3-94 その名はサイバーカラテ②
ミルーニャ・アルタネイフは、死人に満ちた夜の街を疾走する。
目覚めた時、事態は全て終わっていた。
結局の所、ミルーニャのプロトプラズマ収束弾は一定の効果を上げていたのだ。
更に理論上は可能な(実行したと聞いた時には叱りつけたいのをぐっと堪えた)質量ゼロ状態による『光の速度』でのリーナの突撃によって魔将は撃退された。
その結果を、ごく自然に二人は受け入れた。
自分の怪我がすっかり治っているのも、もちろん肉体に残っていた再生能力のお陰だろう。何もおかしな点は無い。
『歌』を聞いた二人は、反撃の合図に互いに顔を見合わせて、生き残った者たちを駆けつけた草の民たちに預けた。
ガルズを、マリーを、魔将たちを止める為にそれぞれ行動を開始する。
ミルーニャは端末に向けて命令を下す。
「右手薬指、
まずは神滅具の構造を分析した結果として生み出された肉体強化呪文、【
呪文を参照した全ての人々に身体能力の強化術をかける。
「右手人差し指、
扇動と精神干渉の神滅具をフィリスを利用して情報的に解体し、アプリケーション内部に組み込んでいく。
その二つは、足りないものを補うための代替品だった。
心技体。機械で出来ないことを、呪術によって行う為に。
エルネトモランに急速に広がっていく、とある種類の体系を宿した摸倣子。
散らばった形の無い紙片が、文字列が、ウィルスが、それらを拡散、伝播、浸透させていく。
漆黒の魔導書、【
黙読文化の
準備は完全に整えられていた。
吸血鬼の仕掛けたウィルスには錬金術師が呪文として再構築した神滅具の模造品が組み込まれている。
「なんだこれ」
と誰かが言ったのが聞こえた。
ミルーニャは実際に試験運用をした者として細かい使用感、評価などをわかりやすい文章で、且つ映像付きでアップロード。
小柄な少女の堂々たる動き。そこには説得力が宿る。
一般人を達人に変える、万能の武術。
その名はサイバーカラテ。
注射器を腕に突き刺し、霊薬液を体内に注入。
ミルーニャは跳躍し、その全身を変貌させた。
巻き毛の髪色は白く染まり、瞳は赤。
服装は華美なドレス。月下に翻るのは白と青のひだ飾り。
可憐な美貌を月下に踊らせて、上空から念写撮影を続けるリーナにその姿を見せつけるようにして死人の群れに立ち向かう。
「発勁用意」
眼鏡をかけたミルーニャの視界に、幻影呪術が作り出す文字が浮かび上がる。多腕型サイボーグ用格闘戦術案の呼び出しを実行。
この世界における該当武術を検索。三件の一致。多腕多頭系武術、翼撃武術、変身者による肉体変異武術による代替が妥当との判断。
――該当武術は有効ではあるが、一時的に使用を保留。
今必要なのは、か弱い少女によるデモンストレーション。
基本となる護身術プログラムを呼び出し、情報として展開していく。
ヘルプを呼び出して視界隅に表示された鬱陶しい赤毛の二頭身ガイドを消す方法を検索。異界の武術体系とこの世界の武術体系の中から最も合理的であると判断された戦術が複合され、それらが渾然一体となって一つの体系に組み込まれていく流れを、ミルーニャは見た。
――なんて、素敵なんでしょう。
その混沌と秩序を、ミルーニャはただ美しいと感じた。
そして、これにもっとはやく巡り会えていたなら、とあり得ない過去を一瞬だけ幻視して、すぐに自らの弱さを振り払う。
まずは目の前で唸り声を上げる死人たち。
腰を低く落として、二本の足で身体を支える。
全ての判断は、とある『世界最高水準の人工知能という幻想』によって下されていた。偉そうに胸を張る二頭身を非表示にする方法を発見。二度と出てくるな。
「NOKOTTA!」
高らかに叫び、正面の死人への掌底、真横から迫る敵への肘打ち、鋭い踏み込みからの脚撃と続けていく。
流れるような演舞が世界に拡散し、その圧倒的な力と効率的な動きが『それらしい』ものとして評価を高めていく。
胡散臭いものであったサイバーカラテは、その瞬間ひとつの認識を獲得する。
サイバーカラテは一般人でも使える。
それがたとえ、体格で劣る少女であっても。
ミルーニャがミアスカ流脚撃術の鍛錬を日々続けていることは、誰も知らないし誰も興味が無い。
それで十分だった。
衝撃的な映像を見て、エルネトモランで窮地に立たされた人々の心が奮い立つ。
そして、【サイバーカラテ道場】という『呪文』が一斉にインストールされる。
第五階層の支部を参照する者もいた。
全ては、師範代であるというその外世界人によって伝わった。
道場に本部は存在しない。
それは、形の無いサイバーカラテという枠組みそれ自体が本部である為だ。
サイバーカラテ道場は、いつでも人々の心の中にある。
高位の言語魔術師たちがその叡智の限りを尽くし、徹底的な改造が施されたサイバーカラテはもはや原形を留めていなかった。
しかしそれも無理のないこと。
杖による電子制御義肢は未だこの世界では発展途上。
異獣憑きや、あるいはナトのように手足を呪具として操作する人形使いのような手法にも技術、コスト、本人の資質という問題が立ちはだかる。
けれどミルーニャは、この体系をどうにかより実践的に世界に適合させることが出来ないかと考えに考えた。
サイバネティクスはこの世界では未だ困難だ。
ならば、代わりとなるオカルティズムを使えばいい。
吸血鬼ウィルスの【
【心話】ほどではないが幻覚や魅了による意思疎通を可能とする呪術。
それを、太陰によってもたらされる言語秩序の調整によって効率化する。
そのシステムの構築にあたって、あらゆる権力が濫用された。
とある事情により細部が欠損したサイバーカラテの不完全性。
そして呪術が存在することを前提としていない不備。
それらを補うべく、一時期ミアスカ流脚撃術だけではなく古今東西の武術を調べた事のあるミルーニャが膨大な資料を持ち込み、それらを情報処理が得意な仲間たちと共にデータベース化。
カタルマリーナ派、ペリグランティア派、智神の盾の総力を挙げての大仕事。
だが、それだけではサイバーカラテの心技体のうち『技』しか補えない。
そこで、ミルーニャの出番である。
アストラルネットを通じた、端末経由の呪文インストール。
人々は【血色の戦場旗】によって扇動され、戦いへの恐怖を忘れていく。
呪術による洗脳と扇動。
恐ろしい戦い、死と暴力とは縁遠い普通の人々を狂躁に駆り立て、浮かれた馬鹿騒ぎに誘う魅了の幻影。
サイバーカラテが前提とする感覚、感情制御の『心』を擬似的に再現する。
『体』の問題を改造し、呪文化した【命脈の呪石】――かつて計画していたような『不死』ではなく、劣化した効果にはなってしまったが、今はそれで構わない――を発動させて一時的な身体能力の強化を行う。
心技体は呪術の力によって再現された。
中身が丸ごと入れ替えられ、言葉の枠組みだけがそこに残る。
部品を全て入れ替えてしまった船は果たして同じ船と言えるのか。
サイバーカラテという知らない言葉の輪郭だけが、その世界に刻み付けられる。
もはやリーナによる念写中継は必要無い。
制限を解き放たれたミルーニャの背から純白の翼、腰から長大な尾の如き三本足が飛び出してサイバーカラテの真の力と組み合わさる。
多腕、多脚のサイボーグなど異世界ではありふれているという。
つまりそれは、微調整さえすればこの世界の異種族と規格が合うということだ。
ミルーニャは他腕型サイボーグ/種族用戦闘プログラムを駆使して三本足で多腕発勁【御掌打】を放つ。ミアスカ流脚撃術を土台にしたいいとこ取り、付け焼き刃の戦法。そして、サイバーカラテとはその全てが付け焼き刃である。
使えるものはなんでも使う。
杖の性質が強い第九位の眷族種たちにそれはよく馴染む。
遠くから、イナゴ型の神働装甲三型がミルーニャに迫る。
その横合いから跳び蹴り、掌打、装甲内部に貼り付けた呪符による【爆撃】という連撃を行ったのは、見知らぬ霊長類男性。
どうやら修道騎士らしく、身体の各部に様々な武器を所持している。
「発勁用意! NOKOTTA!」
彼はゴーグル内に流れる文字列を参照しながら立て続けに掌打や蹴りによって神働装甲を効率的に破壊していく。あたかも、初見の機械の構造を外部から推測して打倒するための最適な手段をあらかじめ知っていたかのように。
やがてイナゴはばらばらになり、その中から気絶した半妖精の少年が現れる。
霊長類の男の背後には、気を失った弓使いの修道騎士たち。
男は手を拳にし、開く動作を何度か繰り返した。
「うーん、中々いい感じだ。近接戦闘はあまり得意じゃないんだが、これは生まれ変わった気分だね」
ミルーニャはそれを録音、念写してアップロード。
男性の声がアストラルネットに拡散される。
修道騎士の射手も愛用するサイバーカラテへの信頼感が高められ、ウィルスによってもたらされた不審極まりない呪文アプリの使用を決意する人々が増加。
ミルーニャは、市街のあちこちから「発勁用意」の声が上がるのを聞いた。
拡散した【サイバーカラテ】というミームは、伝播と波及と変質を繰り返し、大きなうねりとなって異世界に広がっていく。今やそれは原型となったものから離れた『何か』に他ならない。
見れば、杖の呪術師たちは呪術を使いながらサイバーカラテの技を組み合わせて戦っている。
サイバネティクスとオカルティズム。その二つの境界が曖昧となり、混沌が地上の秩序を塗り替えていくのだった。
教会の礼拝堂に雪崩れ込んできた死人の群れ。
圧倒的な暴力の目の前に、背の低い老女が立ちはだかる。
皺だらけの顔をきりりと引き締めて、力強く叫ぶ。
「発勁用意!」
老女の流れるような踏み込み、足腰が弱っているとは思えぬほどの安定感、そして素早く力強い掌底の一撃を見た人々は、揃って感嘆の声を上げる。
だが、数の暴力には勝てぬのか、横合いから涎を垂らして死人が迫る。
そこに、
「NOKOTTA!」
細腕の女性が割り込んで、一撃の下に死人を叩き伏せた。
老女はかっと目を見開いて、唾を飛ばしながら叫ぶ。
「あんたは下がってな!」
「いいえ、お義母さん、こんな時くらい頼っていただかないと」
背中合わせになった二人の目の前に、ある死人が現れる。
その顔に、二人は見覚えがあった。
本来他人同士である二人の女性を結びつけている死者――息子であり夫であったもの。その成れの果て。
最悪の運命を前にして、しかし二人は力強く足を同時に踏み出すと、
「嫁に手をあげるような子に育てた覚えは無いよこの馬鹿息子がっ」
「お義母さんの世話全部押しつけて死にやがってこのクソ野郎がっ」
息の揃った打撃によって死人を吹き飛ばす。
老女は女性を睨み付けた。
「あんたそんなこと思ってたのかい」
「あ、いえ、つい弾みで」
「ふん。いいよいいよ。どうせ半人狼のあたしゃ地上にゃ居場所は無いんだ。この場を乗り切ったら第五階層とやらにでも行ってみるかね」
「なら、私もお供します。お義母さん、危なっかしいですからね」
「――勝手にしな」
会話をしながらも、老眼鏡に表示された文字列や端末が網膜に干渉して生み出される幻影を参照して最適効率の動きで死人を撃退していく二人。
その背後で、凄まじい絶叫が上がる。
一人の線の細い青年が、狂ったように礼拝堂を破壊しながら暴れ回っていた。
「くそったれ! 大神院め! 僕の脳髄を弄り回しやがって! 神なんざくたばりやがれ! 教会に火をつけろ! 死者の尊厳? そんなもん糞溜めに放り込め!」
穏やかに槍神教の秩序を説いていた青年の面影はそこにはない。
優しげな顔を激怒に染め上げて、眼鏡に文字列を表示させていく。
扇動と洗脳の呪術によって槍神教への洗脳が解除され、鬱屈と怒り、反抗心を極限まで増幅されたのだ。
今の彼は怒り狂った野獣そのもの。
分泌されたアドレナリンが恐怖や痛みを駆逐して、握りしめた拳が標的を求めて亡者たちに吸い寄せられる。
死者の群れのただ中に突っ込むと、表情とは逆に動きだけは冷静なまま鋭く踏みだし、腰を、胸を、拳を、勢いよく腐った顔面に叩きつける。
「NOKOTTAAAAAAAAA!」
幼い少年の跳び蹴りが、かつて父親だった死人の腹部に突き刺さる。
庇っていた相手に逆に守られている自分に気付いて、少女は驚きに目を見開く。
「ねーちゃんに酷いことするようなヤツは、お父さんじゃない!」
小さな子供が戦おうとするその姿を見て、周囲で逃げ惑っていた人々の瞳にもまた戦意が宿る。
弟を守る為、少女は立ち上がった。
彼らの口が、鋭く一つの形をなぞっていく。
独特の発声と構えで死人に相対する彼らの頭上を、超人的な身体能力を誇る少数の精鋭たちが跳躍していく。
牙を生やした新たな死人たちは、蝙蝠や霧になって夜を飛び越えていく。
彼らもまた声を揃えて、空から襲いかかってくる屍亜竜たちと相対する。
いかに【賦活】の呪術があっても戦えないほど身体が弱っている者、負傷した者たちは戦場をあらゆる角度から観察した。その情報を随時【サイバーカラテ道場】に送ることで格闘制御システムの精度向上に貢献しているのである。
彼らもまた、情報という外力を伝達する起点となっているが故に、こう叫ぶ。
「発勁用意!」
エルネトモランの総合病院を、死人の群れが襲っていた。
警備が総崩れになっているのは、その死人たちの練度が異様に高かったためである。死人たちはそれぞれ異なる得物を構え、ある者は呪術すら使用した。
死人たちの先頭に立つのは、虚ろな目をした白髪の男。
杖の上に弩が取り付けられた独特な武器。
呪石弾を発射しては警備員を吹き飛ばし、突き出される棍を杖の中に仕込んだ刃で切断していく。
探索者の死人という恐るべき脅威。
それでも背後には守るべき病人、怪我人たちが数多く存在する。
警備員たちはここで退くわけにはいかなかった。
その時、院内から騒ぎが聞こえてくる。
「いけません、アルタネイフさん! ようやく目覚めたばかりなんですから! まだ動けるような身体じゃないんですよ!」
「問題ありませんよ。【賦活】の呪術が効いているみたいですから――だから、もう私は大丈夫」
茶色の巻き毛が印象的な、やや童顔の女性。
体格も華奢で、どちらかと言えば静かに室内で本でも読んでいるのが似合うような穏やかな雰囲気。
「ここは危険です! 院内に戻ってください!」
「いいえ。どうかこの人だけは、私にやらせて下さい」
眼鏡のフレームに手を当てて、流れ込む膨大な情報量から最適なパターンが導き出される。
射出された呪石弾をミアスカ流脚撃術の絶技【烏墜】で蹴り返し、閃光と衝撃にたじろぐ死人に一気に肉薄。
「発勁用意――」
抜き放たれた杖刃――刃の方が長い変則的な鞘付き槍の『穂先』の長さと振り抜かれる速度を、女性は知り抜いていた。
その間合い、致命となる殺傷圏を正確に把握。
護身と反撃に適した戦術モデル。
『義肢による対刃防衛術』を改変した『呪術による対刃防衛術』を使用。
強靱な呪包帯が巻き付いた腕で男性原理の呪力を象徴する『槍』の刃を滑らせるように受け流し、つい先程まで病人であったとは思えぬ動きで地を蹴り抜く。
「NOKOTTA!」
初級呪術である【報復】の呪力が地脈から足へと流れ込み、腰の捻転、胸の回転、肩、肘、拳へと集約して死人の腹部にまず一撃。
刃を外側に弾き飛ばしながら顎を掌底で突き上げ、顔面にもう一撃。
たたらを踏んで下がった死人が槍を滅茶苦茶に振り回す。
「下手くそ」
にこりと笑顔を作った女性の可憐さに、死人の動きが一瞬だけ停止。
直後、鋭い敵意を宿した瞳が月光を白く反射して、ミアスカ流脚撃術とサイバーカラテが融合した稲妻の如き蹴りが刃を粉砕しながら死人を吹っ飛ばした。
「くたばれ包茎野郎っ」
槍の破片を踏み砕きながら、死人の脚の間に靴を振り下ろす。
圧壊する肉の塊。
男性警備員たちが思わず竦み上がる。
鮮やかに勝利を収めた女性は、少女のように軽やかな笑みを浮かべた。
「発勁用意!」「発勁用意ぃ!」「発勁用ー意!」「発勁、用意!」「発勁よぉぉぉぉい!」「発勁用意ぃぃっ!」「発勁ー用意!」「発勁用意だオラァ!」「せーのっ」「発勁用意~!」「だぁ、ぶぅ」「ほーら、発勁用意のお兄ちゃんですよ~」「神を殺せ! 死者に唾を吐きかけろ!」「発勁用意」「発勁用意!」
そして、エルネトモランのあらゆる人々が一斉に唱和する。
「NOKOTTA!!」
打撃の度に技の威力が上がっている。
人々は、はじめはそれが多数の交戦記録がフィードバックされた結果だと判断した。事実、それは正解だったが、それだけでは説明がつかない事が一つ。
その拳が、その技が、呪力を宿しているのである。
正確に呪術の弱所を狙えば、生身による防御すら可能なその現象。
その秘密は、使用者たちによる五段階評価にあった。
――『良い』『非常に良い』『極めて良い』『並ぶものが無いほどに良い』『この上なく良い』という『星を付ける』項目と、使用感に対するコメント欄。
この上なく過酷な状況下で与えられたサイバーカラテへの需要は決して尽きることが無く、そのツールに対しての感謝と信頼は飛躍的に上昇していく。
『サイバーカラテによる打撃は信用出来る』という摸倣子が増大、拡散しつつあるのだった。
そして、使用者たちが抱く幻想は呪力を宿し、サイバーカラテに、そしてその技を振るう者たちにより強い力を与える。
呪的発勁。
この世界に特有のサイバーカラテの術技が、急速に浸透し、試行錯誤を繰り返し、大量のサンプルデータを繰り返し参照することで精錬されていく。
サイバーカラテとは、集合知によって集団で修練を行う武術の体系。
ゆえに、道場の
その特性に、この世界特有の摸倣子という要因が加わることで、サイバーカラテは強化されていく。
摸倣子。ミーム。情報。
それは習慣。それは技能。それは文化。それは宗教。それは作法。それは流行。
それは、サイバーカラテ。
エルネトモランから遠く離れた場所にいる人々も、アストラルネットに投稿された念写画像や動画などを見てその名を噂する。
ささやきの天使エーラマーンがネットミームに尾ひれをつけながら拡散していくと、『サイバーカラテ』という言葉は実態がよくわからないままに一人歩きを開始していくのだった。
過去から甦った死人の群れを圧倒していくのは、同じように過去を参照し続けるサイバーカラテという武術の体系。
だがその二つには決定的な違いがある。
規模。速度。そして全ユーザーが情報を共有し、フィードバックを繰り返すことでサイバーカラテそのものが絶えず強化され続けるという特性。
「な、何なんだ、これは一体どういうことなんだっ」
混乱したガルズが叫ぶ。
他の魔将たちも多かれ少なかれ似たような感情を抱いているらしい。
復活した歌姫、正体不明の新手の死人、更には一般市民たちが次々に不可解な武術を習得したかと思うと、猛然と反撃を開始する始末。
以前よりも遙かに動きが良くなった修道騎士や探索者たちが、アインノーラを挑発しながら慎重に浄界の射程距離外へと逃れていく。
ダエモデクが強化死人たちを再生させるが、分け与える為の肉はほとんど無くなって、黒蜥蜴は骨と皮ばかりになっていた。
「あの動き、もしや――いやまさか、そのようなことが」
死人たちを操作しながら呟くエスフェイル。
彼方から、傷付いたピッチャールーとサジェリミーナが逃げ込んでくる。
歌姫と激戦を繰り広げる魔将たちは驚愕を禁じ得ない。
まさかあの二人までもが敗れたというのか。
事態の急転に動揺する魔将たち。
その時、クエスドレムが呟いた。
「待て。サイザクタートはどうした」
全員がはっとなる。
三つ首の番犬。
そういえば、あの夢と現実の境界を操る射手はどこに行ったのだ?
その疑問に答えるように、街路に立ち並ぶ建物の影が蠢く。
暗がりの中から飛び出したのは、噂されていた魔将サイザクタート。
真ん中の頭は眠りこけたままだが、左右の頭がぶるぶる震えて怯えている。
クエスドレムが気遣わしげに問いかける。
「どうした、サイザクタートよ。何があった?」
「あわわわ、大変大変、大変だぁ」
「まずいよまずいよ、あいつが来るよ」
文字の嵐の中心で浮遊する歌姫が、うっすらと笑みを浮かべた。
そして、ある名前を口にする。
同時に、エルネトモランの各所で、六つの口が声を揃えていた。
影の彼方から、何かがやってくる。
空のように青い翼を広げ、逆さまの城と月の輝く夜空を飛翔する、幻想の獣。
エスフェイルがその姿を見て絶叫する。
「馬鹿なっ、奴は確かに死んだはず! この私が止めを刺したというのに!」
「それが事実ならばあれはまやかしだ。死の記憶を再生し、空虚な生命の終わりで上書きしよう」
ガルズの金眼が輝き、死の邪視が圧倒的な速度でその存在を捕捉する。
邪視による【静謐】。
かつて無造作な死をもたらした解体の一撃が、またしても同じ死を呼び起こす。
それは夜の民という種族の神秘を零落させるためだけに鍛え上げた確信だった。
存在の否定により、青い輪郭が霞むようにして吹き散らされる。
しかし次の瞬間、全く同じ姿でその場所に現れたのは、紛れもない青い鳥。
ペリュトンの姿が変幻し、黒衣を纏った矮躯となって建物の屋根の上に降り立った。浮遊する歌姫と並ぶようにして月下に立つ二人。
並び立つ魔女と使い魔。
その威容、その不死性の先に広がる暗闇の果てしなさを感じたガルズは、思わず一歩後退る。
「何なんだ、あれは一体何者なんだ!」
その背後で、同じく黒衣のユネクティアが沈思黙考する。
「今、消滅した一瞬だけ色が見えた――」
「師兄? 一体それは」
「エスフェイル、君は万が一に備えて下がっていなさい。先に僕らで様子を見よう――見間違いでなければ、あれは八色、いや九色か――?」
ユネクティアの声に、常に満ちあふれているような余裕は無い。
その空の黒衣の中で、この上ないほどの警戒の視線がもう一つの黒衣へと注がれていることを、エスフェイルは理解した。
「もしかするとあれは――我らが大魔将と同じ存在なのかもしれない」
そして、魔女と使い魔は魔将と激突する。
たった二人と、ガルズとマリーを含めた十三人。
だというのに、まるで魔将側が挑むかのようなこの構図は何なのか。
膨れあがる不安の影を振り払いながら、魔将たちは次々と殺意を研ぎ澄ませた。
この日、エルネトモランに新たな英雄が誕生することになる。
一人目は歌姫。その歌声で地上を救い、秩序をもたらした偶像。絶対なる支持を集める彼女の正体が第四衛星の王女であると知った人々は更に熱狂していく。
二人目――そして二つ目はサイバーカラテ。
その技術体系そのものが人々の希望となり、それをもたらした異邦人のこともまた噂の対象となった。
槍神教が公式にその英雄性を否定し、異界の悪魔と断定したことによってその神秘性はますます高まる結果を生む。
そして、三人目。
今までどの英雄も為し遂げたことのない偉業、歴代最多にして最速の魔将討伐。
【チョコレートリリー】と呼ばれる集団の長は、先陣を切って無彩色の左手を掲げると、勢いよく金鎖を砕く。
しかし叫ばれるのは寄生異獣を活性化させるいつもの文言ではない。
その呪文は別の場所で紡がれ――代わりに魔将たちが聞いたのは別の呪文。
未知なる幻想、されどそれは既知なる文字列。
幻想が幻想を呼び起こし、実体の無い架空の構造を寄せ集めて作り出す。
その予感だけが、交換可能な価値と交換不可能な神秘を交互に具現させる。
言理の妖精語りて曰く、
「
その英雄の名は、幻想再帰のアリュージョニスト。
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