4-5 白眉のイアテム




「ず、ずっと前から見てました。貴方の可憐な姿に胸を――あ、いや、長すぎるのもちょっとな。ええっと、そうじゃなくてもっと」


「何やってんだお前」


 物陰でこそこそしながら独り言を呟く背中に声をかける。

 びくりと反応してファルは振り返った。

 そして、そこにいたのが俺とマラコーダであることを確認してほっと溜息を吐き、それからうつむいてしまう。


「ヘタレですみません。でも怖いですよやっぱ、いざとなると!」


「だろうなあ」


 マラコーダがファルに「もうちょっとソフトに」とアドバイスをする傍ら、俺は少年が覗いていた方向を何とはなしに見た。


 公社が第五階層で活動拠点にしている本社ビルは三ヶ月前まで六階建てだったが、レオが来てからは増築して九階建てになっていた。

 呪術的な理由でこれ以上階を積み上げる予定は無いらしい。


 そろそろ夜も遅い。正面にある硝子張りの入り口からは退社する姿がちらほらと見え始めており、夜行性の社員が交代で出勤していく。


 レオは基本的に昼間に活動する。巡槍艦やクロウサー社の第五階層支社、その他あちらこちらを飛び回って忙しそうにしており、最近は朝に出勤する際に顔を合わせて短く挨拶するくらい。


 とても真似できない、と思う。

 定時に出勤して毎日決まった業務をして、ということが不意に面倒になってサボり出す俺とは大違いである。


 そう言う時は、適当に気晴らしをした後で営業と称して競合する道場や民間警備会社、呪具店に殴り込みをかけてはサイバーカラテの力を売り込んで後から仕事をしていたことにするのがいつものやり方だ。


 時には右手でクラッキングを仕掛けて強制的に契約を結ばせる。

 この場合、クラッキングを許す方は防壁が弱いということなので実際サイバーカラテの導入は正しい。公益に利していると言えよう。


 また、辻試合を仕掛けたり仕掛けられたりして道場の名声を上げることも師範代としては必要な仕事である。


(うん、やっぱりアキラくんが真っ当な社会人やるのは不可能だね。社会っていうかまず人が無理)


 だろうな。

 と、そんな愚にも付かないことを考えていると自動ドアが開いて中から猫耳の少年が現れる。目ざとく――いや、耳ざとく俺に気がついた。


「あ、アキラさんだ!」


 笑顔で手を振るレオの姿は殺人的に愛らしい。後ろで蝶の翅を持った少女が鼻血を吹き出して、レオの護衛であるカーインが無言でハンカチを差し出した。なんか馴染んでるな、あいつ。


 それにしても、相変わらずいい『耳』をしている。

 レオの猫耳は俺のような呪術的な感覚に乏しい者とは違って、『アストラルの音』とかいうよくわからないものを聞くことができるらしい。幻聴かな?


「はー、レオくん可愛い、もう超可愛い」


 熊のぬいぐるみを強く抱きしめる少女こそ、ファルが好意を抱いている相手なのだが――どう見てもレオ以外眼中に無い。抱きしめたぬいぐるみから綿がはみ出しているだけでなく、鼻血とか涎とか色々出てはいけないものが出てしまっている。


「恋するセージさん、素敵だ」


 こっちもこっちで大概だった。

 ファルの目にもセージ以外が映っていない様子だ。なんだこいつら似たもの同士か。実は相性が良かったりするのか。


「アキラくんもこのくらい一途だったらいいんだけどねー」


 三人に続いて、ビルから出てきたのはトリシューラ。

 折り目正しい黒の服装はいつも通り。というか謎のオフィスカジュアルに身を包んでいるが、この世界にそんなもの存在しないよな?


(うん。そっちから引っ張ってきた。雰囲気出るでしょ?)


 ちびシューラが一瞬でスーツ姿に変身するが、意味が分からない。


「今日はそっちにいたのか」


「そうだよー、一緒に帰ろ? まあ私はこの後お部屋でメルマガ配信とデザイン画と裏面調査ドローンからのデータサルベージと忙しいけど――けど――」


「大丈夫か。あと少しでいいから寝ろ」


「うん。一時間くらい表層意識の整理する。アキラくん抱き枕してー」


「お前それはちょっと、せめて膝枕とかにしとけよ」


 アホみたいな冗談を交わしていると、それを聞いていたファルが妙な唸り声を上げて頭を抱えはじめる。いいのかそんな奇行かまして。意中の相手に引かれるんじゃないのか。


「うがあああ羨ましい、僕も彼女といちゃいちゃしたい同棲したい人目を憚らない恥ずかしい言動で周囲を引かせたいいいいい」


 いや、だから冗談だって。

 ただ単に、トリシューラが以前から俺を模した人形を抱き枕にしているというだけで、実際に意識があるうちにそういうことをした事実は無い。 


(うん、寝てるときしかしてないから大丈夫だよ)


 そう、寝てるときだけだから問題は無い――ん?

 ちょっと待てどういうことだと問い質そうとしたその時、レオが猫耳をぴくりと動かす。何かに気付いたように、素早く頭上に視線を巡らせる。


 少し遅れてトリシューラとセージが警戒を呼びかけた。

 第五階層ではよくあることだ。全員慣れたもので、襲撃に備える。

 肉体を活性化させるための薬を口に入れる。心臓が大きく拍動して、両腕が『拡張』されていく感覚に心身が震えた。


 直後、レオが叫ぶ。


「九階の上、屋上の給水塔!」


 あろうことか、襲撃者は本社の真上に立っていた。

 天蓋の照明を背にしたシルエットは長い弓を手にしており、既に限界まで引き絞られている。張り詰めた時間が破られて、手が離れた。


 鋭く飛来する矢。【弾道予報ver2.0】が無くなったことが惜しまれるが、無い物ねだりをしてもしかたない。

 射線上に出てトリシューラを庇いつつ右手を前に出すが、俺の行動は無駄に終わる。他の人員が優秀だったからだ。


 セージの形成した水の障壁が矢の勢いを削ぎ、神速を誇るマラコーダの蹴りが真下から速度の減じた矢を叩き折る。

 続いて、この世界特有の現象が発生。弦音が奏でる呪文によって広域破壊の呪力が伝播していくが、ファルが中指を軽く眼鏡のブリッジに当てつつ呪文を妨害して無効化してしまう。


 トリシューラが左手を突き出すと、五指がそれぞれ根本から分離し、断面から炎を噴射しながら飛び立っていく。

 超小型ミサイルと化したトリシューラの指が次々と襲撃者のいる屋上に着弾。舞い上がる爆炎、墜ちてくる破片。


「なんだそれ」


「新機能! かっこいいでしょ!」


 そ、そうかなあ。


「流石です先生!」


「トリシューラ大姐すげええええ」


 レオとファルが目を輝かせてトリシューラを見ている。

 少年の心を忘れない、純粋な子たちだなあ。というか少年なのか実際。


「んー、でもまだやってないっぽい?」


 ややぼんやりした口調でセージが再度の警戒を呼びかける。

 そしてそれは正しかった。

 その男は、矢のように落下してきた。


 正確に言えば、矢の上に乗っていたのだ。

 信じがたいが、トリシューラの反撃の直前に矢を放ち、跳躍してその上に乗る、更にそこから矢を射て同じ事を繰り返しながらジグザグにこちらへと接近してきているのだった。


 セージとファルが呪術による遠距離攻撃を繰り返しているのだが、異常な動きのせいで全く命中しない。

 間近にまで迫った男は腰の矢筒から太めの矢を抜き取り、弓を背中に仕舞う。

 矢を直接突き刺して攻撃するつもりだろう。


 トリシューラを狙って上から振り下ろされた一撃を、前に出て右腕で受ける。

 凄まじい衝撃。

 一点を突き刺すようなものではない。

 回転しながら対象を削り取るチェーンソーのような音。


「剣、だと?!」


 襲撃者が柄のように握りしめる矢、その矢尻から長く伸びる薄い水流の刃が氷の右腕を上から押し切ろうとしていた。

 加圧された水流の速度は恐らく音速の数倍以上。当たった部分を吹き飛ばすそれはウォーターカッターと呼ばれる工業用の技術――呪術だった。


(ただの物理攻撃じゃセスカの【氷】を突破できないよ。多分水流の中に呪文を混ぜて高速で循環させてるんだ)


 呪術の水を弾けさせながら、水で足場を作って空中を移動していく男。

 俺たちから離れた位置に降り立つと、水の剣を真正面に構えて宣言する。

 ご丁寧に日本語だ――同じ文脈に立って戦ってやるという意思表明のつもりか。


「僣主トリシューラ。その命頂戴する」


「させると思うか?」


 ガロアンディアン建国宣言以来、トリシューラの命を狙う者は幾らでもいる。

 どの勢力が差し向けた刺客かは不明だが、この男もそういった良くいる手合いらしかった。


 カーインを超える長身。屈強な肉体を包むのは薄衣のような青白い民族衣装。そして特徴的なトビウオのヒレめいた両耳。形態が多様な魚人マーフォークは見た目通り水に関係した呪術を得意とするらしい。


 この人数、この戦力が揃っている所に襲撃を仕掛けるとは、よほど腕に覚えがあるのかそれともただの愚か者なのか――狙撃が失敗したにも関わらず接近戦を仕掛けてきた所を見るに、恐らく本業は射手ではないのだろうが。


「お師匠様――」


 奇妙な発言に、場が一瞬凍る。

 蝶の翅をワンピースの背から伸ばした少女が、呆然と男を見ていた。

 まさか知り合い、しかも師弟関係なのか?

 そういえば、水を使う呪術師という明らかな共通点がある。


「俺が不在の間、留守を任せた筈だがな――負けただけでは飽きたらず、敵に膝を屈したか、セージよ」


「ち、違うし。そこのきぐるみには一回勝ったし」


「私は二回勝ったんだけど? あとその一回もセスカに負けたでしょ」


 慌てふためくセージは襲撃者を見て、トリシューラを見て、それから不安そうなレオを見て「うあああああ」と頭を抱えた。大変だな。

 とすると、奴は公社の『残党』ということでいいのだろうか。


(多分、ちょっと違う。奴の素性がシューラの推測通りなら、今の所属は――)


 分析より先に、騒ぎを聞きつけてやって来た夜警団や聴衆たちに膝を着かせる程の凄まじい威圧感が周囲に拡散する。

 【宣名】の予兆だった。


「名乗らせてもらおう。我が名は白眉のイアテム! 【変異の三手】が右副肢にして副長である!」


(うわやっぱり!)


 もの凄く嫌そうなちびシューラの反応。

 周囲も彼の名前に聞き覚えがあるのか似たような表情をしている。

 知らないのは転生者である俺と記憶喪失のレオだけらしい。


(四英雄のグレンデルヒが率いる探索者集団【変異の三手】に三人いると言われてる副長の一人で、【ウィータスティカの鰓耳の民】の英雄って言われてる人だよ。グレンデルヒの下についていなければ、間違い無く英雄として数えられるほどの傑物って話)


 なんか思った以上に大物だった。

 もの凄い怯えようのセージは何だかんだ言いつつもレオを守る為に即座に身の置き場を定めた。くまのぬいぐるみ型の端末から無数の文字列を走らせ、水流コンピュータを周囲で流動させて不正アクセスを仕掛ける。


「脳を焼き切っちゃえば叱られる心配ゼロ! レオくんのために頑張るし!」


 戦う理由が恋する乙女なのはいいが、思考が完全に第五階層の住人だった。

 対するイアテムもまた周囲に水流を発生させて対抗する。

 電流のアナロジーとして機能する水流が論理回路を形成。それらは『大河』あるいは『大海』のアナロジーとして作用し、並列で超大規模な演算を実行。


「たるんでいるぞっ」


「うああ、ごめんなさいごめんなさい」


 セージが涙目になって縮こまる。

 一級言語魔術師のクラッキングを容易く防御した相手は、ちびシューラ情報によれば同じく一級言語魔術師。だがその年季は桁違いだ。

 水流の斬撃が複数に枝分かれして鞭のようにこちらに襲いかかる。


 カーインがレオを抱えて後方に退避し、俺はトリシューラの前で攻撃を防ぎきる。重い、速い、手数が多いと面倒極まりない斬撃の波濤。

 物理攻撃と平行して情報的な侵入が試みられる。ちびシューラが迎撃するが、数が多すぎて対応が間に合わない。

 

 半透明のトビウオのビジョンが次々と飛来しては水流の刃と波状攻撃を仕掛けてくる。俺が右腕で弾き、セージとファルが防壁を展開して遮断しているがそれでもまだ押され気味だ。


 しかし、圧倒的な実力があっても数の利はこちらにある。

 側面から風のように回り込んだマラコーダが長い脚で上段蹴りを繰り出した。狙いは延髄、命中すれば死ぬか重傷を負って半身不随になるかという一撃。


 イアテムは軽々と躱すが、独楽のように回転したマラコーダは続いて第二撃を叩き込み、それも防がれると間合いを詰めながら掌打を放つ。

 飛び退ったイアテムの攻撃が一瞬だけ緩む。


 その隙を突いて、俺とファルが同時に走り出した。

 【サイバーカラテ道場】の多人数戦闘制御プログラムを起動。

 俺と【マレブランケ】の構成員たちが最適な連携を行う為のプランはファルが中心となって構築し、トリシューラが太鼓判を押した優秀なものだ。


 前衛である俺たち三人は己の主観視点に映し出される軌跡をなぞるようにして移動、タイミングを完璧に揃え、あるいは絶妙にずらして連続で攻撃を仕掛ける。

 マラコーダの蹴りが牽制し俺の掌打がイアテムの斬撃を吹き散らすと、懐に潜り込んだ小柄なファルが掌底を撃ち出した。


 体格で劣るファルは分厚い筋肉に覆われたイアテムに物理的な痛手を負わせることはできない。しかし、その腕に巻き付いた文字列が掌から相手の体内に直接注ぎ込まれていく。


 呪的浸透勁クラッキング――薄衣の呪的防御を貫通した衝撃が、イアテムの物理的実体という情報体を介してアストラル体への扉をこじ開けた。

 呪的、あるいは霊的侵入と呼ばれるこの世界の呪文攻撃。


 普段は防壁に妨げられて困難なそれを、物理的な打撃を絡めることによって強引に成立させる、サイバーカラテの技術である。

 元からあった情報的浸透勁をこの世界用に調整しただけのものだが、ファルのような本来インドアユーザーであった者が使えばその威力は破格となる。


 呪力が可視化されてスパークし、水流を蒸発させイアテムの全身を灼いていく。

 低い呻きを上げて硬直したその横っ面にマラコーダの蹴りが叩き込まれ、俺の左拳が脇腹を抉る。

 確かな手応えに勝利を確信したその時だった。


(駄目っ、みんなもう侵入されてるっ)

 

 ちびシューラの叫び。

 遅れて、俺とマラコーダ、そしてファルは目の前からイアテムが消えている事に気がついた。


 いつの間にか背後に出現していたイアテムは、丸太のような腕を振るいファルを吹き飛ばし、マラコーダに回し蹴りを喰らわせ、高圧水流の散弾を俺に浴びせる。咄嗟に両腕でガードしたが、脚や肩を衝撃が貫通していく。激しい痛みを首筋から広がる冷たさが打ち消した。


 共有している【サイバーカラテ道場】の脆弱性を突いたクラッキング。

 高度な連携を可能とするが故に、一度侵入されてしまえば同時に情報を欺瞞され、手玉にとられてしまうという弱点が露呈していた。


 イアテムの言語魔術師としてのスキルは第五階層トップクラスの言語魔術師たちが構築したセキュリティを突破するほど高い。

 公社随一の言語魔術師の師というのは伊達ではなかったのだ。


 倒れ伏す俺たちを顧みず、イアテムは水流の刃をトリシューラに射出する。セージが障壁を張って防ぐが、イアテムが一歩、また一歩と近付く度に障壁が大きく揺らいでいく。接近され、至近距離で斬撃を受ければ耐えきれないだろう。


「無駄だ。今のお前では俺には勝てん」


「ぐううう」


 震えるセージは縋り付くようにぬいぐるみを強く抱きしめた。

 トリシューラは表情を変えないまま右手で掌に収まる程度の拳銃を取り出して無言で引き金を引く。


 目にも留まらぬ斬撃で銃弾を切断――というか吹き飛ばしていくイアテムの技量は卓絶していた。

 カーインはレオを遠ざける事が最優先で離れた場所にいるし、このままではトリシューラが斬られてしまう。


 物理的実体を破壊されるだけならば活動的生活――意識総体レベルが一段階低下するだけで済むが、相手は言語魔術師だ。

 斬撃と同時に強制侵入されてしまえば、最悪の場合、本当にトリシューラという総体が殺されてしまう。


 それだけはさせてはならない。

 左手で印相を形作りながらどうにか立ち上がる。

 それは、何かの呪術なのだろうか。

 異常な光景が広がっていた。


 イアテムに水の剣を向けられているトリシューラ。

 その上から、半透明の巨大な剣が吊り下げられていた。

 今にも彼女の頭の上に落ちてきそうな不安定な質量体。

 女王を脅かす刃は、まるでイアテムの殺意と連動するように揺れ動く。


「【ダモクレスの剣】は貴様の死と共にこの偽りの王国を滅ぼす。何もかも、砂上の楼閣であったと知るがいい」


 イアテムの斬撃が水の障壁を切り裂き、セージが絶望の表情でくまのぬいぐるみを取り落としたその時。


「残念ですが、そこまでです。見事な侵入でしたが、データを与え過ぎましたね。僕たちの勝利確率は揺るぎない八十七パーセント――受け取って下さいセージさん、届け僕の愛!」


 亀裂の入った眼鏡を光らせながらよろよろと立ち上がったファルが、腰の入らない姿勢でそこだけびしりと伸びた指先でセージを示す。

 虚空を走っていく文字列が、少女を取り巻く水流コンピュータに吸い込まれていった。


「うわなにこれキモい」


 冷めた目で呟きながらもセージはファルが構築した呪文を水流に乗せてイアテムの水流に直接叩き込む。

 物理的に注ぎ込まれた情報が拮抗し、やがてバラバラに解けて水流が全て崩壊、煌めく粒子となって飛び散っていった。


 低く呻くイアテムの周囲に、燃える翼を象ったエンブレムが次々と表示されていく。視界を埋め尽くし動作を妨害する幻覚ウィルスだ。


「これはまさか、中傷者クリミナトレスかっ」


 それは、かつて第五階層で不正アクセスを繰り返し、犯罪組織の情報機密性を嘲笑し続けた脅威のクラッカーの名前だ。


 調子に乗りすぎて追い詰められ、物理的に死にかけていた所をトリシューラと俺が救出したのは記憶に新しい。名前を変えてトリシューラにヘッドハンティングされた少年は、会心の一撃をイアテムに喰らわせてみせた。


射影三昧耶形アトリビュート十四番ヴァレリアンヌ


 左腕を空間制御の義肢に換装。

 サイバーカラテにおける【遠当て】を繰り出す。すなわち距離を短縮することによる遠距離からの打撃。無防備なイアテムを今度こそ完璧に捉えた。


 血反吐を吐く男の首を、トリシューラの右手が掴む。

 食い込む五本指。

 魔女はにこやかに微笑んだ。


「この距離なら、回避はできないね?」


 小型ミサイルが至近距離で炸裂。

 イアテムは首から上を爆発四散させた。

 同時にトリシューラの頭上に浮かんでいた巨大な剣も消えて無くなる。


 砕けた頭蓋の欠片と脳漿を撒き散らしながら、煙を吹き上げる頭部が落下。首無しの死体がどうと倒れると、それは一瞬で水になって地面を濡らした。


「逃げられた」


 トリシューラが不満そうに呟く。

 え、マジで? あれでまだ倒せてないとか冗談だろ?

 その横でセージが、


「ていうか、お師匠様は水コンピュータで実体と完璧に同一構造のアバターを作ってそこにアストラル体を憑依させて操るの。本当の肉体はどこかに隠れてて、アストラル体も一部だけ囮として残してどっか逃げてったと思う」


 と解説。蜥蜴の尻尾切りみたいだな。

 おそらく、狙撃に失敗した後で単身突撃してきたのはそういう絡繰りがあったためなのだろう。水で作った分身を遠隔制御しているのなら突っ込ませて消費したとしても痛くもかゆくもないわけだ。


 しばらく全員で周囲を警戒するが、どうやら相手は撤退したらしい。

 これで諦めたとは思えない。

 襲撃はまたあると考えておくべきだろう。


 四英雄が率いる探索者集団、その副長自らが襲撃してきた。

 それはとりもなおさず、【変異の三手】それ自体の宣戦布告を意味していると考えて間違いないと思われる。


 【死人の森】の攻略を巡っていずれ激突するだろうと予想してはいたが、まさかあちらから直接仕掛けてくるとは予想外だった。

 下手をすれば全面戦争かもしれない。


 大きな戦いの予兆を感じつつ、その場はひとまず負傷者の治療をすべく拠点である巡槍艦へと帰還することになった。

 階層の端に新たに築き上げられた『港』へと向かう途中、セージがふらふらのファルに近付いて言葉をかける。


「ファルくんだっけ? さっきはありがとね」


「ふぁ?! はは、はいっ、とと、当然のことをしたまでで」


 どもりながらあたふたとする少年に、


「なんかキモいね?」


 と辛辣な事を言い放ってさっさと離れていく少女。

 レオに擦り寄って話しかけるその頬がうっすらと染まっていた。

 震えるファルに近寄って、何と声をかけるべきか思案。すると。


「――いい」


「は?」


「ドライで辛辣なセージさんにどうでも良さそうに罵倒される――これだ、これこそが僕に本当に必要なものだったんだ!」


「お前、本当にそれでいいのか?」


 思わず、涙を流しながら新しい世界の扉を開けようとする門下生の未来を心配してしまう。

 隣を歩くマラコーダが呆れたように呟いた。


「貴方がそれを言う?」


「何が言いたい」


 いや、解説はいい。

 ちびシューラも張り切るのはよせ。

 変な詰り方とか考え出さなくてもいいから。

 

「ていうか、セージって確かアストラル体を若い肉体に憑依させ続けてるから、実年齢がそれなりのそこそこだったはずなんだけど」


 トリシューラが小さく呟いたが、感涙にむせぶファルには届かなかった。

 正確な年齢を言わなかったのは情けだろうか。

 知らない方が幸せかも知れない。


「魔女が見た目通りの年齢じゃないことなんて普通だから、大した障害じゃないか。年の差カップルっていうのも普通にありだと私は思うよ?」


(例えば、生後九ヶ月の赤ちゃんとかねー)


 それだけ聞くと最悪な鬼畜外道だな。

 まあ、鬼畜外道同士で相性はいいのだろう。

 間違い無く最後にはあの世行きだろうが、簡単には墜ちてやらない。


 この世界には天獄と地獄があるという。

 だが、俺たちが根城としているここはどちらでも無い。

 正しい道を外れたこのガロアンディアンという王国は、当たり前の方法では崩壊したりはしない。


 イアテムの言葉はトリシューラだけでなくガロアンディアンそのものへの敵意を示唆していた。

 だが、そう簡単にやらせはしない。

 

 ここには女王を守る為の爪牙が揃っているのだ。

 どのような敵が立ち塞がろうと、残らず喰い殺してトリシューラの道を切り開くだけだ。決意を新たにして、俺は主と共に夜の第五階層を歩いていく。





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