3-103 『特権者の英雄症候群、さもなくば――』③




 クロウサー家が手配した自動鎧は速やかにガルズを拘束し、ゾラの血族が管理する一室に彼を幽閉した。

 本来ならば槍神教に引き渡される所を、クロウサー家がその強権で一時的に手元に留め置いたのである。


 リーナの言葉が通るのなら、自分はこのままずっと拘束され続けるのだろうな、とガルズはぼんやりと考えた。

 目の前はどこまでも暗く、先行きは途絶えてしまっている。

 いや――もうずっと道を見失っていたのかもしれない。


 マリーを救うだなんて、とんだ思い上がりだった。

 逆に救われ、守られていた。

 いや――実態はそれよりもう少し双方向的だった。

 マリーが守ったのはガルズの世界観で、その世界観はマリーの在り方を肯定するものだった。なら、それはマリーを守る事に繋がっていたのだ。


 救いの向きは容易く変化する。

 どちらが先だったのか、なんて考える事に、意味はないのだろう。

 ただ、どうしようもなく彼女が愛おしいとそう思った。

 そして同時に、無力な自分を呪う。


 マリーを失いかけて、自分では救うことができなかった。

 だがアズーリア・ヘレゼクシュはマリーを救って見せた。それを救いと呼んでいいのか、ガルズにははっきりとわからなかったけれど。

 ガルズには、何も出来なかった。

 またしても、何一つとして意味のあることが出来なかったのだ。


 英雄になり損ねた男。

 惨めな負け犬。それがガルズ・マウザ・クロウサーという男だ。

 悄然と項垂れていると、厳重に外界から隔離された一室に誰かが入ってくる。

 三角帽子の少女――もうそろそろ、その形容も似つかわしくない年頃だろうか。


「リーナ」


 ガルズはその名前を呼ぶと、少しだけ心が軽くなるのを感じた。

 明るく朗らかな親戚の少女。妹のように思っていた。

 窮屈なクロウサー家の中にあって、彼女の存在はガルズにとって救いだった。

 目の前は暗いと思っていた。あらゆる道は途切れたと。


 けれど、唯一残された道が彼女が用意したものであるのなら。

 それは、もしかしたら救いなのかもしれない。

 口を開く。

 ガルズは自分でも疑いに満ちた心を言葉にすることで強引に方向付けた。


「地上は、クロウサーは邪悪だ。それでも、誰もが力を合わせて困難を乗り越えようとするあの光景には希望があった気がする。だとすれば、人の意思を――君を信じて、任せていいかもしれないと、少しだけ思ったよ」


 今更こんな事を言って、リーナはどんな顔をするだろう。

 呆れるだろうか。それともわかってくれたと喜ぶだろうか。

 座り込んでいたガルズは立ち尽くすリーナを見上げて、そして。


「頭が高い。頭を垂れよ地虫」


 絶句して、頭上からのし掛かってくる凄まじい呪力によって平伏させられた。

 信じがたかった。

 一瞬だけ見えたリーナの瞳。

 それは、虫を見るような冷酷な色をしていた。


「人に自由意思など無い。あれらは神の奴隷。地を這う虫けらよ。地上の地虫どもを見よ。絶対的な権威に頭を垂れる事しか知らぬ。己の意思で立っているように見えて、その実態は英雄や偶像という高みに縋り付くばかりの塵芥でしかない」


「リ、リーナ――?」


 その言葉を発したのは、本当にあのリーナ・ゾラ・クロウサーなのか。

 ありえない、とガルズは確信した。

 だが同時に、彼の優れた邪視はリーナが物質的にも霊的にも完全に今までと同一であることを教えてくれている。


 だとすればこれはどういうことなのか。

 まさか、脳髄洗いや順正化処理で洗脳されてしまったのか。

 一体誰がそんなことを。


「だが、トリアイナ様の救世はそのような閉塞した世界から人類を解放する。あの方こそは末世に来たる唯一の光。すなわち救世主である」


「トリ、アイナ――?」


「知らぬか。貴様らごとき木っ端の細胞では無理も無かろう。覚えておくがいい【右目】よ。あの方こそは第一の細胞にして我らが主と仰ぐべき頂。【心臓】のトリアイナ様こそ真の未知なる末妹」


「トライデントの細胞――そんな、リーナ、君は」


 クロウサー家の人間は、確かに始祖が転生者であったと伝えられているために末妹候補の使い魔となる資格を有する。

 だがまさか、リーナがそうだというのか。

 

「貴様らはそれなりに努力した方だが――所詮は本来不要な器官に過ぎぬ。細胞にとって真に有用な『目』は別にある。使い捨ての道具、いやゴミか――貴様は常に役に立たぬな、思えばマウザの者どもは常にそうであった」


「待て――それは」


「マウザの木っ端どもは貴様が生まれた時、十年に一度の才を持つ神童が生まれたと大騒ぎをしてな。名付け親にと私に擦り寄ってきおったが――十年に一度では精々小間使いが関の山よ。凡俗に価値は無い」


 ガルズが生まれた時の記憶が、リーナにあるはずがない。

 直観した。確信があった。憎悪を込めて、ガルズは叫ぶ。


「貴様か、貴様がリーナの中にいるのか、サイリウス!」


「それは正解であり正解でない。サイリウスは私の教えを完璧に内面化した優れた器であった――乗り捨てるのが惜しいくらいにな。だがリーナは歴代の誰よりも霊媒として優れていたが故に無意識下で我が支配を拒み、我が力と反発し合っていた。私が顕在化できるようになったのはつい先程のことよ」


 リーナはゾラの血族にあって落ちこぼれと呼ばれていた。

 だが、『このリーナ』の言う事が正しければ、実際は彼女の才覚は傑出しており――その呪術の適性ゆえに肉体を完全に支配されずにいたということらしい。


 霊媒は、常に高次存在に心身を奪われる危険を背負っている。

 リーナはその強大な力で己の自由を奪う『何か』に無意識のうちに抵抗をし続け――しかしある切っ掛けでその抵抗が出来なくなってしまった。


 恐らくその切っ掛けとは、命を脅かすような危機的状況。

 霊媒として、より強い力を求めた結果として、リーナは『何か』の力を使って危機を乗り越え――その結果として、心身の支配権を奪われたのだ。


「そんな、それじゃあ、僕のせいで」


「然様。大儀であったガルズ。貴様はこの為に生まれてきたと言っても過言ではあるまい。貴様が招いた危機のお陰でリーナは正しく【空使い】として覚醒した」


「リーナを、リーナを解放しろ!」


「子を孕むまではそれは出来ぬ約束だな。安心せい。可愛い孫娘――我が血を受け継ぎし正統なる子孫の心を塗りつぶしたりはせぬ。主導権は我にあるが、リーナは普段通りに生活できる。少々お転婆が過ぎるが、これも愛嬌というもの」


「貴様、貴様はっ」


 歪んだ笑みを浮かべるリーナの瞳に、藍色の光が宿る。

 ガルズの頭を不可視の力が踏みつける。

 重力制御。浮遊するリーナの足が、靴裏に斥力を発生させてガルズを床に押しつけていく。


「我が『藍』の記憶は融血呪として一族の血に偏在し、脈々と受け継がれる。そして、私を受け入れられるだけの才ある者が【空使い】の名を引き継ぎ、『私』を引き継ぐのだよ。リーナも、サイリウスも、ミブリナも、ダウザールも、だれもが私の可愛い『本当の孫』たちだ」


「霊媒の資質、混沌派の血――そうか、そういうことなのか」


 リーナの周囲に、いつしか青い流体が溢れていた。

 融血呪。だがその総量はガルズが操っていたものを遙かに超える。

 加えて言えば、色味も暗い青というよりは明るい藍。


「お前が、クロウサーか!」


 それは、ガルズが滅ぼすべき怨敵と定めた巨悪の名前。

 血族そのもの。

 連綿と受け継がれる呪いの根源。


 始まりの呪祖が一人にして異界から来訪せし転生者。

 子孫の肉体に転生し続ける古き魂。

 翼持つ者クロウサー。


「第四細胞、【血脈】のクロウサー。トリアイナ様の側近中の側近にして、融血呪の循環を司る細胞の要。クク、羨ましかろうがガルズ。私は全ての細胞の中で、ただ一人、拝謁の栄に浴したことがあるのだ」


「なら、そいつは――トライデントの頂点は、本当にいたのか」


「いいや、いない。いるはずがない――今は、まだ」


「何?」


 不可解な言葉だった。

 そもそも、初代のクロウサーは大断絶以前――それこそ散らばった大地の時代を生きたという数千年以上も前の人物だ。


 クロウサーの血が融血呪の影響下にあるのだとすれば、トライデントの細胞というのはその時代から存在したことになる。

 首魁たるトリアイナと会ったことがあるという言葉と、クロウサーが既にトライデントの細胞だったこと、そして今はまだいないという言葉――何もかもが矛盾に満ちており、到底理解できない。

 

「理解する必要などないよ。ガルズ、貴様はここで役目を終えるのだから」


 リーナの口で、酷薄な殺意を露わにするクロウサー。

 ガルズはぞっとした。

 この怪物は本気だ。あのリーナの決意――人を殺さないという選択をあっけなく無視して、ガルズを始末する気なのだ。


 可愛い孫娘などと言っていたが、そこにあるのは情愛というよりも道具への愛着なのではないか。

 あくまでも利用する為の器。

 クロウサーという巨大な邪悪に利用されるだけの家畜。

 それが、クロウサー家という血族の本質だった。


「殺してやる! クロウサーッ!」


「ふむ。死体を再利用して生きている事にするか。リーナ自身の意識なぞどうとでも誤魔化せるが、外部から指摘されれば違和感が蓄積し、どこかで破綻するやもしれぬ――死霊術が欲しいな。ガルズよ、上を向け」


 クロウサーの言葉は呪文だった。強制力のある命令で強制的に顔を上げさせられ、更には不可視の力で持ち上げられる。

 金眼の邪視は全く意味を為さずに無視される。

 まるで、サイリウスに対峙した時のように――あるいはそれ以上に強大な力がリーナの中に渦巻いていた。


「イェツィラー」


 あらゆる細胞の中で最も膨大で、速く、鋭く、繊細で、呪わしい融血呪の流体が藍色の光を放ちながらガルズの金眼に突き刺さった。

 低く鈍い絶叫が迸る。

 眼球だけを正確に吸い取った融血呪が、リーナの鳶色の両目に融け合う。


 眼窩を空洞にしたガルズが両手で顔を押さえる。

 それを冷ややかに見下ろすクロウサーの両目が、金色に輝いた。

 やがてその光は収束していき、元の焦げ茶色に戻る。

 だが、眼球の内部に宿った邪視の能力は確かにリーナ・ゾラ・クロウサーのものとなっていた。


「ふむ、中々ではないか。エジーメの小倅が遺した付与の呪いと合わせれば、これでリーナは三つの血族の力を有することになったわけだ。こうなるとガレニスを断絶させたのが惜しくなってくるな」


「あ、ああ、リーナ、リーナ――」


「何だ、まだ生きておったか。ほれ」


 不可視の衝撃がガルズを打ち据えた。

 背骨が折れ、内臓が潰される。

 浮遊するリーナの足がガルズを踏みつけ、発生した斥力が骨肉を押し潰して腹部から胴を両断していった。


 臓物を撒き散らしながら、ガルズは惨めに死んでいく。

 立ち上る臭気に顔を顰めながら、リーナの顔がにたりと笑みを形作った。


「死体は適当に修繕してやる。リーナの『お人形遊び』に必要であろうからな。私が糸を繰り、リーナは私が作った『ガルズ人形』とお話して激務で疲れ果てた心を慰めるのよ。当主の役目は過酷であるからな。まあ大学くらいは出て貰わねば話にならんが」


 途絶えていく意識の中で、ガルズは一つの事だけを考えていた。

 何もできなかった。無様に敗北し続け、英雄にはなれず、愛したマリーすら救えなかった。


 それでも、リーナは。

 リーナだけは。

 どんなことがあっても、自分の事を諦めないでいてくれた彼女の自由を、ただ守りたいと、そう強く願った。

 

 なにか、リーナのために出来ることを。

 せめて。

 なにか。

 一つでいいから。


 自らの霊魂を知覚する。

 リーナが霊媒として優れているというのなら。

 この『空虚』な瞳が死を見ることができるというのなら。


 空虚な眼窩に一瞬だけ金色の光が瞬き、消えた。

 ガルズ・マウザ・クロウサーの命はそうして途絶えた。

 何度も甦った彼の命運は、今度こそ尽き果てたのだ。


 リーナ・ゾラ・クロウサーの姿をした者は自動人形に片付けを命じさせると、その場を立ち去っていく。

 酷薄な瞳、人を人とも思わぬ神の視座。

 


「子孫たちが成長し、クロウサー家当主としての自覚を持つ瞬間はいつもたまらなく嬉しいものよなあ。良いぞリーナ。望み通り、私とお前とで矮小な地虫どもを導いてやろうではないか。全ての虫けらどもは、トリアイナ様とその手足たる我らクロウサーに救われる為に存在しているのだからな」


 独白――というよりも『自分自身リーナ』に言い聞かせるかのような言葉。

 と、その鳶色の瞳が、一瞬だけ金色に輝く。

 浮遊しながら移動する足が、止まった。


 訝しげに眉を顰めるが、異常は何も無い。

 クロウサーはそのまま水平に宙を滑っていき、その場を立ち去った。

 鳶色の瞳には、もう何も映ってはいなかった。

 その場には、空虚な死が残るのみ。







 そこは時の尖塔の最上階。

 低く唸る紫槍歯虎を侍らせて十字の瞳を輝かせているのは、聖女クナータ。

 修繕された大聖堂の採光窓の真下に立つ彼女は、まるで光の柱を受け止めているかのようだった。


 その背後から、声がかかる。


「ティエポロス」


「あら、ユディーア。最近良く会うわね」


「――久しぶり。相変わらずだね」


 ぼろぼろの軽鎧姿で現れたメイファーラは、気安い様子で聖女に話しかける。

 答える方も旧知の間柄である相手に対して気兼ねは無い様子だった。彼女の言葉が正しいのなら、これから頻繁に会うことになるらしい。


「今回の事、思い出してたの? あたし、聞いてないんだけど」


「言わないもの。敵対勢力に情報を漏らすほど迂闊じゃないのよ、わたし。幾らあなたが将来は虹のホルケナウで仲良くなる予定のお友達だからって、そのくらいの分別はあるもの。子供じゃないんだから」


 頬を膨らませて、腰に手を当てるクナータ。

 それこそ子供のようだったが、メイファーラはそれを指摘することはしなかった。幼馴染みとしての経験上、『子供っぽい』は子供時代からの禁句である。


 クナータは小さな身体でメイファーラに駆け寄った。

 並ぶと年の離れた姉妹のように見えないこともない。

 かつては机を並べて同じ『お姉様』の教えを受けたこともあるし、正面から技を競い合ったこともある。


 だが、どうにもこの相手が苦手だとメイファーラは思った。

 反対に、クナータのほうはメイファーラに好意を抱いているようなのだが。

 それは互いの性質にも理由があるのかもしれない。


 片や未来を回想するという未来視の能力。

 片や過去に遡るという過去視の能力。

 真逆の性質を持つ二人。

 自分にない何かを相手に見出す時、人は相手を求めるのか、拒絶するのか。


 メイファーラとしては、どちらでもない、と思いたい所だったが、どうにもこの相手との縁は切れることが無いらしい。

 それは、もう既に決まっていることなのだ。


「アズーリアもフィリスも、順調だよ。そっちはどう?」


「うーん、もうちょっとで思い出せそうなんだけど――多分、順調だと思うわ。季節が、どのくらい巡るのかしら?」


「しっかりしてよー」


「えーとね。多分、お母様が生まれるのはそんなに前じゃないわ。受胎はまだだけど――しるしはもう出てるのよ。ほら」


 クナータは服をめくり上げて、肌を露わにした。

 滑らかな白磁のような腹部が胸元まで見えそうになり、メイファーラは慌てて聖女の手を止める。


「だめだめ、はしたないよー」


「あなたがそれを言うの――? あんなに色々していたのに?」


「あたしこれから何するの?!」


 言いながら、メイファーラはクナータの下腹部を見て、納得が胸に落ちるのを感じた。丁度それは、女性が子供を宿す位置――【子宮】の位置。

 徴として青く輝く、三叉槍の紋章。

 その場所を、クナータは愛おしげに撫でる。


「お母様――懐かしいわ、あの偉大なる救世の瞬間。ユディーアが取り上げて、今までに見聞きした全てを伝え、トリアイナお母様は真にトライデントを完成させるの――母胎たるわたしは、その為に『振り返る力』を授かった」


「教育係か――正直ぴんとこないけど。生誕の為に必要なティエポロスが二番目なのは理解できるけど、実際の重要度から言ったら【血脈】の方が席次が上に思えるんだけどなあ」


「あら。あなたには『見る』という役目だってあるのよ。全ての『鍵』を監視し、守り、最後の救世を見届ける――だからこそ真の瞳、【天眼】という三番目の細胞の座を与えられているのだから」


 形無き魔女であるトライデントには本来二つの眼など不要である。

 『ほんとう』に物事を見るための瞳は心の中に。

 それは天眼。

 常人には見ることの出来ない事象を自由自在に見通す力である。


 【天眼】のメイファーラ・リト=ユディーア。号は灰。

 【子宮】のクナータ=ティエポロス・ノーグ。号は紫。

 共に、【心臓】に次ぐ地位を与えられたトライデントの最も重要な細胞である。


 その時、無数の粒子が収束してその場に翼の生えた猫が出現した。

 群体の大半を喪失して弱体化した翼猫ヲルヲーラである。


『うう、皆さんが私の言う事を聞いてくれない。良かれと思って導いてあげているのに。どうしてこんなに愚かなのでしょう。まったく度し難い――』


 小さく丸まって愚痴を垂れている。

 残存個体の大半を喪失した以上、もう絶対的な力を振るうことはできないだろう。審判として、また細胞の連絡係として役に立ってきた存在だが、その役目がこれからもこなせるかどうかは怪しい。


「だあれ?」


 クナータが、首を傾げた。

 それを聞いて、メイファーラはああ、と納得する。


「そっか、ここまでか――ごめんね」


 手刀が一閃され、灰色の軌跡が宙を走った。

 ヲルヲーラの首が軽々と飛んで、床に落下する。


『え――なぜ、私は』


「ティエポロスが覚えてないってことは、そういうことだよ。お疲れ様」


 踏みつぶされた胴が塵となって飛散する。

 狼狽する猫の頭部は、ゆっくりと歩み寄るメイファーラに底知れない恐ろしさを感じて震え上がった。


『わ、私がいなくなれば迷宮の争いは激化し――』


「多分、後任が来るんじゃないかな。さっきの勝手な独断専行もあるしね。一部の強硬派が指示した結果ってことで処理されるとは思うけど、多世界連合との関係悪化は避けられないし――まあ処分が妥当ではあるのかな。悲しいけど」


『私は、【脳】と【脊髄】の指示で動いていただけで――』


「下位細胞より上位細胞の決定が優先されるのは、あなただって知っているでしょう? あたしたちにとって、中枢神経系なんて何の意味も持たない――」


『い、嫌! まだ消えたく――』


「大丈夫。あなたの死もまた、トリアイナ様生誕の礎となるから。全て滞りなく、計画通りに進んでる。打ち倒されるべき試練、乗り越えられるべき障害としての役目、ご苦労様」


 灰色の光を纏った掌が猫の頭部を押し潰し、翼猫ヲルヲーラは消滅した。

 静かになったその場所で、メイファーラは小さく呟いた。


「連絡係がいなくなるとビーチェとラズに報告するのが大変になるなあ。今頃二人とも、どうしてるだろ」


「【両足】なら、このあいだは第五階層にいたわよ。アズーリアがそう言ってた」


「アズが? そっか。じゃあ半年後かな――そっかそっか。いよいよかぁ」


 クナータは低く唸る紫色の虎を撫でながら、くすりと笑った。

 メイファーラは何がおかしいと幼馴染みを睨み付ける。


「笑い事じゃないよー。あたし板挟みなんだよー」


「ふふ、大変ね。でも大丈夫よ。最後にはみんなみんな、お母様が救ってくださるのだから。アズーリアも、あなたの幼馴染みたちも、みんなが青い海に包まれて、幸福な未来に導かれるの」


 二人は、未だ存在しない何かを幻視するかのように遠い目をした。

 クナータは懐かしむように。

 メイファーラは少しだけ怖れ、しかし待ち焦がれるように。


 救世は遠く、天から降り注ぐ光はまだ淡い。

 彼らが主と仰ぐ【心臓】トリアイナ――未知なる末妹の第三候補、使い魔の座を占める最後の魔女はこの世のどこにもいない。

 今はまだ。




 世界槍。

 屹立する長槍の遙か先端、鋭い穂先の頂点に、その少年は立っていた。

 傍らには、侍女の格好をした幼い魔女。


「あるじ様。無意味に高いところに昇りたがるのはお止め下さい。落下してまた死にます」


「いいじゃないか、少しくらい。ほら、人々の営みがよく見えるよ。素敵だと思わないか、フー」


 松明の騎士ソルダ・アーニスタとその従者フラベウファ。

 二人は、地上で最も高い場所から人々を睥睨する。

 足下の刃は、凄まじく鋭利であるにも関わらず二人の足を傷つける事は無い。


「この世界には至る所に争いの火種が燻り、悲劇が口を開けて人が落ちてくるのを待ち構えている――だというのに、必死に未来を向いて人々は生きようとする。それはなんて愛おしいんだろう。それはなんて素晴らしいんだろう」


 両手を広げてソルダは語る。

 フラベウファは呆れたような溜息を吐くばかりで相手にしない。

 不満げな主に、侍女ははいはい、と形ばかり追従した。


「そうですね。人は素晴らしいですね――それで、あるじ様はその素晴らしき人をどうされるおつもりなのですか? わざわざこのような場所にまで降りてきて」


 フラベウファは奇妙な言い回しをした。

 誰よりも高みにありながら、『昇ってきた』ではなく『降りてきた』という表現を用いるのは、単純な間違いか、あるいは。


 ソルダは――ソルダ=ルセス・アルスタ=アーニスタは、透明に笑った。


 それから、澄み切った声で宣言する。


「もちろん、救ってあげるのさ。無限に試行錯誤を重ね、幾多の試練を乗り越え、異形の悪魔を打ち倒し、可憐な花嫁の手をとって――そうして待つのは、とても素敵な最高のハッピーエンドだ。目に浮かぶだろう? 物語はいつだって結婚で幕を閉じるのさ。いずれ必ず来たる、聖婚の日。そして世界は華やかに完結する」


 聖婚。

 それは、神話における男女二神の交合。

 神と人との婚姻。

 豊穣の約束。


 あるいは、天の神と地母神が結びつき天地創造をもたらす大いなる儀礼。

 春と冬の交代劇にして始まりと終わりの再演。

 死と再生の儀式。


「楽しみだよ、コルセスカ。僕の冬。終わりの花嫁。世界の最果て――ああ、どうか待っていて欲しい。終端をしいする者すら討ち滅ぼして、きっと君に会いに行くから。そうして、二人で人類を救済してあげよう」


 涙を流しながら陶然と虚空へと声をかける主を見ながら、フラベウファは処置無し、といったふうに肩をすくめた。




 特権者たちが高みから地上と人類を見下ろし、救済を語っていた。

 その果てに待つのは、どのような種類の救いなのか。

 無数に並立する『答え』に唯一絶対のものは無く。


 静かに青空を見上げるアズーリア・ヘレゼクシュは、定かならぬ未来の厳しさを想って、瞳を憂鬱さに曇らせた。

 




 



【後書き】

 ディスペータお姉様による『あとでテストに出ますからね』コーナー


「すっかりタイミングを見失っちゃったけれど一応やっておかないと残りの魔将さんが余りにも可哀想なので消化試合的に魔将紹介をしますよ~」


「というわけで第十二魔将、網膜を灼く稲妻ズタークスターク。

 大魔将、という他の魔将よりも格上の存在ですね。更には北方にある地底都市ザドーナという場所から遣わされた客将でもあります。

 冥王アリス――フォービットデーモンナンバーサーティーン・ライムの作り出した仮想使い魔。容姿は術者の姿を摸倣したもののようですね。ちなみにライムグリーンは緑の輝度が高く見やすい黄緑ですが、エレクトリックライムは赤の輝度がより高く、明るく眩しい、まさに雷光のような色合いになっています。

 稲妻の呪文で構成された仮想使い魔で実体は存在しませんが、その気になれば任意の物質を分解、再構成して人体を作り出すこともできるみたいですね。そのようにして再現された人間を『哲学的ゾンビ』あるいは『沼男/女』と呼びます。

 守護の九槍の元第三位を殺害した最強の魔将であり、現第三位が倒さなければ被害は更に拡大していただろうと言われています。

 今回は主にコルセスカの仲間二人が倒したみたいですが、丁度タイミング良くズタークスタークを受け入れる為の『器』が用意されていたことで転生が可能になったみたいですわ。ひどい偶然もあったものですね。

 現在はマリーと同化しており、彼女の人格と共に大魔将としての機能をアズーリアの能力、【燦然たる珠】の幻想韻雷ペリドットという形式に置き換えることで一応生存(?)しています。

 現在アズーリアが参照できる能力の中で最大の火力を誇りますが、消耗が激しく制御も難しいという厄介な代物で、下手をすればアズーリアを構成する呪文を崩壊させかねません。取り扱い注意です」


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