4-15 ショック療法

 


 夜も更けようとしている時間帯。

 唐突に部屋に上がり込んできたコルセスカは、真剣な表情で俺を見ると、緊張に声を強張らせながら衝撃的な告白をする。


「――ショック療法をしましょう。これから私の男性遍歴を全部伝えます。こういうのは包み隠さず全て共有した方がいいんです」


 ぽかん、としてしまった。

 互いに、嫌な幻影を見せられたことは理解している。

 その内容については詳しく語ることはしまい、と俺は思っていた。


 それは何かを壊しそうだったし、それに、最後に見たあの幻影だけは、口にすれば本当になってしまうようで嫌だったのだ。

 まあ、俺の前世には興味がなくも無かったけれど。


 ていうか、俺は彼女とかいたんだろうか。

 いやいないだろ多分、とは思うのだが、実際の所はコルセスカしか知りようがないわけで。


 可能性を見せる、というだけなら一方通行の片思いの相手とか、少し関わっただけの知人とかとそういう仲になる幻影もあり得るだろう。 

 コルセスカの、不安そうに揺れる左目を見た。

 ――やっぱり、今となっては余分なだけだし不要だなと思う。


 前世のことは知らなくていい。

 それを教えてくれるコルセスカの言葉は嬉しいが、それは彼女の語りを通して伝わってくる優しさが嬉しいのであって、大事なのは前世ではない。


 ということを考えていたのだが、コルセスカはどうも現状に危機感を覚えているらしい。俺は自覚できないが、彼女に対する感情に不信感や嫉妬など黒々としたものが混じっていたのかもしれない。だとしたら、自覚できないだけに自分が腹立たしかった――怒りは感じないが。


「いや、待て。それやったら逆に関係性崩壊するんじゃないのか」


「全部受け入れ合ってこその関係性じゃないでしょうか。私の『かもしれない』という不実さに胸を痛めるくらいなら、包み隠さず全て話した方がいいと思うのです。何も言わないで、あれこれと想像を膨らませて最後には破綻する――いいですか、これは寝取られの定番パターンです! 絶対に回避しなくてはなりません!」


 鼻息を荒くして詰め寄ってくるコルセスカに、思わず身を引いてしまった。

 いやそれ、聞かされてる俺は寝取られてる気分なんじゃないかなあ。

 過去の事とは言っても、しんどいことはしんどいのでは。


 それでも、わだかまりが残って将来的に関係性に亀裂が入るよりはいいという判断なのだろう。


「えーと、一応訊くけど、その男性遍歴って前世ってことだよな。もの凄い数になるんじゃないのか。伝承とか、いろいろバリエーションがあるんだろ」

 

 なにしろ神話の魔女だ。

 長い年月を経て、時代と土地を越えて変容し続ける昔語りは様々な形で伝わっているに違いない。

 だとすれば、彼女の前世とはどれほど膨大な数に上るのだろう。


 それに、所詮は前世だ。

 今ここにいるコルセスカとは別人。

 一部の記憶や設定を引き継いでいるだけで、このコルセスカは俺だけの主。


 それに対して無用の嫉妬をする必要は無い。

 と、思っていたら衝撃の事実を叩きつけられた。


「いえ、この時代、今の人生における前の恋人たちのことですよ。まあ膨大な数であることには変わりませんけど、流石に神話ほどではないので。それに、前世の私は私であって私じゃない――彼女たちがどれだけ他の誰かに愛を向けたとしても、それは他人事のようなものです。って、アキラ? 大丈夫ですか?!」


 精神に打ち消しきれないほどのダメージを受けて、寝台の上に倒れ込む。

 やばい、感情制御が無かったら死んでたかもしれない。

 自分の余りの弱さと狭量さと相手の人格を無視した傲慢さに嫌気が差し、次いでそんな当然の事すら覚悟していなかった頭の悪さを呪った。


 最初の印象が『美少女』であることを忘れていた。

 いかに異相とはいえ、コルセスカは十分に魅力的な少女だ。

 わかってはいる。わかってはいてもきつい。


「伝わってきます、アキラの苦しみ。胸が張り裂けそうで辛いんですね。わかりました、もうこれは徹底的に傷口を抉り倒して慣れさせるしかありません」

 

「よせやめろ何かに目覚めたらどうする」


 寝取られ嗜好とか俺には無いというのに。

 いや、もちろん、コルセスカは自由に相手を選ぶことができるし、過去の話だし、俺は何も気にせずにいることが正解なのだと理性では理解しているのだが。


「えっと、これが現在進行形で付き合ってる彼で、それからこっちが攻略中の」


 突っ伏した。

 閾値を超えた感情が全てコルセスカに流れ込み、彼女が嗚咽を漏らして冷たい涙を零しているのが分かった。


「うう、こんなに悲しませて、ごめんなさい。でも、ちゃんと私の事を知って欲しいから――私はこういう女なんです。アキラ、ちゃんと直視して下さい。ほら、これが私の彼氏のボイスです」


「やめろーっ」


 抵抗虚しく、耳元に端末が近づけられ、良く通る美しい声が愛を囁く。

 圧倒的な美声。まるで職業声優のような響きは、俺がどう足掻いても太刀打ちできないほどに耳に心地良い。俺ですら聞き惚れてしまう――って、んん?


「けっこう古いゲームなんですけど、かなり流行ったんですよ。内部でも時間が流れてて、ずっと放置してると拗ねちゃったりとか――ほら、立体幻像をタッチすると色々台詞とか喋ってくれて、中には際どい」


「待て」


 がばりと顔を上げてコルセスカを見る。

 ゲーム用の端末を複数寝台の上に並べたコルセスカが、無数の立体幻像の男性に囲まれていた。


 二次元的にデフォルメされた美形のキャラクターが圧倒的に多いが、三次元のリアルなキャラクターもいる。

 少年くらいの年齢から俺くらいの年代、更には渋い美中年まで様々だった。

 うん――うーん?


「まず、この人が私の初恋の人で、最初の恋人です」


「はあ」


「で、こっちがその次に攻略したキャラクターで――はぁ、久しぶりに起動したらやっぱりイイです。彼のシナリオとっても素敵なんですよ。なんて言うか、尊い」


「あっはい」


「これ、そういう攻略要素とか無いRPGなんですけど、このキャラがとってもかっこよくて。中盤で主人公を庇った際の負傷がもとで戦線離脱するんですけど、最終決戦で駆けつけてくれた時には変な声出ました。あ、ネタバレしちゃった。でも展開分かってても燃える展開ですから! プレイ時間そこそこありますが丸三日ぶっ通しでやれば余裕です!」


「え、やるの? やるつもりなの? マジで? 男性遍歴を全部知ってもらうって、今までにやってきたゲームを片っ端から再プレイするってこと?」


「こっちは男性向けのゲームなんですけど、この子がとっても素敵で、多分これはアキラも楽しめるんじゃないかと――って聞いてます?」


 聞いてないのはそっちなのでは。

 やばい、コルセスカの目がキラキラとしている。

 純真な子供の瞳だった。


「私の経験は全部共有してもらいます。トリシューラもいないことですし、徹夜で一緒にプレイしましょう。面白さは保証するので! 絶対楽しいので! 是非!」


 なんか布教されていた。

 いや、コルセスカと趣味を共有する事に抵抗感は無い。

 無いのだが。


「一応訊くが、その中に現実の男性は」


「いませんが、作ろうと思えば相手くらい幾らでも作れますよ。私には膨大な恋愛経験がありますから。そもそも現実の男性とゲーム内の男性との間に優劣はありません。もちろん女性にも。ああ、選択肢次第で性別を選べるキャラもいましたね。それよりも、月に何本も出るゲームの子たちの相手をするのが忙しくて忙しくて」


 膨大な、男性遍歴――?

 前世はノーカウントなのに、ゲーム上の攻略対象は前の恋人としてカウントするのか。何だそれ。そういえばこいつは俺をゲームの攻略対象として見ていたんだった。つまりこのキャラクターたちと俺を等価値に見ていると言うことだ。


 何か、どうしようもなくおかしくなってきて、笑みが浮かぶ。

 並んで寝台に座って、二人でゲーム画面を覗き込む。

 立体幻像の画面もあったし、液晶画面のものも、アストラル体を入り込ませる体感型のゲームまであった。


「なんかこのキャラ、いきなりクソ女呼ばわりしてきたけど大丈夫か」


「めっちゃチョロいですよこの子。好意を隠しきれてないのに照れ隠しで必死にクソ女って繰り返す後半がもう可愛くて可愛くて」


 チョロいとか言うな。

 それにしても、コルセスカの遊ぶゲームのジャンルは多岐に渡っていた。

 男性遍歴を開陳するという方針なので、ある程度偏ってはいるが――恐らく、実際にプレイしているゲームはもっと色々あるんだろうなあ。


 ていうか、そいつ男だろなんで『嫁』なんだ。

 子供じみた明るさで活き活きと架空の世界の事を語るコルセスカは、もしかしたら今までで一番のはしゃぎようだったかもしれない。


 一番最初、俺は彼女を冷たく恐ろしい魔女だと認識していた。

 だが、彼女の本当の所は、こういった幼さにあるのかもしれない。

 そんな感情が伝わったのか、コルセスカは開き直ったかのように胸を張る。


「いいじゃないですか。遊べなくなるくらいなら、私はもう子供のままでいいです――子供のままがいいです。それが許されなくても、間違っていても、幼稚さにしがみつくことが、私は止められません。多分、これはずっとです。それでも大人にならなくてはならないというのなら、私は大人になった振りで世界中を誤魔化してやるんです」


 大人になる――それが、未来の事についての言及だと気付いた。

 彼女は、将来を定められている。

 運命の恋人。最高のハッピーエンド。

 物語は、結婚式で幕を閉じる。


「私は、自分の世界が欲しい。自分の幸せ、自分の絆、自分の居場所。綺麗なものを、ただそのままで私の手元に置いておきたい。宝物を手放したくないし、それが『がらくた』だなんて認めたくないんです」


 ゲーム機を脇に置くと、コルセスカは寝台の上を移動してそっと距離を縮めてきた。眼帯を外すと間近から俺の顔を覗き込んで、剥き出しの右目で俺を見据える。

 ありのままの表情と眼差しで、決意を振り絞るようにして告げた。


「ねえ、アキラ。私が大人になる振り――手伝ってくれませんか」


「それは」


「大人がするようなこと。私と、して下さい」


 距離が縮まっていく。

 見せつけられた無数の幻影が脳裏を過ぎる。

 睦み合う幾組もの男女。


 どうでもいいと、そう思った。

 夥しい過去はいらない。

 他の物語と切り離された、この瞬間だけが真実だと俺は信じた。


 照明が落とされて、誰かの目を盗むように、密やかに二つの影が重なっていく。

 言語魔術師としてのコルセスカがあらゆる室内の情報を外部から遮断した。

 そうして、その世界の有り様を知るのは俺たち二人だけとなり。

 あとは、全てが夜の闇に隠れて消えた。





「つ、遂にレーティングの壁を越えてしまいました! ここからは未知の領域、まだ見ぬ名作の数々が私たちを待っています! 大丈夫、アキラは大人なので違法じゃないです」


「一緒にプレイしたら違法じゃねえの?」


「許されざる犯罪行為――なんという背徳感でしょう。あ、なんか罪悪感まで」


「やらなきゃいいのに」


 というか俺、この世界ではまだ一歳にもなっていないんだが。

 ただ、前世もカウントするとコルセスカとか千どころか万を軽く超えるよな多分。それも現在進行形で増加しているはずだ。コルセスカというキャラクターが引用されるたび、新たな人生が加算されるわけだから。彼女が参照する『前世』というのは、現在も生まれているし、これからも生まれていくのだ。


「えっとですね、こっちは戦略シミュレーションで資源管理がシビアな本格派で、こっちは実は全年齢版も出てるんですけど改悪されたと評判が悪くて、手を出すのを控えていたやつで――あ、違いますよ! 情報は間接的に仕入れていただけで、閲覧したら駄目な公式のページとかは見てません。ほんとですよ?」


 はいはい、そういうことにしておきますよ。

 ――いや、知ってた。まあこんな事じゃないだろうかと思ってた。

 だから別に、拍子抜けして落胆とかはしてない。トリシューラのいない間にとかちょっと思ったけど無かったことにして欲しい。

 

「うわ、いきなりすごい――」


 頬を染めて片手で顔を隠すが、巨大な目は掌で隠し切れていなかった。

 ばっちりと画面を凝視しながら、抑えめのアレな音声が室内に響く。

 何で俺、コルセスカと並んでエロゲーやってるんだろう。


 この手のものには明るくないが、こういった需要は人間に性欲がある限り尽きることがないのだろう。呪術的な技術を駆使したありとあらゆる快楽の追求によって、独特な文化が形成されているようだった。


 男性向け女性向けを問わずに俺の名義でダウンロード購入したコルセスカは、水を得た魚のように活き活きとゲームをプレイする。

 どうも自分がやると犯罪である、という罪の意識に耐えきれなくなったらしく、後ろから俺の両手を支えながら操り、俺の視界をジャックして間接的に画面を見るという方法をとることにしたようだ。それでいいのか。


「今夜は寝かしませんから」


「ああ、うん。もう好きにしてくれ」


 全てを諦めてコルセスカに身を委ねる。

 この肉体も精神も、何もかも彼女のものだ。

 彼女が楽しみたいというのなら、最後まで付き合うだけ。

 たとえそれが、ダンジョンを踏破して火竜を退治するというゲームであっても。


 彼女と共にゲームの世界に没入する覚悟を固めた時、後ろにいるコルセスカが俺の背中に顔を埋めて、小さく呟いた。


「ほんとに、大人にしてくれても――」


「聞かなかった振りはしないけど、いいか」


「だだだだ駄目です! まだ出会って三ヶ月しか経ってません! 一年、最低でも一年はじっくりとお互いを知ってから――!」


 こいつ、日に二度もヘタレやがった。

 いやまあいいけど。俺も何度もヘタレて逃げたからいいけど。

 どうやらコルセスカは、攻略するのは得意でもその先については苦手らしい。


 百戦錬磨なのは全年齢のゲームの中だけのようだった。

 直前で耐えきれなくなって、『経験を積んでから!』などと訳の分からないことを言い出したのも、それを考えれば無理もない。


 追求したら今度はその手のゲームを俺に大量購入させたのだが、さて、これを全部プレイし終わって名実共に『百戦錬磨』になったあと、もう一度ヘタレるのか、そうはならないのか。


 どちらにしても、最後まで付き合うだけだ。

 夜を徹する覚悟を決めて、ゲーム機に向き合う。


「あ、なんか死んだ。攻略サイトは――」


「駄目! それは駄目です! サイバーカラテユーザーの思考をゲームに持ち込まないで下さい! 身一つで体当たりするのが私のプレイスタイル!」


 なんて面倒くさい奴だ、と思ったが口には出さない。

 それに、彼女の面白さはここにある。

 背中の感触が、たまらなく好ましく、愛おしいと思った。

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