4-11 盗賊王ゼド


「『ニセアキラ』の話を知っているか」


 そう切り出したゼドが色の付いた米を頬に付けていたので指摘すると、真顔で摘んで口に入れた。パエリアとも炒飯ともつかないこの料理はこの男の好物である。

 俺は首を傾げた。

 

「いや、初耳だ。というか、【死人の森】と【変異の三手】絡みの話かと思って来たんだが」


「それもある――というか、その件で調べを進めていたら耳に入った情報だ。確かな事は言えないが、どうもそういった輩がいるらしい」


「俺の偽物が?」


 まさか、という思いだった。

 今はゼドに通された個室で向かい合って食事をしている最中だ。

 娼館で宿で食堂で探索者協会の支部で――という雑多な施設が入り交じった建物は、事実上ゼドの根城だ。


 ごく平凡なホテルのワンルームといった風情の部屋。

 綺麗に整えられた空間に、ゼドの趣味らしい鍵盤を中心とした軽やかな音楽が流れている。ラグタイムっぽい、と言えなくもないような雰囲気だ。


 たまにジャズっぽい感じのも混じるが、そういった音楽のカテゴリに含まれるものかは不明。

 ある程度収斂進化するとはいえ、歴史は完全に同じではないだろう。


 二人で運ばれてきた料理を楽しみつつ、頼んでいた【死人の森】の探索調査の結果を聞いていたが、相変わらず成果は無いとのことだ。

 はっきり言って、ゼドが調べて駄目ならどこがやっても駄目だろう。


 ゼドは四英雄で最も探索者らしい探索者だ。

 戦いよりも遺跡などの探索に向いており、またそれさえ出来れば魔将を討伐したりといった主たる攻略には興味が無い、という性格である。


 事実、ゼドが四英雄であるのは裏面に展開された古代世界における数々の調査研究の成果と、異獣の生態や罠の詳細、迷宮の地図作成といった情報面での功績、そして企業や国家に所属していない非正規探索者たちに希望を与えるため、という側面が大きいらしい。


 とはいえ実際に戦って弱いということはない。古代世界の固有種を倒しているし、第九魔将ピッチャールーとの追撃戦の様子を仲間の一人が念写で撮影していたため、動画をネットで見ることができる。


 魔将の攻撃パターンを読み切って『こうすればこうなる』という戦術を瞬時に構築、相手の行動を任意の方向に誘導し、更に迷宮の罠を逆に活用した『ハメ手』は探索者の間で語り草になっている。【風の王】との戦いの際には共闘してその力は実感済みだ。彼の事は信用している。ここで訳の分からない嘘を吐く男でもない。


 しかし、ニセアキラ、ねえ。

 それに何の意味があるのか、イマイチよくわからない。


「アキラと名乗っているのは確かなようだ。そして、サイバーカラテ特有の――『発勁用意』とかいう発声を耳にした者が何人もいる」


「サイバーカラテユーザーってだけなら珍しくも無いし、アキラって名前もこの世界では十分あり得るんじゃないのか」


「【三報会】が完全に潰された。文字通り、物理的に拠点ごと叩き潰されたって話だ。つい先刻入った知らせだがな」


 少し、驚いた。

 しつこく生き残っていた件の犯罪組織が潰されたという事実もだが、ゼドがその所在を掴んでいたこと、そしてその情報をこちらに教えたことにも俺は驚いていた。同盟関係にあるとはいえ、ゼドが手持ちの情報を無条件で開示することはあまり無い。何らかの見返りを要求されるかとも思ったが、それも無いらしい。


「それをやったのが、『アキラ』だという噂が流れている。当然お前はその時道場にいるはずだ」


「やったのはニセの方、ってことか」


「そういうことだ。どうも、かなり険呑な使い手らしい。三報会に残った最後の頭目、【報復】のティムが幹部の仇討ちに手勢を引き連れて動いた。つい10,800秒前のことだ」


 三時間前か。

 恐らくガロアンディアンの監視の目にもひっかかった筈だが、トリシューラは知らせるまでも無いと考えたのだろうか。

 ちびシューラに訊ねると、意外な返答。


(え? そんな記録、入ってきてないよ? おかしいな、ちょっと調べてみる)


 奇妙な感覚。

 彼女がセージと共同で管理する監視網はほぼ完璧と言っていい。

 残された三報会などの動きも大まかには把握できており、あとは時期を見計らって一網打尽にするだけだったのだが。


「結果は全滅。仇には三倍の報いを受けさせるというのが連中の信条だが――奴らが受けたのは三倍どころじゃない。これが死体の画像だ」


 端末から立体表示された映像を見て、軽く眉を顰める。

 俺は揚げた鶏肉をフォークで突き刺して口に運びながら苦言を呈した。


「お前それ俺じゃなかったら殴られるレベルの行為だからな。にしても、なんだこれ、どうやったらこんな死体が出来る? 象でも引っ張ってきたのか?」


 挽肉――というよりも、それが肉なのかどうかすら事前に教えられていなければ分からないレベルだ。

 原形を留めていないどころではない。

 尋常な打撃、個人が生み出せる運動エネルギーでは到底不可能だろうと思われるほどの、それは徹底的な破壊だった。


 凄まじい重量物を繰り返し繰り返し、完全に生命活動が停止した死体を粉微塵になるまで叩きつけてようやく可能だろうか、というほどの執念を感じる。

 瓦礫と粉塵にまみれた小さな肉片の群れ。

 石によって舗装された床は滅茶苦茶に砕かれ、その中に擦り込まれるようにして大量の血や臓物の欠片が見え隠れしている。


「象なら俺の銃で狩れるんだがな――どうやらこいつはそれ以上の怪物だ。いつだったか、お前が『俺は一般人だ』とか馬鹿みたいなことをぬかして、異世界の超人の話をしただろう」


「ああ、ブシドーとかニンジャとかスモーレスラーとかな。現代だと前線に出る『訓練された』軍人は無人兵器より強くないと意味が無い。極限まで無人化が進んだ先進国にとって防衛の基本方針は原則的に少数精鋭――要するにワンマン・アーミーとしてアホみたいな軍事費を投入された怪物が生まれるわけだ」


 こうした知識は、一般常識として俺の頭の中に残っていた。

 全身を機械化したり遺伝子操作したり生体強化を施したりといった超人たち――彼ら彼女らは前世紀までの戦争の常識を覆す人の形をした歩く兵器だ。


 正規の軍人レベルまでは行かずとも、民間警備会社に所属する傭兵たちも似たような事情で人の枠を逸脱した超人と化している。

 無人兵器の採用が増え、サイバー化が進む各国の紛争地帯やテロリストに対抗する為には必然的な流れだと言える。


「それだ。前に聞いたそのスモーレスラーとやらなら、こんな惨状を演出することも可能なんじゃないのか」


 陰気な口調で肉を食うゼドを、思わずまじまじと見つめる。

 死体が飛散する現場と見比べて、「本気か?」と問おうとしたが、どうやら冗談で言っているわけではないらしい。


「俺以外の外世界人――可能性はあるが、スモーレスラー、つまり力士ってのは国有の財産であり、国家機密たる軍事技術の結晶でもある。そう簡単に異世界に寄越すとは思えないんだが」


「だが絶対は無い。お前がサイバーカラテを持ち込んでこの世界に普及させたようにな。アレは多世界連合からの厳重な警告を喰らったにも関わらず、既にこの世界の文化に組み込まれたとして事実上黙認されているだろう。そう言うことが、今回も起こっていないと言い切れるか?」


 そう言われると、確かに警戒の必要がある気がしてきた。

 何か、俺の知らない場所で致命的な事態が進行している。

 そんな気がしてならない。


「とりあえず、ニセアキラについてはそんなところだ。より詳しい情報が入ったら知らせる」


「悪い。助かる」


「見返りはお前の主から貰っている。俺としては報酬が手に入り、拠点が確保されているだけで十分だ。雇い主としては、小うるさい地上の大企業どもよりお前たちの方が上々だ。金払いが良く、なにより物わかりがいい」


 薄く笑むゼドは、口元をソースで汚していた。何故こいつは微妙に食べ方が汚いのだろう。見た感じ、丁寧に食事を進めているのだが。

 本人も自覚があるのか、首元にはしっかりとナプキンをかけている。かなり盛大に汚れていた。


「本題に入ろう。『地下』についての調査結果だ」


 現在の第五階層は事実上ガロアンディアンが掌握している状況だが、完全な支配には至っていない。

 ゼドが率いる『盗賊団』――無法者を名乗ってはいるが実際は名前だけの、要するに非正規探索者たちの寄り合い所帯――は同盟相手とはいえ別勢力だし、『駆除』から逃れた小規模な犯罪組織も幾つか残っている。


「どうも最近、『地下』を中心に動いている組織があるらしい」


「公社が完全に封鎖しているはずだがな」


 【死人の森】の浸食によって死人が溢れかえっている地下は危険地帯だ。

 そんな場所で活動できるということは、その組織は死人の群れに対処出来る程度の腕利き揃いか、それとも。


「【死人の森】と何らかの繋がりがあるってことか」


「そういうことだ。そして、連中は互いを識別するための符号として三本の手を持った三角錐の紋章を身体のどこかに、あるいは持ち物に刻んでいる」


 それは、地下迷宮で目にした【変異の三手】を示す紋章だ。

 敵は、地下から密やかにその上のガロアンディアンを狙っている。

 じわじわと、少しずつ、這い寄るように。


「健全化が進んでいるとはいえ、非合法な薬物の取引、ネジの外れたレートの賭博、違法な売春の全てを撲滅するのは難しい。こいつを見てくれ」


 ゼドが端末から投影された立体映像を切り替える。

 カプセル型の薬だった。三角錐の形で、脇に日本語の説明文が記されている。

 洒落にならない効用――そして、圧倒的な安価さだった。

 公的に販売している合法ドラッグを駆逐しかねないほどの危険性が、このドラッグにはある。


「これ、どのくらい広まってる?」


「まだそこまでじゃない。だが、ウチの馬鹿が一人虜になってな。完全にぶっ壊された。再起不能だ」


「そう言うときはトリシューラの所に連れてこい――いや、悪い。それは駄目だな。失言だった」


 俺の謝罪に、ゼドは沈黙で答えた。

 同盟関係にあるとは言っても、全ての探索者たちが俺やトリシューラを快く思っているわけではない。


 明確に借りを作ったり弱みを見せたりするようなことは、四英雄として、非正規探索者たちのとりまとめ役としてできないのだ。

 とはいえ、こういう時に協力ができないのでは何のための同盟なのだとも思いたくなる。この状況は近いうちにどうにかしたい。


「まだ生きてるんだろう? 適当な理由――そうだな、薬欲しさに脱走したことにでもして中央通り辺りに放置しとけ。巡回してるドローンが自動的にマニュアルに従って公社の呪術医院に放り込むはずだ。そっちの方が幾らかマシだろう」


「――悪いな」


「俺じゃなくてトリシューラの作ったシステムにでも礼を言っとけ。まあ治療が上手く行くかはわからんが、多分後払いで死ぬほどふんだくられるからそう太っ腹な話でもない。後で文句言われるかもな」


 ガロアンディアンの福祉は国家への奉仕義務と一体だが、同時にその医療技術の証明とトリシューラの呪術医としての能力への信頼を集めるための行為でもある。

 要するに治療しまくって名声を高めれば高めるほどトリシューラの存在の強度が高まっていくわけなので、別にフィランソロピーに溢れた慈善活動というわけではないのだ。


 そんなことはゼドも理解しているだろう。

 が、それはそれとして礼は口にする。そういう男だった。多分、言葉だけではなく形としても何かトリシューラに謝礼を出すつもりだろう。公にならないレベルでの情報や物品のやり取りはいつものことだった。


「――続けるぞ。分析によると、広まっている霊薬は錬金術によるものらしい。データは既にそっちに送ってあるが、極めて強力な呪力が検知された。依存性が高く、特定の夢を見せることができるらしい。得られた証言はこうだ。『森の奥でママが待ってる』」


「はぁ?」


 日本語が翻訳される前から、その言葉はこの世界でも母親を意味していた。

 ママ、という幼児が最初に発声できる言葉。場合によってはそれが父を意味していたりもするが、大まかには全世界的に、霊長類系の知的生命体はその言葉で母親に呼びかける。


「まるで悪霊に取り憑かれたみたいに虚ろな目をして、森の奥で待っている女性の所に行こうとするんだ。薬をやれば会える、と言ってな。それからもう一つ。以前、『死人の娼館』の噂について話したな?」


「ああ。それも確か、【変異の三手】が関わってる可能性があるって話だったな」


 どれだけ性風俗を公営化しても、社会が社会そのものを維持する為に肯定できないものがいくつかある。

 幼児に対するものと、過剰に暴力的な――治癒呪術による限界すら超えた凄惨極まりない加虐ポルノ。あるいは、殺人の光景を楽しむためのスナッフムービー。それにネクロフィリアたちの死体に対する性行為。食人の嗜好。


 幻影による迫真のフィクションでは満足できないという者たちが行き着く先。

 代替娯楽によってそういった傾向がある者を満足させ、反社会的な行動をとらせないように罰則を強化し、治安維持と予防に力を入れることがまっとうな対処だ。


 あとは、直接その組織を叩き潰すくらいしか打つ手が無い。

 敵が明確になれば、あとは女王の猟犬として動くだけだ。

 ゼドはそれに対しては特に感情を向けるでもなく、淡々と言葉を続けていく。


「あくまで噂だがな。そもそも存在は知られているのにそこから帰ってきた者がいないって怪談話か都市伝説じみた情報だ――しかし、いやにディティールが確かだ。エーラマーンの囁きだとしても確度はそれなりに高い」


 エーラマーンというのは、確か噂の天使とかいう伝説上の存在だ。

 あれ、神だっけ。まあどっちでもいい。似たようなものだ。


「その噂に、こんなものがある。『娼館の女主人は【変異の三手】の副長の一人がやっている』というものだ」


 探索者協会に提出されている公式のデータでは、【変異の三手】のリーダーはグレンデルヒ=ライニンサル、副長はイアテムとなっている。

 噂ではグレンデルヒの下には副長が三人いるということだが、イアテム以外の二人について明確なことは分かっていない。あくまで噂だけの存在なのだ。


 大規模な集団であるためその他の構成員もかなりいるが、その中に他の二人の副長がいるということは無いらしい。

 クレイ=ライニンサルという名前で調べても、それらしい情報はまるで出てこなかったという。


 だが、もう一人の副長は、少しだけだが曖昧な噂が流布していた。

 世界的に有名な、本名及び顔が不明のポルノスター、【ステュクス】がそうではないかと言われているのだ。


 誰もが魅了されるほどの美貌と妖艶な姿態を誇るが、『満足』してしまうとその詳細なイメージは脳内から忽然と消えて全てを忘れてしまい、ネットの海に流れる動画は跡形もなく消えてしまう。


 都市伝説じみた話だが、半ば願望を語るようにしてその存在は信じられていた。

 その正体こそは同じく正体不明の【変異の三手】の副長であり、更には違法な娼館の女主人――少々、根拠が不足し過ぎている推測のようにも思えるが。


「【ステュクス】は基本的に『年上の女性』として姉あるいは母のように振る舞い、動画を体験する視聴者に直接快楽を与える。時に自分の事を『ママ』と言い、相手を甘やかすかのような言動が特徴的だという話だ」


「そういう符合か。んー、繋がるといえば繋がるが、全体像が見えないな。つまり、どういうことだ?」


「ポルノスターってのは一種の偶像にもなり得る。つまり、信仰を――原始的な性欲のエネルギーを一身に集めるその対象は、極まれば凄まじい呪力を宿しうるということだ。あるいは、神に近いほどの」


 三ヶ月前、紙幣という価値への絶対的な信仰によって圧倒的な力を振るっていたキロンのことを思い出す。

 金は強力な欲望を引き出す源になりうる。

 ならば、性欲でも似たような事が可能なのではないか。


 もし【変異の三手】がドラッグやポルノといった媒体を利用して呪力を集め、神にも等しい存在を作り上げようとしているとすれば。

 それは、【ダモクレスの剣】と並んでトリシューラを脅かしうるだろう。

 

「生殖行動に根ざす性欲と死体性愛っつうと何かミスマッチな感じもするが、そういうのにも意味があったりするのかね、呪術だと」

 

「ああ。吸血鬼がその典型だな。死への衝動を性的衝動に変換することで強い呪力を発揮する。お前のもう一人の主も似たようなことができるはずだ」


 あー、コルセスカな。厳密には他の吸血鬼とは違うらしいが。


「リビドーに根ざした呪力を集めることそのものにも意味があると俺は見ている。【死人の森】の伝承には、どうも性的な含みを持たせたものが多い。地母神系の祭儀に生殖に関連した伝承が見られるのは珍しいことでもないが、それにしても生と死という言葉が頻出し過ぎている。それと、春と冬の象徴。聖なる結婚、というモチーフもだ」


 一流の探索者であるゼドは、博士号を持つ学者でもある。

 そんな彼が大学に留まらずに探索者をやっている理由は不明だが、彼の盗賊団には高学歴で研究調査のスキルがある者が少なくない。過去について詳しく訊ねたことはないが、何か地上世界の闇っぽいものを覗いてしまいそうで恐ろしかった。


「なんかやたらと馴染みのあるフレーズだ。呪術の重要用語だったりするのか」


「お前たちにも関わりが深い。キュトスというのはそもそもあらゆる地母神像が神話として揺らいだ後に立ち現れる神的イメージ、つまりは『紀神』だ」


「意味がわからん」


「そうか。ふむ」


 困ったな、と小さく呟くゼド。なんだか申し訳無くなる。

 眉根を寄せ、帽子の鍔をいじろうとして、今は食事中で帽子を脇に置いていることに気がついたようだ。所在無さそうな指先がふらふらと虚空を彷徨った。探索中は鋭い雰囲気の男なのだが、どうも普段は覇気が無い。


「まず、地上で信仰されている槍神というのは父なる神であり、天空神だ。天上の至高存在であり、普遍的な一者。そしてあらゆる異獣を平定する武神でもある」


「まあ、そのくらいまではトリシューラに聞いた話だな」


 始まってしまった説明に調子を適当に合わせた。

 俺の周囲には説明好きが多いような気がするが、なんなんだろうな、これは。

 この世界に特有の傾向なのか?


「それに対置されるのが地母神、つまり大地と豊穣を象徴する母なる神というわけだ。原始、世界は混沌と野蛮に満ちていたという。男神は力強い槍によって女神キュトスを切り裂き征服することで現在の秩序を形作った。大地、混沌、異なるもの、野蛮――そうしたものと戦い、収奪によって報酬を勝ち取り、平和を維持するというのが槍神教の原理原則だ。ここまではいいか」


「あー、うん。どうぞ、続けて」


 脳味噌筋肉でできてんじゃねえのか地上の連中、と一瞬思ったが人の事は言えないのだった。あー、これ地上に行ってたら一瞬で適応してたかもしれない。探索者あたりになってそう。そうしたらゼドの所で世話になっていた可能性があるな。


「混沌、というからには女神のイメージとて一様ではない。世界中に散らばる、無数の女神伝承。そこには共通点もあり、差異も多種多様に存在する」


「それは何か聞いた事あるな。元型論だっけ」


 世界中の神話というのは何かしら似通ったところがあるらしい。これはあらゆる異世界でもかなり似通ってくるということなので、人間が居住できる環境下ならある程度パターンが決まってくる、ということのようだ。


 まあ同じもの――つまりは世界そのものを参照してそこからでっち上げるものなので、当たり前のことである。人間の脳はだいたい同じ構造をしているし、想像力などというのは有限なものでしかない。


 自然現象を参照した神なら似たような特徴を持つだろうし、あらゆる人は死を恐れ悲しみ忌むがゆえに冥府へ赴き愛する者を取り戻そうと願う。不老不死の追求はありふれているし、国産みも、男神が武力を誇るのも、女神が美しさや情愛を司るのも、器質的な必然である。


 とはいえ何もかも同じというわけではない。たしか現代日本では太陽神が最高神とされていたはずだが、異国のような過酷な環境下、たとえば砂漠地帯においては太陽が恐れられ月が尊ばれる、といった細かいパターンの違いがある。


 しかし、その差異もまた同じものから生まれる『別の解釈』に過ぎない。

 人の世界には多様性が満ちている――ようであり、別の見方をすれば至極単純な形をしているようでもある。

 ゼドは小さく頷いて言った。


「そうだ。人間が人間であるがゆえに、あるいは自然環境の共通点ゆえに、想像力は一定のパターンに収斂進化する。夢もまたある程度は共通するし、神話もまた然りだ。集合無意識の海やアストラル界といった世界にネットワークを広げられるのはこれが理由でもある」


 便利なことだ。普通の『杖的な』インターネットもあるらしいが、この世界で主流なのはやはりアストラルネットである。俺もトリシューラの夢の中に入った時にはコルセスカの助けを借りてアストラル体を投射していたと聞いたが、今ひとつ理屈がわからなかった。


「『地母神』という言葉によって想起されるイメージの群があるとしよう。その全てを包括するもの、あるいは全ての集合が重なり合う部分こそが『紀神』だ。地母神という言葉にとっての核心と言い換えてもいい」


「ああ、言いたいことが何となく分かってきた。つまり、個別の信仰を集めている各地母神の一番の大元、あるいはそれらが習合していった先の到達点か。とにかく一番『でかい』女神だから、原理的にこの世界では呪力が集まりやすいんだな?」


「そうだ。ゆえにキュトスは最も強大な地母神であり、それが槍神によって引き裂かれたためにあらゆる地母神は零落することになった。散逸した七十一の地母神伝承、すなわちキュトスの姉妹たちはその混沌の成れの果てだ」


 キュトスの七十一姉妹はあらゆる地母神の属性を無数に分割したもの――あるいは、元々存在した地母神の要素がそう呼ばれているだけなのかもしれない。

 春の魔女トリシューラと冬の魔女コルセスカにも、そうした地母神の性質を引き継いでいると、前に聞いた事がある。


「話を戻すが、そのキュトスの姉妹の中に、まさしく生と死を司る魔女がいる――いや、いたというべきか」


「いた?」


「既に『代替わり』して消滅したと聞いている。四年ほど前のことだ。詳しい事は不明だが、星見の塔内部で大規模な勢力の変動があった。最も有力な姉妹の一人であった第五位の『姉』が存在抹消に追い込まれたらしい」


 初耳だった。

 俺がこの世界にやってくる前の話だから、当然と言えば当然だが。


「真相は様々な情報が飛び交っていて定かでない。何しろ神秘主義の結晶、星見の塔でのことだからな。『叡智を求めて神々の図書館を襲撃し、言理の妖精に返り討ちにされた』なんて噂まであるが、どこまで本当かはわからない」


「あー、ちびシューラも知らないって言ってるな。何でも、古き神に挑んで権能を簒奪するような好戦的な性格らしいから、あながちあり得ないとも言い切れないらしいんだが」


「まあ真相は闇の中だ。とにかく、旧第五位は生と死を司っていたわけだ。その次に第五位に座った姉妹は別の属性を司っているから、現在生と死の地母神は『不在』ということになる。その信仰も失われたままだ。だが、失われた古代世界にはそれが当時のまま残っている場合がある」


 話が繋がってきた、のだろうか。

 失われた信仰、失われた女神。

 それが、


「【死人の森の女王】ってことか」 


「そうだ。【死人の森の女王】と呼ばれる存在は、俺は失われた地母神そのものか、その巫女ではないかと見ている。性的な仄めかしの数々は、神聖娼婦の類が存在したことを示唆している」


 また新しい用語が出てきたな、と思ったが、要するに性交渉を呪術的な儀式として行う巫女のことらしい。ガロアンディアンの娼妓も、呪力を生み出すという点では神聖娼婦に近い――というかそこから着想を得たもののようだ。


「なんか漠然と繋がってきた、ような感じだな。要するに、【変異の三手】はその生と死を司る地母神を復活させようとしているとか、そんな感じか」


「そうだ。それも、【紀】に直接繋がった根源的な生と死の女神。場合によっては、三ヶ月前のエルネトモランの再現――あるいは、より致命的な災厄が引き起こされる可能性もある」


「死人が溢れかえったっていう、アレか」


「あの時も生と死に関連した古き神が同時に顕現して混乱が引き起こされたが、エクリーオベレッカは人格神ではないしハザーリャは従属神だ。意思を持った女神が復活した場合、厄介さの性質が変わってくる」


 それはつまり、災厄の方向性がコントロールされるということだろう。

 相手の思惑通りことが進んだ場合、俺たちは【変異の三手】と復活した女神を相手にしなければならないというわけである。


 トリシューラの暗殺によって引き起こされる【ダモクレスの剣】による大量破壊。俺を経由したクラッキングによって発生する可能性がある言震ワードクェイク。地下に広がる【死人の森】。違法霊薬と死人の娼館が示唆する女神の復活。


 その全てに【変異の三手】の影がちらつき、ガロアンディアンを脅かそうとしている。更にはトライデントの協力者までもが接近してきているという。

 何というか、頭が痛い。


「とりあえず、グレンデルヒって奴をぶっ飛ばせばいいのか? いいんだよな?」


「落ち着け。まあ最終的にはそうなるだろうが――どうだろうな。奴は今ひとつ考えが読めん。神出鬼没で有名な男でもある。会おうと思って会えるものでもない」


「めんどくさいな」


 とはいえ、とにかく一つ一つ対処していくしかない。

 ふと疑問に思って、質問してみる。


「そう言えば、その第五位の姉妹ってのはなんて名前なんだ?」


「――ディスペータ、だ」


 どうしてだろう。

 ゼドが口にした、意味すらわからない音の羅列。

 それが、ひどく寒々しく心臓を鷲掴みにするような気がした。

 深く長く、息を吸って、吐いた。


 その後、俺が少し独自に調査してみると言うと、ゼドは薬の売人が出没する辺りや違法娼館があるらしい場所の情報を端末に送信してくれた。情報料としてトリシューラ作の呪文データが入った情報素子とちょっとした手土産を渡して、俺はその場を後にした。


 建物を出る直前、ちびシューラが思い出したように呟いた。


(ディスペータお姉様といえば、一つだけ気になることがあるよ。あのね、誰もディスペータお姉様の詳細な顔を思い出せないの。直弟子であったリールエルバですら、詳しく思い出そうとすると記憶に靄がかかったようになるって言ってた)


 いなくなった姉妹。失われた五番目の姉。

 何かが一つの線で結ばれるような予感がしつつも、肝心な所がよくわからない。

 もどかしさを抱えながら、俺は再び夜の街に足を踏み出した。





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