3-102 『特権者の英雄症候群、さもなくば――』②




 菱形の貨幣を弄び、呪術商人としてありとあらゆる呪術を売買する呪術師。

 空間に満ちる摸倣子を『買い占める』ことで、他者の呪術使用を妨害しつつ絶大な力を振るう極めて厄介な能力。


 だが、王としての圧倒的経済力で敵対者を圧殺するクエスドレムの物量攻撃は敵対者には通用していなかった。

 資本主義ミームを操作し、朱色の貨幣にてありとあらゆる『夢』を支配する万能の呪術を、探索者の集団は統制のとれた動きで凌ぎ続けている。


 無傷とは行かないが、互いに不足を補い合い、致命の一撃を協力して打ち破り続けているのだ。

 彼らの戦闘能力を支えているのは、背後から聞こえてくる竪琴の奏でる音。

 歌姫の呪文が響く中であっても優美に力強く響き続ける詩。

 その空間だけ、外界とは物語の主役が違うかのよう。


 『彼』は竪琴を奏でながら、戦いの光景を見て満足げに頷く。

 勇壮なる戦士たちの奮闘。

 挑むは強大な敵。

 あとは手に汗握る窮地が欲しい。さてどうしようか。


 そんなことを考えていたのかどうかはともかく、戦いは不自然な膠着状態に陥っていた。探索者集団が圧倒的有利にも関わらず、誰も止めを刺そうとしない。

 そのように命じられているのだとしても、命がかかった場面で理不尽な指示を受け入れ続ける探索者たちはどれほどの信頼を主に向けているのだろうか。


 と、都合良くその場に小さな子供が現れる。

 逃げ遅れたのだろうか。

 追い詰められたクエスドレムは子供を捕まえると、人質にして取引を持ちかける。契約と交渉の呪文が状況を支配した。


 竪琴が軽やかな音色を奏でる。

 卑劣で邪悪なる行為。

 危機的状況、乗り越えるべき苦難。

 実に良い、と音が喜びを伝え、それが探索者たちに伝播する。


 義憤と正義とが戦士たちの瞳に宿る。

 守るべき者、か弱き者を得て、探索者たちが奮い立った。

 目に見えて動きが良くなった探索者たちは人質が傷つけられるよりも前に、風のような素早さで魔将の命を刈り取っていた。


「ありえぬ、この朱の王、最強のクエスドレムが、このような――」


 四つに分岐した平行存在たるクエスドレムの一人は、弄ばれ続けていたという事実に気付くことすら出来ず、ただ無惨に蹂躙され、殺戮された。

 竪琴を鳴らし、朗々とその死を詠う。

 低く通る男の声。どこか艶を感じさせる耳に心地良い詩吟。


 艶やかな青い長髪が頬に垂れ、切れ長の目が、彫像のような顔立ちが、勝利の余韻よりも物語が終わる詠嘆を想って揺れた。

 絶世の美女――そう見紛うほどの美男子。

 両性的な色香を有した男の名は、ユガーシャ・ランディバイス。


 四英雄の一人【吟遊詩人ミンストレル】は、戦いのあっけない幕切れに溜息を吐くと、ゆっくりと視線を巡らせて、それからよく通る声で呼びかけた。


「センジュ。もう終わらせていいですよ」


「待ちくたびれましたよ、全く」


 最後の一人となった黒いクエスドレムの相手をさせられていた青年――まだ、どこか少年の面影を残す若者は心底からうんざりした口調でぼやいた。

 クエスドレムが振るう漆黒の長剣を正面から受け止める。

 その手に握られているのは、反りのある片刃の長剣。


 だが、漆黒の刃を受け止めるのは鞘。

 刃を抜かずに戦うという行為に、クエスドレムは激怒を露わにして斬撃を繰り出す。黒い軌跡に呪文が残留し、破壊の呪力となって炸裂。

 青年は飛び退って鞘を握ると、眼光鋭く相手を見据えた。


「異世界における文明段階超過域オプションの執行許可――申請完了。受理がおせえよ、ったく――【幾断】、抜刀」


 毒を吐きながら、鞘から刃を抜き放つ。

 輝く銀色の刃――幽玄なる光が、魔将から放たれる暗黒の呪文を浄化して霧散させていく。

 珍しい作りのその武器を見て、名称を言い当てられる者は極めて少数だろう。


 そも、槍が主流であるこの世界においては短剣ならともかく、長剣は珍しい武器である。片刃で反りのある長刀となれば猶更だ。

 だが、それ以上に。


「それじゃいきますか――イクタチ、起きろこのボケ刀」

 

『ヒャハハ! オメーに言われたかねえよ、ボケセンジュ!』


 声と共に壮絶な呪力を発したのは、センジュと呼ばれた男が手にする長剣――刀である。

 得体の知れない悪寒に、クエスドレムが後退する。


「戦場では、臆した奴から死んでいく――」


『ビビリ野郎が良く言うねえ。オメエ、キロンとか言う奴にぶっ殺されかけた時ガクガク震えてたじゃねーかよ』


「うるせえ折るぞ」


 センジュは喧しく喋り倒す刀をじろりと睨み付けて、倒すべき敵を見据えた。

 気迫が膨れあがり、険しく皺が寄せられていく顔は獰猛な獣じみたものに変化していく。鋭い眼光が重さを持って魔将を貫いた。


「ごちゃごちゃした手数だの、こまけえまじないだの、くっだらねえな。全部まとめて、叩き斬ってやらあ」


 鞘を空高く放り投げる。くるくると回転しながら天へと昇る鞘。

 その術理の理念とは、手数ではなく一撃がすべて。

 千手の攻め手を一つに束ねるその様は、枝葉を伸ばす武芸の系統樹を閃光と化して解き放つかのよう。


 ゆえに千手であり閃樹。いずれの意味にも通じるが、それらを貫く一振りの刃。

 センジュは他の全ての手段を捨ててただ一刀に全てをかける。

 構えは刀を持った右手を耳のあたりに上げ、左手を軽く添えた八相に近い。

 クエスドレムが、漆黒の剣を手に走り出す。


「我が呪文剣で首を刎ねてくれる!」


 繰り出されるのは右上方からの袈裟斬りである。

 軌道は明白。

 渾身の奇声は理解不能。

 横隔膜を裂かんばかりの絶叫。

 神速の踏み込み。

 男は袈裟斬りの鬼だ。

 その斬撃、ブシドー三段。

 閃くはタイ捨の心。


「チェェェェェェェェェェストォォォッ!!」

 

 硬い音。

 鞘が、地上に落下したのだ。

 そして、左右二つに分かれた胴体も。


 ただの一撃で、魔将クエスドレムは両断されていた。

 呪術によって作り出された黒き剣が、粉々になって吹き飛んでいく。

 センジュはさほど恵まれた体格というわけではない。

 だというのに、この圧倒的膂力はいかなる理由か。


「見事です、センジュ。相変わらず信じがたい身体能力ですね」


「遺伝子操作されてますから――人権とか自己同一性の保持がどうたらで、俺みたいなデザイナーズチャイルドは転生の時、遺伝子情報をそのまんま再構成されるんです。そうしないと別人が生まれちまいますからね」


『ギャハハ! その上俺様みてーな最強オプションが付いてくるんだからなー! センジュってば生まれながらの勝ち組じゃねーの! あっさり負けてたけどな!』


「うっせ」


 男と喋る刀のやり取りを見ながら、吟遊詩人がくすりと笑う。

 愉快そうにしながら、宥めるように言葉をかけた。


「いいじゃないですか。そのお陰で、私は貴方たちに出会うことができた」


「力尽き、死にかけていた俺たちを拾い上げてくれたご恩は忘れていません。俺の忠義は貴方に捧げるためのものだ。もう誰にも遅れはとりません」


 センジュは膝を付き、ユガーシャの前で臣下の礼をとった。

 ブシドー。

 それは、異世界で生まれた異形の戦士たち。

 生誕する前から遺伝子を操作され、あらゆる能力を強化された生まれついての戦闘種族。その踏み込みは大地を割り、その一刀は鋼を両断する。


「いい心構えです。ですが、その忠義は私個人ではなく、国家の安寧と秩序に捧げなさい。我ら【憂国士戦線】はその為にある」


 言葉と同時に、ユガーシャの前に並んでいく探索者たち。

 九人で構成される分隊が十あまり。

 『本隊』が合流すればその数は更に十倍以上に膨れあがる。

 【憂国士戦線】こそは国内最大規模の探索者集団である。


「我々は護国の爪牙。忌まわしき怨敵、人類を脅かす侵略者たちから罪無き人々を守る義務があるのです。知っての通り、敵国ジャッフハリムは我らが同胞を言葉巧みにそそのかし、地上に反旗を翻させました。これこそが卑劣なるジャッフハリム人のやり口なのです」


 吟遊詩人の語りに、憤りの声が上がる。

 ユガーシャは暫くの間探索者たちが義憤のままにジャッフハリムを、その国民を罵倒するのを聞いていたが、やがて窘めるようにこう言った。


「――ですがそれらの卑劣は、彼らにも守るべき国家、守るべき家、守るべき大地があるがゆえに起きてしまう悲劇。ああ、何と嘆かわしいことか。ですが勇士たちよ、躊躇ってはなりません。迷ってはいけません。貴方たちの背後にもまた、守るべき民が、郷土が、我らの誇るべき世界があるのですから」

 

 各々が頷き、声を上げ、誇らしく拳を握り掲げていく。

 大切な者の為に。

 守るべき世界の為に。

 血塗られた戦いは、それゆえに肯定される。


「地上の行く末を憂う勇士たちよ。先程の歌を聴き、心を動かされた者もいるかもしれません。平和と共存を望む心はいつだって尊い。ですが! 忘れてはなりません。そのような純粋な心を、隣人を愛する心を! 冷たく硬質な策謀が絡め取らんとしていることを! ジャッフハリムの工作員は虎視眈々と罠を仕掛ける機会を狙っているでしょう。今こそ我らが気を引き締め、一丸となって敵国に対抗しなければならないのです」


 ユガーシャの声は切々と情動に訴えかける。その声といい表情と言いどこまでも『本物』にしか見えない――本気に見える以上、それは本気なのだ。






「多世界連合の夷人による次元侵略、ジャッフハリムの傀儡である国内のテロリスト。今、地上は乱れに乱れ、恐るべき外敵に脅かされています。更には槍神教は腐敗し、槍神から民の心は離れ、クロウサー家や王族への信頼は地に落ちつつあり、政府への批判は高まるばかり。ですが、地上の未来を憂う勇士たちよ。だからこそ、我々が奮起すべきなのです」


 探索者たちは同意の声を唱和させて、ユガーシャの下で団結する。

 満足げに頷いたユガーシャは、混乱した市街地に探索者の部隊を派遣していき、復旧や救護に当たらせた。


「全ては弱き人のために。守るべき国家のために。血にまみれ、傷を負うことを誇りなさい、勇士たち。それこそが貴方たちの善なる心の表れなのですから。弱き人々を救う貴方たち一人一人が、真の英雄だと私は信じています」


 周囲に残ったのは直属の部下――といえば聞こえがいいが、要するに戦闘しか能が無い者たちだ。

 ユガーシャの親衛隊として周囲を固めている彼らは皆、刀を腰に下げていた。

 その中の一人、センジュがぽつりと呟いた。


「増えましたね。あれ」


 その言葉は、どうやら眼鏡をかけたり、幻像を目の前に表示させたりしている人々を指しているようだった。


「うん? ああ、サイバーカラテとやらですか。そういえば、あれは貴方の元いた世界にも――」


「ええ。ありましたよ。あの馬鹿げた代物がね」


 不機嫌さと嫌悪を剥き出しにしてセンジュは吐き捨てた。

 意外そうにユガーシャは問うた。


「あの武術に何か問題でも? 確か、戦闘の経験を集積して最適な動きを提示する、とか――」


「最適な動き? は、馬鹿馬鹿しい」


 サイバーカラテはユーザーの戦闘経験をフィードバックし、それらを反映してより効率的な戦術を構築し続ける自己改良・最適化をし続ける体系である。

 集合知に基づいた最適解の武術ヒューリスティクス

 最も尤もらしい仮説を導き出す為の推論アブダクション

 

 それはある意味で、類推を重んじるこのゼオーティアに馴染みやすい方法論だと言うことができるかもしれない。

 センジュはそれを、


「オカルトですよ、あんなもん」

 

 と、奇妙な批判の仕方をした。

 ユガーシャは部下の言わんとする所が理解できずに首を傾げた。

 それの何がいけないのか、本気でわからなかったのだ。

 事実、それはこの世界では何一つとして問題にならない。


「最適解? そんなもんは存在しない。ごちゃごちゃと技だの手数だのばっか増やすのは阿呆のやることだ。サイバーカラテなんてのは武術とは呼べない。誰が広めやがったのか知らないですがね、そいつを見つけたらぶった斬ってやりますよ」


 武術とは体系だ。センジュはそう確信を述べる。

 一貫した思想と哲学に基づいて心技体を鍛え上げていく、一つの世界観、宇宙観とも言うべき実践の学術であり信仰でもある。


 それぞれの武術を身に修めたブシドーにとって、誇り無く思想無く、ただ無節操に拳を『操作する』だけのサイバーカラテは侮蔑の対象だった。

 それは武術ではない。

 信念が無い拳など恐るるに足らずと、センジュは切って捨てた。


「ただで食える飯なんてありゃしない。都合のいい汎用最適化戦略メタヒューリスティクスなんてのは馬鹿の妄想ですよ。どいつもこいつもほいほい扇動されやがって。武術の強みってもんをまるで理解してねえんです」


 怒りを吐き出す若者を優しい目で見ながら、ユガーシャは曖昧な微笑みを浮かべて、言葉を紡いだ。 


「でもね、センジュ」


 膨大な戦闘の記録――つまりは有り合わせのものを組み合わせて、有り合わせの方法論でそれらしい正解を探り出す。

 それは例えば、このようにも表現できる。

 寄せ集めブリコラージュの武術。

 

「武術ではなくとも――呪術ではあるのかもしれません」



 





 第四階層で、いつものように悲鳴が上がる。

 人が死ぬ。

 人が殺し、人が殺される。

 異獣を殺し、異獣に殺されるのではない。



 第四階層では、そしてその場所の掌握者たる守護の九槍第七位が支配する戦場では、人が人を殺すのだ。それは以前から、何も変わらずに。

 その場所の侵攻に参加したジャッフハリムの兵士と義勇兵として参加した探索者たちは、その異様な光景に目を見開いた。


 銀色の装甲に身を包んだ修道騎士の部隊が、交戦状態にあった。

 戦っているのは、同じ修道騎士の部隊である。

 鈍器を振りかざし、槍を持って突撃し、兜がかち割られて装甲ごと肉体が圧壊していく。


 血みどろの仲間割れ。

 兜が剥ぎ取られ、鎧が砕けても死にものぐるいで相手に飛びかかり、素手での殺し合いが続く。

 恐るべき形相で争い合う二集団は、それぞれ人種が異なるようだった。


 それも、眷族種としての違いではない。

 同じ霊長類――多数派たるキャカール系と少数派のエネアーダ系という、肌色の濃淡くらいしか違いの無い『民族』の差異。

 どうやらそれが二つの集団が殺し合いをしている理由らしい。


 ジャッフハリムの混成軍は状況を好機と見て一気に攻撃を仕掛けようとした。

 だが、その時。


「邪魔をしてはいけません。彼らは己の俗情に従って、欲望を解放している最中なのですから」


 いつの間にそこにいたのだろう。

 誰も気づけなかった。

 圧倒的な存在感を誇る巨体。黒い僧服がはち切れんばかりの太い腕。巌の如き体躯の上に、黒い肌の頭部が乗っている。


 縮れ毛の豊かな金髪が背に流れる、ティシムガンド系の黒檀の民。

 ジャッフハリムの岩肌種に引けをとらない巨漢は、気づいてみれば圧倒的な存在の密度を有していた。

 だがこの男は部隊の中心に誰にも気付かれずに立っている。


 更に異常なのは、ここに至っても誰も男を攻撃しようと考えさえできなかった事である。攻撃できない、ではなく、攻撃するという発想そのものが浮かばない。

 男の、虚ろな闇ばかりが広がる瞳が不気味に発光する。

 虚無の色に。色無き輝きが空間を伝播していく。

 

「【レイシズム変数ヴァリアブル】――代入・『われわれ』ジャッフハリム正規軍の職分を不当に奪い荒らしていく『かれら』探索者の無法者共」


 不可解な呟き。

 直後、ジャッフハリムを守る為に結成された混成軍は、互いに罵り合い、侮蔑を口にして、敵意を剥き出しにしながら仲間同士で相争う。

 それを眺めながら、男は呟いた。


「人間の本性とは、実に典型的な振る舞いに表れます。器質的傾向、社会的傾向、歴史的傾向、そして心的傾向――任意の社会的関係性が任意の差異を参照し、自他の世界観を規定する。人が人を排除し序列化する思考とは極めて類型的です。だからこそパターンを掴む事で技術として体系化が可能。このように」


 黒檀の民の男は、掌に数式と文字列を展開した。

 決まり切った公式、決まり切った構文に、任意の値――言葉を代入するだけの簡素な呪文である。


 『われわれ』と『かれら』というたった二つの変数。

 それが、男が操る呪文の本質である。

 指示内容が異なるだけで、基本的な効果は単純だ。


 身体的特徴、科学的な種族差、出身、文化、宗教、振る舞い、来歴、趣味嗜好、性差、年齢――その他、数え切れないほどの差異に基づいた排除と序列化。

 差異――それは言語じゅもんであり文化じゅりょくである。

 人の心に予め備わった機能を祝福し増幅する支援の業。


 それが第七位の神働術。

 槍神教の教えを正しく実践させる為の、最善の神への信仰。

 ゆえにその男は、最も敬虔な守護の九槍と言われていた。


 最も多く味方を殺し、望んで無能な上官を演じる彼を、戦況を遅滞させ、戦いを長引かせたい上層部や巨大企業は最も優秀な大司教と呼ぶ。

 敵対派閥の修道騎士を戦場で圧殺する『公然たる暗殺』をこの上なく得意とする彼は、松明の騎士団において最も有能な修道騎士とも言われている。


 今日もまた、彼は自軍を全滅させた。

 抗戦虚しく、一人生き恥を晒して生き残ってしまった、なんとお詫びをすれば――などと自動生成メールが報告書を作成していく。

 それを見ながら、彼は無慈悲に神働術で修道騎士を殺していく。


 地獄――ジャッフハリムの侵攻など、彼一人でどうとでもなるのだ。

 だがここを通すわけにはいかない。そうなれば彼は死んでしまうし、死んでしまったら地上の人間を殺す事ができなくなってしまう。


 彼はただ、無駄に、意味も無く、だらだらと地上の人間を虐殺し続ける為だけにそこにいる。

 大樹の『うろ』のような瞳に闇を湛えて、男は地上の理によって地上の人間を殺し続ける。殺し合いを促して自滅の断末魔を聞き続ける。


「憎め、唾を吐け、蔑め、見下せ、嗤え、優れた自己と『われわれ』を確信するがいい。そして死ね。無意味に殺し合って命を散らせ。そのありふれた死、古代より蔓延し続けてきた憎悪と絶望こそ我が糧――糧、糧、か?」

 

 男が言葉の途中で首を傾げる。

 やがて動く者がだれもいなくなったその場所で「ふむ」と納得したような声。


「何も感じぬ。というかどうでも良いな。特に殺し合わせる意味は無かった。別に必要というわけでもない」


 屍を踏み越え、金髪を揺らしながら黒檀の民の男は独りごちた。

 だが。

 虚ろな瞳が、かすかにゆらめいた。


「だが殺す。特に意味は無いが殺す。生きている限り殺す。私の部下になった地上人類は皆殺しにする。なぜならば、それが主の望みであるからだ。それが教義であり正義であり大義であるからだ。私はその手助けをしているに過ぎぬ」


 地上の望み、人の望み。

 誰よりも地上の人間らしく。

 人の本性とは何かを断定して、守護の九槍第七位は掠れた声で呟き続ける。

 誰も彼の言葉に耳を傾けたりはしない。


 その言葉はどうしようもなくありふれていて、意味も価値も存在しないからだ。

 ただ当たり前の事実を、当たり前の事として再確認するだけの男。


「機械のように憎しみ合い、自動的に排除し合い、反射的に優劣をつけて他者を踏みつけろ。それが、『人』というものなのだから」


 陰鬱な呟きが、第四階層に響いた。

 そしてまた、仲間同士が殺し合う。

 男が信じるありのままの人間らしさが、そこには表現されていた。


「私は、ただ殺し合わせるだけだ」



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