4-6 工場




 階層周辺部に立ち並ぶ倉庫街、そこから少し離れた位置に築き上げられつつあるのが工場街である。

 第五階層の物質創造力と外から持ち込んだ建材を組み合わせた複合型の建造物群が辺り一面を灰色に染め上げていた。


 ものが行き交うばかりだった第五階層に、『生産』の拠点を作ること。

 それはトリシューラがガロアンディアンという王国を築き上げるために必要なプロセスの一つだ。


 この世界特有の現象により、エネルギーという面で考えれば、人が次々と流れ込んでくる第五階層では資源が枯渇する心配はほとんど無い。インフラもまた第五階層そのものが生み出す物質創造能力でほとんど賄えてしまう。


 文化的営為は呪力を生む。

 ガロアンディアン建国以来、生活の質が底上げされたことで生み出される呪力はその量と質を増していた。


 しかし、たとえ裏面の土地を最大限有効に活用できたとしても、食料自給や工業製品などの生産力ではどうやっても外界に劣る。

 それどころか、依存せざるをえない。


 そこで、何かしらの呪術的付加価値を積極的に『発信』していく必要がある。

 トリシューラが国策として推し進めているのは主にそうした呪術的な生産活動で、彼女自らそれを率先して行っている。というか、それが本来の目的だ。


 文化摸倣子――すなわちミームの発生源にして奉納先でもある女王トリシューラのために存在する国家。

 住人たちは女王に庇護され、また住人たちは庇護される事で女王の力を高める。

 それがガロアンディアンという『王国の形をした祭壇』の構造だ。


 とはいっても、あらゆるものを外界に依存するわけにもいかない。

 ある程度――例えばドラトリアとの関係が悪化した際に、次の手立てを講じるための時間を稼げるくらいの生産力と備蓄は確保しておかなければならない。


(そこでこの工場街。空間圧縮技術が普及しつつあるおかげで倉庫もガンガン潰せるからね。スペース有効活用して地下と上にもガシガシ作っていこうってわけ)


 密集させすぎて大丈夫なのか。事故ったときのリスクとか考えてるよな?

 この世界特有の、呪術的な汚染とか公害がありそうで怖いが、まあそのへんはなんとかやり繰りしているらしい。放置して後々困るのはトリシューラだからな。


 昨晩の襲撃から夜が明けて、翌日。

 俺とトリシューラは、そんな工場街を訪れていた。

 道場は休みである。


「怪我の調子はどう?」


 普段は左右で分けられている長い赤毛は珍しく後頭部で一つに束ねられており、馬の尻尾のように揺れていた。これはこれで似合っている。

 冬場ゆえのコートも長袖のブラウスも、いつものように黒。スカートからタイツに包まれた脚がすらりと伸び、人狼毛皮付きのブーツは相変わらずの猟奇趣味だ。


「トリシューラがすぐに処置してくれたからな。問題無いよ」


 【変異の三手】が放った刺客、イアテムとの戦いを思い出す。

 負った手傷は問題無いが、また襲撃された際の対策は講じておかないとまずい。

 そうでなくとも、その探索者集団は同格の副長をあと二人、更にはその上に立つ四英雄の一人を擁している。


 コルセスカやゼドと並び称される、地上最強の男グレンデルヒ。

 その思惑は不明だが、企業に所属する探索者だというのならばその背後には巨大複合企業群メガコーポの思惑が絡んでいるのかもしれない。


 前途は多難だが、とりあえずは当面の仕事を片付けなければならない。

 進行中の『とある計画』のために建造している工場の視察、そして『駆除』。

 トリシューラとしては光学映像でも送信して貰えばそれで事足りるのだが、実際に足を運んで権威を示すという『それっぽさ』の儀式はやはり必要らしい。


 彼女は護衛として使い魔である俺と、【マレブランケ】から一人を選んでこの場所を訪れているというわけだ。

 トリシューラを挟んで反対側で、一人の男が面倒臭そうに愚痴る。


「というか、何で俺なんですかね。俺、近接戦闘はそこまで得意じゃないんですが。護衛任務ならマラコーダの姐さんとかでいいんじゃ」


「マラコーダには別館任せてるからな。今はどっちかっていうとあっちの収入メインだからなるべく続けときたいんだよ」


 カルの両目は大きな色つきのゴーグルに隠れて見えづらいが、心底うんざりしているような気配が感じられた。

 いやまあ、【変異の三手】に襲撃されるかもしれないから覚悟しておけ、なんて言われて張り切る奴もそういないだろうが。


「了解――っと。カルカブリーナ、身を粉にして女王陛下の御為に命を散らす所存であります」


「心にも無いことを言わなくていいし死ななくていい。やばくなったら逃げろ」


「あ、そうですか。じゃあお言葉に甘えさせてもらいます」


 ディティールの多いゴーグルを弄りながらカルはどこか気の抜けた口調で応じる。防具にして端末でもあるゴーグルで何か検索でもかけているのだろうか。一応勤務中なんだが、マイペースな奴である。


 体格は俺と同じくらいだが、この男はとにかく装備が多い。

 隠すこともなく見せびらかして周囲を威圧するように、多種多様な武器を腰や背中から飛び出させている。まるで孔雀のようだった。


 投石器、長弓、弩、投槍、呪符、巻物、魔導書、杖、短剣、短槍――節操のないチョイス。武器と呪具の数々。カルはこの全てを使いこなす。

 有り合わせの手段で最適解を模索する、サイバーカラテユーザーらしいこの世界の住人である。


 最初期にサイバーカラテを使い始めた一人でもあり、彼が使用感を語った動画は今でもアストラルネットに残っている。

 元修道騎士だったが、紆余曲折あって地上から第五階層に移動、【マレブランケ】に加入したという変わり種だ。


「今回カルを連れてきたのは、きっと貴方が一番に志願するだろうと思ったからでもあるんだよ?」


「はい?」


 不可解そうに首を傾げるカル。

 そうやって話しているうちに、巨大な建物の入り口に到着する。

 待っていたのは、恰幅のいい体と四肢を持つ壮年から老年に差し掛かりつつある男性――公社の『副首領』ロドウィである。


「いやあ、これはこれは女王陛下、お迎えも出せずに申し訳ありません。遠いところをご足労いただき誠に恐縮でございます」


「いいよ、このへん見て回りたいって私が言ったんだから。それより、早速中に案内してくれる?」


 俺たち三人は灰色の建物の中に案内される。

 流れ作業による生産、組み立て工程を自動機械が行い、要所要所の点検やどうしても精密なチェックが必要な所も機械が行い――つまり人がいない。


 当たり前と言えば当たり前だが、トリシューラの『配下』である自動機械たちは非常に高性能で、自律的に駆動し、時には高度な判断を下すことさえできる。そのように専門化されているためだ。


 相互に連絡する際には冗談を織り交ぜたり、愚痴をこぼしたりと芸が細かい。

 たまにサボる奴がいたりするが、それでも全体は正常に機能しているのはそれ込みで設計されているからなのだろう。


「工員たちは、あちらの別室で絵を描いたり詩を綴ったり、工芸品を作ったりしております。あとは服飾のデザイン画を描いたりパターンを引いたり――ま、いわゆる文化的な活動とみなされている労働をしているわけですな。定期的に工場対抗で品評会などが行われ、優秀な者は表彰され賞金も出ますので、みな精力的にやっとります」


 なるほど。呪力の人力発電をしているわけだ――発電?

 機械が人間的に働いている横で人間が機械的に文化を生産している転倒した光景はたしかにガロアンディアンっぽい。


「あそこにいる奴ら、遊んでないか。なんかゲームしてるように見えるけど」


「あれはプロです」


「プロ」


(スポンサー、あの人の場合はクロウサー社の支援を受けて大会に出たり広報活動をしたりする人たちのこと。今はこっちで筐体の設置式とデモンストレーションに来てるみたい。ちなみにウチ所属のプロもいるよ)


 国家所属のプロゲーマーは特別文化振興員という正式な公務員らしい。

 ゲームをするという行為は熱狂を生み出し、トッププレイヤーのスター性は呪力の発生源にもなる。この世界ではスポーツ選手のような位置付けらしい。

 ひょっとしてコルセスカもプロゲーマーだったりするのか。


(セスカは存在自体がパブリックドメインだからプロにはなれないの)


 ごめん何言ってるのかよくわからない。

 ロドウィの解説が続く。


「あそこの『キロン使い』は反応速度と読みに定評があり、国内では屈指の実力者といわれております。先日の大会では『冬の魔女使い』を破って一位に。前大会の雪辱を果たした形になりますな」


「あー、セスカが超悔しがってたやつだ」


 何やってんだあいつ。


「あっちの筐体はシューティングで、草原ステージと丘ステージで遊べるよ。もうじき森林ステージも実装予定。あっちのタワーディフェンスは、空と地底から襲撃してくる敵を迎撃して市街地を防衛するってやつ」


「なあトリシューラ、まさかとは思うんだが」


「自動機械ってどうしてもアストラル系統の攻撃が苦手なんだよねー。だからまあ、楽しくご協力願おうかと思って」


「事前の承諾は」


「緊張するといけないでしょ? 純粋な体験に水を差すのも良くないし。心配しなくても上位ランカーにしか実際の防衛は任せてないよ。失敗しても彼らが責任を問われることは無いし、それにめげずにどんどん上を目指してほしいよね


 これ、いいのかなあ。よくないよなあ。

 後で事実が発覚して、トリシューラが窮地に追い込まれて涙目になる確率は何パーセントくらいだろう?


「大丈夫だって。そうなったらそうなったで対策はしてあるから。あと誰がどのドローンやタワーを操作しててどの敵を撃ったのか、わからないようにしてるし。個人の特定が一切できないから『殺害』は実感されない」


「本当に大丈夫か? 俺やお前にとっての『当然』がこの世界で普通に通用するとは限らないだろ。支持を失っても知らないからな」


「その『異物である当然』をこの世界に根付かせるのがガロアンディアンっていう呪術なわけでしょう」


「それが、負の側面であっても?」


「そうだよ。だって正も負もひとつのものだもの」


 なるほど。

 トリシューラの言葉に頷いて、俺はその光景を受け入れた。

 

 工場内を進んでいく。個別の部分だけ見るとごく普通の呪具製品を生産しているように見えるが、全体を俯瞰してみると違った絵図が見えてくる。


 トリシューラの解説によると、この工場は一つの巨大な呪術の儀式場だという。

 意味付けは多重化され、一つの行動が全く別の意味を持ち、それらが組み合わさることで複合的な意味を創造していくとのことだ。


 施設内部の表示は、日本語による暗号化が施されている。

 日本語がこの世界に定着しており、事実上ガロアンディアンの公用語の一つにもなりつつあるとはいっても、全ての文脈を完全に移行できているわけではない。


 ハイコンテクストな――特定の文脈に沿った解釈をしないと意味が取れない日本語というものがある。

 音読みでも訓読みでもない漢字の『ルビ』――例えば宇宙そらとかみらいとか乙女はなとかあおとか歴史ものがたりとか。


 換喩と提喩あるいは内包と外延、とかトリシューラが色々専門用語を並べていたが良く覚えてない。

 重要度の低いものは通じやすいように言葉の意味からある程度類推できるレベルなのだが、奥の方に進むにつれて暗号化の度合いは増す。


 三角錐かいぞうとか黒衣へんかとか猫耳こうかんとかこの世界の常識を知らないと理解できない暗号は、更にその文章内部での文脈――つまり配置によって意味が変化する。黒衣の後に三角錐が置かれると三角錐の意味の否定になるとか、もうわけがわからない。ここまでくるともう文法めいてくる。


 先に進めば進むほど文脈が外部から分かりづらくなり、最終的には方言が外国語に切り替わるように完全に意味不明になってしまう。

 第五階層特有の常識、更には公社の内部でのみ通用する文脈――というように狭い範囲でしか通用しない『意味』への変化。


 そして、ついにはこの工場内部の最深部でのみ通用する

、全ての言葉が何らかの文脈を『参照』した暗号に満ちた場所に至る。

 そこは、一見してごく普通の工場、ごく当たり前の注意書きがされた空間だが、全ての言葉の裏にはもう一つの意味が隠されているのだ。


(というわけなの。わかった?)


 なるほど。

 よくわからん。

 全体的に、何なんだここは。


(何って、アキラくんと前に話してたアレだよ。最速で今月中に試作機が完成するから、楽しみにしててね)


 ああ、あれか、と納得する。

 ベルトコンベアを流れていく紅玉髄カーネリアンを眺めながら、ふと最深部にいる人間が俺たちだけではないことに気付いた。


 気配の薄い、闇の中に溶け込むかのような暗い雰囲気の男たち。

 松明の紋章が刻印された甲冑に身を包んだ彼らは、影の中に並んで俺たちをじっと見ている。


 特徴的なのは、その口から長く伸びた上顎犬歯。

 長さや大きさに個人差はあるが、まるで牙のようなそれは吸血鬼――ドラトリア系夜の民と呼ばれる者たちの特徴だった。


「お疲れ様、早々にこんな所に押し込めちゃってごめんね」


「いえ。我々は暗所や閉所での警備を得意としておりますので」


 集団の中心である壮年男性が口を開いた。

 赤毛の厳つい顔つきの男で、濃い顎髭は燃えるようだ。

 彼の名は、【鬼火】のバル・ア・ムント。


「現在のガロアンディアンにとって最重要施設なんだから、当然精鋭を警備に付けるよね。【鬼火】だけじゃなくてオルガンローデも配備してるよ」


 トリシューラの説明によれば、他の工場にも戦力を配置しているらしい。

 外に配置して周囲との軋轢を生んでもよくないし、機械だけのこの場所を任せるのは良策かもしれない。重要な機密も暗号化によって漏れる心配はほぼ無いし、漏れたとしても情報公開が前倒しになるというだけのことだ。


 かつて修道騎士、あるいは聖騎士と呼ばれた者たちの中で十位という極めて高い位階にあったが、三ヶ月前の『事件』で失態を演じ、敵に討ち取られたことで十三位に降格されたという。


 いずれにせよ高位序列者には違いないが、彼は敗北した際にほとんど死んでいたらしく、吸血鬼化することでかろうじて一命を取り留めた。

 同様の経緯で、吸血鬼の修道騎士が松明の騎士団に大量発生していた。


 急遽特設された『吸血鬼部隊』のまとめ役の一人として選ばれたのがその中で最も序列が高かったバルであったという。


 槍神教の修道騎士やエルネトモランの住民たちに対して『人道的な救助』を行ったリールエルバおよびドラトリアに対して友好的な派閥の筆頭でもあり、同時にガロアンディアンに協力的な修道騎士でもある。

 

 キロンとの一件があったせいで松明の騎士団は未だに俺の中では『敵』という括りだ。実際、複雑怪奇に膨れあがった組織(霊性複合体とか言うらしい)の内部ではガロアンディアンを攻め滅ぼせという声も上がっているらしい。


 だが、アズーリアやキール隊の事を思い出すとそう単純に彼らを憎悪することはできない。というよりも、『彼ら』という括りが既に大雑把すぎるのだろう。


(セスカの未来の恋人のこともあるしねー)


 やめろその話はやめろ。

 はい終わり、今後ちびシューラが何か言っても無視するからそのつもりで。


(目を逸らしていてもしょうがないと思うんだけど)


 無視。

 ――と、俺たちについてきていたカルが何かを言いかけ、失敗する。

 同様に、バルもまた彼を見て『古い名前』を口にしようとして思い直したようにやめた。二人は、修道騎士時代に縁があったのだと聞いている。


「よう」


「――どうも」


 なんだか微妙な空気だった。

 あまり立ち入るような事でも無い。

 トリシューラの歩みに付き従って歩く。


「さて――地下に行くから、【鬼火】部隊のみんなで露払いお願いできるかな? アキラくんとカルカブリーナも一緒にね。私はロドウィと一緒に後ろからついて行くよ」


 トリシューラの命令に従って、最深部に存在する地下への階段の扉が開く。

 第五階層の地下というのは、ガロアンディアン建国以前から公社が開発を進めており、下水道や呪力線といった様々なインフラの敷設にはある程度成功していた――しかし、その更に下の空間に広大な闇が広がっていることを知る者は少ない。


 それどころか、現在下水道やこの工場街の地下に溢れつつある『危機』についての詳細は関係者たちの間で箝口令(呪術的な拘束力があるらしい)が布かれている。それはガロアンディアンそのものを揺るがしかねない不祥事だからだ。


 長い長い階段を下った先。

 強烈な照明があるにもかかわらず、何故か闇の濃さが増大し続ける異様な空間。

 増殖していく『骨の壁』によって複雑化する内部構造。


「【迷宮の主】とは休戦協定結んだはずなんだけどな――まーた迷宮って、やんなっちゃうよねー」


 トリシューラの呟き通り、地下は白骨が積み上がって出来た壁によって狭い迷宮と化していた。

 奥から這い出してくる動く白骨死体たちを、バルたち吸血鬼の修道騎士らが斧や槌矛で打ち払っていく。


「こいつらが地上に這い出してこないのが救いだが――」


「それだって何の保証も無いんだよ。いつ地下から溢れてきて三ヶ月前のエルネトモランみたいに死人だらけになるかわからない。三ヶ月前の第五階層みたいに迷宮化するかわからない。両方いっぺんに起きたら、ガロアンディアンは崩壊する」


 ガロアンディアンは、極めて危うい状況に置かれている。

 薄氷どころの話ではない。

 俺たちの足下には、動く白骨死体や腐乱死体――死人たちが蠢いているのだ。


「【死人の森】との戦いは、既に始まっているんだよ――それじゃみんな、今日の駆除、よろしくね」


 トリシューラの言葉に応じるように、俺の掌打が剥き出しの頭蓋骨を粉砕した。

 



 床の上で三角形の図像が輝き、その頂点に三つの人影が並ぶ。

 部屋の右手側に立つ男――イアテムは静かに腕を組み、瞑目している。

 刺々しく言葉を発したのは中央に立つ男、クレイだ。


「口ほどにも無い。南東海の底も知れる」


「――言い訳はせん。敵の力量を見誤ったにせよ、俺の力量が足りなかったにせよ、『狙撃』に失敗したという結果は同じだ」


 イアテムは超遠距離へと水の分身を飛ばし、アストラル体を憑依させることによって暗殺を行う純粋な『後衛』である。

 分身には本体の精神が宿るため、精密な動作が可能。よって近接戦闘もこなせるが、その上で敗れてしまえば撤退するしかない。


「恥じることはありませんし、詰ることもありませんよ。彼らがそれだけ手強かったというだけのこと――特に、あの方は特別ですもの」


 左手側に立つ女性がどこか陶然たる口調で言った。

 空気が、静かに張り詰める。

 二人の男が纏う気配が途端に険呑さを増していく。


「やけにあの男を買っているな。それは貴様が言うところの『未来の記憶』とやらに基づいた判断か? それとも、同じ転生者として感じる所でもあるのか」


 イアテムの問いかけに、女性はくすりと笑った。


「どちらでもありませんわ。ただ――」


「ただ?」


「【女の勘】です♪」


 ――それは、認知バイアスと女性の社会的立場から発生する呪力によって事後的に事象を言い当ててみせる呪文と使い魔の複合呪術。

 取り扱いが極めて難しい呪術ではあるが、女性の放った言葉は世界に浸透し、『真実』として固定していく。


 結果として生まれたのは、


「シナモリ・アキラ――油断ならぬ男よ。次こそは必ず」


「奴は俺が斬り殺す」


 男たち二人の敵意と警戒心だった。

 それを愉しげに見ながら、女性は煽るように言葉を重ねていく。


「あらあら、血気盛んなこと。でも、貴方たちに彼を殺す事はできないでしょう」


「何だと」


 気色ばみ、怒気を露わにしたのはイアテムの方だった。

 中央に立つクレイは一瞬だけ不服そうな気配を見せながらも、女性に対して反論するようなことはなかった。


「根拠はあるのだろうな。言ってみろ、女」


「しいて言えば」


 女性は軽やかな声と共に細く長い人差し指を顎に当てた。

 少しだけ思案するような間をとる。

 それがもったいぶっているように感じられたのか、イアテムは焦れたように、


「何だ」


 と問う。

 女性は朗らかに答えた。


「【女の勘】ですね」


 ――水流が、闇の中を走った。

 戯れるような返答がイアテムの怒りを誘発したのか、残像すら見える速度で踏み込むと、瞬時に女性の前に現れる。


 水の刃が女性の胸を貫いて、床に縫い止める。

 勢い良く流れる水が赤く染まり、女性が吐血した。


「あまり調子に乗るなよ、女」


「んっ――もう、痛いじゃないですか――」


 捻り込まれた刃が女性の体内を蹂躙し、抑えた悲鳴が上がる。

 突き入れられていく剣の輪郭が暗色を纏い、揺らめく靄となって立ち上った。


「【魔女殺し】の剣がどれほどのものか、その身で体験してみるか」


「ふふ、流石は【イアテムの呪いの剣】ですね。呪術基盤に名を刻んだ方の刃は、中々に堪えます」


 胸を貫かれながらも女性ははっきりと言葉を紡いでみせるが、荒い吐息に余裕は無い。苦痛に呻き、もがきながら剣から逃れようとするも、流動する呪いは彼女を捉えて離さない。


 その時だった。

 イアテムの首筋に、鋭利な刃が添えられる。

 ――否、それはただの手刀だ。白手袋に包まれた、何の変哲もないクレイの手である。


 意味が無い行為のように見える。

 手刀とは打撃。勢いをつけ、『重さ』と『速度』を乗せなければ相手に痛手を与えることはできない。


 それが刃であったなら、『引く』ことで首を切断することもできようが、手刀を密着させたところで大した脅しにはなりえない。

 それが物理的な――杖的な道理というものだった。


「その薄汚い剣をどけろ。それ以上の不敬を働けば――」


「殺す、とでも言いたいのか、クレイ。貴様にそれができるのか」


 二人の男はお互いが刃を手にしているかのような前提で話をしている。

 片や水。片や手刀。共にごくありふれたもので、一見しただけでは武器にはなり得ないような代物だ。


「試してみるか?」


「やってみろ。この場で貴様ら二人を切り伏せる事など造作も無い」


「貴様らを殺すのは僣主トリシューラの後と決めていたが、そちらがその気ならばやむを得まい。陛下、ただ今この無礼者の首を――」


「――お静かに」


 一触即発の空気を、女性の抑えた声が断ち切った。

 胸を貫かれている苦痛を微塵も感じさせぬ、それは巫女が託宣を受けるかの如く厳かな言葉。


「出ますよ」


 ――【ダモクレスの剣】。

 闇に染まった天から吊り下げられた、巨大な剣。

 僣主への刺客を選定する指針でもあるそれが、姿を現していた。


 イアテムが無言で腕を引き、水流の剣を消失させる。

 女性は大量の血を床に零しながらもその場で姿勢を直した。それに伴って各々が所定の位置につき、静かに揺れ動く剣が誰を選ぶのかを待つ。


 巨大な切っ先が選んだのは、部屋の中央に立つ男――クレイ。

 変異の三角錐ペレケテンヌルは三つの手を持つと言われている。

 その中央の主肢を司る、【変異の三手】の副長が戦意を膨れあがらせる。


 狙うはガロアンディアン女王、トリシューラ。

 そしてその使い魔たるシナモリ・アキラ。

 クレイは女性の傍に歩み寄ると跪き、己の『剣』を捧げた。


「我が剣と勝利を、貴方に捧げます」


「はぁい、頑張って下さいねー」


 朗らかに応じる女性の足下に血だまりは既に無く、貫かれた筈の胸には傷一つ残っていない。

 女王と、傅く臣下。

 その光景を、嫌悪に満ちた視線でイアテムが睨み付けていた。




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