3-95 それは、世界がこんなにも光に満ち溢れているから
言理の妖精フィリスは最弱の魔将だ。
実体を持たず、単体では羽毛ひとつ動かせないし、寄り代無しでは呪文を唱えることだってできやしない。
けれど、この世界において強弱というのは一面的なものの見方でしかない。
序列の高い眷族種は身体能力が低い代わりに呪術が得意なように。
序列の低い眷族種は呪術の適性が低い代わりに身体能力が高いように。
どこかで帳尻が合うようになっている。
つまり――実体として極めて脆弱なフィリスは、その逆に非実体としてはこの上なく強大な存在である。
私に掌握される前のフィリスは、相手を見ただけで瞬時にその本質を解析し、再解釈してしまうことができた。
妖精ではなくただの人である私は、見たものの全てを知り尽くす事はできない。
でも、黒百合宮で一緒の時間を過ごした仲間たちのことは、幾らか知っている。
そしてみんなも、私の事を知ってくれている。
ならば、フィリスの力である解析と解体、再解釈と再現、それらの組み合わせと寄せ集めで何か新しいものが作れないだろうか。
野生の思考。
呪術的思考。
既知の呪文を唱え、未知の呪文を探り出す。
二つ目の金鎖を砕いた私は、歌の翼を広げながら夜の闇を飛翔した。
背に受けるのはこの世で最も美しい呪文。
左手の色が純粋な漆黒に染まる。
最速で攻撃を仕掛けて来た第七魔将アケルグリュスと第八魔将ハルハハールは既に満身創痍だった。むしろ、四魔女最強の
比喩や誇張ではなく、歌姫モードの彼女は他の末妹候補とは存在の格が違う。
星見の塔第三位であるカタルマリーナの呪力に満ちた異名をそのまま受け継ぎ、更には世界中の
それが最高潮に達したとき、その不死性と呪力は個人の限界を突破する。
人の熱狂が力となり、さらにエルネトモランで戦っている全ての人々の戦意や高揚が歌によって増幅され、相乗効果を生み出し続ける。
一度は敗れ、そして劇的に復活してみせるというパフォーマンスを行った歌姫の呪力は、既にこの場にいるあらゆる魔将を完全に凌駕していた。
この地上という文化圏においては一つの神話体系の芸術の女神にも匹敵する――あるいは、主神級の存在すら凌駕する呪力。
例えば彼女と同じように信仰を呪力に変えて神の如き力を振るう者――そんなとんでもない人物がそういるとは思えないが――と実際に存在の位階を比べ合えば、その実力はわかりやすい指標になることだろう。
そして、無惨にも信奉者たちの大半を支配された二人の魔将は既に敗残兵だ。
私が行うのは、後始末だけ。
左手で巨大な蝶の翅を貫通する。
『歌う左手』が内部から呪文を炸裂させて、その命を刈り取る。
その瞬間、ハルハハールは瞬時に少年の姿に変身すると、両腕で私の身体をきつく抱きかかえて血の泡を吹きながら叫ぶ。
『最後が醜くてもっ――皆、僕ごとこいつを殺せっ』
端整な顔を苦痛に歪めながら決死の覚悟で叫ぶ
嵐のような呪術攻撃の閃光が晴れた直後。
『ああ、申し訳ありません、レストロオセ様!』
悲痛な嘆きと共に、巨大な顎によって
圧倒的な暴力がか弱い貴人を蹂躙する。
それはまるで、南東海諸島に生息する深淵の大蛸の怒りを静めるため、生贄として捧げられ続けた非業の種族の運命を象徴するかのようでもあった。
流動し変幻し続ける呪文群によって極小の意味の群れに還元されたアケルグリュスが消滅していく。巨大構造の内側で、同じくハルハハールの残骸が圧壊。
魔将たちによる一斉攻撃の全てが、夥しい数の記号の内側に取り込まれ、その一部になっていた。
数式、譜面と音楽記号、精緻な絵画のようにさえ見える表意文字、それらが構成するタイポグラフィの幻獣。
歌姫が創造した第九の創生竜、【オルゴーの滅びの呪文】と一体化した私は、二体の魔将を立て続けに圧殺した。
それは私個人の力ではけっして無い。
私は最高位の呪文である【オルゴーの滅びの呪文】を詠唱できないし、仮に唱えることに成功したとしてもここまで巨大な規模になるまで構成を維持できない。
【オルガンローデ】は四系統に一つずつ存在する最上位呪文だが、呪文のオルガンローデは『長時間詠唱すればするだけ威力が上昇する』という性質を持つ。
更には、維持する時間が長くなれば長くなるほどその詠唱の難易度は増していくという扱いづらさ。
戦闘中に極度の精神集中を行いながら大量の呪力を体内から吸い上げる極大呪文。維持し続けるだけでも至難の業であり、それを魔将二人を一瞬で蹴散らす規模にまで膨れあがらせるとなると、黒百合の子供たちの中で可能なのはただ一人。
今、私の左手に宿ったフィリスは、歌姫の力を摸倣し、再現している。
そして、類似したものは『同じ』であるとみなされる呪術の基本法則により、私の左手と彼女の呪文は、完全に遅延無く同調し、その効果を相乗させる。
私は創生竜そのものとなって魔将たちに襲い掛かる。
「断ち切れ、エアル・ア・フィリス!」
魔将ユネクティアが左手の剣で巨大な呪文を引き裂いていく。
あらゆる呪文を切断するそれこそは紀元槍の端末を摸倣しながら紀元槍の秩序に抗う叛逆の刃。
致命的な一撃が創生竜を切断していくが、膨大の量の呪文は尽きることなく私の影の触手と共に魔将の刃と拮抗する。
ユネクティアが浄界を発動させようとするが、歌姫と私がそれを許さない。
私は世界を震撼させる竜の咆哮を上げた。それ自体が一つの呪文。
かつて影の世界スキリシアという一つの世界を砕いて旧世界ロディニオと繋げてみせた、次元を貫く究極の一撃。
それはユネクティアの影の浄界を破壊し、アインノーラの決闘場の浄界を粉砕し、サイザクタートの夢を引き裂いていった。
ユネクティアが、巨大な牙を受け止めながら叫ぶ。
「エスフェイル! 君は二人を連れて先を急ぐんだ!」
「師兄?! ですが――」
「未来を参照する聖女に対抗できるのは過去を参照する者、つまり死霊使いと死人使いだけだ!」
エスフェイルは少女と狼の顔を同時に引き締めると、模造の月を浮遊させてガルズとマリーを連れて走る。
逃がさない。
膨大な量の呪文を操る歌姫と、巨大な呪文竜となった私が追撃する。
「通せんぼ! 通せんぼ!」
立ちふさがる魔将たち。三つ首の番犬という異名を持つサイザクタートが自身の真横に境界線を広げ、入り込んだものを無限の夢に誘う結界を構築する。
一撃で粉砕した。
その手の攻撃はもう効かない。
何しろ、もっと凶悪な守護天使――古き神の夢を克服したばかりなのだ。
強い確信と共に影の触手を伸ばす。
サイザクタートが矢を放つ背中の虹が消え、『朱』の色号が力を失っていく。
夢使いなんて、もう敵ではない。
「私にとっては今が全て! だから、邪魔しないで!」
呪文の群れに魔将が吹き飛ばされていく。
街路を埋め尽くすかのような巨体をうねらせて進む。
青い翼と枝角を持った巨大な触手のごとき姿となった私は、歌姫と共にガルズたちを追撃していく。
迫り来る巨大な竜とそれを使役する不死の魔女に立ち向かう勇敢な戦士たち。
それはまるで竜退治の御伽噺のよう。
ありとあらゆる攻撃を飲み込んで、逆に膨張していく呪文竜を止められる者はいない。必殺の攻撃は竜にとって蚊に刺されたようなものだ。
その時、ユネクティアが動いた。
静かに流動する複雑怪奇な呪文竜を観察していた彼は、その剣で精確にある一点を刺し貫く。
「解体は無理でも、分断なら!」
達人の技。
私と竜を繋ぐ呪文だけを的確に切り裂いて、私と竜が分断される。
複雑な構造を絶えず流動させ続けている呪文の群れを完全に解体することはできなかったようだが、もともとが別々の存在である私を切り離す程度はできたということだろう。
魔将ユネクティアだけは、歌姫の支援がある状況でも確実に勝てると確信ができなかった。だから一度フィリスを試して、相手の力を出来るだけ観察しようと試みたのだ。結論は、あれは今までの方法では解体できない、というもの。
死は苦しく、恐ろしかったけれど、私には絶対の保険があったから構わないと思えた。
不死者である歌姫の呪詛。祝福者であったミルーニャの苦痛。
それを思えば、『再詠唱』の手間くらいどうということはない。
使い魔たる私は、いつだって彼女の歌と共にある。
相乗効果が途絶えても、脅威が消えた訳ではない。
魔将たちは歌姫の猛攻と呪文竜の攻撃を同時に凌ぎ続ける。
私はガルズたちを追撃する。
無防備になった私に向かってくるのは銀霊サジェリミーナ。
張り巡らせた【陥穽】の罠。
歌姫の力を再現する私の拘束帯は数十の光となって銀霊の動きを妨げる。
加勢しようとするクエスドレムとダエモデクに嵐のように降り注ぐ歌姫の呪文。
更には探索者の集団が一斉に両者に攻撃をしかける。
その中心に、とても嫌な感じの笑みを浮かべる者がいた。
直感的に、嫌いだと思った。
魔将と互角に渡り合うその人物は竪琴を鳴らしながら魔将二人を引き受けてくれる様子だ。
今はそれに頼るべきだろう。
ピッチャールーの攻撃端末が歌姫の援護を吸収して爆散。アインノーラの斧が歌姫の肉体を両断し、サイザクタートの矢が肉片すら残さずに消滅させる。
正面からサジェリミーナの鎌のような水銀の刃、左右から強化死人と屍亜竜が襲いかかる。
「
第三の金鎖が砕けて、堅牢なる防御が全ての攻撃を完璧に受け止めた。
突き刺さる無数の棘を内部に飲み込み、水銀の鎌ではびくともせず、剛腕と瘴気の息吹を圧倒的な汚穢に満ちた内部に吸い込んでいく。
左手から伸びる無数の枝葉と蔦、分厚い暗色の葉。更には死人の群れに種を植え付けて苗床にする。
私は黒衣に変わって大樹を身に纏い、木の『うろ』の中に隠れ潜む。
闇の中で私は目を輝かせながら、苗床にした死人たちから呪力を吸い上げながら巨大な枝を腕のように振るう。
樹木葬によって死人を駆逐していく私は、今や一つの森だ。
市街地を侵食しながらガルズを追う。
輝く色彩は、深い緑。
触手を枝葉や蔓に変えて、左手の暗色に緑色を加える。
そのとき、プリエステラを太い腕で抱え込んで人質にしようとしていた魔将ベフォニスが苦痛の声を上げる。
あらゆる呪石弾を食らって自らの力に変える魔将が、逆に力を吸い取られていた。剛力で首を絞められているはずのプリエステラの全身から伸びる蔦が、魔将の巨体に絡みついて呪力を吸い取っているのだ。
「人質と脅迫者の関係性って流動的よ――邪魔になって逆に足を引っ張られないように、気をつけてね?」
プリエステラからの、余りにも遅い忠告。
支配者と被支配者の関係性を常に揺らがせる特殊な使い魔系統の呪術師であるプリエステラは、裏切り者と人質という立場を逆転させていた。
今の彼女は私の最大の味方。そして、ベフォニスを脅かす者。
ベフォニスは『灰』の色号によって時間を加速。
腕の内側を『体内』であると強引に自分を騙すことでプリエステラを急速に老化させて殺害しようとする。
しかし、時間操作によって対象を直接死に近づけようとする呪術はプリエステラにとって意味を為さない。
魔将が自らの軽率な行動を後悔した時にはもう遅い。
人とは圧倒的にタイムスケールが異なる樹木系種族にとって、ベフォニスの攻撃は生育を促す強化呪術に過ぎないのだ。
本来ならば長い年月をかけて積み重ねるはずのティリビナの民たちの『年輪』がそのアストラル体に刻まれ、膨れあがった呪力が魔将の身体を弾き飛ばす。
左手の相似によって繋がった私たちは同時に成長していく。
私は夜の森を想起させる巨大な木々となって。
プリエステラは可憐で色鮮やかな花々を咲かせて。
プリエステラがあらゆる時代、あらゆる地域から花言葉の呪文を参照し、無数の意味を華やかな輝きと共に引き出していく一方で、その根の下で渦巻く腐敗と死という闇を私が操作していく。
その二つは表裏一体。
自然とはこの上なく美しく、この上なく醜い。
サジェリミーナの水銀による汚染すらも影の中に飲み込んで、暗黒の木々と絢爛な花弁の群れが銀霊を全方位から押し潰す。
市街地に突如として出現した大森林。
その真上で高らかに呪文を響かせて魔将を圧倒する不死者の歌姫が森の拡大を促し、神速を発揮する事もできぬまま第五魔将サジェリミーナが滅んでいく。
本来ならば容易くは倒せないはずの怪物があっけなく倒されてしまったような、よく分からない手応えを得て、内心で首を傾げる。
間違い無く完全に滅ぼしたのだが、なんだかずるをしているような――けれどこの魔将はそういう死に方をする宿命にあるような。
増大していく私とプリエステラ、歌姫の勢力に魔将たちが圧されていく。
軍勢となった森と花々が、逃亡するガルズたちを追撃。
市街地を飛翔するガルズとその腕に抱えられたマリー。
更には次々と修道騎士や探索者たちを薙ぎ払っていくエスフェイル。
赤頭巾の少女が杖を振るうだけで人が吹き飛び、模造の月から無数の腕と黒棘が突きだして破壊を撒き散らす。
呪文の嵐が、花吹雪が、夥しい数の枝葉が殿のエスフェイルに襲いかかる。
その目の前に、呪文竜との戦いで黒衣をぼろぼろにしたユネクティアが降り立つ。神懸かり的な剣戟で全ての脅威を断ち切った兄弟子への感情を振り切って、先を急ぐエスフェイル。
向かうのは第一区の果て。世界槍内部、第一階層の奥。
狙うは聖女クナータの首一つ。
そうはさせまいと、私は闇の勢力を拡大させた。
無数の死人を飲み込みながら、闇の森は第一区の市街地を飲み込み、破壊していく。逃げ惑う市民。避難誘導と防護障壁の展開で必死な探索者と修道騎士。
極力巻き込まないようにしているが、相手が魔将なので私もプリエステラもあまり手加減をする余裕が無い。
結果として全力を振るってしまう私たち。
共鳴する同質の呪力が相乗効果を生む。
枝のような第一区、その分岐路を中心とした市街地は壊滅状態に陥っていた。
「ぬんっ」
力強く巨大な両刃斧を投擲したのは第四魔将アインノーラ。
牛頭の魔将が稲妻と炎を纏った斧の神滅具を投げつけると、それは次々と木々を切断し、花弁を燃やし、稲妻の速度と猛火の勢いであらゆるものを破壊していく。
炎熱は森を焼き滅ぼし、斧は木々を切り倒す。
甚大な破壊をもたらしていく神滅具は、弧を描いて持ち主の元に帰還する。使用者に破滅をもたらす覇王メクセトの悪意がアインノーラに牙を剥く。
破壊力を最大限に増幅させた両刃斧が魔将に直撃。
しかし、アインノーラは身に纏った亀の甲羅によってそれを防ぎきっていた。
ミルーニャに言わせれば、神滅具のコストの踏み倒し、といった所だろうか。
歌姫は焼き尽くされたが瞬時に再生。
私もまた回避が間に合った。プリエステラを助けに行こうかとも思ったのだが、その必要が無いと途中で察したから自分の回避行動に専念できたのだった。
「へっ、今度は何とか間に合ったな、おい」
ペイルが全身に大火傷を負いながらもプリエステラを破壊の余波から守り、イルスが負傷した彼に背後から治癒の術をかけていた。
「さあ、再戦と行こうか!」
空から無数の羽型攻撃端末を射出してピッチャールーの球形攻撃端末を撃墜しながらサイザクタートへと宣言するのは試作型神働装甲五型を纏ったナトだ。
更に彼は、その腕に私を包み込むくらいの大きさをした鎧を抱えていた。
「ラーゼフさんからの伝言だ! 『完成直後に無茶な注文をするなこの大馬鹿者』だってさ! あと『もう壊すなよ』とも言ってた」
「ありがとう、でも多分壊れると思う!」
投下されたのは試作型神働装甲二型――夜の民用に開発された甲冑。
その色彩は漆黒。
それは私の目の前に落下すると、そのまま真下に――影の中に沈み込む。
壊滅した森と市街地から現れた私は黒衣姿のまま。
だが、その影だけがごつごつとした甲冑を纏った輪郭へと変貌する。
それはアストラル体を守る影の鎧であり、同時にマテリアル体を守る鋼の装甲でもある。
サリアの装備を見て私がラーゼフに『こういうのが欲しい』と何となく言ってみたら本当に突貫工事で改造を始めたのでびっくりした。
ほとんど完成しかけていた神働装甲二型は、既に初期に想定されていた有翼の牡鹿への変形機構を有する試作機からはかけ離れたものになってしまった。
取り出した槌矛から伸ばした拘束の帯をアインノーラへと伸ばす。
その光の帯を横合いから空間を切り裂く【線の嵐】が遮った。
サイザクタートのもう一つの能力が空間を歪曲させて甚大な破壊をもたらす。
更にはベフォニスが掌から放つ無数の【爆撃】、ピッチャールーの拡散呪術砲が私に襲いかかる。しかし私は回避もしなければ防御障壁も展開しない。
完全に受けきってみせた。
愕然とするベフォニスにナトの攻撃端末と歌姫の呪文が襲いかかる。
私が呪術による攻撃を防御できたのは、神働装甲――影の鎧のおかげだ。
この鎧は影に纏っている間は呪術に対する抵抗力を極端に上昇させる。
元から呪術抵抗が高い夜の民が纏えば、中位呪術くらいまでなら完全に無効化できるし、上位呪術の威力もある程度軽減できる。
再度、神滅具の投擲体勢に入ったアインノーラ。
強制的に一対一にする浄界は呪文竜が暴れ狂っている間は使えないが、神滅具の圧倒的破壊力は脅威だ。
後衛である歌姫と私はもちろん、樹妖精のプリエステラにとっても天敵である。
閃き。
それは即興の判断、完全なその場の思いつきだった。
けれど、できると確信して私は叫ぶ。
「私に合わせて! エスト、『アクス』!」
その呼びかけで、二人は即座に意味を理解してくれた。
漆黒と深緑。左手が同時に二色の輝きを放つ。
アインノーラが神滅具を投擲。炎と雷を撒き散らしながら迫り来る猛威を前に、歌姫は周囲に浮遊する大量の呪文を斧の形に変化させ、それを神滅具に向けて投げつける。
神滅具は勢いを減じさせることなくそのままプリエステラへと向かう。
ペイルが盾になろうとするが、プリエステラはそれを制止して、掌を石畳の床についた。
石畳を突き破って急激に伸び上がっていく樹木の群れ。呪術によって生み出された樹木の障壁は本来極めて強靭だが、神滅具の前にはいかにも頼りない。
しかし。
「馬鹿な」
回転する斧が、樹木の前で止まっていた。
いや、正確には回転し、炎と雷を撒き散らしてはいるのだが、その破壊力が拡散せず全て樹木の中に吸い込まれていっているのだ。
木々の『うろ』、その闇の中から文字が溢れ出す。
斧はそのまま樹木を細かく伐採し、プリエステラを避けて空高く舞い上がると、先ほどの一撃で破壊されていた森林に襲い掛かる。
猛回転しながら森林を切り開いていく神滅具に重なる。文字列で構成された呪文の斧。木を切断しながら樵歌が響いていく。神滅具は歌姫によって制御を奪われているのだ。
歌姫の紡ぐ高等呪文がパルプ化の全工程を飛ばして瞬時に木々を紙片に、そして書物に変えて行く。元が情報的な樹木なので、変換は容易だ。
森が巨大な魔導書に変わる。溢れ返った紙、紙、紙、そして浮かび上がるのは漆黒のインクで綴られた呪文。
「パルプ・フィクション!」
呪文の名は自然と口をついて出てきた。
二人の呪力を即興で組み合わせて、更なる力を顕現させる。
黒と緑を繋ぎ合わせた私は、二つの輝きを束ねて魔将に解き放った。
世界を埋め尽くす紙片に記されていく『物語』の嵐が、斧の神滅具を飲み込んでアインノーラを襲う。
それは猛毒。魔将を退治する事に特化した呪文の群れ。
「このようなものっ」
吼える牛頭の魔将は、しかし無数の物語によって全身を打ちのめされていく。
当然だ。それらは過去に大量生産された娯楽小説の群れ。
長く第一階層の掌握者であったアインノーラは、地上世界にとっては地獄という脅威の象徴である。
ゆえに、かの魔将を『退治されるべき怪物』として設定されたフィクションは枚挙に暇が無い。媒体を問わず、迷宮の番人である牛頭の魔人を倒すという筋書きは非常に好まれ、今でも定番となっている。
地上におけるその常識が、魔将アインノーラを攻め立てる。
ごく普通の人々が望んだ痛快な娯楽。
単純な欲望の渦が、魔将を守る甲羅に亀裂を入れる。
「ジャッフハリムに栄光あれ!」
戻ってきた神滅具がその亀裂を押し広げ、砕き、体内で炸裂した猛火と稲妻がアインノーラを焼き尽くしていった。
これで四人。
立て続けに大量の紙片を逃げ続けるエスフェイルへと殺到させる。
参照するのは同じく異獣を悪と断じて否定する創作物――人狼退治をモチーフにしたそれらは、大神院が推奨する『望ましい』表現である。
それを利用してエスフェイルを攻撃することに躊躇いは無い。
私は人狼を殺してきた。そしてこれからも異獣を殺すだろう。
殺せ、奪え、勝ち取れ。
感情を力に変えて、鉄の願いを叶える為に、槍と鈍器を手にして彷徨う。
私は結局の所どこまで行っても地上の人間だ。
だから、一人も残さない。
魔将は私が全て殺す。
蘇った魔将も、残る四人も。
妹を、ビーチェを取り戻す為に邪魔な者は全て排除する。
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