3-83 オンステージ③


 エスフェイルとユネクティアを追って、浮遊する積層鏡から舞い降りた巨体が存在する。

 第九魔将の形状は異形としか言いようがない。


 円筒形の肉体の周囲に無数の目と無数の腕を備え、さらに胴体下部から生えた楽器のスタンドめいた奇怪な脚。

 一本の柱から放射状に広がった六本の脚、その先から地面に伸びる鳥の足のようなかぎ爪。


 無言のまま、かさかさと、しかし凄まじい速度で移動する魔将ピッチャールーは確実にこちらに向かってきていた。それもおそらくは、無防備な歌姫を狙っているのだろう。


 確か先程盗聴した時にはエスフェイルらに同調していた。

 『セレクティ派』という言葉から察するに、恐らくこの三体は妹の身体を奪った魔元帥セレクティフィレクティ直属の魔将なのだろう。


 相手側が不和で足並みを乱してくれるのはこちらにとって願っても無い事だが――それにしても、三体同時(背後の精神干渉合戦も含めれば五体)はきつい。

 猛烈な勢いで舞台上を疾走する巨体に、鋭い一撃が遠距離から放たれる。


 音速を突破した蔓の鞭の先端が風を破裂させるような音よりも先にピッチャールーに直撃してよろめかせる。

 更には呪石弾が増幅された【爆撃】で群がってくる死人を薙ぎ払っていく。


「メイ、今のうちに!」


 駆けつけてくれたのはプリエステラだった。

 背後では、スリングショットを構えたミルーニャが呪石弾を次々と発射し、黒檀の民の医療修道士イルスが制御の難しい遠距離での【修復】を発動させてセリアック=ニアの負傷を癒している。


 風のように舞台上を駆け抜けていったメイファーラが、短槍を旋回させながらピッチャールーに挑みかかった。

 メイファーラは女性としてそれなりに長身だが、その彼女をして見上げるほどの巨体。おそらく倍以上ある。


 だが彼女が臆する事は無い。

 それはきっと、【チョコレートリリー】の盾として、必死に戦い続ける無防備な歌姫の前で丸盾と短槍を振るうのがその役目だと己に定めているからだろう。

 九本の多関節腕が、互いに絡まり合いながらメイファーラに襲いかかる。


 歌姫が二体の魔将を相手取り、私たちが『セレクティ派』と呼ばれる三体の魔将と交戦し始めた時。

 それと平行して、空中の積層鏡の上で大きな動きがあった。


 私はそれを潜ませていた使い魔経由で知るが、状況のめまぐるしい変動は窮地なのか、それとも好機なのか、まるで判断がつかなかった。

 三体が消えて、積層鏡の上の戦力は残り九体となった魔将たち、そしてガルズとマリーのみ。

 それを好機と見てか、彼らは突撃を敢行した。


 地上に残された守護の九槍たちである。

 第三位、第四位、第六位、第七位の四名は第四階層で地獄の侵攻を食い止めており、第九位はおそらくはもう第五階層でその命を散らしているだろう。


 胸が痛むけれど、ともあれこれで地上の戦力は身動きが出来ない第二位を除いた三名のみ。

 第一位ソルダ・アーニスタが巨大な背骨のような槍を多節鞭に変形させる。

 それは蛇の如く宙を走ると、多面鏡に勢いよく突き立った。


 ハルハハールの魅了呪術を増幅していた呪具は強力な自己再生呪術を発動させて鏡面を修復していくが、地上から架けられた骨の橋、傾斜のきつい足場の上を疾走する者がいた。


 機動力重視の軽鎧に、兜のない頭は平凡な霊長類の中年男性。くたびれた雰囲気で、少し伸びたまま放置されている無精髭がややみすぼらしい。


「ネドラド、頼む!」


「いや簡単に言うけどさあ、難しいよこれ」


 ソルダが鋭く叫ぶが、反応は芳しくない。

 気怠げな表情だが、その両の拳は目で追うことが困難な速度で動き続けていた。

 魔将たちから放たれる死の呪術を全て正確に叩き落としながら守護の九槍第八位、【二本足】ネドラドは小さくぼやいた。


「あー、これは死んだかな」


 己の拳のみを頼みとする霊長類、わけても天使セルラテリスへの強い憧憬と、天使から与えられる加護の徹底した拒絶によって強靱な実体を獲得した鉄願の民。


 強力な『呪術を否定する呪術』――それも実体の確かな呪具や機械すら問答無用で破壊してしまうという『杖をも殺す静謐使い』であるネドラドは全ての攻撃を無効化して、そのまま骨の足場を駆け上がって多面鏡に腕を突っ込む。


 途端、呪具としてのあらゆる機能を失ってばらばらに分解されていく多面鏡。浮遊する呪力までも喪失し、巨大な構造体が落下していく。


「皆殺しっ皆殺しっ」


 反対側で修道騎士を薙ぎ払っていたズタークスタークが瞬時に到着し、ネドラドに稲妻を浴びせかける。


 超人的な反射速度で稲妻を殴りつけるが、圧倒的な呪力と極めて緻密な呪文が瞬時にネドラドの性質を解析。『呪術を否定する呪術』を解体する【静謐】を瞬時に十通りも構築し、ダミーの即死級雷撃と織り交ぜて連射。


 もはや奇跡のごとき神経反射で防御を行うが、大魔将の前では全てが無意味だった。ネドラドの左腕が蒸発し、右拳の表面が焼け焦げ、右足を焼き切ってトドメの一撃が壮年男性の眼前に迫る。


 死を覚悟した彼の全身に、金鎖が巻き付く。

 避雷針として切り離された金鎖が囮となって空中に雷撃を逃がし、引き寄せられたネドラドは満身創痍のまま地上のフラベウファに回収される。


「いやあ、死ぬかと思った。ありがとうフラベウファちゃん」


「触らないで下さい。私が死にます」


 大きく距離をとりながら仰け反る三角耳の侍女が、金鎖を大量に掌から射出していく。狙うは大魔将ただ一人。

 足場を崩されても魔将たちは余裕を失わなかった。落下するに任せて静かに佇んでいるものもあればいち早く降下してソルダと交戦し始める者もいる。

 

 ズタークスタークの雷撃でソルダは即死。

 クイックセーブしたその場所で即座に蘇生した彼は骨の槍を構えるが、一撃で蒸発してまた蘇生。


 光の粒子が集まってソルダの肉体を形作った瞬間にまた雷撃。

 甦ってから体勢を立て直す間もなく殺され続けるソルダにかまけて大魔将が動けないその瞬間が最大の隙だった。


 ズタークスタークの背後の魔将たちをまとめて射程に収め、巨大な儀式呪術を発動させたのは松明の騎士団が誇る聖火楽団と聖歌隊。

 その先頭で二叉に分かれた槍――というより巨大な音叉を持った妙齢の女性が、巨大な耳当てヘッドフォンを抑えながら集団で呪文を発動させる。


 単純極まりない【空圧】。

 増幅された音波は衝撃波となって魔将たちを吹き飛ばす。巨大に複雑に、ただ行動を制限するという目的に特化した大音響が響き渡って呪力そのものを弾き飛ばしていくのだ。


 一時的に動きが停止したその場所に、複数の修道騎士たちが一斉攻撃を仕掛ける。中には十位を含む高位序列者も含まれていた。

 そうした攻撃は足止めにしかならなかったが、本命は最後の二人だった。


「あああああああっ」


 血走った目、正気を失った絶叫、異形の影を蠢かせながら氷の刃を両手に持って疾走するのは誰であろう、【小鬼殺し】サリアだった。

 狂犬そのものとなって、荒れ狂う【空圧】の中を自由自在に疾走していく。魔将たちに次々と斬撃を繰り出していくその様は、もはや人の姿をした嵐である。


 そして、舞台の床を砕きながら突き進む影はもう一つ。

 巨大な鉄の棍棒で第十魔将サイザクタートを吹き飛ばし、第十四魔将ダエモデクを円形の盾で殴りつけて宙を舞わせると、指を鳴らそうとしていた第十三魔将クエスドレムに向かって口を開いて大音声を発する。


 物理的な衝撃波となった声はクエスドレムの鼓膜を破壊して朱色の眼球を破砕、高い鼻を押し潰すとそのまま吹き飛ばしていく。

 背後から襲いかかろうとしていたベフォニスに回し蹴りを叩き込むと、恐るべき速度で頭上から飛来したサジェリミーナを鷲掴みにして掌から毒が浸透するのも構わず呪力を込めて真下に叩きつける。


 振り下ろされた斧の神滅具の一撃を、同じように両側に形成した炎と雷の刃で迎え撃ち、自分に勝る巨体から繰り出された振り下ろしの一撃と拮抗する。

 それは、全く同一の武装だった。


 アインノーラが繰り出した両腕での振り下ろしを右腕のみで防御しつつ、【巨人殺し】アルマがぞっとするような眼光で牛頭を睨み付ける。


「アルマ・リト=アーニスタ! 貴様はまたしても我らの前に立ち塞がるか!」

 

「今は輝血かがちのアルマって名乗ってるんだ。あとさ、お前じゃもう相手にならないからさっさと消えてくれる? 私を正面から倒したければイェレイドかヌウォンでも連れてこい」


 斧が弾き飛ばされ、目にも留まらぬ速度で放たれた拳がアインノーラの腹部を打ち据える。空高く舞い上がった巨体が頭から舞台に叩き落とされる。

 アルマはそのまま巨大な斧を浮遊するガルズに向けて投擲したが、瞬時に稲妻の少女が反応した。


 自らの存在を維持し続ける死霊使いを守る事を最優先にしているのか、ズタークスタークが稲妻の速度で回り込んで斧を弾き返したのだ。

 反撃の稲妻が地上にいるアルマとサリアを襲う。


 全て回避してのけたサリアと対照的に、真正面から攻撃を受け止めたアルマは全身から煙を上げながらも無事だった。

 回転しながら戻って来た斧を受け止める。


 異常と言うしかない耐久力。

 稲妻が肌を灼き、構築された無数の呪文が肉体を切り裂いて鮮血が溢れていく。

 が、身体から溢れた血液は外気に触れた途端自然発火して炎に変化する。


 淡く輝く炎の血――それは時に稲妻となって放電を繰り返し、呪術的な防御障壁を形成してその肉体を防御するのである。

 炎の天使ピュクティエトの加護を受けた眷族種、第八位【エルネトモランの燐血の民】の特徴である赤毛が黄金色に輝いて、燃えさかり、稲光を放ちながら長く伸びていく。


「大魔将か。主神級――いやそれ以上かな、これは。冥王本人ってのはどれだけ強いんだか」


 何故か嬉しそうに呟きながら、長く波打つ炎雷の長髪を振った。

 雷撃を放ちつつ、巨大な斧を振り上げて鋭く叫ぶ。


「テッシは圧縮浄界を大魔将に放て!」


「ええ、キツ――」


「泣き言禁止! 他の魔将は取り込まなくていいから絶対に外すなっ! ズタークスタークを隔離して私たちで足止めする! バルは一番隊、グラ爺は二番隊を率いてその間にどうにか死霊使いを倒せっ!」


「姐さん、そりゃちょっと無理な相談じゃないですかね」


 第十位の壮年修道騎士が頭痛を堪えるようにしながら苦言を呈する。その後ろでは第十二位の老修道騎士が必死になって【避雷針】の呪術を維持して大魔将の攻撃を凌いでいた。


「私とあれが全力でぶつかり合ったら多分この会場どころか第一区が消滅するよ。いいからつべこべ言わないでやる。あとバル、四英雄はどうしたの。いやウチのお姫様の所在は知ってるから言わなくていい」


「ええと、四英雄はグレンデルヒ、コルセスカ、ゼドの探索馬鹿がそれぞれ第五階層の【死人の森】、【暗黒街】、【風の吹く丘】に向かったきり音信不通ですぜ。ええと、あとは――タ、タマ――あれ、なんだったかな。兎に角、動けるのはソル坊が雇ったユガーシャのみですな。現在会場の外で押し潰されちまった重傷の観客たちを救護しつつ護衛してるみたいですが――」


「だから言わなくていいって。まあいいや、ユガーシャだけでも呼び戻して使え。魔将を全員倒そうなんて思わなくていい。死霊使いだけ倒せばそれで終わる。こっちの時間稼ぎも今の私じゃどれだけ保つかわからない。できるだけ急いで」


 それだけ言うと、巨大な斧を構えてサリアと共にズタークスタークに向かって突撃していく。


「一応、僕の部下なんだけど――」


「お前は突っ込んで囮として死ね死にまくれ」


 駆け寄ったソルダの顔面を掴むと、稲光を放つ大魔将に向かって投擲するアルマ。更には抗議しようと駆け寄ったフラベウファの腹部を刃を消滅させた棍棒状態の神滅具で全力で殴りつけて弾き飛ばす。


「テッシ、浄界で隔離! あとそこの馬鹿は蘇生位置を浄界内部に設定するのを忘れるなっ」


 アルマが叫ぶのと同時、聖火楽団と聖歌隊を率いる第五位が展開した浄界が現実を浸食していく。

 広がった異空間がまずズタークスタークを飲み込み、そこにソルダとフラベウファ、アルマとサリア、そして浄界を維持している松明の騎士団の楽団がまとめて取り込まれていく。


 発生した異空間はそのまま縮小していく。外界を隔てる結界はあらゆる光を隔て、内部と外部を隔絶する。豆粒よりも小さくなった球状空間はそのまま極限まで圧縮され、そして消失した。


 厳密には消失ではなく外部から認識できなくなっただけなのだが、いずれにせよその瞬間から大魔将という絶対的な存在の脅威はその場所から失われたのだった。

 それは、アルマの言うとおりこの絶望的な状況を打開するための有効な方法ではあるのだろう。それほどまでに大魔将ズタークスタークはどうしようもない絶望だ。たとえ守護の九槍が全員揃っていても敗北を覚悟しなければならない。


 しかし、だからといって状況が容易なものになったかと言えばそうでもないのであった。


「いやいやいや、実際こりゃあ無理難題ってもんだぜ、おい」


 その場を任された第十位は、冷や汗をかきながら長槍を構える。

 アルマの攻撃から立ち直った魔将たちが、ゆっくりと起き上がってこちらを一斉に見る。


 浮遊するガルズと彼の腕に抱かれたマリーが手を振ると、魔将たちは一斉に修道騎士たちに向かって襲いかかってくる。

 戦いは激化し、屍は大量に積み上げられ続ける。

 しかも、戦いはまだ始まったばかりなのだ。


 メイファーラが奈落に飲まれ。

 リーナとミルーニャが闇に喰われ。

 リールエルバとセリアック=ニアが影に沈み。

 プリエステラがその杖の先端を私たちに向け。


 今まで絶大な能力で私を勝利に導いてきたフィリスの解体が真っ向から両断され、絶えず鳴り響いていた歌声は途切れてしまう。

 浸食し、拡大し続ける浄界によって会場の外に這いだした死人たちは第一区を、そしてエルネトモランを覆い尽くしていく。


 大量の死人が蠢きながら人々を襲い、それに噛み付かれた者たちは汚染された呪力を注ぎ込まれて『感染者』となってしまう。

 感染者たちは死人と同じように街を徘徊しながら人を襲い、更なる感染者を増やしていく。


 エルネトモランを襲う絶望の宴は、まだ始まったばかりなのだ。

 そして、私は。




【後書き】

ディスペータお姉様による『あとでテストに出ますからね』コーナー


「今回紹介するのは第四魔将、万殺鬼アインノーラです。

 牛頭の種族、牽牛種アステリオスきっての勇士と言われており、第一階層の番人として長く地上と戦い続けてきた人物でもあります。多くの強者を返り討ちにし、また沢山の同胞たちの死を見送ってきた彼の瞳は何を映しているのでしょうか。

 万殺鬼、という異名は誇張とかではなくそのままの意味で、同時に一万人まで相手にできる、という意味ですね。

 自分と相手だけが一対一で決闘できる無数の浄界を創り出して、そこで同時に一対一で戦う――ちょっと想像しにくいかもしれませんが、閉じた世界に同時に存在しているアインノーラは全て同一人物であり、一度でも決闘に敗北すれば彼は死にます。他の空間で相手に勝利していた場合でも、その結果は無かったことになってしまうのです。

 一騎当千、いや当万の武人として、決闘では絶対に負けられない――そんな世界観が表現されているようですわ。

 つまり強い人が一人で挑むか、一万人より大勢でかかればいいのですが、自分の弱点がわかっているアインノーラはずっと第一階層の迷宮の狭くて奥まった所で防衛戦に専念してました。

 地上のゲームで牛頭の怪物がボスモンスターの定番なのは彼に由来しているそうです。コルセスカが教えてくれました。

 ちなみに攻撃を受けると甲羅の中に引きこもっちゃうそうです。可愛いですね♪ 

 地獄の魔将の中ではレストロオセ派という派閥の筆頭で、優れた武人として名高い人物だというお話ですが――ちょっと潔癖すぎて疎まれている所もあるようです。敵地の最前線に放り込まれたのも、信頼が置けるからというだけではないのかもしれません

 ちなみに覇王メクセトの正統な子孫で、家には家系図もあるとか。メートリアンやリーナの遠い親戚ということになるのかしら?

 保有する神滅具は【破壊と再生の斧】と【神亀の甲羅】の二つ。神滅具は使用者を破滅させてしまう恐ろしい武器ですが、二つの神滅具を組み合わせて上手く呪いを回避しているみたいです。そのせいか、自分を守ってくれる亀さんに深い敬意を払っているとか。

 その気持ち、私もわかります。亀さんってとっても可愛いですから♪」


「今回はここまで。彼の前でパンケーキガメのお話はしないようにしましょうねー


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