0-7 第九魔将
九十九戦して五十勝四十九敗。
百戦目はお預けのまま、別れの時がやってくる。
そこはジャッフハリムの東方に聳え立つ奉竜山。
外力無双で知られる西とは異なり、そこは内力を極めんとする武術家たちにとっての総本山であった。
内家拳の極致と称される青海の教えを受けんが為に、胸に大志を抱いた様々な者達が集う武術の聖地。
少女は地に伏した相手に手を差し伸べるが、無視されてしまう。
自力で立ち上がった少年は、強い視線を向けながら言った。
「勝ち逃げする気か」
「知らないよー」
少女は少年より、まだ少しだけ背が高い。
男の子の負けん気は嫌いじゃない。
とはいえ、やむを得ない事情というのはいつだってどこにだってあるもので。
「そっちだって立場は同じなんだから、わかるでしょ。四十四士の家に生まれたらさ、いつかはジャッフハリムに――レストロオセ様にお仕えしなきゃなんだし」
「貴様は天蓋の上に向かうらしいではないか」
「すぐには行かないよ。ポルガーお姉様の下で三年は呪術の修行かなあ。難しそうだけど――っていうか、あんまり大声で言わないでよ」
「何を恥じる。間諜とて重要な役目であろう。形の上では裏切ることになったとしても、魂まで売り渡すわけではない――」
少年は、そこまで言って目を伏せた。
嫌な空気だった。
その理由に、少女はすぐに思い至って、
「ね、あたしがいなくなって、いじめられたりしないよね?」
と少年の顔を覗き込んだ。
きっと睨み返される。
彼は誇りを傷つけられる事をなにより嫌う。この流派の者たちは皆そうだ。
「貴様、馬鹿にしているのか」
「そうじゃなくて――」
「ふん。裏切り者の父を持った以上、仕方の無いことだ。貴様の余計なお節介など不要だ。私はかかる苦難なぞ自力ではね除けてみせる」
少年は強がったが、それが虚勢であることは明白だった。
ジャッフハリムの理想である『共生』は、あらゆる在り方を許容しつつ、個人が社会に適応するための最善の方法を模索する。
しかし、共生そのものを脅かす『敵』を許容することは、共生という理念そのものを揺るがすことになりかねない。
たとえば、天獄の『寄生』や『序列化と排除』といった在り方を肯定することは、心の内で思うだけならば許されるが、公に主張したりすれば厳重に罰せられることになっている。
また、天獄の理念に賛同してジャッフハリムを敵に回すような『裏切り者』も同様に裁かれる定めである。
『家族』や『一族』をひとまとまりの単位として扱う呪術が存在するとはいえ、ジャッフハリムは個人の責任を周りに波及させて問うたりはしない。
だから、たとえ少年の父親が裏切り者だったとしてもそれで彼が非難されたり、悪感情を抱かれたりすることは『謂われ無き事』である。
おおっぴらに責める者はいない。それは恥ずべき事だからである。
しかし、人の行為を完全に制御することが出来ない以上、どうしても冷ややかな態度や視線が抑えきれずに向けられてしまう、ということはよくあった。
稽古中にたまたま力が入りすぎたりすることも。
ジャッフハリムは未だ『国家』という枠組み――使い魔の大規模呪術に依存している呪術共同体である。
『いじめ』という人類の宿痾を根治させるには至っていない。
「私はもっと強くならねばならん。四十四士として認められ、傷付いた家の名誉を回復させる。この地で武術を修め、いずれはレストロオセ様より七連珠を授かりし筆頭七勇士に選ばれてだな――」
「きみの所って確か道化師とか芸術家の家系だよね? 無謀じゃない? っていうか何でガッチガチの武門と張り合おうと思ったの?」
「うるさい。実力さえあれば必ず認められる。それが四十四士というもので――」
「あたしに勝ち越せないようだと難しいんじゃないかなあ。ただでさえ、同世代にはゴルプスードとかサイザクタートとか、もう襲名を済ませてる天才がけっこういるし。大変だと思うよ?」
ジャッフハリムに死刑は無い。
投獄された少年の父親は、途方もなく長い年月を奉仕労働に費やす余生を送ることになっている。
口では父親を憎みつつも、その実は武功を上げる事で家の名誉を回復し、恩赦によって父親の刑期を縮めようとしていることを少女は知っていた。
奉竜山の教主、青海は門下生たちに徹底的な座学を行う。
それは内家拳に必須とされる人体構造と呪術的な『経絡』との相関から、丹田より『気』を練り上げて発するための呪術合理的な理論まで多岐に渡る。
奉竜山の拳法を全て修めた者は、武術の達人にして同時に一流の呪術師であり、更には医師としての資格を有するのだ。
学ぶべき事はそれだけではない。
情、孝悌、仁義、忠義、誇り、自尊、その他ありとあらゆる『心』無くばいかなる精強を誇る武門であろうと魔教へ堕ちる。
幼少期から文武両道の教育を叩き込まれてきた二人にとって、そうした『善き行い』はごく自然な発想として思い浮かんでくるものであり、何ら特別なことではない。しかし、と少女は思う。
「ね、それって窮屈じゃないの?」
問いに、少年は黙りこくった。
時折、考えてしまうのだ。
共生社会、より良き世界、天獄のような邪悪を許さぬ善良。
それゆえに――少年は己の未来を予め束縛する父親を支えねばならぬ。救わねばならぬ。汚名をそそぎ、名誉を回復する。
少女も同じだ。
偉大なる祖霊を宿す器として――未来は確定している。それは多くの人々を支え、認められる在り方だ。不満は無い。
それでも、と思ってしまう。
あらゆる『善さ』と『素晴らしさ』の普遍的価値を理解しつつも、『そうではないもの』に惹かれてしまう心がある。
それは弱さなのだろう。
あるいは、他者への共感性を欠いた邪悪さなのかもしれない。
思い遣り、優しさ、命の尊さ。
「結局は、人殺しの技なのにね」
「だからこそ、であろう。心なき拳は空虚だ。天上の狂信者たちのように、保身と利益の確保に汲々とし、『経済性』などで戦いを語るようになればそれは生きながらにして死んでいるに等しい――そのはずだ」
天獄は、一致団結して戦うということをしない。
それどころか仲間同士で足を引っ張り合い、相争い、挙げ句の果てに武功を調整するために公然と暗殺までするらしい。
巨大な企業が冷たい論理を振りかざして資本主義経済の名の下に圧政を敷き、それを槍神教が包括する恐ろしい世界。
『労働の場』と『心の安堵』が保証された楽園とは名ばかりの、恐怖によって人を掌握するこの世の邪悪を煮詰めたような場所が天獄だ。
そう教わった。
二人もそれは理解している。
どちらが善いかは明白だ。
「信じてる?」
「――無論だ」
何を、何が、という言葉の核を抜いたまま、二人は短く言葉を交わした。
そして、それが全てだった。
ふう、と少女は溜息を吐いて、自分の『家』について思いを馳せる。
彼女が生まれたのは、由緒正しい士族の家系だった。
ディスカレイリーグの伝説的女将軍シャルマキヒュと、その配下にして『血の子供』であるジャスマリシュたち。
天眼の民、あるいは蜥蜴人とも呼ばれる種族は優れた戦士として各地で重宝されている。少女の道行きは引く手あまたであった。
冗談のような武勇伝ばかりが残るシャルマキヒュは、歴史上で明確にその存在が確認されている実在の人物だ。神格化されすぎて天獄では神や天使として崇められているという。実際、ジャッフハリムでもそれに近い状況ではある。
東西南北の言語支配者、至高四元魔として知られるメクセトやメレキウスと幾度となく戦い、打倒した逸話はあらゆる武芸者の語り草である。
その子孫の一人、それも歴史が長く血筋が明確な家柄。
その長子となれば、未来は確約されたようなものだ。
ディスカレイリーグは天獄で言えばヘレゼクシュ地方のアロイ=ワリバーヤという国と対応関係にある、ジャッフハリム東方の隣国である。
同名の都市が天獄にもあり、断絶の前は一つの国家であったらしい。
『潜入』の際には、文化近似度が高いその近辺地域の片田舎出身、という設定がなされることだろう。
実際、
「ま、あたしはしばらくジャッフハリムの王宮と虹のホルケナウを行ったり来たりすることになるのかなあ。ポルガーお姉様以外の魔女って良く知らないから怖いなー、なんて」
「私はここに来る前、悪鬼の女王たるルスクォミーズ様にお会いした事がある。大変に良くしていただいたが、悪鬼にならないかと誘われたのは参ったな」
「ふーん。お父さんの事があるから? でも資質無さそう」
またしても少年が黙ってしまい、少女はしまった、と思った。
とはいえ、正直な考えを述べたに過ぎない。
この相手に対して、何かを隠す気にはあまりなれない。
少女に隠し事は通用しない。だからだろうか。『公平ではない』という思いが、彼女を正直者にしていた。
だが、これからはそれも改めなければならないだろう。
少女は、何もかもを偽って生きることになる。
「ふん、長々と話していても埒が明かん。さっさと行くがいい――」
少年は別れを済ませてしまおうと会話を断ち切るように言うが、途中で何かを言い損ねたように沈黙する。
「どしたの?」
「いや――何と呼んだものかと悩んだだけだ。気にするな」
少女は手を打った。
別れ際に幼名で呼び合っていたのでは格好がつかない。
「そっか。次に会うときは、きっと大人になってるよね。正式に四十四士の襲名も済ませて――そしたら、ヌウォン近衛隊長みたいに近衛としてレストロオセ様をお守りするのかな。それとも、魔将としてセレクティ様にお仕えするのかな」
少年は呆れたような目で少女を見た。
端整な顔立ちなので、そんな振る舞いも絵になるなあ、と意味も無く思う少女だった。
「気が早いぞ。それに、それ以外にも道はあるだろう。最近は、かの獅子王が腕に覚えのある者を探しているとも聞く」
「ふーん。じゃあ目に留まったら取り立てて貰えるかもだね」
「私はジャッフハリムに残り忠義を示すがな。家の名誉は必ず私がこの手で回復する。裏切りの四十四士などと、二度と誰にも言わせぬようにだ」
最後まで少年はそう言い張り続けた。
それは強がりに思えたけれど。
きっと、少女も
ただ祝福して、祈るだけ。
いずれ、肩を並べて戦えればいい。
それが虚しい思いだと分かっていた。
「じゃあね、カーイン。次に会ったら、百戦目ができるといいね」
「さらばだ、ユディーア。次は私が勝つ。精々鍛錬を欠かさぬ事だ」
そうして二人は、ジャッフハリム四十四士としての『まことの名』でお互いを呼び合うことで別れを告げた。
望まぬ裏切りの咎を洗い清めんとする少年。
形ばかりの裏切りで、祖国に身を捧げんとする少女。
悪運の竜クルエクローキが気紛れを起こしたならば、二人はいずれ戦場で相まみえることにもなり得るだろう。
同じジャッフハリムの勇士でありながら、敵同士として。
だから願った。百戦目が血塗られたものにならないように。
便利なもので、大陸の西端から東端まで【扉】や【門】があればひとっ飛び。
――とは必ずしも行かず、呪波汚染によって高密度の呪力が渦巻いている場所や地脈が乱れている場所などにはそうした儀式呪術で移動することはできない。
だが――そのような条理を超越した、神にも近しい存在が当たり前の様に混じっているのがキュトスの姉妹という半神たちだ。
キュトスの姉妹が三十位、虹のホルケナウは場所の姉妹である。
と同時に建物であり拠点であり空間であり土地であり領域でもある。
彼女は『どこにもいない』し、『いまここ』にいる。
偏在者ホルケナウに足を踏み入れたメイファーラ・リト=ユディーアはその場所に溢れるありとあらゆる色彩に驚嘆し、二つの大地を自由自在に行き来可能だという便利さにもっと驚いた。
そして、その場所にいた魔女たちの圧倒的な天才性にも。
はっきり言って、メイファーラはそこでは劣等生だった。
ここには怪物しかいないのか、と初日から世界の違いに震える始末。
「武術ならば」という自信が唯一の拠り所。
北方の地底都市ザドーナからやってきたアリスは既に幾つかの分野では師であるルスクォミーズ派の姉妹たちを凌駕していたし、天獄からやってきたティエポロスはメイファーラとは真逆の性質を持つ不思議な能力を使いこなしつつあった。
どこから来たのかも定かでない風変わりなサンズは既にその鋭い才覚の片鱗を見せ始めていたし、エリシエルは虹のホルケナウの黄薔薇園で黙々と研究に没頭する変わり者だった。
こんな所で本当にやっていけるのだろうか。
いや、ここで天獄――いや、もう『地上』と言うべきか――について学び、優れた間諜とならねばならない。
とはいえ、名目上は末妹候補としてここに来ている身だ。
実際に末妹になるつもりがある者がこの中にどれだけいるのかはともかく――アリスなど末妹にはならないと公言している始末だ――真面目に努力する振りくらいはしないといけない。
いかにルスクォミーズ派が下方勢力に協力的で、メイファーラのような存在が『黙認』されているとは言っても、だ。
ジャッフハリム四十四士にしてキュトスの姉妹の六十三位であるポルガーは、同時にシャルマキヒュその人から血を受けてジャスマリシュ――つまりは天眼の民となった身であり、メイファーラの家とは極めて深い繋がりを持つ。
名付け親としてメイファーラの名を定めたのも、その霊媒としての資質を見込んで末妹候補に推挙したのもポルガーである。
天眼の扱い、過去視の制御、霊媒としての教育。
魔女としての教えを吸収しながら、メイファーラは次第に成長していく。
そうする内に、【彩石の儀】という事前選考を知り、それなりに成績も良かったメイファーラはホルケナウの他の魔女たちと同じようにそのアストラルの空での戦いに身を投じる事になる。
そして、透き通った青い鳥に出会い。
それと前後するように、ジャッフハリムの王宮で偶然とある双子に出会い。
――【脳】と【髪】に出会ったのも、その頃のことだった。
最下位の細胞であると名乗った【脳】と【髪】は、メイファーラとティエポロスこそ最上位の細胞であると語った。
そして、メイファーラが出会った双子もまた、細胞全てを支える重要な役目を担う【両足】であると告げられて、メイファーラは【脳】と【髪】を立場を超えて親友になったばかりの双子に引き合わせてしまう。
全てはそこから始まった――いや、既にもう始まっていたことに、メイファーラはその時ようやく気付いたのだろう。
【髪】は操り糸の如くあらゆるものに絡みついて何もかもを支配していた。
【脳】は全知全能の超越者であるかのように全てを見通していた。
トライデントの細胞――その司令塔にして最も不要な存在。
十九番目の細胞である【脳】のルーシメアは、メイファーラに『それ』を授け、植え付け、宿した。
『運べ』と言われた。
それが使命だと。
潜入工作、密輸、情報操作。
それは正しくメイファーラが学んできた事だった。
適任と言えるだろう。
そして、『過去に遡る力』はそのためにあるのだと【脳】は教えてくれた。
時間を司る『灰』の色号。
本来何色でも無い『それ』は、メイファーラの中に入り込むことで、『過去』の属性を強めていった。
「遡って――【 】」
メイファーラには、その名前を呼ぶことはできなかった。
属性は近しいけれど、未だ形の曖昧なそれを完全に使いこなすには、より特化した才能が必要なのだという。
無彩色の妖精は使えない。けれど、使う為には絶対に必要な存在。
メイファーラ・リト=ユディーアは、その為に生まれたのだ。
ルーシメアは、少年の声で柔らかく言うだけ。
「僕の大切なひとを、よろしくね」
優しく微笑む【脳】のことが、どうしてかメイファーラは無性に怖くてたまらない。こんなに無害で、か弱くて、守ってあげたくなるような姿なのに。
善良で素敵であるということが、こんなに恐怖を呼び起こすのは、自分が邪悪で醜いからなのだろうか――?
それでも、メイファーラは使命を果たす。そうしなければならない。
通い慣れた虹のホルケナウから、黒百合宮へ。
救いらしきものはあった。
報告の合間に、親友である双子に色々なことを教えてあげられた。
たとえば、今日のお茶会ではとっても素敵なお菓子が出されて、それに一番はしゃいでいたのが小さなあの子だったとか。
懐いているのは年下の少しぶっきらぼうな感じの子で、双子の姉の方にちょっとだけ雰囲気が似ているとか。
双子はメイファーラの話に出てくる黒衣の小さな子供について、根掘り葉掘り訊ねるようなことはしなかった。
けれど、二人が一番聞きたがっているのがその子のことだと、メイファーラにはわかっていた。だから、さりげなく、そして話しすぎないように気をつけながら、黒百合宮でのエピソードを語り続けた。
その『定期報告』は、黒百合宮を出てからも密かに続くことになる。
当の本人は、何も知らないまま。
それが、少しだけ後ろめたくはあったけれど。
いつのまにか、分かたれた『三姉妹』はメイファーラにとってかけがえのない存在になっていた。
後ろめたさが、ただひたすらに積み重なっていく。
自分が間諜に向いていない事に気付いた時には、もうなにもかもが遅すぎた。
ディスペータお姉様は、メイファーラだけに特別な誓願をさせていた。
「決して、みんなに危害を加えるような『おいた』は駄目ですよ。これは絶対の約束です。もし破ったなら、私はあなたを許しはしないでしょう――何があっても、貴方は行動の報いを受けることになる」
怖い怖いディスペータお姉様。
蜂蜜色の髪色、灰色の瞳、綺麗な綺麗なかんばせ――その全てを恐れながら、メイファーラは約束をした。
絶対遵守の誓い――決して破ることが出来ない契約。
黒百合の子供たちに危害は加えない。
あらゆる苦難から、仲間たちを守り抜く。
絶対なる『法秩序』の呪いから逃れる事ができるはずもない。
だから、メイファーラは裏切りながら約束を守った。
『おいた』をするのは、自分じゃなくて妖精だから。そんな言い訳は通用しなかったけれど。
自ら解き放った第一魔将が皆に牙を剥く中、かろうじて幼馴染みの一人を救い出し、けれど自由を得た言理の妖精にとってそんなことは何の意味もないことで。
混乱は自分とは関わりのない所で収束し、どうしようもない後ろめたさと裏切りの事実を抱えたまま、ただひたすらに偽りを誤魔化し続けるだけの日々。
嘘を嘘でないと偽りの証明をし続ける為に。
偽りの故郷、偽りの信仰、偽りの仲間たちを守り続ける。
それは、真実そのままでなければならない。
真に命を賭けて戦わなければ、その虚実は容易く剥がれ落ちて、ディスペータお姉様の呪いは逃げ続けるメイファーラの足を掴んでしまうだろう。
きっと、もうジャッフハリムにもディスカレイリーグにも帰れない。
自分が泥沼の中に沈み込みつつあることを自覚しつつも、メイファーラはただそのように在り続けることしかできなかった。
メイファーラにとっての『ほんとう』は、きっと夜の民の幼馴染みが親友であるということだけ。
それが偽りと裏切りに彩られていたとしても。
すべて、まやかしだったとしても。
嘘の上に嘘を被せて、偽りから偽りを引き出して。
真実も信仰も正しさも、そして本当の居場所さえも見失いながら。
ただ、救いが欲しいと、そう願った。
トリアイナ様の救世は、それをもたらしてくれると、仲間の細胞たちは保証してくれた。それに縋り付いて、盲信するだけ。
――嘘だ。
何も信じてなどいない。
一番最初から、メイファーラは地獄も天獄も信じられなかった。この中途半端でどうしようもない状況は、それを考えれば当然の結果なのかもしれない。
裏切り者は天獄に昇ると言われている。
それが裏切り者の末路。
だが、裏切りすら偽りで、間諜であるという真実すら偽りになりつつある自分は、一体どこに行けばいいのだろう。
天獄にも地獄にも行けない、中途半端な紛い物。
それがメイファーラ・リト=ユディーアというジャッフハリム四十四士にして存在を秘された真の第九魔将の本質だ。
生まれたのは、ジャッフハリムの理想の為。世界のため、平和のため。
栄えある四十四士の末裔として、誇り高い戦士となってその身をレストロオセ様に捧げるのがその使命。
でも。
綺麗な【下】はどこか窮屈で。
清浄な【上】はとても怖くて。
【髪】に雁字搦めに縛られて、【脳】の善良な言葉はどこまでも追ってきて、ディスペータお姉様の呪いが心をちくちくと刺して、ビーチェとラズとアズのみんなが大切で。
もう、どうしていいのかわからない。
怖いよ。
誰か、助けて。
【後書き】
ディスペータお姉様による『あとでテストに出ますからね』コーナー
「第十三魔将、朱大公クエスドレム。
四十枚一組のカード型端末で様々な呪術や現象、人物や生き物を参照することでその力を行使する使い魔系の呪術師、支配者です。
その能力を応用して、影から影へと移動する、もしくは他者を移動させることもできるとか。
成人する直前、東西南北の地上太陽付近に存在する古代遺跡に挑み、『試練』を乗り越えたことで『異なる自分の可能性』を四つまで選択して並列して鍛え続けてきたという特殊な魔将でもあります。うち二人が地上への侵攻担当で、残り二人が第四階層の防衛を担当していました。
ジャッフハリムの王族なのに前線に出てきているのは何かしらご実家の事情があるとか。大変そうですね。夢を司る『朱』の色号使いでもあり、第十魔将サイザクタートの師でもあります。いわゆる愛犬家で、動物の犬や獣人である虹犬種を非常に可愛がっていたそうです」
「第十四魔将、痩せた黒蜥蜴ダエモデク。
黒蜥蜴人の上位種である黒亜竜人で、優れた天眼の空間把握能力と生物を腐敗させる瘴気を操ります。また巨大化したり、翼を生やして飛行することも可能みたいですね。
ユネクティアによる『黒』の色号を応用した人体実験の被験者でもあり、自分の血肉を他者に分け与えることで存在の強度を回復・強化させることができるという特性を持っています。
そのため常に食事をして肥え太った体型を維持するように努めていますが、優しい性格の為か求められれば即座に周囲に身体を分け与えてしまうので、すぐにやせ細ってしまうそうです。
本当はどちらかというと食が細い方らしいのですが、自分が太ることで仲間を救えるのならばと無理に過食をして肥満体型を維持していたとか」
「第十五魔将、闇の脚エスフェイル。
夜の民と棘の民の混血は人狼と呼ばれ、とあるありふれた切っ掛けで眷族種から転落し、『法が適用されない存在』として迫害されてきました。
彼はその最後の正統な王を名乗っていますが、実のところ人狼に王族はいません。弱体化した人狼を纏め上げるための彼なりの努力だったのでしょう。
魔将最弱から始めて努力を続け、大魔将を除けば五指に入るほどの実力者にまで上り詰めました。頑張り屋さんですね。
師は魔元帥セレクティで、第十一魔将ユネクティアの弟弟子にあたります。言語を司る『黒』の色号は地上で言えば呪文に相当しますが、彼は古式ゆかしい『名前を掌握する』という呪術に適性があったみたいです。
実体としての性質が夜の民四氏族で最も強い人狼は昼間でも他の三氏族よりは力を発揮できますが、弱体化は避けられません。
そこで使い魔として模造の月を用意し、第五階層の裏面【死人の森】の夜時間を己の迷宮内部に組み込む事で、常に最高の状態で侵入者を迎え撃っていた様です。
結果としてそれはエスフェイルに災いをもたらしました。迷宮の罠によって死人の森に囚われたアルタネイフ氏は、半死半生の状態で死人から逃げ惑い、とある館に辿り着きます。
そこで彼は小さな魔女、【冥道の幼姫】と出会います。まだもののよくわかっていない少女を言葉巧みに欺いた彼は人間の屑ですが、そうすることでエスフェイルすら存在を知らなかった【死人の森の断章】を盗み出すことに成功したのです。
奇跡的な僥倖により罠を突破して生還を果たした彼は有頂天になり、再び迷宮に挑みました。その後の経緯はご存じの通りです。死ねばいいのに。あらいけない、私としたことがうっかり口が。というか死んでましたわ」
「というわけで魔将紹介は今回でひとまずおしまい。残り四人の魔将さんは登場したら順次紹介していこうと思います。それでは、四章でお会いしましょう♪」
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