4-14 ステュクス


 相変わらず身体は奇妙な倦怠感に包まれていてひどく動きづらい。

 この森といい、何らかの呪術攻撃を受けていることは間違い無い。

 俺はそうした呪術を知覚することはできないが、代わりにコルセスカが与えてくれた『右腕』は別だ。


 【氷腕】を【氷鏡】が覆い尽くす。

 出現した多面鏡は俺の右腕を完全に覆い隠す。

 鏡に映し出されているのは、青白く半透明な俺の右腕、その幻肢だ。


 複数の鏡面に映し出された大小様々な幻肢。

 歪な鏡の世界で右腕を伸ばし、不可視のはずの呪術を『打撃』する。

 鏡には視覚的に理解しやすい形に解釈された呪術が映っていた。

 この【氷鏡】を介せば、呪術の世界――アストラル界は俺の目と拳でも捉えられるようになる。


 幻影が打ち砕かれ、暗い森が崩壊していく。

 現れたのは、骨が積み重なった薄暗い迷宮。

 第五階層の地下に広がる白骨迷宮の内部だった。


 それと同時に、左右の壁が打ち砕かれて誰かが飛び込んで来る。

 ゼドとコルセスカだ。

 床に粉砕された二体の白骨死体が放り出される。恐らく二人もまた別の敵と戦っていたのだろう。白骨死体が得物としていたらしき鞭と旋棍が粉々になっていた。


「ああ、可哀想に、ローズマリー、アニス。でも、この二人相手によく頑張りましたね。あとで直してあげますから、そこで待っていて下さいね」


 聞き覚えのある名前を口にして、女性が砕かれた死人らをいたわる。

 駆けつけてきたコルセスカは、眼帯に包まれていない左目で俺の無事を確認するとほっと息を吐きかけ、ほぼ全裸であることに気付いて硬直した。


「アキラ――何を、何をしていたんですか」


 敵らしき女性を睨み付ける。その異形の美貌に目を見張り、次いで豊かな胸元を凝視して、きっとこちらを見た。


「アキラ?」


「待て、誤解だ。確かに襲われかけたが見ての通り最後の一線は越えてない! 主にこれのお陰で!」


「私が、私が必死に戦っている間に、貴方はその女と――窮地に陥っていると分かって、私がどんな思いでいたと――!」


 駄目だ、こっちの言い訳なんて聞いてない。

 助けを求めるようにゼドを見る。女装男は目を逸らした。畜生。

 コルセスカが、涙目になりながら叫ぶ。


「延々と貴方が他の人のものになる光景を見せ続けられた私の身にもなって下さい! これでも傷付いてるんですよ!」


 どうやら彼女も似たような幻を見せられていたようだ。

 とすると、俺たち三人とも何らかの精神攻撃を受けていたのだろうか。

 陰湿極まりない手口だが、効果的と言わざるを得ない。

 

「うう、最低です。許せない。なにが『あの人』ですか。前世なんて今のアキラとは関係無いでしょうっ」


 前世――キロンとの戦いの後遺症で、俺には具体的な記憶が無いそれを、コルセスカは知っている。

 それに関連した幻影を見せられたのだとすれば、彼女もまた俺と似たような思いを――いや、感情を切り離せないぶん、より大きな苦痛を味わったはずだ。


 静かな怒りが、氷のように冷えて消えていく。

 明確な敵意を定めて、左拳を前に構えた。

 共有した怒りに呼応して、コルセスカもまた【氷球】を浮遊させる。


「離れていても、アキラがひどく苦しみ、傷付いているのを感じました。その女が、原因ですね?」


 この女はコルセスカを傷つけた。

 なら、使い魔である俺は目の前の敵を排除しなければならない。

 いつの間にか、右半分が屍で左半分が美女という異形の存在の背後に、大量の死人たちが集結していた。


「来るぞ」


 女装したままのゼドが低く警告する。

 彼が長髪のかつらを剥ぎ取ると、内部の容積を無視して現れるテンガロンハット。さらにその中から回転式の二丁拳銃を取り出して構えた。


 屍を従える娼館の女主人は、灰色の瞳に禍々しい輝きを湛えて告げた。


「そういえば、名乗りも済ませていませんでしたね。私の名はディスマーテル・ウィクトーリア。【変異の三手】が左副肢にして、【死人の森の女王】と呼ばれているものです。名前が長いので、お気軽に『ヴィク』とでもお呼び下さいな」


 宣名によって吹き荒れる凄まじい死臭の風が物理的な圧力を伴って俺たちの動きを止める。これはもはやキロンが多用していた【空圧】すら超えている。右腕による防御が間に合わなければ吹き飛ばされ、更には肺をやられていたかもしれない。


 ある意味では予想通りの名乗りによって明らかになったことがある。

 まずは、【死人の森】は【変異の三手】の中に組み込まれているということ。

 そして、どうやらあの名前はこの世界のものではなく俺の前世からの引用らしい、ということだ。


「あえてラテン語読みで名乗っておいて、英語読みの愛称で呼ばせるってどういうことだよ」


「さあ? どんな意味があると思いますか?」


 トリシューラやコルセスカと同じ、異界からの引用。

 それ自体に意味があるのか、それとも本当の名を隠すためのまじないの一種なのか、これだけでは判断がつかない。


 ディスマーテル・ウィクトーリアは――長いので、相手の言うとおりヴィクと呼ぶことにする――屍の腕を振るうと同時に鋭く叫んだ。


「カイン、トリギス、前へ」


 屍の狼と、修道騎士の死人が疾走する。

 高々と跳躍してきたカインを俺が迎え撃つ一方で、コルセスカが無数の氷柱を射出してヴィクを攻撃し、伸縮自在の尻尾を操る死人がゼドに襲いかかる。


 ゼドの動きはあくまでも常人の枠に収まるものだ。

 しかし、判断はこの上なく正確で迅速。

 鋭い尻尾の刺突を見切って回避すると、素早い踏み込みで修道騎士の懐に飛び込んでいく。


 拳銃が振るわれる。鈍器として使用される鉄塊。

 鎧兜に包まれた修道騎士の全身を次々と襲う打撃、打撃、打撃。

 固定式のソリッドフレームが歪むのではないかと心配になっていくほど、拳銃による近接格闘の武技は苛烈だった。


 ゼドが振るう拳銃は尋常なものではない。個人が携行できる『拳銃』という武器のカテゴリをほとんど逸脱した、ハンドキャノンとも呼べる怪物銃だ。

 おそらく全長は一メートル以上、重量は七キロを超えている。


 滅茶苦茶にへこんだ鎧とふらついた修道騎士の胸に左手の銃が向けられる。

 象すら狩れるという、古代遺跡から新品の状態で発掘された呪具。

 ライフル呪石弾を使用するため、直撃すればトリシューラの強化外骨格の装甲ですら貫通する。


 銃架で固定もせずに、更には片手で撃つなど正気の沙汰ではない。

 この世界特有の銃に対する反動を考慮しなくとも狂気の行い、生体強化やサイバネ義手であっても腕が破損しかねない暴挙だ。


 だがゼドは無表情にそれを実行した。

 片手で衝撃を全て押さえ込んで、鼓膜を破壊するかのような銃声と共に凄まじいエネルギーが甲冑ごと死人の修道騎士を粉砕していく。


 弾の大きさは問題では無い。圧倒的な運動エネルギーが生み出す破壊は強固な全身鎧を容易く貫通して、体内を滅茶苦茶に破壊しながら背後へと抜けていく。

 バラバラになって吹き飛んでしまえば、いかに命無き死人といっても立ち上がることはできない。


 続いて襲いかかる死人の群もまた、黒光りする鈍器によって頭蓋を砕かれ、首を粉砕され、盾や鎧で防備を固めたものは圧倒的運動エネルギー弾によって破壊される。実体の無い亡霊が襲いかかれば意識に焼き付けていた呪文を解放して退散させ、かと思えば足を器用に動かして、死人が身につけていた貴重な呪具を掠め取って自分のものにしてしまう。


 物理・呪術両面における凄まじい戦闘能力と、盗賊らしい手癖足癖の悪さ。

 【盗賊王】ゼドは間の抜けた女装をしていても凄まじい強さを誇っていた。


 一方で、俺は左手でカインを打撃してねじ伏せ、右の幻肢を鏡の中で動かしてヴィクへと飛ばす。

 鏡で相手のアストラル体を確認しながら、幻の一撃を放つ。

 しかし。


「打撃が軽いですよ」


 灰色の瞳が妖しく輝く。

 発動した邪視はコルセスカの氷柱を、俺の右の幻肢を不可思議な力で絡め取ると、その矛先を逸らし、妨げ、跳ね返してしまう。


「この邪視、どこかで――?」


 コルセスカが訝しげに呟きながら自らも邪視を発動させる。

 凍結の視線が正体不明の灰色の視線と激突する。

 鏡の中を確認すると、二人の目から放たれた青と灰の光線がぶつかり合い、拮抗する光景が映し出されていた。


 邪視戦闘に集中するコルセスカの身を守るべく前に出る。

 使役される死人の集団を俺とゼドが破壊して、ヴィクが唱える呪文をゼドが高位の呪文で相殺した。


 ゼドの意識に焼き付けられている呪文は使い切りだ。

 長引けば真っ当な呪文使いには対抗できなくなる。

 傍らで戦うゼドから陰鬱な呟きが漏れた。


「邪視者で言語魔術師、更に支配者か。面倒なことだ」


 ヴィクは複数の系統に秀でた呪術師だった。

 そう珍しいことでもないが、コルセスカと渡り合い、俺とゼドを同時に相手取れるほど各系統に習熟しているとなると話は別だ。


「あら。杖が苦手だなんて言ったかしら」


 屍の魔女は薄く微笑む。

 壮絶な悪寒。

 俺が幻肢を伸ばし、ゼドが呪文と銃弾を叩き込むが、波濤のように押し寄せて分厚い壁を作った死人の軍勢によって阻まれる。


「私の軍勢は、私の手足と同じ。装着――【鎧骨がいこつ弐式】」


 骨の渦の中から、異形の鎧を纏った魔女が姿を現す。

 それは文字通りの外骨格だった。

 無数の骨が連結し、組み合わさり、緻密な計算の元に呪術工学的に加工された結果として死人使い流の強化外骨格を形成していく。


 屍の筋繊維が各所に張り巡らされ、細い手足を外側から包む白い骨は機械的に駆動して滑らかに魔女の身体能力を拡張。

 背後の背骨から伸びた鋭角の肋骨に包まれた金髪の美女が、複雑怪奇な筋繊維に拘束されていく。


 緊縛された肢体が躍動する度に彼女より一回り大きな外骨格が威圧的に駆動していく。巨大な頭蓋骨が兜となって異相を覆い隠して、眼窩から覗く灰色の瞳が強く光り輝いた。

 

 足が踏み出される。彼女本人の足は外骨格の膝までしか無く、その先は拡張された異形の脚だ。人とは逆側に折れ曲がった獣のごとき脚部が床を蹴り抜いて、凄まじい機動力を見せる。


 圧倒的な質量。既に俺やゼドを上回る体格となった外骨格の魔女が巨大な拳を空中で振りかぶった。

 腕は鈍器そのものだ。


 肘から飛び出した長大な骨杭が高速回転を開始する。

 俺たちはその一撃をかろうじて回避。撃ち込まれた拳は床を粉砕。

 更に肘から伸びた回転する骨杭が腕の中に押し込まれ、極大の衝撃が床を割り砕いて高く持ち上げていく。


 巨腕から伸びた骨杭が快音を鳴らしながら腕の中を通過して戻っていく。強化外骨格によって強化された腕力に加えて、両肘から伸びた太い杭が更なる衝撃を叩き込むという身も蓋もない物理的暴力。


 四大系統全てに秀で、近接戦闘においても怪物じみた実力を発揮する。

 【死人の森の女王】ディスマーテル・ウィクトーリアは他の副長と比較して、明らかに別格だ。


 英雄が放つ呪文と銃弾、邪視と氷柱を悉く回避し、防ぎきっていく。凄まじい機動力で大跳躍を果たし、横薙ぎに振り払われた拳がゼドを直撃。

 吹き飛ばされたゼドは壁に激突した。巻き上がる骨片と粉塵が視界を妨げる。


 ヴィクは俺が踏み込みと共に放った左の掌打を真正面から受けきり、右から伸ばした幻肢の拳を詠うような呪文で弾く。

 幼子に聞かせるような子守歌のような響きに意識が薄れそうになり、敵の目の前だというのに無防備な姿を晒してしまう。


 そこに横合いから叩き込まれる氷柱と凍結の視線。

 コルセスカの全力攻撃を、しかしヴィクは意にも介さない。


「駄目ですよ、そんな抑えた邪視は私には通用しません。周囲を傷つけることを気にして全力が出せないのですか? 誰かの世界を侵すという傲慢無しに、邪視者は力を発揮できない。貴方は向いているのに向いていない――優しすぎるのかしら」

 

「知ったような事をっ」


 激突する青と灰。

 ヴィクの余裕に満ちた表情が、やがて退屈そうなものに変わる。


「世界の構築も、神としての高みに至る事も、神話の再生も、貴方ほどの力があれば容易いことでしょうに――なんて不自由な邪視なのかしら」


 灰色の光がその勢いを増していく。

 そして、遂に青い光が吹き散らされた。


「己の甘さを悔い、苦しむといいでしょう。第一浄界――【ステュクス】」


 強化外骨格の背後に異形の世界が顕現する。

 世界を塗りつぶしていく異質な光景。

 目の前には悠久なる青い大河が流れる見知らぬ空間。

 足下は迷宮の床ではなく河川敷になっている。


 俺たちは、いつのまにか幻想的な絵画の世界に入り込んでいた。

 更に、大河がぶくぶくと泡立ったかと思うと、無数の泡が浮上していく。

 水面の上が水中であるかのような超現実の光景。

 泡が弾けると、そこから夥しい数の死人が溢れ出していく。


 無数の屍が次々と積み重なり、腐肉と白骨で構成された見上げるような巨人が川底から立ち上がった。

 屍の巨人を背にしたヴィクが、酷薄に告げる。


「アクセス――我が【アーカーシャ】」


 世界の創造、巨人の出現、それらの脅威すら吹き飛ばすような、圧倒的な力が顕現しようとしていた。

 雲が引き裂かれ、差し込む光が柱のように世界を照らしていく。


 天上から現れたのは、認識を超越した輝かしい『何か』だ。

 ただそれが途方もなく美しく、神々しいということだけが理解できる。 

 ヴィクのように尖った耳と、この世に存在するありとあらゆる種族の身体的特徴を兼ね備えた異形。鳥の羽と虫の翅が美しく羽ばたき、猫のような犬のような顔が曖昧に微笑み、複眼の美女が雄々しい咆哮で歌う。


 空間を引き裂いて巨大な全身を僅かに覗かせたのは、機械仕掛けの三角錐。中央の光学素子を瞬かせ、多関節の三本の手が何故かぼろぼろに破損した全身を絶えず自己修復していた。


「あ、貴方は帰っていいですよ」


 ヴィクの言葉に従って、傷だらけの鋼鉄が空間の裂け目の奥へと戻っていく。何しに来たんだ。


 そして最後に大河の泡が一斉に弾けた。

 水底から屹立したのはフラクタル図形の騙し絵じみた男根である。

 スポンジ状の巨大な生殖器が、二次元以上三次元以下という異様な全身から水滴を滴らせて浮遊する。


 陰嚢があるべき場所からは数千にも及ぼうかという無数の乳房が垂れ下がっている。その中からは白い髭を長く伸ばした老人、年若い青年、清らかな乙女の巨大な顔面が飛び出しており、全員が目を閉じて眠りについていた。口から溢れている大量の泡は涎なのだろうか。


 圧倒的な存在を降臨させたヴィクを見て、どうにかダメージから立ち直ったゼドが、そしてコルセスカが愕然としていた。


「まさか、第八階梯の邪視者なのですか――?」


「信じられん、紀元槍にアクセスして古き神を使役するなど、人間業ではない。これが古代の言語支配者の力だというのか」


「あー、質問なんだが、これまともにやり合って勝てそうか?」


 問いに、二人の英雄が沈黙する。

 事態の深刻さを悟って息を飲んだ。

 くすくすと笑うヴィクの声は、状況の危険性とかけ離れていて、かえって不気味に感じられた。


「時よ」


 切り札の発動。

 光となって駆け抜けたコルセスカが瞬きの間にヴィクの目の前に到達した。

 【氷球】が三叉槍に変じて屍の魔女の頭部を貫き、胴を引き裂いていく。

 しかし。


「私が統べる生と死は紀元槍から伸びた枝のひとつ。私という存在は、紀元槍から実世界に投射された影に過ぎません。今の私を倒したければ、紀元槍にアクセスする他に手段はありませんよ」


 無傷。

 致命傷を与えたはずの神速の攻撃は悉く無効化されていた。

 強化外骨格の一撃がコルセスカの腹部を穿ち、屍巨人の振り下ろした腕が小さな身体を大地にめり込ませ、神々しい存在が光そのものとしか言いようのない理解を絶する力の塊を放射し、異形の生殖器が無数の泡を飛ばして爆発させていく。


 時間の止まった世界で自分一人だけが動くことができるというコルセスカの能力。その力を持ってしても、死ぬ事を知らない怪物たちに手も脚も出ない。

 凍結の邪視は無効化され、圧倒的呪力と物理力が冬の魔女を翻弄する。


「ゼド、手はないか」


「殺す以外の方法を考えた方がいい。狙うとすれば女王本体だ。発動している浄界と巨人化と紀へのアクセスを妨害すれば活路が開けるかも知れないが――」


「相手が使ってるのは邪視の一種なんだよな? ってことは同じ系統の右手で殴れば通用するんじゃないのか」


「そんな単純な話では――いや、待て。それは【雪華掌】の欠片の一つだったな。紀元槍の制御盤であれば、紀元槍へのアクセスに割り込みをかけることができるかもしれん。問題は、あの怪物がそんな隙を見せてくれるかどうかだが」


「無いなら作るまでだ。ゼドは後方支援を頼む。俺が懐に飛び込んで直接右手を叩き込む。多分、感覚的に何を打撃するべきかは分かると思う」


 素早く打ち合わせを済ませて、迅速に行動を開始する。

 走り出す。俺には分からない感覚だが、この右腕はコルセスカの直観を反映して動く呪術の義肢だ。ならば、コルセスカの判断に任せておけば何となくで目標を狙えるはずだ。


 閃光のように怪物たちと激戦を繰り広げるコルセスカがこちらの動きに気付いて、大きく動いて敵を引きつけてくれる。

 屍巨人と神々しい何かはそちらに移動したが、眠り続ける生殖器が無数の泡爆弾を飛ばしてくる。ロドウィが使用していた呪術と似てはいるが、その数、破壊力共にこちらの方が遙かに上だった。


 夥しい数の泡が壁のように目の前に広がる。

 そのまま突っ込めば全身を爆圧で吹き飛ばされるだろう。

 窮地に置かれた俺は、後退を選ばなかった。

 背後から、正確な支援が行われる事を確信していたからだ。


 無数の弾丸が真横に吹き付ける雨となって泡を貫いていく。

 目の前で一斉に爆発するが、その威力はぎりぎりで俺に届かない。

 鏡ごしに背後を確認すると、ゼドが弾幕を張っていた。


 左手の拳銃が、形状を変貌させていた。

 質量そのものすら歪める呪具特有の変形機構。

 ゼドは機銃から大量の銃弾を掃射して面での火力制圧を行う。


 本来は相手の行動を制限するための支援射撃だが、今は俺を襲う泡を吹き散らす盾となってくれていた。


「ヒャッハー! 俺様の【喜銃】は今日もご機嫌だぜーっ! オラ、何もたついてんだアキラ、さっさと突っ込まねえとテメエのケツを穴だらけにしちまうぞっ」


 鏡の中に映し出されたゼドは、先程までとは表情も言動も別人の様だった。

 古代の呪具を使用したことによる反作用らしいが、いつ見ても面食らう。

 ゼドが切り開いてくれた道を走り、強化外骨格を纏った魔女に肉薄する。


「接近すれば勝てるとでも?」


 自信に満ちた言葉と共に、巨腕の一撃が繰り出された。

 鉄槌のような打撃が地面を粉砕し、続いて撃ち込まれた骨杭が肘から腕先へと抜けて大地を爆発させていく。


 圧倒的な破壊力によってクレーター状に陥没したその場所から飛び退るが、人を超越した機動力によって瞬時に俺の背後に回り込んだヴィクが右腕を振るった。

 質量攻撃と同時に呪文と邪視が襲いかかり、両腕を交差させてかろうじて防御する。余りにも凄まじい呪力に耐えきれず、全身が悲鳴を上げる。


 左手の車輪を回転させて攻撃を受け流す。

 トリシューラが傍にいない為に全力の起動が出来ず、三割ほどの出力だが、それでも一番義肢【ヘリステラ】は優秀だった。


 車輪チャクラの女王の異名のままに体内のエネルギーを整え、ロスを最小化し、効率よく呪力を最適化する。

 そしてサイバーカラテ道場から特定の戦闘データを呼び出して次々に参照。義肢の動作制御システムにそれらのデータ群を反映させて、ある特定の戦術を実行。

 

 視界の隅に、縮小されたカーインの姿が表示された。

 その力強い動き――見た目にわかりやすい外力を超越した体内を循環するエネルギーを摸倣する。


 強化外骨格による凄まじい暴威が俺を襲う。

 気息を導引し、全身の血流に酸素を取り込むと、冷たい心でそれを迎え撃つ。

 両手を螺旋を描くように動かして、極大の衝撃を受け流す。


 目標を見失ってバランスを崩した巨体の脚部を狙って蹴りを放った。

 関節部への衝撃でよろめいた強化外骨格の背中に左掌を叩き込み、回転する歯車が内部へとエネルギーを浸透させて骨にダメージを与える。


 文字列の奔流と鋭い眼光を右の幻肢で掴み、力に逆らわず軌道を変えた。

 呪文と邪視がぶつかり合って消えていく。

 ヴィクの強大な呪力が自ずから衝突して相殺されたのだ。

 灰色の目が、驚愕に見開かれる。


「まさか――内功?!」


「こういうのは、カーインの専門なんだがな」


 小さく呟いた。

 この世界では、内功とは呪術的な裏付けと明確な定義が存在するれっきとした呪的現象である。

 新生したサイバーカラテは、そうした体系をも取り込んでいく。


 門外不出とされる技だが、カーインとの度重なる立ち会いはサイバーカラテに『呪力を用いた戦い方』のデータを蓄積させていた。

 呪的発勁。普段は主たる魔女二人の呪力を外力として発する技だが、いまこの瞬間だけ、俺の女性的な肉体から生まれる呪力を用いて内功と成す。

 

 類似は呪力を生む。

 乳房――すなわち女性の形は、陰の気を発して俺の体内の経絡を循環していく。

 陽に対する陰とは、すなわち剛に対する柔。


 俺は人工乳房を利用して肉体を女性であると偽り、見よう見まねで陰の気を操作することで内功による柔法を体得していた。

 強化外骨格を纏った敵に、単純な『剛』の力では勝てない。

 ならば外力で対抗するのではなく、内力で対抗するまで。


 今なら見える、感じ取れる。

 ヴィクの身体に見える膨大な陰の気。そして、その身体を取り巻く強化外骨格は男性の骨と筋繊維によって構築された陽の気によるものだ。


 彼女は陰陽の気を調和させることで、物理・呪術両面の圧倒的戦闘力を発揮できていたのだ。

 

「駄目、ちゃんとした修練も無しに付け焼き刃の内功を用いれば、それは貴方の身を滅ぼしてしまいます! 魔道に堕ちて悪鬼と化すか、最悪の場合は経絡が破壊されて全身不随になってしまいますよ! すぐにやめて下さい!」


 必死になって叫ぶヴィクは何故かこの期に及んで俺の身を案じている。

 鼻で笑って否定した。


「知ってるよ。知り合いにただ真似しても身を滅ぼすだけだって言われてるんでな。だから、代償は受け流して踏み倒す」


 右側の人工乳房が、高熱で溶けてぽろりと剥がれ落ちた。

 左手の力でエネルギーの反動を一点に集中させ、切り離したのだ。

 踏み込んで、全身を循環する内力を左右の掌に集約させる。

 負荷を残る左胸に押しつけて、最後の一撃を放った。


 交差する左腕と強化外骨格の右拳。

 回転しながら叩き込まれた骨杭が背後に抜けていき、受け流された力が大地を無意味に粉砕する。


 懐に飛び込んだ俺は多面鏡に包まれた右拳を無数の肋骨の隙間に潜り込ませ、屍の魔女へと幻肢の掌打を叩き込んだ。

 人工乳房が弾け飛ぶと同時に、幻影の一撃が鏡の中で魔女のアストラル体を貫いていく。砕け散る氷の鏡。


 非現実の世界で炸裂した俺の内力がヴィクの気息を乱し、経絡を流れる膨大な陰の気を妨げていく。

 灰色の瞳が揺れ、形の良い唇と剥き出しの歯から唾液と呼気が漏れ出ていった。


 完全な調和が崩れ、強化外骨格が砕け散る。

 更には異界の光景が一瞬で掻き消され、屍の巨人や神々しい異形たちもまた幻であったかのように消え去った。


 崩れ落ちた金髪の魔女を前にして俺は拳を固める。

 駆けつけたゼドが銃口を向け、コルセスカが三叉槍を突きつけた。

 形勢は完全に逆転していた。


 ――にもかかわらず、ヴィクは余裕に満ちた表情で俺を見上げると、うっとりとしたように言葉を発する。


「素敵。とっても痛くて、感じましたわ」


「何を」


「今日はここまでにしておきましょうか。軽い挨拶のつもりが長くなってしまいましたし――」


「逃がすと思いますか」


 コルセスカの冷ややかな声。

 突きつけられた三叉槍の穂先が凄まじい冷気を放ってヴィクの頭部をゆっくりと凍結させていく。


「ええ。だって私、あの子に『必ず帰る』と約束しましたもの。私の約束は、絶対に破られることが無いんですよ?」


「何を言って――まさか」


 コルセスカが何かに勘付く。

 同時に、ゼドが右の拳銃を発砲した。

 至近距離で放たれたライフル呪石弾は、圧倒的な物理・呪術両面のエネルギーによってヴィクの頭部を原型すら留めず破壊する――かに思われたが。


「浄界、軍勢、化身――各系統の奥義を一つずつ見せたのです。折角ですから呪文の奥義、頌歌の力もご覧になって下さいな」


 ヴィクの全身を、夥しい数の文字列が取り囲んでいた。

 あらゆる破壊力を無効化する障壁。

 ゼドの銃弾も、俺の拳も、コルセスカの邪視も、全てが意味を成さない。


「私が誰かと交わした約束、誓願の類は決して破られない。絶対遵守の呪い――未来転生者としての私固有の能力です」


「未来、転生――?」


 意味の分からない言葉。

 だというのに、それは異様な圧力で俺を縛り、惹き付けた。


「ありがとうございます。貴方がキロンを倒してくれたお陰で、私はこの権能を取り戻すことができました。一度油断して殺されてしまったんですけど、蘇生したら無くなっていて困っていたのです」


「な――」


 キロンに殺された、転生者たち。

 その中に、この不死者が含まれていたというのか。

 その上、未来転生者?


 つまりそれは、異世界や過去を前世とするのではなく、未来を前世とする存在であるということなのか。

 まるで、時間を遡ったとでも言うような発言。

 ヴィクは内心の読み取れない曖昧な微笑みを浮かべて、俺に言葉を投げかける。


「それでは、私はお暇しますね。陽動は済みましたし――あちらも首尾良く仕事を終えている頃でしょう。さようならアキラ様。またお会いしましょう」


 屍の魔女の全身が光に包まれて、次の瞬間には消失する。

 残された俺たちは、呆然と地下迷宮に佇むばかり。

 やがて、コルセスカが何かに気付いた。


「アキラ、地上に出てトリシューラと連絡を。あちらが襲撃されている可能性があります!」


 そうだ。

 ヴィクは陽動と口にしていた。

 それはつまり、俺たちという第五階層における最大の戦力を釘付けにすることで、トリシューラを助けに向かわせる事を妨げたということではないのか。


 コルセスカの先導に従って地下迷宮を脱出し、端末と思考の両方でトリシューラへの連絡を試みる。

 胸に冷気が広がっていく。


 まさかとは思う。

 あのトリシューラが、そう簡単に敗れるはずがない。

 だが、彼女がひどく脆い一面を持っている事もまた、俺たちは良く知っていた。


 普段冷静なコルセスカの顔に浮かぶ焦燥が、俺の表情を鏡として映し出しているようだと、場違いな感慨を抱く。

 共有する感情は、祈るようにただ一人の安全を願っていた。

 やがて、端末が事実を告げる。


(ふー、どうにか撃退したよー)


 立体表示されたちびシューラの幻像。

 俺たちは揃って胸を撫で下ろした。

 どうやら、彼女は無事に太陰で過ごしているらしい。


(さっき一次試験が終わったところなんだけど、借りてる部屋に残りの副長が二人同時に襲撃かけてきてさ。王宮の護衛団が頑張ってくれたお陰で撃退できたよ。ていうかいい度胸してるよね。密入国して王宮襲撃とか。まあ一日目の日程はこれで終わりかなー。初日はそこそこ点とれたよ!)


 朗らかに状況を伝えるちびシューラは、いつも通りの様子だ。

 遠隔地であるため、ヴィクによって封じ込められた俺の脳内ちびシューラは暫く復旧できないらしい。トリシューラ本体との同期も切れたままだ。


 その代わり、立体幻像のちびシューラをいつでも端末から呼び出せるということなので、何かあればそれで連絡して欲しいとのことだった。

 お互いの状況を伝え合い、情報を共有して今後の方針を定める。


 新たな敵、ディスマーテル・ウィクトーリアはこれまでの副長たちよりも一段上の使い手だった。さらに、まだ底が見えない。

 他の副長たちも陽動と同時襲撃という絡め手を使ってきた。

 そして、彼らを統べるグレンデルヒ=ライニンサルは未だに姿を見せていない。


 【変異の三手】と【死人の森】が手を結んでいることも確定し、対立の構造はより明確になったものの、どこか先が見えないような不吉さが残っている。

 リールエルバが言っていた、俺に対してクラッキングを仕掛けることで言震を引き起こせるという事実も無視できない。


 当面はコルセスカが巡槍艦に留まり、【マレブランケ】も何人か呼んで交代で警護に当たらせることになった。

 トリシューラが帰還したなら、すぐさま対【変異の三手】の作戦を実行しなければならない。


 守っているばかりでは勝てない。

 こちらから打って出るのだ。

 心強い事に、ゼドが協力を申し出てくれた。


「部下にあちらの動きを探らせる。俺は暫くそちらの艦に厄介になるが、いいか」


 願ってもない事だった。

 敵は四英雄の一人に古代の言語支配者だが、こちらにも四英雄は二人いる。

 トリシューラさえ無事ならば、万全の体勢で反撃が行えるだろう。


 戦意を高めて、俺は来るべき決戦の光景を思い描いた。

 いつも通り陰気に、しかしどこか不敵に笑うゼドが手の甲を差し出してくる。

 俺は右の義肢を出して、手の甲を打ち合わせた。

 と、そんな俺たちに冷ややかな声が投げかけられる。


「とりあえず、アキラは服を着て、ゼドは着替えるといいんじゃないですか」


「あ」


 俺たちは間抜けにお互いの姿を確認した。

 全裸男と女装男が、娼館から飛び出して手の甲を合わせているという珍妙な光景。花街を行く人々は好奇の視線で念写を繰り返し、「猟犬が」とか「盗賊王と」とかいう言葉がひそひそと囁かれている。何を噂されているのだろう。


 ぼろぼろのロリータ服(的な何か)を着た冬の魔女の姿が念写され、おそらくは即座にアストラルネットにアップロードされる。

 俺たちは、揃って溜息を吐いた。

 全く持って締まらない、それがその夜の結末だった。


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