4-12 黒百合館



 娼妓というのは男性と女性ばかりではない。

 どちらでもない性の需要も存在している。

 俺に声をかけてきた街娼は、ひどく小さく、そして可愛らしい姿をしていた。


 というかあやうく踏みつぶす所だった。

 足を軽く引っ張る、黒い布を纏った姿。

 かがんで両手に乗せると、フードの奥で光る目をこちらに向ける。


「あきらー」


「ああ、うん。俺がアキラだけど、何か用事でも?」


「おきゃくー?」


「うーん、ちょっと今は用事があるから無理だ。悪いな」


「きもちよくする? できる? わるいよーにはしない?」


 会話していると妙な罪悪感が生まれて即座に冷たさと共に消えていく。

 恐らく、正規の認可を得た成人の筈なのだが、それでも俺の中の『常識』がこの小さな街娼と性的な事柄を結びつけることを拒否しているのだ。


 黒衣の裾に隠れた小さな手を一生懸命に振り回して意思を伝えようとする小さな生き物は、夜の民――それも地上で最も数が多い、青い鳥ペリュトンという種族らしい。


 呪術的な事情により姿を隠しており、その実体は不定で影のような存在だとか。

 アズーリアや店員さんがこの小さな生き物と全く同じ種族だと聞いた時は何かの聞き間違いかとも思ったが、本当らしい。


 地上――特に槍神教のお膝元であるアルセミットでは全身を覆い隠さなくてはならないらしく、夜の民といえばイコールで黒衣らしいが、地獄では店員さんのように薄いヴェールでもいいらしい。他にもスカーフとか、文化や宗派によってバリエーションが有り、中には全く隠さない者もいるようだ。


「がんばるよ?」


「いや、頑張られても」


 多分、この両腕の義肢という特徴が知れ渡っているせいで、声をかけられたのだろう。店員さんに好意的なことが『夜の民好き』という印象を広めている可能性も否定できない。いや、確かに可愛いとは思うんだけど。


 身長が小さい系統の種族には年齢という制限をアレしたアレな需要があるので、それなりに客は途切れないと聞いている。

 とはいえ、正直俺にそういう傾向は無い。無い、はずだ。


 夜の民の、とりわけ青い鳥氏族は平均身長が極めて低い。その幅は広く、俺の直観で把握しやすいメートル法で言えばなんと最小で十センチほどの者もいるという。今まさに俺が掌の上に載せている人物も羽のように軽く、人形のようにちんまりとしている。


 百四十センチで長身と呼ばれるらしいから、相当なものだ。

 ある種の小人にも近いのかもしれない。

 なんでも『変身』すると大きさは一気に膨れあがるらしいが、ちょっと物理法則を無視し過ぎだと思う。まさに呪術世界の生命体といった感じである。


「えっとねー、こどもじゃないよ?」


「ああ、うん。悪いな、そういう風に考えないようにしてはいるんだが。失礼な態度をとってしまったなら申し訳無い。侮辱するつもりはないんだ」


「おとなっぽいほうがすきー? 『のっぽのアズーリア』のまねとかするのー?」


 どうやってこの無垢っぽい相手を傷つけずに断れるものやら、と考えていた所、思いも寄らぬ名前が出てきて硬直する。

 甲冑に包まれてなお小柄な身体を、抱えて夜の森を疾走したことを思い出す。

 驚くほど軽く、硬質な感触。


 恐らく内側のアズーリアの身長は、百五十センチメートルにも満たないだろう。

 だが、それでも青い鳥としては頭抜けた高身長なのである。

 店員さんもジャッフハリムでは双子の姉と並んでギネス記録の保持者らしい。


 青い鳥は基本的に前衛に向かないと聞いた時、かつて第五階層で見たアズーリアの勇猛果敢な戦い振りを思い出して信じられない思いだった。

 が、単にアズーリアが特殊だっただけのようだ。


 掌の上に乗った夜の民はそれには遠く及ばない体格だが――しかし自在に変身できるのなら体格ぐらい自由自在なのかもしれない。

 何か複数人で合体して巨大化するとか分裂するとかいう噂も聞いたことがあるし、本当に謎種族と言う他無い。それはともかく。


「真似、できるの?」

 

「できるー! えーゆーのまね、がんばる!」


「そっかーがんばるかー」


「するー?」


「んー」


「んー?」


「あー」


「ほえー?」


「えーっと」


「ふにー」


「よし!」


「何が『よし』ですか」


 冷ややかな声と共に後頭部を叩かれた。

 振り返ると、絶対零度の視線。やめろ、凍る凍る死ぬ。

 青く輝く氷の瞳で顔の右半分を覆った異相の少女。

 異形の美しさを誇る、冬の魔女コルセスカがこちらを睨み付けていた。




「全く、私とトリシューラが不在の隙を狙ってこんな所に足を運ぶなんて」

 

(ほんとほんと。サイテー)


 夜の民の誘いを断った後、コルセスカと並んで歩きながら俺はひたすらお叱りの言葉を受けていた。ステレオで。


(やっぱ去勢だよ去勢。ちょんぎっちゃうよ)


「やはり一度しっかりと私が躾けた方がいいでしょうか。そもそも、最初は徹底的に調教しようと思っていたのです。ここは一つ初心に帰ってみるのもいいのでは」


(大丈夫、潰したり捨てたりしないから)


 コルセスカとちびシューラが怖いことを言っている。

 ていうか、ちびシューラはそれでどうするつもりなんだよ。


(え? それは、お部屋に保管しておくけど)


 トリシューラの執務室に大量に保管された、人体部位の数々。

 その中に、俺の一部が浮かぶ光景を想像し――思わずぶるりと震える。


「今の鍵だけでは不十分ですね。もっと厳密な、生理的なレベルでの管理が必要です。今まではやり過ぎかと思って容赦していましたが、視界のフィルタリングも実行しましょう。それか、一定の欲望を抱いた場合に相貌失認に陥らせる呪術というのもありでしょうか――?」


 やばい、こいつらは本気だ。

 話を逸らすべく、こんな所にいてもいいのか訊ねる。

 たしか、サリアのご機嫌取りと探索で忙しいのでは。

 

「サリアはアルマに預けてきたので暫くはこちらに滞在できます。あの子の狂気もたっぷり吸ってきたので、当分狂乱することも無いでしょうし」


「そうか、それは良かった」


「ええ。ですから、ずーっと一緒にいられますよ。貴方のそのだらしない獣のような本性を躾けて馴らして、『いい子』に調教してあげます」


 ぞくりとした。

 こちらを覗き込む、俺より少しだけ低い位置にある青い目が、ひどく不気味な光を放っているような気がしたからだ。


「えっと、コルセスカ?」


「なんですか?」


「何か、いつもと雰囲気違わないか? 何かあった?」


「何かあったか、ですって? ええありましたよ。私のことを先に選んだくせにあっさり乗り換えた上に二股をかけるひどい人が、その上でまたしても浮気を繰り返すなんてことが」


 陰気に、恨めしそうに――どこか、心を病んだかのような声と表情で。

 コルセスカが、ぶつぶつと呟く。


「いや、その件についてはほら。話がついたというか、全員で合意に至ったというか、そういうことだった、よな?」

 

「でも、飽きたんでしょう」


「いやそんなわけが」


「どうせ偽物の人狼や偽物の吸血鬼なんかじゃなくて、本物の夜の民である青い鳥がいい、とか思ってるんでしょう。触手ですか。そんなに触手がいいんですか」


 なにを言ってるんだろうこの人。

 触手って何のこと?


「全部委ねて信じて心を開いて何もかも許してくれるって受け入れてくれたくせに感情を預けて一緒に共感して共有してずっとずっと一緒にいてくれるって仲間になってくれるって言ったくせに使い魔だって言って血を吸わせてくれたくせに地獄の底まで付き合うって約束してくれたのにどうしてですかねえやっぱり最初にちゃんと調教しておかなかったのが間違いの元でもっとしっかり管理して管理して管理して秒刻みで何もかも把握しておかないと――」


「待て待て待て、本気で今日のコルセスカはおかしい! 何か変なものでも喰ったんじゃないのか?」


 そういえばさっきサリアの狂気を吸ったから大丈夫とかなんとか言ってたな。

 それか。それだ。

 本当に変なものを吸っていたというわけだ。


 だが、ちょっと待って欲しい。

 じゃあ何か。

 サリアとやらはこんな感じだということなのか。

 ――うわあ。


「よし、コア。ちょっとこっち来ようか。中和しよう中和」


「躾けて馴らして調教、躾けて馴らして調教――」


 虚ろな瞳のまま呟き続けるコルセスカの手を引いて、人気の無い路地裏の物陰に連れて行く。

 しばらくして、服の胸元を直しながらぐったりとした俺と頬に赤みが刺したコルセスカが表通りに戻ってくる。


「何でしょうね。今なら世の中の何もかもが許せそうな気がします。悟りを開いた賢者というのはこういう心境なのでしょうか」


「――それは良かったな」


 あー、けっこうごっそり吸われたな。水分補給したい。

 しかし、サリアとやらの狂乱の度合いはそれほどだったのか。

 狂乱っていうか、妄執?

 

 吸われている間、なんかコルセスカの牙を通して害虫駆除とかいう恐ろしい単語が聞こえてきたのだが。

 幸い、そうした意思はそのままコルセスカに影響を及ぼすのではなく、『調教』というやや歪んだ愛情として発露されるらしい――幸い?


 俺の感情や感覚が余りに流れ込み過ぎるとコルセスカ自身の意思にもある程度の影響が出るようなので、気をつけないといけない。

 こうしてみると、コルセスカにせよトリシューラにせよ、他人の影響を受けやすいという点で共通している。


「とりあえず、落ち着いたようでなによりだ」


「ええ。でも、夜の民が好きなのは否定しないんですね?」


 沈黙。

 コルセスカは軽く吹き出して、冗談です、と言った。

 その口調に、病的な響きは既に無い。


「わかってます。貴方にとって、特別な相手ですからね。構いませんよ。私たちは似ているけど別物で、偽物で――だからこそ、こうして一緒にいられるのかもしれません」


 それから、少し寂しげに続けた。

 俺は口を開こうとして、コルセスカにそれを制止される。

 俺に、何かを否定させないために。


 コルセスカは俺の感情を、気持ちを全て理解している。

 そしてその全てを受け入れて、肯定してくれるのだ。

 時にそれはひどく残酷で、痛みを伴う。

 一方的に、彼女だけに苦痛を強いる繋がり。俺はただ、冷たさしか感じない。


「いいんです。それに、本当は不実さということで責められるべきは、私です。『一番』が別にあるという点では、私は貴方を責められないから」


 何を言えばいいのか、わからなくなった。

 『それ』にどう向き合えばいいのか、俺自身答えが出ていないからだ。

 沈みかけた空気を吹き散らすように、コルセスカが朗らかに言葉を繋ぐ。

 どこか、無理のある響きの声だった。


「しかし、まさかあのアズールがアキラの恩人のアズーリアでおまけにあの時地上で出会った夜の民の方で知らない間にサリアの友人になっていて最終的にはハルベルトの使い魔になるとは」


「世間狭いなー」


「トリシューラは確実に気付いていたはずですが――あの子の思惑も相変わらず不透明ですね。まあ昔の号がノーレイなのでらしいと言えばらしいですが」


 適当に雑談を交わしていると、それなりに調子が戻って来た。

 やはりコルセスカとどうでも良い会話をしていると落ち着く。

 意味も無く目的地も見えない、会話をすることが目的の会話。


 現在、俺が【変異の三手】の暗躍について調査しているのだと言うと、自分も協力すると申し出てくれたのでありがたく手を借りる。

 コルセスカといれば、そうそう負けることは無いだろう。それこそキロン並の強敵が現れない限りは。


 コルセスカはそれに、と補足するようにして付け加えた。


「私にとっても、【死人の森の女王】は因縁のある相手ですから――というか、因縁のある可能性がなきにしもあらずというか」


「要領を得ない説明だな」


 コルセスカは端末を弄りながら、何かを検索し始める。

 やがて検索結果が出ると、立体投影してこちらに示してきた。


「一説によるとですね。私の元ネタである【冬の魔女】は【銀の森の魔女】とも言われているらしいのです。その【銀の森】、かつては【死人の森】と呼ばれていたとか、いないとか」


「どっちだよ」


 ていうか元ネタって。

 いや、伝承を元に人工的に作られた魔女だってことは知ってるけど。

 確か、神話の魔女だったか。


「それが、諸説有りまして。創作と史実がごっちゃになっていて、おまけに【大断絶】による大地の分断などでその森は失われています。検証が既に不可能な伝承なのです。この第五階層の裏面である【死人の森】を探索すれば、何かわかる可能性はあるのですが」


 【神話の魔女】らしい話ではあるのだが、なんというか――。

 しかし、そうなるとコルセスカまで関係者ということになる。

 元々キュトス、そして地母神という線で繋がっていたわけだが、それがより一層強固になった形だ。


 暫く二人で花街の奥、より入り組んだ路地裏の方へと進んでいく。

 監視用ドローンが巡回しているため迂闊に違法なことは行えないが、その目をかいくぐって素早くことを済ませる連中というのは確実に存在する。


 ゼドからもたらされた情報を頼りに二人で目を光らせ、それらしい動きをしているものを捕まえる。

 最初は尾行するつもりだったが、コルセスカがいるのでより確実な手段が使えた。つまりは催眠術による誘導だ。


 義眼の輝きに魅せられた薬の売人は、まるで本人が薬物漬けになったかのような足取りで俺たちを案内する。

 すると、意外な事にその人物は表通りに出た。

 花街の、とりわけ華やかな一帯。


 そこではレオと友好関係にあるティリビナの民たちが植樹系の呪術露店や花屋といった商売をしている。この歓楽街を明るく彩るために必須となる一画と言えた。

 贈り物、飾り、果ては催淫作用がある呪術の花まで、その需要が途切れることは無い。この通りは、文字通り花に満たされた場所である。


 その、絢爛豪華な通りの一番奥、非常に目立つ場所に、その建物はあった。

 咲き誇る黒紫。

 それを美しいととるか毒々しいととるかは人によるだろうが、俺にはその色彩が魔性を宿しているように思えた。


 強烈な薫りが漂う小さな前庭の奥にある、漆黒の館。

 黒百合に満たされ、黒曜石の柱が厳かなその建物は、ごく自然な佇まいでそこに存在していた。


(んん? あれ? こんな公営娼館、認可してたかな――セージに任せてたやつだと思うんだけど、おかしい感じがする。アキラくん、ちょっとそこ気をつけて。あと、調査お願いできる?)


 ちびシューラの要請に従って、建物の中に潜入することが決まった。

 公的な手続きをすれば恐らく後ろ暗い所は隠されてしまうだろう。

 こんな風に堂々と店を構えているということは、よほど偽装に自信があるか、あるいはこちらのミスで全くの潔白かのどちらかだ。


 案内をさせた売人にはコルセスカが呪術的な発信機を付けて泳がせてみる。ふらふらと店の内部に客として入っていく男の視界は、現在コルセスカによってジャックされているらしい。


「んー、見た感じ、普通のアレなお店ですけど」


 平然としてるが、こういうの平気なのだろうか。

 なんかセクハラ強要しているみたいで申し訳無い。


「なんとなく、地下に呪力があるような感じがします」


「コルセスカの勘って要するに邪視の応用だろ? かなりの確率で黒だよな」


「おそらくは。ただ、視界を乗っ取っただけだとちょっと中の様子がわかりづらい――というかこの人、女性の身体ばかり見るので建物内の状況が掴みづらいといいますか」


 まあ、それはそうだろうなあ。

 暫くすると、コルセスカの左の眉尻がぴんと上がって、頬が薄く染まる。

 咳払いして、若干目を逸らしつつ、


「とりあえず、得られる情報はもう無いだろうと判断して中断しました」


 ああ、始まったんだな、と何となく察して、それ以上は追求しないことにする。

 本当はその後にどこかに連れて行かれるパターンもあり得るので出来れば窃視は続けて欲しかったのだが、まあ無理強いは出来ない。

 ということで俺自らが潜入しようというその時、待ったがかかった。


「アキラ? まさか普通に客として入る気ですか?」


「それしか無いように思うんだが」


「ほう」


「いやまて、邪視使うのはやめろ。凍って死ぬ。何もしない。調べるだけ、ちょっとだけ中に入ってどんな様子か調べるだけだって」


「中の具合を調べる――?」


「あ、何か今致命的な誤解が」


「幾ら私でも、そういう露骨な振る舞いは許せないのですが――?」


 などと一悶着あり、結果として。


「これで良し! 中々似合――わなくもないと、幻影呪術を駆使すれば強弁出来なくもない予感はあったりなかったりするかもしれません」


「無理があるだろこれ! 誰が得するんだよ!」


 女装させられた。

 ひどい。レオとかファルとかならまだ普通に少女で通用するのだが、俺がやるともう筆舌に尽くしがたい、というか目も当てられない惨状だった。やばい。


「落ち着けアキラ。あと臑毛を剃れ」


 俺の横に立つ長身の女装男が低い声で指摘する。

 普通に百八十センチはあるが、姿勢の良さと堂々とした姿がかえって様になっている。同じ女装男とは思えない。

 

「いやお前、探索はどうしたよ」


「延期だ。こちらを優先することにした」


 女装したゼドは陰気な声で答えた。

 更衣室と衣装はゼドが用意したものである。

 彼は変装術にも長けていて、特殊な化粧やら呪術の道具やらであっという間に女性らしくなってしまった。


 明らかに男の骨格、男の顔つきなのだが、『そういう女性』なのだと納得してしまうような説得力があった。立ち居振る舞いの問題なのかも知れない。

 失ったアプリを駆使すればなんとかなった可能性はあるが、今となっては無い物ねだりである。


 潜入先は男娼は扱っていない上に、今は娼婦以外の求人も無いようだった。

 従業員として潜り込むなら女装しかない。本当か。清掃員とかそういう潜入方法もあるんじゃないのかとコルセスカに問い質すと目を逸らされたので、多分半分以上楽しんでやっている。駄目だこれ。


 ちびシューラが即時に発行した偽造身分証を駆使して三人で面接へ向かう。

 というか、本当にいいのかこれ。


「コルセスカお前、めっちゃ楽しそうだな」


「いいえ? 念写して記念にとっておこうなんて思ってませんよ?」


「やめろマジでやめろ」


 と、ゼドが興味深そうに俺たちの馬鹿なやり取りを見ていることに気付いた。

 コルセスカは半眼でゼドを睨み付けて言った。


「何ですか。言っておきますが、あげませんよ」


「そうか。残念だ」


 何だ今のやりとり。

 二人は以前から迷宮で顔を合わせることが多く、旧知の間柄らしい。

 関係性は、あまり良くはないようだ。敵対しているわけではないので、場合によっては情報交換くらいはする、と言う程度の間柄だとか。


 コルセスカのことだから、『待望の盗賊キャラ!』とか言って仲間に誘っているかと思ったのだが、そう言ったら彼女にはひたすら嫌そうな顔をされた。

 何でも初対面が最悪だったらしい。


「この男、私たちが苦労して古代遺跡の守護者と戦っている隙にまんまと最深部に侵入して宝物を全て掠め取っていきましたからね。あれは流石に腹が立ちました。サリアなんて次に会ったら殺すとまで息巻いていましたから」


 流石にコルセスカはそこまで激怒しているわけではないようだ。

 それはそれで盗賊のロールとして正しいから、だそうだ。何だそれ。

 更には、ゼドの方でもコルセスカをあまり好んではいない様子で、


「火竜退治なんて狂気の沙汰だ。付き合う気は全く無い」


「と言いつつ、私が地獄で戦っている隙にジャッフハリムの宝物庫に忍び込む気なんでしょう」


「無論だ。やらない理由が無い。俺は四英雄の『寄生虫』だからな」


「いつか恨みを買って殺されますよ」


「その時は自慢の逃げ足の出番というわけだ」


 と険悪なやり取りが続く。

 本気で敵対する様子が無いのは、コルセスカが盗賊王の振る舞いに対して『それはそれであり』というスタンスであるためだが、他の四英雄には蛇蝎の如く嫌われているのがゼドという男だ。


 一方で、他の四英雄や松明の騎士団からしか成果を掠め取ることはしないので敵よりもむしろ味方が多いのも事実である。

 『富の再分配』だとか『義賊』だとか言って人心を掌握する術に長けているこの男は、やはり英雄であり『王』と呼ばれているだけのことはあるのだ。


 そんな風にして待っていると、従業員が現れて奥に案内された。

 面接が始まる。

 さて、このいい加減な女装で果たして潜り込めるのかどうか。

 俺は胸に人工乳房の重量を感じながら、小さく嘆息した。







 そして。

 闇の中に振り子の剣が現れる。

 誰もいないその場所で、切っ先は左に揺れ動き、不自然に傾いたまま止まった。


 やがて巨大な剣は消えていく。

 振り子が示す三人目は、既に動き出していた。

 静かに、密やかに、そして嗜虐的に。







 全員受かった。

 幻影呪術と催眠術の合わせ技というのが効いたらしい。

 どう見ても男二人に異形の義眼という取り合わせの新人が採用されるとは思えず、実際には強行突破になると覚悟していたので拍子抜けだ。


「大丈夫、表に出すプロフィールの念写映像は補正かけまくるから全員極上の美女に見えるわ。あ、コルセークは眼帯付けてフリフリの服着て――うんいいわね。この路線でいけるわ」


 面接の担当をしてくれたクレナリーザという少女は真顔でそんなことを言っていたが、まあどこも似たようなことはしているので詐欺だと目くじらを立てるようなことでもない。ちなみにコルセークというのはコルセスカの偽名である。


(公開されてる情報だと、正規の手続きを経て公社が承認した娼館だね。まっとうな感じがするけど、何か気になるんだよね)


 ちびシューラはしきりに首を傾げていた。

 魔女の勘というのは馬鹿にならない。

 注意して、内部を眺める。


 建物は三階建てで、全体的に黒を中心とした薄暗い雰囲気作りがなされていた。

 黒百合の強烈な香りが立ちこめ、エントランスホールの中央には見事な旋回式の噴水が時計の役割を果たしている。


 上司であるクレナリーザは、吊り上がり気味の目できっと俺たち三人を見ると、はきはきとこの場所における注意点を述べていく。


「いいこと? まずこの館のコンセプトは母娘と姉妹による歓待というものよ。家族関係を擬した私たちはお客さまを持てなす――家族の一員としてね。お客様は父であり息子であり兄であり弟でもある。滅多に無いけど、女性客が来た場合でも家族として振る舞うの」


 当然、持てなしの内容にはそういうことも含まれる。

 とりあえず催眠用の呪符を用意してあるので問題は無い。適当にやり過ごして、隙を見て内部を調査するのが一応の方針である。


「決して、この場所の『夢』を壊すことは許されないわ。私はこの場所の長女であり、貴方たちは末の妹たち。常にそれを意識して振る舞うこと。いいわね? 返事は『わかりました、お姉様』よ」


 声を揃えて返事をする。変声呪術が作用しているため、異様に高い声がでて困惑する。慣れないといけないとわかってはいるのだが――いや、やっぱり慣れたくはないな。


 長女クレナリーザの指示に従って、全員が別々に行動することになった。

 コルセスカが若干緊張した様子だったので、別れ際に一声かけておく。


「安心しろ、ちゃんと可愛く見える」


「ひゃ――! み、耳元で囁かないで下さい!」


 大きな眼帯にヘッドドレス、フリルがふんだんに使われた白いツーピースという、前世で言うところのロリータ服を着た姿は実際可愛らしい。

 じろりと睨み付けられた後、ふいと目を逸らして足早に立ち去ってしまう。

 と思ったら、反転してこちらに駆け寄ってくる。


「言っておきますけど、催眠術でやり過ごすだけなので。変な事はしませんから――だから、あの」


「わかってる。それよりいいのか、早く行かないと怒られるぞ」


「なんか、どうでも良さそうですね」


「は?」


「ちょっとくらい心配してくれたって――じゃあもういいです。どうなっても知りませんから」


 コルセスカはきっと青い瞳でこちらを睨み付けると、先程よりも早足で靴音を鳴らしながら立ち去っていく。

 しまった。怒らせてしまったようだ。


(いや、あれは怒ってるっていうか、まあ怒ってるんだけど――あー、なんか腹立つ。アキラくん、わかっててやってない? 半分くらいわざとだよね?)


 ちびシューラが対抗して黒系のアバターに着替えているが、お前それコスプレ気分なら止めとけよ? ファッションとしてちゃんと普段着にするんだろうな? 適当にスタイルころころ変えるのお前の悪い癖だからな?


(何でセスカはいいのにシューラにだけ厳しいの! ひどいよ!)


 憤慨するちびシューラを無視して、指示された作業に入る。

 端末で連絡を取り合いつつ、それぞれ動くことになったのはいいが、何故か俺だけが清掃や飲み物の給仕などをすることになった。どうも、そういった細々とした仕事を娼婦が行う事で経費を削減しているらしい。その分給金はいいようだが。


 部屋の汚れを掃除していると、なんだか陰鬱な気分になってくる。

 いや、様々な体液で敷布が汚れていることはいいのだ。それは覚悟していた。


 ただなんというか、幼児用のがらがらとか、おしゃぶりとか、赤ん坊が転落しない為の柵とか、知育パズルとか、絵本とかが散乱しているのを見ていると、何か現実感が失われていくような気持ちになる。


 家族を模す、といっても、主な需要はどうもそっち方面らしい。

 面接時に子守歌を歌わされたのはこういうことだったのか、と納得してしまう。


(みんなママがそんなにいいのかなー?)


 ちびシューラが首を捻っているが、まあ、なんというか、そういうこともあると言うか何というか。


 端末から入ってくる連絡によると、他の二人は適当に客をあやしていたら終わったとか、絵本の読み聞かせに終始していたとか、催眠術を使って眠らせたら『こんなによく眠れたのは久しぶりだ』と感激されたとか、そんなのばっかりである。

 現代人疲れすぎだろ。


「そこ、何を怠けているの! キリキリ働きなさい!」


「はい、ただいま、お姉様!」


 クレナリーザは腰に手を当てて厳しく俺の指導に当たっている。というか掃除しかしていないがいいのかこれ。

 そういうものなのか、それとも今ひとつ女性らしさに欠けていることを見抜かれているのか。判断がつかない。


「ここって、クレナリーザお姉様が経営されているんですか?」


 そうではないことは事前に調べて知っていたが、それとなく探りを入れてみた。

 すると、


「馬鹿ね、私は代理。この黒百合館の主人は『お母様』よ」


 という答えが返ってくる。

 お母様――つまりはママ。

 ゼドの情報にあった、『森の奥でママが待ってる』という言葉を思い出す。


「えっと、ではお母様にはご挨拶しなくてもよろしいのでしょうか」


 そう言った途端だった。


「そう――お母様に、お会いしたいのね?」


 クレナリーザの瞳が、空洞になったかのような錯覚。

 ぞっとするほどの暗闇を瞳に湛えながら、瞬き一つせずに無表情にこちらを見る少女に対して返答を迷い、ちびシューラに相談しようとする。


 返事がない。

 手の中に隠していた端末から、コルセスカとゼドの反応が途絶する。

 それどころか端末で通信そのものができなくなっている。


 掃除していた室内の照明がふっと消えて、黒い壁面が不可思議な燐光を放ってかすかな視界を確保していた。

 そして、俺の目の前で、いつか見たような光景が展開される。


(ごめ――やられた――防壁迷路――キラく――――)


 ノイズ交じりの音声と共に、ちびシューラが無数の壁に取り囲まれて消えていく。何度呼びかけても一切の応答が無い。

 どうにかコルセスカとの繋がりは残っているように思えたが、それもどうやらかなり薄弱なようだった。


「案内するわ。ついてきて」


 クレナリーザは平坦な声で告げると、部屋の外へと出て行く。

 どうする。追うべきか。ここは一時的に離脱した方がいいのでは?

 だが、コルセスカとゼドの安否が気になる。あの二人がそうそう窮地に陥るとも思えないが、しかし万が一ということもあるだろう。


 それに、今は千載一遇の好機だ。

 誘われている、と感じた。

 ほぼ間違い無い。相手はこちらの思惑を理解した上であえて内部に招き入れたのだろう。最初から客として入っても結果は同じだったはずだ。


 覚悟を決めて、一歩を踏み出した。

 四英雄でも駄目なら【マレブランケ】あたりを援軍として呼んでも仕方が無い。

 誘いに乗った上で、その企みを正面から殴り飛ばしてやればいい。

 どの道、いずれは相対しなくてはならないのだ。


 薄暗い廊下を歩く。

 クレナリーザの先導に従って奥の方に進むうちに、黒百合の強烈な香りが薄れていくことに気がついた。

 そして、その香りはより濃密な臭気を打ち消す為のものだったことに気付く。


 死臭。

 血と臓物、腐敗の臭いが、そこには漂っていた。

 暗がりの中でよく目を凝らせば、美しく着飾って通路を歩く娼婦たちは皆どこか様子が変だ。


 カタカタと剥き出しの歯を打ち鳴らし、空洞の眼窩から眼球を零れ落とし、腐乱した乳房がべちゃりと床を汚していく。

 客にしな垂れかかる骨と皮ばかりの手には一滴の血も通っていないし、この上なく細い腰にはそもそも肉が存在しない。


 はみ出した腸を引きずりながら歩く淑女たちに、男たちは溜息を吐きながら見とれ、安心しきって身を委ねていた。


「ようこそ、黒百合館の『本館』へ。真の快楽――性と死の楽園に、貴方を誘って差し上げるわ」


 振り返ったクレナリーザの顔が腐り落ちていく。

 通路は不自然なほど長く、果てがないようにも思えた。異様な空間の中、並んだ扉が次々と開いて中から全裸の女性たちが現れる。


 余計な服や皮、肉すらも剥ぎ取ったありのままの姿を晒した娼婦たちが、来客を持てなすために一斉にお辞儀した。


「まあ、補正かけるのなんてどこもやってるしな。普通普通」


 詐欺だと目くじらを立てるほどのことでもない。

 俺が女装しているのに比べれば、全員きちんと女性なのだし。

 無限に続くかと思われた通路を抜ける。


 つくりものの月光が冴え冴えとした光の柱を作っていた。

 通されたその広間では、ネクロフィリアの殺人鬼やスナッフムービーの撮影者、更には度を超えた加虐嗜好の者たちが快楽の渦に沈んでいる。


「当館では、貴方が死体を陵辱するのではなく、死体が貴方を陵辱いたします」


「客を殺すのが、ここの流儀か」


「それがお客様の心に秘められた、真なる願いでありますれば」


 死人たちに群がられ、彼女たちへの無意味な殺戮を繰り返し、逆に返り討ちにされている特殊な嗜好の客たちは、歓喜の声を上げながら息絶えていた。

 殺されることで快楽を得ているのだった。


 ここでは、死とは性的な欲求を満たすことと同義。

 性行為とは、すなわち殺戮である。

 それらは転倒し、一体となる。


 引き裂かれた人体は絶叫と共に肉塊と化し、物言わぬ死人が増えていく。

 断末魔の言葉は、どうしてか決まってこうだ。


「ママ! ママ!」


 さてこの場合、呼びかけているのは彼らを生んだ母なのだろうか。

 それとも、彼らを殺す母なのだろうか。

 周囲を取り囲む死人たちが、一斉に口を開く。


「当館では貴方が私どもを痛めつけるのではなく、私どもが貴方を痛めつけます」


「そうか。ならネクロフィリアのマゾヒスト向けに宣伝するといい。きっと評判になるだろうから。何なら口コミで広めてやってもいい」


「あら、それは出来ない相談ですわ」


「それはどうしてだ?」


 クレナリーザは、にっこりと微笑んで見せた。皮が剥がれ落ち、剥き出しの表情筋が千切れて頬が落ちる。


「当館では、物事は始まりから終わりへと進むのではなく、終わりから始まりへと進むからです――貴方は、出口には、辿り着けない」


 溢れかえった死人たちが押し寄せてくる。

 息を整えながら、腰を低くして構えをとった。胸の重量とひらひらしたスカートの分を計算に入れて誤差を自動修正しつつ、サイバーカラテ道場を起動。


 さて、ちびシューラのアシスト無し、外部とも通信不能のこのスタンドアロンの状況、どこまで戦えるものやら。

 微かな繋がりを頼りに『右腕』の力を解放しながら、俺は死人の群れを薙ぎ倒して奥へと突き進んでいく。


「ママとやらがどこにいるのか、確かめさせてもらう!」


 クレナリーザの顔を掌打で弾き飛ばして宣言して包囲を突破。

 暗闇がわだかまる通路へと飛び込んだ。

 暗転。


 そして、俺は夢の中に飛び込み。

 己の罪と、対面する。


 闇の彼方に、腐乱した狼の死体が立っている。

 四つ脚の色は骨の白。

 陥没した胴体から、血まみれの何かが迫り出してくる。


 息が止まった。

 気付けばそこは暗く深い森の中。

 粉砕された肉塊がゆっくりと盛り上がり、やがてそれが破壊された何かであるということが明らかになっていく。


 木々の間から差し込む月光に照らされた死体。

 打撃によって砕かれた顔面から、眼球がこぼれ落ちていく。

 痛い苦しいと呻き続けて、最後に俺の名前を呼ぶ。


 その声を、その光景を、俺は確かに知っている。

 今はもう存在しない『鎧の腕』が、血に濡れて悲鳴を上げているようだった。

 



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