ながら、俺はあくまで冷静になろうと努めた。


 怒りを力に変えて戦うのはあちらに任せて、俺は思考するべきだ。頭脳となるトリシューラが囚われの身になっている今はなおさら。

 そもそも、どうしてトリシューラが囚われている?


 移動の最中に襲撃されたのだとしても、彼女には『再現性の不死』がある。

 未だ完全な不死に辿り着く道中であるため、無制限に生き返ることはできないが、意識総体レベルにはまだ余裕があったはずだ。


 つまり一回くらいなら死んでも構わない。

 さっさと自爆でもした後、巡槍艦内に待機している予備の機体を起動すればいいだけの話。自己同一性の問題で同時起動は余りやりたがらないが、その気になればトリシューラは物量と火力で敵を圧殺することさえできる。


 それをしない、というのは解せない。

 俺の知らない何らかの要因が邪魔をしているのだろうか。

 疑問に答えるかのように、偽シューラ――ケイトとか呼ばれていた男が人の良さそうな笑みを浮かべて口を開いた。


(いやあ、君たちは好ましい思想の持ち主だねえ。この世界で僕みたいなのは居場所が無いと思っていたけれど、中々どうして、捨てたものじゃあない――まあ、彼女を窮地に追いやっているのも僕なんだけれど)


「どういう意味だ」


 ケイトは肩をすくめて答える。


(なあに、ちょっとこの艦のシステムに侵入して、小細工をね。残念だが、予備のアンドロイドは起動できないよ。この世界のやり方に習熟するまでに随分と時間がかかってしまったが、わかってしまえば何と言うことはない。おかげさまで、僕も今やちょっとした『呪術師』さ。ああ、言語魔術師だったっけ?)


 前世からやってきた異世界人は、信じがたい事を口にしながら、その周囲に夥しい量の呪文言語を展開していく。

 それは物理的な影響力を伴ってコルセスカの邪視に対抗し、激突して火花を散らす。紛れもない一級の呪文だった。


「馬鹿な、呪術を習得したのか?! この短期間で?」


(僕たちの存在をこの世界に『翻訳』するのに少し手間取ったけどね。まあ、君が日本語を定着させてくれていたお陰で想定していたよりはスムーズに進んだよ。ありがとう。ただ、言語程度ならともかく、あれは良くなかったねえ。サイバーカラテって奴)


 ケイトは周囲に溢れかえっているサイバーカラテユーザーたちを見回して、深々と溜息を吐いて(もちろんただのジェスチャーに過ぎない)言った。


(君は事の重大さを理解しているのかな――異世界に文明を持ち込むということの罪深さを。歴史上の正しい道のりに従った発展を妨げ、既存の文化を破壊――)


「馬鹿じゃねえのか。素直に多世界連に技術盗まれるリスク避けたいだけって言えよ。だいたい、その思考はこの世界の人間ナメ過ぎだろうが」


(そうかなあ。悪いけど、この世界の呪術性を見ていると心配になるんだよ。未開の部族に高度文明を与えた結果として悲劇が起きることは往々にしてよくあるじゃないか、僕らの世界でもさ)


 否定は出来なかったが、それでも内心を悟られないように表情を作って吐き捨てる。飛び散った唾が凍り付いてちびセスカが嫌そうな顔をした。


「よくあるからここでもそうだろう、ってのはお前の言う呪術性とは違うのか」


「おや、これは一本とられたんじゃないのー、ケイト?」


 愉快そうに相棒の男を見やってからかう力士ゾーイ。

 ケイトは眉を顰めて、


(オーケイ、わかったわかった、その件に関しては僕が間違ってた。すまないね。けどさ――それはそれとして、君自身の違法性はそのままだよ。自覚はあるよね、『シナモリ・アキラ』?)


「何の事だ?」


 しれっと言い放つ。

 実のところ、今のような状況に陥ったときの事はトリシューラと相談してあった。つまり、前世から俺を裁くためにやってくる何者かについての対応をだ。


 俺がこの世界に転生した際、俺は前世に一度連絡してしまっていた。

 今思い返せば、あれは明らかに失策だ。

 右の義肢や体内侵襲機器といった前世の技術。


 それをあちら側の手違いか転生装置の故障か何かで持ち込んでしまった俺は、其れが露見すれば罪に問われる危険性があった。


 それを良しとしないトリシューラは長いこと世界間通信を妨害して俺の居場所を前世から欺瞞し続け、更には体内侵襲機器も自前のものに置き換えて言い逃れ出来るようにしてくれていた。右の義肢もキロンに破壊されなければ別のものに取り替えていく予定だったらしい。


 だが、それだけで見逃してくれるかどうかは怪しいものだ。

 既に持ち込んだ現代日本の技術は跡形もなく消滅している。証拠は無いので俺がその件で罪に問われることはないだろう。


 サイバーカラテもかなりギリギリだが、名前と理念が同じだけで内実は別物であると強弁すれば押し通せると俺たちは踏んでいた。

 事実だからだ。

 しかし、ケイトは真剣な表情で言う。


(先だっての事件で、多世界連合の翼猫が暴走しただろう。あの一件でこの世界には注目が集まっているんだ。一度拡散してしまったサイバーカラテを無かったことにするのは極めて困難だ。状況が落ち着くまで様子見、ということでこの世界の外部は大方納得したわけだけど)


「サイバーカラテは既にこの世界独自の文化になっている。日本人に今日から漢字使うな、元の場所に返せとでも言ってみるか? 現代の大陸で日本の漢字なんざほぼ通用しないと思うが」


(まあ、それも正論だ。けどね。僕たちが指摘する君の罪深さっていうのは、技術云々じゃあないんだよ。残念ながら)


「何?」


(君は重複転生者だ)



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