3-87 影に沈み、振り返らずに去っていく②




 そこは、舞台北口方面にほど近い場所。

 少数の修道騎士たちが、孤軍奮闘する歌姫に加勢するべく動き出していた。

 序列三十三位のディルガッハ=リク=ンマウグは南東海諸島出身の【ウィータスティカの鰓耳の民】である。魚の鰓を思わせる耳をした彼らはエルネトモランでは少数派であり、修道騎士たちの中では更にその数を減ずる。

 アストラル界の形容方法は様々だ。空、夜、あるいは森。

 鰓耳の民はその世界を海であると認識する。

 生まれながらのアストラルダイバーとしてアストラル体をごく自然に投射し、海の中を泳いでいくのはディルガッハ率いる鰓耳の民部隊。

 先頭を泳ぐディルガッハが身に纏っている鎧は他の者たちとは形状が異なる。

 試作型神働装甲四型。

 魚に変形するその甲冑は、アストラル界においても同様に変形してアバター代わりの強力な機体となる。

 空中を泳ぐ彼らは、空中で激突する三つの強大な呪力構造体を発見した。

 実世界では歌い、華麗に舞っているだけに見える歌姫と魔将だが、呪文使いたちがグラマー界を情報的に認識すればそこでは極めて高度な呪文の応酬がなされており、アストラル界で視覚的に認識すればそこでは高速でぶつかり合うアバターが見える。

 斧槍を持った黒ウサギが、巨大な蝶と有翼人魚という実世界そのままの魔将と互角以上に戦闘を繰り広げていた。

 いや、それだけではない。

 黒ウサギの姿がぶれ、その背後に耳の尖った妖精種の女性が出現する。

 二人になったアバターはまるで一つの意思を持っているかのように高度な連携を行い、魔将に攻撃を繰り返す。

 劣勢なのは魔将二人だった。

 非実体の世界において比類無き強さを誇る歌姫。

 直接の戦闘能力においては魔将の中では下位だが、第七魔将アケルグリュスと第八魔将ハルハハールの呪術師としての能力は決して低くはない。

 数多くの修道騎士や探索者の精神を操り、手駒としてきた危険極まりない存在である。

 その二人を同時に相手に回して優勢に立つ歌姫とは一体何者なのか。

 戦慄するディルガッハたちは、その時自分たちに近付いてくる集団に気付いた。


「久しいな、ディルガッハよ」


「叔父貴! まだ逃げてなかったのか!」


 現れたのはディルガッハと同じく鰓耳の民。

 さいぜんまで貴賓席に座っていた三大氏族の一つ、リク族の族長代理と精鋭戦士団である。

 ディルガッハの叔父、ボガールは鼻を鳴らしながら答えた。


「キュラト族の腰抜け共はとっくに逃げたわ。テロト族の単純馬鹿どもは何やら早まった馬鹿の仇を取るとか抜かしてガルズ殿に挑もうとしたのでな。アストラル界の藻屑にしてやったわ」


「は? 叔父貴、今何と?」


「奴ら、まずは麗しき歌姫に仇なす厄介な魔将を片付け、死霊使いを倒す、などとふざけた事をぬかしたのだ。アケルグリュス姫やハルハハール殿に刃向かうなど言語道断。そうは思わぬか?」


 ディルガッハは絶句した。

 リク族たちは、完全に魔将側に寝返っている。

 それもおそらくは、自分自身の意思でだ。


「アケルグリュス姫の一族は元を正せば我らリク族と祖を同じくする、いわば同胞よ。お前も昔語りで美しい声の姫君たちのことを聞いたことくらいあるだろう。憎き槍神教の狂信者どもとの休戦が成って久しい。お前のような若者を人質代わりに送り出す慣例に疑問を覚える者も少なくなってきたが――今、この時こそ好機である。雌伏の時は終わった。決起するぞディルガッハ。偉大なる精霊たちを皆殺しにしたおぞましきデーデェイアを守護天使などと言って崇めさせられる屈辱の時代を、我らが終わらせるのだ!」


 ディルガッハは、背後を振り向いた。

 鰓耳の民部隊の部下たちは、みなそれぞれに思い悩んでいる。

 即断できるものはいなかった。隊長であるディルガッハ同様に。

 地上を裏切ることなどできぬと即座に言える者はここにはいない。

 そも――『裏切る』とは一体なにに対しての言葉なのか。

 逡巡の果てに、ディルガッハは決断した。




 序列四十位のドルメイスは【炎上使い】として知られていた。

 対象の精神を焼く高位呪術【炎上】はもちろん使えるが、アストラルネット上で工作した結果としての【炎上】の方が得意である。

 外見は赤い魔導書を手にした耳長の民。アバターもそれをデフォルメしたもの。

 松明の騎士団にありながら同時に智神の盾にも所属する彼の専門は情報工作だ。

 がらんとした観客席に身を潜めながら、ドルメイスは試作型神働装甲六型の拡張機能を起動。

 兜の両脇に垂れ下がった長い耳のような部品が上昇していき、頭部の頂点で真っ直ぐに立つ。

 二つの鋼鉄耳はアンテナとして一定の呪力を信号として送受信する呪具である。

 情報戦に特化した修道騎士は、舞台上の戦いに参戦するべく赤い魔導書を開き、無数の文字列を空中に吐き出していく。


「加勢致しますぞ。吾輩が来たからにはもう安心ですぞ」


 無数の文字列が赤く発光し、ドルメイスのいる場所から何度も迂回を繰り返し、複数の地点を経由して空中を走っていく。

 文字列は炎となって戦場に突き進み、圧倒的な破壊をもたらした。

 不意を突いた、完璧な支援攻撃。

 斧槍を持った黒ウサギは背後から火炎の直撃を受けて体勢を崩し、周囲を炎の壁で囲まれて身動きがとれなくなる。

 逃げ場である真上と真下を魔将が塞ぐ。


「ハルハハール様、この時を吾輩はお待ちしておりました」


 修道騎士ドルメイスが魔将によって魅了されたのはつい先程――ではなかった。

 生前のハルハハールによって魅了され、しかしその事を気取られぬように松明の騎士団内部で潜伏を続け、密かに情報を漏洩させる。

 時に慎重に、時に大胆に。

 真の主を殺害したキロンに対しては深い憎しみを抱きつつ、主を宿しているがゆえの慕わしさを感じるという矛盾した感情を向けながら表面上は平静を保って接していた。

 全ては、来るべき時の為。

 主無き後も下方勢力の勝利を信じ続けてきた。

 ようやく訪れたこの日に、ドルメイスは深く感謝した。


「さあさあ燃えろ燃えろ、『歌姫Spear、衝撃の不祥事!!』『白昼堂々の三又か?!』『可憐な歌声のどす黒い裏側』『槍神教関係者を卒倒させた乱れた女性関係とは?』『幻惑呪術による整形疑惑、幻術の専門家はこう語る』『そのヴェールの内側に隠された壮絶な過去! 関係者は虐待の爪痕を確かに見た!』っと」


 無数の火種を仕込み、あとは自動的に拡散させる。

 情報ソースの洗浄を半永久的に繰り返す呪文が鎮火しかけた炎を際限なく広げていく。ドルメイスは端末を僅かに操作するだけ。あとは暢気に見物しているだけで自動的に【炎上】によって対象の霊的、呪的権威が傷つけられていく。


「堕ちろ偶像アイドル。ハルハハール様に刃向かった報いを受けるがいい」


 そして、筆致探査によって正確に攻撃位置を特定した斧槍がドルメイスのアストラル体を貫通した。


「へ?」


 一瞬にして侵入される。

 赤い魔導書が物理的に【焚書】され、神働装甲が機能停止してただの鋼鉄の棺桶となる。

 最後にアストラル体経由で脳髄を灼かれて絶命、燃え上がった挙げ句に感染呪術によって他にも潜伏していたハルハハールやアケルグリュスの信奉者、更には親類縁者にまで累が及び、直系傍系尊属卑属を問わず、九親等以内の親族と親しい友人知人恋人同僚が虐殺されていく――はずだった。


「あ、あれ?」


 ドルメイスは死を覚悟したにも関わらず、目や口から血を流して酷い頭痛に苛まれる程度で済んだ事を訝しんだ。

 歌姫の力量は圧倒的だった。

 ドルメイスを遙かに上回る、上級言語魔術師ハイストーリア

 呪文戦闘の達人ならば、先程彼が想像したような凄惨な大量虐殺も容易く行えるはずなのだ。間違い無くあの歌姫にはそれができる。

 だというのに、それをしない。

 殺さない。


「は、はは。何だ何だ、まさかアレはそういう手合いですかなぁぁぁ?」


 不気味に笑いながら神働装甲の機能を復旧しつつ、ドルメイスは再度の攻撃を仕掛ける。今度は潜伏していた仲間たちと同時にだ。


「甘い、甘いですぞ! 殺す覚悟も持たぬ者が戦場に立とうなど、とんだお笑い草ですぞ~。吾輩はハルハハール様の為にとうに殺す覚悟を固めているゆえ、まるで躊躇いはございません。これは楽勝ですな」


 折良く、同じく試作型の神働装甲に身を包んだ彼の同志が駆けつけていた。

 アストラル界を隊列を組んで泳ぐ鰓耳の民たちが、魔将の攻撃でぼろぼろになった歌姫に一斉攻撃を仕掛ける。

 斧槍を持った黒ウサギと妖精。

 その周囲を、夥しい数の敵が埋め尽くしていく。

 生まれた隙を突いて、ドルメイスは標的の情報構造体へのアクセスに成功。

 そして、最大の火種を掠め取った。


「『ファンへの裏切り! 歌姫Spear、眷族種詐称が発覚! 異形の耳はその心の現れなのか』――これは確実に良く燃えますぞ~」





 序列第三十二位の少年ロシンは半妖精アヴロノである。

 彼は第十位【燃える髭】バルの命令で、会場の北口近く、観客席の上に長弓部隊を待機させていた。

 狙撃の準備を整え、魔将の呪術障壁が緩んだ隙を逃さずに撃て。

 あるいは、歌姫が不利になった場合は反撃されてでもひたすら打ち続け、歌姫を援護せよ。さもなくば待つのは部隊の崩壊である。

 ロシンは命令を正確に理解していた。

 それは理不尽に死ねという命令ではない。あの二体の魔将は直接の戦闘能力が低いために軽く見られているが、ある意味では敵の中で最悪の存在なのだ。

 歌姫が魔将を抑えていなければ、確実に松明の騎士団は終わる。

 だというのに。

 ロシンは、戦いの形勢が傾きつつある事を理解しつつも動けずにいた。

 試作型神働装甲第三型を霊長類形態のまま維持し、左手の弓と右手の『ゆがけ』型籠手の小指薬指で持った矢を番えることができない。

 周囲の射手――松明の騎士団随一の弓の使い手キロンに鍛え上げられた稀少な才能の持ち主たちもまた、困惑して行動を躊躇っていた。


『聞こえますか――聞こえますか――今、あなたたちの心に【深層心話】で話しかけています』


 状況が有利に傾いた為に余裕ができた魔将が、【心話】を改変した高位呪術によって彼らに語りかけているのだった。

 本来ならば拒絶しなければならない――しかし、その美しくも妖しい美声を一度聞いてしまったら、もう弓引くことなど誰にも出来はしない。

 ロシンたちは頭をかかえつつうずくまった。


『私たちはあなたたちを傷つけたくありません。あなたたちはほとんどが半妖精で構成される弓使いのようですね。ならばあなたたちは私たちの同胞です』


『僕ことハルハハールは虫態の闇妖精デックアールヴ。そっちのアケルグリュスは有翼人魚セイレーン――実は彼女の種族も君と同じ半妖精アヴロノなんだよ。稀少な鳥態の闇妖精と魚人マーフォークの混血が進み、一つの種族となったのが彼女たちだ』


『闇妖精には少数派の鳥の翼を持つ鳥態と多数派の虫の翅を持つ虫態がいますが、どちらも地上にいる【エルティアス=ティータの白樺の民】――つまり妖精アールヴ光妖精リョースアールヴと同じ種族です。そして、魚人たちもまた本来は【ウィータスティカの鰓耳の民】と祖先を同じくしています。彼らは大神院の分断工作によって争い合わされている被害者なのです』


 そこにいたのは大半がアストラルの視界を有する者たちだった。そうでない霊長類も狙撃用の遠眼鏡スコープによって知覚系の邪視能力を高めている。

 会場のアストラル界上空を泳ぐ鰓耳の民たち。

 彼らは統率のとれた動きで歌姫に攻撃を仕掛けていく。

 彼らと槍神教の長年にわたる争いは有名だ。それが操られたゆえではなく、自発的な意志によるものだと誰もが即座に理解した。

 しかし、ロシンたちはすぐにはその事実を受け入れられない。


『地上の半妖精には光妖精だけでなく闇妖精の血も混ざっているのですよ。いいえ、むしろ生命力に溢れた闇妖精の血の方が多いでしょうね』


 優しい語りかけ。

 淡い燐光がロシンの身体に触れる。

 するとどうだろう、とても安らかな表情になっていく。

 まるで、自宅の寝台の中で毛布にくるまっているかのような安心しきった表情だった。完全に心を預けきっているのはロシンだけではない。

 半妖精のほぼ全てが、無数の燐光に手を伸ばし、恍惚とした表情になる。


『僕と君たちとが深く共振しているのはその証明さ――君たちの多くは闇妖精の血を引いているんだ。僕らは殺された後、確か寄生異獣とかいうものにされてしまうんだろう? 僕と適合した者は間違い無く闇妖精の血を引いているだろうね』


「そんなはずはない!」


 ロシンは愕然として叫ぶ。


「キロン様は北辺帝国の出身で――いや、でも確か、西北系の半妖精アヴロノだと――そんな、まさか。しかし翅などは生えていなかったはず」


『君たち地上の人間は、翅の形質を発現させた半妖精が生まれると臍の緒と一緒に翅も切ってしまうのだと、こちらに逃れてきた闇妖精系のアヴロノたちから聞いたよ。僕のような変身者の運命は――半々らしいね』


「そんな、そんなことが」


「ロシン、お前はまだ知らぬだろうが、半妖精にはそういう暗黙の決まりがあるんだ。忌まわしい慣習である上に、情報規制されている為に検索してもわからないがな。あと数年経てばお前にも教えることになっていた」


 ロシンよりも歳を重ねた青年が真実を明かす。

 愕然として周囲を見回すと、他の半妖精たちは無言でそれを肯定した。

 知らなかったのは少年であるロシン一人。

 世界が崩れていくかのような事実に打ちのめされ、彼は膝を突いた。

 闇妖精の特徴を持って生まれた半妖精たちの道は、鳥の翼か虫の翅を切除して地上で生きていくか、地獄に下るかの二択。

 変身能力を有していればそれを隠して地上で生きることもできようが、それも苦しい道だ。

 やがて彼らは、悩みながらもそれぞれ燐光に手を伸ばしていく。

 それは決意の表明であった。

 半妖精だけではない。

 長距離射撃や正確な曲射を得意とする天眼の民の狙撃手が燐光に手を伸ばし、偵察用の使い魔として地獄の異獣を選んだ三本足の民が足を踏み出す。それは、苦楽を共にした仲間たちへの同情もあったのかもしれない。


「おい、貴様ら正気か?!」


 巨大な弩を担いだ燐血の民が怒鳴り声を上げる。

 直後、低い呻きを上げて前のめりに倒れた。

 その背中には短剣が突き刺さっていた。心臓を正確に貫く一撃。傷口から大量の炎が吹き上がり、短剣を溶解させる。

 余りにも鮮やかに味方を背中から刺した霊長類の青年は、部隊の『裏切り者』を殺害して全体の意思に迎合した。


「俺も『宗旨替え』することにするわ。地上に未練無いし、この流れで逆らって死にたくないしね。つーわけでよろしく」


 なによりもまず自らを信じる鉄願の天使の眷族は、三本足の民とは違って道具を作ることは余り得意ではないが、使うことにかけては眷族種随一だった。

 投石器、長弓、弩、投槍、呪符、巻物、魔導書、杖、短剣、短槍――様々な武器を節操なく持ち替えてその場その場で最適な道を模索する。

 魔将の説得や開示された事実に毛ほども心を動かされなかった彼は、その場を乗り切る為に己の信じる道を行く。

 すなわち、自分が生き残ることができる方に。

 部隊の意思が統一され、隊長であるロシンは決然と立ち上がった。

 神働装甲は持ち主の眷族種としての特性、守護天使に関連した聖獣形態への変形機構を有するのが特性である。

 気紛れのアエルガ=ミクニーの与える加護を強く反映した第三位の神働装甲は、試作機ということもあってか独特の変形機構を有していた。

 無数の可変ブロックを独立した呪具として大量に搭載し、状況に応じていかような形態にも変形できるというものである。

 イメージとしては幼子に与えるような創意工夫する能力を育てる玩具に近い。

 それらで構成された装甲は持ち主の呪力によって瞬時に分解、再構築されてある程度自在な形を組み立てる。

 そして試作機を着込んだロシンにとって、今や強くイメージするのは霊長類に近い存在としての己ではない。


「ああ、キロン様、お許し下さい」


 小さく呟く少年の目の前に淡い光。

 そして、天上に輝く神の如き美貌を見た。

 輝く蝶の翅を広げた、敬愛する師の姿を。


『いいんだよ。君はもうこの地上の窮屈さに身体を小さくする必要は無い。君は自由に羽ばたいていいんだ』


「はい、はい! 今、参ります、キロン様――!」


 神働装甲が変形していく。無数の箱状部品が分解され、再構成される。

 その形状は、巨大な虫そのもの。

 輝くような呪術翅を広げた、イナゴの皇となって、少年は飛翔する。

 狙うは歌姫の命、ただ一つ。


「僕が先陣を切って呪術障壁を破る! 後方支援は頼んだぞ! ロシン=バズイ、出陣するっ!!」





 灰色の太い腕が、巨漢の頭部を鷲掴みにして吊していた。

 魔将ベフォニスが首を左右に傾けると、軽く音が鳴る。

 それから退屈そうに欠伸をして、巨大な口が開かれた。

 プリエステラは、周囲を包む燐光と呻き声を上げるペイルを交互に不安げに見ながらも、舞台に根を張りながら震える手で杖を前に構えた。


『プリエステラ。最後の樹妖精アルラウネ。どうか私たちの話を聞いて頂戴』


『君は僕たちと来るべきだ。可哀想なティリビナ神群の生き残りは、僕たちが最後に確認した時には第八階層で弱小勢力として冷遇されながら地母神や穀物神としての権能を搾取されていた。きっと今もその状況は変わっていないだろう』


『私たちと第八階層の神群たちは長いあいだ緊張状態を維持してきた。貴方はその状況を打破して、誰もが平和に共生できる世界を作る鍵になり得る存在なの』


 代わる代わる語りかけてくる魔将たちの声に、プリエステラは強く反論する。


「何が平和よ! 何が共生よ! あなたたちは、地上の人達を沢山殺しているじゃない! 槍神教だってそうだけど、私にはあなたたちの違いがわからないわ!」


『僕たちは目的を達成した後に和平を持ちかけ、この天蓋世界の人々とも和解できればと願っている』


『けれど、槍神教は私たちの完全な絶滅を願っているわ。違いがあるとすればそこね。彼らが【聖絶】と言ってはばからない、忌まわしい虐殺』


『槍神教をこの世界から消滅させる。残念だけどね、あらゆる人と共生することはできないんだ。共生そのものを否定する邪悪さには、平和を愛する心は決して勝てない。だから、矛盾と知りつつも悪を行うしかないのさ』


『私たちもまた許されぬ非道を行っていることは自覚しているわ。けれど、たとえそうであっても槍神教だけは打ち倒さなければならないのよ』


 【心話】が伝播する強い覚悟と意思。

 プリエステラはうつむき、惑い、ぎゅっと目を瞑った。


「私はみんなが幸せに、平和に暮らせればって――でも、みんなの居場所は地上に無くて――それでもハルやイルスは一緒に居場所を作ろうって言ってくれて――」


「そいつはくだらねえ誤魔化しってもんだろうが。『内側から変える』なんてのはな、一見正しいようだが実際は戦う勇気がねえだけの腰抜けどものその場凌ぎよ。クソくだらねえ決まりを押しつけてくる連中が悪いに決まってるだろうが。ぶっ潰さねえと際限なくクソが積み上がるばっかりだぜ」


 ベフォニスが唾を吐き捨てた。

 片手で持ち上げられたペイルが呻きながら灰色の腕を掴む。


「ナメんなよ、クソが。上から目線で説教垂れやがって。てめえらはそんなにお偉いのかよ、ああ?!」


「偉かねえな。むしろ悪態吐かれて当然ってもんだろ、俺らはよ。だがな、こちとら人の道に外れる覚悟で『魔将』名乗ってんだ。理性と博愛でもって野蛮人共を啓蒙、ついでに上から目線の傲慢な征服、ってか。大いに結構じゃねえか。それでクソったれな神気取りの連中をぶん殴れるなら幾らでも罵声なり唾なり浴びてやるぜ。丸ごと飲み込んでやらあ」


『ふふ、ベフォニス、それは元帥閣下の受け売りよね?』


「うるせえ。俺はレストロオセ様に忠誠を誓ってんだよ。まあ、形式上は部下だからな、話くらいは聞いとくけどよ」


 仲間と気安い会話を交わすベフォニスの背後には、うずたかく積み上がった屍の山。プリエステラは、ひどい現実感の喪失を覚えたのか、頭をおさえて杖に縋り付いた。


『僕たち魔将は大悪をなす外道の集団。平和な世界には必要無い。皆、戦いの半ばで散る覚悟を固めているし、最後には戦争を主導した大罪人として裁かれることになっている』


「そんな、じゃあ貴方たちは、全部の憎しみを背負って、分かたれた世界を一つにするための生贄になるつもりだって言うの?!」


「ま、そーいうこったな。いかにも悲劇の英雄願望丸出しなセレクティのイカレ女――おっと、元帥サマの考えそうなこった。ま、慈悲深きレストロオセ様はまた別のお考えがあるみてーだし、俺はそっち派だけどな」


『レストロオセ様は、どのような必要悪であろうとも、特定の誰かだけが重すぎる責任を背負って潰される事を良しとしない。それでは地上のように生贄の山を積み重ねるだけになってしまう。ゆえにこそ、罪を分かち合い、理想的な再分配を行う手段を模索しておられるんだ』


『私たちが両界の憎まれ役になって消えていくのは最後の手段ね。レストロオセ様は歪んだ手段では大義までもが揺らいでしまうと、この戦争そのものに深く心を痛めていらっしゃるわ。魔軍元帥たるセレクティ閣下は主であるレストロオセ様の心中を慮りながらも、深く世界の行く末を案じるがゆえに自ら魔軍を引き継ぎ、転生を繰り返しながら長きに渡る戦いを続けているの』


「あのガルズって奴の計画もそうとうイカレてるが――実際どうなのかは呪術の専門家じゃねえ俺にはわかんねえ。もしかしたらあいつのやり方も一つの道かもしれねえな。俺は槍神教をぶっ潰して、レストロオセ様の救済を待つのが正しいと思うけどよ」


『最善の道は僕たちにもわからない。けれど、レストロオセ様についていけば必ずそこに辿り着けると僕らは信じている』


『そう。私たちはあの方を信じているの。あの方が示してくれる、光に照らされた道を。その先にある未来を』


「確かな事が一つあるぜ。腐れ槍神が勝利した先には、ロクな未来が待ってねえってことがな。そいつは俺にも信じられる。だから俺はあの方を信じるんだ」


 信仰――という単語が、自然と魔将たちの言動から連想された。

 彼ら魔将は時に地上の民を『狂信者』と呼ぶ。

 それは、狂信的――槍神教に全てを支配されて、理性を失っているという意味の侮蔑の言葉だと思われてきた。

 けれど、もしかするとそれは、信仰の在り方の違いに対しての非難であるのかもしれない。

 魔将たちは、己の理性に従って信仰している『何か』があるのだ。

 それは、視点を変えれば無論『狂信者』と言う事ができるものであろう。

 だが、魔将たちはそれを肯定するだろう。

 ゆえに彼らは自らを魔将と称しているのだ。

 そして――信仰の在り方が『狂っている』として地上の民を非難する。

 それは信仰などではないと。

 途方もない情報の波に翻弄されて、プリエステラは遂に座り込んでしまった。

 杖を取り落として、顔を手で覆いながら首をゆっくりと振る。


「私は、私は――」


「ペイル! プリエステラ! そいつから離れろ!」


 叫び声と共に、遠くから【修復】と【霧の防壁】が遠隔発動する。

 手を前に突きだして呪術を発動させているのは、黒檀の民の医療修道士イルスだった。負傷者を治療しながら前線まで出てきた彼は、群がる死人たちを蹴散らしながら危機的状況の陥っている二人の下へ駆けつけたのだ。

 プリエステラはイルスを見た。その瞳に様々な感情が去来する。


「ち、邪魔だぜ、狂信者が」


「待って! イルスは非戦闘員よ。手を出さないで」


 プリエステラは勢いよく立ち上がってベフォニスの前に立ちはだかった。

 それから、決意と共に言い放った。


「わかった。貴方たちについていく。だから、ペイルを離してあげて。それと、地獄――ううん、ジャッフハリムに行くのならティリビナの民も一緒」


 ベフォニスは素直に頷いて、ペイルをイルスの方に放り投げた。

 イルスは急いで呻く大男に手をかざす。


「最初からそのつもりだぜ。実験動物扱いさせたままにできるかよ」


「それと、お願いだからもう出来るだけ殺さないで――ううん、ごめんなさい。無理を言ったわ。けど、非戦闘員や民間人には手を出さないで」


「っつってもな。クエスドレム様とかイカレエスフェイルは喜び勇んでぶち殺しまくるだろうし、サジェリミーナは何考えてんのかわかんねえし。ガルズって奴もありゃあ一度皆殺しにして全人類を再生者にすれば平和になるとか真顔で言ってる類だぜ。まあ、そういうのはアケルグリュスがなんとか説得してくれや」


『わかりました、この戦いが終われば、必ず。プリエステラ、ベフォニスと一緒に会場の外に出て、ガルズさんと合流してくれる?』


 プリエステラは頷いて、ベフォニスと共にその場を立ち去ろうとする。

 去り際にイルスたちの周囲に種をまき、瞬時に育った大輪の花によって死人避けの結界を作る。


「ちっくしょう――また女に守られてんのか、俺は! クソ、クソ――」


 ペイルは歯を食いしばりながら、何かを堪えるようにしながら震える声で呻いている。プリエステラは咄嗟に、彼の顔を見てはいけない、というふうに視線を上げた。目があった。


「イルス。私、行くね。悪いけど、緑の霊峰を再生するのは私たちティリビナの民になりそう。けど大丈夫。和解のきっかけは他にもあるわ。きっと貴方たちも一緒に平和に暮らせるミューブランが戻ってくるから――だから」


 それ以上は言葉にならず、プリエステラは去っていく。

 残されたイルスは、寡黙にペイルを治療し続ける。

 彼は、ただ癒すだけだった。

 ティリビナの民に裏切り者と言われた黒檀の民は、その心中を明かすことなく、ただ周囲に満ちる暖かな呪力、花の結界が放つ芳しい薫りを少しだけ吸い込んだ。







【後書き】

ディスペータお姉様による『あとでテストに出ますからね』コーナー


「今回紹介するのは第六魔将、石喰いのベフォニスです。

 岩肌種トロル、あるいは石肌種という文字通り肌が岩石のような色と硬さを持った種族ですね。

 彼らは生まれたときはとても柔らかい肌をしているのですが、成長するにつれて『岩石のような色と質感のこの肌は本物の岩石のように硬い』という自他の認識に引きずられて皮膚が強固になっていきます。

 呪術によってその肉体の性質を変化させていくという、摸倣子の存在する呪術世界に適応した種族の一つと言えるでしょう。

 ベフォニスは粗野ですがアインノーラ同様に由緒正しい勇士の家系で、ジャッフハリムの王族に仕える一族の嫡男です。

 『灰』の色号使いとしても優秀で、肉体の時間を加速させることによって再生、高速移動、体内で瞬時に呪宝石を加工、といった事ができます。

 ちなみにエスフェイルとは擦れ違った時に肩がぶつかった事に気付かず通り過ぎたエスフェイルに因縁をつけに行って決闘にまで発展して以来、お互いに嫌いあっています。どうでもいいですね♪」


「続けて第七魔将いっちゃいましょう。楽想のアケルグリュスです。

 彼女は有翼人魚セイレーンの最後の王族であり、また闇妖精デックアールヴ魚人マーフォークという異獣の混成種族です。翼と尾びれの両方を持つ彼女は空と水中を自在に泳げるそうです。羨ましいですねー。

 普通、混血の場合は両方の因子が同時に発現することは滅多にありません。人為的に胎児に呪いをかけない限りは、ですけどね。

 有翼人魚はポーリエという古き神が己の眷族としてそのような在り方を強く望んだために誕生したと言われています。二つの種族に限り、両方の要素が必ず強く発現するという呪い。

 その為、地上では三位と四位の眷族種が結ばれる事は禁忌とされています。森の民と海の民、両者は不倶戴天の間柄であり、互いに憎み合ってもいますが、それは大神院が意図的に創り出した対立なのです。

 ところで、アケルグリュスもまたジャッフハリムにおいては歌姫という異名で知られているそうです。

 呪術の種類も基本的にハルベルトと同じ。歌によって呪文を紡ぐ――その技量においてどちらが勝るのかはともかく、使い方では相手に一日の長がありそうですね。

 そうそう、彼女の服装ですが、昔は貝殻で胸を覆っていたのですが、ベフォニスの視線がいやらしかったので今では肌を全て隠すタイプの水着を着ています。ベフォニス、最低ですね♪」


「最後に第八魔将、優美に泳ぐ蝶ハルハハール。闇妖精です。

 この魔将に関しては、どちからと言えば寄生異獣としての印象が強いかしら――本来は魅了や精神干渉が得意なタイプで、直接的な戦闘は苦手、鱗粉を広範囲に散布させないと効果が発揮できないなどの欠点が多い魔将です。霊長類にも変身(大きさもある程度調節可能)できますが、彼は蝶でいる自分の姿が好きみたいですね。主であるレストロオセにその姿を褒めて貰ったことが彼の誇りのようです。『自己愛野郎』と馬鹿にしてくるベフォニスのことは嫌いみたい。誰からも嫌われてばかりですね、ベフォニス♪

 『彼』がこの魔将に適合したのは、実は必然でした。地上には西北系と呼ばれる白い肌の半妖精が沢山います。光妖精、闇妖精というのは、外見上の差異によって決定される恣意的な区分でしかないのです。

 彼は決して愚かではありません。自らが射殺した蝶の翅や甲虫の頭などを持った『異獣』たちの正体を理解していたはずですが――その上で、ということか、あえて知らぬ振りをしていたのか、それとも既にそんなこともわからなくなってしまっていたのか。

 いかに死の淵から甦った再生者と言えど、魂を砕かれてはもはやそれを確かめる術はありません。自殺者の望みを蔑ろにすることを、死人の森の女王は憎みます」


「今日はここまで。ベフォニスは最低、と覚えておいて下さいね♪」

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